045
ワシントンD.C.、ペンタゴン。
世界で最も強固な結界に守られているはずのその建物は今、物理的な熱量と、目に見えない情報の暴風雨にさらされていた。
「中国艦隊、南シナ海にて米第7艦隊の第1段階射程圏内に侵入!」
「台湾海峡の緊張、レッドラインを超えました! 各艦、交戦規定の最終確認を求めています!」
戦略指令室の巨大なスクリーンには、太平洋を埋め尽くす赤いドットと青いドットが、互いの喉元にナイフを突きつけ合う図式が映し出されている。
ジョン・ケラー国防長官は、ネクタイを緩める暇もなく、次々と突きつけられる破滅へのカウントダウンを凝視していた。
「……引き金を引かせるな。一発でも誤射があれば、この惑星の歴史は今日で終わるぞ」
ケラーの低い声が室内に響く。だが、その緊迫した空気を切り裂くように、一人の男がSPを引き連れて指令室へと足を踏み入れた。
仕立てのいい、しかしどこか時代がかったスーツを着た男。
トム・バナチェック。
「長官、お忙しいところ失礼する。セクター7のバナチェックだ。緊急事態につき、直轄権限を行使させてもらう」
「セクター7?」
ケラーは忌々しげに振り返り、その名を反芻した。
「……知らんな。そんな予算項目は国防総省のどこにも存在しない。都市伝説の類なら、外の広報担当にでも話すんだな。門前払いだ。連れ出せ」
「長官、これは憲法外の——」
「出ていけと言っている! 今、我々は本物の戦争を回避しようとしているんだ。お遊びに付き合っている暇はない!」
ケラーの怒号に押されるように、バナチェックは不敵な笑みを残して部屋を後にした。
だが、その背中がドアの向こうに消えた、まさにその瞬間だった。
指令室の全モニターが、一斉に「砂嵐」へと変わった。
「……なんだ? システムを復旧させろ!」
「だめです! メインサーバーが応答しません! 通信ライン、全系統ダウン!」
「衛星リンク切断! 第7艦隊との連絡が途絶しました!」
静寂。
物理的な音を失ったわけではない。
世界を繋いでいた情報の血管が、一瞬にして凝固したことによる、精神的な静寂。
ケラーは戦慄と共に、数時間前の出来事を思い出した。
エアフォースワンで「ブロックした」はずの、あの正体不明のハッキング・ウイルス。
「……時間差か」
ブロックされたこと自体が、侵入のための「休眠」だったのだ。
ウイルスは検疫の網をすり抜け、全米、いや全世界の通信インフラの
「長官、全世界のネットワークが沈黙しました……。我々は今、完全な『盲目』です」
暗転したスクリーンに映っているのは、もはや敵の艦隊ではない。
ただ、冷たく、無機質な、自分たちの無力な反射だけだった。
混乱の極致にある部屋の隅で、門前払いしたはずのバナチェックが再びケラーの前に立っていた。
その手には、大統領の直筆サインと、見たこともない特殊な紋章が刻印された機密フォルダが握られている。
「……何をしに戻った」
ケラーが低く唸るように問う。
「国防長官、大統領命令で参りました。今は一刻を争う。……あなたの知らない『歴史』をお話ししましょう」
バナチェックは、指令室のメインスクリーンとは独立した、セクター7独自の回線を物理的に接続した。
「2003年。NASAの火星探査機ビーグル2号が着陸直後に消息を絶ちました。世間一般には着陸失敗による全損と公表されましたが……事実は違います。消息を絶つ直前、実は13秒だけ映像が送られていたのです」
画面に、激しいノイズ混じりの映像が映し出される。
赤茶けた火星の地表。そこには、地球の科学力では説明のつかない「人型の金属生命体」のシルエットが、陽炎のように揺らめきながら迫ってくる様が記録されていた。
バナチェックが別のウィンドウを開く。そこには、数日前にカタールの米軍基地を襲撃した怪物の静止画が並べられた。
「こちらはつい先ほど、切断の直前に送られてきた、カタール基地の生存者が撮影した写真です。どちらも同じ金属のような皮膚を持っている。……ロシアでも、北朝鮮でもない」
火星のシルエットと、砂漠の怪物のシルエット。
重なり合う二つの影は、鏡合わせのように一致していた。
「……バカな」
ケラーの顔から血の気が引いていく。
「つまり……宇宙からの侵略であると……? 30ミリ機関銃の弾を弾き返し、電子の海を泳ぎ、我々の通信網を文字通り『食い潰して』いるのは、星の向こうから来た連中だと言うのか」
「左様です。彼らは一世紀以上前からこの星を狙い、潜伏し続けてきた。そして今、何らかの『トリガー』によって一斉に起動を開始した」
バナチェックは、通信遮断の直前に傍受した暗号化データの解析表を見せた。
「カタールの生存者たちが、有効な武器を見つけたようです。高熱による分子構造の破壊……奴らの装甲を貫く唯一の手段です。敵はおそらく、この情報が軍全体に広まり、人類が組織的な反撃に出るのを恐れた。だから、世界中の通信を物理的に、あるいはウイルスによって遮断したのです」
バナチェックはネクタイを締め直し、壊滅的な状況とは裏腹に、どこか満足げな笑みを浮かべた。
「長年、妄想狂と指を差されながら、地下深くで働いてきた甲斐がありましたよ」
彼は、通信の途絶した暗い部屋を見渡し、皮肉たっぷりに付け加えた。
「どうやら、私の安い給料も上がる時が来たようです」
046
ペンタゴンの戦略指令室は、もはや静寂の底にあった。ハイテクの極致であるはずの液晶モニター群は、ただの黒い鏡と化し、無能な高級将校たちが暗闇の中で立ち尽くしている。
だが、ジョン・ケラー国防長官の瞳には、絶望ではなく、軍人としての苛烈な闘志が宿っていた。彼はバナチェックから突きつけられた「真実」——エイリアンの侵略と、その情報を封じるための通信遮断——を、瞬時に血肉として飲み込んだ。
「各員、聞け! 嘆いている暇はない。電子機器が死んだなら、声と鉛筆で戦争をするまでだ!」
ケラーの怒号が、通夜のような指令室を叩き起こす。彼は机を拳で叩き、傍らに控える副官を鋭く指差した。
「直ちにペルシャ湾、および黄海の全艦隊に対し、最高優先度の撤退命令を出せ。今この瞬間、中国やロシアと撃ち合っている場合ではない。我々の本当の敵は、海の向こうの国家ではなく、空から降り注いだ『未知の怪物』だ。誤認による全面核戦争だけは、何としても阻止しなければならん!」
「しかし長官、衛星通信も有線も全滅です! 艦隊に指示を飛ばす手段がありません!」
「馬鹿者が、頭を使え!」
ケラーは壁に掛けられた古びた合衆国全図を睨みつけた。
