036
「スミソニアン航空宇宙博物館……私の夢の場所だ。宇宙飛行士になりたかったんだ……」
シモンズが、かつての少年の面影を微塵も感じさせない脂ぎった顔で、遠い空を見つめて呟いた。
「……」
「……」
ひたぎと老倉が、並んで信じられないものを見るような、あるいは道端の石ころの成分を分析するような冷徹な視線を彼に投げる。
「その体型と性格で、よくもまあそんなキラキラした夢を語れたものね」
「はっきり言って、あなたが宇宙に行けば宇宙飛行士の平均IQが低下するわよ」
「黙れ! 夢に重さは関係ないんだ!」
スティーヴン・F・ウドヴァー=ヘイジー・センター。
かつて人類が空へ、そして星へと抱いた野心の結晶が並ぶこの聖域は、夕闇に沈みつつある今も翼を広げた猛禽のような荘厳さを放っていた。
潜入に際して、僕たちはそれぞれ変形……じゃなくて「変装」を余儀なくされていた。
FBIが血眼で僕たちを探している以上、素顔を晒すのは自殺行為だ。
神原は大きなスポーツバッグを抱えた観光客風。
老倉は不本意そうにブロンドのウィッグを被り、影縫さんは「怪しい骨董品商」のようなコート姿だ。
そして――。
「……ひたぎ。一つ聞いてもいいか」
「何かしら、暦」
「……何で鼻眼鏡なんだ?」
黒い太縁の眼鏡に、不自然に大きな鼻と髭がついた、宴会芸の定番アイテム。
戦場ヶ原ひたぎという美貌の象徴がそれを装着している光景は、もはや怪異以上に超現実的だった。
「……弱った時にかけるのよ。人は滑稽なものを見ると、そこにある『真実』から目を逸らしたくなる性質があるの。……笑いなさい」
「笑えるか!情緒が不安定すぎるだろ!」
シモンズは、いつの間にかタクティカルな雰囲気を纏い、年代物のストップウォッチをカチリと鳴らした。
「さて、時計は合わせた。トイレも済ませた。もし捕まって弁護士の世話になっても、俺の名前は出すな」
「出さないわよ。むしろ他人のフリをするのに一秒もかからない自信があるわ」
老倉が毒づく中、彼はポケットから小さな銀色の包みを取り出した。
「こいつを舌の下に仕込んどけ。クッキーに入ってる高分子ポリマーだ。心拍と発汗を抑制する。これでウソ発見器を誤魔化せる」
「……味がしないんだけど」
「それが技術の結晶だ」
シモンズが腰から大型のスタンガンを抜き放つ。バチバチと青白い火花が暗闇で踊った。
それを見た老倉が、引きつった声を上げる。
「ちょっ、待ちなさいよ! 警備員は銃を持ってるのよ!? 私はただの大学生よ、エイリアンハンターじゃない――」
「おい、数学のお姉やん」
後ろから、影縫さんの低く威圧的な声が響いた。
「……ガタガタぬかすな。任務に失敗したら、死んだものと思えや。……うちの目を見ろ。腹くくれ」
「数学の証明より残酷な宣告をやめてちょうだい!!」
「まあ、精々宇宙ザルのエイブルにでも挨拶してくるんだな。……行くぞ」
『――閉館のお時間です。本日のご来場、誠に……』
館内放送のチャイムが鳴り響く。
それを合図に、僕たちの「ナイトミュージアム」攻略が始まった。
「標的発見、一人だ」
閉館後の薄暗い展示ホール。
シモンズがフライトジャケットを羽織り、展示されているフライトクルーのマネキン軍団の中に紛れ込んだ。微動だにしないその姿は、ある意味で本物以上に「無機質」だった。
コツ、コツ、と警備員の足音が近づく。
警備員がその前を、あくびをしながら横切り、背中を見せた瞬間。
「アディオス!」
電撃一閃。
バチィィッ!! と激しい放電音が響き、警備員が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「ふん……。俺の筋肉が、まだ現役であることを証明してくれたな」
「ただの闇討ちじゃない」
一方、別の通路では、斧乃木ちゃんが一人でトコトコと歩いていた。
「すみません、迷子です。出口を教えてください。……あと、人生の出口も」
「お、おい、お嬢ちゃん、こんな時間にどこから――」
警備員が斧乃木ちゃんに気を取られた瞬間、後ろから台車に乗った影縫さんと老倉、神原が、スケーターのような滑らかな動きで接近する。
「ええい、もうどうにでもなれぇ!!」
「恨みはないが覚悟!」
「あがががが――!」
老倉と神原が目を瞑りながらスタンガンを突き出し、警備員を感電させた。
だが。
「「「「あ」」」」
勢い余った老倉のスタンガンが、影縫さんを通り越して斧乃木ちゃんに直撃した。
火花が散り、斧乃木ちゃんのオレンジ色の服が静電気で逆立つ。
「……し、しびればびでぶー」
斧乃木ちゃんが、煙を吹きながら平坦な声で呪文のような寝言を漏らす。
「言うとる場合か! おどれ、式神の分際で何感電しとんねん!」
「……影縫さん、今のは明らかにあなたの慣性法則の把握不足よ……」
老倉が青い顔をしながらツッコんだ。
037
数分後。
合流した僕たちは、巨大な格納庫の中心で肩で息をしていた。
薄暗い照明に照らされた名機たちの影が、巨大な死神の群れのようにフロアに伸びている。
「警備員五人だ。五人倒したぞ。セクター7の黄金時代なら、今ごろ私は表彰台の上だったろうな」
シモンズがスタンガンをホルスターに収め、得意げに鼻を鳴らす。
「五人って……それ、明日ニュースになるレベルの重罪じゃないの?」
老倉が顔面を蒼白にしながら、ブロンドのウィッグを外した。
「安心しろ。電流の出力は『甘い夢を見る程度』に設定してある。……それより阿良々木、ブツを出せ」
僕は頷き、神原が持っていたスポーツバッグの中から、厳重に梱包された小さなケースを取り出した。
中には、あの日から僕の運命を狂わせ続けているオールスパークの「欠片」が収まっている。
僕はピンセットを使い、外科手術のような慎重さでその欠片を摘み上げた。
ひょっとしたら、今手にしているこれがこの世に存在する唯一の欠片なのかもしれない。
そのプレッシャーが僕の指を震わせる。
「それが『欠片』か。……言っておくが絶対に落とすなよ。ナイトミュージアム2の再来は御免だ。ベン・スティラーが来る前に終わらせるぞ」
「縁起の悪い冗談はやめてくれ」
シモンズが腰から奇妙な形状のスキャナーを取り出し、スイッチを入れた。
電子音が、静まり返った館内に波紋のように広がる。
ひたぎが、トランクから犬の鎖に繋がれたホィーリーを解放した。
「やっと自由の身だぜ……」
「静かに」
「はい……」
