037
ワシントンD.C.の北西、レンガ造りのアパートの一室。
羽川と扇が1台のパソコンの画面を挟んで、頭を抱えていた。
画面上では、ペンタゴンから密かに引き抜いたデータの断片が、複雑な幾何学模様のように入れ替わり立ちかわり踊っている。
「……おかしい。計算が合わにゃい。いや、論理の組み立て方そのものが間違っているのかにゃ?」
「ブラック羽川化しつつあるじゃないですか。『理解できない』ということが、それほどストレスなのですか?」
白い髪の面積が拡大しつつある羽川が額の汗を拭うこともせず、モニターを凝視する。
その指先はキーボードの上で微かに震えていた。彼女にとって理解できないことに直面するのは、物理的な暴力に晒されるよりも酷な苦痛だった。
「――プロジェクト・アイスマン。一九三〇年代から続く超長期の凍結保管計画。つまり合衆国政府が、原子爆弾の理論すら確立される前から、この『何か』を隠蔽し続けていたということ……で良いのかな?」
「概ねその認識で合っているはずです」
扇の長い袖がキーボードの上で踊る羽川の指先をなぞるように影を落とす。
「……ここまで来ると陰謀論に片足どころか、頭から突っ込んでいるようなものだね。持ち込んだ私が言うのもあれだけど、にわかには信じられない」
「信じられない、ですか。私からしてみれば怪異という『非論理の塊』を知っている先輩が、そんな言葉を吐くことの方が信じられませんねぇ」
扇と羽川の思考は、既存の「科学」の領域からすでに逸脱し始めていた。
これは国家間のサイバー戦争ではない。ましてや、ロシアや中国の新型兵器でもない。
もっと根源的で、もっと古い……地球という惑星の歴史に、強引にホッチキスで留められたような「異物」。
「アイスマン……。もし、それが北極で見つかった未知の物体を指すコードネームだとしたら、現在ペンタゴンが必死に追っている信号は、その『アイスマン』を呼び起こそうとしている……あるいは、捜している?」
「おやおや、正解に近いようでいて、一番大切なピースが欠けていますね。その胸に頭の栄養を取られたのですか?先輩、貴女は『何を隠したがっているか』に執着しすぎて、『誰がそれを隠したがっているか』を忘れている」
扇が薄気味悪い笑みを浮かべ、窓の外を袖で示した。
「……例えば、あそこに並んだ黒いSUVの集団とか」
その瞬間。
アパートの廊下から、耳を劈くような破壊音が響いた。
「FBIだ! 動くな!!」
衝撃と共に、古びた木製のドアが蝶番ごと吹き飛んだ。
室内に飛び込んできたのは、重武装のタクティカルベストに身を包んだ人質救出チームの隊員たちだ。彼らの手には、標的の網膜を焼き切らんばかりのタクティカルライトが握られ、その光軸は迷うことなく羽川と扇の眉間に固定された。
「両手を上げろ! パソコンから離れろ!!」
怒号が狭い部屋に充満する。
「……待ってください! 私たちはただの学生です! ペンタゴンのケラー長官からの依頼で――」
「黙れ! 容疑者ツバサ・ハネカワ、および同行者一名。貴様らを合衆国法典第十八編第七百九十三条……国防情報の漏洩およびスパイ容疑で拘束する!」
一人の捜査官が、羽川の細い腕を強引に捻り上げ、冷たい金属の感触――手錠を嵌めた。
038
再び、直江津町。
僕たちは、意志を持つ黄色いカマロ――ロボットに変形する時点でカマロとは言えないのだろうけども――の内側にいた。
座席のホールド感、ハンドルの振動、そして窓の外を流れる夜の工業地帯の風景。そのどれもが現実味を欠いているけれど、僕の隣で不機嫌そうに腕を組むひたぎと、後部座席で興奮を抑えきれずに窓に張り付く神原の存在だけが、ここが夢ではないことを証明していた。
「……信じられない光景を立て続けに見せられたけど、冷静に考えてみてくれ。あの黒いパトカーも、この黄色いカマロも、明らかに現代の科学水準を超えている」
僕は運転席に座りながら、誰に言うでもなく呟いた。
「あれは怪異じゃない。忍の言う通り、もっと物理的な……そう、例えば最新鋭の戦闘ロボットか、あるいは未来から来た殺人マシンと考えるのが妥当だと思うんだ」
「暦、あなたのその安いSF小説のような考察には欠陥があるわ」
助手席のひたぎが、鋭い視線でダッシュボードを射抜く。
「もしこれがターミネーターのような超最先端の戦闘ロボだというなら、なぜこの個体は、よりによってこんな中古車屋の隅で埃を被っていそうなボロいカマロを選んだのかしら? 」
「確かに。最新鋭と言うには、この内装は……少々年季が入りすぎているな。カマロくん? 君、本当は型落ちなんじゃないのか?」
神原がシートをパンパンと叩く。
なんとも酷い言われようである。
その瞬間だった。
カマロのエンジンが、不服そうに「バフッ」と排気音を鳴らした。
ステレオから流れたのは、皮肉めいたノイズ混じりのラジオ番組の一節。
『……失礼な……』『……ヴィンテージの価値が……』
「……怒ったのか?」
僕が冷や汗をかいた直後、カマロは急加速し、山道にある広大な片側二車線のトンネルへと滑り込んだ。
オレンジ色のナトリウムランプが等間隔に流れる中、カマロは突如として急ブレーキをかけ、僕たちの側のドアを勝手に跳ね上げた。
「降りろ」という明確な拒絶の意思。
「あら、図星を突かれて逆ギレかしら。器の小さい車ね」
ひたぎが毒を吐きながら降り、僕と神原もトンネルの歩道へと追い出された。
「おい、置いていくのかよ!」
僕の叫びを無視して、無人のカマロは猛然と加速していった。
だが、彼は去ったわけではなかった。
トンネルの先、対向車線を走ってきた一台の最新鋭のシボレー・カマロ。
それとすれ違う瞬間。
僕たちのボロいカマロは、突如として左側の二輪を浮かせる――片輪走行を敢行したのだ。
そのまま、触れんばかりの至近距離で並走し、青白いスキャン光を走らせる。
「……あ、あれを見ろ!」
神原が指を差す。
トンネルの反響音と共に、あの伝説的な復讐劇のテーマ曲――『キル・ビル』の『Battle Without Honor or Humanity』のイントロが鳴り響き始める。
曲の出処は明白だ。
布袋寅泰のギターが唸りを上げる中、黄色い車体は走りながら「脱皮」を始める。
ボロい装甲が剥がれ落ち、内側から目も眩むような鏡面仕上げのイエローと、鋭利なブラックのストライプがせり出してくる。
それは、最新型のシボレー・カマロ・コンセプト。
キィィィィィィィィィッ!!
