物語シリーズ×トランスフォーマー二次創作   作:嘘烏

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やっと阿良々木君にこのセリフを言わせることができました。


第変話 こよみフォーム其ノ伍

026

直江津港。

この静かな地方都市の玄関口に、その「異分子」は音もなく、しかし確固たる意志を伴って現れた。

深夜の貨物船から吐き出されたコンテナの影。そこから滑り出してきたのは、一台のパトカー――サリーン・S281であった。

「POLICE」の文字を背負い、白と黒のツートンカラーに塗り分けられたそのボディは、日本の交通法規はおろか、この街の穏やかな空気さえも踏みにじるような、異様な威圧感を放っている。

サリーンは、港の寂れた倉庫街の片隅で一時停止した。

フロントガラスの奥、運転席に座る「警官」のホログラムが、不自然なほど精密な動作で首を傾げる。直後、車体から微かな、金属が噛み合う不快な音が漏れた。

昨夜、アメリカのアンドルーズ空軍基地からこの極東の島国まで、どのような手段で、あるいはどのような影を潜り抜けて辿り着いたのか。そのプロセスに興味を持つ者は、この街にはまだ誰もいない。

サリーンは自らのボディに付着した海水の微かな飛沫を検知した。

それは彼の神経質なまでの潔癖さを刺激する。

サイドミラーの隙間から、小型のガスバーナーのような青い火炎が音もなく噴射された。

シュォォ、という微かな音。

車体表面を舐めるように走る炎が、一滴も残らず水滴を蒸発させ、鏡面のように磨き上げられた塗装を乾燥させていく。その動作には、機械特有の冷徹な効率性と、どこか歪んだ、獲物を待つ前の「儀式」のような執念が宿っていた。

準備は整った。

バリケードの内部ネットワークが、再びあの「眼鏡」の信号を捕捉する。

直江津町、神原家。ターゲットはそこにいる。

 

「……捜索、開始」

スピーカーから漏れたのは、音声合成による「警官」の声ではなく、地獄の底で錆びた鉄を擦り合わせたような、ディセプティコンの言語だった。

猛然と加速するサリーン。

時速四十キロ制限の港湾道路を、その三倍以上の速度で突っ切る。

交差点の角。そこには、朝の散歩をしていた一人の老婆がいた。

シルバーカーを押し、ゆっくりと横断歩道を渡ろうとしていたその影を、バリケードは「障害物」としてさえ認識しなかった。

ドンッ、という鈍い衝撃。

回避運動も、制動も行われない。

老婆は文字通り撥ね飛ばされ、枯れ葉のように宙を舞ってアスファルトに叩きつけられた。

サリーンはバックミラーすら見ず、速度を落とすこともなく、ただ一点の目標へと疾走を続ける。

その背後に残されたのは、ひしゃげたシルバーカーと、静まり返った道路。

警察車両の皮を被った怪物は、正義を遂行するためではなく、略奪と破壊のために、この平和な街の深部へと牙を剥いて突き進んでいった。

 

027

「……というわけで、神原。例の眼鏡なんだが」

午後。陽光が穏やかに畳を照らす神原家の居間で、僕はカバンから古びた眼鏡を取り出した。

昨夜の警察沙汰、扇ちゃんによる身元引き受け、そして両親からの冷たい視線。

あまりに波乱万丈すぎた夜を越えて、僕の精神はすり減り、どこか現実感を失っていた。

せめてこの眼鏡だけでも、本来あるべき「形見」としての場所に返しておかなければならない、という強迫観念に近い思いが僕を突き動かしていた。

 

「阿良々木先輩。わざわざ済まないな。……ん? 先輩、何だかやつれていないか? 昨夜、戦場ヶ原先輩と激しい『運動』でもしたのか?」

 

「……勘弁してくれ。精神的な運動なら、フルマラソン三回分くらいこなしてきたよ」

神原は、僕が差し出した眼鏡を愛おしそうに受け取った。

レンズの傷が一体何なのかなど、僕も神原も知る由ない。

ただ、神原駿という男が生きた証。それだけが、この部屋における真実だった。

 

「結局、売るのはやめることにしたんだ。……おばあちゃんとも話してね。父の形見を金に換えるのは、やはり私の流儀に反する」

 

「……そうか。それがいいと思うよ」

僕は心の底から安堵した。この眼鏡を手放してはいけない。

根拠のない、けれど確かな予感が僕の胸の内にあったのだ。

神原家を後にした僕の背中には、心地よい午後の陽光が差し込んでいた。

眼鏡を本来の持ち主へ返したことで、胸の内にあった得体の知れないわだかまりが、少しだけ解消されたような気がしていた。

しかし、歩き出して数分も経たないうちに、その安らぎは「物理的な違和感」によって上書きされることになる。

背後から聞こえてくる、やけに野太い、それでいて滑らかなエンジン音。

振り返ると、そこには見覚えのある黄色い車体――シボレー・カマロが、歩道の縁石ギリギリを舐めるような速度で僕を追尾していた。

 

「……え、嘘だろ? なんでお前がここにいるんだよ」

カマロは、僕が足を止めると同時にスピードを緩め、僕が再び歩き出すと、まるで見えないリードで繋がれているかのように加速した。

昨夜、警察署の駐車場に大人しく収まり、家に戻されていたはずの僕の愛車(仮)は、いまや無人のまま、僕の後を健気に――あるいは執拗に追いかけてきている。

 

「お前様、あれを見よ。昨夜から思っておったが、あの鉄塊にはやはり明確な意志があるようじゃぞ」

影の中から、忍が呆れたような、しかし警戒を孕んだ声で呟く。

通行人の視線が痛い。無人のスポーツカーが冴えない大学生をストーキングしている図は、怪異譚というよりは単なるシュールな喜劇だ。

 

「やめてくれ! 昨日の今日で、また警察に事情を聴かれるのは御免だ! 頼むから帰ってくれ!カマロだかロボットだか知らないけど!」

僕が必死に追い払うジェスチャーをしても、黄色い巨体はどこ吹く風。それどころか、僕の行く手を遮るようにタイヤを鳴らして斜めに停車し、「乗れ」と言わぬばかりに助手席のドアをバカッと開いてみせた。

 

「乗れるか! 怖いんだよ、勝手に動く車なんて!」

僕は恐怖に背中を突かれ、逃げるように走り出した。

そこへ、神原が愛車のマウンテンバイク(月火が借りパクしていた扇ちゃんのものとは別の、彼女自身の愛機だ)に跨って追いかけてきた。

 

「阿良々木先輩! 忘れ物だ……と言おうと思ったが、なんだその黄色い車は! 先輩のストーカーか?」

 

「説明してる暇はないんだ! 神原、悪いけど乗せてくれ!」

僕は神原の背後に飛び乗り、マウンテンバイクの荷台に縋り付いた。

 

「いいだろう、先輩。私の脚力を見せてやる!」

神原は嬉々としてペダルを漕ぎ出し、驚異的な瞬発力で加速した。しかし、カマロは諦めなかった。V8エンジンの咆哮を上げ、マウンテンバイクの横を、まるで伴走する白バイのように並走し始めたのだ。

 

「うわああ、ついてくる! ついてくるって、神原!」

 

「ふっ、ならばこの『神原駿河スペシャル・ダウンヒル・アタック』を凌いでみせろ!」

町中の細い路地を、神原のマウンテンバイクと無人のカマロが猛スピードで駆け抜ける。

そんな混沌とした状況の中、前方から見覚えのある、そして最も会いたくない人物がスクーターに乗ってきた。

ひたぎだ。

彼女は、自転車の荷台で半泣きになっている僕と、その横を並走する無人のスポーツカーという光景を、ゴミを見るような、あるいは未知の深海魚を見るような冷ややかな眼差しで捉えた。