僕たちは二手に分かれ、巨大なハンガーの中を捜索し始めた。
僕は『欠片』をダウジングロッドのように前方に掲げ、展示されている無数の飛行機の間を縫うように歩く。
頭上には、第一次世界大戦の複葉機から現代の戦闘機まで、人類の空への執念が重なり合うように吊り下げられていた。
「……阿良々木、そっちはどう?」
横を歩く老倉が、ライトを頭上の飛行機に向けながら尋ねる。
「いや、今のところは。反応こそしてるけど……」
「こっちも駄目や。うんともすんとも言うとらん」
影縫さんは、展示されている飛行機の主翼から主翼へと、重力を嘲笑うような軽やかな跳躍で飛び移り、スキャナーをかざしていた。
「……お前様、懐かしい匂いがそっちからするぞ。相当な年寄りじゃな」
影の中から忍が出て、指を指す。
彼女が指した方向を見ると、ホィーリーもラジコンカーの姿でタイヤを鳴らして向かっているところだった。
「暦、後を追って。彼も何かを知ってるみたいよ」
ひたぎが呟き、僕たちはホィーリーを追って展示ホールの最奥へと急いだ。
二手に分かれていたチームが、広大なホールの中心、一際巨大な影の下に収束する。
その機体は、他の複葉機や戦闘機とは明らかに一線を画していた。
窓の無い鋭角な機首。
空気を切り裂くためだけに研ぎ澄まされた、長く、平べったいシルエット。
SR-71、ブラックバード。
マッハ3を超え、成層圏の縁を駆ける漆黒の偵察機。
まるで静止した時間が物質化したかのような、不気味なまでの静寂を纏っている。
シモンズがスキャナーをかざし、針が振り切れるのを見て絶叫した。
「お前も見たか!? こいつだ! ブラックバードだ……!」
ホィーリーが人型に変形し、その黒い巨体を見上げて、震えるような声を漏らした。
「おお……こいつだよ。伝説の存在なんだぜ? フランク・シナトラ並みのな。ほら、欠片をあてろ。魔法が始まる……!」
僕は唾を飲み込み、高く掲げた欠片を、ブラックバードの機首へと近づけた。
その瞬間。
「っ!?」
僕の手から欠片が弾け飛んだ。磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、欠片はブラックバードの装甲へと激突した。
バリバリッ!!
青白いスパークが機体全体を駆け巡り、静止していたはずの鋼鉄が、意志を持った筋肉のように脈動し始める。
「不味い!」
僕とひたぎは咄嗟に機体の下へと潜り込んだ。
火花が散る中、僕は見つける。
機体の底、分厚い鉄板の表面に刻まれた一つの紋章。
「……これ、ディセプティコンよ!」
ひたぎが叫ぶ。
「ディセプティコン……!? 」
「何や、敵か!?」
神原と影縫が身構える。
「……戦闘機の裏だ!隠れろ!」
シモンズが叫ぶのと同時に、巨大な機械音がホールに響き渡る。
「先輩方!」
神原が即座に飛び込み、僕らを抱えてブラックバードから離れる。
「阿良々木先輩、戦場ヶ原先輩、大丈夫か!?」
「なんとか……」
「……私もよ。……それよりも」
ガガガギギギッ! ガギィィン!
僕らの後ろでブラックバードの巨体が、物理法則を無視した音を立てて、組み変わり始めた。
だが、その動きはオプティマスやメガトロンのそれとは決定的に異なっていた。
「……遅い……?」
老倉が呆然と呟く。
パーツの一つ一つが、錆びついた歯車を無理やり回すように重く、軋んでいる。
巨大なエンジン部分が重々しく展開し、太ももを形成する。
コクピット部分がせり上がり、巨大な手がそれを押し上げると、そこから――。
まるで、長い眠りから無理やり叩き起こされた老人のような無骨な顔が現れた。
「……何だ、この墓場みたいな場所は?」
038
ブラックバードから変形した老兵が放つ威圧感は、もはや重力そのものだった。
彼は自身の質量を支えきれないのか、杖のようなパーツを床に突き立て、深い錆の浮いた関節を軋ませながら僕たちを睨みつける。
彼は機体の下に隠れていた僕たちを見つけると、光学センサーを不気味に明滅させる。
「答えろ! このゴロツキどもが! 出てこい!さもなくば俺の怒りを買うぞ!」
彼の声は、数世紀分の埃を被った蓄音機のように低く、不快なノイズを伴っていた。
「ひっ……!」
老倉が悲鳴を上げ、神原の背中にしがみつく。僕たちは観念して、戦闘機の影から這い出した。
見上げる先には、錆と漏れたオイルにまみれた、しかし圧倒的な威容を誇る古代の戦士が立っている。
「このちっぽけな脊椎動物どもめが! 害虫か? それとも、俺の燃料を盗みに来たコソ泥か!?」
ジェットファイアが苛立ちを露わにし、目の前に吊り下げられていたライト兄弟時代の複葉機を、ハエを払うような動作で叩き落とした。
その余波で、主翼の上で待機していた影縫さんがバランスを崩し、宙を舞う。
「……よっと!」
影縫さんは空中で身を翻すと、地上で待ち構えていた斧乃木ちゃんの頭の上に着地した。
「――見よ! ジェットファイア様の永遠の栄光を!RSオーバーライド用意!ゲホッ!」
豪快な宣言の途中で、彼は激しく咳き込み、口から煤けたパーツの破片を吐き出した。
「……彼、ボケてるのかしら」
ひたぎが冷徹に評した。
「……悪いやつじゃなさそうだけど、それ以上に頭のパーツが数個足りてなさそうね」
老倉がウィッグを抱えながら同意する。
ジェットファイアは独り言を喚き散らしながら、出口である巨大な鉄扉へと歩み寄った。
「命令だ! ドアよ開け! 発進シーケンス、マッハ5まで加速せよ!……発射!」
ガシャンッ!!
彼が苛立ちまぎれに扉を蹴り飛ばすと、機体に装備されていた古いミサイルが衝撃で誤射され、背後の展示ホールで派手な爆発音を響かせる。
「……発射だと言っているのに! 」
彼は破った穴から、夜の冷たい大気の中へと悠然と這い出していった。
巨大な輸送機が整然と並ぶ屋外展示場。彼はそれを障害物とも思わぬ足取りで蹴散らし、翼をへし折り、地面に深い爪痕を残していく。
「クソっ! 錆びつきやがって! 」
関節から火花を散らし、黒い煙を吐きながら、彼は杖代わりのランディングギアを土に突き立てる。
ヨタヨタと歩き去る漆黒の影を見て、シモンズが頭を抱えて叫ぶ。
「あぁ……博物館がカンカンに怒るぞ……! 弁償で俺のデリカテッセンが十回くらい潰れちまう!あの飛行機を捕まえなければ!」
すると、前方から眩いハロゲンライトの光が夜の静寂を切り裂いて迫ってきた。
キィィィィィッ!!
