028
ニューヨークの摩天楼は、午後の一番眩しい陽光に焼かれていた。
高層ビルの屋上、ヘリポート。
そこに、四体の鋼鉄の巨神が音もなく降り立っていた。
巨大な鋼鉄の重みにコンクリートが悲鳴を上げる。
地上の群衆はまだ気づいていない。
人間そうそう、上を向いて歩くことはない。
「首尾よく行ったな」
メガトロンが、血のような赤を湛えた光学センサーで、眼下に広がるコンクリートのジャングルを見下ろした。
その足元で、無様に片膝を突き、切断された自らの右腕を拾い上げたスタースクリームが、ノイズ混じりの声で応える。
「小僧を……見失いました……」
「何だと?」
「信号をオートボットにブロックされて、そのぅ……」
言い訳が最後まで紡がれることはなかった。
メガトロンの巨大な右拳が、スタースクリームの横面を豪快に叩き伏せた。
火花が散り、銀色の巨躯が屋上の貯水タンクをなぎ倒して転がる。
「たかが一匹の虫けらを潰す仕事も満足に出来んのか!」
メガトロンは逃げ場を失ったスタースクリームの胸部装甲を、冷酷に踏みつけた。
脚部のキャタピラがギュルギュルと不快な音を立てて回転し、装甲を削り、スタースクリームの内部回路に直接的な苦痛を与える。
「七十億匹の中の一匹です! ……ギャ、アアアッ!」
「黙れ!」
メガトロンは、塵でも払うかのように足を退けた。
スタースクリームは呻きながら、切断された右腕を肩のジョイントに力任せに押し込み、火花とともに無理やり再接続させた。
「……見つけるのは困難です」
「では、人間どもに探させるしかないな」
メガトロンが両腕を広げ、即答する。
その背後には、スカイワープとサンダークラッカーが、主君の狂気を静かに肯定するように翼を休めていた。
「世界に我らの存在を知らしめよ。もう逃げ隠れはしない。情け無用だ!」
メガトロンの声が、物理的な振動となってビルのガラスを震わせる。
「我らが主人をお迎えする時が来た――」
地球の衛星軌道上。
軍事衛星に取り付き、その影に潜む巨大な影――ディセプティコンの情報参謀、サウンドウェーブが赤い光学センサーを瞬かせた。
「
地球に幾多の火球が尾を引いて、迫りつつあった。
大気圏との摩擦で真っ赤に燃え上がり、空を切り裂く絶望の矢となって世界各地へと降り注ぐ。
それらを満足気に眺めながらサウンドウェーブは、全地球の個人情報を0.1秒単位でスキャンし続けていた。
膨大なデータベースが火花を散らす。
部下たちがターゲットの脳内から吸い出した膨大な記憶も照合し、情報参謀は一つの最適解に到達した。
「……そうだ――」
情を解さぬ機械知性が、最も効率的な精神的加害の方法を選択した。
フランス、パリ。
シャン・ド・マルス公園に隣接する小洒落たカフェ。
エッフェル塔を背景に、阿良々木月火は贅沢にバターの香るクロワッサンを頬張っていた。
「んー、やっぱり本場はサクサク感が違うね。火憐ちゃん、これお土産に冷凍して持って帰れないかな?」
「無理だろ月火ちゃん。関税とか検疫とか、それ以前に鮮度が命だって」
ジャージ姿を封印し、少し背伸びした私服でカフェオレを啜る火憐が呆れたように言う。
その時、月火の買ったばかりの最新スマートフォンが、聞き慣れない電子音で震えた。
「んー、誰だろ? 海外ローミングの設定ミスかな。……もしもし、ボンソワール?」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、およそこの世のものとは思えない、地響きをデジタル加工したような重低音のノイズだった。
『小僧はどこだ?』
月火は、クロワッサンを噛む手を止めた。
あまりにも非現実的な、鼓膜を直接針で刺すような不快なノイズ。
「誰? 間違い電話? ていうか、いきなり小僧とか、何様?」
『小僧はどこだ? 阿良々木暦の居場所を言え』
「……。あのさ、そんな変態がハアハア言うような嫌がらせ電話、パリまで来て聞きたくないの。ファイヤーシスターズはもうとっくに解散してるから、代わりにフランス外人部隊と遊んでて」
プツッ。
月火は迷いなく通話終了ボタンを押した。
「……何だったの、今の?」
「お兄ちゃんの知り合いかな?何か怒鳴ってたみたいだけど、怒鳴りたいのはこっちだよ」
「兄ちゃんも大変だな……」
二人はすぐに今の記憶を忘却の彼方へと放り投げ、食事を再開した。
ニューヨーク、ブルックリン橋。
ハドソン川に架かる橋の柱部分に、今、一体のロボットがよじ登ろうとしていた。
ミックスマスター。
彼は突き立てられていた巨大なアメリカ国旗のポールをまるで細い小枝でも折るように無造作に掴み取ると、力任せに引きちぎった。
星条旗が、風に煽られながら情けなく川へと舞い落ちる。
その光景を、付近の高層ビルの屋上から三羽の「怪鳥」が見下ろしていた。
スタースクリーム、スカイワープ、サンダークラッカー。
銀、黒、青。
三機のF-22ラプターが人型へと変形し、摩天楼の縁にその鋭利な爪を立てている。
その姿は、都市の終焉を告げる死神の群れのようであった。
ニューヨーク郊外。
高層ビルのシルエットが遠景へと退き、代わりに荒涼とした廃墟が姿を現す。
苔むした高い石壁と、錆びついた鉄条網。
かつて数多の罪人を閉じ込めていたであろう、中世の城郭を思わせる古い廃監獄。
バンブルビーと、騒々しい双子の兄弟――マッドフラップとスキッズの三台が、砂煙を上げてその中庭へと滑り込んだ。
「……ここは、どこなんだ?」
僕は、バンブルビーのシートから這い出すように地面に降り立った。
膝が笑っている。脳内のノイズは引いたが、代わりにあのアシスタントが這い回った鼻腔の奥に、消えない不快感がこびりついていた。
バンブルビーが、ラジオの周波数を合わせるようなノイズ混じりの音声をスピーカーから流す。
『……古い監獄だ』『誰も……来ない……』
「監獄、ね。隠れるにはちょうどいいわね。今の私たちが置かれている不条理な状況に、これほど相応しい舞台もないわ」
ひたぎが、髪をかき上げながら車から降りてきた。
「逃亡の果てに、自分から檻に入るなんて皮肉な話ね……」
後部座席から這い出してきた老倉が、砂埃にまみれた髪を振り払いながら、力なく呟いた。
その「雨」は、気象予報士が警告を発する暇さえ与えなかった。
北大西洋を悠然と往くアメリカ海軍の象徴、航空母艦セオドア・ルーズベルト。
随伴する駆逐艦や潜水艦を従え、鉄の城郭のごとき威容を誇っていたその艦隊の上に、神の投げた礫が降り注ぐ。
大気を切り裂く轟音と共に、白昼の空を真っ赤な火球が横切った。
「隕石か!? 回避不能! 着弾まで、三、二、一――!」
ブリッジの絶叫は、衝撃音にすらならなかった。
ドォォォォォォンッ!!
超音速で突き刺さった火球は、航空母艦の重厚な飛行甲板を、紙細工のように容易く貫通した。
一発、二発、三発……九発。
狙い澄まされた精密爆撃のごとき着弾。
巨大な火柱が吹き上がり、格納庫内で燃料と弾薬が誘爆を起こす。
十万トンを超える鋼鉄の巨躯が、断末魔のような金属音を立てて中央から真っ二つに折れ曲がった。
「退艦せよ! 全員退艦――ッ!」
艦長の叫びも、沸き立つ海水の轟音に飲み込まれる。
海水と燃料が混ざり合う死の海域。
世界最強を誇った空母が、断末魔のような金属音を響かせながら冷たい海へと沈み始めた。
フランス、パリ。
「地震か?」
カフェのテーブルが激しくガタガタと揺れ、火憐が思わずカップを抑えた。
「……違う、火憐ちゃん。あれ!」
月火の指差す先、花の都の空に、不吉な二筋の火線が引かれていた。
それは隕石にしてはあまりにも低空で、意志を持っているかのように旋回し――。
ズガァァァァァァン!!
