<聖堂街>
やがて狩人が目覚めたのは、見慣れぬ門扉の前であった。
大理石の柱を両端に携え、十字模様の装飾を施されたその鉄扉には、取っ手となる銀の鉄輪と共に、蝶型の門鈸と華紋の鋪首が取り付けられている。
「狩人よ。ここは聖堂街の下層、禁域の森の入り口だ」
扉を真剣に観察する狩人へ助言者が声を掛けた次の瞬間、向こう側からしわがれた声が響いてきた。
『フフフッ、フフフフッ・・・あいことばだ・・・』
『かねて血を恐れたまえ』
狩人の意志に反して飛び出したその言葉は、先の大聖堂で得た、ウィレームの警句そのものだった。
「貴公、なぜ今のが合言葉だと判った?」
双方が困惑する間も与えず、独りでに口を開いた扉の向こう側には、だが椅子に腰かける死体があるばかりであった。
乾き、風化しかけているその死体はまた、既に死亡してから相当の年月が経ったと思われる。
一切の躊躇なく、まるで惹かれるように死体に触れる狩人。
それは乾燥していて、だが僅かな温もりと、小さな脈動が感じ取れた。
先に続く階段を下り、やがて狩人は深い森の入口へ、足を踏み入れた。
<禁域の森>
助言者曰く、禁域の森と呼ばれるこの区域はビルゲンワースの学院を秘匿する為の、ある種の柵のようなものであり、侵入者を惑わし、そして殺す為の場所であるという。
なるほど確かに、この森の構造は入り組んでいて複雑な道を辿らねばなるまい。
周囲には人を惑わせる微弱な電磁波と死臭、そしてあの、甘い血の香りが漂っていた。
崖下を見渡せば、遥か向こうに風車の建物と獣の群れ、そしてその向こう側に、謎の聖堂が見える。
狩人はエーブリエタースの先触れを鈎縄代わりにして木々を渡り、崖を下り始めた。
やがて風車の建物を過ぎた先、一本の橋へ差し掛かった頃、またもやそれは姿を見せた。
小さな悪夢の獣と、赤桃色の粘液塊。
貪り食う死体は人の形を残しており、だがその表情は恐怖と苦痛に満ちた者のそれであり、男の最期は想像に難くない。
狩人はエーブリエタースの先触れを召喚して触手を束ね、小さな悪夢の獣を貫いた後、バラバラに引き裂いて殺害した。
刹那、樹上より無数の棘を巻き付けた丸太が振り子のように眼前に現れた。
「待て狩人・・・」
助言者の声も空しく、激しい衝突音と共に土煙が立ち上る。
何かが砕け、同時に圧し折れる音が響き渡る。
助言者は狩人の死を覚悟し、だが静かに見守る他はなかった。
やがて土煙が晴れた頃、そこにあったのは、静かに佇んだ無傷の狩人と、粉々に粉砕された丸太の屑山であった。
狩人は丸太の罠が直撃する寸前に右手を獣の爪へと変化させ、その握力を以て粉々に握り砕いたという。
げに恐ろしき、人里の狩人。
その後、再び先触れを用いて綱渡りを始めた狩人。
木々を渡る眼下には小さな悪夢の獣が幾匹も徘徊するのが見え、既にここにも悪夢の獣が侵入しているであろう事は明白であった。
ふと、何気なしに下を覗いた狩人は、蒼い風船のような、見慣れぬ獣が徘徊しているのに気が付いた。
すぐさま先触れを解除し、地上へ降り立つ。
それは、明らかに通常の獣とは趣を異にする風貌の異形であった。
青い肌に肥大化した頭部、右手の指は6本だが左手の指は七本あり、その目も尋常のそれとは大きくかけ離れている。
狩人はその異形に、奇妙な既視感を覚えずにいられなかった。
エーブリエタースの先触れ、その媒体を資料室から持ち出した時、奥の机に置かれていた「上位者へ至る実験の資料」なるものに挟まれていた挿絵に描かれた異形、人里の連盟の実験棟に隔離していると記録された「蒼き血の実験体」に酷似していたのだ。
