今までありがとうございました。
066
眩い白光が視界を焼き切り、網膜に焼き付いた残像がゆっくりと剥がれ落ちていく。
僕の目の前で、破壊大帝と呼ばれた巨躯が、内包された神秘の熱量に耐えきれず、断末魔のノイズを上げながらのけぞった。
オールスパークという、すべての機械に魂を吹き込む聖遺物。それを、すでに完成された個体であるメガトロンのスパークへと無理やり叩き込んだ結果――それは進化ではなく、過負荷による融解を引き起こした。
メガトロンの胸部装甲が飴細工のようにぐにゃりと歪み、赤熱した内部機構が外へと溢れ出す。
その光景は、まるでゆで卵の黄身の固まり損ねた部分がとろりと流れ出てくるようだった。……いや、それだとスケールが小さすぎるか。
例えるなら、そう。地球を真っ二つに割って、行き場を失った溶岩やらマントルやらが噴き出してきたかのよう。
絶対的な「個」として完成していた破壊大帝が、その純粋すぎるエネルギーの奔流に耐えきれず、自らの重みで溶け落ちていく。
「……ア、アア……ッ!」
断末魔の叫びさえ、電子ノイズの混じった悲鳴へと変わり、やがて消える。
自らの重力に抗うことすらできず、メガトロンは仰向けに崩れ落ちた。
ドォォォォォン……。
ミッションシティを恐怖に陥れた銀色の巨神は、力なく地面に倒れ伏し、そのまま動かなくなる。
その瞳に宿っていた禍々しい赤い光が、瞬きを繰り返しながら、最後にはロウソクの火が消えるように静かに失われていく。
「……こうするしか、なかったのだ。友よ」
ゆっくりと立ち上がったオプティマスの重厚な声が、硝煙の舞う大通りに響いた。
彼の手が、かつての兄弟であり、永遠の宿敵であったメガトロンの亡骸にそっと触れる。
その鋼鉄の指先が微かに震えているのを、僕は見た。
それからオプティマスはゆっくりと僕の方へと視線を向ける。
「暦。命を助けられた。……借りができたな」
「……いや。僕の方こそ、君がいなきゃ今頃ミンチだった」
僕は震える手で膝を叩き、なんとか立ち上がった。
その時、頭上で猛烈なソニックブームが巻き起こる。
見上げれば、一機のF-22ラプターが、他の戦闘機とは明らかに異なる軌道で急上昇を開始していた。
スタースクリーム。
彼は主君の死を看取ることも、仇を討つことも選ばなかった。ただ、自らの生存という目的のためだけに、青い空の向こう――大気圏外へと、弾丸のような速度で逃げ去っていった。
それは、これから始まるかもしれない新たな戦いの、不吉な予兆のようにも見えた。
「暦!」
聞き慣れた、けれど今は何よりも愛おしい声がした。
振り返ると、瓦礫の山を乗り越えて、戦場ヶ原ひたぎがこちらへ駆けてくるところだった。
彼女はレッカー車の運転席から飛び出してきたのだろう、その端正な顔は煤で汚れ、自慢の髪も乱れていたが、その瞳だけは以前よりも強く、僕だけを射抜いていた。
「……ひたぎ」
「馬鹿ね。本当、何度死ねば気が済むのかしら。ギネス記録にでも挑戦中なの?」
毒舌を吐きながらも、彼女の手は僕の腕を強く掴んでいた。その指の震えが、彼女が抱いていた本当の恐怖を物語っていた。
「……神原は? 忍は?」
「ビルの中に。でも、その後メガトロンが建物を……」
ひたぎの言葉が、僕の思考を凍りつかせた。
そうだ。メガトロンは最短距離を抜けるために、忍たちがいたロビーを、ビルごと破壊しながら突き進んできたのだ。
「神原! 忍!」
僕はひたぎの手を引いて、半壊したビルの入り口へと駆け寄った。
大理石の柱は折れ、天井は完全に崩落している。吸血鬼の視力をもってしても、その奥に潜む気配を読み取ることは困難だった。
最悪の想像が頭をよぎる。いくら「猿の左手」を持つ神原といえど、あの質量の瓦礫に押し潰されては無事では済まない。
「神原……嘘だろ……?」
戦慄が背筋を走り、僕は無我夢中で瓦礫を退けようとした。
その時。
コンクリートの隙間から、一筋の金色の光が漏れた。
「……ふん。お前様。そんなに情けない声を出して、儂を呼びおって」
