058
ハイウェイは、日常の澱みのような渋滞に包まれていた。
ミッションシティへと急ぐ僕たちの背後で、その「日常」が文字通り物理的に粉砕され始める。
「不味いぞ阿良々木先輩、戦場ヶ原先輩!」
後部座席で身を乗り出した神原が、バックミラーを指差して叫んだ。
「何?」
僕とひたぎが同時に振り返る。
そこには、パトランプを凶悪に明滅させ、サイレンで威嚇しながら車群を縫うバリケードの姿があった。
だが、それ以上に異常だったのは、その横を突き進む巨大な地雷除去車、ボーンクラッシャーだ。
彼は避けるという概念を持ち合わせていなかった。
フロントに備わった巨大なアームを、まるで狂った鎌のように振り回し、進路上の一般車両を玩具のように弾き飛ばしてスクラップに変えていく。
さらに上空からは、MH-53ペイブロウ――ブラックアウトが、巨大な影をハイウェイに落とし、低空飛行で迫っていた。
「奴ら、ここで『キューブ』を奪い取る気だな?」
ビーのラジオからラチェットの忌々しげな声が聞こえる。
「来るわ!」
ひたぎの警告と同時に、猛スピードで走行していた地雷除去車が、その巨躯を激しく波打たせた。
時速100キロを超える高速移動を維持したまま、車両の各パーツが爆発的に展開される。
シャーシが二つに割れて強靭な脚部となり、地雷除去用のアームは背後で蠢き、巨大な熊手のようなクローへと変貌する。
複雑に噛み合ったギアが火花を散らし、装甲板が幾重にも重なり合って、猫背の、それでいて異様に長い腕を持つ、呪われた巨神が姿を現した。
「――オ、プ、ティ、マァァァァス!!!」
ボーンクラッシャーの電子音声が、憎悪を撒き散らしながらハイウェイに響き渡る。
それに応えるように、先頭を走っていたピータービルトのトレーラーが、豪快な排気音を上げて急ブレーキをかけた。
変形。
青と赤の装甲が、まるで意志を持つ筋肉のように組み替えられ、オプティマスは着地の衝撃でアスファルトを陥没させながら立ち上がった。
だが、ボーンクラッシャーは止まらない。
進行方向にいた大型バスを、腕の一振りで紙細工のように両断し、脚部のタイヤでスケートでもするかのように爆発する炎の中を滑り抜けてくる。
足裏のホイールを高速回転させ、巨躯を傾けながらオプティマスへと突進するその姿は、まさに死の化身だった。
「アイアンハイド、ラチェット! 子供たちを守れ!」
オプティマスの叫びと同時に、追撃してきたバリケードと上空のブラックアウトから、無数のミサイルが放たれた。
「こいつを喰らいな!」
アイアンハイドが車体を左右に激しくうねらせ、蛇行運転で弾幕を躱す。
ラチェットもまた、緊急車両特有の鋭いハンドリングで爆風の隙間をすり抜け、僕たちを乗せたバンブルビーを援護するように並走した。
窓の外では、爆発の熱風と、引き裂かれた金属の悲鳴が渦巻いている。
「……暦、舌を噛まないように気をつけなさい。史上最悪のジェットコースターが始まったわよ」
ひたぎがダッシュボードを掴み、鋭い視線で戦場を睨み据えた。
喧騒が、一瞬にして地獄の業火へと塗り替えられる。
「プラァァァァイムゥゥゥウ!!」
憎悪を物質化したような咆吼と共に、ボーンクラッシャーがその巨大なクローを突き出し、時速100キロを超える慣性を乗せてオプティマスに激突した。
ドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波がハイウェイを震わせる。二体の巨躯が組み合ったまま、防護柵を紙細工のように引き裂き、高架の端から宙へと投げ出された。
「落ちたぞ!」
神原の叫びが車内に響く。バックミラー越しに見えるのは、絡み合いながら落下していく二つの鉄の塊だ。
彼らは一段下の道路に落ち、熾烈なデスマッチが開始される。
オプティマスはボーンクラッシャーの猫背の首元を掴み、その空いた右拳を全力で振り抜いた。
ドガッ!!