トンネルの出口で鮮やかなUターンを決め、僕たちの目の前に滑り込んできたのは、もはや「ボロい」という形容を一切許さない、暴力的なまでの輝きを放つ最新鋭のスーパーカーだった。
窓ガラスがスモークになり、ヘッドライトが意志を持つ獣の眼光のように輝く。
「……わかったよ。お前が最高にカッコいいってことは、嫌というほど理解した」
僕が呆然と呟くと、カマロのドアが再び開き、誇らしげに車内を明滅させた。
「……悔しいけれど、さっきよりはマシなセンスね。及第点を与えてあげるわ」
ひたぎが、少しだけ口角を上げて助手席に戻る。
最新型へとその姿を「リ・スキャン」したカマロの車内は、先ほどまでの煤けた匂いが嘘のように、新車の革製品と、微かな電子回路の熱が混ざり合った、清潔でいて暴力的な香りに満ちていた。
「……阿良々木先輩、これはすごいな。座り心地が、まるで最新鋭のコックピットみたいだぞ」
神原が興奮気味にシートを撫で回す。
「本当、君は一体何者なんだ……?」
僕は運転席から、一人でに回るハンドルに問いかける。
返事は無かった。
039
トンネルを出て、着いた先は僕らには馴染み深い場所だった。
かつて八九寺と出会い、ちょっと前に本来の名前を知った、過去と現在が交差する場所。
浪白公園。
僕たちは吸い寄せられるように車を降りる。
「……暦、見て。今夜は流星群なんてなかったはずよ」
ひたぎが指差す夜空の向こう、北極星よりも鋭い輝きを放つ「星」が、一つ、また一つと増えていく。
「先輩、あれは流れ星じゃない。……真っ直ぐ、こっちに来るぞ!」
神原が身構える。
夜の帳を切り裂き、大気を焦がす轟音と共に、四つの燃え盛る火球――彗星が、弾道ミサイルのような軌道で直江津の街へと降り注いできた。
ひたぎが僕の手を強く握る。その掌は、驚くほど冷たく、けれど熱を帯びていた。
――第一の衝撃。
僕たちのすぐ頭上、十数メートルという至近距離を、白熱する金属の塊が通過した。
衝撃波で遊具が震え、ひたぎの髪が激しく煽られる。
落ちた先は、かつて忍が忍野メメと共に過ごし、僕が数々の怪異と対峙した場所――今はなき学習塾廃墟跡地へと、容赦なく突き刺さった。
土砂が夜空高く舞い上がり、オレンジ色の爆炎が木々のシルエットを不気味に浮かび上がらせる。
――第二の衝撃。
場所は変わって、私立直江津高校のグラウンド。
かつて僕がドラマツルギーと死闘を繰り広げ、「初代怪異殺し」死屍累生死郎と決闘をした無人のグラウンドに、巨大なクレーターを作る勢いで第二の彗星が着弾した。
夜間照明の鉄塔が飴細工のように折れ曲がり、人工芝が猛烈な勢いで燃え広がる。
――第三の衝撃。
直江津市街地。
「な、なな、何なのあれ! 火憐ちゃん、世界滅亡!? 宇宙人の襲来!?」
「落ち着け月火ちゃん! この正義の味方・ファイヤーシスターズがいる限り、地球は割らせないッ!」
ミスタードーナツ直江津店、その目と鼻の先にあるオフィスビルに、第三の彗星が激突した。
窓ガラスが爆風で全方位に飛散し、ドーナツを貪っていた中学生や親子たちが、トレーを放り出してパニックに陥る。
ビルを貫いた火球は、そのまま地下駐車場へと消え、アスファルトを溶岩のようにドロドロに溶かしていった。
「あああ!火憐ちゃん! 私の、私のポン・デ・リングがぁ! 許さない、宇宙人だか犯人だか知らないけど、ファイヤーシスターズが正義の鉄槌を下してやるんだからぁ!」
――第四の衝撃。
そして、それは静寂を切り裂いて届いた。
直江津町の北側に位置する、北白蛇神社。
社殿の裏手に広がる、澄んだ水を湛えた古池に、最後の彗星がダイブした。
水柱が社殿の屋根を超えるほど高く上がり、神社の境内に凄まじい湿り気と熱気が充満する。
「……ふぇ? な、なんですか。景気のいい目覚まし時計ですね……」
本殿で寝ていたリュックサック姿の少女――八九寺真宵が、目を擦りながら起き上がった。
僕とひたぎ、そして神原はまだ熱気が渦巻く廃墟跡地にできたクレーターの縁へと駆け寄る。
「すでに更地になっておるとはいえ、凄まじい光景じゃの」
影から忍が顔を出し、呟く。
「……熱い。空気が焼けてるみたいだ」
僕は腕で顔を覆いながら、クレーターの底を覗き込んだ。
そこには、僕たちが知る「隕石」などという無機質な岩石は存在しなかった。
土煙の向こう側に横たわっていたのは、鈍い光を放つ暗い銀色の、涙型をした金属体だった。
「……なんて美しい、そして冒涜的なフォルムかしら。まるで鋼鉄の卵ね」
ひたぎが、恐怖を好奇心で上書きしたような瞳で、その滑らかな曲線を凝視する。
「先輩、見てくれ! 動いている……いや、呼吸しているのか!?」
神原が指差す先。
銀色の金属の表面に、細い、血管のような発光するラインが走り始めた。
それは「変形」の予兆。
静寂を切り裂く、高周波の駆動音。
涙型の外殻が、精密なパズルのピースを解くように分割され、内側から想像を絶する密度のパーツ群が溢れ出した。
カシャリ、ギチッ、ガシャンッ!
といった、およそこの世のものとは思えない、歯車と油の咀嚼音が響き渡る。
金属の板がスライドし、重なり合い、未知の論理で骨格を形成していく。
数十、数百という細かな金属パーツが、意思を持った鱗のように蠢き、巨大な腕、そして逆関節の脚へと形を変えていく。
パネルが展開するたびに、大気を震わせるような重厚な「音」が重なり、一つの交響曲となって僕たちの鼓膜を叩いた。
「……あ、ああ……」
僕は言葉を失い、ただその圧倒的な進化を仰ぎ見るしかなかった。
立ち上がったのは、全高九メートルを超える、銀色の巨神。
バリケードのような邪悪さも、カマロのような親しみやすさもない。
そこにあるのは、絶対的な威厳と、宇宙の真理を体現したような完成された造形美だった。
最後に、騎士のような顔面の装甲が複雑に噛み合い、一対の瞳が灯った。
それは、深い海の底を思わせる、透き通った青い光。
その眼差しが、クレーターの縁で見守る僕たちを、そして夜空に輝く月を一瞥した。
巨人は、自らの身体を確かめるように掌を開閉させると、金属の軋む音を響かせながら、ゆっくりとクレーターから這い出した。
「……どこへ行くつもりだ?」
呟く神原に、巨人は答えない。
彼はただ、仲間たちの着弾地点を確認するように周囲を見渡すと、その巨体からは信じられない程の俊敏さで、夜の森へと走り去った。
直江津市街地、ミスタードーナツ直江津店付近。
降り注いだ「星」の余波は、平和な地方都市の夜を一変させていた。
「空から何かが落ちてきた」という一報は瞬く間に広がり、現場周辺はスマートフォンのライトと野次馬の喧騒に包まれている。
駐車場に停められていたと思しき黄緑色のハマーは無残にも横転し、コンクリートには巨大なクレーターができていた。
「うわあ……。こんなの初めて見た! 爆発して、火花が散って……最高だぜッ! アルマゲドンの百倍イケてるね!」
崩落したビルの破片が散乱する中、野次馬が次々と集まってくる。
その最前線で目を輝かせているのは、栂の木二中のファイヤーシスターズ戦闘担当、阿良々木火憐だった。
彼女はクレーターを見下ろし、恐怖よりもむしろ武者震いに近い興奮を覚えていた。
「火憐ちゃん、不謹慎だよ。……このビル、隕石災害保険とか入ってるのかな? もうバコバコになっちゃって、修復なんてレベルじゃないよ」
その隣で、阿良々木月火は冷静に(あるいは冷酷に)損害状況を分析する。
