寝台特急「サンライズ出雲」出雲・松江殺人事件 作:新庄雄太郎
歩夢たちは寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」に乗って山陰へ向かった。
次の日、歩夢たちは東京駅で寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」に乗って出雲へ向かった。
「えっ、歩夢ちゃんは友人と一緒に出雲へ行くのか。」
と、高山は言った。
「ええ、今日の22時頃に寝台特急に乗って行くのよ。」
「もしかして、寝台特急「サンライズ出雲」じゃないですか?。」
「ええ、そうよ。侑ちゃんとしずくちゃんも一緒に行くのよ。」
「へぇー、いいな僕も乗ってみたいな。」
「あら、高山は8月に松江に行く時に乗ったじゃないの。」
「あっ、そうだった。」
東京駅
「えーと、今乗るとしたら寝台特急は「サンライズ出雲」は22時00分か。」
と、侑は言った。
「うん。」
「今乗るなら寝台特急は「サンライズ出雲」には乗れるわ。」
「うん、そうね。」
「寝台特急「サンライズ出雲」は岡山で分離するんだよ。」
「へぇー、そうなの。」
「行きは寝台特急「出雲」に乗って帰りは特急「やくも」と新幹線「ひかり」に乗って行けれる旅行プランをにしておいたから。」
「寝台特急「サンライズ出雲」で山陰の旅なんてなんとなくロマンチックだわ。」
と、歩夢は言った。
「あっ、来たわ。」
「ねぇ、早く乗ろう。」
「うん。」
そう言って、歩夢と侑としずくとシオンは寝台特急「サンライズ出雲」に乗って山陰へ向かった。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリーッ
まもなくー、22時00分発寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」高松・出雲市行が発射します、ドアが閉まります、ご注意ください
と、駅のアナウンスが流れた。
ファーン!
と、警笛を鳴らして達仁と穂乃果たちが乗った寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」は定刻通りに東京を出発した。
寝台列車の「瀬戸」「出雲」の車両置き換えおよびスピードアップによる競争力確保を目的として設計・開発され、1998年(平成10年)7月10日より東京駅 - 高松駅間を結ぶ「サンライズ瀬戸」および東京駅 - 出雲市駅間を結ぶ「サンライズ出雲」として営業運転を開始した。運転開始前には品川駅・大阪駅などで車両展示が行われた。愛称は「サンライズエクスプレス」で「さわやかな朝、新しい一日のはじまり」というイメージで命名され、夜をイメージした従前のブルートレインとは一線を画する明るいデザインとなった。開発に際しては「瀬戸」「出雲」の客車を保有するJR西日本の主導で行われたが、JR東海についても自社線内を通過する高単価客増加による収益増が期待できること、電車化に伴い自社管内で運行する客車列車を減らせることなどのメリットがあることから、両社による共同開発・共同保有の体制が取られた。製造は近畿車輛(I1・I2・I4編成)・川崎重工業(I3編成)・日本車輌製造(I5編成)が受注。基本設計は剣持勇デザイン研究所、内装設計はミサワホームが参画した。1998年(平成10年)にグッドデザイン金賞、ブルネル奨励賞を受賞、1999年(平成11年)に第42回鉄道友の会ブルーリボン賞をそれぞれ受賞している。22時00分、歩夢としずくとシオン達が乗ったサンライズ出雲は定刻通りに東京を発車した。出雲市には9時59分に到着する。高松には7時26分に到着する。
と、そこへ車掌がやって来た。
「すいません、乗車券と寝台券を拝見。」
「はい。」
「有難うございました。」
そして、サンライズエクスプレスは翌朝まで岡山へ向かって走り去っていった。
そして、歩夢たちは寝台特急「サンライズ出雲」に乗って出雲へ向かって行った。