一発がカフェのすぐ近くの石畳を粉砕し、衝撃波がテラスのガラスを粉々に砕いた。
「っ、伏せて!!」
火憐が月火を抱き寄せ、テーブルの下へと潜り込む。
もう一発の火球は、街の象徴である歴史的な時計塔へと吸い込まれた。
時計の針が狂ったように回り、直後、石造りの塔が中央から爆散する。
「あ……ああ……」
月火が呆然と見上げる中、瓦礫の雨がパリの美しい街並みを埋め尽くしていく。
北大西洋では、もはや沈没を待つだけとなったルーズベルトの残骸が、垂直に海面へと突き立っていた。
渦巻く白泡と燃え盛る重油の海から、濡れた鋼鉄の腕が次々と突き出される。
ジャリッ、という金属が擦れ合い削れるような音。
沈みゆく船体から這い上がってきたのは、九体のディセプティコンだった。
彼らは甲板に残された戦闘機の残骸をゴミのように放り投げ、溺れかける乗組員を巨大な足で無造作に踏み潰しながら咆哮した。
そして、垂直に立ち上がった船底。
巨大なスクリューが空を仰ぐその頂点に、一際巨大で、一際禍々しい影が君臨していた。
その全身からは、付着した海水を瞬時に沸騰させるほどの熱気が立ち上っている。
節くれだった長い手足、古代の呪術を思わせる歪な装飾。
赤い光学センサーが、地獄の業火のように爛々と燃え盛る。
ザ・フォールン。
彼は足元の巨大なスクリューを踏みしめると、地響きのような声で宣言した。
「
夜の帳が降りる頃、パリは「花の都」から「阿鼻叫喚の都」へとその姿を変貌させていた。
歴史的な建造物の合間から、絶え間なく火柱が上がり、逃げ惑う市民の悲鳴と、空を切り裂く金属音が不快な不協和音を奏でる。
「火憐ちゃん、こっち! 立ち止まらないで!」
「分かってる! 分かってるけど、何なんだよこれ、映画の撮影か何かかよ!?」
月火が火憐の手を引き、瓦礫が散乱するシャンゼリゼ通りを駆ける。
その後ろには、混乱の中でも冷徹な判断力を失わない、阿良々木家の母の姿があった。
彼女は警察官としての本能か、あるいは阿良々木家の血筋か、飛来する破片を最小限の動きで回避しながら娘たちの背中を押す。
「母さん! どうしよう、街がめちゃくちゃだよ! これ、テロとかそんなレベルじゃねーよ!」
火憐が、崩落した街灯を飛び越えながら絶叫する。
「落ち着きなさい、火憐! 観光どころじゃないわ。まずはホテルに戻って、荷物をまとめて暦に電話するのよ!」
警察官としての冷静さを必死に保ちながら、阿良々木母が娘たちの手を引いて裏路地へと滑り込む。
路地裏の出口、大通りに出ようとしたその時。
強烈な、網膜を焼き切らんばかりのハロゲンライトの光が、四人の視界を真っ白に染め上げた。
「――っ!?」
「眩し……!」
ズガァァァァン!!
歴史あるアパルトマンの屋上から、数トンの質量が重力に従って落下し、彼らの目の前の石畳を爆砕した。
舞い上がる埃と火花。
「なっ……!?」
阿良々木父が妻と娘を背後に庇い、身構える。
その砂煙の向こうから、逆光の中に巨大なシルエットが浮かび上がった。
赤い異形の一本足、ランページ。
彼は両腕のクローラを鞭のように振るい、石畳を粉砕する。
「何なのよ、さっきから!」
背後からは、黄色い長大なクレーンアームをサソリの尾のように背負う異形中の異形が。
人型よりは獣脚類に近いシルエットの彼は、ガチガチとパーツを鳴らしながら立ち塞がる。
逃げ場を失った四人を包み込むように、クレーンの鉤爪が振り下ろされた。
「やめろ……来るな! くるなああああッ!!」
火憐の叫びが夜のパリに虚しく響き、四人の意識は、強引に引き寄せられる冷たい鉄の感触とともに闇へと沈んでいった。
029
ワシントンD.C.、ペンタゴン。
戦略室の巨大なモニター群には、燃え盛る大西洋の残骸と、地獄と化したパリの街並みが映し出されていた。
モーシャワー将軍は、冷え切ったコーヒーのカップを握りしめたまま、信じがたい報告を突きつけられていた。
「飛行機じゃない。既に司令部が確認した。あの飛行物体は大気圏外から時速三万ノットで飛来した」
同僚の士官が、震える声でレーダーの解析結果を告げる。
マッハに換算すれば45を超えるその速度は、現存するいかなる迎撃システムも「標的」として認識することすらできない。
『大西洋上でUSSセオドア・ルーズベルトが何者かの攻撃を受け沈没。救助活動は難航しており、生存者は絶望的……。現在までの全世界の死傷者数は七千人を超えました。9.11以来の、いえ、人類史上最悪の惨事です。大統領は合衆国内の極秘シェルターへと避難を開始しました』
テレビモニターの中では、キャスターが嗚咽を堪えながら原稿を読み上げている。これは戦争ですらない。ただの一方的な「清掃」だった。
ニューヨーク、エンパイア・ステート・ビル。
摩天楼の頂点。アール・デコの傑作であるそのビルの尖塔に、銀色の暴君が降り立った。
メガトロン。
彼は巨大な爪で、ビル頂上部に設置された基幹放送用のケーブル束を無造作に引きちぎった。バチバチと青白いスパークが空を焦がし、ニューヨーク全域の磁場を狂わせる。
ギュィィィィィン! と、青白いスパークが空へと走り、ニューヨーク全域の電波を強制的にジャックする。
タイムズスクエアの巨大スクリーン、家庭のテレビ、街中のスマートフォン。
その全てが、一つの「貌」に塗り替えられた。
腐食した鋼鉄のような肌と、燃え盛る二つの眼光。
ザ・フォールン。
『人間世界の市民たちよ……』
地響きのような、デジタル加工された重低音が世界中のスピーカーから響く。
『お前たちのリーダーは真実を隠している。宇宙に居るのはお前たちだけではない。我らは人間に紛れ、隠れてきた……それも今日までだ』
画面の端には、炎上するパリと沈没する空母の映像が流れる。
『見ての通り、街を破壊することなど容易い。助けてほしくば、この青年を差し出せ』
画面が切り替わる。
そこには、僕――阿良々木暦の顔が、全世界に向けて鮮明に映し出されていた。
『逆らう気なら、お前たちの世界を滅ぼしてやる』
一秒の静寂。そして、通信は途絶えた。
ニューヨーク、廃監獄。
カビの臭いと静寂に包まれたその場所で、老倉育の持つ携帯の画面が、狂ったように通知を吐き出していた。
報道番組のヘリが映し出すのは、パニックに陥ったニューヨークの街並みだ。
『今の映像は衛星をハッキングして全世界へ配信されたものだと思われます』
『敵の正体は何なのか、目的は何なのかは未だ、不明です』
その音声を他所に、僕は携帯の画面を凝視していた。
「火憐ちゃん……月火ちゃん……出てくれ……」
報道ではパリも壊滅的被害を受けたとなっている。
安否確認の為に電話をかけるも、繋がらず、呼び出し音ばかりが響いていた。
焦燥感ばかりが募る。
老倉の方の画面はFBIの緊急会見に切り替わった。
長官が、険しい表情でマイクの前に立つ。
『アララギコヨミ。彼が何らかの情報を持っているはずです。現在、各国の警察機関に連絡を取っています。FBI、CIA、インターポール。総力を懸けて彼を見つけ出します』
「……阿良々木、あんたの顔が出てるわよ」
老倉の声は、怒りを通り越して、どこか遠い世界の話をしているような虚脱感に満ちていた。
「って、私の顔も出てるじゃない!? お前に戦場ヶ原さん、神原さん、私……四人仲良く指名手配よ!! FBIにCIA……数学的に考えて、私たちが自由の身でいられる確率はコンマ以下よ!!」
彼女が突き出してきた画面には、大学図書館から必死に駆け抜ける僕たちの姿が、監視カメラの映像として映し出されている。
「……これからどうするのよ、阿良々木」
老倉が幽霊のような足取りで一歩、僕に詰め寄る。
「世界中に顔が回って、言葉も通じないアメリカの監獄に隠れて。このままお前と一緒に、宇宙人に脳味噌を差し出す順番を待てばいいのかしら!?」
「老倉さん、その携帯を貸しなさい」
不意に、横からひたぎが冷徹な手つきで老倉の手元から携帯電話を奪い取った。
「な、何よ戦場ヶ原さん、いきなり――」
バキィッ!!