激しいタイヤの摩擦音と共に、バンブルビーのカマロと、双子のシボレーがドリフトしながら僕たちの前に滑り込む。
「確か……俺には任務があった。……何の任務かは思い出せないが……」
ジェットファイアは輸送機の翼を叩くと、呟いた。
この巨大な質量が、健忘症を抱えながら夜の街を徘徊しているという事実に、僕らは戦慄する。
「待って! 」
僕は叫びながら、彼の巨大な足元へと滑り込んだ。
「何の用だ!」
ジェットファイアは歩きながら光学センサーを細め、僕らを見る。
「話がしたいんだよ!」
「そんな暇はない! 任務がある!俺は雇われた傭兵だ。そもそも、ここは何という星だ?」
「地球!」
「『チキュウ』? ひどい名だな。もっとマシな名前はなかったのか。……この名前の方がいいな、『泥の惑星』だ」
彼は地面の土を忌々しげに踏みつけると、深い溜息のような排気音を漏らした。
「それで、ロボット同士の争いはまだ続いているのか? 勝っているのはどっちだ?」
「……ディセプティコンだ」
僕が答えると、ジェットファイアは「ペッ」という金属音がしそうな動作で、派手に火花混じりのオイルを地面に吐き捨てた。
「……俺はオートボットの側に鞍替えした」
「どういうこと? あなた、さっきまでディセプティコンの紋章をつけていたじゃない」
斧乃木ちゃんが、無表情にジェットファイアの胸の傷だらけのエンブレムを指差す。
「選ぶのだ。どちらの陣営につくかは個人が決めること。もう憎しみは沢山だ!そんな生き方などしたくない!」
その言葉に、ひたぎの足元で震えていたホィーリーが、ガタリと身を乗り出した。
「……じゃあ、別にディセプティコンにつかなくてもいいってことか? 辞表を出しても、上司にレーザーで焼かれないのか?」
「ディセプティコンを放っておいたら、全宇宙が滅びるだけだ」
ジェットファイアが杖を突き、ホィーリーを見下ろす。
ホィーリーは一瞬だけ考え込むような仕草を見せると、即座にひたぎの方を向いた。
「決めた! 俺も鞍替えする! 今日から俺はオートボット……いや、このヴァルキューレ様につく!」
「あら、物わかりのいい子ね」
ひたぎが薄く微笑むと、ホィーリーは文字通り「犬」のように彼女の足元に擦り寄った。
「……なんで足に触らせてるの?」
僕が唖然として尋ねると、ひたぎは断言した。
「少なくとも、この子は浮気はしないわ。死の恐怖という名の愛情で縛ってあるもの」
「ああ、浮気しないけど裸だし、神原とは別方面の変態だよ?」
僕の指摘が終わるより早く、老倉が容赦のない蹴りをホィーリーに叩き込んだ。
「ぎゃっ!? 何すんだよ数学女!」
「気持ち悪い。二度と私の視界で発情しないでちょうだい。虫酸が走るわ」
「……で、何の話やったっけ?」
影縫さんが呆れたように割って入る。
その瞬間、ジェットファイアがいきなり腕を地面に叩きつけ、凄まじい地響きを立てて僕たちを威圧した。
「俺はジェットファイアだと言ったんだ! 文句はつけさせないぞ! 」
「こいつ、クソみたいに寝起きが悪いな……」
ホィーリーが怯えながら呟く。
「俺が情緒不安定なのは母親が悪かったんだ! 先祖は何世紀も前からこの星にいた。 父親が変形したのは車だった。世界初のな! その後、何に変形したと思う!?」
シモンズがやけくそ気味に問い返す。
「知るか! 洗濯機か何かか!?」
「違う!変形しなかった!」
ジェットファイアは誇らしげに胸を張る。
「だが、誇りを持って、そうしたのだ! それこそが気高い生き様だということが、お前ら若造に分かるか!」
その時、ジェットファイアが激昂して杖を振り回した拍子に、背中の装甲から巨大なオレンジ色のパラシュートがボフッ! と無造作に展開した。
「ぬわぁっ!?」
風に煽られ、老兵の巨体がカメのようにひっくり返る。
凄まじい衝撃とともにアスファルトが砕け、彼は手足をバタつかせながら無様に呻いた。
「おい、おじいさん大丈夫?」
「ああクソ、俺のブースターが焼き焦げちまったじゃないか! 」
僕は呆れ半分で、ひっくり返った彼の顔の近くまで駆け寄った。
「お互い助け合おう。そっちが知らないこと、こっちは知ってるし。僕たちは答えを探してるんだ」
「いや阿良々木先輩。この人、何も知らないんじゃないか?」
神原が心配そうに僕を見て言った。
僕は足元に落ちていた、ジェットファイアの体から剥がれ落ちた黒い金属の破片を拾い上げる。
そして、月明かりの下で、地面に大きく無数の「文字」を書き記した。
「……頭の中に、この『文字』の映像がはっきり浮かんでいるんだ。メガトロンはそれを狙ってる。……『ザ・フォールン』って奴も、僕の頭の中身を差し出せって言ってるんだ」
ジェットファイアの光学センサーが、カシャカシャと不気味な収束音を立ててその図形を凝視した。
彼は杖を突き立て、信じられないほどの速さで起き上がると、地響きのような唸り声を上げた。
「ザ・フォールン? 知っているぞ。俺をこの星に置き去りにした、最初のディセプティコンだ! 奴は神の如き力を持ちながら、その魂は虚無より暗い。ザ・フォールンの行く所、全てが破壊され滅びる!」
彼は僕の書いた図形を指差し、轟く声で続けた。
「この文字は奴が俺に命じた任務だ……! 思い出したぞ! 『ダガーの剣先』と…それに『キー』だ!」
「ちょっと待ちなさい。何の事だか――」
ひたぎが制止する間もなかった。
ジェットファイアは興奮を抑えきれない様子で、その巨大な手で僕たちを包み込む。
「説明してられん! 奴らに見つかる前に、場所を変えるぞ! お前たちが知りたい真実は、砂の中に埋もれている!」
バチバチッ!