超硬合金の拳がボーンクラッシャーの歪んだ顔面にめり込む。衝撃で装甲が弾け飛び、引き千切られた光ケーブルが火花を散らす中、ボーンクラッシャーの左の電子眼が、ソケットから無残に飛び出した。
「ゴァァァァッ……!」
異形の絶叫を上げながら、ボーンクラッシャーはコンクリートで舗装された最下層の地面へと叩きつけられた。
オプティマスも飛び降り、後を追う。
土煙が舞い上がる中、ボーンクラッシャーは即座に体勢を立て直し、失った視界を補うように背中のクローを振り回した。
だが、オプティマスの方が一歩早かった。
彼は周囲に立ち並ぶ巨大な高架の支柱を遮蔽物として利用し、ボーンクラッシャーの直線的な猛攻を最小限の動きで回避する。クローがコンクリートの柱を粉砕し、瓦礫が降り注ぐ。
オプティマスの右腕から、高出力のプラズマを纏った「エナジーソード」が展開された。
オレンジ色の熱線が、周囲の空気を焼き焦がす。
一閃。
ボーンクラッシャーがクローを振り下ろすよりも早く、熱刃がその肩の関節を正確に両断した。切断された巨大な片腕が、火花を噴き上げながら地面に転がる。
バランスを崩し、前のめりに倒れ込むボーンクラッシャー。
オプティマスはその隙を見逃さず、死神の如き冷徹さで懐に飛び込んだ。
ボーンクラッシャーを羽交い締めにし、エナジーソードを逆手に持ち替え、下から突き上げるように一閃。
鋼鉄の刃がボーンクラッシャーの下顎から頭頂部を貫き、そのまま「顔面」を文字通り下から剥ぎ取った。
「グ、ア……」
残された電子音声がノイズとなって消える。
かつて戦場を蹂躙した地雷除去車は、頭部を失った巨大なジャンクパーツへと成り果て、爆炎と共に沈黙した。
オプティマスは、自身の装甲に付着したオイルを振り払うこともせず、ゆっくりと立ち上がる。
「おぉ………」
あまりの容赦無さに若干引きながらも、僕は後ろの爆煙に目を向ける。
ハイウェイはもはや公共の道路としての役割を失い、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
背後からは、黒いサリーン・S281――バリケードが、そのフロントグリルを牙のように剥き出しにして肉薄する。
「逃がさんぞ、人間ども!」
バリケードのサイドパネルが機械音を立ててスライドし、内蔵された小型ミサイルポッドが展開される。
シュバババッ!
放たれた数発のミサイルが、蛇行するバンブルビーの左右で爆発し、熱風が車体を激しく揺さぶった。
「ちょこまかと……目障りだ!」
並走していたアイアンハイドが、その巨躯を軋ませながら反転する。
走行状態のまま右腕の重カノン砲を展開、バリケードへと向けた。
「これでも喰らって、車線変更でもしてな!」
ドォォォォォン!!
至近距離から放たれた大口径のエネルギー弾が、バリケードのフロントを大破させ、その数トンの質量を文字通り「撥ね飛ばした」。バリケードは木の葉のように宙を舞い、中央分離帯を突き破って反対車線へと強制的に叩き落とされた。
だが、空からの脅威は健在だった。
上空に張り付いたブラックアウトが、巨大なメインローターを唸らせ、ガトリング砲を掃射する。
ガガガガガガガッ!
「熱い、熱いぞ! 先輩、掠めた!」
神原が悲鳴を上げる。後部座席の窓ガラスを粉砕した弾丸の一発が、神原の肩口を僅かに掠め、シートに深い穴を開けた。
その瞬間、バンブルビーのルーフに黄金の飛沫が舞った。
「……増長しおって。鉄の塊風情が、儂の友に牙を剥くか」
影の中から這い出した忍野忍が、猛烈な風圧を物ともせずカマロの屋根に立ち上がる。その手には、妖刀『心渡』が。
「往ねッ!」
吸血鬼の怪力によって投擲された長大な白刃が、空を切り裂く閃光となってブラックアウトへと伸びた。
ガギギギギギィィィッ!!