「デジタルが死んだなら、アナログに帰るだけだ。州兵の基地を回れ。彼らが災害時に使う古い短波無線や、旧式の真空管を使った通信設備なら、奴らのデジタル・ウイルスも食いつけんはずだ。高出力の電波を叩き込み、大気圏に反射させてでも地球の裏側へ届けろ!」
ケラーは地図上のペルシャ湾を指でなぞり、言葉を続けた。
「全軍に伝えろ。『トロイの木馬』は既に門の内側にいる、とな。全艦、ただちに交戦を中止し、防衛体制へ移行せよ。各拠点の指揮官には、高熱エネルギーを伴う徹甲弾の使用を許可する。……急げ! 世界が盲目になっている間に、人類が自滅するシナリオだけは書き換えさせんぞ!」
指令室の者たちが一斉に走り出す。伝令、バイク、そして旧式の無線機。
一世紀前の戦場を彷彿とさせる泥臭い伝達作業が始まった。
ケラーはペンタゴンの深部にある特殊取調室へと向かった。
重厚な音を立てて防音ドアが開くと、そこには世界の危機などどこ吹く風といった様子で、冷淡な対話を続ける羽川翼と忍野扇の姿があった。
「……予想通りだよ、扇ちゃん。世界が今、情報の凍結状態になっていることを考えると、国防長官が頼れるのはもう私たちしかいないんじゃないかな?」
「そのようですねぇ」
振り返った羽川が、白黒ショートの髪を揺らしてケラーを直視する。
その瞳には、拘束された恐怖など微塵もなく、ただ膨大な事象を整理し続ける学者のような静謐さがあった。
ケラーは机を拳で叩き、単刀直入に切り出した。
「ツバサ・ハネカワ――いや、羽川君。君がしでかしたことは本来死罪に値する程の事だ。しかし、今は君の知恵が必要だ。我々のシステムは沈黙し、敵の正体も目的も分からん。……頼む、私のアドバイザーになってくれ。君ならこの混乱を収拾できるはずだ」
羽川は少しだけ小首をかしげ、それから隣に座る真っ黒な瞳の少女を、流し目で見た。
ケラーの視線が扇へと移る。
その異様なまでに長い袖と、底の見えない不気味な微笑みに、国防長官の背筋に冷たいものが走った。
「……そいつは誰だ? 資料には『同行者』としかないが、得体が知れん」
「私のアドバイザーです、長官」
羽川は、少しだけ不服そうに、けれど断固とした口調で答えた。
それを聞き、扇は口元を袖で隠しながらクスクスと笑う。
「おやおや。天下のペンタゴンが、こんな正体不明の女子高生に縋るとは。滑稽ですねえ、恐ろしいですねえ。……いいでしょう、阿良々木先輩が今頃、黄色い車の中で泣いているかもしれませんし。少しだけ、手伝ってあげましょうか」
情報の断絶した暗黒の世界で、人類の命運は、最も「知」に愛され、最も「理」から遠い二人の少女の手に委ねられた。
047
太平洋の夜が明け、水平線の向こう側から差し込む朝日が、巨大な輸送機、C-17の機内を冷たく照らし出した。
僕、ひたぎ、そして神原の三人は、セクター7の厳重な監視下、日本からアメリカ本土へと「超法規的」に移送されていた。バンブルビーを奪われ、オプティマスたちともはぐれたまま。
「……暦、そんな顔をしないで。あなたのその湿った雑巾のような表情を見ていると、アメリカの乾燥した空気すら湿気ってしまうわ」
ひたぎが、拘束された状態でも変わらぬ毒舌で僕を鼓舞する。
「……わかってるよ。でも、ビーが……。あいつ、僕たちを守るために……」
「先輩! 弱気になるな! 敵の懐に飛び込んだと思えばいい。ピンチの後にチャンスあり、だぞ。……しかし、まさか本当にアメリカまで連れてこられるとはな」
神原が機内の窓を覗き込む。
輸送機がネバダ州の軍用基地に着陸すると、僕たちは目隠しをされ、さらに別のヘリコプターへと押し込められた。
轟音と共に舞い上がるヘリの中、ようやく目隠しを外された僕の目に飛び込んできたのは、予想だにしない光景だった。
「……え?」
そこには、僕たちの向かいの座席に、見慣れた二人の少女が座っていた。
一人は、白と黒が混じり合ったショートヘア――あの過酷な『虎』との戦いを経て、自分自身を受け入れた証の髪型をした、羽川翼。
そしてもう一人は、真っ黒な瞳に底知れない微笑を浮かべた、正体不明の後輩、忍野扇。
「……は、羽川!? それに、扇ちゃん!?」
僕はあまりの衝撃に、座席から転げ落ちそうになった。
「羽川はともかく……扇ちゃん!? どうして君がアメリカにいるんだよ! パスポートどころか、君には戸籍だってないはずだろ!」
扇ちゃんは、長い袖で口元を隠しながら、クスクスと不気味に笑った。
「おやおや、阿良々木先輩。元気ですねえ、何かいいことでもあったんですか?最初にボロい方のカマロの中で話したじゃないですか。瞬間移動ですよ」
「……あの会話、そんな伏線だったの!? 冗談だと思ってたよ!」
「阿良々木くん、落ち着いて」
羽川が、少しだけ疲れたような、けれど慈愛に満ちた声で僕を嗜めた。
「彼女のことを考えても無駄だよ。それより……阿良々木くんは何をやらかしたの? 一応把握しておきたいんだけど」
僕は、ここ3日間の出来事を、自分でも信じられない思いで口にした。
「……買った車が、ロボットに変形したんだ」
一瞬の沈黙。
そして、ひたぎが、神原が、羽川が、そして扇ちゃんまでもが、互いの顔を見合わせ……。
「「「「…………ふふっ」」」」
誰からともなく、にやけた笑いが漏れ出した。
僕もつられて、乾いた笑いを漏らす。
宇宙戦争。国家機密。世界滅亡。
そんな重苦しい単語を並べるよりも、その一言の方が、今の僕たちの状況を何よりも正確に、そして滑稽に表していた。
「……あはは、本当だ。車がロボットになるなんて、阿良々木くんらしいね」
羽川が、白黒の髪を揺らして笑う。その瞳には鋭い光が宿っていた。
ヘリの同乗者に、あの忌々しいシモンズの姿はない。
彼は別のルートで、現場の指揮を執っているのだろう。
「見えてきましたよ、先輩。人類が作った、巨大な『蓋』が」
扇ちゃんが窓の外を指差す。
眼下に現れたのは、コロラド川をせき止める、白亜の巨大構造物。
フーバーダム。
その下に何があるのかを僕らはまだ知らない。
048
ヘリのローター音がダムのコンクリート壁に反響し、重厚な轟音となって鼓膜を震わせる。
着陸したヘリから降り立った僕たちを待っていたのは、映画のワンシーンのような光景だった。
砂漠の砂にまみれた迷彩服の男たちが並んでいる。
カタールの地獄を生き延びた、ウィリアム・レノックス大尉率いる精鋭部隊だ。
彼らは、僕たちのような日本の学生がこの国家機密の核心に運ばれてきたことに一瞬の戸惑いを見せたが、すぐさま軍人らしい鋭い敬礼をジョン・ケラー国防長官に捧げた。