彼の全身から、青白いスパークが迸り始める。
「……っ!?」
見覚えがある。
昨日、日本から一瞬でアメリカへと拉致された時にも、こういうのを見た。
スカイワープと呼ばれていたディセプティコンが発していた、あの時空を歪めるスパークだ。
「阿良々木、猛烈に嫌な予感がするんだけど――」
老倉が僕の腕を掴んで絶叫する。
「しっかり捕まっていろ! じっとしていないと死ぬぞ!」
ジェットファイアが吠えた次の瞬間、世界の色彩が反転した。
重力は消え、代わりに強烈な吐き気が脳を突き抜ける。
バンブルビーや双子の車たちまでをも光の渦に巻き込み、漆黒の老兵は空間そのものを力任せに引き裂く。
そうして僕たちは、人生二度目の時空間移動を果たした。
……それにしても今回、『二回目』がやたら多い気がするのは気のせいか?
039
視界が裏返り、三半規管がデッドヒートを起こし、全身の細胞が一度バラバラになってから雑にボンドで補強されたような、最悪の感覚。
二度目となれば慣れるかと思ったが、そんなことはなかった。むしろ、この不条理な移動手段に対して脳が全力で拒否反応を示している。
ドォォォォォォォン!!
僕たちの着陸は、もはや「到着」などという風雅なものではなかった。
荒々しい岩と砂が広がる不毛の大地。
鉄の塊と人間がまとめて射出され、地面がダイナマイトでも仕掛けられていたかのように派手な土煙を上げて爆発する。
「ぶほっ……! げほっ、ごほっ!!」
僕は勢いよく顔面から砂地へとダイブした。
陽光が目を刺し、口の中がジャリジャリする。
僕のすぐ隣ではバンブルビーも同じように無様に転がり、その黄色い装甲を砂まみれにしていた。
「……ビー、生きてるか?」
カチカチッ、という力ない電子音。どうやらあっちもマシンの限界を超えたジャンプに、システムが悲鳴を上げているらしい。
砂を吐き出しながら顔を上げると、そこにはおよそスミソニアン博物館があったワシントンD.C.とは似ても似つかない、見渡す限りの赤茶けた岩山と砂漠が広がっていた。
少し離れた場所では、さらにシュールな光景が展開されていた。
逆さだ。
斧乃木ちゃんが、まるでどこかの湖に突き刺さった昭和のミステリー映画の被害者のように、砂漠のど真ん中で両脚だけを地上に出して「スケキヨ」状態で垂直に突き刺さっている。
そして、その安定感抜群な足の裏に、着地している影縫さんの姿。
砂丘を転がり落ちていたシモンズがふらふらと立ち上がり、乱れたフライトジャケットを直しながら周囲を見渡した。
「……砂だ。見渡す限り砂と岩。ベガスか?……おい、阿良々木、無事か?」
「僕は……なんとか。でも、あっちが……」
僕が指差した先では、神原が砂の上で仰向けになり、その上に重なるようにしてひたぎと老倉が倒れ込んでいた。
「はっ……! 右手に戦場ヶ原先輩の柔らかな感触、左手に老倉先輩の……意外と発育のいい曲線美……! こ、これはご褒美か!? このまま圧死しても悔いはない……! だが、できれば上からどいてもらえるとありがたい……!」
「ちょっと黙りなさい神原。あなたの妄想のせいで砂漠の湿度が上がっているわ」
「……ちょっと、誰でもいいから降ろして。気持ち悪い。今ここで吐いたら、私の乙女としてのプライドがこの砂漠に埋没するわ……」
「ああ……クソっ、まあまあだったな。違う星じゃないといいんだが……」
岩山の上では、諸悪の根源である漆黒の老兵が、重々しく杖を突き立てていた。
自分がどれほどの無茶をしたか微塵も反省していないその態度に、僕は文句を言う気力すら失う。
「適当なこと言ってんじゃないわよ!!」
老倉が砂を蹴り上げて絶叫した。
「……どこよ、ここ」
ひたぎが立ち上がる。
彼女の瞳には明らかな不機嫌の色が宿っている。
「おーい! 皆無事かよ!」
「うるせぇマッドフラップ! 足踏むな!」
マッドフラップとスキッズが喧嘩をしながら砂山を滑り降りてくる。
僕たちは、ワシントンD.C.から一瞬にして、文明の音が一切聞こえない「世界の果て」へと放り出されていた。
全員が這いずり回り、ようやく一箇所に集まる。
シモンズは、タクティカルパンツを砂にまみれさせながら、誇り高き元捜査官としてのプライドの欠片を拾い集めるように叫んだ。
「――死ぬほど痛かったぞ。 磁場の反転で内臓がシェイクされた気分だ。私が無事でラッキーだと思え! 死んでたかもしれないんだぞ! もし私に何かあったら、ママがただじゃ置かないからな!」
「黙れ。スペースブリッジを開くと言っただろ。エジプトに行くにはこれが一番早い」
「『言っただろ』!? 何も聞いてないわよ! 何でいきなりエジプトなのよ! 説明をしなさいよ、このポンコツ!」
ジェットファイアが錆びた音を立てて鼻を鳴らすと、老倉が抗議した。
「ええい、うるさい。キャンキャン吠えるな人間。情報は与えた。着いたのだから文句を言うな」
「……おいおい、二人とも落ち着こう」
僕は二人の間に割って入った。
「ジェットファイア、何でエジプトなんだ? 納得できる理由があれば、この状況も少しは飲み込める」
ジェットファイアは、赤い光学センサーを収束させ、遠くにピラミッドがそびえ立っているであろう砂漠を凝視した。
「――我が種族は大昔、この星を訪れた。何千年も前、ある使命を帯びてな。その使命とは、我らの命の源である『エネルゴン』を探すことだ」
「……ちょっと待ってくれ。その頃はオールスパークがあったんじゃないのか?」
神原の問いに、老兵は深い溜息のような排気音を漏らす。
「偉大なる『キューブ』のことか。だが、あれはあくまでも命を『生み出す』ものに過ぎん。我らが生き続けるためには、別個に膨大なエネルギー源が必要なのだ。……それが無ければ、俺たちは錆びついて滅びる。今の俺のようにな! バラバラになりながら、意識だけがじわじわと死んでいく気持ちが、貴様らに分かるか!?」
ジェットファイアはパーツを落としながら、杖を振り回した。
「とんでもなくヒステリックじゃの。お前様の極小の妹御よりもひどいわ」
影の中から忍が呆れたように呟く。
月火に失礼だから止めてくれ。
「もうちょっと分かるように話せ、先輩。……起承転結、事実を、詳細かつ簡潔に!」
シモンズが宥めるように手を振る。
「……かつて、先祖はこの砂漠の何処かに、ある強力なマシンを設置した。エネルゴンを効率的に、かつ大量に抽出するための装置だ。……恒星を破壊してな」
ジェットファイアは空を仰ぐ。
その言葉に、その場の空気が凍りついた。
「太陽を……?」
老倉の顔から血の気が引く。
「爆発させるんか? そんなん、地球どころか太陽系が終わりやないか」
影縫さんが厳しい表情で詰め寄る。
僕の脳裏では、半年前の記憶がフラッシュバックしていた。
高校卒業後の春休み。
ミスタードーナツの店内で忍と交わした、あどけない会話。
買ったばかりのボロいカマロが、宇宙から来た金属生命体だなんて夢にも思っていなかった頃。
『――太陽のエネルギーとあの車から発されているエネルギーは非常によく似ているのじゃよ』
あの時、忍がバンブルビーから感じた放射線の正体。
「……なるほどのう。それで、あの時太陽のエネルギーと似ていると感じたのか」
忍が僕の影から顔を出し、納得したように頷いた。
その時だった。
ブゥゥゥゥゥゥン!!