瓦礫が内側から押し上げられ、一人の少女が姿を現した。
ポニーテールの美女ではなく、白いワンピースを纏った、いつもの幼女の姿に戻った忍野忍だ。
急激な成長とエネルギーの消費により、彼女の霊的密度は元のレベルまで縮退したらしい。
だが、その小さな背中には、自分よりも遥かに大きな、ぐったりとした少女が背負われていた。
「神原!」
「案ずるな。この猿娘、儂が守り通したわ。……というより、この娘、儂に抱き抱えられた瞬間、恐怖よりも悦悦とした表情を浮かべおって。心臓が止まったかと思ったが、ただの『昇天』のようじゃな」
忍が呆れたように、神原を地面に降ろした。
神原の体は泥だらけで傷だらけだったが、忍の小さな手に触れられ、その温もりを感じているせいか、その口元にはなんとも言えない、多幸感に満ち溢れた、あるいは少し「危ない」笑みが浮かんでいた。
「……ああ……忍ちゃんの、幼女の、温もりが……。阿良々木先輩、私は……いま、人生で一番『生』を実感している……」
「……生きてるならいいよ。その変態的な意味での実感も含めてな」
僕は膝をつき、安堵のあまり深い溜息をついた。
隣でひたぎも、呆れたように、けれど優しく微笑んでいる。
そこへ、傷ついたオートボットや兵士たちが集結してくる。
アイアンハイドの腕の中には、メガトロンによって無残にも真っ二つにされたジャズの残骸があった。
「……ジャズを助けられなかった」
アイアンハイドの声が沈痛に歪む。
「あぁ……ジャズ……」
オプティマスは、かつての副官の無残な姿に言葉を詰まらせ、静かに黙祷を捧げた。
その後、彼は僕やひたぎ、神原と忍、そしてボロボロの姿で現れたレノックスたち人間を見つめた。
「……偉大な同志を喪った。だが、新たな仲間も得た。君たちに感謝する。皆、実に勇敢だった」
その厳かな空気の中、上空から一台のヘリが降り立つ。
砂埃を撒き散らしながら着陸したその機体から、場違いなほど軽やかな足取りで一人の女性が降りてくる。
黄緑色のキャップを斜めに被り、体型に合わない大きなサイズの服をルーズに着こなした女性。――臥煙さんだ。
彼女は戦場の凄惨さなど、まるですべてを予見していたかのような涼しい顔で、僕たちの方へ歩いてくる。
「久しぶりだね、こよみん、駿河。それに初めましてかな、ひたぎちゃん。今回は色々と悪かったね。セクター7に情報を流したら、いつの間にかマイケル・ベイ監督のハリウッド映画並みに派手な事態になったのは計算外だったけど、まあ、結果オーライかな?」
「……臥煙さん。何でも知ってるなら、もっと早く助けに来てくださいよ」
僕の恨み節を、彼女は「ははは」と乾いた笑いで受け流す。
「……さて、君たちはもう、日本……直江津に帰る時間だ」
彼女の背後には、既に帰国用の手配が済んでいることを示すスタッフたちが控えていた。
オプティマスが、僕たちを見送るように一歩前に出る。
「我々オートボットは、このアメリカに残ることにした。この星の政府と協力し、残存するディセプティコンを追う。……君たちの日常を、これ以上壊すわけにはいかないからな」
「……そうか。寂しくなるな」
僕が寂寥感を覚えていると、臥煙さんがポンと僕の肩を叩いた。
「こよみん、今回のお詫びとして、一つだけ言うことを聞いてあげよう。何でも、私にできることならね。これがおねーさんなりの、ささやかな誠意だよ」
お詫び。
臥煙伊豆湖に「一つ言いなりになる」と言わせる。
それは本来、宇宙の存亡よりも価値があるかもしれないカードだ。
答えに窮する僕を見たバンブルビーが、一歩前に進み出た。
「――発言を許可願います」
驚いた。ラジオの切り貼りではない。
彼の喉から漏れたのは、若々しくもどこか渋みのある、彼自身の本当の声だった。
オプティマスが、若き戦士の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「発言を許可する。古き友よ」
「喋れるの!?」
僕が叫ぶと、ラチェットが誇らしげに胸を張った。
「戦いの最中に、オールスパークのエネルギーが彼の発声回路を再構築したようだ。奇跡的にな」
