<悪夢の館>
館に足を踏み入れると、背後から扉の閉まる音と光の失われる感覚が同時に舞い込み、後戻りは出来ないという事が判った。
暗闇の奥底から響く、不気味な呻き声と湿った足音の数々。
狩人はランタンを腰にぶら下げ、探索を開始した。
館の中は外観に相応するように広く、暗く湿った深淵のような闇に包まれ、冷たい瘴気に濡れ沈んでいた。
吐く息は白く凍り付き、狩人の表情を強張らせる。
鈍虹色の光を反射させる足元の絨毯に触れてみると、それは無数の寄生虫で構成された「蠢く肉の絨毯」であり、反射していた光は、虫の脂ぎった甲殻であった。
耳をすませば、虫達が得物を求めるように顎を鳴らす音が交響曲を織り成すように響いており、それはまた、身震いするほどにおぞましい血と屍を築き上げる混声合唱であろう。
狩人はすぐさま手を放し、暗黒に濡れ沈んだ道を切り開き始めた。
廊下に配置された扉の奥に広がる、いくつかの部屋にはローランの銀獣が徘徊しており、だが所詮は傀儡の獣に過ぎず、誰もが皆、往々にして一刀のもとに斬り倒される運命を逃れられなかった。
やがて廊下の突き当りに到着した狩人は、曲がり角の奥より黒鉄の仮面を被った小人が体を揺らして徘徊しているのを発見した。
小人はこちらの存在に気が付くと仮面を脱ぎ捨て、頭部から肥大した触手をぶるんと飛び出させた後、狩人に向かって走り出した。
狩人は呼吸を整えて突きの構えに移り、秘儀『古狩人の刺突』を迫り来る小人の頭蓋目掛けて放ち、有り余る衝撃波によって頭蓋から下の肉体をすら、纏めて破壊してしまった。
小人は下半身に提げた袋から何かの金属勲章を落とし、それは「鏖殺の狩人」の一員である事を証明する狩人証であった。
【知恵の瑞獣の狩人証】
先の折にも淀みの狩人証を落とした、血に酔った狩人の群衆がいた事が疑問として脳内に残っていたが、これで疑問は確信へと変わった。
この悪夢には、かつて狩りの夜に失踪した同胞たる連盟員たちが大勢迷い込んでいるのだ。
それならば、あの集落の磔刑に処された末に拷問され、殺されたと見える死体に刺さっていた「血晶の薄刃」にも説明がつく。
あれは人里の連盟の工房における禁忌であり、その特性から運用された時期はごく短い。
後に正式採用された狩道具「氷結の血刃」の萌芽とも呼べる遺物である。
狩人の悪夢が漁村の上位者ゴースの怒りによって作り出された古狩人たちの業の屍山血河であるのならば、この「悪夢の僻地」はすなわち、最奥に眠る謎の上位者が産み出した、人里の連盟に関連する屍山血河、罪の空間であるに違いない。
「凄まじい威力だ。やはり貴公と血の契りを躱した事は、僥倖だった」
「孤牢鉄面の虜となって久しい私をすら虜にするとは、な・・・」
その時、考察に耽る狩人に、アンナリーゼが興奮した様な妖艶の声で囁きかけた。
どうやら彼女は狩人の繰り出す技の一つ一つに歓喜しているようであり、それに応じて体内の臓腑が熱く熱を帯び、蠢くのだった。
そうしてひとしきり考察を進めた狩人は探索を再開し、数分後、客間と思しき大部屋の壁龕にて奇妙な彫像を発見した。
それは一人の少女を象ったものであったが、細部にはおぞましい瞳と触手がうねり艶めき、それが、人ならぬ上位者に見えた者であろう事は想像に難くない。
人ならぬその少女は、ヤーナム由来の物とは異なる、奇妙な装束を纏っていた。
凡そ狩りとは程遠い、それでいて血族のドレスとも異なる、形容し難い装飾を施された装束。
そのドレスは白黒の球体をいくつも据え付けており、だがそれはよく見れば寄生虫に塗れた瞳であった。