彼女たちの背後では、ドーナツを片手に立ち尽くす人々や、ビデオカメラを回す中年男性が、非日常という名の暴力に魅了されていた。
「月火ちゃん、見てなよ! ほら、ビルの裏……何かが動いてない? 影の向こうに、何かあるに違いないぜ」
火憐が身を乗り出し、封鎖線の向こう側を指差す。
その時、駆けつけた救急隊員たちが「危ないから下がりなさい!」と、野次馬たちを力尽くで押し戻し始めた。正義の味方を自称するファイヤーシスターズといえど、公的な「救助活動」の邪魔をするわけにはいかない。
「ちぇっ、いいところなのに。月火ちゃん、あっちの裏道から回り込もうぜ!」
「もう、火憐ちゃんは元気だなぁ。……ん?」
月火が視線を走らせた先。ビルの裏手の暗闇から、音もなく一台の車両が滑り出してきた。
それは、通常の救急車とは一線を画す、鮮やかなイエローグリーンのハマー・H2をベースにした救助車両だった。
「救急車……? あんな色の、この町に走ってたっけ」
月火の呟きが夜風に消える。
走り去る救急車の車体には救命のシンボルが描かれていたが、その動きはあまりに滑らかで、あまりに機能的すぎた。
異変はそれだけでない。
ミスタードーナツ周辺の喧騒から、直線距離にして数キロメートル。
国道沿いに軒を連ねる、時代錯誤なほど豪華な装飾を施した輸入車専門店。その屋上に、月明かりを弾く銀色の影があった。
学習塾跡地に出現した九メートルの巨神に比べれば小柄だが、人間から見れば圧倒的な質量を持つ四メートルほどの巨躯だった。
銀色の巨人は、まるで重力という概念を書き換えているかのように、音もなく屋上の縁を伝う。鋭利な爪のような指先がコンクリートに深く食い込み、しなやかな豹を思わせる動きで壁面を滑り降りた。
着地の衝撃音すら、夜の静寂に溶けていく。
野次馬も、警察も、そして「正義の味方」を自称する2人の姉妹の視線も届かない場所で、巨人はその青い光を宿した瞳を、店舗のショーウインドーへと向けた。
ガラスの向こう側、スポットライトを浴びて鎮座していたのは、流麗な曲線を持つシルバーのポンティアック・ソルスティス。
巨人の瞳から、細く鋭いレーザー状のスキャン光が放たれ、車両の細部をなぞっていく。
標高の高い山中に位置する北白蛇神社。
池の底に突き刺さっていた「彗星」が、凄まじい熱量と共に水蒸気を噴き上げた。
立ち上る白い霧を割り、金属の指が池の縁を掴む。
「……歯が抜けると現れる妖精さんでしょうか? それにしては、少々サイズ感がデラックスすぎますが」
様子を見に来た八九寺が、リュックサックを背負ったまま呆然と呟く。
彼女の目の前で、池から這い上がってきたのは、全身が剥き出しの機械パーツで構成された異形の巨体だった。
水滴を払い落とす動作一つに、重戦車のような重みが宿る。八九寺の神様としての直感が、これがこの世の理から外れた「何か」であることを告げていた。
「せっかく宇宙から来てくれたのでしたら、お参りしてくれたら嬉しいですが……お賽銭は持っていなさそうですね。ああ、その腰から提げてる鉛玉じゃないです。五円玉です」
そのロボットは、小さな少女を一瞥することもなく、視線を山道のふもとへと向けた。
折しも、麓の建設現場から山道を力強く登ってくる一台の黒い車両があった。
GMC・トップキック・C4500。
大型のピックアップトラックが放つ重低音の排気音に、まるで運命の相手を見つけたかのようにロボットの光学センサーが激しく明滅する。
巨体は鳥居をくぐって、霧の中へと消え、代わりに巨大なエンジンの咆哮が山々に木霊した。
そして最後に、直江津町外れの土手。
そこには、最初に着弾したあの九メートルの銀色の巨人が、夜風に吹かれて佇んでいた。
彼は静かに、眼下を走る国道を見下ろしている。
そこへ、闇を照らす強烈なヘッドライトと共に、一台の大型トレーラーが通りかかった。
ピータービルト379。
夜の帳の中でさえ鮮やかに浮かび上がる、燃え盛るようなファイヤーパターンが施された、重厚かつ美麗なトラック。
巨人の青い瞳が、その色彩を、そのエンジンの鼓動を、そのクロームメッキの輝きを完全に記録した。
トラックが走り去った直後。
そこにはもはや未知の巨人はいなかった。
月光を反射し、力強くアイドリングを刻む、ファイヤーパターンのピータービルト・トレーラーヘッド。
力強いエンジン音が夜の直江津に響き渡った。
040
直江津町の路地裏というのは、夜になれば怪異すらも道に迷うような、湿った静寂に塗り潰された迷宮と化す。
だが今夜、その迷宮を支配していたのは、人知を超えた「熱」と、夜霧を切り裂く重厚な内燃機関の咆哮だった。
最新型のシボレー・カマロが、水たまりを鮮やかに蹴り上げて路地へと滑り込む。
停車と同時に、羽を広げるように開いたドアから、僕とひたぎ、そして神原の三人がアスファルトへと降り立った。
「……霧が深いわね。視界不良というよりは、世界そのものが解像度を落としているみたいだわ」
ひたぎが、冷えた夜気に肩をすくめながら毒づく。
確かに、立ち込める霧はカマロのヘッドライトを乱反射させ、ここが現実の町なのか、それとも誰かの悪夢の続きなのかを曖昧にさせていた。
その時だった。
路地の奥、霧の向こう側から、北極の氷河が動くような、地響きを伴う巨大な車影がゆっくりと現れた。
それは、青と赤の鮮烈な塗装を身に纏い、燃え上がるようなファイヤーパターンが描かれた、巨大なピータービルト・トレーラーヘッド。
巨大なクロムメッキのフロントグリルが、月光を反射して威厳を放つ。
僕たちは、その圧倒的な「質量」に気圧され、息を呑んだ。
不意に、背後から別の音が重なった。
水たまりを豪快に散らす重いタイヤの回転音。そして、一瞬だけ鳴り響いた緊急車両のサイレン。
振り返れば、そこには三台の車両が僕らの方に向かって来ている。
漆黒の威容を誇るGMC・トップキック。
流線型のフォルムを誇るシルバーのポンティアック・ソルスティス。
そして、暗闇に黄緑色の塗装が浮き上がる、ハマー・H2のレスキュー車両。
カマロを含めた五台のマシン。そのエンジン音が共鳴し、狭い路地裏の空気を物理的に震わせる。
そして、先頭に立つトレーラーが、僕たちの目の前で静かにブレーキをかけた。
刹那、沈黙。
直後、物理法則を再定義するような、鋼鉄の交響曲が始まった。
ガシャ、ギチ、カシャリッ――。
まずはトレーラーのフロント部分が、緻密に計算されたパズルを解くように左右へと割れた。巨大なエンジンブロックが咆哮と共に内部へと沈み込み、代わりに複雑に噛み合った歯車とシリンダーが、意思を持った鱗のように蠢きながら競り上がってくる。
タイヤが四分割され、それぞれが大腿部を構成する関節へと動いていく。ファイヤーパターンが描かれたフェンダーは、空気を切り裂く音を立ててスライドし、巨人の屈強な肩装甲へとその姿を変えていった。
それはまさしく「変形」と形容するしかないように思えた。
数万というパーツが、互いに干渉することなく、ミリ単位の精度で重なり合い、伸長し、骨格を形成していく。
最後に、フロントガラスが内側へと折り畳まれ、そこから青い光学センサーを宿した頭部がせり上がった。
全高九メートルを超える、鋼鉄の巨神。
僕たちの目の前に立ち上がったのは、バリケードのような邪悪な刺々しさとは正反対の、洗練された威厳と宇宙の真理を体現したような美しさを備えた巨人だった。
僕らの背後では、他の面々もまた変形を終えていた。