躊躇いのない、乾いた破壊音が監獄の静寂を切り裂いた。
ひたぎは携帯を地面に叩きつけると、踵で一切の容赦なく、基板が粉々になるまで踏み潰した。
「なッ……!! 何するのよ! 私がなけなしの貯金を貯めてようやく割賦契約で買った精密機器を!!」
「ごめんなさいね。けれど、その携帯を通じて私たちは常に追跡されているわ。FBIよりも先に、あの銀色の化け物たちがここに迎えに来るのを望むなら、今すぐその破片を繋ぎ直しなさい」
「追跡される!? GPSか何かで!? 冗談じゃないわ、こんな異国の地から生きて帰れるのかしら――」
老倉がパニックを再燃させ、頭を抱えて独房の廊下をうろつき始めた。
「阿良々木、あんたのせいよ! あんたが変な文字を脳内にインストールしたせいで、私の幸福追求権が宇宙規模で侵害されているのよ!」
「……先輩方、一度外に出ないか?ここにいても気が滅入るだけだ」
僕は神原に促されるようにして、監獄の重厚な鉄扉を抜け、雑草の生い茂る裏庭へと出た。
「よう! ハウマッチ! ベイビー、元気してたか?」
スキッズが、まるで見知らぬ観光客に偽ブランド品を売りつけるような軽薄な声で話しかけてくる。
「ヒッ……!もう何なのよ、何で車がロボットに変形するのよ。何で喋るのよ……!昨日から私の人生、輪をかけて滅茶苦茶よ……!」
腰を抜かしかける老倉。その横で、赤色のシボレー・トラックス――マッドフラップが鼻を鳴らす。
「見ろよスキッズ、この女、ビビりすぎて顔が真っ白だぜ。まるで漂白したてのシーツだな!」
「ホントだ、真っ白。おいマッドフラップ、この妖精ちゃんどうする? 泣き顔が可愛いから、スペアタイヤの代わりにトランクに積んでおくか?」
「そいつは名案だ! ギャハハハハ!」
アホみたいな双子の会話が、崩壊した世界を嘲笑うように裏庭に響く。
老倉の顔が、恐怖から一転して怒りで真っ赤に沸騰した。
「あのね、全部聞こえてんのよ! 何から何まで! 冗談じゃないわよ! 私は老倉育よ!数学を愛し、不条理を憎む、清く正しい一市民よ! なんで鉄の塊にまで蔑まれなきゃいけないのよ!あと、呼ぶなら『ハウマッチ』じゃなくて『オイラー』と呼びなさい! 」
「うるせーな、チビ助!」
スキッズが老倉の鼻先で指を鳴らす。
「文句があるなら、そこのボーイフレンドにでも泣きついてろ! 」
「僕のことか!?」
思わず突っ込んだ。
僕はボーイフレンドじゃなくて、どちらかと言えばオールドフレンドだ。
そんなやり取りを半分聞き流しながら、隣で静かに拳を握りしめている後輩を見る。
「……それよりも神原をどうしよう。何とか彼女だけでも日本に帰せないか……」
「私か? 阿良々木先輩、私は別に――」
「良くない。神原、お前はまだ高校生で、未来がある。春休みの時とは違うんだよ。あの時はお前自身が狙われていた。でも今回は違う。今回は完全に無関係なんだ。僕らの勝手な都合で、これ以上お前を『戦争』に巻き込むわけにはいかない」
オプティマスが死んだ。
そして今、世界中が僕を探している。
ここから先は、ただの「逃走」じゃない。文字通り、世界の終わりをかけた泥沼の「闘争」だ。
「……まるで、私達には未来が無いような言い草ね」
老倉が、壊れた携帯の残骸を足元に見つめたまま、自嘲気味に笑った。
「FBIに追われ、エイリアンに命を狙われ、挙句の果てに宇宙規模のテロの片棒を担がされている……。確かに私に未来なんて、最初から計算式に含まれていなかったのかもしれないわ。でもね、阿良々木」
彼女が顔を上げ、憎しみと決意が混ざった瞳で僕を睨みつけた。
「一人でカッコつけて、悲劇のヒーローを気取るのだけはやめなさい。見てて不愉快だわ」
「老倉……」
「一時休戦よ。どの道、日本に帰るためには協力しないといけないし。それにお前がさっきの化け物に殺されるなんて、そんなの私が許さない。……お前を殺すのは私よ」
老倉が毒を吐くような、それでいて震える声でそう言い切ると、監獄の裏庭に張り詰めた空気が流れた。彼女の瞳には、絶望と怒りが、複雑に絡み合った数式のように渦巻いている。
「まるで暦の彼女みたいなセリフね。メインヒロインはこの私よ」
ひたぎが、冷たい風に髪をなびかせながら、僕らの間に割って入った。
「な、何よ戦場ヶ原さん! こんな状況でマウント取ってる場合!? 世界中が阿良々木暦を差し出せって騒いでるのよ!?」
「ええ。だからこそ、私がこの男を誰にも渡さないと再定義する必要があるの。たとえ相手が空から降ってきた銀色のガラクタでも、FBIでも、あるいはあなたの被害妄想でもね」
「妄想じゃないわよ、こっちは実際に巻き添え被害喰らってるのよ!携帯も壊されて!それら諸々の落とし前をきっちり付けてもらわないと計算が合わないのよ!」
監獄の裏庭で、世界が滅びかけているというのに、彼女たちの口論はいつも通り――いや、いつも以上に鋭利だった。
この途轍もない絶望感を無理やり心の隅に押し込めるように、鋭利だった。
030
ニュージャージー州、広大な空軍基地の着陸場。
上空から、一機の軍用輸送ヘリが巨大な鉄の塊を吊り下げて降下してきた。
「……おい、嘘だろ……」
地上で待機していたレノックス少佐が、無線機を握りしめたまま絶句した。
ヘリが高度を下げ、ワイヤーが切り離される。
ドォォォォォォンッ!!
