淡海乃海 ~麒麟が駆ける時~   作:無難

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第一章:プロローグ
前日の雨


天文十九年(1550年) 十月上旬  近江高島郡朽木谷 若宮八幡神社 朽木綾

 

ザァーザァー

 

夫の戦勝祈願に八幡神社へ行った日はしとしとと雨が降っていた。

 

そんな中を親子三人は歩く。

 

本来なら、供の一人でもいるべきなのに夫は供もつけずに「三人で参拝したい」と言い出して私と息子を連れだしていた。

 

「ちー上、はー上ぇ~」

 

「おー、竹若丸。少しずつ大きくなっていくな。帰ってきた時にはもっと大きくなっていそうだ。朽木家の嫡男として成長が楽しみだ。」

 

「ええ、子供が成長するのは早いですね。」

 

生まれて漸く2歳になる息子の竹若丸が二パっと笑いかけて私の頬を優しく撫でてくる。その姿を夫 晴綱は愛おしそうに見つめる。

 

 

「殿、お戻りはいつになりますか?」

 

そう聞くと、夫は険しい顔になる。顎に手を置いて少し考えた後、口を開く。

 

「うむ、此度の敵も高島越中だ。奴は父の代から戦っているが手強い。戻るのは霜月(11月)の中頃となるであろうな。勝てるかどうかわからぬ。勝てなくとも引き分けに持ち込んだうえで家臣を少しでも生きて帰らせねばな・・・」

 

憂鬱な顔になって夫は無言になってしまう。この状態になると夫は悪い方向に考えすぎてしまう。私は勇気を出してそっと夫の手を握る。

 

「殿なら大丈夫ですよ。ね、竹若丸」

 

そう言って息子をあやす。

 

竹若丸は何を言っているのかよく分からないが、父が嫌なことを考えていることは分かったようで私と夫の手に手を当てる。

 

「ちー上、ね!」

 

その愛らしい姿に夫は笑顔になって手に力を籠めてくる。

 

「ああ、頑張ろう!帰ったら、竹若丸に良い縁談を用意しないとな!」

 

「もう、殿ったら早すぎですよ。先ずは傅役を決めないと」

 

笑いながら歩く。

 

愛らしい息子を抱えながら笑いかける愛しい夫。そして私は三人で一つの傘に入って朽木谷城に戻っていく。

 

 

門の前では義父や五郎衛門たちがいなくなった夫を探していたのだろう。大慌てで近づいてくる。

 

夫は義父に正座させられて怒られるのだろう。

 

でも、私は笑っていることができる。

 

夫も子供の悪戯ができたかのように笑っている。

 

 

 

 

ああ、ささやかな幸福が愛おしい。

 

三人で一つの傘を共にして歩く夫と抱き上げている息子の体温が心地よい。

 

ああ、この時間がずっと続けばよかった。

 

私は朽木谷八千石の領主の妻で母でよかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後に戦で夫が死んで息子が波乱万丈の生涯を進み始める、最後の安寧の日々になるとは、この時の私は考えもしなかったのだから。

 

 

 

 

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