 

「あら、暦。神原と一緒に、ついに公道で新しい形の羞恥プレイを始めたのかしら? 横の車は、あなたの妄想が具現化した幻覚か何かなの?」

 

「違うんだ、戦場ヶ原! これは不可抗力で、というか、助けてくれー!」

ひたぎは無情にも遠ざかっていった。

 

「先輩、戦場ヶ原先輩に完全に呆れられたな。だが止まるな! 先輩、振り落とされるんじゃないぞ!」

神原がペダルを踏み込む速度をさらに上げる。

一方、僕たちが通り過ぎた直後、立ち止まっていたひたぎの周囲に、異様な「風」が吹き荒れた。

不快な、空気を切り裂くような高周波のエンジン音が背後から爆発的に響き渡る。

僕たちが通り過ぎたばかりの道を、一台のパトカー――サリーン・S281が、文字通り「弾丸」のような速度で疾走してきたのだ。

直江津署に、あんなマッスルカーのパトカーがあったかしら――そうひたぎの思考が巡った瞬間。

サリーンは、戦場ヶ原の指先を掠めるほどの至近距離を、時速百キロを優に超える速度で突き抜けた。

凄まじい風圧。

彼女が手にしていたシャープペンシル――かつて僕が彼女に贈り、彼女が大切に持ち歩いていた一本の文房具が、通過した車体の衝撃波と接触により、パキンと乾いた音を立てて真っ二つに折れた。

 

「――ッ!?」

あの戦場ヶ原ひたぎが、言葉を失っていた。

常に冷静沈着、毒舌という名の武装で世界を支配する彼女が、目を見開き、その場に釘付けになっている。

突風に煽られ、彼女の美しい髪が激しく乱れた。

ひたぎは、震える手で折れたシャーペンを見つめ、走り去る「警察車両」の背後を、かつてない戦慄を瞳に宿して凝視していた。

しかし、必死に逃走を続ける僕と神原には、彼女のその異変に気づく余裕など微塵もなかった。

 

028

「おい神原、あそこの立体駐車場へ逃げ込め! あそこなら入り組んでいるし、このカマロをまけるかもしれない!」

 

「了解だ先輩! コーナリングで差をつけてやる!」

神原は鮮やかなハンドル捌きで、駅前の立体駐車場へと滑り込んだ。

コンクリートの支柱が並ぶ薄暗い空間を、マウンテンバイクで縫うように走る。黄色いカマロは車幅が災いし、狭い通路の角で手間取っているようだった。

 

「よし、今のうちだ! 降りるぞ!」

僕たちは駐車された車の列の隙間にマウンテンバイクを乗り捨て、エレベーターではなく非常階段へ向かって全力で走った。

 

「ふう……流石にここまで来れば、あの車も入ってこれまい」

 

「……阿良々木先輩、静かに。何か来る」

神原が僕の口を塞ぐ。

立体駐車場の三階。静まり返ったフロアに、低い、心臓を直接揺さぶるような重低音が響いた。

それはカマロのV8エンジンとは違う。もっと邪悪で、もっと攻撃的な響き。

駐車されたSUVやミニバンの影から、音もなく滑り出してきたのは、一台の漆黒のパトカーだった。

サイレンを鳴らすこともなく、ただそこに「存在」しているだけで周囲の空気を凍りつかせるような威圧感。

 

「パトカー……? 警察か、良かった!」

僕は咄嗟に、カマロから逃げるために警察の助けを借りようとした。神原が止める暇もなかった。

 

「おーい! お巡りさん! 助けてください、変な車に追いかけられてて!」

僕はそのパトカー、サリーン・S281に向かって駆け寄った。

だが、近づくにつれて違和感が膨れ上がる。

車体のサイドパネル。そこには、本来の警察車両にあるべきスローガンではなく、呪詛のような一文が刻まれていた。

 

To punish and enslave(罪人を罰し、服従させる)』。

「……え?」

僕がその不吉な文字を読み上げた瞬間。

パトカーの助手席側のドアが、まるで生き物の顎のように、猛烈な勢いで外側へと跳ね上がった。

――ガッ!!

 

「ぐ、は……っ!?」

人間業ではない速度で開かれた鉄の扉が、僕の顔面を真っ向から捉えた。

吸血鬼の再生能力をもってしても抗えない、圧倒的な質量と衝撃。

僕は視界が火花を散らすのを感じながら、コンクリートの床へと叩きつけられる。

 

「阿良々木先輩!!」

神原が悲鳴を上げる。

 

「――ッ、かはっ……!」

肺の中の酸素がすべて強制排除されたような衝撃。

僕の意識は、真っ暗な奈落へと落ちかけ――しかし、その寸前で踏みとどまった。

心臓が警鐘を鳴らし、吸血鬼の残滓が火を吹く。不屈というよりは、もはや往生際の悪い生命力が、強制的に僕を現実に引き戻した。

 

「阿良々木先輩! 大丈夫か!」

 

「……死ぬかと、思った……」

朦朧とする視界。目の前には、なおもエンジンを低く唸らせる黒い鉄の獣が鎮座している。

怒りが恐怖を上回った。

 

「……っ、が……は……!」

肺に溜まった空気を吐き出しながら、僕はふらつく足取りで立ち上がった。目前には、獲物を追い詰めた肉食獣のように静かにエンジンを震わせるサリーンがいる。

逃げる隙はない。僕は咄嗟に、その熱を帯びたボンネットの上へと這い上がった。

 

「な、何をしてるんだ先輩!」

 

「抗議だよ! いいかお巡りさん、僕は今、身元不明の黄色いカマロに執拗に追いかけられてて、精神的にも限界なんだ。それを助けるどころか、この仕打ちはないだろう! 僕は確かに、ちょっとした変態だと思われてるかもしれないけど、今は完全な被害者なんだぞ!」

僕は激痛に震える拳で、その黒いボンネットを力任せに叩いた。

 

029

――ゴンッ、と。

無機質な金属音が立体駐車場に空虚に響く。

 

その瞬間。

サリーンのエンジン音が、これまでの重低音とは明らかに異なる「咆哮」へと変わった。

車体全体が、生き物が怒りに震えるように細かく振動し始める。

 

「……阿良々木先輩、まずい。今すぐそこを降りるんだ!」

神原の声が鋭く響いたが、もう遅かった。

直後、パトカーが「怒り」を表明した。

ギュルルルッ、とエンジンが異常な高回転の音を上げ、車体全体が激しく震動する。

フロントグリルが、まるで意思を持った歪な筋肉のように蠢き、青白いヘッドライトが怒り狂った獣の眼光となって僕を射抜いた。

 

「……あ、あ……」

それは、あきらかに僕を「対等な人間」として見てはいなかった。

路上の石ころか、あるいは排除すべき害虫を視界に収めたような、絶対的な強者の視線。

サリーンは、ボンネットに張り付いた僕を振り落とすかのように、狭いフロアで猛烈な急発進と急ブレーキを繰り返した。

 

「うわああああああああっ!!」

振り回され、コンクリートの支柱が目の前を何度も掠めていく。

神原が助けに入ろうと駆け寄るが、サリーンは巨大な車体を文字通り「振り回して」彼女を寄せ付けない。

 

「阿良々木先輩、そこから離れろ! そいつは……そいつはただの車じゃない!!」

神原の叫びが聞こえる。

分かっている。分かっているけれど、手が離れない。いや、サリーンが僕を逃がさないのだ。

追い詰められ、フロアの端、吹き抜けの防護柵まで追い詰められる。

背後は地上まで続く奈落だ。

漆黒のパトカーが、じりじりと距離を詰めてくる。

そのフロントパネルには、先ほどの警官の姿などもうどこにもない。

 

