「・・・嫦娥、月の都」
「我が悲願の時、今こそ来たれり」
数秒後、狩人が目覚めると、遠くから何かを呟く声が絶え間なく聞こえ、純弧が祭壇の奥へ歩みを進めていた。
狩人は急いで起き上がり、純弧を追った。
純弧の進む先には狭い洞窟状の道があり、その先からは名状し難い死血の香りが漂っていた。
それは祭壇内に点在する死体から発される物と同質、玉兎の血の香りであった。
「目覚めたのか、月の香りの狩人よ」
振り返った純狐は、柔らかな表情を浮かべて話し始めた。
「私はこれから、この道を通じて月の都へ帰還する」
「月の女神、嫦娥をこの手で殺す為にな」
話を聞くと、あの月の女神「嫦娥」は純狐の息子を殺した夫「羿」との繋がりを持つ女であると言う。
夫への復讐はとうの昔に果たしたが、その身内である嫦娥もまた子殺しに携わった・憎き夫「羿」と縁を繋いだ者であるとして、そしてその嫦娥を匿う月の民諸共、一族郎党鏖殺の意を以てして嫦娥を殺害しようと、これまでに幾度も月に襲撃を仕掛けたのだと。
そして先日、異変の調査と称した月面襲撃の最中、何故か狩人の悪夢へ迷い込み、今に至ると語る。
紆余曲折を経て、血と獣の蔓延る狩人の悪夢において新たなる狩りの力を得た純狐は、今一度月へ帰還する機会がここにやって来たのだという。
「貴公には世話になった。だが、ここでそれも終わりだ」
「これは餞別だ、貴公の狩りの成就を願っている」
そう言って純狐は狩人に、一つの呪符を手渡してきた。
【純化の姿写し】
それは地上の魔女が作り出した「マジックカード」なるものの一枚であり、魂の一部を宿す事で最初の使用者の写し身となるのだという。
他者がこの力を使用する場合「遺志」を込めて空へ放り投げれば、いつでも最初の使用者の力を再現し、力量次第ではその似姿をすら召喚できるという。
それを聞いた狩人は懐から注射機能付き試験管を取り出し、自らの神秘の血を封入し始めた。
これを適当な生物の肉片に打ち込み、神秘の精霊、すなわち上位者の眷属と成り得る軟体生物に食わせる事で、狩人の似姿を顕現する事が出来ると説明した。
月面であれば精霊など無限に存在するだろうが、念には念をと、もう一本の試験管に「エーブリエタースの先触れ」を数匹詰めた後、血液と一緒に手渡した。
「感謝する、万が一の時は使わせて貰おう」
(ここから分岐です)
そう言って純弧はこちらを向いて僅かに微笑み、その瞬間、狩人の首があらぬ方向を向いて捩じ切れた。
数分後、肉体を再構築した時には既に純弧と祭壇奥の道は消滅しており、その気配の欠片さえ、後には残っていなかった。
「狩人よ。一度、夢に戻りたまえ」
助言者の言葉に従い狩人は「狩人の確かな徴」を用いて夢の屋敷へ戻った。
<狩人の夢>
「スー、スー、スー・・・」
そうして夢の屋敷に目覚めた狩人は、人形が眠っているのを見て、少しばかりの驚きを覚えた。
人形が眠る所など今まで一度たりとも見た事はなく、興味を示した狩人は暫く人形の眠る様を眺めていた。
「ハッ!」
そうして静かに眺めていると、不意に人形は目を覚まし、狩人に帰還の挨拶を申し伝えた。
「ああ、お帰りなさい。狩人様」
「すみません、私は、どこかに・・・」
「どうぞ、なんなりとお申し付けください」
それは偏執にも似て、だが狩人の癒しとなり得るものだろう。
狩人は屋敷に入った後、数多の狩りで傷ついた処刑隊装備を修繕し、切先の欠け、傷付き、刃文の曇った落葉を研ぎ直し、ルドウイークの長銃を分解して清掃・調整・部品交換を行い、神秘の研究論文によって得た知見を用い、更なる改造を施して威力を向上させ、回転ノコギリに組み込んだ雷光発生装置の内部機構を再調整した。