空を引き裂くような、旧世代のエンジン音が頭上から降り注いだ。
見上げると、スミソニアンで吊り下げられていたような第一次世界大戦の複葉機が、信じられない機動で旋回している。
主翼には不本意にも見慣れてしまったディセプティコンの禍々しいマークが。
機体から金属が組み替わる音が響き、それは不格好なトランスフォーマーへと変形する。
「さぁ、ジェットファイア! ここで会ったが百年目だ! 逃がしはせんぞ。かつての裏切り……決闘の決着をつけてもらおう――」
「黙れランサック」
ジェットファイアが吐き捨てるように言うと、同時に彼が杖として使っていたパーツが、一瞬で巨大な「斧」へと変形する。
ドシュッ!!
何の感傷もなく、老兵が振るった一撃が、飛来したディセプティコン――ランサックの頭部を一刀両断した。
火花とオイルが砂を汚し、ランサックの残骸が岩場に叩きつけられる。
彼が語っていた「決闘」は、あまりにもあっさりと決着がついた。
唖然とする僕たち。
「……ええい、話が逸れた。どこまで話したか……そうだ。かつて、七人の『プライム』が存在した。我が種族の初代リーダーたちだ」
何事も無かったかのように、ジェットファイアが語りを再開する。
「彼らはエネルギーとなる恒星を求め、宇宙を旅した。探索の掟は一つ。『生命体のいる星は滅ぼさぬこと』。だが、掟を破ろうとした者がいた。地に落ちた者。そいつの名は『ザ・フォールン』」
老兵が錆びついた掌を掲げると、そこから掠れたホログラムが投影された。
それは、六人の兄弟に背を向け、燃え盛る恒星を背負った禍々しい影。
古代の憎悪が形を成したかのようなその姿に、僕は本能的な恐怖を覚える。
「奴は地球人を蔑み、滅ぶのも構わず、マシンを起動しようとした。だが起動するためには、ある伝説の『キー』が必要だ。『リーダーのマトリクス』と呼ばれるキーが」
ホログラムは険しい岩山を舞台にした、熾烈な死闘の光景へと変わる。
「――マトリクスをめぐって激しい戦いが繰り広げられた。ザ・フォールンは他の兄弟よりも強かった。だから兄弟たちは鍵を盗み、隠すしかなかった。彼らは自ら命を投げ出し、その亡骸で作った墓に封印したのだ。……その墓の在り処は、誰も知らない」
語り終えた老兵の肩が、悲痛な軋みを上げる。
「今も、この砂漠の何処かにあの恐ろしいマシンが眠っている。ザ・フォールンはその場所を知っている。奴がプライムの墓を見つけたら、お前達の星は滅びることになるだろう」
「ど、どうやって止めるのよ……?」
老倉が、絶望に押しつぶされそうな声で尋ねる。
「止められるのはプライムだけだ」
ジェットファイアが断言した。
その言葉を聞いた瞬間、僕の心臓が大きく跳ねる。
「……オプティマス・プライム?」
ジェットファイアが、金属が軋む音を立てて顔を僕に近づけた。センサーが真っ赤に発光する。
「……お前、プライムに会ったのか……?……いや、きっとプライムの子孫だろう。生きているのか? この、この惑星に?」
僕は拳を握りしめ、砂漠の地平線を見つめた。
「……僕を救うために、犠牲になった」
その言葉に、ジェットファイアの巨体がガックリとうなだれた。関節から何かの破片がポロポロと落ちる。
「……死んだのか。プライムがいなければ、誰もザ・フォールンを止められん。終わりだ。全てが錆びて消えるだけだ」
絶望的な沈黙が流れる。
だが、その静寂を切り裂いたのは、鋭い刃のようなひたぎの声だった。
「ちょっと待ちなさい。そのマシンを起動するためのキーって、要はとてつもないエネルギーの塊なのよね? だったら、それを使ってオプティマスを生き返らせることはできないのかしら?」
「……ほう。死者蘇生っちゅうわけか……」
影縫さんが興味深そうに呟く。
ジェットファイアが顔を上げ、センサーを点滅させる。
「……そういう目的には作られていない。……だが、確かにそのエネルギーは比類なきものだ。不可能とは……言い切れんかもしれん」
「だったら僕が探す」
僕は立ち上がった。
「どうすればマトリクスを見つけられるかな。ディセプティコンより先に」
ジェットファイアは、僕をまっすぐ見つめて答える。
「お前が見た道しるべに、従うのだ。あの文字はこう言っている。『
老兵が杖を強く砂に突き立てる。
「さあ行け! 早く! かつては俺の任務だった。今はお前の任務だ! 行け! ディセプティコンが、俺やお前を見つけ出す前に!」
僕たちは顔を見合わせ、頷いた。
バンブルビーに乗り込むとエンジンが咆哮を上げる。
猛スピードで流れていく窓の外を見ると、午後の陽光に照らされた八頭のラクダが僕らを勇気づけるように砂丘を駆けていた。
040
車内は、砂漠の熱気と緊迫感で飽和状態だった。
運転席の僕は、ハンドルに置いた手に嫌な汗を感じる。
「……よし、CIA情報だ。古代シュメール人がアカバ湾のことを『ダガーの剣先』と呼んでいた」
助手席で電話を切ったシモンズが、得意げに声を張り上げた。
「それが『ダガーの剣先』ということか」
「そうだ。紅海がエジプトとヨルダンを剣で切り裂くように分けている。北緯29.5、東経34.88度の地点だ。地図で見れば、その鋭さがよく分かる」
後部座席では、ひたぎが窓の外を鋭く睨み、その隣で老倉が真っ青な顔で震えていた。
「まず、オプティマスをそこまで運ばなきゃ」
「どうやって地球の裏側まで? 彼は今、アメリカで巨大な文鎮扱いされているのよ?」
老倉の悲鳴に近い疑問はもっともだった。遺体を、しかも超巨大な宇宙ロボットの遺体を、国境を越えてエジプトの僻地まで運ぶ。
「……電話する。僕たちが知っている、一番信頼できる軍人に」
その時、バンブルビーのバックミラーに、赤い青の回転灯が映り込んだ。
「パトカーよ! 二台! 暦、この国の警察は意外と仕事が早いわね!」
ひたぎが叫ぶのと同時に、バンブルビーが咆哮を上げた。
砂埃を巻き上げ、旧市街の入り口へと猛スピードで突っ込む。
隣を走るスキッズの車内には、神原、影縫さん、そして斧乃木ちゃんが詰め込まれていた。