赤桃色の三角帽は先端に瞳を縫い付けており、数多の付け根をよく見れば、帽子と頭髪が融けるように接着されている。
しかしそれが、狩人にとって何かしらの懐かしさを感じさせるような、ある種の奇妙な禍々しさを放っていた。
狩人は彫像の前に硬貨を置き、迷わぬように目印とした。
やがて二階へ上がった狩人は、先程館の入り口にて遭遇した、メンシス学派の男を見つけた。
メンシスの男は狩人の存在に気が付くと、意味深な言葉を発しながら逃げ走り始めた。
「ああ、偉大なる上位者の狩人」
「我らは瞳を得、そして神秘を拝領した」
「我らの邪魔をしたければ、つかまえてみるといい!」
「ここは悪夢の中、新しい思索、超次元の狭間!」
狩人は加速を用いてメンシスの男を追うが、何故か一向に追いつく事が出来ない。
その時、ローランの銀獣が天井から無数に這い出してきたかと思うと、狩人目掛け襲い掛かって来た。
獣たちが持つ松明の中には、赤く燃え盛る異形の精霊が居座っており、それは恐らく神秘の炎であろう。
狩人は落葉を加速しながら振るい続け、行く手を阻むローランの銀獣たちを細切れの肉塊へと変えていった。
加速してゆく背後では、床を埋め尽くす寄生虫の群れが銀獣の亡骸を貪り喰らう姿が確認でき、波打つようにせり上がる鈍虹色の肉の絨毯は、名状し難い惨さとおぞましさを兼ね備える光景を生み出していた。
やがて螺旋階段の踊り場へ到着したメンシスの男は、エーブリエタースの先触れを駆使して館の上層へ移動し始め、狩人も小アメンの腕を伸ばしてそれを追い掛けた。
その最中、階段の脇・階層の狭間から肉の絨毯たる寄生虫が束となり狩人の足止めを遂行しようと襲来してきた。
狩人は背部より上位者の翼を拡げ、襲い来る肉の絨毯を全て喰らい啜り呑み込んで遺志に変え、メンシスの男を追うべく飛び上がった。
「さあ、見たまえよ。大いなる神秘の狩人」
「これが、これこそが、我らの見えた宇宙の徴・・・」
「獣の愚かを克した、神秘の遺物なのだ!」
メンシスの男はそう言った後、最上階の手摺を掴んで廊下へ飛び移り、最奥部に張り付けられた大鏡に飛び込んで姿を消した。
「フフフ・・・」
「貴公、悪夢の館は飽きないな」
アンナリーゼは妖艶な笑い声を上げ、その度に、臓物が揺れ動いた。
埒が明かないと判断した狩人は月の石を強く握り、一時の神秘に身を任せた。
深紅の血晶から光が漏れ出し、人の肉体が形を変えてゆく。
数秒後、上位者と化した狩人は鏡に手を当て、その瞬間、眩い光と共に鏡の内へと吸い込まれた。
鏡の先には謎の入り組んだ迷宮が広がっており、メンシスの男は走り乍ら奇妙な声を上げていた。
「ハァァァアオオオオォオオオオォォォゥゥンン!」
「おお、素晴らしい!ただ一時とて、神秘の肉体を得られるとは!」
次の瞬間、狩人の肉体は急速に溶け始め、人間に戻ってしまった。
どうやら鏡の世界では、神秘の力が制限されるようだ。
メンシスの男は拍手をしながらにやりと笑い、言葉を続ける。
「けれど、けれどね」
「悪夢の主は月の力を拒み、狩人を引き戻した」
曰く、この鏡の空間は悪夢の獣を産み出した上位者の力によって作り出された幻であるらしく、それ故に他の上位者がもたらす神秘の力は著しく制限されるのだという。
そう言ってメンシスの男は再び曲がり角の奥へ消え、狩人はそれを追い掛けた。
数分の後、狩人が複雑に捻れた階段前に辿り着くと、床から糸操り人形の如き骸骨が起き上がり襲い掛かって来た。
小アメンの腕を展開し、骸骨達を一掃する。
意外にも骸骨達は一撃で脆くも崩れ去ってしまい、再び起き上がる事はなかった。