蒼き血の実験体に酷似した外見を持つ異形は、狩人の存在に気が付くと、ふよふよと軽い足音を立て接近した後、突如その肥大化した頭部より触手を伸ばし、神秘の光を撃ち放ってきた。
間一髪、加速により回避に成功した狩人。
「そいつは星界からの使者、ひ弱な外見を持つが、れっきとした上位者の眷属だ。気を抜けば死ぬぞ」
連盟で見つけたあの資料に描かれた異形、それは上位者を人工的に生み出す実験により生み出された産物であったのだ。
助言者の言葉によって全てを理解した狩人は、落葉を構えた後、秘儀「古狩人の一閃」を繰り出し、星界からの使者を上下真二つに両断する。
居合斬道の「奥義」と古狩人の遺志を融合させた、狩人独自の秘儀が、今ここに誕生した。
狩人は、たった今編み出された新たなる秘伝の奥義を「狩業乃伝書」に書き残した後、探索を続けるべくその場を後にした。
やがて、石塀に囲まれた集落跡を発見した狩人は再び地上へ降り立ち、探索を始める。
古狩人の残した遺志や、ビルゲンワースに繋がる鍵があるやも知れぬ。
恐らくは守り人が住んでいたであろう集落の建造物は皆、老朽化により崩壊を始めており、もはや人の気配はおろか、死臭の一つさえ、漂ってはいなかった。
そして、集落出口の廃屋を通り過ぎようとした時、奥に誰かが居るのが見えた狩人は、慎重に穴を覗いてみた。
すると、廃屋の扉の向こう側に居た何者かがこちらの存在に気が付いたようで、人ならぬ足音と共に顔を近付け、厳かな声で話しかけてきた。
その声は人に似て、だが明らかに正気のそれではなかった。
『・・・ああ、君、獣を狩っているんだろう?』
『ありがとう。君たちのお蔭で、私たちは助かってるんだ』
その言葉を聞いた狩人は、懐疑の感情を覚えた。
助言者は以前、生き残っている人間は記憶の世界に存在しないと言っていたのを思い出したのだ。
正気ならぬ声、人ならぬ足音、人間の居ない助言者の記憶。
割れた木枠の隙間をよく見ると、蜘蛛の様な足が顔を覗かせていた。
人語を話す蜘蛛など、もとより正気の沙汰である筈もないだろう。
狂気を纏った声の主は、静かに言葉を続ける。
『・・・だが、残念かな』
『夜は長く、獣ばかりが増え、狩りは終わらない』
『やがて君も死に腐り、あるいは血に溺れるだろう』
『おそろしく、そして悲しいことだ』
何とも表現し難い不気味な笑いの後、声の主は言葉を締め括る。
『・・・だから、君だけに教えよう』
『大聖堂の右、隠された古教会を訪れたまえ』
『それは神秘、きっと狩りの力になる』
『きっとそうなるとも・・・』
そして、人ならぬ黒い蜘蛛の足が狩人の掌に伸びて来たかと思うと、深い緑青色をした、網目の張った歪んだ石をそっと渡した後、静かに消えていった。
【扁桃石】
やはりあの声の主は、人ならぬ狂気の異形であったのだろうか。
狩人は先触れを召喚し、先を急いだ。
『死ね、死ね死ねっ!獣が、俺を殺す気だろう!』
そんな折であった。
突如、森の奥から、低く呻いたような叫び声が聞こえたのだ。
それは人ならぬ声であり、助言者は急いで向かうべきだと指示をする。
「窶した男の声・・・先客?まさかな・・・」
そして狩人が現場に到着した時、その目に飛び込んできたのは、凄まじい光景であった。
紅く光る双眸と黒獣の如き雷光を纏った獣が、異形の翼を纏った悪夢の獣と死闘を繰り広げていたのだ。
彼らが散らす薄い霧はおぞましい瘴気を纏い、匂い立つような死臭と、獣性の奥底に優しく語り掛ける冒涜的な甘い香りを併せ持つ、呪いの血煙であった。
狩人はこの香りに覚えがあった。
悪夢の僻地に漂う、古狩人たちを狂気へ誘った、あの瘴気の香りだ。