その時狩人は、懐の中に、あの時砕いた筈の、深紅に染まった月の石が入っている事に気が付いた。
どうやらこの石は上位者由来の神秘、及び血の力を開放する事により、狩人の内に潜む何者かを刺激し、使用者を一時の神秘に導くようだ。
その時、館の裏口が開く音と共に助言者が杖を突きながら現れ、何かを手渡した。
「狩人。これを持って行くがいい」
【星の短刀】
【薄銀の雫】
「ゲールマンの狩り道具、葬送の刃を削り出した短刀だ」
それは「星の短刀」と名付けられた葬送刃を加工した一振りの短刀であり、狩人に助言者ゲールマンの遺志、その一部を託す為の証であるという。
悪夢の獣は赤子であり、母を求め悪夢の記憶の内を彷徨っていた。
なればこそ、その落とし子たる獣たちを鎮めるのであれば、古狩人の慈悲たるその遺志を宿した儀式道具が必要であろうとの事であった。
「もう片方は、カインハーストの銀を用いて作られた代物だが、これは私が作ったものではない」
助言者曰く、狩人が首を撥ねられた時に悪夢の上空から舞い落ちてきた謎の装具であるらしく、古びた手記が鎖紐に繋げられていたという。
手記の内容は異国語で書かれており読めなかったそうだが、狩人にはそれが「日ノ本言葉」である事がすぐに理解できた。
その大部分は擦れて解読が不可能であったが、最初の一文『薄銀の雫:夢に眠る、母なる上位者の聖血を捧げ、飲み干したまえ』という綴りだけは、何とか解読する事が出来た。
恐らくは、赤桃色の粘液を捧げた時に行き着いた悪夢の奥には上位者が眠っており、そこに行かねばならないという事であろう。
狩人は直感的に、そう感じていた。
「狩人よ。恐らくはこれが、最期の狩りとなるはずだ」
「何としても、無事に戻りたまえよ」
助言者の声援を胸に屋敷を出た後、悪夢の心臓を握り〈悪夢の僻地〉の文字に触れた。
脳裏に映る光景は、やはりおぞましい獣が跋扈する冒涜的なものであり、だがその奥に、一際巨大な館と奇妙な鉄檻兜を被った男が見えた。
その時、狩人はヤハグルに拘束されていた男の亡骸を思い出し、その折の主がメンシスの男であると直感的に確信した。
メンシスの儀式と、眠れる悪夢の上位者には何かしらの繋がりがあるのだろう。
そしてその儀式を止める事こそが、悪夢を終わらせる本懐であるのだ。
「悪夢は底無しだ。故に狩人、気を付けたまえよ」
助言者が狩人の去り際に一言、意味深な台詞を残したが、その意味を知るのはもう少し先の話である。
<悪夢の僻地>
数分後、狩人は再び悪夢の僻地、その渦中に目覚めた。
依然として悪夢の獣は無数に徘徊しており、鋭い悲鳴とおぞましい死血が辺りに充満していた。
その時、狩人の被る長の鉄兜に何かがぶつかり、脳を揺らした。
頭頂部を拭いそれを確認すると、鉄兜に付いていたのは漆黒に濡れた肉片と透明なゼリー状の組織片であり、次の瞬間、黒く汚れた掌に再び何かが降ってきた。
それは既に砕けており、原形を留めていなかったが、構造を鑑みるに生物の眼球、すなわち瞳に相違わぬ代物であった。
狩人が上空を見上げると、まるでそれを見計らったかのように大量の瞳が雹や雨粒の如く降り注ぎ、瞬時に辺りは地獄絵図と化した。
数十秒後、ようやく瞳は降り止んだ。
辺りには潰れ、飛び散った瞳の内部組織が墨汁の如き色と化して散らばっており、強い死臭を放っていた。
砕け散った瞳からは白い靄を纏った花が咲き始めており、周囲を見渡せば、悪夢の獣たちが花に群がり、その蜜を啜るように貪っていた。
その時、狩人は奇妙な光が上空より近付いているのに気が付いた。
上空に浮かぶ黄金の太陽が、ゆっくりと形を変えて地上に接近していたのだ。