吸い込まれるようにメインローターの基部へと突き刺さった心渡は、超硬合金の回転翼に巻き込まれ、凄まじい火花と金属音を撒き散らす。バランスを崩し、エンジンから黒煙を噴き上げるブラックアウト。
「追撃だ、アイアンハイド!」
ジャズが走行しながら流麗に変形を完了させ、銀色の肢体でハイウェイを跳ねるように進む。
「クレッセントキャノン、出力最大!」
ジャズのシールド付きキャノンから放たれた無数のエネルギー弾が、体勢を崩したブラックアウトの機体に直撃した。
「……チッ、一時撤退!」
ブラックアウトは苦悶に満ちた電子音を上げ、黒煙を曳きながらビル群の向こうへと高度を下げて消えていった。
宙を舞い、地面に突き刺さった『心渡』を、忍は「やれやれじゃの」と首を振って回収する。
そして再び影に溶け込むようにして、平然とした顔で僕の背後の座席へと戻ってきた。
「かかっ。少しは静かになったかのう、お前様」
「……心臓が止まるかと思ったよ」
僕はハンドルを握りながら、ようやくミッションシティのビル群を視界に捉えた。
059
フーバーダムの地下資料室。
カビ臭い静寂を切り裂いたのは、通気ダクトの格子が内側からひしゃげる不吉な金属音だった。
「あの馬鹿、来やがった!しつこい銀バエめ!」
シモンズが火炎放射器のグリップを握り直す。ダクトから滑り落ちたフレンジーは、資料室の太いコンクリート柱の陰に身を隠すと、その異形な四本の腕をそれぞれ独立して稼働させた。
各々の手首が複雑に展開し、四挺の極小サブマシンガンがその銃口をこちらに向ける。キィィィィィン……と、耳を刺すような高周波のチャージ音が、密閉された室内の空気を激しく震わせた。
「くたばれぇぇぇ! 消毒だッ!!」
シモンズが絶叫と共に引き金を引く。猛烈な紅蓮の火炎が円柱を舐めるように広がり、防爆壁を赤く焼き焦がしていく。
「長官、下がってください!」
羽川翼が叫ぶと同時に、彼女とケラー国防長官が手にしたショットガンが火を噴いた。
ドォォン! ドォォン!
散弾が鉄の柱を叩き、跳弾が火花となって飛び散る。しかし、フレンジーはその熱風の中から、自身の胸部を高速回転させ、凶悪なディスク弾を立て続けに射出した。
シュルルルルッ!!
空気を切り裂く銀色の円盤。その一枚が、羽川のすぐ横を通り抜けた。
「……っ!」
わずかな衝撃と共に、羽川の白黒の髪が数房、ハラリと宙を舞う。
「……無粋なハサミね」
羽川が呟くよりも早く、一歩前へと踏み出したのは忍野扇だった。その真っ黒な瞳に、底知れない愉悦と、それ以上に深い「不快感」が宿る。
「おやおや、羽川先輩を『欠けさせる』とは……さすがに失礼ですねぇ。無作法ですねえ。淑女の身嗜みを乱すとは、育ちが知れるというものです」
扇は、忍から託された模造『心渡』を、あろうことか野球のバットのように構えた。
怪異しか斬れない妖刀。それは裏を返せば、この世の物理的な物質に対しては、決して折れず、曲がらず、あらゆる衝撃をそのまま跳ね返す「究極の鉄棒」として機能することを意味する。
「君、そのカタナを何処から…?」
「それはさておき。プレイボール、ですよ」
戸惑うシモンズを他所に、不気味な微笑と共に扇が鋭いスイングを放つ。
カキィィィィィンッ!!