「大尉、よく戻った。君たちが持ち帰った情報は、人類にとって唯一の希望だ」
ケラー長官が、重厚な声で告げる。
「すでに全軍の弾薬をAPDS弾に切り替えさせている。高熱を一点に集中させ、奴らの装甲を焼き切る準備は整った」
「……感謝します、長官。これでようやく『会話』が成立します」
レノックスの言葉には、仲間を失った者の静かな覚悟が宿っていた。
「やあ、阿良々木くん。夕べは出会い方が少しばかり……そう、アグレッシブすぎたな。悪く思わないでくれ」
声の主は、油まみれで電柱に縛り付けられていた男、シーモア・シモンズだった。
彼は何事もなかったかのように糊のきいたスーツに着替え、安っぽい親愛の情を浮かべて僕たちに近づいてきた。
「何か食べるか? この先は長い。……そうだな、口直しにアイスでも買ってやろう。チョコか、バニラか、それともストロベリーか?」
「……僕の車を解放してくれ。それだけでいい」
僕がシモンズの目を真っ直ぐに見据えて言うと、彼の隣にいた白髪混じりの男――トム・バナチェックが、重厚な足取りで一歩前に出た。シモンズの軽薄さとは対照的な、歴史の重みを知る者の眼差し。
「阿良々木君。君が持っていた眼鏡は、オプティマス・プライムというエイリアンの手に渡った。それは把握している。だが、君は彼らと直接言葉を交わし、彼らの『意志』に触れた唯一の民間人だ」
バナチェックはダムの深淵を見下ろしながら、静かに、しかし断固とした口調で続けた。
「いいか、世界の命運がかかっている。彼らは何者で、何を求めているのか。君が知っていることをすべて、余さず教えてくれ」
羽川が僕の隣で髪を風に吹かせながら、静かに周囲の状況を探っていた。
「……阿良々木君。正直に話していいと思うよ。今は隠し事をしてるステージじゃない」
「分かってる。……でも、羽川。彼らは敵じゃないんだ。そこだけは、分かってもらわないと」
049
アメリカ、どこかの砂漠に佇む静謐なモスク。
正午の太陽が真上から突き刺さり、古い石造りのドームに巨大な鋼鉄の影を落としていた。
オプティマス・プライムは、その巨大な指先で、繊細な、あまりにも矮小な一幅の眼鏡を掲げた。
「どうか、作動してくれ……」
その祈りにも似た呟きは、重低音の振動となって辺りに反響する。
「やれ、オプティマス!」
ジャズが鋭い声を飛ばすと同時に、オプティマスの光学センサーから高出力の青いレーザーが放たれた。光線はレンズを透過し、空中で無数の幾何学的なデータへと分解され、再構築されていく。
刹那、空間上に鮮やかな地球型のホログラムが投影された。
「コードだ。このコードがオールスパークの在処を示す。……北緯36度0分56秒、西経114度44分16秒。ここから230マイル先だ」
オプティマスの言葉と同時に、軍医ラチェットの全身のセンサーが微かに鳴動した。
「……ディセプティコンが出動準備を始めたのを感じる。大気が奴らの悪意で震えている」
「奴らも在り処を嗅ぎつけたか。忌々しい嗅覚だ」
アイアンハイドが両腕のカノン砲をガチリと鳴らす。
だが、銀色の戦士ジャズのスパークは、別の場所にあった。
「バンブルビーは? 見殺しにするのか? あいつは今この瞬間も、人間の実験台にされようとしているんだぞ!」
「……この任務が果たされなければ、彼は無駄死にとなる」
オプティマスの声は鉄のように硬く、けれどどこか悲痛な響きを孕んでいた。
「バンブルビーは勇敢な兵士だ。任務の続行を望むだろう」
「どうしてそこまでして人間を守ろうとする? 奴らは原始的で、暴力的な種族だ。自分たちで自分たちの星を壊し合っているような、未熟な炭素生命体じゃないか」
アイアンハイドが地響きのような溜息をつく。
オプティマスはゆっくりと顔を上げ、砂漠の彼方を見つめた。
「……我らもかつてはそうだった。人間は幼い種族だ。まだ学ぶべきことも、克服すべき欠点も多い。だが、彼らには我々が失いかけた『いい面』もある。自由は全ての生き物が持つ権利だ。それを奪う権利は、メガトロンにも、我々にもない」
オプティマスは一歩、砂を噛むように踏み出した。
「この戦争を終わらせる方法は、ただ一つ。……オールスパークを破壊することだ」
ジャズが驚愕に目を見開く。それは種族の源を絶つことを意味していた。
「いざとなれば、私が胸に『キューブ』を埋め込み、融合する。私のスパークのエネルギーで、キューブの力を中和し、消滅させる」
「自殺行為だ!」
ラチェットが叫ぶ。
「キューブの力は計り知れない。双方ともに破滅するぞ!」
「この星に平和をもたらすためだ。覚悟はできている。人間を我々の過ちの犠牲には出来ない」
オプティマスは仲間たちを一人ずつ見回した。その青い瞳には、最期の決別にも似た静かな慈愛が宿っていた。
「……ともに戦えたことを、光栄に思う」
一瞬の沈黙の後、オプティマスは高らかに宣言した。
「オートボット、
「…出動!」
アイアンハイドも応え、オートボット4体は走り去っていった。
050
フーバーダムの巨大なコンクリートの回廊。冷たい人工照明が、剥き出しの配管を不気味に浮かび上がらせている。
誰も気づかなかった。
ひたぎのカバンの隅、そこにあったはずの携帯電話が、機械的――奇怪的な音を立ててその姿を変えたことを。
それは、細長い手足を持つ銀色の小さな頭部――ディセプティコンの工作員、フレンジーだった。
昨日の夜、混乱に乗じて紛れ込んでいた彼はカバンから滑り落ちると、ダムの深い通気口の闇へと消えた。
ネズミよりも素早く、誰の視界にも入らず、彼はダムの心臓部を目指して侵入を開始した。
一方、僕たちはシモンズの饒舌な案内に導かれ、ダムの最深部へと降りていた。
僕らを、軍人達が怪訝な目で見ているのを感じながら、迷宮のような地下へと進む。
「いいか、諸君。これから目にするものは、人類の歴史を根底から覆す。諸君はすでに、外でNBEと接触しているが……ここにあるのはその『起源』だ」
「NBE? なんだそりゃ。新しいエネルギーの単位か?」
エップス曹長が怪訝そうに眉をひそめる。
「Non-Biological Extra-terrestrial。非生物学的地球外生命体だ。……一九三〇年代に、大統領の直命でこのダムが造られた真の目的は、この下に眠る『客』を隠し、その莫大なエネルギーを遮断するためなのだ」
シモンズが重厚な気密扉のロックを解除する。
プシュッ、という音と共に、氷点下まで冷却された白濁とした冷気が通路に溢れ出した。