バンブルビーは僕を見つめ、静かに、けれど決然と言った。
「少年の元に、残りたい」
オプティマスの視線が、僕へと向けられる。
「彼がそう望むなら」
「――望むよ。というか、それ以外の選択肢なんてないだろ」
僕は笑った。
臥煙さんの方をチラリと見ると、彼女は「あちゃー」と言いたげな、仕方なさそうな顔をして、隣で自分に抱きつこうとしている神原を適当にあしらっていた。
「……いいよ、許可しよう。カマロ一台分くらいの怪異の隠蔽なら、私の権限でどうにでもなるしね」
「帰ったら、ベスパの修理を手伝わせるわよ。暦」
ひたぎが僕の隣で、小さく溜息をつく。
「ああ、望むところだ」
僕らがそんな会話をしている頃。
オプティマスは、横たわる巨大な銀色の骸――かつての兄弟であったメガトロンの前に、静かに膝をついた。
戦場の喧騒が遠のき、ただパチパチと火花が散る音と、冷却水の漏れる音だけが響く。
「……さらばだ、メガトロン」
惜別を込めた低い声。オプティマスはその巨大な指先を、熱でどろりと溶け崩れたメガトロンの胸部装甲へと伸ばした。
中心部にあったはずのスパークは、過負荷によって焼き切れ、今やどす黒い空洞と化している。しかし、その溶解した機械の臓物の中に、一点だけ、不自然に白く輝く「異物」が混じっていた。
金属の指が、慎重にその輝きをつまみ出す。
それは、かつて全宇宙を照らした聖遺物の、最後の残滓。
メガトロンの身体を内側から焼き尽くし、それでもなお消滅しきれなかった、親指ほどの大きさのオールスパークの「欠片」だった。
欠片はオプティマスの指の間で、まるで脈動するように、微かな青い光を放っている。
「……まだ、終わってはいないということか」
オプティマスはその小さな輝きを、慈しむように見つめた。
それは滅びゆく種族の絶望の象徴であり、同時に、この青い惑星で共に生きることを選んだ彼らにとっての、新たな「希望」の種火でもあった。
オプティマスは立ち上がり、その欠片を自らの胸部装甲の内側へと大切に収めた。
ふと見れば、少し離れた場所で、臥煙さんがその光景を薄笑いを浮かべて眺めている。
「……いいのかい、そんな危険なものを持ち続けて。それは『怪異』という言葉ですら生温い、世界の理を壊しかねないエネルギーだよ」
「……この欠片が、我々の過去と未来を繋ぐ唯一の絆だ。人類に害をなすことは、決してさせない」
「ふーん。まあ、君がそう言うなら信じようかな。君のその真っ直ぐすぎる瞳は、私の後輩とは違って嘘をつくには不向きみたいだし」
彼女はそう言って、キャップを深く被り直す。
空からは、迎えのヘリの爆音が再び近づいて来ていた。
同時刻。
フーバーダムでは4人の人影がコンクリートから出てきて、迎えのヘリが待つヘリポートへと向かっていた。
陽光を浴びて現れたのは、服の乱れ一つない羽川翼、不気味な笑みを張り付かせた忍野扇、そして煤まみれのジョン・ケラー国防長官と、興奮を隠しきれないセクター7のシモンズ捜査官だ。
シモンズの右手には、先ほど扇が「プレイボール」と称してディスク弾を打ち返し、返り討ちにしたあの銀色の球体――フレンジーの頭部が握られていた。
彼はそれを、まるでサーカスのジャグラーのように軽快に放り投げてはキャッチし、鼻歌混じりに羽川へと歩み寄る。
「素晴らしい、実に見事だ! お嬢さん、君たちのあの『超常的』な身のこなし、そしてあの……バットの使い手! セクター7は常に君らのような人材を求めている。どうだ、高校を卒業したら、この国の、いや世界の裏側を守る特権階級の椅子を用意してやろう。君なら、私の後継者も夢じゃない。給料は君が望むゼロの数だけ並べてやるぞ!」
「おい、シモンズ。勝手に私のスタッフ候補をスカウトするな」
ジョン・ケラーが、長官としての威厳を取り戻そうとネクタイを締め直しながら割り込んだ。その鋭い眼差しが羽川に向く。
「羽川くん。君の手際は、我が省の専門官を全てにおいて凌駕していた。ワシントンに来ないか? ペンタゴンには君のような明晰な頭脳が必要だ」