凄まじい轟音とともに、アスファルトの地面に「それ」が叩きつけられた。
舞い上がる土煙。摩擦で飛び散る火花。
砂塵が晴れた中心に横たわっていたのは、もはや威厳に満ちた司令官の姿ではなかった。胸部は無惨に貫かれ、鮮やかな赤と青の装甲は煤け、何より――あの、魂を湛えていた光学センサーが、冷たい鉄の空洞と化していた。
「オプティマス……信じられねぇ……」
エップス軍曹が乾いた声で呟き、天を仰ぐ。
通信はアメリカ上空ですべて聞いていた。戦闘の激しさも、最期の瞬間も。
けれど、実際に目の当たりにしたその「遺体」は、どんな言葉による報告よりも重く、冷たく、そして絶対的な喪失となって彼らの胸を抉った。
世界を守る盾が、折れた。
人類にとっての唯一の光が、今、ニュージャージーの乾いた風に晒されている。
その時、基地の入り口から数台の車両がゆっくりと滑り込んできた。
先頭はラチェット。
続いてアイアンハイド。
サイドスワイプ、ジョルト。
横たわるオプティマス・プライムを前に、オートボットたちは言葉を失っていた。
アイアンハイドのエンジンが、抑えきれない怒りのように低く、重く唸りを上げる。
その沈黙を切り裂いたのは、追悼の言葉ではなく、無機質な軍用車両の走行音だった。
十数台のハンヴィーが、砂埃を上げてNEST部隊とオートボットを円状に包囲する。屋根に据え付けられた重機関銃が、一斉にオートボットたちへと銃口を向けた。
「一体何の真似だ!」
ジョルトが両腕の電磁ムチを青白く発光させ、鋭い警告を発する。
「俺に銃を向けたな!? この俺とやる気か!? 八つ裂きにしてくれる!」
アイアンハイドが吠えた。二門の大口径キャノンがハンヴィーの薄い装甲をロックオンし、一触即発の火花が散る。
「武器を下ろせ! 銃を向け合うな!」
レノックスが叫びながら、包囲網の先頭に立つハンヴィーのボンネットを激しく叩いた。
「少佐、そっちが先だ。オートボットに武装を解除させろ!」
指揮官と思わしき兵士が冷淡に応じる。
「ふざけるな! 武器を引っ込めさせるよう言え! 相手は仲間だぞ!」
「少佐。私ではなく、『彼』に言ってくれ」
兵士が視線を送った先。
一台のハンヴィーの助手席から、シワ一つないスーツに身を包んだ男が、不快な笑みを浮かべて降りてきた。
セオドア・ギャロウェイ大統領補佐官。
彼はネクタイを整え、司令官の「遺骸」を一瞥すると、冷酷な宣告を口にした。
「NEST部隊の任務を解く。対ディセプティコン作戦は直ちに中止!ディエゴ・ガルシア基地に戻り、指示を待て」
「……我々はモーシャワー将軍の命令を受けて動いています!」
レノックスの抗議を、ギャロウェイは鼻で笑った。
「そっちが参謀本部のモーシャワーなら、こっちは大統領命令だ。エイリアン同士の戦いで我々の兵士が犠牲を払っている。秘密が暴かれた今、これは我々の戦いだ」
ギャロウェイは、自信満々に周囲を指差した。
「そして我々は勝つ。軍事戦略を駆使してな。少数チームでのハンティングは終わりだ」
「……この馬鹿は間違って理解している」
ラチェットが、光学センサーに失望の色を浮かべて呟いた。
「あらゆる戦力が必要なんです、補佐官!」
「まず戦闘プランを立て直す。外交的解決の可能性を排除しないのが政治だ」
「……あの少年、阿良々木暦を引き渡すとか?」
レノックスの問いに、ギャロウェイは表情を変えずに応えた。
「……あらゆる選択肢を考慮する」
「……ディセプティコンの狙いが何にせよ、まだ始まりに過ぎません」
NEST兵士が忠告するも、ギャロウェイは聞く耳を持たない。
「奴らと交渉なんて不可能です。奴らは対等な対話など望んでいない!」
「命令だ。撤退しろ。……それから少佐、これはもう必要ないな」
ギャロウェイはレノックスの胸元に手を伸ばすと、その階級を示すバッジを無造作に剥ぎ取った。
レノックスの顔が屈辱に震える。
「戦力を引き上げさせろ。メタルのガラクタは、ディエゴ・ガルシアにでも運んでおけ」
吐き捨てるように言うと、ギャロウェイは再びハンヴィーに乗り込み、去っていった。
残されたエップスが、去りゆくテールランプに向けて唾を吐き捨てる。
「あの野郎、気に食わねぇ。アホったれめが」
『オートボット各員、順次輸送機に収容する。格納庫へ移動せよ』
基地内のスピーカーが無機質な指示を飛ばす。
「アイアンハイド……こんな星、出ていくか」
ラチェットが、力なく横たわるオプティマスの遺体を見つめながら呟いた。
「同感だ」
サイドスワイプもブレードを収め、同意する。
アイアンハイドは、銃口を向け続ける人間たちを睨みつけ、最後に物言わぬ司令官の亡骸を見た。
「……オプティマスは、そんな事は望まない」
武器を下ろした彼の背中は、かつてないほどに寂しく見えた。
031
廃監獄の裏庭。かつて囚人たちが外気浴をしたであろう場所は、今や冷たい秋の夜風が吹き抜ける、僕たちの唯一の避難所となっていた。
伸び放題の雑草をひたぎがかき集め、神原がどこからか拾ってきた錆びだらけの鉄バケツに投げ込む。
「阿良々木先輩、ライターを」
「ああ、これ」
僕が手渡したライターで神原が火を灯すと、小さな炎がバケツの中でパチパチと音を立て始めた。暖を取るにはあまりに心許ない火だが、監獄の静寂を紛らわせるには十分だった。
「……キャンプファイヤーにしては、あまりにも風情が足りないわね」
ひたぎが呟く。
バンブルビーは、裏庭に放置されたスクラップ同然の古いトラックの上に、重機のような巨体を器用に折り畳んで腰掛けていた。
普段の軽快なラジオの選局音も今はなく、ただ、その青い光学センサーを、絶望的なまでに静かな夜の空へと向けている。司令官を失った悲しみは、機械の心にも修復不可能なノイズを刻んでいるようだった。
「……っ、う、ああ……」
不意に、僕の影が波打った。
粘り気のある闇が地面を這い、そこから金髪の少女が、泥沼から這い上がるような足取りで姿を現した。
「なっ、阿良々木、誰よ!?その幼女!」
「落ち着け、老倉先輩!経緯は今から話すから――」
老倉が肝を潰し、神原が建物の方に彼女を連れて行った。
「忍! 大丈夫か!?」
僕は駆け寄り、地面に膝を突く彼女の肩を抱いた。
「……危ういところじゃった。すんでの所で抗体を作って何とか持ちこたえたが……。この儂が、たかが機械の毒ごときに不覚を取ったものじゃ。吸血鬼の誇りも、錆びついたものよ……」
忍は顔色の悪さを隠すように、傲然と鼻を鳴らした。しかし、その身体は細く震え、銀毒による侵食の激しさを物語っていた。
「――いや、不覚を取ったのは僕だ。僕がもっとしっかりしていなければ、お前も、オプティマスも……!」
僕がうなだれたその時、ポケットの中でスマートフォンが、場違いに軽快な電子音を鳴らした。
画面には、見慣れた、しかし今は最も見たくない名前が表示されている。
タイトルは『絶対に捕まっちゃだめだよ』。
メール画面を開く。
『またもやトランスフォーマー絡みで大変なことになっているね、こよみん。悪いことは言わない。駿河やひたぎちゃん(あと育ちゃんもかな?)と何としてでも逃げるんだ。バンブルビーもいるし、足については大丈夫だろう。武運を祈る――あなたの友人、臥煙伊豆湖より』
メールにはあの人には珍しく、追伸も付いていた。
『追伸。こちらが出来ることは少ないが、助っ人を送っておくよ。オプティマスのことは残念だったね』
「……助っ人? こんな状況で、何ができるっていうんだよ……」