それはまた、以前悪夢を追い出された時に発生した、謎の現象に酷似したものであり、次の瞬間、周囲が黒紫の霧に包まれた。
やがて霧が晴れた頃、狩人の視界には歪んだ木と岩の点在する広場があり、眼前には燃え盛る金色の焔に身を包んだ獣が佇んでいた。
金色の獣は白銀の獣毛に覆われた、四足歩行型の獣であった。
強靭で長く伸びたその四肢は逆立った鱗に覆われ、鋸刃の如く乱鋭に尖った金色の炎が纏わりついていた。
神馬の如く雄々しき白銀の鬣は生温く強い風に煽られ、甘い香りを放ちながら靡いている。
ばっくりと耳まで裂けた口には鋭く尖った牙がずらりと生え揃っており、口腔内には分厚い舌が軟体生物の如く蠢いている。
麒麟の如く輝く引き締まった胴からは深紅に光る肋骨がはみ出ており、頭部には四方に蠢く無数の瞳が血走った視線を狩人に向けていた。
大きく尖った鈎爪は血に塗れ、錆付いたように赤黒く染まっている。
金色の獣は気高く、また雄々しさも感じさせる咆哮を上げた後、すくと立ち上がった。
狩人は回転ノコギリを取り出した後、発電装置を起動し、蒼き雷光を纏わせた。
そして金色の獣の頭上に大きく飛び上がり、雷光を纏いし回転ノコギリを火花と共に唸らせて、獣の長く伸びた首に押し当て、骨肉を細切れに削り取った。
雷光が血飛沫を伝って茨の棘の如く枝を伸ばし、周囲を明るく照らす。
金色の獣は自らの巨躯を捩り、後ろ蹴りで狩人を跳ね飛ばした。
狩人は空中にて上位者の翼を拡げ、滞空に成功する。
そしてそのまま群青色の粘液を落葉に纏わせ、秘儀『古狩人の一閃・流星』を繰り出した。
流星群の如き神秘の斬撃波に斬り裂かれた金色の獣の首からおぞましい色の血が噴水の如く吹き出し、大地を死臭に包み込む。
狩人がふと地面に目をやると、血飛沫の跡からは悪夢の花が芽生え、巨大な蔓植物となって地面を覆い始めていた。
刹那、金色の獣は一瞬の隙を見逃さぬと言わんばかりに前脚を振るい、巨大な鈎爪から真空斬撃波を連続で繰り出した。
狩人は加速を用いて回避を試みたが、次の瞬間、背後から襲来する斬撃波に全身を斬り裂かれてしまった。
曲がった爪から繰り出される斬撃波はまた、飛去来器の如く楕円軌道を描きながら空を斬り、ゆえに回避したはずの狩人の隙をついたのだ。
思わず膝を突いて倒れる狩人、輸血液を打とうとしたその時、地面に生えた悪夢の花の蔦が四肢を捕らえ、強固な結び目で回復を阻止した。
金色の獣の血によって生えた悪夢の花はまた、件の意思によって自在に動く幻想植物の一種であり、その強度は加速を以てしても千切れぬほどである。
脱出を図るべくもがき苦しむ狩人を前に、金色の獣は悠然とした態度で一歩一歩、その間合いを詰めてゆく。
金色の獣の口からは赫焉の色を成した液体が零れ出ており、雫が一滴ずつ落ちる度、強酸の如く大地を蝕んでいた。
狩人は上位者の翼を拡げ、四肢諸共蔦を食い千切って脱出し、触手を生やして仮回復を図った。
だが次の瞬間、金色の獣が大きく吼えたかと思うと上空へ飛び上がり、狩人を己の膂力と体重を以て圧し潰してしまった。
その膂力は凄まじく、応急的な回復でその場を凌いだ狩人では到底脱出不可能な程であった。
神秘の血を滲ませた鈎爪が体に食い込み、傷口を徐々に融解させてゆく。
赫焉の唾液が内蔵に染み渡り、劇毒のようにじわりじわりと全身を蝕み始めた。
金色の獣は雄叫びを上げた後、耳まで裂けた口をより一層大きく開き、重圧で潰れ、地面と混じった狩人の肉塊を喰らい始めた。
強靭な顎で鉄兜を引き剥がし、装束諸共肉塊を食い千切る。
上位者の力を得た強靭な身体ですら、件の獣の前には柔らかな肉の塊に過ぎず、成すがままに喰われるのを、痛みと共にただ傍観する他はなかった。