資料室に場違いな快音が響き渡った。放たれたディスク弾の一枚が、心渡の刀身に真っ向から衝突し、完璧なカウンターとなってフレンジーの潜む柱の裏へと弾き返された。
自身の武器が、想定外の質量と速度で戻ってきたことに、フレンジーの演算処理は追いつかなかった。
「ギ、ギャ……!?」
凄まじい速度で回転するディスクが、フレンジーの細い首を正確に捉え、そのまま跳ね飛ばした。
「……クソォッ――」
火花を散らしながら、銀色の頭部が床を転がり、配線の切れた胴体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「……その戦い方、その姿。まるで日本の深夜アニメだな、君たちは」
シモンズが火炎放射器の銃口を下げ、呆然とした表情で扇と羽川を見つめる。
「お褒めに預かり光栄ですよ、シモンズさん。ですが、最終回はここからです」
扇が袖を払い、再び旧式の無線機に向き直る。
その時、真空管が激しく明滅し、ノイズの向こう側から明瞭な音声が資料室に流れ込んだ。
『……こちらネリス空軍基地、第22ヘリコプター飛行隊! 信号を受信した! 認証コードを確認、国防長官緊急指令を了解した! ブラックホーク、現在ミッションシティへ向けて全速前進中!』
「……繋がった」
羽川が安堵の息を漏らす。
「あとは、阿良々木くん。……君にバトンを渡すだけだよ」
060
ミッションシティ。
かつてはネオンと喧騒が支配していた砂漠のオアシスは、いまや人類と非人類の境界線と化していた。
高くそびえ立つビルの谷間を、バンブルビーをはじめとするオートボットの隊列が、アスファルトに悲鳴を上げさせながら駆け抜ける。
レノックス大尉は、走行する装甲車のハッチから身を乗り出し、激しい振動の中で一つの無骨な機械をエップス軍曹へと叩きつけた。それはフーバーダムの資料室から、羽川たちが文字通り「命懸け」で繋ぎ、送り出してきた執念の結晶――旧式の短波無線機だ。
「エップス! これで空軍を誘導しろ! 俺たちの唯一の『声』だ!」
エップスは、まるで化石でも扱うかのような手つきで、その煤けた受信機を凝視した。
「……おいおい、正気か大尉! こいつは絶滅した恐竜並みのシロモノだぜ。真空管の余熱を待って、通信範囲はせいぜい3、40km程度か。いまどき博物館の展示品だって、もっとマシな感度をしてる!」
文句を言いながらも、エップスの指先は熟練の速度でダイヤルを回し、ノイズの海から味方の周波数を手探りで探し始める。
その時だった。
キィィィィィィィィン!!
鼓膜を突き刺すような金属音を置き去りにして、一機のF-22ラプターがビル群の合間を低空で通り過ぎた。機体後部から放たれる熱気が、地上の僕たちの肌をチリチリと焼く。
「味方か!? レノックス、誘導しろ!」
エップスが叫ぶと同時に、レノックスは手にした発煙筒を起動させた。
シュゥゥゥゥッ!
鮮やかなグリーンの煙が立ち上り、自分たちの位置を上空の「翼」へと示す。だが、期待に反して無線機からはノイズ以外の応答がない。
F-22は悠然と旋回し、獲物を品定めするように再びこちらの頭上へと機首を向けた。
その「異常」を、鋼鉄の戦士がいち早く察知した。
バンブルビーの隣で戦闘形態へと変形を完了させていたアイアンハイドが、両腕のカノン砲をガチリと鳴らし、センサーを最大出力で稼働させた。
「……阿良々木暦、伏せろ! 奴は味方ではない。……あれはスタースクリームだ!」
アイアンハイドの警告が空気を震わせるのと同時に、上空のF-22が急加速、止まることなくこちらに突っ込んできた。
「ビー、後ろに!」
バンブルビーは僕たちを庇うように急ブレーキをかけ、ロボット形態へと変形。アイアンハイドと共に、そこにあった大型トラックを盾にするべく、怪力で持ち上げた。
「暦、逃げて! じっとしていたら標的になるわ!」
ひたぎが僕の腕を引く。神原もまた、動物的な反射神経で駆け出した。
「来るぞ!!」
バンブルビーとアイアンハイド、二体の巨神がトラックを掲げた、まさにその瞬間。
ドォォォォォォォォォンッ!!