悪夢の獣は、その鴉羽に似た、血と油と粘液に塗れたそれを羽搏かせており、獅子の鬣の如く頭から靡かせる無数の触手と、穴の開いた仮面を思わせる顔からは、あの赤桃色の粘液の塊を纏わせた舌を伸ばし、地面に零れ落ちた自身の体液を舐め啜っては、ゼリーの様にプルプルと震えていた。
「やはり生きていたか・・・おぞましい悪夢の獣め」
『ウオオオオオオッ!おぞましい獣が!』
助言者の言葉と重なるように、眼前の雷光を纏った人獣が怒りと共に言葉を叫ぶ。
身を窶した男と称されたその人獣は、失われた古代文明「ローラン」と深い関わりを持つ青い雷光を纏う異形であり、獣性に堕ちて尚、理性を失わずにいる、稀有な存在でもあった。
『人を狩り、呪いを撒き散らす人殺し!死ね死ね死ねっ!』
窶しの獣はどうやら、悪夢の獣を人が齎した呪いだと錯覚しているらしい。
「ん?狩人、武器を構えるんだ!」
突如、何かを焦ったように武装を命じる助言者。
悪夢の獣がその長い舌を這い回しながら、背後に隠れる狩人の存在を嗅ぎ取ったのだ。
窶しの獣を殴り倒し、ゆっくりと背後へ体の軸を動かし始める。
刹那、狩人は悪夢の獣に飛び掛かった後、枝角の生えた頭蓋目掛け銃槍を突き立てた後、弾丸を撃ち放った。
飛び散る肉片と緑血、甘い腐臭がより強い香りを漂わせ、桃色の霧を作り出す。
怒り狂ったように暴れ出した悪夢の獣は、森の端まで響き渡る程の絶叫を上げた後、狩人をむんずと掴んだかと思うと、どこか知らぬ方位へ放り投げてしまった。
突然の事態に態勢を整えられず、宙を舞い続ける狩人。
そしてそのまま、森の外れに生えた巨木の枝へ頭から勢いよく突っ込み地面へ落下した。
巨木の枝が緩衝材代わりとなったのか、狩人は一命を取り留めた。
「おお・・・死んだかと思ったぞ、狩人よ」
心配そうに声を掛ける助言者を無視し、狩人は一つの思考に耽る。
悪夢の獣が纏っていたあの翼は、まさしく僻地で見た鴉羽を模したものであり、あの場所を経由して奴は、この場所へやって来た。
そう考えるより他はなかった。
悪夢の獣に潰された身体部位を輸血液で癒し、先へ進む狩人。
暫く階段を下りた先には、墓石が疎らに建つ広場があった。
広場は霧が深く立ち込めていたが、特に誰の気配も感じ取れない。
狩人は奥へ進もうとし、その刹那、地面から三体の影が湧き出で、狩人に襲い掛かって来た。
影の一人は炎を吹き、一人は刃を鞭の如く伸ばし、一人は幾匹かの大毒蛇を召喚して襲い掛かる。
居合の構えを取った狩人は、秘儀「古狩人の一閃・薙波」を繰り出し、扇形に広がる真空波によって影たちを同時に斬り伏せた。
【YOU HUNTED】
だが、彼らの予想に反して影たちは煙となって消滅してしまい、後に何一つ残すことはなかった。
「何だ、今のは・・・・・・?ヤーナムの影では無いのか?」
頭を悩ませる助言者をよそに、狩人はふと気が付く。
広場の右奥にある、一番大きな墓石の後ろに何かが光ったのだ。
静かに佇んでいたのは、人里の連盟、その長であった古狩人ヴァルトールであり、だが彼は既に死んでいた。
先程輝いたのは、彼の被る、片目の鉄兜の反射光であった。
狩人がその遺体に触れると、ヴァルトールの遺体は霧と化して薄らいでゆき、長の鉄兜と連盟の杖を残し消えてしまった。
【長の鉄兜】
【古びた連盟の杖】
連盟の長に代々伝えられると聞いたその鉄兜、そして連盟員の名を綴った名簿が隠された杖。
今、狩人の眼前に残ったこれらが意味するものはすなわち、連盟員の長、ヴァルトールによる遺志の継承であろう。
だがこの杖だけは、悪夢の中で生み出された、偽りの名簿では無いだろうか?