二人の権力者からの破格の誘い。しかし、羽川翼は困ったように、けれどどこか晴れやかな、バツの悪そうな苦笑いを浮かべた。
「……ありがとうございます。でも、二人とも、ごめんなさい。せっかくですけれど、お断りします」
彼女は髪を風になびかせ、きっぱりと言い放った。
「私はもう、高校は卒業しました。これからは、誰かに用意された場所ではなく……私自身がやらなければいけないことが、他にあるんです」
その言葉の背後で、忍野扇が「はっはー」と、袖で口元を隠しながら肩を揺らした。
しかし、左の袖が無くなっているのを見ると、すぐに止める。
「おっと。『犠牲無くして、勝利なし』と言いましたが、これが私の犠牲なのでしょうか」
彼女は左腕を懐に入れて隠すと呟いた。
「……阿良々木先輩、貴方は何を犠牲にして勝利を掴んだのですか?」
彼女は羽川たちの後を追って歩き出す。
その真っ黒な瞳には、この先の「物語」が孕むであろう更なる混沌への期待が、歪んだ愉悦となって渦巻いていた。
067
直江津の駅に降り立った時、肌で感じる空気はすっかり春の暖かくて、どこか湿り気を帯びた日常の匂いに戻っていた。
アメリカでのあの乾いた硝煙の臭いも、巨大な鋼鉄が軋む音も、今は遠い異世界の出来事のように思える――背後に、鮮やかなイエローのシボレー・カマロが静かに従っていなければ、の話だが。
「おーかーえーりー! 兄ちゃんッ!!」
改札を抜けるやいなや、鼓膜を震わせる咆哮と共に、弾丸のような衝撃が僕の腹部(というか全身)にめり込んだ。
阿良々木火憐だ。彼女はジャージの袖を捲り上げ、再会の喜びというよりは「獲物を捕らえた」と言わんばかりの形相で僕を羽交い締めにしている。
「ちょっと火憐ちゃん、苦しい……。感動の再会にしてはバイオレンスが過ぎる……」
「感動? 笑わせんなよ! 空から星が降ってきて、ビルがぶっ壊れて、挙句の果てに兄ちゃんがひたぎさんと神原師匠と一緒に黒服に拉致されたんだぜ!? 正義の味方・ファイヤーシスターズを差し置いて、一人で美味しいところ持っていこうなんて、万死に値するッ!」
「そうだよ、お兄ちゃん。火憐ちゃんは怒りすぎて、あの後の夜食の牛丼を三人前しか食べられなかったんだから。これはもう、国際問題だよ」
火憐の背後から、月火が着物の裾を揺らしながら笑顔で(しかし目は笑わずに)詰め寄ってくる。その手には、なぜかボイスレコーダーが握られていた。
「さあ、お兄ちゃん。白状して。昨日、家に来たあの黒服は何?隕石騒動と関係してるの?あと、何で急にカマロが新品になってるの? 全部、一語一句漏らさず話してもらうよ。気になりすぎて、プラチナむかつく」
「え、いや、それは……」
僕がしどろもどろになっていると、さらに追い打ちをかけるように、背後から落ち着いた、けれど逃げ場を許さない二つの足音が近づいてきた。
「……あらあら。随分と賑やかね、暦。無事に帰ってきたのは何よりだけど」
「…………」
父さんと母さんだ。
母さんはいつものように凛とした微笑みを浮かべているが、その背後では無言を貫く父さんの警察官としての眼光が、僕の隣に停まっている最新型カマロをスキャンするように見つめている。
「暦。上の方から……それこそ、私たちが普段扱う事件とは全く別のルートから、色々と話は聞かされているわ。……『何でも知っている人』の差し金でしょうけど」
母さんが一歩前に出て、僕の頬を軽く撫でた。
「でも、親として聞きたいのは報告書の数字じゃないの。……怪我はない? ちゃんと、守るべきものは守れたのかしら」
「……ああ。なんとか、ね」
僕は少し照れくさくなって視線を逸らした。
その時、バンブルビーが「キュルルッ」と可愛らしい電子音を鳴らし、ハザードランプをチカチカと点滅させた。まるで、家族への挨拶をしているかのように。
「……いい車じゃないか」
父さんが短く、けれど認めるような口調で呟いた。
