淡海乃海 ~麒麟が駆ける時~   作:無難

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桑野の戦い

 

 天文二十三年(1554年) 一月  近江高島郡朽木谷  桑野の渡し  竹若丸

 

 三好の軍勢がここに到達するまでに二日ほどがあったので、まず最初にやるべきことは公方様を朽木谷から六角家の観音寺城に移すことだった。

 

「嫌じゃ! 余はここで朽木と共に戦う!」

 

 だが、公方様は戦う気満々だった。

 先程まで鎧や具足をもってくるようにもめいじられていた。

 だが、吾が何かを言う前に公方様の御家臣たちが叫ぶ。

 

「何をおっしゃっているのですか! 公方様は天下人です! このような辺鄙な田舎で討ち死になど愚かなことでございます!」

 

 たしか、摂津晴門様だったかな? 

 かなり酷いことを言っていて腹が立つが、吾も公方様は朽木谷から出て欲しいということは間違いないので何も言わぬ。

 

「朽木が防いでいる間に公方様が六角家を動かしましょう!」

 

 そんな中で細川藤孝様が具申されたことに納得した他の御家臣が「その通り!」「六角を動かしに行きましょう!」と口々に同意を示した。

 流石の公方様も納得せざるを得なかった。

 

 そこからは早く一刻後には公方様は岩神館からご出立された。

 門の前で公方様が吾の手を取って「竹若丸よ、六角を必ず動かす故、それまで耐えるのじゃぞ!」と言って朽木谷を去られた。

 本日中に坂本に至って翌日には観音寺城に入られるらしい。

 

 正直言って、あまり期待していない。公方様の癇癪で戦ができるとは思えぬし、六角を動かすことも難しいだろう。

 なぜなら、此度のことが起きる前に三好家から密使が遣わされて朽木の扱いについて六角は関与しないと宣言されているのいるのだから、朽木のために兵を出すことはない。

 

 むしろ、吾らの足を引っ張りるか、後ろから刺してきそうだ。

 

 それに、公方様が残っては叔父上たちも残ってしまう。

 これでは最悪の場合、朽木の家は滅びてしまったときが厄介だ。

 正直言って、公方様よりもこちらの方が大切だ。

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 天文二十三年(1554年) 一月  近江高島郡朽木谷  桑野の渡し  竹若丸

 

「申し上げます! 敵の軍勢三千は川の対岸に陣を構えております」

 

「うむ」

 

 床几に座った吾に重蔵が吾に報せてくる。

 その情報を大人たちが絵図にまとめて駒を配置していく。

 現在、朽木は桑野の渡しの前に布陣している。

 兵数は三百、鉄砲は二百、大砲は五門用意できた。それ以外にも、吾が作っては家臣たちが「量産できない」と諦めた兵器も持って来させた。

 

「五郎衛門、吾の策は敵に通じると思うか?」

 

 横にいる五郎衛門に聞く。

 すると五郎衛門は難しそうな表情で吾の顔を見返してくる。

 

「……難しいですな。ですが、殿の策を皆が成し遂げれば敵を引き揚げさせることができるでしょう」

「そうか、なら問題ないな」

 

 平然としている吾に五郎右衛門はため息をつく。

 

「殿、策が上手くいかなかった時はお逃げください。御方様が悲しみます。」

 

 珍しく弱気な五郎衛門の嘆願に対して吾は見ることができぬ。

 何せ、孫四郎殿にいったような覚悟はできている。

 

 だが、はーうえを死なせるようなことがあっては、あの世にいるちーうえになんていえばいいのか…………

 

 

 最後にちーうえとはーうえの三人で歩いた雨の日を思い出す。

 あの頃に戻ることができたら、吾はどれほどうれしいのだろうか・・・・

 

 そう思いながら、五郎衛門に向き直る。

 吾を見て五郎衛門がなぜかたじろいでおる。

 気にすることなく、

 

「五郎衛門」

「何でしょうか、殿」

「今の吾は笑う気力も、泣く気力も全て目の前の三好の軍勢を倒すことに全てを掛けている!吾の策が上手くいかなかったら吾は腹を切る!そして、吾の首を敵に渡すな!」

「……ハ!」

 