事実、その名簿に連ねられた狩人達の名はどれも、人里の人間のそれではなかったからだ。
しかしその中にも、「流浪の狩人、ヤマムラ」や「古狩人ヘンリック」、そして「連盟の長、ヴァルトール」と、所々に見知った名が記されている。
恐らくはあのヴァルトールが悪夢の中にいた頃の、古い名簿であるのだろう。
そう考えた狩人は静かに杖を胸に当て、連盟の誓いたる敬礼を掲げた後、長の象徴たる片目の鉄兜をそっと被った。
「これで、君は連盟の長と言う訳か。せいぜい励みたまえよ」
ヴァルトールの遺志が流れ込み、その業と歴史が、身体に深く刻み込まれる。
その後、狩人は門を潜り、禁域の森を抜けた。
<ビルゲンワース>
「遂に到着したな。ここがビルゲンワースの入り口だ、狩人よ」
医療教会の源流、智慧の探究者達が集いし学園「ビルゲンワース」。
階段を下り、湖前の広場に辿り着いた狩人。
広大な湖には、青白く輝く美しい月が浮かんでおり、まさに神秘的な光景であった。
助言者曰く、かつてビルゲンワースは古い学び舎であり、学徒の一人が神の墓から持ち帰った聖体が、血の救いと、医療教会の源流となったという。
深き森の奥に隠されたそれは、外部の侵入者を避ける柵であると同時に、聖潔を外部へ持ち出されぬようにするための「檻」でもあったのだとか。
先の悪夢にて、古狩人デュラが話した一節には、ビルゲンワースが犯した罪が、後の狩人らへ"血の呪い"として受け継がれていったとの言及があった。
そして狩人の悪夢とはそれを苗床とした、終わりなき夢の狭間にあるとも。
すなわちビルゲンワースが探求の為に行った墓暴き、あるいはそれに列する行為の何かが神の怒りを買い、それは終わりなき呪いの軛、狩人の罪として残ったという意味であろう。
故にビルゲンワースはすべてのはじまりの地であると同時に、昏い罪を隠匿する禁域となったのではないか。
ビルゲンワースとは「ビルゲン」と「ワース」に分けられ、それぞれ意味を持つ言葉となる。
ワースとは英語では「囲い・定住地」を意味し、またドイツ語では「島・半島・湿地・河岸」を意味する言葉となる。
ビルゲンワースは禁域の森に「囲われ」ており、助言者曰く、学徒たちの「定住地」であったと言われている。
そしてこの湖や禁域の森に広がる池・湿った植物相を見る限り「湿地」の要素や「島・半島」をも取り込んでいる。
一見すると英語の解釈を当てはめたくなるが、恐らくはドイツ語の解釈が正しいのだろう。
そしてビルゲンという言葉については、思い当たる神話が存在する。
北欧神話にはビュルギルの泉と呼ばれる、月に上昇する二人が歩いてきた源泉という伝説を持つ場所が存在する。
様々な手記や資料には「上位者」と「月」が深い関連性を持つ事が示唆されており、この状況に置き換えると、ビュルギルの泉から歩いてきた二人は、月という上位者へと至ったと解釈ができる。
そしてビルゲンワースに広がるのは広大な泉と巨大な満月であり、先程の神話との状況が一致するのだ。
そしてビュルギルとは古い北欧語で「ビルゲ」と綴られる単語であり、意味は「何かを隠す者」となる。
そしてビルゲの複数形が「ビルゲン」であり、これらを当てはめて考えると、ビルゲンワースは「何かを隠す者たちの島」となる。
そして狩人は、オドン教会の地下書庫に堕ちていた手記の一節を思い出す。
──ビルゲンワースの蜘蛛が、あらゆる儀式を秘匿している。見えぬ我らの主も。ひどいことだ。頭の震えが止まらない──
ビルゲンワースの蜘蛛は何かを隠している。
ビルゲンとは「秘匿する者たち」を意味する。
即ちビルゲンワースの泉には見えぬ我らの主、恐らくは上位者オドンであろうか。
そして「あらゆる儀式」なるものを秘匿する蜘蛛が沈んでいるのではないか?