そうして狩人は捻れた階段を駆け上がり、道中に蠢く銀獣や糸操り亡者たち、更には玉兎の獣や肉の絨毯等、様々な障害を全て蹴散らし、ようやくメンシスの男に追いついた。
「アッハハハ!さあ、宙は沈み、星はまたたく」
「ああ、ゴース、あるいはゴスム」
「夢見る少女に与えた瞳、今こそ我らに与えられん」
メンシスの男はエーブリエタースの先触れを召喚し、狩人の腹を貫かんとした。
それに対し、狩人は取り込んだエーブリエタースの肉体を一時的に現出させて先触れの威力を相殺し、余った触手の刺突でメンシスの男を廊下の壁際に叩き付けた。
「ギャアアアアアアアアアッ!」
壁が円形にへこみ砕けると同時に、周囲が鮮血を浴びて赤黒く色づく。
メンシスの男は苦しみ悶えながら倒れ、だが次の瞬間、何事も無かったかのように立ち上がったかと思うと、体を煙に変えて再び屋敷の奥へ走り出した。
「さあ、悪夢はもはや終わりに近づき、目覚めは近い」
「我らに瞳を!」
メンシスの男は天に両腕を掲げ、祈りの体制をとった。
すると、上空に暗黒空間及び小宇宙が展開され、そこから、無数の神秘の光が顔を覗かせ、狩人に降り注いだ。
それはまさしく秘儀『彼方への呼びかけ』であり、だが狩人にとってそれは既に対処法の確立された、手垢塗れの小技にすぎなかった。
「アオォォォォォォォ・・・ホァァァアアアォオオオオン!」
メンシスの男は絶頂し、獣に似た叫びをあげて狂気に満ちた笑みを浮かべる。
「ああ、偉大なる上位者の狩人・・・」
「目覚めを知りたくば、夢見る少女に目覚めを」
「白痴のロマにそうしたように」
「今一度、我らに瞳を授けたまえ」
絶頂に満ちたメンシスの男は狩人に向き直った後、不意に、手摺下に広がる大鏡に飛び込んだ。
メンシスの男は鏡の内にトプンと音を立てて消え去り、後には青白く濁った泥に似た水が残るのみであった。
すぐさま鏡に飛び込んだ狩人であったが、何故か水切りの石のように上層へ弾き返されてしまった。
どうやら、別の道を探る必要があるらしい。
ふと横を見ると、そこには館を移動する為の昇降橋が架かっており、駆け抜けた先は書庫に繋がっていた。
書庫の廊下には、小さな悪夢の獣が無数に徘徊していた。
その姿は、まさに異形であった。
頭には三角帽子のような器官と大きな触手を伸ばした瞳を備えており、その下には緑髪の如きおぞましい触手を生やしている。
瞳の無い顔は口が異様に発達しており、がくがくと不気味に顎を振動させて、灰色の血を滴らせている。
腕はべっとりと粘液に塗れており、灰褐色の鋭利に逆立った骨が剝き出しで稼働している。
脚は逆関節の刃物の如き大振りの棘を伸ばした、昆虫に似た外骨格を備え、鎌の如き鋭爪にはおぞましく蠢く肉片がこびり付いている。
小さな悪夢の獣達は外骨格を擦り合わせながら乾いた音を立てて動き回り、それは一種のコミュニケーション行動にも似ていた。
狩人は青い秘薬を分泌して姿を消し、書庫の奥へ侵入した。
ここで小さな悪夢の獣と戦う事は容易いが、今はメンシスの男を追わねばならず、一刻の時間さえ惜しい状況である。
書庫の奥には先程の容姿と酷似しつつ、蜘蛛糸のようなベール状の目隠しをした小さな悪夢の獣がおり、得体の知れぬ水音を立てながら死肉を貪り喰らっていた。
狩人は感覚麻痺の霧瓶を投げて小さな悪夢の獣の気を逸らし、頭蓋に獣の爪を突き刺した後、懐から悪夢の獣の心臓を取り出して亡骸を喰らわせた。
悪夢の獣の心臓は小さく震えながら赤桃色の粘液を分泌し、それはまた、狩人の肉体に染み込んで傷を癒し、更に遺志の力をも与えた。