逃げ場を完全に断たれた。

だが、サリーンは僕を押し潰すことはしなかった。

その代わりに、車体から「ギチギチ」という、およそ機械が立てるはずのない不気味な関節音が響き渡る。

フロントグリルが内側から弾け、左右のヘッドライトが、まるでカタツムリの触覚か、あるいは深海魚の眼球のように、蛇腹状の金属フレームを伸ばしてせり出してきた。

 

「ひっ……!?」

そのライトの周囲には、獲物を逃がさないための檻か、あるいは拷問器具のような鋭利な金属製のスパイクが幾重にも取り囲んでいる。

まるで、鋼鉄の牙に囲まれた不気味な双眸だ。

飛び出した二つの「目」は、恐怖に凍りつく僕の至近距離まで迫ると、じっくりと、舐めるように僕の全身をスキャンし始めた。

青白い光がレンズの奥で明滅する。

レンズが絞られ、ピントを合わせるたびに、カシャリ、カシャリと冷徹な機械音が耳元で鳴る。

その瞳は、僕を人間として見ているのではない。

ポケットの中の「眼鏡」を、あるいは僕という個体が抱える「吸血鬼の残滓」というイレギュラーな数値を、冷酷な演算装置で分析しているようだった。

 

「先輩! 動くな!」

離れた場所で、神原が息を呑むのがわかった。

蛇のような金属の首をうねらせ、僕の顔の数センチ先で静止するスパイク付きの眼球。

サリーンは、まるで獲物の価値を品定めする食肉業者のような、あるいは標本の不備を探す観察者のような、底冷えする執拗さで僕を凝視し続けていた。

その沈黙が、絶望となって僕の全身を縛り付ける。

逃げれば、この牙のようなスパイクが僕の喉笛を貫く。

抗議の声すら、喉の奥で氷のように固まっていた。

 

時間にして、わずか数秒。

だが僕にとっては、永遠にも等しい蹂躙のような沈黙。

やがて、僕という「サンプル」の解析が終わったのか、サリーンは満足したように、あるいは興味を失ったかのように、突き出していたヘッドライトを再びゆっくりと車体の中へと引き込ませた。

スパイクが格納され、滑らかなパトカーのフォルムに戻っていく。

 

その直後だった。

パトカーとしてのフォルムを保っていたサリーンが、物理的な限界を超えた密度で波打ち、内側から爆発するように「変形」を開始した。

金属が悲鳴を上げ、ギアが噛み合い、装甲が複雑にスライドする。

暗がりの立体駐車場に響き渡るのは、時計の秒針を数万倍に増幅したような、不規則で暴力的な機械音だ。

 

「な、なんだ……っ!?」

僕の目の前で、白と黒の鉄塊は巨大な「個」へと再構築されていく。

現れたのは、全高五メートルを超える鋼鉄の異形。

その顔面には、昆虫の複眼を思わせる二対の赤い発光体が灯っていた。それは生命の温もりを一切排除した、殺戮と追跡のためだけの光。

頭部には角のような突起が二本、不吉なシルエットを描いて屹立している。

さらに異様なのはその肩だ。パトカーのドアがそのまま翼のように、あるいは巨大な盾のように突き出し、その凶悪な体躯をさらに肥大化させていた。

そして、僕を威嚇していたフロントグリルは、いまや鋭利な金属の爪を備えた巨大な「腕」へと姿を変えている。

指先が動くたびに、コンクリートの床に深い傷跡が刻まれた。

後に知ることとなるが、名はバリケード。

 

「……ターゲット、確認。妨害個体……排除」

バリケードの喉元から、重低音のノイズを伴った音声が漏れる。

その四つの赤い瞳が、僕を通り越し、少し離れた場所に立っていた神原駿河へとピントを合わせた。

 

「神原、逃げろ!!」

僕の叫びが響くよりも早く、バリケードはその巨体に似合わない俊敏さで跳躍した。

重厚な金属の足が床を粉砕し、衝撃波がフロアを揺らす。

巨体は四足獣に近い前傾姿勢をとり、肩のドアを風除けにするようにして、一直線に神原へと襲いかかった。

 

「阿良々木先輩、下がっていろ! こいつは私が引き受ける!」

神原は恐怖を闘志で塗りつぶし、その驚異的な脚力で駐車場の支柱を蹴り上げた。

だが、相手は物理法則を書き換えるような外宇宙の戦士だ。

バリケードの金属の爪が、神原がいた場所のコンクリートを紙細工のように引き裂く。

 

床に叩きつけられ、肺が潰れたかと思った僕の意識を繋ぎ止めたのは、影から伸びてきた冷たくも確かな感触だった。

「お前様、シャキっとせぬか! 意識を飛ばしておる場合ではないぞ!」

影の中から忍が僕の襟首を掴んで引き起こす。吸血鬼の自己修復能力と忍の叱咤が、朦朧としていた僕の脳を無理やり再起動させた。鼻の奥にツンとくる鉄の匂い——自分の血の味だ。

 

「……っ、神原は!?」

顔を上げた僕の視界に、最悪の光景が飛び込んできた。

神原が、バリケードの巨大な腕による一振りで文字通り「薙ぎ払われ」、フロアに駐車されていたセダンのルーフの上に叩きつけられたのだ。凄まじい衝撃音とともにフロントガラスが粉々に砕け散り、屋根が大きくひしゃげる。

 

「ぐ、ふ……っ」

神原が苦しげに喘ぎながら、眼鏡を死守しようと胸に抱え込む。

しかし、漆黒の巨人は容赦なくその距離を詰めた。バリケードの巨大な脚が車体の真横に踏み下ろされ、コンクリートが爆ぜる。

バリケードは、神原を見下ろして低いノイズ混じりの声で「尋問」を開始した。

 

「ユーザーネーム『ハーフボーイをハフハフし隊長』はお前か!?」

 

「……何?」

一瞬、時間が止まった。

その場にいる全員――僕も、忍も、そして叩きつけられた当人である神原でさえも、この鋼鉄の怪物が口にしたあまりに不条理な単語に硬直した。

 

「ユーザーネーム『ハーフボーイをハフハフし隊長』はお前か!?」

 

「なぜそれを知っている……!? それは私の、極めて秘匿性の高いアカウント名のはず……ッ!」

神原が戦慄の表情で、しかしどこか羞恥に震えながら声を漏らす。

 

「どんなユーザーネームだよ! 何をハフハフするつもりなんだよお前は!」

僕は思わず、死地であることも忘れて叫んでいた。

この前教えた時に、変なアカウント名にしちゃ駄目だって言ったのに!

 

「黙れ。小娘、ヤフーオークション出品番号21153はどこだ?あの眼鏡はどこだ!?」

バリケードが拳をボンネットに叩きつける。

フレームが歪み、タイヤはパンクし、すでに廃車同然となっているセダンを完全なスクラップに変えていく。

 

そんな中、神原は車の上から跳躍した。

「絶対に言わん!私の趣味を暴いた罪、万死に値するぞ、鉄屑!」

包帯が解け、剥き出しになった『猿の左手』。怪異の力を込めたその一撃を、神原はバリケードの装甲に向けて叩き込んだ。

ドォォォォン!!