蝶のように舞い、蜂のように刺すかのごとくしなやかに身を起こす黄色い戦士。
ブレイクダンスよろしくアクロバティックに宙を舞いながら着地する銀色の戦士。
大地を叩き割らんばかりの重厚さで立ち上がる黒い重火器兵。
身軽にその上体を持ち上げる黄緑色の軍医。
僕らを囲む五体の巨人。
トレーラーだった巨人が、身を屈めてこちらに目線を合わせる。
そして、重低音のエコーを伴う荘厳な声を発した。
「アーチボルト・ウィトウィッキーの眼鏡の現所有者、阿良々木暦はお前か?」
見上げる僕たちの視界を、巨人の瞳から放たれる青い光が、真昼のように白く塗り潰していった。
「……ああ」
そう僕が答えると、赤と青の重厚な巨神は静かに口を開いた。
「私はオプティマス・プライム」
その声は、重低音のサブウーファーを何十台も重ねたような、魂を震わせる響きを持っていた。
「我々は惑星サイバトロンからやって来た金属生命体だ」
「……金属、生命体」
僕が呆然とその言葉を繰り返すと、隣で黄緑色のハマーから変形した、どこか理知的な雰囲気を持つ巨人が一歩前に出た。
「自律型ロボット生命体、オートロボット。略してオートボットと呼んでくれ。人類の言語で言えば、それが我々の種族名だ」
その時、銀色の小柄な機体が、まるで重力を無視したようなバク転を決めて僕たちの前に躍り出た。
「よう! お嬢ちゃん、元気そうじゃん」
彼はひたぎに向かって、調子のいいリズムで指を鳴らす。
「我が軍の将校だ。名称はジャズ」
オプティマスの紹介に、ジャズはショールームの車のように艶やかなボディを揺らした。
「ここ結構いいとこじゃねえか。気に入ったぜ」
「……驚いたわ。外宇宙の生命体が、なぜこれほどまでに流暢な、しかも少し軽薄な日本語を操れるのかしら」
ひたぎが冷ややかな視線を送ると、僕は思わず尋ねた。
「……どこでそんな言語を学んだんだ?」
「インターネットを通じて地球のあらゆる情報をスキャンしたのだ。歴史、文化、そして言語……すべてな」
オプティマスが淡々と答える。
Wi-Fi経由で現代っ子になった宇宙人。シュールすぎて眩暈がする。
「武器のスペシャリスト、アイアンハイドだ」
漆黒の巨躯が、その両腕に備えた巨大なカノン砲をガチャリと起動させる。
「今日はツイているか? あんちゃん。俺の自慢の火力を拝ませてやろうか」
「……その銃口を、私の恋人に向けないでもらえるかしら。さもなければ、その光学センサーをホッチキスで留めてあげるわよ」
ひたぎが袖からホッチキスを取り出し、アイアンハイドを正面から睨みつける。その殺気に、鋼鉄の戦士が一瞬だけ怯んだように見えた。
「よせ、アイアンハイド」
「冗談だよ。俺のキャノン砲を見せつけたくてな。だが、お嬢ちゃんもいい目をしている」
オプティマスが咎めると、アイアンハイドはバツが悪そうに武器を収める。
「我が軍の軍医、ラチェットだ」
オプティマスの紹介を受けると、ラチェットは僕とひたぎをスキャンするように光学センサーを明滅させた。
「ふむ……フェロモンレベルと心拍数から察するに、この男女は交尾を望んでいる」
「「…………っ!!」」
ラチェットの身も蓋もない診断に、僕とひたぎの間に耐え難い気まずい空気が流れる。
ひたぎに至っては顔を真っ赤にして、手で覆い隠してしまっている。
神原だけが「ほう、詳しく聞かせてもらおうか!」と目を輝かせているのが余計に質が悪い。
「そして君のガードマン、バンブルビーだ」
最後にオプティマスが指し示したのは、あの黄色いカマロだった。
「バンブルビー?僕のガードマンだって?」
バンブルビーは言葉を発する代わりに、カーステレオから拾い集めた音声を繋ぎ合わせた。
『――蝶のように舞い』『蜂のように刺す』
「彼は声を出す機能が損なわれてしまい、まだ修理ができていないのだ」
ラチェットが指からレーザーを照射し、バンブルビーの喉に当てる。
「……それで、あなたたちは何をしにこの星へ? 観光にしては武装が過ぎるわ」
気を取り直したひたぎが腕を組み、冷徹に本質を突く。
オプティマスの瞳が、より深く、鋭く輝いた。
「オールスパークを探しに来たのだ。……メガトロンより先に見つけねば」
「メガ……何だって?」
僕が聞き返すと、オプティマスはこめかみに当たるであろう部分に指を当てる。
同時に、その青い瞳から光が放射され、路地に鮮明なホログラムが映し出された。
そこには、巨大な金属の構造物が立ち並ぶ未知の惑星があった。だが、その光景は地獄そのものだった。
立ち上る青い爆炎。空を埋め尽くす戦闘機。
一体の巨大な影――メガトロンが、咆哮と共に槍を投げ、逃げ惑う同胞を容赦なく貫く。
「我々の星はかつては強大な帝国で、平和を保っていた。だがディセプティコンのリーダー、メガトロンが反乱を起こしたのだ。歯向かうものはすべて破壊された。戦争で我が星は荒れ果て、オールスパークは宇宙に消えた。メガトロンはそれを追って地球に渡り、アーチボルト・ウィトウィッキーに遭遇した」
ホログラムの光が、僕のポケットを照らした。
爆炎は消え、路地裏に再び湿った夜の静寂が戻る。
だが、その静寂は先ほどまでとは違う、ひりつくような緊張感を孕んでいた。
「ちょっと待ってくれ、結局『アーチボルト・ウィトウィッキー』って一体誰なのだ?」
神原がオプティマスに尋ねる。
「――19世紀の北極探検家だ。彼は図らずも、我々の運命に巻き込まれたのだ」
オプティマスの青い瞳が細められる。
「メガトロンは地球に墜落し、『キューブ』――すなわちオールスパークを手に入れ損なった。そして遥かなる時を経て、一人の人間が氷の中で眠るメガトロンを偶然発見した。それがアーチボルトだ」
「……じゃあ、この眼鏡は?ディセプティコンの奴らはこれを狙ってきた訳だけど、この眼鏡は一体何なんだ?」
僕は震える手で、ポケットから古びた眼鏡を取り出した。レンズには細かい傷があり、フレームも少し歪んでいる。
「……それは、我らの種族の命運を左右する鍵だ」
僕がオプティマスに聞くと、彼はしばらく沈黙してから続けた。
オプティマスによると、そもそもこの眼鏡はアーチボルトの死後、遺品としてオークションに出されていたものだったという。
それを十数年前、神原駿――駿河の父親が、単なるアンティークとして落札した。
そして最近になって、神原が部屋の掃除中に偶然発見し、今に至る。
「メガトロンは不時着時の衝撃でステイシスロック、君たちの言葉で表現するなら『昏睡』状態にあった。だが、アーチボルトがメガトロンの身体に触れた際、彼は偶然かつ不運にもナビゲーションシステムを起動させてしまったのだ」
「ナビゲーションシステム?」
「メガトロンのメモリーから、強制的に相手に『キューブ』の在り処を刻み込むのだ」
「……その衝撃が、彼の眼鏡に焼き付いたというわけか」
僕が眼鏡をライトにかざして傷を見ると、軍医ラチェットがその分析を冷徹に接ぎ木した。
「左様だ。その眼鏡にはオールスパークの在り処を示す座標が記されている。もしそれがディセプティコンの手に渡れば、奴らはその強大なエネルギーを用いて地球上のあらゆるマシンを
ハマー・H2の装甲が軋む音が、路地裏の静寂を切り裂く。
「そうなれば、この星の文明は内側から崩壊する。人類は奴らに抹殺されるだろう」
オプティマス・プライムが、九メートルの巨躯をゆっくりと、だが力強く立ち上がらせた。その頭部が月光を遮り、僕たちの上に巨大な影を落とす。青い瞳が、逃げ場のない真実を告げていた。