やがて謎の操作桿を発見した狩人は錆付いたそれを起動し、やがて本棚が埃を吹き上げながら沈みこんだかと思うと、その奥に隠し部屋が現れた。
隠し書庫部屋には様々な研究資料が仕舞われており、それらを片端から読み漁った。
その中にはビルゲンワースで見つけた情報も多く、目新しい情報は中々見つからなかった。
数十分後、狩人は埃の被っていない本を見つけ、それを開いた。
金箔刺繡の施されたビロード調の本は真新しい研究日誌であり、その中には【新たなる悪夢の邂逅 上位者の獣 夢見る少女 夢喰らう獣】等、狩人が未だ発見していない情報が箇条書きで記されていた。
途中からは白紙であったものの、巻末の裏表紙に『Micolash』の焼印が押されていた。
恐らくこの本の持ち主「ミコラーシュ」とはあのメンシスの男に相違なく、その証拠にあの男が発する「神秘の埃の匂い」が強く染み付いていた。
【ミコラーシュの日誌】
狩人はその本を懐へ仕舞い、より多くの情報を求めるべく、表書庫の捜索を開始した。
数分後、羊皮紙の焼ける香りと共に、頭上より巨大な火の塊が落下してきた。
狩人がはっとして辺りを見渡すと、何時の間にか書庫が火の海に呑まれていた。
それまで気が突けなかったのが不思議なほどの大火災であり、それはまた、燃え盛る焔に秘密が隠されていた。
周囲には松明を持ったローランの銀獣が小さな悪夢の獣諸共書庫を燃やさんとしており、その正体が神秘を由来とする焔であるのだと理解した狩人は急いで書庫を脱し、その刹那、書庫は灰と化して崩れ落ちた。
その後狩人は廊下の先、別館四階の手摺に向けて小アメンの腕を伸ばし、飛び移った。
別館では肉の絨毯が積極的に玉兎の獣と死闘を繰り広げており、その光景は酷く残虐性を含んだ、冒涜的なものであった。
その後、廊下を抜けた突き当りには大広間に続く扉があり、狩人はゆっくりとそれを開いた。
<悪夢の館 別館大広間>
扉の先に広がっていたのは、舞踏会などで用いられる規模の大広間であり、極めて豪華な装飾と肉の絨毯、そしてその上を徘徊する小さな悪夢の獣たちが、異形と化した古狩人の血肉を喰らい、脳髄を啜っている光景が同時に目に映り込んできた。
大広間の壁には無数の大鏡があり、狩人はそれらに片端から触れ、移動を試みた。
そして三枚目に手を触れた瞬間、鏡は水面に広がる波紋の如く揺れ、光と共に吸い込まれるように内なる世界へ沈みこんだ。
数秒後、狩人は再び館へ戻っており、眼前にはあのメンシスの男がいた。
「おお、素晴らしい!自力であの迷宮を脱するとは!」
メンシスの男は狩人を褒め称えた後、不敵な笑みを浮かべ、言葉を紡いだ。
「けれど、けれどね」
「ほんの一足、来るのが遅かったようだ」
次の瞬間、床を覆う肉の絨毯が狩人の四肢を拘束したかと思うと、鋭い牙を突き立てて血を啜り飲み始めた。
同時にメンシスの男は腕を花弁のように裂き開いて、内側よりおぞましく歪んだ尺骨を伸ばし、狩人の頬を撫でた。
「何者も、我らを捕え、止められぬのだ!」
すぐさま寄生虫の束を神秘の体液で融解させた狩人は小アメンの腕を展開し、歪んだ尺骨を打ち砕いた。
だが、メンシスの男はそれを意に介する事も無いまま床に手を突いた後、揺らめく宇宙空間を展開して、こう告げた。
「たとえそれが、偉大なる上位者との邂逅を果たした者」
「すなわち聖歌隊の秘匿する聖体、上位者エーブリエタースを身に宿した者であろうともね・・・」
次の瞬間、メンシスの男の足元から眩い光が撃ち放たれると同時に、その姿は霧の如く姿を消していた。