僕の影が、不自然に揺れる。
(……酷い温度じゃな。南極にいた頃を思い出してあまりいい気はせんのう、お前様よ)
影の中から、忍野忍の忌々しげな声が僕の耳にだけ届いた。
……我慢してくれ、忍。僕だって、この寒さは心臓に悪い。
【NBE-1 貯蔵サイロ】と書かれた扉の先には、数千トンの液体窒素が循環する、巨大なサイロが広がっていた。
そこには、四方八方から凍結パイプを突き刺され、磔にされた「山」のような影があった。
「……何だこれは……?」
見上げる僕たちの視界に入ってきたのは、氷の膜に覆われた、九メートルを優に超える鋼鉄の巨人。
オプティマスたちのような気高さはない。
そこにあるのは、見る者のスパークを凍りつかせるような、圧倒的な「悪意」と「暴力」の結晶。
――メガトロン。
「おそらくこいつは地球の磁場によって平衡感覚を失い、北極に墜落したのでしょう。数千年前の事と思われます。セクター7がこのサイロに運び込んだのが1934年、それ以来冷凍保存されています」
「我々は『NBE-1』と呼んでいる」
バナチェックが解説し、シモンズが誇らしげな手つきで計器を叩く。
「いいか、驚くなよ。近代のテクノロジーは全てこいつから来たものだ。……マイクロチップ、レーザー、宇宙探査、そして君たちが肌身離さず持っている携帯電話に至るまで――全て、このNBE−1を解析して得られた技術だ」
「……つまり、現代のテクノロジーは全て『死体』を解剖して作ったパクリってことね」
ひたぎの言葉に、シモンズは不敵な笑みを浮かべた。
「パクリじゃない、『インスピレーション』と言ってくれたまえ」
その時、僕の影が、氷の反射に合わせて不自然に長く伸びた。
(……かかっ、滑稽じゃな。お前様よ、人間どもは自分たちの知性を誇っておるが、その実、檻の中の怪物の寝言を書き取っておったに過ぎんというわけか)
影の中から、忍の嘲笑が響く。彼女にとって、この「メガトロン」という存在は、怪異というよりも、より根源的な「捕食者」の気配を放っているようだった。
数千年の眠りにつく銀色の巨神を見上げながら、僕は口を開く。
「……そいつの名前は、メガトロン。ディセプティコンという、破壊を目的とした金属生命体のリーダーだ」
僕の言葉に、シモンズやバナチェック、そしてケラー長官の視線が突き刺さる。
国防長官が、信じられないものを見るような目でバナチェックを睨みつけた。
「……つまり何か。君たちは、エイリアンロボットの親玉を、この七十年間もの間、政府にも国民にも黙ってここに保管していたというわけか?」
バナチェックは、冷徹な官僚の顔を崩さず、静かに答えた。
「……彼は永久凍土の中で完全に機能停止していました。当時の科学力では生命体としての反応すら検知できず、動く兆候もなかった。我々にとっては、単なる『オーバーテクノロジーの宝庫』であり、脅威とは考えられなかったので」
「……大変な脅威だ」
ケラー長官の怒号がサイロに反響する。
「今、外で起きている惨状を見ろ。奴の仲間が、この『親玉』を奪還するためにアメリカ全土、いや地球全体を戦場に変えようとしているんだぞ!」
傍らでレノックス大尉が、忌々しげにメガトロンを仰ぎ見た。
「……納得がいかないな。宇宙は広い。なぜ、これほどまでに執拗に、奴らはこの辺境の惑星――地球に執着する?」
「……オールスパークだ」
「オールスパーク?何だねそれは?」
国防長官が僕に問いかける。
「彼らが探し求めている、宇宙の万物を創造する力を持ったキューブ型の物体です。メガトロンはそれを求めて地球にやってきた。だが、彼は着陸に失敗して北極の氷に閉ざされた――」
一同が注目しているのを感じながら僕は続ける。
「彼らはその『キューブ』を使って地球上の機械に命を吹き込み、宇宙を征服する魂胆なんです。……オールスパークの在り処を知ってるんでしょ?」
バナチェックの表情が微かに強張った。
「……阿良々木君。君はどこまで……」
「隠しても無駄です。眼鏡に刻まれた座標は、ここを指していたんだ。……メガトロンを凍らせて隠しているだけじゃない。あなたたちは、奴らが喉から手が出るほど欲しがっている『キューブ』そのものを、このダムのどこかに隠し持っているはずだ」
しばし沈黙。
やがて、バナチェックは冷や汗を拭いながら、ゆっくりと一角の重厚なハッチを指し示した。
そこは、ダムの発電タービンから供給される莫大な電力が集中する、最深部のエネルギー・チェンバー。
「……案内しよう。人類が手にした、最大の『火』の元へ」
051
「大変なお宝をお見せしよう」
シモンズに導かれ、僕たちはダムの心臓部、巨大なドーム状の監視室へと足を踏み入れた。
窓の外には、人類が築いたコンクリートの要塞さえも色褪せて見えるほどの、「異質」が鎮座していた。
漆黒にも見える銀色の金属に、銀河の理を刻み込んだような複雑な幾何学模様。一辺が約30メートルに及ぶその巨大な立方体は、微かな振動と共に、空間そのものを歪ませるような重低音を響かせていた。
――オールスパーク。
「……紀元前一万年前。この星に墜落したと推察されている。初代セクター7が発見したのは1913年」
バナチェックが心酔したような眼差しで呟く。
「フーバー大統領はこのキューブから放出されるエネルギーを遮断するために、数百万トン、フットボール場4個分ノのコンクリートでこのダムを築いた。そのお陰でこの70年間、誰にもエネルギーは感知されなかった。………地球の外にいるエイリアンからもね」
しかし、問題は中から発生していた。
重厚な防爆ハッチをすり抜け、配管の影をネズミのように這いずり回る銀色の影――フレンジー。
「ギ、ギギッ……!!」
フレンジーの電子眼が、狂喜に点滅する。
一歩踏み出した瞬間、パルス状の青白い電磁波が彼の細い体を駆け抜けた。
「ア、アガガガガガッ!!」
過負荷で焼き切れるかと思われたその時、奇跡が起きる。
切り落とされた首が火花を散らして瞬時に再生していく。
ダムの最深部、オールスパークが放つ青白い拍動が、フレンジーの修復された銀色のボディを冷たく照らし出す。
彼は狂喜に震えながら、全ディセプティコンへと信号を送信した。
「
アメリカ空軍・アンダーセン基地。
滑走路にてアラート待機中の戦闘機群の中に、一際鋭利な影を落とすF-22ラプターがあった。
無人のコックピット。
しかし次の瞬間、酸素マスクを付けたパイロットの立体画像が投影された。
操縦桿が独りでに動き、計器類が血のような赤色に染まる。
キィィィィィィィィン!!