火憐と月火が「今の音は何!? 車が喋った!?」とカマロに群がり、窓に鼻を押し付けて中を覗き込んでいる。神原は「おっと、私の特等席を汚さないでくれよ、火憐ちゃん」と上機嫌で茶々を入れている。
「……暦。あなたの家族は、あの巨大な宇宙人たちよりも、ある意味では騒がしくて手に負えないわよね」
隣で静観していたひたぎが、少しだけ呆れたように、けれど愛おしそうに独りごちた。
「まったくだよ。……さあ、帰ろうか。僕たちの『日常』に」
かくして、奇っ怪な機械達による春休みの「戦争」は終わりを告げた。
午後の日差しに照らされた直江津。
喧騒に包まれた阿良々木一家と、一台の黄色いカマロ。
非日常という名の嵐は去り、物語は静かに、けれど確かな新しい足音と共に、いつもの町へと溶けていった。
068
ワシントンD.C.、国防総省。
数日前の喧騒が嘘のように静まり返ったブリーフィングルームで、ジョン・ケラー国防長官は独り、巨大なモニターを背にして立っていた。
彼の前には、ホワイトハウス直属の調査委員会と、事後処理を監視する数名の政府高官が並んでいる。
「諸君。今回の事件は、公式には『大規模なテロリズムおよび化学プラントの爆発事故』として処理される。ミッションシティの損害賠償は、国家災害基金から速やかに拠出される運びだ」
ケラーの声は冷徹で、一点の揺らぎもなかった。彼は手元のリモコンを操作し、モニターに新たな資料を投影させる。そこには、かつて「セクター7」と呼ばれた組織のロゴに、赤い「
「それから、大統領命令により、『セクター7』は解散となった。一世紀にわたり、国民の血税を投じて進められてきた非人道的な研究、および超法規的措置はすべて、歴史の闇へと葬り去られる。シモンズ捜査官を含む全スタッフは、然るべき機密保持契約を交わした上で、各部門へ再配置、あるいは強制退職となる」
ケラーは一度言葉を切り、モニターの映像を切り替えた。
そこには、漆黒の海原を征く米海軍の空母打撃群の姿があった。
「問題の『エイリアン』の残骸についてだが――ホワイトハウスと統合参謀本部の合意により、完全なる廃棄処分が決定した。現在、回収された金属塊はすべて、地球上で最も深い二つの海溝へと運ばれている」
モニターが分割され、二つの異なる海域の映像がリアルタイムで映し出される。
「大西洋側、ローレンシア海溝。そして太平洋側、マリアナ海溝だ。これらは人類の手が届かぬ地球の最果て。深海一万メートルの水圧は一平方センチメートルにつき一トンを超え、気温は零度に近い。いかなる地球外テクノロジーといえど、これだけの水圧と凍りつくような冷たさならば、残骸は破壊され、――証拠も残るまい」
画面がアップになる。
マリアナ海溝の深淵へ向けて、巨大なクレーンが重厚な鉄の塊を解き放つ瞬間だった。
ブロウルの無残にひしゃげた装甲が、そしてボーンクラッシャーの巨大な鉤爪が、吸い込まれるように黒い海水の中へと没していく。泡が弾け、彼らは二度と浮上することのない暗黒の旅へと出た。
そして、もう一つの画面。
ローレンシア海溝の冷たい波間に、一際巨大な銀色の影が投下された。
かつて破壊大帝と恐れられたメガトロンの残骸。
一世紀もの間、北極の氷の中で眠り続け、ようやく目覚めた覇王は、今度は光の届かぬ泥の底へと沈んでいく。
海水が金属の隙間に侵入し、深海の高圧がその強靭なフレームを容赦なく締め付けていく。
「これで、我々の預かり知らぬ戦いは終わった。……いや、終わらせたのだ」
ケラー長官は静かに部屋を後にした。
人類の文明を根底から覆しかねなかった鋼鉄の神々は、その肉体を地球という惑星の最深部、母なる海の奥底へと返し、歴史から消去された。
しかし。
長官が去った後、残されたモニターに映された暗黒の海中映像に一瞬だけ不吉な青い光が走る。
水深一万メートル。
凍てつく静寂の中で、彼らの魂が本当に眠りについたのかを確かめる術は、もはや人類には残されていなかった。
069
後日談、あるいは今回のオチ。とようやく言える。
いやはや長かった。
劇場版ストーリー並みに長かった。
ひょっとしたら映画が一作作れちゃうんじゃないか?