スタースクリームから放たれたミサイルが、トラックの側面に直撃した。
閃光。
鼓膜を無慈悲に破壊する爆音と、数千度の熱風がミッションシティの目抜き通りを席巻する。盾にしていたトラックは一瞬で鉄屑と化し、その爆圧は僕たちの身体を木の葉のように宙へと跳ね飛ばした。
「うあああああぁぁっ!!」
視界が白く染まる。
コンクリートの地面に叩きつけられる衝撃。
ひたぎの悲鳴と、神原が僕とひたぎの名を呼ぶ声が、遠のく意識の中で激しく火花を散らした。
炎の中で、バンブルビーが。
両脚を、無惨に失っていた。
061
爆煙がカーテンのように視界を遮り、喉を焼くような硝煙の臭いが充満する。
アスファルトに叩きつけられた衝撃で、僕の視界はしばらくの間、壊れたテレビの砂嵐のように点滅を繰り返していた。
「……暦、生きてる?」
聞き慣れた、けれど今は微かに震えているひたぎの声が耳に届く。
「阿良々木先輩! 無事か!」
続けて、神原が僕の肩を強く揺さぶった。
「あ、ああ……なんとか。二人とも、怪我はないか?」
僕は朦朧とする意識を繋ぎ止め、自身の四肢の無事を確認しながら立ち上がる。ひたぎは膝を擦りむき、神原は煤で顔を汚していたが、致命的な傷はないようだった。
しかし、僕たちの目の前には、致命的な破壊の光景が広がっていた。
盾となったトラックの残骸の向こう側。
バンブルビーが、自らの脚部を喪失したまま、苦悶に満ちた電子音を漏らして横たわっている。断裂した配線から黄色い火花がパチパチと弾け、生命維持のためのフルードがアスファルトに黒いシミを作っていく。
「ビー! 立てるか?しっかりしろ、バンブルビー!」
僕の叫びは、アスファルトを打つ金属片の音にかき消された。
ミサイルの直撃を受けたバンブルビーは、膝から下の両脚を失い、断裂した回路から黄色い火花を激しく散らしながら地に伏していた。
「なんだ今のは! なぜ味方を攻撃する! 誤射か!?」
無線機を握りしめたレノックスが、怒りに顔を歪めて叫ぶ。
その視線の先には、悠然と旋回してビル群の影へと消えていくF-22ラプターの銀翼があった。
「いいや、違う! あれは味方じゃない!」
エップスが、焼け付くような空を見上げながら、断定的な口調で吐き捨てた。その瞳には、空軍のエキスパートとしての確信と、底知れない恐怖が混在している。
「大佐、見てなかったのか? F-22があんなビルスレスレの高度を、失速もせずに飛び抜けるなんて物理的に不可能だ。ありゃエイリアンだ!味方じゃない!」
「……くそっ」
レノックスが顔を歪める。
「ビー……?」
僕が呼びかけると、バンブルビーは残された右腕を震わせ、苦痛をこらえるようにして、自らの胸部に守っていた「それ」を取り出した。
幾何学的な模様が刻まれた、鈍く輝く立方体。オールスパーク。
バンブルビーの青い光学センサーが、僕の目を真っ直ぐに見つめる。言葉は発せられない。けれど、彼が発する切実な磁気振動が、直接脳内に響いてくるようだった。
『これを持って逃げろ。君にしか託せない』
そう言っているのが、痛いほど伝わってきた。
ビーは震える手で、巨大なその立方体を、僕の小さな両手へと託した。
冷たいはずの金属塊が、なぜかその時は、ビーの鼓動のように熱く感じられた。
「暦、受け取って」
ひたぎが僕の背中に手を添える。
「これはもう、ただのサイバー・ルービックキューブじゃないわ。私たちの命、それ以上の重みがあるわよ」
僕はオールスパークを強く抱きしめた。
この瞬間、僕はただの「通りすがりの高校卒業生」であることを、物理的にも運命的にも辞めざるを得なくなった。
――だが、地獄はまだ始まったばかりだった。
ドォォォォォン!!
先ほどのスタースクリームの空爆とは異なる、重厚で腹に響く連続砲撃が、アスファルトを爆ぜさせた。
「……ッ、今度は何だ!」
神原が顔を上げると、ビル群の影からハイウェイの追撃戦には姿を見せなかった新手のディセプティコンが、重厚な無限軌道の音を響かせて這い出してきた。
ディセプティコンの重戦車、ブロウルだ。
「……あれは、さっきまでの奴らとは格が違うわね」
ひたぎが僕の腕を掴み、後退を促す。
ブロウルの車体には、通常の戦車ではあり得ない二段構えの砲塔と、さらに左右に展開されたミサイルポッドが装備されていた。
ブロウルは進路上に停車していた一般車両を、その巨大な履帯で文字通り紙細工のように踏み潰しながら進撃してくる。主砲から放たれた徹甲弾が、僕たちのすぐ隣のビルの一階を粉砕する。
それだけではない。ブロウルは歩を止めることなく、その異様な二段砲塔と脇のミサイルランチャーが、狂ったように火を噴いた。
シュルルルルッ! ドォォォォンッ!!