二基の巨大なエンジンが咆哮を上げ、垂直尾翼に刻まれた部隊マークが不吉に歪んだ。
「
アフターバーナーの炎が夜空を焦がし、銀色の怪鳥は音速の壁を突き破ってネバダへと機首を向けた。
ハイウェイを猛然と疾走する一台のパトカー、サリーン・S281。
その車体には昨日までの激戦の痕跡はもう残っていない。
漆黒の車体に刻まれた「罪人を罰し、服従させる」という呪詛が通信を受けて明滅した。
「
赤と青のパトランプを毒々しく輝かせ、彼は獲物を追い詰める猟犬のように速度を上げた。
陸軍車両集積所。
演習を終えて静まり返る車両置き場。
装甲車両の列に並ぶ、異様な「二段砲塔」を持つ重戦車M1エイブラムスが、主砲を独りでに旋回させた。
鋼鉄の履帯がアスファルトを粉砕し、数十トンの質量が動き出す。
「
フェンスを踏み倒し、戦車はハイウェイへと向かっていった。
車両基地、待機列。
地雷除去車「バッファロー」。
巨大なフォークアームを不気味に蠢かせ、それは獲物の喉笛を探す猛獣のように、隊列から外れて走り出す。
「
ラスベガス上空。
カジノのネオンが煌めく砂漠の摩天楼。
その上空を旋回する巨大なMH-53ペイブロウ・ヘリコプター。
そのローター音が、次第に不気味な重低音へと変質していく。
コックピットの全モニターに表示されたのは、銀色の帝国の紋章。
「
巨大なヘリは進路を急旋回させ、死の影を落としながらフーバーダムへと加速した。
052
「バナチェック、こいつの正体は何なんだ」
ケラー長官の問いに、バナチェックは重々しく口を開いた。
「我々には解析不能です。ただ一つ言えるのは、これが周囲の『非生物』に生命を吹き込む、文字通りの神の火であるということです。……実演しましょう」
一行は強化ガラスに囲まれた隔離試験室へと案内された。
全員に化学実験で使われるようなゴーグルが渡される。
装着した後に辺りを見渡すと、壁には3本の爪痕が刻まれていた。
「『エルム街』のフレディか?」
それを見てエップスが呟くと、
「いや、フレディの爪は4本です。どちらかと言えば『X-MEN』のウルヴァリンですねぇ」
と、扇ちゃんが訂正した。
シモンズが彼女に向かってニヤリと笑う。
「面白い。……電子機器を持ってる奴はいないか?モバイルや携帯、等々」
シモンズは僕らを見ると、神原に白羽の矢を立てた。
「おい、お嬢ちゃん。君が持っているその携帯電話を貸してくれ。最新型じゃない方がいい……そう、その頑丈そうなやつだ」
「私のNOKIAか? 構わんが、手荒に扱うなよ。子猫ちゃんたちの画像が入っているからな」
神原が差し出したのは、無骨な黒いNOKIAの携帯電話だった。
そんな画像が入った携帯を渡すな。
「NOKIAか……こいつは手強いな…なにせ日本製、SAMURAIの国だからな」
そう呟きながらシモンズがそれを試験室中央の台座に置き、箱を閉める。
僕ら日本人組は顔を見合わせた。
NOKIAはフィンランド製品である。
「『キューブ』のエネルギーを、この箱の中に送り込む。……実験開始だ」
チチチッ、という青白い放電がNOKIAを直撃した瞬間、異常が起きた。
電子回路が悲鳴を上げ、液晶画面が真っ赤に染まる。次の瞬間、プラスチックの筐体が内側から弾け、極小の歯車とシリンダーが爆発的に増殖を始めた。
「な……ッ!? 私のNOKIAが!」
神原が叫ぶ。
わずか数秒で、携帯電話は「地獄からやってきたダンシング・デビル」とも言うべき存在へと変形した。
小さな手足が生え、その両腕には極小のミサイルランチャーとガトリングガンが展開される。
「キキキキッ!」
機械的な叫び声を上げながら、小型ロボットは狂ったように周囲を掃射し始めた。
ガガガガガッ!
火花が散り、箱の強化ガラスにヒビが入る。それは純粋な悪意と破壊本能の塊だった。
神原の欲望を火力に変換してやがる。
「これを見ろ! 人間には理解不能な、無機物への生命付与だ!」
シモンズが叫んだ。
ヒビはどんどん大きくなっていく。
「……箱が壊れるな」
すぐに冷静さを取り戻したシモンズがレバーを引き、高圧電流が箱に流れる。
NOKIAは胸に大きな穴を空け、煙とともに沈黙した。
053
ネバダの砂漠を貫く一本のハイウェイ。
そこには、陽炎を切り裂いて進む「死の隊列」があった。
ハイウェイの上、ミラーに映る後続車両は一台もない。
漆黒のサリーン・S281――バリケードが、赤と青のパトランプを狂ったように明滅させ、時速200キロを超える速度でアスファルトを削る。
その後ろには、数千トンの質量を誇る重戦車ブロウルが、エンジンの咆哮と共に地響きを立て、地雷除去車ボーンクラッシャーが巨大なアームを不気味に蠢かせながら追随していた。
彼らの通った後には、焦げたゴムの臭いと、逃げ遅れたガードレールの残骸だけが残される。
一方、フーバーダムの上空。
雲ひとつない正午の青空を、銀色の怪鳥――F-22ラプターが音速を超えて飛来した。その後方からは、死の影を落とす巨大なヘリコプター、MH-53ペイブロウが迫る。
「
「
二体の冷酷な無線が響いた瞬間、美しいコロラド川の水面が爆圧で真っ二つに切り裂かれた。
怪鳥達は橋を潜り抜けると同時に、物理法則を嘲笑うような複雑な機動で「変形」を開始した。
同時に空中を舞うミサイルが、ダムの外部変電所へと吸い込まれていく。
ドォォォォォンッ!!