衝撃波が駐車場のフロアを揺らす。並の人間や怪異なら木端微塵になるであろう威力。

だが。

 

「……それがどうした。マッサージのつもりか?」

バリケードは、殴られた箇所を平然と見下ろして嘲笑った。装甲には、神原の渾身の力が込められた拳の跡すらついていない。

 

「笑わせるな、有機生命体。お前たちの振るう『神秘』など、宇宙を旅する我々の物理計算の前では誤差に過ぎない」

金属の爪が神原を捕らえようと、無慈悲に迫る。

しかし神原は一瞬の隙を突き、ひしゃげた車の上から跳躍した。

向かったのは、駐車場の出口ではない。三階のフェンスの向こう側――空中だ。

 

「阿良々木先輩、飛べ! 走るよりはマシだ!」

 

「正気かお前!?」

僕は忍に背中を押されるようにして、神原の後を追ってフェンスを越えた。

 

030

重力に引かれ、胃が浮き上がるような感覚。

落下する僕たちの視界に、夕闇を切り裂く黄色いライトが飛び込んできた。

原付スクーター――ベスパに乗ったひたぎだ。

彼女は折れたシャーペンをポケットに捻じ込み、鬼気迫る表情で僕たちの落下地点へとハンドルを切っていた。

彼女は気づいていない。

自分の頭上、立体駐車場の三階という高さから、恋人とその後輩が重力に従って自由落下してきていることに。

彼女の意識は、いまやボロボロになった愛車のベスパを走らせることと、先ほど自分の大切にしていた文房具を破壊し、風のように過ぎ去った「あの黒いパトカー」を追跡することだけに特化されていた。

「待ちなさい、あの鉄屑。私の宝物を折った対価は、あなたの装甲を一枚残らず剥ぎ取ることでしか支払えないわよ」

ヘルメット越しに毒を吐き、アクセルを全開にする。

その彼女の進む先、わずか数メートル前方のアスファルトへ、影が急速に巨大化していく。

 

「ひたぎ――ッ! どけ、危ない!!」

空中で僕が叫ぶ。だが、風を切るスクーターのエンジン音にかき消され、僕の声は彼女に届かない。

隣で落下している神原は、猿の左手で空を掻き、着地の衝撃を和らげるべく身を固めている。

ドォォォォン!!

僕たちの着地よりも先に、背後の立体駐車場の壁面が、内側から爆発するように粉砕された。

瓦礫の雨の中、三階から飛び出してきたのは、黒い鋼鉄の巨人――バリケードだ。

奴は空中でその巨体を反転させ、重厚な金属の足を地面に叩きつけた。

激しい地響きと、衝撃波。

その余波に煽られ、戦場ヶ原のベスパが大きくバランスを崩した。

 

「――っ!?」

急ブレーキをかけ、タイヤを滑らせながら彼女が顔を上げたその時、彼女の視界を埋め尽くしたのは、道路を塞ぐように直立する漆黒の怪物だった。

そしてその怪物の足元に、ゴミのように転がっている僕と神原。

「あら、暦。そんなところで這いつくばって、今度は路上のアスファルトとでも心中するつもりかしら?」

ひたぎはスクーターを停め、ヘルメットを脱ぎ捨てた。

その瞳には、恐怖ではなく、極限まで圧縮された怒りが宿っている。

目の前に、身長五メートルを超える、二対の赤い目を持つロボットがいるというのに。

 

「……ターゲット、捕捉完了。眼鏡を渡せ、有機生命体」

バリケードが、ひたぎを無視して僕たちへと腕を伸ばす。

その鋭利な爪が、僕の喉元に迫る。

 

「ちょっと、そこの不法投棄物。あるいは、資源ゴミの回収日を間違えた出来損ないのブリキ細工かしら。話の途中に割り込まないでくれる?」

彼女は、ポケットから予備のホッチキスを取り出し、カチリと音を立てて威嚇した。

巨人は、初めてその赤い瞳を、目の前の小さな人間に向けた。

「……排除対象が、増えたか」

 

「排除されるのは、あなたの方よ。暦、神原。そこを動かないで」

ひたぎの参戦。

普段なら心強いシチュエーションではあるのだけれども。

だが、相手は現代兵器すら寄せ付けない異星の戦士だ。

ホッチキスとカッターナイフでどうにかなる相手ではない。

 

「排除対象と認識――抹殺する」

バリケードの四つの赤い眼光が、冷徹な殺意を湛えて戦場ヶ原ひたぎをロックオンした。

巨大な金属の腕が、彼女の華奢な体を紙屑のように握り潰そうと振り上げられる。

 

「ひたぎ!!」

叫ぶ僕の視界が、一瞬、強烈な黄色に塗りつぶされた。

ドォォォォン!!

地響きと共に、バリケードの五メートルを超える巨体が真横から、砲弾のような衝撃を受けて吹き飛んだ。

アスファルトを引き裂きながら衝突したのは、僕を執拗に追いかけ回していたはずのあの黄色いシボレー・カマロだった。

吹き飛ばされたバリケードは、道路脇の電柱をへし折りながら民家の塀を粉砕し、瓦礫の山に埋もれる。

 

「……え、カマロ……?」

唖然とする僕たちの前で、カマロは華麗なドリフトを決めて急停車した。

 

「……な、何なのよ、今の演出。少しは空気を読みなさい」

至近距離で起きた鉄塊同士の衝突に、流石のひたぎも頬を強張らせながら、手に持ったホッチキスを握り直す。

パカッ、という乾いた音。

カマロが、まるで意思を持って僕たちを招き入れるかのように、両側のドアを勢いよく跳ね上げた。

その車内は無人。

 

「阿良々木先輩、ぐずぐずするな! あの鉄屑が起き上がる前に!」

 

「暦、あとでたっぷりと説明してもらうわよ」

神原が僕を担ぎ上げ、ひたぎがベスパを乗り捨てて助手席へ滑り込む。

 

「お前様、儂は影から見守らせてもらうぞ。この鉄の箱の中は、どうにも落ち着かぬ」

忍が僕の影へと溶け込むのを確認し、僕が運転席に転がり込んだ瞬間、ドアが自動的にロックされた。

 

バォォォォォォォォン!!

アクセルを踏む主がいないはずの車体が、怒れる猛獣のような咆哮を上げ、タイヤから白煙を上げて急発進する。

シートに体が沈み込むほどの加速。

背後では、瓦礫の中から立ち上がったバリケードが、全身の装甲を瞬時にスライドさせ、再び漆黒のパトカー――サリーン・S281へと姿を変えていた。

 

031

ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――ン!!

静まり返った街に、邪悪なサイレンの音が響き渡る。

赤と青のパトランプが夕闇を毒々しく塗り潰し、サリーンは重力を無視した加速で僕たちの背後に食らいついた。

 

「追いついてくる……! なんだあの加速は、物理演算が狂ってるぞ!」

神原が窓にへばりついて叫ぶ。

サイドミラーの中で、パトカーの姿をした怪物がじりじりと距離を詰めてくる。そのフォルムは、もはや「警察車両」であることを隠そうともしていない。

カシャ、カシャリッ、という冷徹な機械音。

サリーンの左右のサイドパネルが、筋肉が裂けるように外側へとスライドした。

そこからせり出してきたのは、流線型の不吉なミサイルポッド。

 

「暦、あのアスファルトの染み、今度は花火の準備を始めたみたいよ。……あれを喰らって、私たちの身体がバラバラのジグソーパズルにならない保証はあるのかしら?」

ひたぎが冷や汗一つ流さず、毒舌を吐く。

 

「あるわけないだろ! カマロ、避けろ! 避けてくれ!」

僕の悲鳴に、カマロのハンドルが自律的に激しく回転した。

シュドッ、シュドォォン!!

ミサイルポッドから発射されたのは、通常の爆弾ではない。

先端に鋭利な「返し」がついた、高強度のワイヤーを引きずる銛状のミサイルだ。

ガキィィィン!!