数分後、骨すら残さずに狩人を喰らい尽くした金色の獣。
踵を返し塒へ戻ろうとしたその瞬間、突然にして吐き気を催したように苦しみだした。
その長い首を天に伸ばした後、ごぎり、ごぎり、と音を鳴らし、体を変形させ始めた。
金色の獣を包み込む金色の炎は消え、代わりに群青色に揺らめく神秘の粘液が溢れ始めた。
白銀に靡く鬣は色褪せ、灰色がかった藍色に染まり始めた。
狼の如き鋭爪は鋭さを増し、指に似た器官の発達と共に長く伸び始めた。
次の瞬間、金色の獣の肋骨が圧し折れたかと思うと、その奥から異常なまでに肥大化した悪夢の獣の心臓が這い出てきた。
悪夢の獣の心臓が胸中より這い出たその瞬間、金色の獣は再び黄金の炎を身に纏い、白銀の鬣は凛々しいまでに靡き始めた。
同時に、灰褐色の胃液に混じった狩装束を滝のように吐き出し、その巨躯を小刻みに身震いさせた。
それを尻目に悪夢の獣の心臓は血管を触手の如く伸ばして移動し、原型を失った謎の肉塊を吐き出した。
吐き出された肉塊は見る見るうちに肥大化してゆき、やがてそれは狩人となった。
破れた装束や歪み壊れた兜は肉片で修復し、その場凌ぎの急造ではあるが、一応の復活を果たしていた。
そして狩人は肉塊を吐き出して縮んだ悪夢の獣の心臓を懐に仕舞い、落葉に群青色の神秘の刃を纏わせた後、するりと加速して金色の獣の死角に潜り込み、秘儀『古狩人の刺突・螺旋連撃』を繰り出し、四肢の付け根と核たる心臓を抉り貫いた。
古狩人マリアの遺志を継いだその連撃は、研鑽と螺旋の融合により一層の威力を増しており、金色の獣の強靭な身体を、まるで粘土の如く容易に抉り抜いたのだ。
四肢を失い、秘儀の衝撃波により上空へ打ち上げられて体幹を崩した金色の獣は、轟音と共に地面に打ち倒れ、体表に纏い付いた炎は消失していた。
そして狩人が回転ノコギリで止めを刺すべく僅かに屈んだ刹那、太腿に鋭い痛みが走った。
脈々と血を流す太腿には、助言者が渡した道具「星の短刀」が深々と突き刺さっており、恐らくはゲールマンの遺志がそうさせたのだろう。
狩人は滝の如く出血を続ける太腿から短刀を引き抜いた後、暫く思考を巡らせた。
その間も金色の獣は弱ってゆき、だがその瞳は一層色を濃く、深くしていた。
血反吐を吐き出して悶えながら、濁った吼え声で狩人を威嚇し、未だ殺意の冷めやらぬその瞳はおぞましく蠢いていた。
早くとどめを刺してやるのが獣への弔いであろう、余計な苦しみを与えるのは残虐のそれと変わりないのだから。
心を決めた狩人は短刀を逆手に持ち替えた後、金色の獣の脊髄に刃を深々と突き刺してぐるりと捻った。
すると、これまで濁った唸り声を上げ続けていた筈の金色の獣が甲高い声で一啼きしたかと思うと、静かに目を閉じて斃れた。
【HUNTED GUARDIAN】
金色の獣の死体は泥のように蕩け始め、緑色の死血を流すと共に冷たい死臭を放ち始める。
「フフフ、貴公。存外に苦戦したようだな?」
その時、不意に体内のアンナリーゼが話しかけてきた。
曰く、悪夢の獣の心臓が狩人の肉体を喰らわせ保存していたのはアンナリーゼの仕業であったらしく、狩人は三本目のへその緒と眷属の死血を喰らい、飲み啜る事で感謝の意を示した。
その時、金色の獣の蕩けた骸の底から謎の金属塊が浮かび上がり、狩人はそれを拾い上げて懐へ仕舞った。
【陽星の欠紋章】
それは、一見すると太陽を象ったような金属板であり、だが所々が折れ欠け、完全な形を成してはいなかった。
数秒後、狩人を再び黒紫の霧が包み込み、やがて霧が晴れると再び悪夢の僻地へ戻っていた。