「刑務所なんて勘弁よ……! 私は数学の難問を解くために生きてるの、鉄格子の中で素数を数えるためじゃない!」
「老倉さん、安心したまえ! 私が盾になろう! ……ああっ、揺れで影縫さんの膝が私の脇腹に!」
「神原、おどれ静かにせんか! 舌噛むやろが!」
僕らは市街地の迷路のような路地へ滑り込む。
「暦、道を外れて隠れろ。真正面からやり合うのは賢いやり方じゃない」
シモンズの指示に従い、バンブルビーは市場の裏手にある、廃墟のような中庭へと滑り込んだ。
直後、サイレンを鳴らしたパトカーが、僕たちのすぐ横の通りを猛スピードで通り過ぎていく。
「見ろよアホな警官。俺たちの変装を見破れるわけねーだろ」
スキッズが鼻を鳴らすと、マッドフラップが調子に乗って身を乗り出した。
「これぞサイバトロンニンジャ、葉隠れの術――」
「おどれら、黙っとらんと顔面に一発入れるぞ?」
影縫さんの冷徹な一言で、双子のロボットは文字通り「置物」のように静まり返る。
「……レノックスに電話しないと。彼なら動いてくれるはずだ」
僕は携帯を取り出そうとしたが、シモンズがその手を力ずくで押さえつけた。
「お前は今、手配中なんだぞ……!?電話なんかしたら0.5秒で逆探知されて、CIAがうじゃうじゃやってくる!」
「電話してよ。あんたは公式には『死んだことになっている』か、あるいはただの一般人だろ」
シモンズは数秒間、口を半開きにしたまま僕を見つめた。
「……。……いいね。名案だな。ちょっと頭の中で色々グルグルしてた。エジプトの刑務所でヒエログリフを掘る自分の姿を想像して――。よし、貸せ」
ニュージャージー州、空軍基地。
巨大な格納庫の中で、オプティマス・プライムの遺体は、無機質な軍用シートに覆われ、まるで忘れ去られた遺構のように静止していた。
他のオートボットもビークルモードで輸送されるのを、大人しく待機している。
レノックス少佐は、上層部の決定に、言葉にできない憤りを感じていた。
「……基地に戻すのか? こんなことでいいのか?」
「少佐、お電話です。……衛星回線経由ですが、暗号化されていません」
部下が差し出した受話器を、レノックスは怪訝そうに受け取った。
『よぉ、少佐。今、例の小僧と一緒だ。あの小僧だ。あれ運んでくれ、“トラック”。“トラック”だ』
受話器の向こうから聞こえるのは、聞き覚えのあるダミ声だった。
レノックスは目を見開く。
『ここでなら復活の可能性があるかもしれない。……今どこにいると思う? ヒントは「ツタ」だ。ツタンカーメン王の「ツタ」。1ドル札の裏の絵だ。今から言う座標に投下しろ。北緯29.5度、東経34.88だ。……まずい、警官が来た! 切るぞ!』
ガチャン!!
凄まじい衝撃音と共に通話は途切れた。
エジプト。
向こうから誰かが向かってくるのを見て、シモンズは慌てて電話を切った。
その拍子に台座ごと公衆電話が壁から剥がれ落ち、物音を立てて地面に転がる。
「……秘密機関の捜査員だった男とは思えない粗忽さだね」
と、斧乃木ちゃんが呟いた。
「うるさい!それよりも逃げるぞ!」
しかし、駆け込んで来るシルエットが近づくにつれ見覚えのあるものになっていく。
巻いていたヒジャブが外れ、ミディアムヘアが露わになる。
老倉だった。
「私よ! 老倉育! 本物の警官がこっちに向かってる! さっさとその壊した電話から離れて、車に戻るわよ!」
僕はバンブルビーのエンジンを回した。
砂漠の風が、死した王を運ぶ空路の合図を待っている。
041
一方、ニュージャージー州の基地では、レノックスとエップスが先程の電話の真意を計りかねていた。
部下にシモンズの言っていた座標を調べさせると、驚くべき結果が出た。
「少佐、座標の場所が判明しました。北緯29.5度、東経34.88。紅海のアカバ湾です」
それを聞くと、エップスは驚いたように呟く。
「エジプトか。仮にオプティマスをそこまで運べたとして、あの小僧はどうやって復活させる気だ?」
「分からん。……だが、あの青年は不可能を可能にしてきた」
レノックスは、格納庫に鎮座する巨大な「トラック」を見上げた。
「……作戦変更だ。上層部には死体袋の搬送先を『変更した』とだけ伝えろ。全オートボット、輸送準備!」
その頃、エジプト。
黄金色の陽光が砂漠を焼き、陽炎がアスファルトの上でゆらゆらと踊っている。
バンブルビーを運転する僕の視界の先に、赤と白の遮断器と武装した兵士たちの姿が飛び込んできた。
「……おい、暦。最悪のタイミングで検問所が見えてきたぞ」
シモンズの言葉に、僕はハンドルを握り直す。
エジプトの国境警備隊だ。FBIの手配がどこまで回っているかは不明だが、この怪しさ極まりない一団が無傷で通れる保証はない。
「僕らは偽造パスポートとシモンズのハッタリでなんとかなるかもしれないけど……」
僕はバックミラー越しに、後ろを走る緑とオレンジ色のシボレーを盗み見た。
「……あの双子はどうするんだ? あの落ち着きのない性格で、検問を大人しくパスできるとは思えないんだけど」
「あの陰陽師の女が色目でも使うんじゃないか? ケツを振れば、警備兵なんてイチコロだろ」
ひたぎの足元で丸まっていたホィーリーが、ニヤニヤしながら下品な声を上げた。
その瞬間、バンブルビーのラジオから影縫さんの声が響く。
『――いやー、ええ景色やなー。ところで、おどれの話はこっちに丸聞こえなんやが』
「……ッ、ヒィィッ!?」
ホィーリーが悲鳴を上げて座席の下に潜り込む。
『後でお姉ちゃんとゆっくり話し合うんだね。まったく』
斧乃木ちゃんの声が無機質に響いた。
検問所に到着すると、まるでどこかのチョコレート工場でダンスでも踊っていそうな小柄な検問官が、アラビア語で何やら怒鳴りながら僕ら一行を止めた。
監視カメラが不気味に首を振っている。
「……大丈夫だ。落ち着け。私もアラブ系の血が流れている。心配することはない」
シモンズが汗を拭いながら、怪しげなサングラスをかけ直した。
「……本当?」