僕は二人から少し離れ、闇が深い監獄の回廊へと足を踏み入れた。
冷たいコンクリートの壁に手を突き、熱を持った額を押し当てる。
一人になりたかった。あるいは、この重圧から逃げ出したかった。
「……はっはー。監獄という閉鎖空間で独りごちるとは、なんとも詩的で絶望的ですね、阿良々木先輩」
不意に、暗闇から軽薄で、しかし心臓を素手で掴むような声が響いた。
振り返ると、そこにはいつの間にか、黒い学ランを着た「彼」が立っていた。
――忍野扇。今は、男の子の姿だ。
「扇、くん……」
「ええ、そうです。扇くんですよ。驚きましたか? それとも、期待していましたか?」
扇くんは、監獄の壊れた窓枠に腰掛け、不気味なほど真っ黒な瞳を僕に向けていた。
「相当思い詰めているようですね。良かったら相談に乗りますよ? 僕は阿良々木先輩の最大の批判者ですが、それ以上に先輩の最大の理解者でもありますし」
扇くんは真っ黒な瞳で僕を見つめ、ゆらりと影を揺らす。
「……オプティマスが死んだ。僕のせいだ。……僕のせいで、皆が危険にさらされている。ディセプティコンも、FBIも、世界中が僕を差し出せと言っている。臥煙さんは逃げろと言っているけれど……僕は、自首するよ。僕一人が消えれば、戦火は収まるはずだ」
扇くんはしばらく僕の顔を面白そうに観察していると、不意に口を開いた。
「先輩がそう思っているなら、そうすべきです。それがあなたの出した正解なら、僕は拍手をもって送り出しましょう」
彼はくすくすと肩を揺らして笑う。
「……しかし。自分の運命と向き合うことも、時には必要だとは思いますよ? あなたが逃げているのは、敵からですか? それとも、自分の中に書き込まれた『文字』からですか?」
「……分からない。僕はどうすればいいんだろうか。何をすれば、この不条理な計算が合うんだ?」
「おやおや。僕は何も知りませんよ、阿良々木先輩」
扇くんの声が、冷たく反響する。
彼は、影の中に後退しながら、最後にこう言い残した。
「あなたが知っているんです。あなたが、どうしたいのかを」
そして吸い込まれるように、扇くんの姿は闇に消えた。
032
裏庭に戻ると、ひたぎが火を見つめたまま、僕の足音に気づいて顔を上げた。
老倉はまだ神原の「パーフェクトあらすじ教室」を受講しているため、席を外している。
ひたぎは何も聞かず、ただ僕の隣に寄り添い、冷え切った僕の手に自分の手を重ねた。
「……止めようがなかったわよ、暦。あれは、不可抗力という言葉ですら生ぬるい、天災だったわ」
「ひたぎ……」
僕は彼女の温もりを感じながら、廃車の上にいる黄色い友人に声をかけた。
「ビー。僕を恨んでいいよ。……僕のせいだ。ごめん」
バンブルビーは、スピーカーから複数の音声を繋ぎ合わせた「いつもの声」を流した。
『若者よ……』『君は――』『僕の一番大切な友達だ』
ビーがゆっくりと、その巨大な指を僕の目の前に差し出す。
『君が必要な時、いつもそばにいるよ』
「……僕のせいで死んだ。僕を守ろうとして死んだんだ」
それは変えられない事実だ。
僕がもっと早く逃げていれば、あるいは忍を銀毒に晒していなかったら。
『変えられないことだってある……』
『そう!彼の死は無駄なのでは無かったのだ!』
ビーはラジオの音声を切り替え、懸命に僕を励まそうとする。
「……僕の身柄を差し出すよ」
僕が立ち上がり、出口の方へ向かおうとすると、ビーがラジオから力強いスピーチの断片を流した。
『お互いに団結するんだ!』
ビーは廃車から降りると、ガガギギッと音を立ててシボレー・カマロの姿へと戻った。
「行っちゃだめよ、暦。自首したところで、あの化け物たちが約束を守る保証なんてどこにもないわ」
ひたぎが僕の腕を掴む。
「……それでも、行くよ。何もしないでここにいるよりはマシだ」
その時だった。
背後から、バンブルビーがフロント部分で僕の背中を、まるで叱りつけるようにゴンと小突いた。
「っ……!?」
驚いて振り返った僕に、バンブルビーが発した音は、今までのような切り貼りのラジオ音声ではなかった。
それは、少年のようでありながら、幾多の戦場を潜り抜けてきた戦士の――。
彼自身の、本来の声だった。
「……これまでの苦労が、たった一日で水の泡となる」
その言葉は、僕の逃げ腰な心を、鋭い刃のように貫いた。
神原と老倉が裏庭に戻ってくる。
一年間の「物語」、そして半年前の「戦争」について聞かされたらしい老倉は、僕を見ると今までの憎悪を一時横に置いて、声をかけようとした。
「阿良々木。……お前――」
だが、その次の瞬間。
――ドォォォォォォンッ!!
上空、夜の静寂を切り裂いて、凄まじい衝撃波を伴う「何か」が中庭のに突き刺さった。
舞い上がる砂塵。爆圧に押される僕とひたぎ。
「何っ……刺客!? もう見つかったの!?」
老倉が悲鳴を上げ、神原が咄嗟に僕たちの前に躍り出た。
カマロの姿だったバンブルビーがパーツを激しく組み替えながら立ち上がる。
しかし、砂煙の向こうに立っていたのは、禍々しい鋼鉄の怪物ではなかった。
「――いぇーい。僕がいない間に元気してた?」
無機質な、しかし聞き馴染みのある平坦な声。
オレンジにミント。
ティアードスカートに黄色い長靴。
無表情な童女が、斧乃木余接が着弾の衝撃を物ともせず、涼しげに立っていた。
そして、その頭上。
正確には、彼女が天を突くように掲げた人差し指の先端に、まるで見えない糸で吊られているかのような絶妙なバランスで、一人の女性が立っていた。
「……そりゃ元気ええやろ。はるばるアメリカまで来て、鉄の塊とキャンプファイヤー囲んでるんやからな。えらい優雅な逃亡生活やないか、阿良々木君」
スカジャンを羽織り、凶悪なまでの覇気を纏ったその女性――影縫余弦が、斧乃木ちゃんの指先から、今度はバンブルビーの巨大な肩装甲の上へと、羽毛のような軽やかさで飛び移った。
「影縫さん……!? それに斧乃木ちゃんまで、なんでここに……?」
僕が呆然と見上げる中、バンブルビーは頭上に居座る侵入者を振り払おうと身をよじる。
しかし、影縫さんは重力を無視したような足捌きで、まるで揺れる船の上でバランスを取る熟練の船乗りのように、ビーの頭上に吸い付いて離れない。
「待って、ビー! 味方だ! 多分、味方なんだ!」
僕の言葉を聞いて、ビーはようやく大人しくなってくれた。
老倉はさっきからの光景にすっかり圧倒され、唖然としている。
「……あなた達は何なの……?阿良々木の知り合い?」
「せや。『正義の味方』やで」
影縫さんは自信満々に答える。
「阿良々木君、臥煙先輩から事情は聴いたわ。何やら世界規模で指名手配されたんやって? 色々と大変やな。そんで、護衛に余接を派遣するっちゅうことになったんや。まあ、世界中が敵に回るんなら、味方もこれくらい『型破り』ちゅうか『金型破り』なんがおらんと計算が合わんやろ」
「臥煙さんが……」
なるほど。あの人が言っていた『助っ人』とは斧乃木ちゃん達の事だったのか。
……でも、僕と彼女は夏休みの一件で――
「――接触禁止命令が出されてる、ってか? せやさかい、うちがお目付け役として括り付けられたっちゅう訳や。おどれや余接が妙な真似したら、うちが迷わずしばき倒す。
「全く、こんなえらい面倒な事態になったら、指令も命令もあったもんじゃないわ。規則の中の『例外』やで。『
「ということで、この騒動が終わるまでよろしくね。いぇーい」
斧乃木ちゃんが相変わらず無表情でそう言った。
懐かしくて涙が出そうだ。