「阿良々木暦。人類の存亡は、君にかかっているのだ」
……重い。
重すぎる。
怪異に噛みつかれ、吸血鬼に血を吸われ、神様に殴られる人生だったけれど、まさか「人類の未来」という単語を真顔で突きつけられる日が来るとは思わなかった。
絶望的な沈黙が僕を包もうとした、その時。
「………暦。その眼鏡、割れてないわよね」
不意に、ひたぎが極めて現実的で、かつ鋭利な言葉を差し込んだ。
「え? あ、ああ……。今のところ、割れてはいないけど」
「そう。ならいいわ。もしあなたの不注意で、人類の存亡を賭けた『レンズ』に傷でも入っていたら、あなたのその頼りない眼球をスペアのレンズとして代わりに嵌めてもらうところだったわ」
「……あ、ありがとう。ひたぎさん」
この状況で僕を脅せるのは、全宇宙広しといえどひたぎくらいのものだろう。
アイアンハイドが「なんだこの小娘は」と言いたげに砲身をピクリと動かしたが、ひたぎの眼力に押されて黙り込んだ。
「……ふむ。アーチボルドと君に血縁関係がないことは、インターネットの家系データベースで確認済みだ。そこのお嬢さんの父親がオークションで落札し、君に渡った。まさに、確率論を無視した数奇な運命という他ないな」
ラチェットがその高性能なプロセッサでも解けない、「縁」という名の怪異に、かすかな困惑を見せた。
宇宙の命運を握る「座標」が刻まれた遺物が、親友の家の物置から、偶然僕の手に渡る。
忍に出会ったあの日と同じ、逃げ場のない「偶然」という名の必然が、僕の背中を冷たく撫でた。
041
オプティマスの宣告が、直江津の湿った夜気に重く沈み込んでいた、その同じ瞬間。
地球の裏側、大西洋上空を飛行する空軍機C-17の機内は、機械油と焦げた金属の臭いに満ちていた。
カタールの砂漠で、名もなき「怪物」の襲撃を生き延びたレノックス大尉は、貨物室に安置された巨大な鋼鉄の「残骸」を凝視していた。
それは、砂漠で切り落とした、サソリ型ロボット生命体――スコルポノックの尾の先端部だ。
「……信じられん。こいつは自己再生する金属か何かでできているのか?」
レノックスが呟く。
切断された断面からは、青白いスパークが時折弾け、未知の液体が脈打つように漏れ出していた。
「APDS弾が当たった部分は穴が空いている。……APDS弾の温度は3000度くらいあるよな?」
「それに近いな。戦車の重厚なボディすらバターのように溶かす超高温だ」
エップスがモニターを指し示す。そこには、地球上のどの合金とも異なる、特異な融解パターンが映し出されていた。
「……なるほど。無敵に見える金属のボディも、一定以上の熱には弱いということか」
レノックスは、その焼け爛れた穴に指を這わせる。
彼らの最新兵器が全く通用しなかった絶望の淵で、ようやく見つけた、敵の生物学的弱点。
その時。
反射動作か、はたまた殺戮衝動の残穢か。
鋭利な金属の尾が生き返ったかのように再び動き出し、エップスのすぐ横のテーブルを突き刺した。
力尽きたかのように大人しくなり、軍人らによって押さえつけられる。
「この野郎!死んだんじゃねえのかよ!」
「何なんだ、こいつは!」
エップスが悪態をつき、レノックスがうんざりしたように叫ぶ。
「エップス、すぐに国防総省へ打電しろ。通常の
「了解です、大尉。……これでようやく、あいつらと対等に話ができそうだ」
高度一万メートル。
雲海を切り裂き進む輸送機の中で、人類は初めて、宇宙からの侵略者に対する「牙」を研ぎ始めた。
042
「人類の未来」という、およそ僕の人生には不釣り合いな重荷を背負わされたまま、僕たちは阿良々木家へと帰還することになった。
オートボットたちは、ひとまず近隣の空き地や路地に「ただの車」として待機してもらっている。
九メートルのトレーラーが住宅街に居座るのは、怪異よりも目立つからだ。
だが、問題は家の中にあった。
「おかえり、お兄ちゃん。……にしては、随分と賑やかな御一行様だね。戦場ヶ原さんに、神原さんまで連れ込んで。修羅場の準備なら、リビングのワックスがけは終わってるよ」
玄関で僕たちを待ち構えていたのは月火だった。
リビングから聞こえてくるのは、さっきの『彗星』騒動について中継するテレビの音声。
そして月火の背後から、圧倒的な熱量を持って飛び出してきたのは――。
「待ったッ! 逃がさないぜ、兄ちゃん!」
火憐だ。彼女はジャージの裾を翻し、鋭い踏み込みで僕の目の前に立ちはだかった。その瞳は、獲物を追い詰めた肉食獣のそれである。
「火、火憐ちゃん……? なんだよ、藪から棒に」
「隠し事はナシだぜ。さっきから兄ちゃんの周りで変な機械の匂いと、嗅いだこともないヤバい空気が充満してる。神原師匠を盾にして誤魔化そうとしても、この火憐ちゃんの目はごまかせないぜ!」
「……やあ、火憐ちゃん。相変わらず元気だね。だが、今日は盾になるどころか、私もこの騒動の片棒を担いでいる身でね」
神原が苦笑しながらフォローを入れるが、火憐の追及は止まらない。
「いいか、兄ちゃん。ミスドの前でビルがぶっ壊れて、変な救急車が走り去るのを見たんだ。月火ちゃんは『隕石が落ちるのなんて、稀によくあること』って言ってたけど、私は知ってるぜ。あれはただの事故じゃない。……というか昨日まであった、あのボロっちい兄ちゃんの車はどこ行ったんだ?」
「……鼻が良すぎるのも考えものね」
ひたぎが呟くが、その手はしっかりと僕の袖を掴んでいた。彼女もまた、この異常事態に内心では警戒を解いていない。
「兄ちゃん、何か隠してんなぁ? 正義の味方の勘が言ってるぜ。兄ちゃんは今、とんでもなくデカい、宇宙規模のヤバいことに首を突っ込んでるだろ!」
火憐の指が、僕の胸ポケット――よりにもよって例の眼鏡が入っている場所――を真っ直ぐに指し示した。
隠し通すのは不可能だ。
外には、僕を守るために擬態した外宇宙の金属生命体が控えている。
そして、それを追う抹殺者たちも、既にこの街のどこかに潜んでいるはずなのだから。
火憐の執拗な追及を「神原の新しいバスケ特訓の機密事項だ」という、あまりに無理のある嘘(と神原の迫真の演技)で強引に突破し、僕たちは二階の自室へと逃げ込んだ。
そこには、我が物顔で僕のベッドに腰掛け、カップアイスをスプーンで掬う無表情な童女――斧乃木余接がいた。
彼女は現在、死体人形としての性質を隠し、月火の監視という名目で我が家に居候している。
「相変わらずとんでもないことに巻き込まれているようだね、鬼のお兄ちゃんは。とりあえず、このハーゲンダッツ・クッキー&クリーム味を完食させてくれないかな。ピースピース」
「……斧乃木ちゃん、それ僕が楽しみに取っておいたやつ。っていうか、なんで状況を知ってるんだよ」
「こんなに街がドンパチ賑やかになっていたら、嫌でも状況が飲み込めるものだよ」
そういうものなのか。
確かに工業地帯が半分くらい破壊されて、街中に隕石が降り注いでいるなら、彼女に否が応でも情報が回るだろう。
「というか、鬼いちゃん達が駐車場でパトカーに追いかけ回されていた所は実際に隠れて見ていたよ。危ないところだったね」
斧乃木ちゃんは面白い映画をポップコーンを片手に見ていたと言わんばかりに語った。
いや、実際に食べているのはポップコーンではなくてアイスなのだけれども。
「『危ないところだったね』、じゃないよ!見ていたなら助けてくれよ、斧乃木ちゃん!」
何のための監視役だよ!
監視してるだけかよ!