 自分の嘆願が入れられないことに五郎衛門は悲痛な顔になる。

 しかし、吾の覚悟を受け入れたのか、顔に皺を寄せながら畏まる。

 

 

 

 

 

 「さぁ、不可能を可能にする時間だ!」 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 天文二十三年(1554年) 一月  近江高島郡朽木谷  桑野の渡し  三好長逸

 

「申し上げます! 敵の軍勢三百が川岸で土塁を築いております」

「うむ」

 

 物見の報せを受けて頷く。

 儂以外のものたちは

 

「たった三百の兵で何ほどのことができようか!」

「一捻りじゃ!」

「戦が終わったら、澄酒祭りじゃ!」

「おお!」

 

 様々な声が聞こえるが、気楽な空気が流れている。

 ある者の顔には笑みを隠しきれていない。

 いかぬな、緩みすぎている。

 

「油断するでないぞ、敵は寡兵だが何か策を練っておるやもしれぬ。

 迂闊なことをすると負けかねぬぞ」

 

 儂が言うと皆が「爺の小言がうるさい」というような白けたような顔になるが、油断は禁物であると考え直して顔が引き締められる。

 

 だが、奇妙なものよ。兵法の常なら、籠城が定石であるはず。

 まさか野戦を選ぶとは、あの小僧、何を考えておる? 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 天文二十三年(1554年) 一月  近江高島郡朽木谷  桑野の渡し  竹若丸

 

 かくして、戦は静かに始まる。

 なんてことはない

 

「──放てッ!」

 

 吾が作った大型の石弓 五門から筒が飛んでいき、対岸の三好勢の前衛に突き刺さる。

 ドサドサと河原の砂利に突き刺さったそれは、一瞬の静寂の後、シュルシュルと異様な音を立てて激しく吹き上がった。

 松脂の脂っこい黒煙と、樟脳の刺すような白煙が混ざり合い、一瞬にして対岸にいる三好の陣に入り込む。

 

「次、焙烙玉」

 

 今度は火薬が入った大きめに作らせた焙烙玉が飛砲で本命の弾が投げだされる。

 

 導火線が火花を散らす焙烙玉が投げられて三好の陣で爆発する。

 鋭い爆鳴が谷間に反響し、衝撃波が逃げ場を失って兵たちの鼓膜を震わせた。

 樟脳の揮発成分に引火した火の玉が、黒煙の中で狂ったように爆ぜる。

 

ドガ──────ーン!!!!!!! 

 

 

 谷間を太鼓を巨大にしたような音が轟いて、敵兵が業火の中に巻き込まれていく。

 呑まれる刹那、見届ける間もなく、吾は五郎衛門に引き摺られ土塁へ隠れた。

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 天文二十三年(1554年) 一月  近江高島郡朽木谷  桑野の渡し  三好長逸

 

 

 

 対岸の敵から不気味な筒が投げ入れられた。

 最初に煙を喰らったのは先手の兵たちで、最初は困惑していたが、煙を吸い込んだ瞬間絶叫へと変わった。

 

「て、! 敵は何を使った!?!?」

「何だこれは!」

「前が見えん!」

 

 本陣にいる儂でも分かる。筒の中からでる煙に混ぜられた大量の唐辛子と山椒の粉が、容赦なく目と喉を焼いたのだ。

 

「目が、目が開かぬ!」

「息が……ゲホッ、ゴホッ!」

 

 吸い込めば肺を掴まれるような激痛が走り、涙と鼻水で顔を濡らした兵たちが次々と膝をつく。

 霧と煙が混ざり合った視界のない空間で、我らの軍勢は一歩も動けぬまま、ただ互いを押し合う阿鼻叫喚の渦に叩き込まれた。

 先程までの気楽な空気は彼方に消え去り、諸将が怯える。

 いかぬ!! 

 

「怖気づくな! 兵の力で押し出せ! 、かかれぇ!!!!