スタースクリームの精密な爆撃が送電設備を粉砕し、ブラックアウトが放った強力なEMP攻撃が、ダムの全システムを物理的に焼き切った。
凄まじい放電現象と共に、ダムを支えていた数百万ワットの電力が一瞬にして遮断された。
地下の試験室。
隔離された空間でさえ、その衝撃は足元から脳髄を揺さぶった。
「どうした!?」
バナチェックが、壁に備え付けられた旧式の受話器をひったくるように取る。
『攻撃を受け、電力が大幅に低下しています! 予備電源に切り替わりましたが、冷却システムを維持できません!』
作業員の悲鳴に近い報告が、受話器から漏れ出す。
「予備電源だけではメガトロンの凍結を維持できないぞ!」
「武器庫へ急げ! 戦える者は全員だ!」
シモンズが叫び、重厚な武器庫の扉を蹴り開ける。
「そこの40ミリAPDS弾を使え! 奴らの装甲を焼き切る唯一の手段だ!」
パニックに陥るセクター7の職員たちを尻目に、僕はシモンズの肩を掴んだ。
「僕の車はどこだ!? どこにやったんだ!」
「今はそんな場合じゃないだろう、阿良々木!」
「あるんだよ、そんな場合が! バンブルビーなら、この『キューブ』の扱い方を知っているはずだ。彼を解放してくれ!」
「接触させたらどうなるかわかっているのか!? 人命がかかっているんだ、そんな危険は冒せん!」
その言葉が終わる前に、レノックス大尉がシモンズの胸ぐらを掴み、壁へと叩きつけた。
「車を少年に渡せ!」
周囲の兵士たちが一斉にセクター7の職員に銃口を向ける。
「……銃を下ろせ、大佐。 敵は外にいるエイリアンだ、私じゃない!」
シモンズが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「セクター7の権限において命令する! この民間人とエイリアンを隔離室に戻せ!」
「セクター7?」
エップスが、銃のボルトを引いた。
「架空の組織だろ!」
「存在しない組織の指図は受けない。……我々は軍人だ。守るべきものを守る。あんたのキャリアじゃない」
レノックスの銃口が、シモンズの眉間に固定される。
「……シモンズ君」
重苦しい空気の中、ジョン・ケラー国防長官が静かに、しかし断固とした口調で割って入った。
「相手は死線を越えてきた軍人だ。……彼らは一度決めたら、引き下がったりはせんよ。私もな」
シモンズは忌々しげに僕を睨み、それからレノックスの瞳にある「本物」の殺気に毒気を抜かれたように、力なく肩を落とした。
「……いいでしょう。世界の命運を君の車に賭けてみるか、ん?面白い」
バンブルビーが縛り付けられていたのは奥の保管庫だった。
高圧電流と凍結ガスによる拘束が解かれる。
火花を散らしながら、黄色い巨体がゆっくりと立ち上がった。
彼は僕を見て、カーステレオから拾ったノイズ混じりの音声を繋ぎ合わせる。
『――君を……待っていた』
「ビー、メガトロンがここにいて、ディセプティコンがキューブを探してる。……オールスパークの所へ行こう」
僕たちは、もはや青白い輝きを抑えきれなくなりつつあるオールスパークのサイロへと、全速力で走り出した。
「彼なら、できるのかしら」
ひたぎが僕の隣を走りながら、正面の銀色の立方体を仰ぎ見る。
「……ああ。彼らなら、この火を消す方法を知っているはずだ」
僕たちは今、宇宙の創造と破壊の源泉へと、その手を伸ばそうとしていた。
054
凍てつく霧が漂うサイロの深部。
全高20メートルに及ぶ銀色の立方体――オールスパークの前に、バンブルビーがゆっくりと、しかし確かな足取りで歩み寄った。
僕やレノックス大尉、そしてシモンズたちの視線が、その黄色い背中に釘付けになる。
バンブルビーは、巨大な鋼鉄の掌を、恐るおそる、敬意を込めてキューブの表面へと差し出した。
パチッ、パチチッ!
接触の瞬間、バンブルビーの指先からオールスパークの表面へと、青白い高圧の電流が火花となって散った。
「おい……こいつ何かやってる、何かやってるぞ……」
エップスが呟き、ひたぎが息を呑む。
一度、二度。
静寂の中に鋭い放電音が響き、サイロ内の空気がオゾンの臭いと共に激しく震える。
三度目の火花が走ったその時、立方体の表面に刻まれたサイバトロンの古代文字が、内側から溢れ出す白熱の光によって焼き付けられた。
「――始まりますよ。物質の再定義が」
扇ちゃんの呟きが合図だった。
ギギギ、ギギギギッ!
巨大なキューブが、まるで意志を持つ生き物のように、内側から激しく脈動を始めた。
直後、30メートル四方の巨大な面が、精緻なパズルのように何千、何万という微細なグリッドへと分割される。
それらは物理法則を無視した滑らかさでスライドし、重なり合い、内側へと「折りたたまれて」いく。
それは、建築物が崩壊するような粗雑な動きではなかった。
幾何学的な美しさを保ったまま、空間そのものを圧縮していく。
高次元の折り紙と形容すべきだろうか。
巨大な質量が、一瞬ごとにその体積を半分に、また半分にと削ぎ落としていく。
重なり合う金属板が擦れ合う高周波の駆動音が、耳の奥まで突き刺さる。
光の渦が収束していく。
眩い閃光が網膜を焼き、僕たちが思わず腕で目を覆った、その刹那。
轟音は止み、サイロには再び、静まり返った冷気だけが戻っていた。
バンブルビーがそっと掌を開く。
そこにあったのは、もはや「山」のような巨体ではない。
一辺が30センチメートルほどに縮小された、片手で抱えられるサイズの小柄な立方体。
表面の複雑な文様はそのままに、密度を極限まで高めたその「種火」は、バンブルビーの手の中で静かに、鼓動のような青い光を放ち続けていた。
「……あれが、宇宙を創った力なのか?」
神原が呆然と呟く。
30メートルの質量が、30センチ足らずの箱へと凝縮された事実。
そのあまりに非現実的な光景を前に、シモンズは言葉を失い、ただ計器の数値がゼロを指しているのを眺めることしかできなかった。
『宇宙艦隊からメッセージです』『始めようぜ?』
ビーがステレオから興奮した様子の音声を鳴らす。
「メガトロンがすぐそこにいる。ここにいちゃ危険だ」
レノックス大尉が、手にしたアサルトライフルを装填しながら言う。
「『キューブ』をここから運び出す。20マイル先のミッションシティだ。あそこのビル群の陰に隠せば、空からの視界を遮れる。……だが、それには空軍の協力が必要だ」
だが、ハイテクの粋を集めたダムの通信網は、ブラックアウトのEMPによって沈黙したままだ。
「通信機ならあります。……それも、奴らのデジタル・ウイルスが『古すぎて食べ残した』ような代物が」
シモンズが通路の奥を指差した。