そこへ、顔が横に捻じ曲がり、右手に松明を掲げた二足歩行の獣が現れた。
それはローランの銀獣と呼ばれる悪夢の住民であり、かつて助言者からその存在を教わった記憶がある。
狩人は落葉に手を掛け、居合の構えを取った。
だが次の瞬間、獣が己の眼に、左手の大きく伸びた鋭爪を突き刺したかと思うと、口から緑がかった血と白く濁った臓物を滝の如く吐き出し、地面と同化して岩となった。
「フフフフッ。貴公、なんとまあ、奇妙なものだな」
すると、そんな狩人の心情の変化が体内環境に現れたのか、アンナリーゼが上品な笑いを浮かべながら語りかけて来た。
「純狐は祭壇の奥へ消え、助言者からの声すら、何時の間にか途絶えている」
「いまや私たち、たった二人ばかりだな。悪夢に潜む不死も、血族さえも・・・」
狩人の背後に隆起する、恐ろしいまでに歪んだ岩の内からは、ゆっくりと、靄がかったおぞみに満ちた亡者の顔が浮かび上がり、亡者の口の如き暗い穴から発される、深淵の洞底から響くような呻き声は冷たく、足元には精霊が集まり、カレル文字を彷彿とさせる、奇妙な模様を形成していた。
数分後、悪夢を探索する狩人の眼前に、おぞましく歪み、瘴気に濡れた古狩人の死体が落ちてきた。
「ああ・・・メ・・・が、恐・・・獣・・・・・・・・・悪夢・・・・・・喰ら・・・儀式を・・・・・・・・・止めて・・・・・・く・・・・・・れ・・・・・・」
男は喉の焼け付き、枯れ濁った声で何かを呟いた後、霧となって消滅した。
次の瞬間、メンシス学派と思しき檻を被った男が霧の内から姿を現し、狩人に襲い掛かって来た。
男は血の気のない青ざめた肌の色と、頬のこけた人相を持った出で立ちをした気味の悪い狩人であり、その身体からは一切の生気が感じ取れなかった。
狩人は咄嗟の襲撃を紙一重で躱した後、獣の爪を展開してメンシスの男を引き裂いた。
メンシスの男は蕩け腐り落ち、足元に、死臭を嗅ぎ付けた大量の蟲が集まって来た。
恐らくそれは悪夢の幻影の一種であり、先程落ちて来た男の遺志が産み出した、恐怖の象徴たる記憶を悪夢の霧が具現化したものなのだろう。
狩人は半ば薄い靄に包まれた道を進み続け、灰色の空浮かぶ森に建てられた、おぞましい瘴気の滴る洋館に辿り着いた。
「アッハハハ!ようこそ、我らの夢へ!」
不意に響き渡る謎の声に驚いた狩人は、辺りをくまなく見渡して声の主を探した。
「ああ、ゴース、あるいはゴスム・・・」
「大いなる上位者に見えた君は、まさしく我らの求めた・・・」
「けれどもう、だれも必要としない」
声の主は館の二階窓に姿を見せた後、そそくさと走り去っていった。
狩人は館の玄関を探し、正面に大蝙蝠の意匠を施された大扉に手を掛けた。
しかし扉は開かず、代わりに映し出されたのは、太陽紋の窪みであった。
次の瞬間、懐から悪夢の欠片と先程の金属板が飛び出したかと思うと、空中にて光を放ちながら融合し、それは一枚の紋章鍵となった。
【陽星の紋章鍵】
狩人はその、赤銅色に輝く紋章鍵を扉に嵌め、すると数秒の間の後、鍵が低い金属音を立てて解除される音が鳴り響いた。
やがて、長らく開かれなかったと思われる大扉が、隙間に積った土埃をはらはらと落としながら、ゆっくりと口を開き始めた。
館の内からは冷たく白い瘴気が吐息のように漏れ出しており、だがその甘く官能的な雰囲気は、どこか狩人を館の内へ誘っているようであった。
「貴公、気を付けたまえ」
「恐らく屋敷の中は魔窟」
「先程の魔物のような強敵が、居ないとも限らぬ」
不意にアンナリーゼが忠告の意を示して来たのを感じた狩人は静かに頷いた後、悠然とした足取りで暗く湿った屋敷の内へその身を晒し、侵入した。