「騒がしいな。用があるなら早めに済ませてくれ」
外からアイアンハイドの低い声が聞こえた。
どう聞いても、苛立ちを押し殺しているのは明らかだ。
「暦、雑談するために帰ってきた訳じゃ無いんでしょ。本題に入りなさいよ」
はい、すみません。
ということで、閑話休題。
「――まぁ、という訳なんだ。斧乃木ちゃん、どうにかして臥煙さんと連絡を取ってくれないか?この状況だと、あの人に頼るしか僕たちに残された道は無いんだ」
僕は縋るような思いで、斧乃木ちゃんに事情を説明し、専門家集団の元締めである臥煙さん――臥煙伊豆湖への仲介を頼もうとした。
だが、斧乃木ちゃんはアイスの最後の一口を飲み込むと、冷たく言い放つ。
「いいけど、今更無駄だよ。臥煙さんは『もう動いてる』。あの人が知らないことなんてないんだから」
「え?」
その言葉に戦慄した直後。
一階の玄関から、静寂を切り裂くようなインターホンの音が響いた。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
執拗で、礼儀を欠いた鳴らし方だ。
階段の隙間から階下を伺うと、母さんが玄関を開けていた。そこに立っていたのは、スーツを着た神経質そうな中年男だった。
僕とひたぎの脳裏にどこぞの詐欺師の後ろ姿が浮かぶ。
「……貝木?」
「……いや、違うわ。あの男が暦の家にわざわざ来るとは思えない」
「夜分に失礼。私はセクター7の者です。シーモア・シモンズ。……息子さんはご自宅に?」
「『セクター7』? 聞かない名前ですね。警察の方ですか?」
母さんの毅然とした声が響く。男――シモンズは、懐から仰々しい身分証を提示した。
「極秘でしてね。国家安全保障に関わる事案だ。阿良々木暦くんを出してもらいたい。彼は『盗品』を所持している疑いがある」
……陰険だ。
二階からその顔を見ただけで、背筋に嫌な汗が流れた。
詐欺師、貝木泥舟の持つ不吉さや、人形使い、手折正弦が漂わせる無機質さとはまた違う、官僚的な悪意と権力への固執が煮詰まったような、生理的な嫌悪感を抱かせる男。
辛気臭く、胡散臭く、ある意味人間臭い。
その時、斧乃木ちゃんが差し出した携帯電話から、聞き慣れた、そして今一番聞きたくない声が漏れた。
『こよみーん? 聞こえてるかな?』
臥煙さんだ。
『大変なことになっちゃったね。これはもう怪異とかそういうレベルじゃない、純然たる国際問題だよ。いや、星間問題と言うべきかな。……いいかい、セクター7は本気だ。彼らは手段を選ばない。大人しくしているのが賢明だ』
「どういう事ですか!セクター7って!?」
『……悪く思わないでくれたまえ、これもおねーさんなりの、最適解なんだから』
電話の向こうで、彼女は楽しそうに、けれど残酷に笑った。
外では、アイアンハイドやラチェットたちが「擬態」を解くべきか測りかねているような、殺気立った排気音が轟いている。
母さんの制止を振り切ったシモンズが何人もの黒服を引き連れ、ドカドカと土足で上がり込んで来る。
「おい! どこの誰だか知らないけど、土足で上がるなんて礼儀知らずにも程があるぜッ!」
廊下で火憐が、仁王立ちでシモンズの前に立ちはだかった。
その背後には、冷ややかな怒りを湛えた月火がバットを構えて控えている。
「おや、元気な妹さんだ。だが、お嬢ちゃん。国家の安全保障というのは、君たちの『正義の味方ごっこ』よりも少しばかり優先順位が高いんでね」
シモンズは鼻で笑うと、懐から取り出した高輝度のタクティカルライトを、躊躇いなく火憐の目の前に突きつけた。
「うおっ!? まぶしっ!」
「火憐ちゃん!」
「動かないで。網膜スキャンとバイタルチェックを並行して検査させてもらうよ。……ふむ、瞳孔の反応は正常。だが、この異常な体温の上昇は何かな? 興奮によるものか、それとも――『汚染』かな?」
シモンズは火憐の目を無理やり覗き込むようにしてライトを当て続ける。その手つきは、医者の診察というよりは、実験動物を検分する科学者のそれだった。
「汚染だぁ? 失礼なこと言うなよ! 私の体温が高いのは、いつだって正義の炎が燃え盛ってるからだぜ!」
「やれやれ、これだから素人は。……そんな物騒なものは置いて、風邪の症状はございませんか?」
シモンズは、火憐が握りしめていた拳を、まるで蚊でも払うかのように軽くあしらい、事務的な口調で続けた。
その目は一切笑っていない。
「鼻水、喉の痛み、その他諸々。心当たりがあるなら、すぐに検査機関へご案内するが?」
「私は万年健康優良児だ!」
「そうかそうか、そいつは羨ましい」
「火憐ちゃんを適当にあしらうなぁ!」
月火の抗議をよそに、階段へと足を進めるシモンズら。
そして、階段を降りてきた僕たちの顔を見るなり、シモンズは朗らかに声をかけた。
「やぁ!暦君だね?」
この状況では明らかに不自然、不相応と言う他ない笑顔を貼り付け、彼は旧知の友人に会ったかのような親しげな足取りで僕たちに歩み寄る。
シモンズの不躾な一歩が階段の1段目に届こうとした、その刹那だった。
「――その一歩を更新したら、あなたのその安いネクタイを、頸動脈ごとホッチキスで固定してあげるわよ」
ひたぎの冷徹な声が、廊下の空気を一瞬で氷点下まで叩き落とした。
彼女は僕の斜め前にスッと踏み出し、スカートの隠しポケットから、愛用のホッチキスとカッターナイフを取り出し、熟練の暗殺者が銃を抜くような速度で構えた。
「……おっと。これは手厳しい歓迎だ。戦場ヶ原ひたぎさん、だったかな。君の『資料』も読ませてもらったよ。なかなか多才な……そして攻撃的なお嬢さんだ」
シモンズは歩みを止め、大仰に両手を上げて見せたが、その目は笑っていない。
「……シモンズさん。どんな事情があるかは知りませんが、すぐにお引き取り願います。ここは私の家です。そして、彼らは私の子供たちです。……警察を呼びますよ」
母さんが、シモンズとひたぎの間に割り込むようにして言った。
その声には、警察官としての矜持と、母親としての守護の意志が綯い交ぜになっていた。
「警察? おやおや、奥さん。それは冗談が過ぎる。我々がその『警察』の上部組織だと言ったら、信じていただけますかな?」
シモンズは肩をすくめ、わざとらしく溜息をついた。
「ますます胡散臭いですね」
母さんの眉間の皺が深くなる。その視線は、土足で上がり込んできた黒服たちの靴の汚れを、不潔なものを見るように射抜いていた。
「胡散臭いのはあなた方でしょう。あなたも、息子さんも、その彼女さんも、後輩さんも、妹さん方も。どこからどう見ても怪しく、異なり、胡散臭い」
シモンズは蛇のような目で、リビングに集まった僕たち一人一人をなぞるように見据えた。
その時、玄関の外で調査していたと思しき部下の一人が、駆け込んできた。
「――直接『[[rb:接触 > コンタクト]]』があったようです。間違いありません」
部下の報告を聞いた瞬間、シモンズの顔から「親しげな隣人」の仮面が剥がれ落ちた。
「……暦君。前へ」
さっきまでとは打って変わって、氷のような冷徹さでシモンズが言い放つ。
僕は、ひたぎの制止を振り切るようにして一歩踏み出した。ここで逃げても、母さんや火憐たちを巻き込むだけだ。
シモンズが懐から取り出したのは、奇妙なアンテナのついた測定器だった。
それは、霊力や妖気を測る道具ではない。
物理的なエネルギーの奔流を検知する、高感度のガイガーカウンターだった。
「おい陰険黒服!兄ちゃん達に何かしたら、このファイヤーシスターズがただじゃ置かないぞ!」
「そうだそうだ!不法侵入に暴行罪、おまけに精神的苦痛で慰謝料たっぷり請求してやるんだから!」
火憐と月火がシモンズに食って掛かろうとする。
だが、訓練された部下たちの手によって、二人は無造作に押さえつけられた。
「おーおー、元気だけじゃなく威勢もいいお嬢さん達だ。公務執行妨害で逮捕されたくなければその程度にしておけ」
「妹達を離せ!」
僕が叫ぶと、シモンズは測定器を僕の顔面に突きつけた。
「そうしてほしければ動くな。 じっとしていろ、阿良々木暦」
ジジッ、ジジジジジッ!