「接触禁止からまだ二ヶ月も経ってないのに、何が『懐かしい』だ。ぶっ飛ばすぞ」
やめて、人差し指をこっちに向けないで。
「よしなや、余接。ともあれ、世界が滅びるかどうかって時に、ちまちましたルール守って死ぬほど、うちらはお利口さんやない。世界が滅びるのと、おどれが人形と喋るのと、どっちが重大な違反かっちゅう話や」
「影縫さん……!」
凄い。
過去一番、影縫さんがカッコよく見える。
流石『正義の味方』。
「勘違いすんなや。今回はあくまでも『特例』、終戦後はまた接触禁止再開や」
「……分かりました。でも相手はFBIだけじゃないんです。ディセプティコンたちが――」
「分かっとる。でもな阿良々木君、見えてるもんがデカいか小さいか。ただそれだけの違いやろ」
影縫さんは、僕に目線を合わせる。
「機械壊しはうちの専門外やけど――。おどれが自首して『消える』のを待っとる連中を、まとめてドツき回すくらいは、臥煙先輩への義理として引き受けたるわ」
033
監獄の裏庭に灯された、心許ないバケツの火。
しかし、影縫余弦に斧乃木余接という暴力的なまでの「正義」が加わったことで、絶望一色だった空気は、どこか奇妙な緊張感へと塗り替えられていた。
僕は、掌をじっと見つめる。
脳内に焼き付いたあの情報の断片。
もし、扇くんの言う通り、僕が自分自身の運命から逃げているのだとしたら。
僕に刻まれた「何か」と向き合うことこそが、唯一の脱出路になるのではないか。
「……なぁ、皆。ちょっといいか」
僕は、頭の片隅に、いや、網膜の裏側にずっと焼き付いていた光景を現実に引きずり出すことにした。
「阿良々木君、どうしたんや。急に真面目な顔して。自首するんやったら、一発ドツいてからにしてやるけど」
影縫さんが腕を組み、鋭い眼光を向けてくる。
「いえ……自首は保留です。それよりも、確かめたいことがあって」
……リベンジは僕が果たす。
僕はポケットからマジックを取り出すと、記憶を頼りに、左腕の肌へその「文字」を書き写し始めた。
鋭利で、幾何学的で、しかしどこか流麗な、この惑星の言語体系には存在しない記号の羅列。
「……暦、何をしているの?」
ひたぎが怪訝そうに覗き込む。
書き終えた腕を、僕はバンブルビーと双子の前に突き出した。
「君たち、これ読めるか? 」
僕の言葉に、身を乗り出したのはスキッズだ。
「あ〜、それ。……多分あれだ。サイバトロン語。それも、すっげぇ古臭いタイプだぜ」
「はぇ~。何だかすっげぇな」
マッドフラップが身を乗り出し、僕の腕を食い入るように見つめる。
「何かの意味があるはずなんだ」
僕は縋るような思いで言葉を繋ぐ。
「重要なメッセージとか、地図とか……あるいは、エネルゴンの在り処とか」
僕は期待を込めて聞いた。これが、この絶望的な計算式を解く「変数」になるかもしれない。
すると、スキッズは緑色の頭をポリポリと掻きながら、気まずそうに目を逸らした。
「悪ぃ、俺らあんまり字読まないんだ」
……こんな時にロボットの識字率の低さを嘆く羽目になるとは思わなかった。
「……じゃあ、誰か読める奴を探さなきゃ。オートボットに、心当たりはないか?」
僕がビーに尋ねると、彼は悲しげに首を横に振った。
アイアンハイドやラチェットととは未だに連絡が取れていない。
「……そうよ。あいつ。あいつなら、知ってるはずよ」
不意に、老倉が何かに弾かれたように声を上げた。
彼女の目は、恐怖でも怒りでもなく、何か確信に基づいた光を宿していた。
「『あいつ』ってなんや、老倉ちゃん」
影縫さんが斧乃木ちゃんの指の上から問いかける。
「異星言語学者の知り合いでもおるんか? それとも、おどれの得意な数学で解読できるっちゅうんか?」
「学者、学士と言うよりかは、戦士ね」
「戦士?」
僕がオウム返しに聞くと、老倉は珍しくニヤリとして答えた。
「『ロボ・ウォリアー』よ」
034
翌日。
世界中から指名手配され、エイリアンの親玉から名指しでデッド・オア・アライブの宣告を受けた僕たちは、バンブルビーと双子のシボレーに分乗し、ニューヨークの喧騒へと滑り込んだ。
僕の影の中には忍が潜み、バンブルビーの運転席には僕と戦場ヶ原、そして神原が座っている。
一方、緑のシボレー・ビート――スキッズの方には、影縫さんと斧乃木ちゃんが平然と乗り込んでいた。
「おいおい、嬢ちゃんたち。俺のシートは高級なんだぜ? 泥靴で上がんなよな!」
「黙れ、付喪神。おどれは黙ってタイヤ回しとればええんや」
「ひぇっ……」
影縫さんの一喝で、あんなに騒がしかった双子の一角が静まり返る。暴力的なまでの沈黙。
物理法則を拳でねじ伏せる陰陽師を乗せた車が、どんな走りを見せるのか、僕は少しだけ同情を禁じ得なかった。
道中は、拍子抜けするほど静かだった。
僕たちを執拗に追い回す「目」はいまのところ感じられない。
ビーの後部座席で、老倉は窓の外を流れる摩天楼の影を見つめながら、独り言のように話し始める。
「……ロボ・ウォリアーは、エイリアンのことなら何から何まで把握しているはずよ。推論じゃない、これは確信。前に食飼さんが奴のサイトをハッキングしたことがあったの」
「随分と命知らずね」
ひたぎが、バックミラー越しに老倉を薄く笑った。
「ええ。その時、ほんの一瞬だけアクセスできた非公開ディレクトリに、画像ファイルがあったの。阿良々木、あんたの腕に書かれたあの不気味な記号みたいな画像がね。奴なら、それが何なのかを知っているはずよ」
僕たちは、ブルックリンの喧騒から少し外れた通りに車を停めた。
パーカーのフードを被り、人相を隠す。
「うちらは外で見てるわ。中入って機械の油臭い話聞くより、外気浴びてる方が性に合っとる」
影縫さんはそう言って、斧乃木ちゃんを連れて通りの消火栓の上にヒョイと音も無く飛び乗った。
通行人が二度見している。
「影縫さん、目立ちますよ」
「おっと。ほな、これでも使うか」
そう言うと影縫さんは自身と斧乃木ちゃんの額に、何やら古びた札を貼った。
「それは?」
「蝮の怪異『魔無視』。大学時代に忍野君と貝木君とうちが悪ふざけで作った認識阻害の札や。こんな所で使うとは思わへんかったけどな」
「はぁ…」
僕こそ、こんな所で忍野や貝木に助けられるとは思わなかった。
忍野はともかく、貝木にまた助けられたと言うのが些か心外だが。
「……ここよ」
老倉が通りの店を指さす。
デリカテッセン。
「……デリカね。いい隠れ家だ。情報のハブにするには、これ以上ないほど無機質で、かつ人間臭い」
老倉が先陣を切って店内に踏み込む。
ドアに付けられたベルが、カランカランと乾いた音を立てた。
店内は昼時を過ぎているというのに、異様な熱気に包まれていた。
肉を蒸す熱気と香辛料、そして罵声に近い活気で満ちている。
カウンターの奥で、エプロンをつけた細身の男が、まるで千手観音のような手つきで次々とサンドイッチと客の両方を捌く。
「はい、四十二番のお客さん! キシュカ、クニッシュ、カーシャ、バーニシュカにクレプラハのコンボ、お待たせ!キャッシュのみだよ!次!」
「鮭は塩に漬けてからスモークしろって言っただろ! 」
「ママ、手ぇ切ったらどうするんだよ?ニンジャ並みのナイフコレクションだ。芸術だろ?外科医だってこれほど正確には切れないぞ!」
「せっかくの魚が台無しだよ!」
男は母親らしき女性と怒鳴り合いながらも、魚を切っていく。
その時、列を無視してカウンターに手を伸ばした体格の良い老人がいた。
「おい、俺のが先だろ、早く――」
バシィッ!