ひたぎの疑わしげな視線に、シモンズは小声で付け加える。
「ああ。三十六分の一だがな」
「それはほぼ誤差よ」
検問官が窓を叩く。
シモンズは精一杯の愛想笑いを浮かべ、片言のアラビア語とジェスチャーで応対を始めた。
「やあ。ダガーの剣先に行きたい。エジプト、ヨルダン。そこ行きたい」
シモンズは親指で僕と、後ろのひたぎと老倉を指差す。
「これ家族。息子、娘に姪っ子。後ろの車も親戚。旅行者だ。ニューヨークから来たんだ。ホリデーだ、ホリデー」
「ニューヨーク!?」
検問官の顔がパッと明るくなった。
「自由の女神! エンパイア・ステート! ニューヨークから来たなら大歓迎だ! あんたらの行きたい場所なら、ここから五十キロメートルほど先だ!」
「あんた、私の馴染みの屋台のおっちゃんにそっくりだな!」
シモンズが図に乗って握手を求めると、検問官は親指を立てて快活に笑った。
「ゴー! ヤンキース! 良い旅をな!」
バンブルビーが再び砂を蹴って発進する。
「……通れた。本当に通れたわ。世の中、意外と適当にできているのね……」
老倉が脱力したようにシートに沈み込んだ。
だが、その幸運は長くは続かなかった。
検問所の監視カメラが捉えた僕たちの画像は、一瞬でエジプト当局のデータベースに記録された。
すぐに照合され、当局は忙しくなり始める。
「手配中の青年、アララギコヨミを発見した! CIAに転送しろ!」
さらに、そのデータは地球の重力を越え、衛星軌道上に潜む影へと届いていた。
静寂の宇宙空間。
サウンドウェーブの冷徹な電子音声が、暗号通信となって地球へと降り注ぐ。
「――ディセプティコン。小僧の居場所が、判明……」
砂漠の上空。
『――スタースクリーム、追跡中』
静寂を切り裂く轟音と共に、三機のF-22ラプターがV字編隊を組んで雲を抜けた。
禍々しいタトゥーが施された銀色の一機。
黒と紫に染まった一機。
青地に赤のラインが走る一機。
三羽の死神は標的を定め、じわじわと追い詰めていく。
時を同じくして、荒地を貫く道路の何処か。
陽炎が揺らめく地平線の向こうから、軍用車両の隊列が砂塵を巻き上げて現れた。
だが、それらに運転手の姿はない。
先頭を走るのは、威圧的な存在感を放つ緑色のウェスタンスター・4900SF。
その後ろには、砂漠に溶け込む迷彩を施したハンヴィー、そして無骨な多連装ロケットシステムのM270 MLRSが続き、上空からは漆黒の無人攻撃機、MQ-9リーパーと銀に青ラインの攻撃ヘリ、アパッチ・ロングボウが砂塵を巻き上げ、猛スピードで飛来する。
五体の精鋭部隊、コンバッティコン。
彼らが一堂に会したその圧は、周囲の空気を歪めるほどの殺気を放っていた。
だが、彼らだけではない。
雲を切り裂き、オレンジ色の炎を噴いて飛来した影があった。
旧世代の名機、F-4ファントムII。
紫とサンドイエローの機体は、狂気的とさえ言える急旋回を見せると、猛烈な下降気流を巻き起こしながら部隊に合流する。
砂漠の地平線に、不吉な金属の影が落ち始めていた。
042
砂漠の熱気は引くどころか、西に傾き始めた太陽によって、より一層重く、息苦しいものへと変わっていた。
陽光が砂漠の砂粒一つひとつを焼き、視界の端々で陽炎が暴力的に揺らめいている。
僕たちは、半ば廃墟と化した古い観光センターに到着していた。かつては観光客で賑わっていたのだろうが、今では壁の塗装は剥げ落ち、エジプトの国旗も色褪せて力なく垂れ下がっている。
しかし、その後ろに広がる光景はそのような些末な事を一瞬で忘れさせるものだった。
「おお……これは……素晴らしい……! 偉大だ……! まさに人類の、いや、宇宙の神秘だ!」
シモンズが、まるで聖地を巡礼する信者のように両手を広げ、驚嘆の声を上げた。
逆光の中にそびえ立つ、三つの巨大な四角錐。
クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド。
数千年の時を越えてなお、太陽を背に受けて君臨するその威容は、背後にある現代の街並みすらも、ほんの一時の幻影であるかのように錯覚させた。
「あの老いぼれブラックバードが言ってた『三人の王』って、やっぱりこれのことなのかな。お姉ちゃん」
その小さな掌を庇にしてピラミッドを見つめていた斧乃木ちゃんが呟く。
「せやろな。それに『墓』っちゅうなら、ここほどぴったりな場所はそうそうないやろ。死者の街に、宇宙の死者の鍵が眠っとる。出来過ぎた脚本やな」
影縫さんが、廃墟の屋根の上にひらりと飛び乗り、腕を組んでピラミッドを見下ろした。
「……でも、まだ何かが足りないわ。入り口なんてどこにも見当たらない。文字通り、石の塊でしかないじゃない」
老倉が呟く。
慣れない砂漠の移動に疲れ果てたのか、彼女は砂まみれのコンクリートの上に座り込んでいた。
「……日の出まで待つしかないわね」
ひたぎが西の空を見つめて言った。
「『暁がダガーの剣先を照らす時』――。光が特定の角度で差し込むことで、道が開ける。ベタなギミックだけどね」
「まるで『レイダース』だな、戦場ヶ原先輩。しかしそうなると、やはりヘブライの神に敬意を表して、一カダム引いて計算するべきなのだろうか?」
「敬意を表すなら、六人のプライム達に対してじゃないかしら」
そんなやり取りをしつつ、神原が観光センターの壊れたドアを蹴り開けて内部の安全を確認する。
中は砂が堆積し、壊れた土産物の木彫りのラクダが転がっているだけだった。
「暦、その『文字』をもう一度確認しなさい。今はまだ昼間よ。ここで夜を越して、夜明けまで待ちましょう」
「追手の目はこれで誤魔化すわ。機械にも効いてくれるとええんやが」
そう言って影縫さんは建物の壁に「魔無視」の札を貼り、結界を貼る。
僕は頷き、黄色いカマロのボンネットに手を置いた。
「ビー、スキッズ、マッドフラップ。悪いけど、明日の朝まで周囲の偵察を頼む。不自然な動きがあればすぐに知らせてくれ」
ビーはライトを点滅させ「了解」のサインを送ると、タイヤを回転させ出発する。