僕の胸元、正確にはポケットの眼鏡に近づくほど、そのノイズは耳を劈く悲鳴へと変わる。
測っているのは眼鏡の「放射線」なのか、それとも僕らの持つ怪異の気配なのか。
カウンターの針が振り切れる。
シモンズは狂喜に満ちた顔で、手元の数値を凝視して叫んだ。
「――14ラド! ビンゴだ! 汚染されている。野郎ども、こいつらを連行しろ! 一人残らずだ!」
その瞬間、家の周囲を包囲していた黒服たちが一斉に雪崩れ込んできた。母さんの抗議も、火憐の怒号も、権力の行使という名の暴力にかき消される。
「ちょっと、母さんの前で何てマネを……!やめろ!」
僕の腕が捻り上げられ、冷たい手錠が食い込む。
「暦、無駄よ。話の通じる人種じゃないわ。……貝木より質が悪い。あいつは少なくとも、自分の悪徳を自覚していたけれど――この男は、自分を正義だと信じ込んでいるもの」
ひたぎの冷徹な分析も空しく、僕たちは強引に外へと連れ出される。
結局、僕とひたぎ、神原は家の前に並んだ不気味な黒のSUVへと強引に押し込められた。
窓の外では、月火が何かを叫び、火憐が黒服の腕を振り解こうとしていたが、SUVのドアが重厚な音を立てて閉まると、外の音は一切聞こえなくなった。
043
夜のハイウェイを疾走するSUV。
僕はひたぎ、神原と同じ車両の後部座席に3人揃って座らされていた。
SUVの窓はスモークで塗り潰され、外の景色は見えない。
(お前様、手錠を引きちぎってよいかの。手首が痛くてたまらぬわ)
影の中から忍が呼びかける。
手錠をつけられている僕の感覚が、ペアリングで共有されてるらしい
(もう少しだけ我慢してくれ、忍。今、手錠が外れてるのがバレたらまずい)
助手席に座るシモンズが、おもむろに一台のテープレコーダーを再生した。
『……信じられないかもしれませんが……車が、変形したんです……』
スピーカーから流れてきたのは、昨日、僕が警察署で狼狽しながら漏らした供述の録音だった。
「阿良々木暦くん。君は昨日、はっきりと『車が変形した』と言ったね?」
シモンズがバックミラー越しに、その細い目で僕を射抜く。
「……見間違えたんです。極限状態だったし、光の屈折か何かですよ。冷静に考えて、車がロボットになるなんて、そんなわけあるはずないじゃないですか」
僕は努めて平然を装い、隣のひたぎに視線を送った。彼女は完璧なポーカーフェイスで、シモンズに冷笑を投げかける。
「そうですよ、シモンズさん。今は21世紀であって、20世紀の安いSF小説の中じゃないんです。もし本当にそんな巨大ロボットが実在するのなら、今頃ここじゃなくて、ワシントンのリンカーン記念館の椅子にでも座って、観光客と記念撮影でもしてるんじゃないかしら?」
「なるほど、そいつは面白い。自撮り棒を持って、『はいチーズ』ってか」
「「「「ははははは」」」」
僕とひたぎと神原、そしてシモンズまでもが、何とも白々しい笑い声を車内に響かせた。
だが、シモンズの笑いは一瞬で消えた。
「……で、どこでエイリアンの存在を知った?」
温度の消えた声。
冗談の時間は終わりだと言わんばかりの冷徹な問い。
僕のポケットには、今もあの古い眼鏡が重く沈んでいる。
「エイリアンって、『宇宙戦争』とか『E・T』とかの事ですか?」
「あれじゃないのか?目が無くて、酸を吐いてくる――」
「『月刊ムー』とかでやってる都市伝説でしょ?」
とぼける僕と神原とひたぎ。
だが、シモンズには通用しなかった。
「いいかね、3人とも」
シモンズは、まるでトランプのジョーカーを提示するかのような手つきで、胸ポケットから一枚のカードを取り出した。そこには合衆国政府の紋章と、何らかの特権を保証する冷徹な文言が並んでいる。
「これは『何をしても許されるお墨付き』だ。我々セクター7は、法の上にある。君たちをこのまま『存在しなかったこと』にして、一生、光の届かない刑務所の奥底に放り込むことだって容易いんだよ。国家安全保障という名のブラックホールだ」
陰険な笑みを浮かべるシモンズに対し、ひたぎは眉ひとつ動かさずに言い放った。
「脅しのバリエーションが貧困ね。アメリカのその古臭い特権意識が、この日本の、それも直江津という辺境で通用するとでも思っているのかしら? あなたのそのカード、裏側にピザの割引券でも印刷しておいた方がまだ価値があるわよ」
「……威勢がいいのはそこまでだ。君たちの体からは、今も『彼ら』と同じ毒が漏れ出している」
シモンズの手元にあるガイガーカウンターが、再び狂ったように針を振りはじめる。
ガガガガガッ! という警告音は、先ほどよりもさらに激しさを増していた。
だが、シモンズはその音の「意味」が、先ほどとは異なることに気づいていない。
それは、僕たちの残留放射能への反応ではない。
「すぐそこに、巨大な線源が近づいている」という警報だったのだ。
「さあ、話してもらおうか!」
シモンズが語気を強めた瞬間。
ドォォォォォンッ!!
走行中だったSUVのフロントが、何らかの「巨大な壁」に激突したかのようにひしゃげ、急停止した。シートベルトが食い込み、車内に衝撃が走る。
「おい、何をやっている! 追突か!?」
シモンズが怒鳴りながら顔を上げた先――フロントガラス越しに見えたのは、アスファルトではなく、燃え盛るようなファイヤーパターンが描かれた、鋼鉄の「脛」だった。
「な……ッ!?」
次の瞬間、窓の外から巨大な銀色の指が、SUVのサイドドアの隙間に力任せに突き立てられた。
ミシミシ、という金属が悲鳴を上げる音が車内に充満する。
「何だコイツは!」
「デカいぞ!」
狼狽えるシモンズと運転手。
「暦、捕まって!」
ひたぎが叫ぶのと同時に、SUVの車体は軽々と宙に持ち上げられた。四つのタイヤが空を切り、重力から解放される。
バキバキバキッ! という凄まじい破壊音と共に、SUVのルーフが缶詰の蓋のように無造作に剥がし取られた。
落下。そして着地。
夜風が車内に吹き込み、露わになった座席。
剥き出しになった僕たちの頭上に、九メートルの巨神、オプティマス・プライムがその青い瞳を光らせて立っていた。
「……怒らせちゃったみたいですね。紹介します。僕たちの友人――オプティマス・プライムです」
「……私の仲間に、少々手荒な真似をしてくれたようだな」
オプティマスの重低音の声が、シモンズの顔を恐怖で青ざめさせた。
044
剥き出しになったSUVの座席。
夜の冷気が、シモンズの引き攣った顔を容赦なく叩く。
見上げる先には、月光を背負い、神話の巨神のごとく聳え立つオプティマス・プライムがいた。
その青い光学センサーは、静かな、しかし峻烈な怒りを宿してシモンズを射抜いている。
「子供をさらうとは、許せない行為だ」
オプティマスの地響きのような声が、深夜のハイウェイに轟く。
黒服たちが慌てて小銃を取り出し、構えた。
「オートボット、こいつらの武器を取り上げろ!」
号令と共に、周囲を固めていた他の車両が一斉に「変形」を解いた。
「動くな! 」
ガシャン、という重厚な金属音と共に、黒いピックアップトラックが巨躯を現す。アイアンハイドだ。彼は巨大なカノン砲の銃口を、震える黒服たちに直接突きつけた。
「銃を寄越せ! 」
同時に、シルバーの将校・ジャズが軽やかな身のこなしでシモンズの脇に歩み寄る。彼の手が磁力を帯びたように輝くと、黒服たちが構えていた小銃が、まるで吸い寄せられるようにその手に収まった。
ジャズがそれらを飴細工のように捻り潰すのを、シモンズは呆然と見上げる。
瞬く間にアメリカの秘密組織の精鋭達は武装解除させられてしまった。
その隙に忍が僕の影から手を出し、手錠の鎖をぱきん、と断ち切り、僕らは自由になる。
「や、やあ…」
シモンズは引きつった笑顔で、オプティマスに手を振る。
オプティマスが、SUVの残骸を指先で軽く突き、シモンズに問いかける。