またもや鏡で別の階層へ移動したのだろうと考えた狩人はメンシスの男を追うべく、館の探索を再開した。
館の中は異様なまでの瘴気で満ち溢れ、冷たく湿り、それはまた、獣の肉すら蝕んでいた。
「貴公。あの男はもはや、この館にはいないと見た」
不意に、アンナリーゼが語り掛けてきた。
彼女曰く、この館内から、あの男の"遺志"が消え去ったという。
狩人はそれを聞き、移動する為の大鏡を探すべく、動き始めた。
その後、深淵に濡れそぼった廊下を歩いている時であった。
突如天井から蒼白い粘液に塗れた、腐肉の塊が狩人の眼前に落下してきた。
蠢く腐肉は廊下の隙間や床など、あらゆる隙間から急速に滲み出しながら一か所に融合を始め、やがてそれは異形の獣と化した。
異形の獣はばっくりと裂けた口に鎌の如き牙を備え、銀の蠢く獣毛を無数に生やした腕にはぬらぬらと輝くおぞましい鈍爪を生やしており、半ば蕩けたような脚の中には昆虫のような逆立った甲殻を覗かせ、臀部には雷を纏った尻尾を備えていた。
狩人は回転ノコギリを取り出して発火装置を起動し、燃え盛る焔を纏わせてするりと加速した後、獣の背後へ回り、焔を纏った回転ノコギリを獣の頭蓋に喰い込ませ、弾けるような火花と音を立てて骨肉を引き裂いた。
異形の獣はおぞましい奇声を上げた後、煙の如く消え去り、足元に車輪の形状をした、狩人証に似た金属の勲章を残した。
「・・・これは」
アンナリーゼが声を曇らせた。
どうやらこれは、本物の処刑隊が携えた狩人証であるらしい。
車輪は正しい運命を表しているとされ、それは狂的な信仰と神秘主義に彩られた秘密として、穢れに対する不退転の覚悟たる三角形たる黄金の意思と共に、処刑隊の正義を支える力となったという。
【車輪の狩人証】
狩人は、カインハーストで倒れていた処刑隊員を脳裏に浮べながら狩人証を懐へ仕舞いこみ、先を急いだ。
ふと暗闇の先に目をやると、そこには一人の古狩人が佇んでおり、向こうもこちらの存在に気が付いたのか、つかつかと足音を立てながら接近してきた。
「・・・これは、幻覚なのか?」
「まともな狩人など、俺の他に、居ないと思っていたが・・・」
その男の纏いし狩装束は地下遺跡の墓暴き、異常者たちの纏う、体に青白い触手の巻き付いたものであった。
この男が古い時代の墓暴きであるのならば、既に狂っており、まともである筈がないだろう。
「ヒヒヒヒヒ・・・フーッ、フーッ、フーッ」
「・・・ああ、すまない。少しばかり、取り乱してしまったな」
「私はマッドマン。医療教会の探究者、神秘に見えた最初の狩人だ」
マッドマン、すなわち狂気の男と名乗る男は、右手に教会の杭、左手にルドウイークの長銃を装備しており、何故か腰に千景を差していた。
恐らくマッドマンというのも渾名であり、この男の本名ではないのだろう。
その瞳に彩られた狂気の渦が、その証左である。
彼曰く、この刀は地下遺跡を荒らし探究者を殺す、ある種の人狩りを殺して剝ぎ取った「戦利品」であると言った。
しかしそれは、自らをも蝕む呪いの武器であったが故、振るう事を止めたという。
「クヒヒヒヒ・・・カハッ、カハッ、カハハハハ!」
「さあ、先を急ごうか、処刑隊の狩人よ?」
マッドマンは狩人の纏う処刑隊の装束を見て、同じく古い時代の狩人たる処刑隊の生き残りであるのだという判断を下していた。
正直、この異常者は見境なく対象を殺しかねない「狂気」に満ち満ちている。
だが、悪夢の渦中にアンナリーゼを除き、頼る仲間のない狩人はこの男を頼るほかは無かった。