閑話休題、3月30日。
帰国翌朝、急遽僕たちは浪白公園に呼び出されていた。
呼び出された理由は一つ。
臥煙伊豆湖による『事後処理』の連絡だ。
それに、『お叱り』も。
やはり無許可で、忍の外見が変わる程の吸血行為を許したのは不味かったか。
二月頃に吸血行為のやり過ぎによって、僕の身体がとんでもない事になった事は記憶に新しい。
あの時、臥煙さんは『心渡』で一旦僕を殺し、怪異を復活させる『夢渡』を使用することで、吸血鬼化をリセットするという荒業で事態を解決させた。
今のところは、僕も忍も異常は無いみたいなのだけれど、どのような処分が下されるのだろうか。
あの人が『二回目』を許してくれるとは考えづらい。
――今度こそ、不味い。
冷や汗が流れ始めた、その時だった。
「やあ。お疲れ様、こよみん。それにひたぎちゃん、駿河も」
黄緑色のメッシュキャップを指先で弄りながら、臥煙伊豆湖が僕らに声をかけた。彼女の背後には、まるで神話の巨神たちが休息をとっているかのように、三台の巨大な「車両」が静かに並んでいた。
「……臥煙さん。事後処理はどうなるんですか?」
僕が尋ねると、彼女はいつもの底の見えない笑みを浮かべた。
「政府の連中とは話がついたよ。あのアイスマン――メガトロンの残骸は海の底へ。セクター7は解散。……でも、私の仕事はこれからさ。今回の騒動で、この街とミッションシティの怪異のバランスはめちゃくちゃになっちゃったからね。一歩間違えれば、あんな戦いの後に『ゴーストバスターズ』みたいな事になりかねないところだった」
「……大丈夫なんですか」
「安心したまえ。土着の神様たちからすれば、宇宙から来た鉄の神様なんて、予約なしで上がり込んできた土足の客人みたいなものだ。そのうち彼らも慣れるさ」
臥煙さんはそこで言葉を切り、急に真剣な、それでいて年相応の女性のような柔らかい眼差しで僕を見つめた。
「お叱り、その一。こよみん、君が今回の件で無許可に忍ちゃんの封印を解き、吸血行為に及んだこと。これはギルティだ。幾らオールスパークの力で都合が良すぎるまでに許容値が上がったとしても、その後すんなり元の状態に戻ったとしても、専門家として見過ごすわけにはいかない」
「……すみません」
「でもね」
彼女は僕の肩を、ポンと軽く叩いた。
「個人的な感想、その一。……生きててくれて、良かったよ、こよみん。君がオールスパークを抱えてメガトロンに突っ込んだって聞いた時は、流石の私も心臓が止まるかと思った。……ありがとう。君がいたから、この星はまだ青いままでいられる」
臥煙さんは、照れくさそうに視線を逸らす僕にウィンクをして、懐から一枚の古びた御札を取り出した。
「世界を救ったご褒美だよ。一日だけ。一日だけなら、私の権限で『認識阻害』の結界を張ってあげる。……オートボットの諸君。直江津への滞在を、特別に許可しよう。君たちの『友人』の故郷を、その光学センサーに焼き付けてくるといい」
そうして、時間は流れていく。
かつて僕がひたぎと、羽川と、神原と、あるいは忍と、数々の怪異に立ち向かったこの小さな町は、いつもと変わらぬ穏やかな夕暮れに包まれていた。
僕がひたぎと最初にドライブに出掛けた、町外れの海と街を一望できる小高い丘。
そこには、黄金色の夕日を反射して眩しく輝く、一台の最新型シボレー・カマロが停まっていた。
「……静かね、暦」
カマロのボンネットに腰を下ろし、隣に座る僕の肩に頭を預けながら、戦場ヶ原ひたぎがポツリと零した。
彼女の髪から漂う香りと、カマロ――バンブルビーが発する、微かな電子回路の熱気。その二つが混ざり合い、僕の肺を満たしていく。