 

「ゴホッ、ゴホッ、ハ!」

 

 儂の命を先手に報せるべく早馬むせ苦しみながら出ようとする。

 しかし、遅すぎた。

 

 また朽木の陣から何かが飛んで爆発した瞬間、真っ白な光景が広がったかと思うと儂は吹き飛ばされて何も考えることができなくなっていた。

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 天文二十三年(1554年) 一月  近江高島郡朽木谷  桑野の渡し  竹若丸

 

「殿、大丈夫でございますか?」

 

 吾を庇うようにきつく抱きしめていた五郎衛門が吾を解放する。

 

「……五郎衛門、てきへいはあとどれくらい残っている?」

 

 五郎衛門に問いかけるが、五郎衛門は三好の軍勢を見ながら、

 

「……敵は壊滅しましたな」

 

 吾も陣から出て土手に上る。

 

 

 

 

 

 対岸では幼い吾でも分かる地獄が生まれていた。

 

 体が燃えているもの、

 

 腕や足が失われているもの、

 

 吐き気がする。

 かすかに後ろを振り返る。

 

 皆、地獄のような対岸を見て立ちすくんでいる。

 

 

「…………勝ったのかな」

 

 

 慟哭しながら誰となく、問いかける。

 しかし、問いかけに答えられなくてもわかる。

 

 煙が少し晴れて下流の方が見える。

 無事な兵が一目散に逃げだしている。

 

 

 

 

 幼い吾でも分かる。

 

 朽木は勝ったのだ。

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 天文二十三年(1554年) 一月  近江高島郡朽木谷  桑野の渡し  三好長逸

 

 我が陣は地獄絵図と化していた。

 

「あ、熱い!」

 

 身体が燃えているもの、

 

「ギャァぁぁぁァあ!!!!!」

 

 足が千切れているもの、

 

 顔が焼け爛れて苦しむもの様々だ。

 恐らく先鋒と中堅の一千以上の兵が先ほどの爆発に巻き込まれて傷を負っている。

 儂が本陣を置いていた後備えも吹き飛ばされているが、大きな傷を負っているものは少ないようだ。

 

 

 幸いにも儂は甲冑のおかげで吹き飛ばされても多少の打撲だけで済んだようだ。

 これから、兵を立て直さねば……

 

「殿、殿!」

「大炊助、無事であったか!」

 

 家臣の坂東大炊助が儂に呼び掛けておる。

 

「へ、兵が! …………」

「な!!??」

 

 振り返ると生き残った兵は阿鼻叫喚となって儂が声を上げる前に逃げ出しているものが多数おる。

 

 既に敗軍となっていると認めざるを得ぬ……

 

 

「退け! 大原で軍勢を立て直すぞ!」

「ハ!」

 

 辛うじて生き残った馬に乗りながらそう命じる。

 幸いにも朽木の軍勢は追い打ちをかけていない。

 家臣たちもそれが分かったのか短く吼えて、各々が馬を見つけて駆けだすか、馬を諦めて徒歩で逃げ出す。

 

「……(まさかこれほどまでとは)……ヤァ!」

 

 再度振り返り、地獄絵図と化した戦場を目に焼き付けて儂は馬を駆って逃げ出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 天文二十三年(1554年) 一月  摂津国芥山城    三好長慶

 

 朝食を食べていると松永弾正忠が部屋に入ってきた。

 

「申し上げます」

「うむ」

 

 松永が強張った面持ちで面前に座る。

 大叔父上が朽木に攻めかかったらしいが何かあったのだろうか? 

 

「たった今、早馬が来ました」

 

 勝ったのだろうな……

 だとすると、朽木の領地はどうするのかの沙汰を待っているのかな? 

 澄酒をたくさん持ってくるために兵を増やして欲しいのだろうか? 

 

「孫四郎様が朽木にて兵千五百を失い敗れました」

 

 その一言で今までの皮算用が全て吹き飛んだ。

 持っていた茶碗がが零れ落ちた。

 

 

 




<注釈>

1.桑野の戦いー作戦
①対岸に布陣した三好の軍勢に松脂と硫黄(少量)を発煙筒を飛砲で飛ばすして煙幕を展開する。硫黄を少量にするのは環境汚染の心配があり、朽木側が演習場で試した時に一部の者が苦しんだことから改良がくわえられた。

②ある程度の煙幕が充満したところで焙烙玉を発射して粉塵爆発を誘発させる。


2.石弓(いしゆみ)
 投石器のこと。室町時代にはあったが、日本の地形事情で小型の物しかなかった。
 しかし、竹若丸によって組み立て式の大型兵器として改良。五郎衛門も有効性を認めて木地師たちが量産する。
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