男が、信じられない速度で老人の手を叩いた。
「おい猿、番号札を取れ。ここは法治国家だ、列に並べないなら動物園に帰りな!」
老倉が迷うことなく、正面に立つ。
「……『ロボ・ウォリアー』。知ってる?」
男の手がコンマ数秒、止まった。
けれど、彼はすぐに鼻で笑い、解体を再開し始める。
「知らないね。お嬢ちゃん、そのアクセントからするに日本人か。クスリでもやってるなら早めに目を覚ましな。せっかくの可愛さがもったいないぞ」
「とぼけないで。じゃあ、『超リアルスクープドットコム』は?」
「あ〜……」
男がようやく顔を上げ、老倉を凝視した。
「あの素人集団が運営してるブログのことか。あそこのセキュリティはゲームボーイ並みだ」
「ロボ・ウォリアー……!」
老倉が食い下がろうとしたその時、僕とひたぎ、そして神原が店内に足を踏み入れた。
「こいつよ! こいつ! 絶対こいつよ!」
老倉がカウンターの男を指差す。
僕と、その男の目が合った。
「そんな……」
男が呟く。
半年という月日は、ある種の人間にとっては熟成期間であり、ある種の人間にとっては腐敗期間だ。
カウンターの中にいたのは辛気臭く、胡散臭く、そして――半年前より輪をかけて人間臭くなっている男。
「……冗談だろ」
僕の口から、乾いた声が漏れた。
シーモア・シモンズ。
元・秘密機関セクター7の捜査官。
陰険極まりない眼光は、少しも変わっていなかった。
「……みんな!閉店だ! さあ帰った帰った! 全員外だ! 保健所の抜き打ち検査だと思え!」
シモンズが豹変したような剣幕で叫び、客たちを力尽くで追い出し始めた。
「おい、まだ食ってる途中だぞ!」
「金なら返してやる、ほら、二倍だ! 釣りはいらん、命を大事にしろ!」
あっという間に閑散とした店内に、揚げ物の匂いと気まずい沈黙だけが残る。
「ちょっと待って、知り合いなの? 阿良々木」
老倉が不信感に満ちた目で僕とシモンズを交互に見た。
僕は少し迷ったあと答える。
「……古い友達」
「『友達』……?お前の、いや、お前たちのせいでセクター7が潰れたんだぞ!?お陰でこっちはクビだ。もう、機密アクセス許可も退職金も出やしない。今じゃこうして、肉をスライスして余生を過ごす毎日だ。お前のせいだぞ、阿良々木。 それにそっちの毒舌な彼女もだ。前より随分と垢抜けたじゃないか、戦場ヶ原ひたぎ」
シモンズが忌々しげに、しかしどこか懐かしむような歪な笑みを浮かべた。
「ボンクラ! アマダイは何処にやったの!? 」
奥からシモンズの母親の怒声が響く。
「おい! 豚をぶつけるんじゃねぇ! 脂身が飛ぶだろ!」
「ヤコフ! ただじゃクリスマスのボーナスは出ないぞ? オシャレな新しい歯を入れたいんだろ?」
ヤコフと呼ばれた従業員が、怒りを込めて肉をハンマーで叩いた。
「俺の夢だ!」
「じゃあ働け! 」
怒号が飛び交う厨房の光景に、ひたぎが冷めた視線を送る。
「……ママと同居してるの?」
「いや。ママ『が』俺と同居してるんだ」
シモンズがムキになって言い返す。
すると、その横で老倉がポツリと、消え入りそうな声で呟いた。
「……居るだけいいじゃない。同居でも、なんでも……」
その言葉の重みに、一瞬だけ場の空気が凍りついたが、シモンズはすぐに鼻を鳴らして話を戻した。
「それよりも阿良々木、お前は今、全米全世界のスターになってるようだな?テレビに出ずっぱりだ。NBE-1はまだ生きてるのか?何があった?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に僕が口を開く前に、シモンズは手を挙げて押しとどめる。
「聞きたくない。何を隠してるのかは知らんが、関わりたくもない」
「聞いてよ――」
「やなこった。俺はここで、ベーグルにバターを塗って平和に暮らすんだ。二度と俺の前に顔を出すな。消えろ。周りのハーレム一行も連れてな」
「五秒でいい。力を貸してほしいんだよ」
僕が食い下がると、シモンズはおちょくるように眉を動かした。
「ほぉ~。『私の力を貸してほしい』?」
「頼む。僕、正気じゃ無くなってきてるんだ」
「元からじゃないのか?こんなに女を連れて」
痛い指摘だった。
「……それはともかく。僕は昨日からひどい目に遭ってるんだ。蟹ロボットに脳味噌を弄られて、冒涜的な機械をブチ込まれて、挙句の果てに変なエイリアンの文字を映画みたいに写せるようになった。おまけに世界中から指名手配されて、家族はパリで連絡が取れない。拉致されたかもしれない。これでもまだ、可哀想だと思わないのか?」
シモンズの目が、かつての「捜査官」の鋭さを取り戻した。
「……頭の中のイメージを写せるのか?」
「ああ。目の前にあるみたいに、鮮明に」
シモンズはそれを聞くなり、バックヤードの奥を指し示した。
「貯蔵庫へ!来い!」
035
僕はシモンズに促されるまま、一旦外へ出て、建物の裏手で待機していた影縫さんと斧乃木ちゃんを呼び戻した。
「影縫さん、斧乃木ちゃん。中に入って。協力者がいた」
「協力者? 阿良々木君、こんな油の臭い店に、まともな術師がおるようには見えへんのやけど」
影縫さんは怪訝そうな顔をしながらも、斧乃木ちゃんに肩車してもらい、再びデリの店内へと足を踏み入れた。
シモンズは、戻ってきた僕たちを無言で店の奥へと導いた。
そこは巨大な業務用冷凍庫だった。
重厚な鋼鉄の扉が開くと、一瞬で体温を奪うような、ヒンヤリとした空気が這い出してくる。
「……死んだ豚よ」
ひたぎが、天井から吊り下げられた巨大な肉塊の列を見て、短く、そして冷酷に評した。
「うっ……」
「へっ、潔癖症のお嬢ちゃんには毒だったかな」
老倉が鼻を抑えて顔を背けるが、シモンズは構わずに冷凍庫の奥へと進み、周囲を警戒しながら声を潜めた。
「いいか、これから見せるのはトップシークレットだ。……ママには言うなよ」
シモンズが床のタイルに偽装されたレバーを引くと、天井の一部がスライドし、隠しハッチが現れた。
ガコン、という重い金属音とともに、埃を被った折りたたみ式の階段が姿を現す。
「豚インフルが怖いわね、不衛生極まりないわ」
老倉が毒づきながらも、僕の後について階段を登った。
「これで分かったろ、阿良々木。食われていくヤギや豚にも、裏には悲しい物語があるんだ。感謝しなくちゃな。お前たちの国で言う『イタダキマス』ってやつだ。……もっとも、今からお前が見るものは、感謝どころか呪いたくなるような歴史だがな」
階段を登りきった先は、屋根裏を利用した秘密の司令部だった。
壁一面にはぎっしりと古い本棚が並び、その片隅には――。
「……っ!?」
僕は息を呑んだ。
ガラスケースの中に、かつて僕たちを執拗に狙ったディセプティコンの工作員、フレンジーの頭部が、標本のように鎮座していた。
「これは……死んでいるのか?」
神原が興味津々に覗き込む。
「完全に沈黙している。予備電源も抜き取った」
部屋の隅に置かれた年代物のブラウン管テレビには、ノイズ混じりのニュース映像が流れていた。
『――政府高官は依然として沈黙を保っていますが、エイリアンが実在するという事実は、もはや隠しきれるものではなく――』
「これ、動くの?」
斧乃木ちゃんが、フレンジーの頭部に無造作に手を伸ばそうとした。
「おい、放射能があるぞ。触るな!」
シモンズが血相を変えて制止するが、斧乃木ちゃんは「放射能? 何それ、美味しいの?」と言わんばかりの冷めた視線を返すだけだった。