十数発の砲弾とミサイルが、ビル群の壁を削り、路上の車を次々と爆発させていく。
「きゃっ!?」
「神原!」
四方八方で巻き起こる爆発。街灯がなぎ倒され、アスファルトの破片が礫となって降り注ぐ。無差別な破壊。それはもはや攻撃というより、都市そのものを更地に変えようとする意思の現れだった。
その時だ。
瓦礫の山を飛び越え、銀色のポンティアックが猛スピードで突っ込んで来る。
ジャズだ。その後ろにラチェットも続く。
「おい! ディセプティコンの野郎! 派手にやってくれるじゃないか!」
彼は走行の勢いそのままに変形を開始した。
ブロウルに飛び乗り、左肩のミサイルポッドを蹴り落とす。
「ちょこまかと……失せろ、オートボット!」
「ぐわっ!」
だがブロウルはジャズを片腕で掴み上げると、そのまま近隣のビルへと投げ飛ばした。
コンクリートの壁を突き破り、ジャズの姿がビルの中に消える。
「ジャズ! ……お前たち、下がってろ! 奴の相手は俺たちがする!」
アイアンハイドが、降り注ぐ砲弾の弾着を見極めながら、車両形態で急行する。
変形。その巨躯を跳ねさせると同時に、両腕のキャノン砲が火を噴く。
着弾の衝撃で生じた爆破エネルギーを利用し、バク宙を決めながら砲弾を回避していく。
その勢いのまま、全身の重火器をフルチャージ。
ブロウルの分厚い装甲を焼き払うような連射を浴びせる。
「左側は任せた、ラチェット!」
「了解だ! 負傷者は出させん!」
救急車から変形したラチェットが、連射パルスビームを放ちながらブロウルの死角へと滑り込む。
ブロウルが主砲を向けようとした瞬間、ラチェットは右腕に装備された高周波丸鋸を起動。火花を散らしながら、戦車の分厚い脚部装甲を切り裂いた。
「この……虫ケラどもが!」
ブロウルが咆哮し、周囲を薙ぎ払おうとする。
だが、そこへビルから復帰したジャズが、クレッセントキャノンをブロウルの頭部へ直撃させ、体勢を崩させた。
「今だ!」
アイアンハイドの強力なカノン弾がブロウルの左肩を撃ち抜き、装甲が赤熱して歪む。
その隙を逃さず、ラチェットの丸鋸が深々と食い込んだ。
ギギギギギィィィィン!!
金属の悲鳴と共に、ブロウルの巨大な左腕が根元から切り落とされ、アスファルトの上に轟音を立てて転がった。
ブロウルが左腕を失いながらも、残された砲身をこちらへ向けようとしたその瞬間、レノックス大尉が叫んだ。
「今だ、全員撃て! APDS弾だ、奴の火力をねじ伏せろ!」
レノックス、エップス、そして後方に展開していた兵士たちが一斉に引き金を引く。
ドォォォォン! ドドォォォォン!!
通常の弾丸では弾かれていたブロウルの装甲に、高熱を帯びた特殊弾が次々と突き刺さる。一点に集中した熱エネルギーが鋼鉄を溶解させ、内部機構を焼き切る。
「グ、ガガ……ガァァァッ!」
十数発の直撃を受けたブロウルは、その巨躯を仰け反らせ、爆炎と共にアスファルトへと沈んだ。
「やったか!?」
「神原、今はそれよりビーよ。暦! あのレッカー車を動かすわよ!」
ひたぎが、路肩に残された古いレッカー車を指差す。
「ビーを運ぼう! 神原、手伝ってくれ!」
「任せろ、先輩!」
僕たちは満身創痍のバンブルビーを運ぶため、必死にレッカー車のエンジンをかけ、クレーンを操作しようと奮闘した。
神原が猿の左手の怪力でバンブルビーの体にチェーンをかける。
だが、その時。
上空から、物理法則を無視した金属の摩擦音が響き渡る。
ビルの合間を縫って飛来した銀色の影が、凄まじい風圧と共に大通りの中央に降り立った。
着地の衝撃で地面が波打ち、周囲の一般車両が木の葉のように吹き飛ぶ。
「……来たわね。地獄の王様が」
ひたぎが息を呑む。
そこにいたのは、戦車やヘリとは比較にならない「格」の違いを放つ存在。
破壊大帝、メガトロン。
「メガトロンだ!逃げろ!急げ!」
軍医ラチェットの警告が、悲鳴に近いノイズとなって街に響く。
「まだ生きていたか、虫ケラどもが!」
メガトロンがその冷酷な視線をオートボットたちに向けた。
彼は止まることなく、右腕を最前線にいたジャズへと向ける。
「おい、こっちだメガトロン!」
ジャズが仲間を逃がすために挑発し、身を翻そうとした瞬間――。
ドォォォォォォォンッ!!