一本がアスファルトを深く穿ち、僕たちの数センチ横をかすめていく。

 

「ターゲット……捕捉。逃走……無意味……」

背後からスピーカー越しに聞こえるのは、バリケードのノイズ混じりの呪詛。

 

「あの野郎、私たちを釣り上げるつもりか! 阿良々木先輩、左だ! 曲がれ!」

神原の指示よりも早く、カマロは計算し尽くされたドリフトで角を曲がる。

しかし、サリーンもまた、物理限界を超えたグリップ力でそれについてくる。

 

「暦、その眼鏡を出しなさい。あの資源ゴミがそれを欲しがっているなら、適当なゴミ捨て場に放り投げてやれば済む話でしょう?」

ひたぎが、神原の胸元に隠された眼鏡を睨みつける。

 

「ダメだ、ひたぎ! これには……これにはきっと、僕たちがまだ知らない『何か』があるんだ!」

そう、この眼鏡の発する放射線。

そしてカマロが送った信号。

この戦いは、単なる強盗と被害者の追いかけっこではない。 

恐らく宇宙規模の「探し物」に、僕たちは巻き込まれている。

バチンッ!!

カマロのオーディオが、突如としてノイズを吐き出し、ラジオのザッピング音の中から言葉を繋ぎ合わせ始めた。

 

『……し……信じろ……』

『……守る……勇者よ……』

 

「……喋った? この車、今喋ったのか!?」

その時、前方の直線道路。

バリケードのミサイルポッドが、最終的なロックオンを告げる赤い光を放った。

十数発の銛状ミサイルが、一斉に僕たちの逃げ道を塞ぐように発射される。

 

「阿良々木先輩、来るぞ!!」

絶体絶命の包囲。

カマロは、その問いに答えるように、シフトノブを自ら「最速」へと叩き込んだ。

 

「まったく、世話の焼ける主よな!」

後部座席、僕の影が爆発するように膨れ上がった。

カマロのルーフを突き破らんばかりの勢いで飛び出したのは、黄金の髪を夜風になびかせた忍。

彼女は走行中のカマロの屋根に器用に立ち上がると、虚空から、全長二メートルを超える巨大な大刀『妖刀・心渡』を引き抜いた。

 

「お前様! 舌を噛まぬよう気をつけよ!」

シュドシュドォォォォン!!

放たれた十数発のミサイルが、熱源を感知してカマロのボディーへと収束する。

忍は不敵に口角を上げると、その怪力で大刀を旋回させた。

キンッ、ガキィィィィィィン!!

凄まじい金属音が響く。

本来、その妖刀は怪異のみを斬り、実在する物質を斬ることは叶わない。

しかし、斬れないということは、すなわち「この世で最も硬い鉄棒」として機能することを意味していた。

神速の剣筋が、飛来するミサイルを次々と叩き落とし、軌道を逸らしていく。

叩かれたミサイルは空中で歪み、民家の塀や電柱に突き刺さって火花を散らした。

 

「すごい……! 本当に叩き落としてる!」

 

「阿良々木先輩、感激している暇はないぞ! 前を見ろ、袋小路だ!」

神原の叫びに顔を上げると、直江津港の端、取り壊し寸前の巨大なセメント工場の廃墟が壁のようにそびえ立っていた。

 

「大丈夫だ、死なない! 吸血鬼のパートナーがついてるんだ、絶対死なない!」

僕は自分に言い聞かせるように、あるいは自分を騙すように絶叫した。

だが、カマロは減速するどころか、ニトロでも噴射したかのような爆発的な加速を見せ、その廃墟の錆びついたシャッターへと真っ向から突っ込んでいった。

 

「――前言撤回、やっぱり駄目だ! 死ぬ! 今度こそ死ぬぅぅぅぅ!!」

 

ガァァァァァァァァン!!

薄い鉄板のシャッターを紙細工のように突き破り、カマロは廃工場内部へと侵入した。

中は複雑に絡み合ったコンクリートの支柱と、巨大なミキサー、そして積み上げられた資材の山。

カマロはそこで、物理法則をあざ笑うような超絶技巧のドリフトを敢行した。

サイドブレーキを引き絞ったようなスキール音。

車体は真横を向き、廃材の山を数センチの差で掠めながら、迷路のような工場内を滑走する。

 

「キャ、アアアアアアアア!!」

あのひたぎが、重力に翻弄され、僕の腕の中に倒れ込んできた。

「暦……! あなた、この車を降りたら……末代まで呪ってあげるわ……っ!」

 

「僕のせいじゃない! 全部この車の、黄色いあいつのせいなんだよ!」

背後からは、壁を粉砕しながら突進してくるバリケードの轟音が響く。

サリーンはパトカーのフォルムを保ったまま、まるで地獄の猟犬のように、カマロが描いたドリフトの軌跡を最短距離でトレースしてくる。

工場内にサイレンの音が反響し、逃げ場のないプレッシャーが僕たちを押し潰そうとしていた。

工場の出口が見える。

しかし、その先は崖っぷちの岸壁。

カマロは迷うことなく、アクセルを全開にした。

 

「……阿良々木先輩、ひょっとしてこの車、空を飛ぶつもりか………?」

神原が、恐怖を通り越したような乾いた笑いを浮かべる。

 

「飛ぶわけないだろ! 車なんだぞ!」

僕の否定を切り裂くように、カマロのオーディオから再びノイズ混じりの声が響いた。

『……準備は……』『いいか……?』

 

「「「いいわけないだろうが!!」」」

異口同音、満場一致の僕らの叫びを合図に、黄色いカマロは岸壁を蹴り、漆黒の海へと向かって跳躍した。

月光の下、黄色いボディーが宙を舞う。

 

032

「――っ!?」

浮遊感。胃がせり上がるような、内臓が重力を忘れた感覚。

窓の外には、月光を反射してぎらつく真夜中の日本海が広がっていた。

 

「忍! 何とかしろ、このままじゃ水没――」

 

「案ずるな、お前様! この鉄塊、沈む気はないようじゃぞ」

 

ドォォォォン!!

凄まじい衝撃と共に、カマロは海面へと着弾した。

大量の飛沫がフロントガラスを覆い、一瞬にして視界が闇に閉ざされる。本来なら、窓の隙間から冷たい海水がなだれ込み、僕たちは一蓮托生、海の藻屑となるはずだった。

だが。

 

「……え? 水が入ってこない?」

神原が呆然と呟く。

カマロのボディーは、着水の瞬間に目に見えない気密性を確保したかのように、一滴の浸水も許さなかった。それどころか、車体下部から何らかの推進力が噴射されているのか、カマロは重厚な質量を持ちながらも、潜水艇のような滑らかさで海中を突き進んでいく。

車が潜水艇になるという、僕の常識の地平線を強引に書き換えるような出来事に対して、僕の脳内では戦場ヶ原への言い訳の構成案が、走馬灯のように駆け巡っていた。

窓の外を、巨大な泡と暗い海流が通り過ぎていく。

 

「暦……。もしこれが、あなたの用意したサプライズだとしたら、後でホッチキスの針を百本は飲ませてあげるわ。……今のうちに遺言を考えておくことね」

ひたぎが、僕の腕を折れんばかりの力で握りしめながら、青ざめた顔で囁いた。

 

「だから、僕じゃないって言ってるだろ! カマロ、お前……一体何者なんだよ」

カマロは返答の代わりに、海中でさらに加速した。

工場の岸壁から数十メートル。

追撃してきていたバリケードは、流石にこの無茶な入水には付き合えなかったのか、岸壁の端で漆黒の巨体を震わせ、赤い眼光を海面に向けて放っていた。

 

数分間の海底走行を経て、カマロは直江津港のさらに北側に位置する、広大な臨海工業地帯の物揚場へと乗り上げた。

ザバァッ、と海水を滴らせながら、黄色いボディーが月光の下に再び姿を現す。

 

「ふぅ……生き返った。まさか車に乗ったまま竜宮城へ行かされるとは思わなかったぞ」

神原が大きく息を吐き出す。

カマロは無機質なエンジン音を響かせながら、複雑に入り組んだ配管と巨大なタンクが並ぶ、迷路のような工業地帯の奥深くへと入り込んでいった。

 

「ここなら、あのパトカーもすぐには追ってこれないはずだ。……よし、今のうちに降りて逃げ――」

 

ガチャンッ!!