狩人は一通りの考察を終えた後、学園の入口へ足を運んだ。
入り口の前には、ウミユリとヤスデが混じり合ったような異形が立ちはだかっていた。
異形は頭頂部の器官に神秘の光を宿しており、その上、腹の部分には大きく開いた三重構造の口があり、そこからおぞましい色の液体を垂れ流していた。
狩人は敢えてその口に手を突っ込み、奥義「螺旋波紋昇拳」を繰り出し、異形の肉体を粉々に打ち砕いた。
無数に分けられた肉片と血が、雨となって狩人に降り注ぐ。
「愚かなる学徒達。ウィレームはかつて、学徒達に喝破したそうだ。【我々は、思考の次元が低すぎる。もっと瞳が必要なのだ】と」
助言者の言葉に耳を傾けながらビルゲンワースの屋内へ足を踏み入れた狩人は、そこで衝撃の光景を目にした。
所狭しと並んでいたのは、蝋で蓋をされた瓶。
中には大量の瞳が大小問わず無造作に詰め込まれ、保存液に漬けられていた。
助演者の意図を受け取った狩人は、だが次の言葉にその意見を否定する事となる。
「そう、賢くも愚かな学徒達。あの痴れ者共は、ウィレームの喝破を文字通りに受け取ったのだ」
助言者曰く、ウィレームはかつて、思考の視野を瞳と称して学徒に伝えた。
それは、主観と客観、二つの瞳を持つ上位者に近付くための警句であり、閉じられた人の瞳を開く為の模索、その一つでもあったという。
だが愚かにも、大半の学徒はその教えを曲解してしまったのだ。
上位者へ至るには"瞳"が必要である。
すなわち比喩としての瞳・思考の視野を指すはずのそれを、学徒たちは愚かにも物理的な瞳であると受け取ってしまったのだと。
その後の学徒達が起こした行動は、もはや言うまでもない。
狩人は、この一瞬の出来事にあのおぞましい瞳の苗床、その源流を見てしまったような気がした。
二階へ続く中空階の机には、一枚の手記が置かれていた。
【あらゆる儀式を蜘蛛が隠す。露わにすることなかれ 啓蒙的真実は、誰に理解される必要もないものだ】
考察の流れに沿って進む真実を前に、狩人は足を止めず先を急ぐ。
二階へ上がると本棚があり、よく見ると本の隙間に無造作に突っ込まれた手記があった。
【赤い月が近付くとき、人の境は曖昧となり 偉大なる上位者が現れる。そして我ら赤子を抱かん】
そしてさらに先へ進む狩人、梯子を上った先の棚上には鍵が置いてあった。
【月見台の鍵】
更に螺旋階段を上った先には天体望遠鏡があり、ここがかつて、天文台として使われていた事が想像できた。
その上には宝箱と瞳を宿した蟲がおり、狩人は獣の爪を展開した後、蟲の首を引き抜いた後、それを窓から思い切り投げ捨てた。
宝箱を開けると、そこには大量の資料と共に、未だ滑りを残した軟体生物と思しきモノの抜け殻が入っていた。
【精霊の抜け殻】
一見するとナメクジなどの陸生貝類、軟体動物のモノと思われる抜け殻は、だが通常ではあり得ぬ代物であった。
狩人は幻想郷に来るより数年程昔、とある生物学を学んでいた時期があった。
その際に見た文献に載っていたナメクジは脱皮をしない生物だった。
より正確に言えば、確かにナメクジは危機が迫った時、危険物質に触れた際などに粘液分離と呼ばれる行為をとり、それが抜け殻に見える事もある。