紫色の閃光が、ジャズの胸部を直撃した。
「あ……がっ……」
オートボットの中でも屈指の敏捷性を誇るジャズが、反応すらできずに吹き飛ばされる。
彼はビルの一階部分を粉砕しながら突っ込み、そのままノックアウトされてしまった。
「ジャズ!!」
アイアンハイドの絶叫。
ミッションシティの喧騒を切り裂き、メガトロンがその巨大な爪でジャズを鷲掴みにした。
抗う銀色の戦士を、まるで壊れた玩具のように引きずりながら、彼は近くの三階建てビルの屋上に設置された時計塔へと一気に飛び上がった。
「その程度か、メガトロン!」
「かかってこい」
ジャズが必死に右腕のエネルギーパルスを近距離で叩きつける。青い火花がメガトロンの胸甲を焼くが、破壊大帝は眉一つ動かさない。
「やるのか? この俺と!」
「ああ。真っ二つにしてくれる」
メガトロンの無慈悲な宣告。
ギギギ、ブチィィィッ!!
直後、凄まじい金属の断裂音が街に響き渡った。メガトロンの両腕が逆方向に力を加え、ジャズの腰部から火花とフルードが噴き出す。
「……嘘、だろ……」
神原が息を呑む。だが、悲しみに浸る時間さえ奴らは与えない。
地上では、さらなる絶望が口を開けていた。
「大佐! 戦車型が復活しました!」
部下の叫びにレノックスが振り返る。APDS弾で沈黙したはずのブロウルが、千切れた左腕から火花を散らしながら、再びその巨大な無限軌道を回転させて立ち上がったのだ。
「奴ら……不死身なのか……!?」
レノックスが歯を剥く。さらに背後のビルには、巨大ヘリから変形したブラックアウトが降り立ち、そのローターを凶器のように蠢かせながら戦線に加わった。
先ほどまでの黒煙はもう出ていない。
機銃が掃射され、周囲のコンクリートが砕け散る。
「まずい……囲まれたぞ!」
負傷したバンブルビーをレッカー車に乗せていると、僕らの方にレノックスが走って来た。その手には、一本の発煙筒が握られている。
「阿良々木! この『キューブ』を持ってあのビルの屋上へ走れ。ブラックホークが迎えに来る。屋上でこれを焚いて、彼らにキューブを渡すんだ!」
「僕が……!? 」
無理だ。無茶だ。
無駄などでは断じてないが、しかし、無謀が過ぎる。
だが、足がすくむ僕の目を、レノックスは射抜くような鋭い眼差しで見つめた。
「いいか、
レノックスは僕の背中を押す。
そして、彼はひたぎと神原の方を見て、
「君たちは避難するんだ。ここは危険すぎる」
と告げた。
しかし、2人は頑なに断る。
「駄目よ。バンブルビーを置いて、ここから出る事なんて出来ないわ」
「先輩方だけに世界の運命を背負わせるなんて、そんな事出来る訳無いだろう!」
二人の強い意志を持った瞳を見て、レノックスは少し戸惑った後、頷く。
その横ではエップスが無線機片手にブラックホーク部隊と連絡を取っていた。
「よし。ブラックホーク、即時避難要請。重要な貨物を持った民間人の青年を保護せよ」
見上げると、ビルの谷間から黒い影の群れが向かってくるのが見えた。
「安心しろ、我々が守る」
アイアンハイドにも鼓舞され、僕がオールスパークを抱え直した時、横にいたひたぎが僕の腕をそっと掴む。
爆風で汚れた顔に、彼女らしい不敵で、けれどどこか愛おしそうな微笑を浮かべている。
「暦。……どんな事になっても、あの時あなたの車に乗ったこと、絶対に後悔しないわ」
その言葉が、僕の背中を貫く熱い楔となった。
「暦!ビルへ向かえ!」