それはまたマッドマンも同じであると見え、二人は奇妙な同盟をここに結成したのであった。
数分後、狩人達は小さな悪夢の獣に遭遇した。
マッドマンは教会の杭を伸ばし、狩人は小アメンの腕を展開し、共にこれを迎え撃った。
教会の杭、かつて鏖殺の狩人の一人、カインの騎士の伝説とその装束に魅入られた奇怪な女狩人『隻眼の女狐、ヴィクセン』が振るった狩り道具であり、それはまさしく、先端の杭で「獣」の脳を掻き出し、体内の虫を引き裂いて潰す為の、宛ら火葬場で用いる火掻き棒にも似た使用法ながら、鬼人の如き残忍性を備えた仕掛け武器であった。
ヴィクセンはカインの近衛騎士の装束を身に纏い、教会の杭とロスマリヌスを用いて酷く凄惨な狩りを好んで行う、鏖殺の狩人の象徴とも呼べる存在であった。
狩人が過去の記憶に耽っている間、マッドマンは小さな悪夢の獣の頭蓋に杭を幾度も打ち込み、原形の無くなるまで執拗に殴打を繰り返して狩りを遂行した。
「フヒーッ、フヒーッ、ハァ、ハァ、ハァ・・・」
「貴公。中々、手強い獣であったな?」
正しく狂気の男に相応しいその狩りの様相は、かつての鏖殺の狩人たちにすら匹敵する残虐性を備えており、獣を確実に殺さんとする、並々ならぬ感情が込められた一幕であった。
マッドマンは血と臓物に塗れ、激しい動悸を起こしながら狩人に問い掛ける。
狩人は何も言う事が出来ず、ただ首を縦に振る他はなかった。
「・・・それよりも、だ」
不意にマッドマンは、狩人の腕に融合した小アメンの腕について言及してきた。
「貴公、その腕に生やした物、それは、探究者ワラーの得物ではないか?」
「かつて探究者の一人、ワラーという名の狩人が、それと同じ道具を用いていたのだ」
曰く、小アメンの腕とは同志たる探究者、異常者の渾名で知られた古狩人ワラーが用いていた狩道具であるらしく、どうやら盗品の疑惑が掛かっているようだ。
あらぬ疑いに気が付いた狩人は、静かな口調でこの狩道具を入手した経緯を事細かに説明した。
「・・・そうであったか」
「その狩道具はかつての同志の得物でな」
「貴公はそれが、上位者アメンドーズの体の一部である事は知っていよう?」
「ゆえに貴公がワラーを殺し奪ったものだと考え、返答次第では殺そうと思っていた」
「・・・ヒヒ、クキヒヒヒヒヒィッ!」
「・・・ああ、殺すというのは冗談だ。気にするな」
マッドマンは自身の発言に喜劇を見出し、狂ったように笑っていたが、狩人はそれが到底まともとは思えなかった。
虚言とはいえ「殺意」がその声に満ちた以上、盗品であれば敵対したというのは事実であったのだろう。
狩人は安堵と共に、この狂人マッドマンの存在に、久方振りの冷や汗を流していた。
いつ発狂して寝首をかかれるか分からぬが、健常であるうちは使い潰すだけ使役しなければならないと、静かに心の中で誓うのであった。
数十分後、狩人とマッドマンは地下牢の最奥に隠された、おぞましい文様を彫り込まれし大扉を見つけた。
その紋様は悪夢の辺境、アメンドーズの寝所で見た渦巻き模様と上位者特有の表音にも似た鎖紋様が文字列のように記されており、恐らくは、この先にある何者かを封印する呪文のような刻印なのだろう。
狩人は大扉に手を当てた後、ゆっくりと押し開いた。
愚図愚図に腐り切った肉を引き摺るような音を奏でながら大扉は口を開け、暗黒宇宙の深淵にも似た渦が狩人達を最奥へ誘っているようであった。
「さあ、この先にこそ悪夢の神秘があるに違いない」
「神秘の探究者として、共に神の墓を暴こうではないか!」
マッドマンに押されるようにして、狩人は暗黒空間の渦へその身を投げ出した。