 

僕がドアノブに手をかけた瞬間、車内に重厚な金属音が響いた。

「……あ、あれ?」

ドアが開かない。

「暦、何をしてるの。早く開けなさい」

ひたぎも助手席のドアを押すが、びくともしない。

 

「ダメだ、ロックされてる。集中ドアロックとかのレベルじゃないぞ。……おい、開けてくれ! カマロ、お前僕たちを助けてくれたんじゃないのかよ!」

 

「閉じ込められた……?」

 

窓の外は、静まり返った工業地帯。

しかし、遠くからあの忌々しい、心臓を直接揺さぶるようなV8エンジンの咆哮と、邪悪なサイレンの音が、徐々に、しかし確実に近づいてくるのが聞こえた。

バリケードは、まだ諦めていなかった。

 

カマロはエンジンの回転数を極限まで落とし、巨大な石油タンクの死角へと滑り込んだ。

車内の明かりはすべて消え、オーディオのノイズすらも息を潜める。密閉された空間に、僕とひたぎ、そして神原の荒い鼓動だけが響いていた。

 

「……阿良々木先輩」

後部座席に陣取っていた神原が、声を潜めて僕の肩を叩いた。

彼女の手には、先ほどまで死守していたあの「眼鏡」が握られている。

 

「これを持っていてくれ。私よりも、今このハンドルの前に座っている先輩が持っているべきだ。……嫌な予感がするんだ。これを手放せば、この車は私たちを見捨ててしまうかもしれない」

 

「神原……」

僕は後部座席から差し出された、重みの増した遺品を受け取った。

レンズの傷から漏れる微かな熱が、僕の掌を伝って心臓を急かす。

 

「暦、しっかり持ちなさい。それが今の私たちの『乗車券』なのよ」

助手席で前方を凝視したまま、ひたぎが短く告げた。

運転席に僕、助手席にひたぎ、後部座席に神原。

いつものメンバーによる、いつもの放課後のような座席配置。

けれど、フロントガラスの向こう側に広がるのは、日常の皮を被った異星の戦場だ。

 

「……分かってる。しっかり持ってるよ。絶対、離さない」

僕が眼鏡をポケットの奥に押し込んだ瞬間、カマロのインストルメントパネルが呼応するように青く明滅した。まるで「それでいい」と肯定されたかのような感覚。

 

ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――。

すぐ外のアスファルトを、あの漆黒のサリーンがゆっくりと通過していく。

赤と青のパトランプの光が、スリット状に窓を横切り、車内を不吉に撫でた。バリケードの「眼」が、すぐ数メートル先で僕たちを執拗に探している。

ひたぎが僕の腕を握る力が強まった。神原は息を止め、猿の左手に力を込めている。

やがて、サイレンの音が遠ざかり、重低音が夜の闇に吸い込まれていった。

……やり過ごしたのか?

その瞬間だった。

カマロのエンジンが、爆発的な咆哮と共に再始動した。

 

「なっ、いきなり何だ!?」

タイヤが悲鳴を上げ、僕たちは再びシートに叩きつけられる。カマロは迷路のようなタンク群を抜け、港湾道路の大きな橋を一気に駆け抜けた。

辿り着いたのは、工業地帯の最果て。

遮蔽物のない、巨大なガスタンクがまばらに並ぶだけの広大なコンクリートの広場だった。

 

キィィィィィィィィィッ!!

激しいスピンターン。カマロが完全に停車した直後、四枚のドアロックが「ガチャン!」と同時に解除され、左右のドアが勢いよく跳ね上がった。

 

「――出なさい、暦、神原!」

ひたぎが僕の襟首を掴んで、放り出されるように車外へと飛び出した。

僕たちがアスファルトに転がり込み、神原が身構えた次の瞬間。

黄色い車体が、内側から爆発するように「変形」を始めた。

 

033

それは、既存の物理学に対する冒涜であり、鋼鉄による舞踏だった。

まず、黄色い塗装が施されたボンネットが中央から二裂し、エンジンブロックが咆哮と共にせり上がってくる。

フロントガラスは複雑な多角形へと分割され、車体内部へと折り畳まれていく。内装のシートやハンドルは、まるで生き物の内臓が裏返るように反転し、骨格となる黒いフレームを形成していった。

ガシャ、ギチ、カシャリッ。

時計の秒針を数万倍に増幅したような、緻密で暴力的な機械音が広場に反響する。

タイヤは四分割され、それぞれが足首と踵、そして腕の関節を構成するパーツへと形を変えていく。ドアパネルは翼のように背中へと回り、複雑に重なり合いながら、カマロの象徴であった黄色い装甲へと再構築されていった。

パーツの一つ一つが、意思を持った歯車のように噛み合い、スライドし、重なり合う。

その密度は、人間に「理解」を許さないほどに圧倒的だった。

最後に、胸部の中央に複雑な歯車が収束し、そこから首となるシリンダーが伸長する。

現れた頭部。

円形の青い光学センサーが、カメラのレンズを絞るような音を立てて明滅し、僕たちを真っ直ぐに見据えた。

全高五メートルを超える、鋼鉄の巨人。

先ほどのバリケードのような邪悪な刺々しさはない。

そこにあるのは、洗練された力強さと、どこか人間味を感じさせる重厚なフォルム。

背中に翼のように配置されたドアと胸部のフロントグリルがかろうじて僕の車であったことを示していた。

 

「……阿良々木先輩。もう、見間違いとは言わせないぞ」

神原が、眼鏡を抱えたまま呆然と立ち尽くす。

ひたぎは、手に持ったホッチキスをゆっくりと下ろした。彼女の瞳には、人類が初めて未知の知性に遭遇した時のような、根源的な戦慄が浮かんでいた。 

 

「……嘘、でしょ」

ひたぎの唇から、乾いた溜息が漏れた。

変形を終えた黄色い巨人は、その巨体に似合わない流麗な動きで大地を踏み締めた。

ズシン、という重厚な地響き。

巨人は両の拳を固め、ボクサーのように顔の前に掲げた。前傾姿勢を取り、重心を低く保つその構えは、明らかに「戦闘」の意思を表明している。

 

「おい、お前ら! 呆けてる場合じゃない、後ろに下がれ! 踏み潰されるぞ!」

巨人が一歩踏み出すたびに、コンクリートに亀裂が走り、僕たちの視界が上下に激しく揺れる。

 

「……あ、阿良々木先輩、あの人たち……いや、あのロボットたち、喧嘩するつもりか?」

神原が、腰を抜かしそうになりながら呟く。

僕はその巨大な闘士たちの足元で、神原の襟首を掴み、ひたぎの背中を押して、踏み潰されないよう必死に後ずさった。

影の中にいた忍も、いつの間にか僕の肩に乗り、黄金の瞳を爛々と輝かせてその光景を注視していた。

 

「かか、こやつは面白い。怪異も神秘も介さぬ、純然たる鋼の武人よ」

その時、広場の入り口を封鎖するように滑り込んできた漆黒のサリーンも、走行中の慣性を利用して「変形」した。

ガシャガシャガシャッ!!