「……恐れていないようだな。我々を見て驚かないのか」
「いいか……我がセクター7には規則がある。よって、諸君らのような……未確認生命体との会話は許可されていない、ということしか言えない」
シモンズは、恐怖で顔を痙攣させながらも、歪んだエリート意識を振り絞るようにして答えた。
「強情な男ね。自分の置かれた状況を、規則という名の殻に閉じ込めて見ない振りをしているわけかしら」
ひたぎが冷ややかに言い放つ。
「車から出てこい」
オプティマスがシモンズを睨みつけて、命令する。
「私に言っているのか?それとも――」
「早く!」
オプティマスに急かされ、シモンズは車を降りる。
その時、黄色いカマロから変形したバンブルビーが、キュルキュルと機械的な音を立てながらシモンズに近づいた。
彼は黒く濁った液体――潤滑油を、シモンズの頭上から無造作に浴びせかけた。
「うわあああ! な、なんだ、この臭い油は!」
「バンブルビー、油をかけるんじゃない。彼は……少しばかり潔癖症のようだからな」
オプティマスの形ばかりの制止を受け、バンブルビーは悪びれる様子もなくラジオのノイズで『Oops, I Did It Again』の一節を流した。
「……さて、片付けをしましょうか。暦、神原、手伝って」
ひたぎが手錠を手に、油まみれのシモンズと部下たちを近くの電柱へと引きずっていった。
「な、何をする! 私は政府の……!」
「黙りなさい。油の匂いで頭が痛いのよ。……ほら、動かないで」
ガチャン、ガチャン。
深夜の路上、電柱に鈴なりに縛り付けられたセクター7の面々。あまりに情けないその姿に、神原が「これは壮観だな」と感心したように呟く。
「……応援は?」
シモンズが、涙目で隣の部下に尋ねる。
「………もう来てます。見てください」
部下が指差した先。
夜空の向こうから、無数のヘリコプターのサーチライトが、獲物を狙う鷹のようにこちらへ向かって収束してきていた。
ハイウェイの向こうからも無数のヘッドライトの光が迫ってくる。増援の装甲車軍団だ。
アイアンハイドが巨大な右腕のカノン砲を、僕たちの足元の地面に向けて直接叩き込んだ。
ドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波がアスファルトを波打たせ、迫り来る増援車両のタイヤを一斉にバーストさせる。横転し、火花を散らして急停止するセクター7の車群。
「オートボット、撤収だ!」
オプティマスの指示に、彼を除いた全員が一瞬で車両形態へと戻る。
オプティマスは巨大な掌を差し出し、僕とひたぎ、そして神原を優しく包み込んだ。
「手に乗れ。掴まっていろ」
タイヤがアスファルトを焦がす匂いと共に、僕たちは夜の闇へと加速した。
ハイウェイの喧騒を離れ、僕たちは直江津の境界を越えようとしていた。
だが、夜空を切り裂くローター音が、執拗に僕たちの頭上を旋回し始める。
「……隠れろ。光学迷彩は持たないが、視線を遮ることはできる」
オプティマスの重低音が響き、五台のオートボットは巨大な橋梁の影へと滑り込んだ。
9メートルのロボットが身を潜めている下を、巨大なサーチライトが刑務所の監視塔のように地面を舐めていく。セクター7のヘリコプターだ。
「……暦、あなたの心音がバクバクしてるのが聞こえてうるさいわよ」
「仕方ないだろ、ひたぎ……。人生で一番、空を飛ぶものに怯えてるんだ」
だが、静寂は長くは続かなかった。
ヘリの強力なダウンウォッシュが橋の下の空気を掻き乱し、まるで巨大な掃除機のように僕たちの身体を吸い寄せようとする。
「しまっ……! 先輩、掴まれ!」
「わっ、わわっ!」
バランスを崩した僕とひたぎ、そして神原の三人が、オプティマスの肩を滑り落ちる。
彼は足を使って受け止めようとするも、間に合わない。
暗い谷底へと投げ出されそうになったその瞬間。
黄色い最新型カマロが、走行しながらその車体を変形させた。
鋼鉄の腕が、空中で僕たちの体を優しく、しかし確実に掬い上げる。
バンブルビー。
彼は僕たちを受け止めると、そのまま地面を滑っていく。
だが、そこにはセクター7の「罠」が待っていた。
着地したバンブルビーを、無数の高圧電磁ネットと、凍結ガスを噴射する特殊車両が包囲する。
「ビー! 逃げろ!」
僕の叫びも虚しく、バンブルビーの駆動系が過負荷で火花を散らす。
彼は僕たちを守るために自ら盾となり、その場に膝を屈した。
彼は最後の力を振り絞って、叫ぶ。
『暦……』『逃げろぉぉぉぉぉぉ…』
「……あ、ああ……」
再び、黒服の集団が僕たちを包囲する。
荒々しく地面に引きずり出された僕たちの前に、一台のSUVが静かに停車した。
中から降りてきたのは、先ほど電柱に縛り付けたはずの、あの陰険な男。
シモンズが、油で汚れたスーツを払いながら、勝利を確信した笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「……やあ。また会ったな、阿良々木暦くん。……そして、口の減らないお嬢さんも。………こいつらと『お友達』を連行しろ」
ひたぎが忌々しげに舌打ちをする。
拘束されるバンブルビーの悲痛な電子音が、夜の静寂に虚しく響いていた。
「助けに行くべきだ、オプティマス」
銀色の将校、ジャズが、鋭い金属音を響かせて一歩前に出る。
バンブルビーが捕獲されるのを彼らも見ていたが、これ以上は我慢の限界だった。
彼のバイザーが、連れ去られる仲間の姿を捉えて激しく明滅する。今にも飛び出し、あの脆弱な装甲車群を紙屑のように引き裂かんばかりの勢いだった。
「我々が今動けば、人間たちを傷つけてしまう」
オプティマスの重低音が、ジャズを押し留める。
その声には、仲間の苦痛を誰よりも理解しながらも、種族としての誇りと倫理を優先せねばならない、指導者ゆえの血を吐くような葛藤が滲んでいた。
「だが……あのままではビーが!」
食い下がるジャズの装甲が、焦燥で細かく振動する。
仲間の絶体絶命を前に、戦士としての本能が静寂を拒絶していた。
「手を出すな!」
オプティマスは静かに、しかし抗いようのない威厳をもって、その言葉を置いた。
それを聞き、しぶしぶ引き下がるジャズ。
やがて、セクター7の車列が去り、遠ざかるヘリの音が夜の静寂に溶けていく。
破壊されたSUVの残骸と、ひしゃげたガードレールだけが残されたハイウェイ。
オプティマスはゆっくりと、その巨体を現した。
彼が一歩踏み出すたびに、アスファルトが重圧で微かに沈む。
彼は、地面に落ちていた「あるもの」を見つけた。
巨大な、しかし繊細な三本の指が、瓦礫の隙間に手を伸ばす。
拾い上げられたのは、古びた一幅の眼鏡。
人類の歴史と、宇宙の運命が交錯する、呪われた座標の鍵。
オプティマスはその眼鏡を、自らの光学センサーの前に掲げた。
暗闇の中で、リーダーの瞳だけが、冷徹なまでに青く輝いていた。
次回豫告
「アイアンハイドだ。このジカイヨコクとやらに参加するのは初めてだが、よろしく頼む」
「阿良々木暦の要請で隠れていた時の話だ。隣にあった家の生物、あれは『イヌ』というのか?ともかくそいつが、俺の装甲に潤滑油をかけやがったのだ」
「自慢のキャノン砲で始末してやろうかと思ったら、阿良々木の家の窓から、斧乃木余接と名乗る奇妙な外見の童女が覗いてきて、俺を止めた」
「曰く、それはオスの縄張り主張らしい。足が錆びちまうが、俺は犬に『メッ』と言うだけにしておいた。それがこの星の処罰らしいからな」
「聞けば、その童女もまた、阿良々木暦によく可愛がられているという。頭を撫でられ、スカートを捲られ、終いにはキスをされたこともあるらしい」
「……どうやら彼は想定以上の変態的嗜好を持っているようだ」
「次回、こよみフォーム其ノ漆」
「ディセプティコンを叩きのめす」