「ああ。あの地獄のような戦場が、嘘みたいだ」
「嘘じゃないわよ。……私の腕にあるこの痣も、あなたの無鉄砲な生き方も、そして後ろに控えている『彼ら』も」
ひたぎが顎で示した先。
カマロの後方には、日本の田舎町にはおよそ不釣り合いな、圧倒的な質量が三つ並んでいた。
漆黒のボディを鈍く光らせるGMC・トップキック。
レスキュー車両特有の黄緑色が夕闇に沈みゆくハマー・H2。
そして、クロームメッキのパーツが夕日を弾き、燃え盛るようなファイヤーパターンを浮かび上がらせた、巨大なピータービルトのトレーラーヘッド。
アイアンハイド、ラチェット。そして、オプティマス・プライム。
彼らは変形することなく、ただの「車」としてそこに佇んでいたが、その沈黙には確かな意思と、僕たちを見守る温かな眼差しが宿っていた。
「……オプティマス。ここが、僕の住む町だよ」
僕が呟くと、トレーラーのエンジンが「ゴロゴロ」と、猫が喉を鳴らすような低いアイドリング音を立てた。
『美しい場所だ、暦。……そして、君が守ろうとした命の温かさが、この風の中にある』
「先輩! 待たせたな!」
丘の下から、神原駿河が猛スピードで自転車を漕いで上がってきた。
そのカゴには、やっと店の修理が完了したミスタードーナツで買ってきたばかりのドーナツの袋が山のように入っている。
「……む。遅いぞ、猿娘。儂のゴールデンチョコレートが冷めてしまうではないか」
僕の足元の影がゆらりと揺れ、そこからひょっこりと忍野忍が顔を出した。彼女は神原が差し出した袋をひったくるように受け取ると、器用に影の中から上半身だけを乗り出し、ドーナツを頬張り始める。
「ははは、忍ちゃん、そんなに急がずともドーナツは逃げないさ。阿良々木先輩、この巨大な友人たちの分も買ってくるべきだったかな?」
「……いや、彼らの主食はエネルゴンだからな。気持ちだけで十分だよ」
僕は苦笑し、隣のひたぎの手を握った。
ひたぎはその手を強く握り返し、再び沈みゆく夕日へと視線を戻す。
遠い宇宙の果てからやってきた、鋼鉄の命。
この小さな町に潜む、不可思議な怪異たち。
それらが交差した一瞬の奇跡は、今、この黄金色の景色の中に溶け込んでいく。
明日になれば、彼らは海を越え、再び戦場へと戻っていくのだろう。
僕もまた、日常という名の、けれど一筋縄ではいかない日々に戻る。
けれど、忘れることはない。
見上げた星空の向こうに、そして隣を走る黄色い車の中に、言葉を超えた絆が存在することを。
「……暦」
「何だ? ひたぎ」
「大学に入学した後も遅刻したら承知しないわよ。あなたのカマロ、スピードは出るんでしょう?」
「……ああ。保証するよ」
僕たちは笑い、そして最後の光が水平線の向こうに消えるまで、その景色を眺め続けた。
直江津の風が、鋼鉄の肌と僕たちの頬を優しく撫で、夜の帳を連れてくる。
それは、世界の終わりを免れた僕たちに与えられた、何物にも代えがたい、ただの、平凡な、夕暮れの静寂だった。
070
「オールスパークは消え、故郷を蘇らせる望みは潰えた」
「だが、代わりに得たものもある。――新しく、『故郷』と呼べる星だ」
「我々は人間の中に紛れ、目立たぬよう暮らしている。陰ながら彼らを見つめ、待ち、見守りながら」
「私は人間の勇気ある行動を見た」
「種族は違えど、彼らも我らと同じように、
「私はオプティマス・プライム。生き残り、宇宙に散ったオートボットの同志たちにこのメッセージを送る」
「――我々はここで、何時までも待っている」
あとがき
「犠牲無くして、勝利なし(No Sacrifice, No Victory)」。