僕はオールスパークを抱え、全力で走り出す。
「ディセプティコン、攻撃せよ!」
ブロウルの咆哮と共に、戦火が集中する。
「援護しろ! 一歩も引くな!」
アイアンハイドとラチェットが、僕を左右から挟み込むように並走し、巨大な盾となって弾丸を弾き飛ばす。
その時、眼前に立ちはだかったのはブラックアウトだ。
奴が放ったキャノン砲の直撃を、アイアンハイドが自らの装甲で強引に防ぐ。
「行けえッ! 暦ッ!」
爆風の中、ブラックアウトが再びヘリへと変形し、僕のすぐ頭上を衝撃波と共に通過していった。
僕は瓦礫の山を飛び越え、目的地へと急ぐ。
地上ではブロウルがレノックス率いる陸戦部隊と泥沼の交戦を繰り広げていた。
その時。
路地の角から滑り込んできたピータービルトのトレーラーヘッドが、ごみ箱を蹴散らし、アスファルトを削り取るような猛烈なドリフトを敢行した。
タイヤから白煙が噴き上がり、車体が真横を向いたその瞬間、巨大な質量が物理法則を無視して躍動を始める。
キィィィィィィィィン……ガガガッ!!
フロントグリルが左右に割れ、強靭な鎖骨と胸部装甲を形成する。前輪は内側へ複雑に折り畳まれ、大腿部のサスペンションユニットへと組み込まれていく。
エンジンのピストンが凄まじい速度で上下し、青と赤のファイアーパターンが描かれた装甲板が、まるで意志を持つ筋肉のように重なり合い、厚みを増していく。
カチャリ、カチャリと精緻なギアが噛み合い、最後に頭部のガードがスライドして、鋭い青の光学センサーが宿敵を捉える。
立ち上がったのは、九メートルを超える鋼鉄の巨人。
オプティマス・プライムは、着地の衝撃でひび割れた地面を踏み締めると、その巨大な双拳をギリギリと音を立てて固めた。
彼は腰を深く落とし、左拳を前に、右拳を顎の横に添える完璧なファイティングポーズを取る。
その構えには、幾多の戦場を潜り抜けてきた司令官としての威厳と、一歩も引かぬという鉄の決意が宿っていた。
「
魂を揺さぶるような重低音の咆哮がビル風に乗り、屋上の破壊大帝を射抜く。
かつての兄弟であり、永遠の宿敵。二体の巨神が対峙した瞬間、ミッションシティの空気は発火せんばかりの緊張に包まれた。
次回豫告
「神原駿河だ!」
「戦場ヶ原ひたぎ様です」
「「二人合わせてヴァルハラコンビ!」」
「戦場ヶ原先輩! 聞くところによると、今日は『くぁwせdrftgyふじこlp』が誕生した日らしいぞ!」
「あら、そうなのね。それよりも、それをどうやって発音したのか聞きたいのだけど」
「もちろんだ! 『くぁ、わせ、どるふと、ぐい、ふじこ、えるぴー』!」
「思った以上に律儀な読み方ね。……よく考えると、いろは歌にも似ているところがあるかもしれないわね」
「というと?」
「ほら、その『くぁ、以下略』は、キーボードのアルファベット部分を全て使っている訳じゃない?いろは歌も当時の仮名を全て使っている。そう考えると、これは現代の電子いろは歌と言えるかもしれないわ。iroha歌、よ」
「おお、インターネット古典文学という訳か!そう考えると美しい文字列のような気もしてくるな!」
「ええ。キーボードの上で手か理性が滑ったような美しさがあるわ」
「「次回、第続話こよみフォーム其ノ玖!」」
「私もいつか、心の底から『くぁ、以下略』と叫ぶ日が来るのだろうか」
「たぶん、今この瞬間ね。……はむっ」
「ひゃっ!?せ、戦場ヶ原先輩が、私の耳を!?くぁwせdrftgyふじこlp――!」