だが、ここまであからさまな抜け殻の形状はしないし、何よりそれは直ぐに乾いてしまう。
蝸牛は脱皮をするが、彼らが脱ぐのは殻であり、その殻も、ここまで粘液に塗れてはいない。
つまり、この生物は従来のそれらとは根本から異なる、本当の神秘生物なのだ。
狩人はそう結論付け、懐に抜け殻を仕舞い込んだ。
その後、階段を下った狩人は先程の鍵を使って大扉を開錠し、そのままゆっくりと押し開く。
【月見台の鍵により、扉が開いた】
扉の先に広がっていたのは大きな月見台であり、湖の端には安楽椅子に揺れる老人の姿があった。
それがかの学長ウィレームだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
恐らくはこの先に、ビルゲンワースの儀式を秘匿する蜘蛛がいるはずだ。
まずは上位者にまつわる話を聞けるだけ聞いてみなければ。
そう考えた狩人がウィレームに接触を試みた、その刹那。
突如として上空に、謎の黒い影が現れた。
「上から来るぞ、狩人!避けろ!」
助言者の怒号を受け、間一髪攻撃を免れる狩人。
眼前で蠢く巨大なそれは、禁域の森に居た、あの悪夢の獣であった。
悪夢の獣は月見台の中心にふわりと降り立ち、おぞましい呻き声をあげていた。
『ア、あんた・・・知ってるかい・・・?』
その時、悪夢の獣の背部から恐ろしい呻き声が聞こえ、そこに居たのは、禁域の森にて悪夢の獣と争っていた筈の、窶しの獣であった。
獣毛に纏われた雷光は既に衰え、最早虫の息である。
『人はみな・・・獣なんだぜ?』
窶しの獣が言葉を紡ぎ終わるその直前、背部に異物感を覚えた悪夢の獣は、背後に腕を伸ばし始めた。
刹那、何を思ったのか、唐突に窶しの獣の頭を掴み、頭蓋を絞り潰した。
灰色の死血と、おぞましい腐敗臭が辺りを包み込む。
悪夢の獣の掌からは脳液と細胞片の混じった体液が腕へと伝っており、次の瞬間、窶しの獣は宙を舞った。
そして、まるでそれを狙ったかのように翼の根元から肋骨状の牙を歪に生やした捕食器官を伸ばした悪夢の獣は、わざとらしくも感じられる咀嚼音を奏でながら、肉塊と化した窶しの獣を貪り喰らった。
その時、狩人はとある異変に気が付いた。
学長ウィレームが、聴き取れぬ言葉と共に月見台の畔を杖で指し示していたのだ。
「あ・・・ああ・・・」
狩人がそれを見つけると同時に悪夢の獣は身を少し震わせた。
やはり、あの湖の底に蜘蛛がいる、それを狩らねばならない。
狩人が湖へ走り出した瞬間、悪夢の獣はぎょろりと学長ウィレームの方を向いた。
どうやら、狩人よりも珍しい何かがあるようだ。
「やはり…狩人よ、私の見立てが正しければ…」
助言者が言葉を紡ぎ終わろうとしたその時。
不意に神秘の重力波が生成されるあの音が狩人の耳を過った。
「危ない、狩人!」
助言者の言葉も空しく、重力波に体を掴まれてしまう狩人。
必死で抵抗するも、藻掻けば藻掻く程に身体は重くなり、それは圧し掛かり続ける。
遂に狩人の身体は宙へ浮き、悪夢の獣の掌に収まってしまった。
悪夢の獣の腹からは上位者アメンドーズに酷似した、謎の体内器官が飛び出しており、その器官の腕は狩人を掴んだ後、果実を潰すように絞り潰した。