パトカーとしてのフォルムを投げ捨て、変形するバリケード。

それはまさに、金属によるゲシュタルト崩壊。

奴は変形の勢いを殺さぬまま、猛烈なタックルで黄色い巨人に襲いかかった。

 

「妨害個体、排除! 眼鏡を渡せェ!!」

バリケードの喉から漏れる、歪んだ電子の咆哮。

迎え撃つ黄色い巨人は、一歩も引かずにその突撃を正面から受け止めた。

ドォォォォォン!!

鋼鉄と鋼鉄が正面衝突し、衝撃波が広場の空気を震わせる。

 

「……阿良々木先輩、あれはもう、私たちが口を挟める次元じゃない!」

神原が、激突の余波で舞い上がった砂塵を払いながら叫ぶ。

五メートルを超える金属生命体同士の、文字通り骨を断ち、肉を削る(それがオイルとギアであったとしても)死闘。

 

着地と同時に、バリケードの左腕のパーツが歪に蠢き、恐ろしい武器へと姿を変えた。

ギチギチ、と不気味な音を立てて展開されたのは、無数の鋭利なスパイクが突き出した巨大なホイールだ。それは強靭な金属チェーンによって腕と繋がれており、バリケードが腕を振るたびに、周囲の空気を切り裂いてうなりを上げる。

 

「チッ、野蛮な武装ね……!」

ひたぎが息を呑む。

さらにバリケードの胸部――パトカーのフロントグリルだった部分が、内側から激しくぶち破られた。

 

「ウィトウィッキーノ眼鏡!」

中から飛び出したのは、人間ほどの大きさしかない、銀色の痩せ細った金属生命体――フレンジーだ。

昆虫のような多脚と、無数の回転カッターを備えたその「末端」は、着地するなり猛烈な速度で地面を這い、僕たち四人を標的に定めた。

 

「神原、あいつを止めろ! 忍!」

 

「言われるまでもない! あのような無粋な機械人形に、神原家の居間を荒らされてたまるか!」

 

「お前様、猿娘。あのデカい方は鉄屑に任せて、儂らはこの銀色の蝿を墜とすとしようぞ!」

 

忍が『心渡』を構え直し、神原が『猿の左手』を剥き出しにする。

バリケードがスパイクホイールを凄まじい勢いで振り回し、カマロの顔面を狙って投げつけた。

鉄と鉄、怪異と異星の知性。

直江津の臨海工業地帯が、一瞬にして地球上のどこにもない、地獄の戦場へと変貌した。

 

034

銀色の小型ロボットが、手の回転カッターを火花が散るほど高速回転させながら、一直線に僕へと躍りかかってきた。

昨夜の警察沙汰という最悪の夜を越え、今日はさすがにパジャマではない。Tシャツにジーンズという、動きやすさだけを重視した格好に着替えていたのが、せめてもの救いだった。

 

「お前様、下がるのじゃ!」

忍の声と同時に、彼女が『心渡』を横一閃に振るう。

銀色の、多機能すぎる殺意の塊が不自然な角度で宙を舞い、忍の太刀を回避した。そこへ、神原が驚異的な跳躍で割り込む。

 

「逃がさんぞ、鉄屑! 私の私生活を暴いた罪は重い!」

神原の『猿の左手』が空気を引き裂き、フレンジーの細い四肢を捉えようとするが、奴は壁を走り、配管を伝って、執拗に僕との距離を詰めてくる。

忍と神原の猛攻を、その昆虫のような機動力で紙一重でかわし続け、フレンジーは僕の胸元へと飛び込んできた。

 

「捕マエタゾ、有機生命体ッ!」

 

「うわああああああああっ!!」

僕は反射的にフェンスを乗り越え、野原へと続く急斜面を転がり落ちた。

小石と雑草が肌を刺し、ジーンズが泥に汚れる。斜面の終わりで地面に叩きつけられた僕の背中に、フレンジーが勝ち誇ったように取り付いた。

布地に冷たい金属が突き刺さる。

薄手のガーゼ越しに包丁を突きつけられているようだと言えば、読者諸君には分かりやすいだろうか。

銀色の鋭利な爪が、僕の喉元を刈り取らんと振り上げられた、その瞬間――。

 

「――待たせたわね。備品管理表には『鉄屑の解体処分につき借用』と一筆書いておいたわ」

背後から響いたのは、死神の鎌よりも冷徹な愛の宣告。

振り返れば、近場の工場の備品室から「借りて」きたのであろう、無骨なエンジンチェーンソーを両手で構えた戦場ヶ原ひたぎが立っていた。

 

「死になさい。資源ゴミに分類される価値すらない、ただの汚物」

バリバリバリバリッ!!

凄まじいエンジン音と共に、鋭利な刃が高速回転を始める。

ひたぎは迷うことなく、僕の背中に取り付いたフレンジーの首筋を目掛けてチェーンソーを振り下ろした。

ガギギギギギギギィィィン!!

火花が夜の野原を真っ赤に照らす。

超振動と回転刃の暴力が、フレンジーの首の関節を構成するボルトと配線を強引に噛み切り、引き裂いた。

 

「ギガッ……!? 警、告……機能、停止……」

フレンジーの頭部が、火花を散らしながら宙を舞った。

胴体はそのまま斜面を数メートル転がり、異質な液体を吹き出しながら沈黙する。

だが、転がった頭部はまだ生きていた。多脚をワサワサと生やし、首だけで闇の中へ逃げようと足掻く。

 

「逃がすかよ……っ!」

僕は立ち上がると、泥だらけのジーンズのまま、渾身の力でその首を蹴り飛ばした。

 

「あっちへ行け! この、ストーカーロボットが!!」

パコォォォォォォン!!

深夜の野原に、場違いなほど乾いた音が響き渡る。

フレンジーの頭部は放物線を描き、闇の向こう側へと消えていった。

 

「……ナイスキックよ、暦。でも、まだ本命が残っているわ」

ひたぎが停止したチェーンソーを後方に投げ捨てながら、丘の上の工業地帯を見上げた。

そこでは、黄色い巨人と黒い巨人が、文字通り地響きを立てて殴り合っていた。

 

035

丘の上、臨海工業地帯の広場では、二体の巨神による力と力の蹂躙が極点に達していた。

バリケードが咆哮を上げ、左腕に直結された凶悪なスパイクホイールを旋回させる。遠心力を得たそれは、夜の闇を物理的に切り裂く不快な断裂音を撒き散らしながら、カマロの頭部を目掛けて放たれた。

 

「死ね、オートボットォッ!!その黄色い装甲ごと、ミンチにしてやる!」

凄まじい火花と衝撃。だが、彼は逃げなかった。

彼はその青い光学センサーに静かな闘志を宿し、あえて一歩踏み込むと、超重量のスパイクホイールを両手の掌で、真っ正面からガッチリと受け止めたのだ。

 

ギギギギギギギギィィィン!!