そこは、セクター7が1930年代から積み上げてきた、カビ臭い「エイリアン資料室」だった。
そこには、最新鋭のサーバーラックの陰に隠れるようにして、巨大な真空管を内蔵した旧式の無線機が鎮座していた。
「おいおい、そんな骨董品が動くのか?」
エップス曹長が懐疑的な声を上げるが、シモンズが鼻を鳴らした。
「どうとでもなるでしょう! 先ほどあの『キューブ』が折り畳まれるのを見たか!? 『ピシッ!』っと『キューブ』を縮めたんだ! あの物理法則を超えた奇跡に比べれば、真空管を温めるなんて赤子の手をひねるようなものだ!」
「……わかった。私とシモンズ君、それにこの博識な少女たちがここで通信を確保する」
ケラー国防長官が重厚な面持ちで頷いた。
「大尉、君たちは街へ向かえ。阿良々木くん、君たちもだ。……人類の命運を、その黄色い車に託す」
役割は決まった。
羽川、扇、シモンズ、そしてケラーは、電波の「バイパス」を作るために資料室へ。
僕とひたぎ、神原は、レノックスたちの部隊と共に、バンブルビーに乗ってダムを脱出する。
その直前、影の中に潜んでいた金髪の幼女が、音もなくその姿を現した。
忍野忍。
彼女は、自身の半身とも言える妖刀の模造品――『心渡』の写しを、無造作に忍野扇へと差し出した。
「……これを持っておけ、暗黒娘。あの銀色のガラクタ共は、怪異ではないが、純粋な『個』の力が過ぎる。何かの役には立とうて」
「おやおや、伝説の吸血鬼からの贈り物ですか。……毒には毒を、怪異には怪異を、ということですねえ。有り難く、不本意に受け取っておきましょう」
扇が不気味な笑みを浮かべ、長い袖の中にその白刃を収める。
羽川はそれを見届け、僕の背中を力強く押した。
「行って、阿良々木くん。ひたぎちゃん。……世界を、お願いね」
その頃。
ダムの深部、メイン制御室。
かつてはエリート技術者たちが誇りを持って守っていたその聖域は、いまや火花を散らす精密機器の墓場と化していた。
床にはEMPの衝撃と、侵入者の物理的な暴行によって倒れ伏した作業員たちが、虫の息で横たわっている。
そのコンソールの上で、銀色の小さな悪魔が狂ったように踊っていた。
ディセプティコンの工作員、フレンジーだ。
「ギギッ、ギガガガッ!!」
彼はその細長い、剃刀のような指先を直接スロットに突き刺し、セクター7が七十年かけて築き上げたプロトコルを次々と食い破っていく。
モニターには、液体窒素の供給停止を示す警告灯が血のように赤く点滅していた。
制御パネルの温度計が、急速に右へと振れていく。
『NBE-1、凍結解除率……80%、90%……』
システムの音声が、死の宣告を読み上げる。
フレンジーは、自らのボディを震わせるほどの歓喜に浸りながら、ノイズ混じりのサイバトロン語で叫んだ。
「オゥ!メガトロンガ溶ケル! 」
マイナス200度近い極低温で保たれていた、NBE-1――メガトロンを閉じ込める「揺り籠」。
循環を止めた液体窒素が配管の中で蒸発し、凄まじい圧力となって安全弁を吹き飛ばした。
「冷却が追いつかない!」
「液体窒素を増やせ!凍結が解けるぞ!」
プシュゥゥゥゥッ!!
サイロ内に白濁としたガスが噴き出す。
これまで巨躯をガチガチに固めていた厚い氷の層に、ピシリ、と一条の亀裂が走った。
それは、数千年の眠りを経て、銀色の破壊大帝が体温を取り戻し始めた合図だった。
『急いで !』『……ここから……出るんだ!』
バンブルビーが、ラジオの音声を繋ぎ合わせて僕たちに告げる。
その声には、外で荒れ狂うディセプティコンの殺意と、背後で解け始めた「氷の怪物」への焦燥が混じっていた。
僕たちは、バンブルビーの手に託された小さな、しかし銀河よりも重い「キューブ」を抱え、崩壊を始めたダムの出口へと走り出した。
055
ダムの最深部。数千トンの液体窒素が蒸発し、視界を遮る白濁とした霧の中で、その「音」は響いた。
氷が砕ける音ではない。鋼鉄の筋肉が、数千年の硬直を振り払い、軋みながら再起動する咆哮だ。
「……オ……オォォ……」
巨躯を縛り付けていた高圧ケーブルが、過負荷によって焼き切れ、火花を散らす。凍結パイプは飴細工のように捻じ曲げられ、床に転がった。
霧の中から、赤く禍々しい輝きを放つ二つの眼孔が浮かび上がる。
それは知性を持った破壊そのもの。宇宙の帝王が、ついにその渇いた喉を震わせた。
「俺様は……メガトロンだ!」
爆音。
氷をふるい落とし、メガトロンは右腕を瞬時に鋭い棘が幾重にも並ぶ巨大なチェーンメイスへと変形させた。
一振り。
それだけで、厚さ数メートルの強化コンクリートの壁が紙屑のように粉砕され、サイロ全体が地震のような衝撃に見舞われる。
かつて自分を「NBE-1」と呼び、解剖しようとした人類への、最初で最後の回答だった。
ダム出口付近。
バンブルビーはタイヤを悲鳴させながら、崩壊を始めたダムの排気通路を猛然と駆け抜けていた。
ひたぎが後部座席の神原に『キューブ』の状況を聞く。
「キューブは無事?」
「今のところ大丈夫そうだ。先輩方」
「ならいいわ。………それよりも」
ひたぎがサイドミラー越しにフーバーダムを不安げに振り返る。
僕も影の中が、熱い。
さっきまで凍えるようだと文句を言っていた忍が、今は僕の影の底で、得体の知れない「圧」に震えているのが伝わってきた。
「お前様……これはいかん。空気が、存在そのものを拒絶しておる。あの銀色の化物……全盛期の儂ですら、これほどの純粋な殺意は持ち合わせておらんかったぞ……」
伝説の吸血鬼にそう言わしめるほどのエネルギー。それが、僕たちの真後ろで爆発した。
背後のサイロ内部。
メガトロンは跳躍すると同時に、その巨躯を折りたたみ、不気味な流線型を持つエイリアンジェットへとトランスフォームした。
二基のブースターから禍々しい紫色の炎が噴射される。
重力を無視した加速。彼はダムの内部構造を粉砕しながら上昇し、巨大な水門を突き破ってネバダの空へと躍り出た。
ダムの頂上。
そこには、主の帰還を待っていた銀色の怪鳥――スタースクリームが、ダムの壁面に爪を立てて待ち構えていた。
メガトロンは空中で変形を解除し、轟音と共に着地する。その衝撃だけでアスファルトに巨大なクレーターが刻まれた。
「参上しました、メガトロン様! お目覚めを心よりお慶び申し上げます!」
スタースクリームが仰々しく、しかしどこか卑屈な手つきで膝を突く。
メガトロンは膝を突く部下を一瞥もせず、その赤い瞳で周囲を圧した。
「キューブはどこだ!?」
「……人間どもに奪われました。現在、追跡中であります」