双子もそれに続き、三人のオートボットは砂塵を巻き上げて砂丘の向こうへと消えていった。
――しばらくして。
エジプトの夜は、都市の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
ベランダからは、月光に照らされた三つの巨大なピラミッドが、まるで異世界の遺構のように砂漠の海に浮かんでいる。
その圧倒的な質量を前にすると、僕たちの抱えている問題さえもちっぽけな砂粒のように思えてくる。
……いや、実際には地球の存亡がかかっているのだけれど。
「……ごめん、ひたぎ。こんな事に巻き込んで」
僕は隣に座るひたぎの横顔を見つめながら、絞り出すように言った。
大学での錯乱に始まり、アメリカへの強制転送、全世界指名手配、博物館に潜入し、挙げ句の果てには砂漠へ時空間移動。
普通の女子大生なら、とっくに別れ話を切り出しているだろう。
「いいのよ。女は危険な男が好きって、よく言うでしょ?」
ひたぎは夜風に髪をなびかせ、ピラミッドを見つめたまま答えた。
「……僕がプリテンダーとキスしていた事、まだ怒ってる……?」
恐る恐る尋ねると、彼女はゆっくりと首をこちらに向けた。
その瞳には、エジプトの熱砂さえも凍りつかせるような、絶対零度の光が宿っている。
「ええ、怒ってるわね。もう轢き潰したとはいえ、よりによってあんな羽川さんの姿をした怪異まがいの泥棒猫と深いキスをしてたなんて。私の心に深いキズを負わせ、独占欲をこれほどにまで逆撫でした罪は重いわよ、暦。償いを求めるわ」
言葉の内容とは裏腹に、その口調はどこか穏やかで、慈愛さえ含んでいるようにも聞こえた。それが逆に、僕の背筋に心地よい緊張を走らせる。
「償い、というと……」
「……『愛してる』と言いなさい」
ひたぎが僕の目をまっすぐに見つめた。
「愛してる」
「気持ちがこもっていないわ。やり直し」
「えぇ……。……じゃあ、レディーファーストってことで」
僕の言葉にひたぎは呆れたように笑う。
「そう、じゃあ今夜は紳士でいるのね。ナイトみたいに」
「ナイト・オブ・ナイツってか」
言っておくけど僕はメイドじゃないし、時止めなんてできないよ?
「あら、時止めができないの?吸血鬼なのに?」
「確かに今エジプトにいるけど、その吸血鬼ではない」
「ふふっ、無駄な問いだったわね」
ひたぎが再び視線を砂漠へと戻す。
「見て。満天の星空に、三つのピラミッド。人類の歴史が結晶化したようなこのロマンチックな場所で、まだ満足に愛の言葉も紡げないの? あなたの心は、あの錆びついた老兵以下なのかしら」
だが、その時。
僕の脳内でパズルのように言葉の断片が組み合わさり、ある一つの閃きが生まれた。
「三つ……三人の王……」
「……暦? どうしたのよ?」
「……ひたぎ、分かったかもしれない。ジェットファイアの言っていたことの本当の意味が!」
僕はベランダから部屋へと駆け戻る。
「みんな、起きてくれ! 分かったんだ!」
室内では、斧乃木ちゃんと影縫さんが、微動だにせず寝ずの番をしていた。
「ん、なんや阿良々木君。逢瀬は終わったんか? 青春やなあ」
影縫さんが退屈そうに欠伸をしながら僕を見た。
ソファで仲良く寝ていた老倉、神原、シモンズが僕の声に飛び起きる。
「……何よ、阿良々木……いきなり起こして……」
「敵襲か!? それとも、戦場ヶ原先輩との間に新たな生命の神秘が!?」
「静かにしろ神原! ……ひたぎ、老倉。天文学教科書の四十二ページの内容、覚えてるか?」
老倉が眠い目を擦りながら、天才的な記憶力を無理やり稼働させた。
「……四十二ページ?…… 確か、小蘭教授が二限の時間を丸々使って『メン・イン・ブラック』を上映した時のページだったかしら。内容は……オリオン座の三つ星と、ピラミッドの配置の関係性……」
「その通りだ!」
僕は全員をベランダへと引っ張り出した。
外では、夜明けを告げる
空は紺青から薄紫へと、ゆっくりと白み始めている。
「見てくれ、あの空を。オリオンのベルトだ。別名『三人の王』」
僕は夜空の中央に並ぶ、三つの輝かしい星を指差した。
「そして、目の前にあるクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドの配置は、それと全く同じになっているんだ。ジェットファイアが言っていた『三人の王』というのは、地上のことじゃない。天上のことなんだよ!」
オリオンはゆっくりと昇り、一番端の星が地平線上の山並みに触れようとしていた。
シモンズが方位磁針と地図を交互に見る。
「……そっちは東だ。……ペトラの山だな」
次回豫告
「忍野忍じゃ」
「斧乃木余接だよ」
「しかし、おぬしとこんなに早く再会するとは思わなかったのう」
「奇遇だね、忍姉さん。僕こそ、こんな奴とこんなにも早く再会するとは思わなかったよ」
「こんな奴とは何じゃ! 儂は元・怪異の王、伝説の吸血鬼じゃぞ! もう少し敬意を払わんか、この人形風情が!」
「そういう尊大な態度が、鬼のお兄ちゃんをますます甘やかす原因になっていると思うんだけど。それに、今の忍姉さんはただのドーナツ中毒にして、現在は急性銀中毒も併発してる幼女に過ぎない。はっきり言って僕の『
「確か、一年くらい前に同じような事を言って、儂にボコボコにされたアイス中毒の童女が居たような気がしたのじゃが、気の所為かの?」
「怪異は成長しないからね。僕の場合、調整はされるけど。……じゃあ、姉さん。再会祝い代わりにリベンジマッチでもする?今回は、あの時とは逆に忍姉さんが鬼いちゃんに泣きつく事になるだろうけど」
「誰が泣きつくか! 儂とおぬしの格の違いを見せつけてくれるわ。儂をただの幼女と思うたら大間違いじゃぞ!」
「だったら来いよ姉さん、『心渡』なんて捨ててかかってこい」
「か、かかっ。こ、『心渡』なんて、い、要らぬわ。おぬしなんて怖くないわい!……野郎オブクラッシャァァァ!」
「「次回、こよみリベンジ其ノ漆」」
「ドーナツの穴で蒸気抜きでもしてるんだね。いぇーい」