回転し続けるスパイクが巨人の掌の装甲を削り、凄まじい摩擦熱と金属の悲鳴が周囲に充満する。しかし、黄色い巨人の足元のアスファルトが重圧で爆ぜるほどに力を込め、その「凶器」の回転を力任せに強制停止させた。

 

『……ッ、ハァァッ!!』

カマロは内蔵オーディオから勇壮なオーケストラの断片を響かせると同時に、チェーンを掴んだままバリケードの巨体を強引に引き寄せた。

 

「阿良々木先輩、あれは柔道か!?」

 

「いや、あれはただの暴力だ!」

叩きつけられた変電所が悲鳴を上げ、数万ボルトの青白い火花が夜空を真昼のように塗り潰す。その光の中に浮かび上がる黄色い巨人のシルエットは、神話の英雄か、あるいは僕たちの日常を破壊しに来た残酷な侵略者のようにも見えた。

 

「グ、ア、ガガッ……!!」

過負荷によるショートで全身を痙攣させるバリケード。だが、彼は地獄から這い上がる悪鬼のように、火花散る残骸の中から再び立ち上がった。

黒いパトカーの執念は消えていない。

バリケードは強引に立ち上がると、再びサリーンへと変形し、エンジンを限界まで吹かして猛然と突っ込んできた。

 

対する黄色い巨人は、近くに放置されていた自動車解体用の鉄球付きクレーン車へと手を伸ばした。

黄色い巨人はキャノンで支柱を撃ち抜き、突進してくる黒いパトカーに対し、巨人はクレーンのアームを棍棒のように振り抜く。

激突の直前、バリケードは衝撃に備えてロボットモードへと再変形したが、それが仇となった。

ガギィィィィィィィン!!

凄まじい質量を持った鉄球が、バリケードの胴体を真横から捉えた。

鋼鉄の骨格がひしゃげ、火花と冷却液を撒き散らしながら、黒い巨人はコンクリートの壁を幾層も突き破って沈黙した。

 

その頃。

蹴り飛ばされたはずのフレンジーの頭部が、ガスの立ち込める野原を這いずり回っていた。

多脚を小刻みに動かし、それは獲物を探す蜘蛛のように、地面に落ちていたひたぎの携帯電話へと辿り着く。

青白いレーザーが頭部のレンズから放たれ、携帯電話を執拗にスキャンした。

カシャ、ギチ、カシャリッ。

携帯電話を投げ捨てると、フレンジーの頭部は自らの質量を再構築し、驚くべき緻密さでその携帯電話と「瓜二つ」の形状へと変形を遂げた。

それはもはや、ただの通信端末にしか見えない。

ひたぎは巨人の存在に気を取られ、自分の持ち物が「すり替わった」ことには微塵も気づいていなかった。

 

036

戦いが終わり、静寂が訪れる。

立ち込める白い煙と、破壊された変電所から漏れるライトの光。

その向こう側から、重厚な足音が聞こえてきた。

煙を割って現れたのは、黄色い巨人だ。

その右腕は巨大なキャノン砲へと変形しており、銃口からは熱を帯びた煙が立ち昇っている。巨人は煩わしそうにその腕を振り、煙を払って僕たちの前まで歩いてくる。

 

「何なのよあいつ……」

 

「……ロボットだ。それも超最先端のロボだ。きっとアメリカ製だよ」

僕は呆然と、その美しくも猛々しい姿を見上げ、近づく。

 

「暦?」

 

「何をする気だ?阿良々木先輩」

 

「大丈夫、襲っては来ないよ」

 

「本当?ロボット語をいつの間に習得したのかしら」

 

「神原の眼鏡が目当てなんだ」

 

「え?」

戸惑うひたぎに、僕に代わって神原が説明する。

「あのパトカーは私がオークションに出した父の眼鏡を狙っていたのだ」

 

「暦、あなたほどの変わり者は今まで見たことがないわ」

 

「『変物語(カワリモノガタリ)』ってか」

それを聞き、ひたぎが呆れたように笑う。

 

「君……ひょっとして、喋れるの?」

僕は巨人に話しかける。

彼は首を傾げると、胸のスピーカーからノイズ混じりの音声を繋ぎ合わせ始めた。 

『こちらXMサテライト』『それではラジオの時間です!』

陽気なMCのカットイン。

最後に禍々しいノイズが走った気がしたが、それは元の音声が悪かったようだった。

 

「ラジオを使って喋るのか?」

『素晴らしい!いや〜お見事です!』

クイズ番組の正解チャイムと共に、盛り上がる観客の声が響く。

 

「……じゃあ、昨日のあれは何だったんだ? ガレージから勝手に出ていったり、僕を追いかけたりしたのは」

『宇宙艦隊よりメッセージです』『遥かなる宇宙の深淵より……』『天使が来た!天からの使者!ハレルヤ!』

荘厳な合唱曲と、SF映画のナレーションが組み合わさる。

 

「……天からの使者? あなた……エイリアンか何かなの?」

ひたぎが眉をひそめて問いかけた。

巨人は静かに首を傾げると、再びパーツを複雑にスライドさせ、滑らかな動きで黄色いカマロへと変形し直した。そして、僕たちの目の前でドアを静かに開いた。

カーステレオから、今度は落ち着いた、けれどどこか威厳のある音声が流れる。

『他に聞きたいことはあるか?』

 

「……乗ろう」

僕は迷わずに言った。

 

「正気なの、暦? ロボット同士のデスマッチを特等席で見たばかりなのよ。これ以上関われば、私たちの日常はホッチキスの芯よりも粉々になるわ」

ひたぎが僕の腕を掴む。

 

「分かってる。でもさ、ひたぎ。……50年後に、『あの時ああすれば良かった』って後悔したくないだろ?」

僕の言葉に、ひたぎはふっと毒気を抜かれたように溜息をついた。

 

「……50年後まで私と一緒にいるつもりなら、いいわ。その言葉、信じてあげる」

 

「私も行くぞ、先輩! この『眼鏡』の謎を解かない限り、私の安眠はないからな!」

神原が後部座席に飛び込み、忍が僕の影へと滑り込む。

僕たちが乗り込んだ瞬間、シボレー・カマロは力強い咆哮を上げた。

その後ろではバリケードが瓦礫に埋もれ、起き上がろうとするも、力なく横たわっている。

 

「阿良々木先輩、忘れ物だ。戦場ヶ原先輩の携帯も落ちていたぞ」

神原が地面から拾い上げた「それ」を、僕のバッグに放り込む。

それが、さっき僕が蹴り飛ばした怪物の成れの果てだとは、その時の僕たちは知る由もなかった。




次回豫告
「影縫余弦や」

「何でも知ってるおねーさん、臥煙伊豆湖だよ」

「もしもし、臥煙先輩。北極から定例報告やけど聞こえるか?電波悪うて堪忍な」

「ああ、聞こえているとも。北極はどうだい、余弦」

「最高やね。ここは一面氷の上や。地に足付くこと気にせんでええから気楽なもんや。この前も綺麗なオーロラ見たわ。……ああ、それとな、北極の神秘いうんかな。氷原にでっかい穴がぽっかり開いとる場所があってな、思わず二度見してもうたわ。何千年も前からそこにあるような、あるいは、ついさっき誰かが無理やりこじ開けたような、不気味な大穴や」

「そうかい。じゃあ最近、何か変わったことはないかい? 私の耳にまだ届いていない『何か』――あるいは、私ですら耳を疑うような『何か』が」

「何でも知っとる先輩の耳に届かへんことなんて無いやろがい。まあ、 不死身の怪異が出たんなら、片っ端からうちがボコすさかい安心しといてや。それ以外は……せやね、ついさっき、真っ昼間から4個のでっかい流れ星が仲良く並んで落ちていくんが見えたわ。大気圏を突き破る真っ赤な火球や。景気がええやろ?あれなら、どんな願い事でも叶いそうやね」

「流れ星ね……。昔から願いが叶う予兆とも、あるいは凶兆とも言われているが。――それがただの『星』であれば、まだ良かったんだがね」

「「次回、こよみフォーム 其ノ陸」」

「余弦はそのまま、北極熊とでも武者修行していておくれ。……私は、少しばかり忙しくなりそうだからね」
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