「というか、君たちは何なんだ?さっきから物理法則を無視しているようだが。ニンジャか?」
シモンズが影縫さんを一瞥するが、彼女は「うちは陰陽師や」と取り合わない。
シモンズはデスクに積み上げられた膨大な資料の中から、一冊の古いファイルを抜き出した。
「それで? 『キューブ頭』の阿良々木君。この中にお前が見たマークはあるか?」
シモンズがファイルをめくる。そこには、スケッチや写真が所狭しと貼り付けられていた。
「……どこでこれを?」
僕は震える指で、そのページを指した。そこには、僕の脳内にあるものと酷似した、あの幾何学的な記号が記されていた。
シモンズは梯子を使って壁際の上段へと手を伸ばし、さらに重厚な資料を引っ張り出した。
「クビになる前に、セクター7のお宝を失敬したのさ。七十五年に渡るエイリアン捜査資料。そいつは一つの事実を示している。トランスフォーマーは、つい最近やってきた客じゃない。奴らは遥か昔から、この星に存在していたのさ」
シモンズは分厚いファイルを、重い音を立てて僕の前のテーブルに投げてよこした。
「その根拠に、考古学者が世界中の遺跡でこの謎のマークを発見している。中国、エジプト、ギリシャ……」
僕の喉が鳴った。そこにある写真は、どれも歴史の教科書で見たことがあるような、世界各地の古代遺跡のものだった。だが、その隅々には、僕の右腕に書いたものと酷似した幾何学模様が刻まれている。
シモンズは部屋の隅にあった古い映写機を起動させた。
カラカラとフィルムが回り、不鮮明な映像が壁に映し出される。
「1932年。お前が見たマークだろ?」
映像の中には、砂漠の遺跡に深く刻まれた、あの幾何学的な記号が映っていた。
「どうして世界中に同じマークがあるのか……エイリアンだ。地球に残った奴らもいる」
シモンズは次々と写真を取り出した。
T型フォードや1950年代の古い旅客機、あるいはただの蒸気機関車。
「『プロジェクト・ブラックナイフ』。ロボットは姿を変え、ずっと隠れてきた。放射線反応はアメリカだけでもあちこちに確認されている。私はセクター7時代、これをもっと精査させてくれと長官に頼み込んだ。だが奴らは『反応が微弱すぎる』『ただの測定エラーだ』と言って、私の提案を却下した。私の妄想だと言ってな!」
「……エネルゴンの源が、もう一つあるって聞いたんだ。僕の頭の中の文字は、その在り処を示している」
僕の言葉に、シモンズの顔から余裕が消えた。
「地球に? ……オートボットにその話はしたか?」
「いや。オートボットよりもずっと古い。その遥か昔から、そのエネルゴンの源は存在していたんだ」
「そうか……どん詰まりだな。ディセプティコンにでも聞くか?知り合いはいないが……」
「……私、いるわ」
不意に、ひたぎが静かに、しかし断定的な声を出した。
僕たちは一斉に彼女を振り返る。
「戦場ヶ原さん、あなた何言ってるのよ? まさか、あの銀色の化け物とLINEでも交換したっていうの?」
老倉が呆れたように言うが、ひたぎは無言でバンブルビーの元へ戻り、トランクから厳重にロックされた鉄製のボックスを持ち出してきた。
テーブルの中央にボックスが置かれる。
「少し離れて」
ひたぎがロックを解除すると、中からギャアギャアと騒がしい声と共に、小型のロボットが飛び出してきた。
小型ディセプティコン、ホィーリー。
彼の細い首には、ひたぎがどこからか調達してきた犬用の頑丈な鎖が繋がれている。
「それディセプティコン? いつの間に躾けてたの!?」
老倉が今日一番の驚愕の表情で叫ぶ。
「躾けたというか、利害の一致ね。ねえ、ホィーリー?」
「今のところ俺にメリット無いんだが?」
「まだ死んでいないというメリットがあるじゃない」
そんな調子のひたぎとホィーリーを見て、シモンズが顔を引き攣らせる。
「……エイリアンの排除に半生かけてきたのに、ペットのチワワみたいに鎖で繋いで……」
「何だと、やる気か? このチリチリアフロ頭! 脳味噌をスライスしてサンドイッチの具にしてやるぞ!」
ホィーリーが鎖をガシャガシャと鳴らし、シモンズに向かって威嚇する。
「……目の事はごめんなさいね。でも、もう一方の目も綴じられたくないのなら、私たちが知りたいことを話しなさい。……お願いできるかしら?」
ひたぎの「お願い」は、ホィーリーにとって死刑宣告に等しかったらしい。
「わ、分かったよ、お嬢様! 何でも言うよ! 頼むからその尖った凶器をこっちに向けないでくれ!」
ホィーリーは、シモンズが突き出した資料の写真を、唯一残った光学センサーをカシャカシャと動かして凝視した。
「……知ってるぜ、こいつは『プライム』の文字だ。読めないけど、コイツらは知ってる。一体どこでコイツらの写真を見つけたんだ?」
「コイツら?」
僕はホィーリーの言葉を繰り返した。
「ああ。『シーカー』たちさ。最も古い存在だよ。何千年も前に、何かを探しにやってきた。何を探してたのかまでは俺も知らねえ。そいつらならその文字読めるだろ。居場所知ってるぜ?」
「教えろ」
シモンズが、食い入るようにホィーリーに詰め寄る。
「さあて、どうしようかなあ……。俺をこんな箱に閉じ込めて、タダで情報を渡せってのか? 俺にもディセプティコンとしてのプライドが――」
ひたぎが、ポケットからカッターナイフを取り出し、チキッ、と刃を一段階出した。
「冗談だよ! 冗談だって! 勘弁してくれよ、今すぐ吐き出すから!」
ホィーリーの目から、何本もの細い緑色のレーザー光線が勢いよく飛び出した。
光は部屋の壁に貼られていたアメリカ全土の地図を走り、地図上の数箇所に小さな光の点が投影される。
「……一番近いのは、ワシントンだ」
シモンズが、地図の一点を指差して鋭く言った。
次回豫告
「戦場ヶ原ひたぎ様です」
「神原駿河だ!」
「「二人合わせてヴァルハラコンビ!」」
「ふふ、この掛け合いも慣れてきたものね」
「そう言ってもらえると嬉しいぞ、戦場ヶ原先輩!……ところで先輩はサグラダ・ファミリアがもうすぐで完成だという話は聞いただろうか?」
「メインの『イエスの塔』の話ね。建設開始から百四十四年、設計者であるアントニ・ガウディ氏の死後百年が経ち、ようやく漕ぎ着けたらしいじゃない」
「さすが戦場ヶ原先輩、耳が早いな!しかし、あれって何語で、どういう意味なのだ?『ファミリア』が『家族』的な意味で、場所的にスペインの言葉なのだろうという事くらいしか分からないが……」
「それについては大方合っているわ。正確にはカタルーニャ語で『聖なる家族』。スペイン語とはまた違う言語だけど、スペインで話されている言語ではあるから、まあ、あなたの予想は正しいわよ」
「おお、先輩に褒められた!結構嬉しいぞ!そうすると、『サグラダ』が『聖なる』に当たるのだな?」
「ええ。元々あれはイエス・キリスト、聖母マリア、養父ヨセフの聖☆おにいさん三人家族の為に建てられた教会なのよ」
「なるほどなぁ。私が初めて知った時は、サクラダ・ファミリアと聞き間違えて『サクラダ家って何だ?』と思ったものだ」
「そうなのね、私はファミリアの部分から『シルバニアファミリーの親戚か?』なんて思っちゃったりしたけども」
「その間違いは可愛すぎないか?」
「間違えたわ。正しくは、コルレオーネファミリーの競合マフィアかと思ってたわね」
「ベッドに馬の首が入ってる並みにおっかない間違えだな、それは……」
「「次回、こよみリベンジ其ノ陸!」」
「ちなみにサグラダ・ファミリアはまだ細部の工事が終わっていないみたいだから、その辺りは注意よ」