寝台特急「サンライズ出雲」出雲・松江殺人事件 作:新庄雄太郎
「じゃあ、西本は松江へ行っていたんですか。」
と、南は言った。
「はい、丁度出雲停車で彼女と一緒でした。」
「えっ、女の子と一緒に出雲へ。」
「さぁ。」
「もしかして、彼女って言うのは。」
と、その時だった。
「ふふふ、私よ南さん。」
「あっ、歩夢ちゃん出雲へ行っていたの?。」
「ええ、そうよ。」
「では、西本さんは歩夢ちゃんと一緒に出雲へ行って玉造温泉で1泊して、松江へ行ったのか。」
と、高山は歩夢と西本に言った。
「ええ、そうよ。」
「丁度、僕も一緒の温泉に泊まっていたんですよ。」
と、西本は南に言った。
「という事は、あなたも一緒に松江へ行っていたんですね。」
「ええ。」
「何処へ行ったかは覚えていますか?。」
「そうね。」
「私は、松江城行った後に小泉八雲旧居へ行っていたんですよ。」
「ほう、事件当日は西本と歩夢たちは松江城と小泉八雲旧居へ行っていたのか。」
「ええ、そうよ。」
「とにかく、我々も松江へ行ってみましょう。」
と、山根刑事は言った。
南と高山と小海は山根刑事と小村刑事と同行して松江城へ向かった。
松江城
「ほう、これが松江城か。」
「確かに、彼は来ていたんですね。」
「ええ、間違いないですよ。」
と、職員は言った。
「そうですか。」
松江城(まつえじょう)は、島根県松江市殿町にあった江戸時代の日本の城。別名千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。小瀬甫庵の縄張りによる平山城。江戸時代には松江藩の政庁として、出雲地方の政治経済の中心であった。山陰地方で唯一の現存天守であり、国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)。標高29メートルの亀田山に建つ天守からは宍道湖を眺望することができる。明治時代初頭に廃城令によって松江城は陸軍省所管となり城内の建物は全て解体され売却される予定だったが、地元の有志によって天守閣だけは買い戻されて解体を免れた。近年、二の丸の櫓が復元されるなど往年の姿を取り戻しつつある。昭和初期に城山部分は公園として開放され、現在は指定管理者制度に則り、特定非営利活動法人松江ツーリズム研究会が運営をしている。日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれるなど島根県の主要な観光名所となっている。
そして、松江城へ行った後は小泉八雲旧居へ向かった。
小泉八雲旧居
小泉八雲は1891(明治24)年6月、妻のセツとともにこの家に転居し、熊本に赴くまでの約5ヶ月を過ごしました。八雲は美しい庭を特に気に入り、帰宅すると和服に着替え、三方の庭を眺める至福の時を過ごしました。そして植物を愛で、虫や動物たちを慈しみ、五感で感じるこの庭の魅力を著作「日本の庭」(『知られぬ日本の面影』)の中で豊かに表現している。
「間違いないですか。」
「ええ、この男の子の旅行仲間ですよ。」
「確かに、ここに来ていたんですね。」
「ええ、間違いないですよ。」
と、管理人は言った。
「裏付けありか。」
そして、我々は出雲署へ戻った。
「アリバイ成立ですか?。」
と、高山は言った。
「ええ、確認してもらったらこの時間帯の犯行は無理だという事です。」
「そうか、犯行は不可能か?。」
そして、藤岡の方はどうなんですか?。
「彼はその時間帯は、松江へ行った後は鳥取へ行っていたそうです。」
「ほう、鳥取ですか。」
「ええ、鳥取砂丘へ行ってその後は浦富海岸へ行っていました。」
「ほう、なるほど。」
「浦富海岸か。」
と、高山は言った。
犯行は可能なのか?
犯人は誰なのか