これは2007年の映画版『トランスフォーマー』において、ウィトウィッキー家に伝わる家訓として登場した、映画の屋台骨を成す非常に重要なキーワードです。
しかし、面白いことに、この冷徹なまでの等価交換の概念は、本家「物語シリーズ」の著者である西尾維新先生の『傾物語』においても形を変えて描かれています。
八九寺真宵を救うために、世界そのものを滅ぼしかねないルートを辿ってしまった阿良々木暦。そこにあったのは、「何かを救うためには、別の何かを差し出さねばならない」という残酷な理でした。
世界を救うために一人の女の子を犠牲にするか、一人の女の子のために世界を犠牲にするか。
阿良々木暦という男は、常にその二択の狭間で、どちらも選ばずに「全部守る」という、最も効率が悪く、最も自己犠牲的な、わがままで独善的な正解を叩き出し続けてきました。
しかし、今回は取り返しのつかない大きな犠牲が出てしまいます。
勇敢なる副官、ジャズ。
彼がメガトロンに引き裂かれ命を落とす瞬間を、阿良々木君は間近で目撃します。
今まで様々な地獄をくぐり抜けてきた彼ですが、身近な人物が死ぬ瞬間を目の当たりにするのはこれが初めてです。
先程まで陽気に喋り、自分達を助けてくれた仲間が次の瞬間、物言わぬ鉄の塊に変わる。
その不可逆的な喪失は、阿良々木君に一年前に経験した『春休みの地獄』の記憶を呼び起こさせるには十分でした。
彼は愛する人たちを守るため、「これ以上の犠牲は出させない」という決意を強めます。
それはやがてオプティマスの自己犠牲を強く拒否する事に繋がり、ひいてはメガトロンへの特攻という形で戦いを終わらせることに繋がりました。
犠牲を無くすことは出来ない。それでも尚、犠牲を一つでも減らすために抗う。
その意志こそが、彼がこれまでの怪異譚の中で積み上げてきたエゴイズムの結実だったのかもしれません。
また、本作を執筆するにあたりシリアスな映画版の骨子を借りつつも、視聴者の腹筋を完膚なきまでに破壊した伝説のアニメ『ビーストウォーズ』の精神をリスペクトすることも忘れませんでした。
いわゆる「声優無法地帯」と称された、あのアドリブの嵐。
その一方で、西尾維新作品もまた、登場人物たちのマシンガントークと饒舌な独白によって構成されています。
シリアスな戦いの中に混じる、メタフィクショナルな軽口や、キャラクターたちの過剰なまでの個性。
トランスフォーマーという作品が持つ「自由さ」と、物語シリーズの「会話の奔放さ」は、意外にも親和性が高いのかもしれません。
というわけで、100%変形で書いた二次創作クロスオーバー小説『変物語 第変話 こよみフォーム』でした。
タイトルには、作中で語られた通り、トランスフォーマーたちの「
副題も初期案では『こよみカマロ』だったり、『こよみスパーク』だったりしたのですが、結局シンプルな『形』に落ち着きました。
阿良々木君ほど、状況に応じて自分の「形」を歪め、それでも芯にある「お節介」だけは変えない変わり者も、そうそう居るもんじゃないですよね。
最後にはなりますが、全70章に渡る本編を楽しんでくださった皆様、本当にありがとうございました。
途中より生成AIの補助を用いる形での執筆となりましたが、戦場ヶ原ひたぎの毒舌と忍野忍のドーナツへの執着と、バンブルビーのラジオの選曲が、皆様の日常に少しでも彩りを添えられたなら幸いです。
それでは、また別の「変」な物語でお会いしましょう。
ところで、今回完膚なきまでにボコボコにされたスタースクリームでしたが、彼にリベンジの機会はあるのでしょうか。