メガトロンの右手が、不気味な音を立てて握り込まれた。その拳からは、行き場のない破壊エネルギーが放電となって漏れ出している。
「またもしくじりおったな、スタースクリーム!追うのだ!!」
056
フーバーダムの地下、カビ臭い空気の漂う資料室。
「動け、動け……! この、1930年代の頑固者め!」
シモンズが脂汗を流しながら、巨大な真空管の並ぶ無線機を叩く。赤黒い火花が散り、ようやく「ブゥゥゥゥン」という鈍い重低音と共に電源が入った。
だが、そこには致命的な欠陥があった。
音声を入力するためのマイク――その配線が、70年の経年劣化で根元から断裂していたのだ。
「マイクがありませんよ、シモンズさん。これではいくら叫んだところで、あなたの耳障りな独り言がダムの壁に反響するだけです。……どうにもなりませんねえ」
扇が長い袖で口元を隠し、冷ややかに嘲笑う。
「黙れ黙れ黙れ黙れ! 黙らんと、セクター7の機密事項として貴様の存在を抹消するぞ!」
シモンズが半狂乱で叫ぶが、その手は震えていた。
「……いいえ、マイクがなくてもやり方はある」
羽川翼が、手近にあった古いノートパソコンを無線機の背面に直結させた。その瞳には、すでに最適解へと至る「バイパス」が描かれている。
「音声を送る必要はない。トーン信号……特定の周波数の音を、このパソコンから直接流し込む。デジタル信号をあえてアナログのパルスに変えて送り出すの」
「……おやおや。つまり、モールス信号の現代版ですか。羽川先輩、あなたは本当に……何でも知っているのですねえ」
「何でもは知らないわよ。知っていることだけ。シモンズ、呆然としてないでドライバーを持ってきて! このコンデンサをバイパスさせるよ!」
羽川の凛とした声が、絶望に沈みかけた資料室に響き渡った。
一方、ダムからミッションシティへと続く、広大な荒野の一本道。
バンブルビーの車内で、僕はバックミラーを凝視していた。
背後から迫るメガトロンのプレッシャー。
だが、その時――。
「……暦、前を見て」
ひたぎの声に顔を上げると、前方の地平線、陽炎の向こう側から巨大な鉄の塊が躍り出てきた。
青と赤のファイアーパターンが刻まれた、ピータービルトの379型トレーラーヘッド。
その後ろには、イエローグリーンのハマーH2、シルバーのポンティアック・ソルスティス、そしてブラックのGMC・トップキック。
キィィィィィィィィッ!!
四台の車両は、対向車線から猛烈なスピードでスライディング・ドリフトを敢行した。アスファルトを焦がす煙を上げながら、バンブルビーの隊列と並走するように反転し、進路を合わせる。
オートボットと軍人、そして怪異を抱えた僕たち。
奇妙な混成部隊は、ハイウェイを登り、最短ルートである険しい山道へと一斉に突入した。
(……かかっ。面白き光景じゃの。お前様よ、奴らの放つ熱気で、儂の影も溶けてしまいそうじゃぞ)
忍の楽しげな笑い声が、エンジンの咆哮と混ざり合う。
巨躯を揺らし、土煙を上げながら、鋼鉄の戦士たちは街を目指して斜面を駆け上がった。
[chapter:057]
フーバーダム、エイリアン資料室。
鋼鉄の正面ドアから、金属がひしゃげるような異音が響いた。
「……招かれざる客ですねえ。ノックもなしに、行儀が悪い」
忍野扇が扉を横目で睨む。
「キ、キキキッ!!」
扉の隙間から覗くのは、狂気に満ちた青い電子眼。フレンジーだ。
ケラー長官が即座にショットガンを手に取り、ドアの隙間に向けて引き金を引く。
ドォンッ! ドォンッ!!
散弾がフレンジーの細い四肢を叩くが、奴は止まらない。
それどころか、胸部から高速回転するカッター状のディスク弾を射出した。
「あ……」
一閃。
避ける間もなく放たれたディスクが、忍野扇の異様に長い左の袖を鮮やかに切り落とした。
床に落ちた布切れと、剥き出しになった手首。
黒い手袋も素肌すれすれで切断されてしまっている。
「……馬鹿な。……怪異である、私が。私の、アイデンティティの一部とも言えるこの袖が……切り落とされた?」
唖然として、自分の短くなった袖を見つめる扇。その底知れない瞳に、初めて「困惑」に似た色が浮かんだ。
「どけ! 邪魔だ、お嬢ちゃん!」
シモンズが棚の奥から持ち出した、化石のような古い火炎放射器を構える。
「バケモノめ! 日曜のBBQにしてやる! 燃えろッ!」
ゴォォォォォォォッ!!
資料室を埋め尽くすような紅蓮の炎が、ドアの隙間からフレンジーを直撃した。
「……扇ちゃん、今よ!」
羽川の指示で、扇は切り落とされた袖などなかったかのように、剥き出しの腕を動かして通信機のキーを叩き始めた。
扇の打鍵速度は、人間を超越したリズムでトーン信号を刻んでいく。
「言う通りに伝えろ! 国防長官ケラー、緊急指令!」
ケラー長官が、燃え盛る炎の向こう側を睨みつけながら吠えた。
「コード:デルタ・フォー! 第22ヘリコプター飛行隊、ブラックホークの全機出撃を要請する! 座標、ミッションシティ、セクター4! 人類の命運がかかっている、急げ!!」
ト、ト、ト、ツー、ト、ツー。
扇の指先から放たれたモールス信号が、旧式の無線機を通じ、砂漠の空へと解き放たれる。
ネバダ州、空軍戦術管制センター。
EMPの嵐を抜け、ノイズの海を漂っていた古いトーン信号が、一人の通信オペレーターのヘッドセットに届いた。
「……何だ、この信号は? 非常に古いアナログ形式ですが……待ってください」
オペレーターがトーンを解析ソフトにかける。画面に浮かび上がったのは、最高機密レベルの国防省認証コードだった。
「国防長官からの緊急指令……『ブラックホーク応援要請』です! 認証、確認取れました! 本物です、ケラー長官です!」
次回豫告
「はっはー。皆様の心の闇に寄り添う可愛い後輩、忍野扇ですよ」
「昨今は外国人観光客の方も増えて、駅などで道を聞かれる機会もなかなかに増えましたが、道案内って大変ですよね」
「見知った土地ならまだ良いですが、出先とかで聞かれると困ります」
「なにしろ土地勘が無いですからねぇ。実質、迷子が2人に増えたようなものです」
「それに加え、英語で説明するといった場合になると、もう二重苦、三重苦。四苦八苦を通り越して八九重苦です」
「道が英語のリスニング問題並の街並みなら簡単なのですけどね。しかし現実は非情なもので、非常に複雑なルートになっていることが殆どです。通勤通学途中に鉢合わせると、冗談抜きで遅刻しかねないのでご注意を」
「リスニングと言えば、あれに出てくる街の直角さは何なんですかね?京都か平城京か何かなのでしょうか?」
「次回、第変話こよみフォーム其ノ捌」
「恋の迷路もそのくらい単純だと良いのですが」