天文十九年(1550年) 十月下旬 近江高島郡朽木谷 朽木城 朽木綾
「御隠居様! 御隠居様!」
隣に座っている義父を呼ぶ声とドンドンと床を踏みしめる音、ガシャガシャという鎧の音が近づいてくる。
切羽詰まった音に寒気が広がってくる。
ガラリと襖が開くと日置左門貞忠が部屋に入って来て座った。
「左門、如何した」
義父が務めて穏やかな声を出して問いかける。
「御隠居様。宮内少輔様、河上荘俵山にて……、御討ち死に。……無念でございます!」
「!」
血を吐く様な口調、そして彼方此方から悲鳴が上がった。
一瞬で目の前が真っ暗になる。
震えが止まらない。
噓であってほしい。
負け戦であっても生きていて欲しい。
涙が出てくる。
「はーうえ、なーでないているの?なかないで」
竹若丸が玩具の太鼓を持ちながら、私の背中を撫でてくる。
この子は父親が死んだということをまだ分からないのだろう・・・
ああ、これからどうすれば・・・
「あ、そうだ。こうすればいいんだね」
「え?」
唐突に竹若丸の言葉遣いが変わった。
背中を撫でるのをやめてスクっと立ち上がる。
そして、私や義父よりも前に出て大きく息を吸って叫ぶ。
「うろたえるな!」
甲高い声が上がった。
強い眼で周囲を見据えている。
ざわめきが止んだ。
家臣達が驚いて竹若丸を見ていた。
「にんげんごじゅうねん、けてんのうちをくらぶれば、ゆめまぼろしのごとくなり」
竹若丸が低い声で回らぬ口でゆっくりと謡った。
敦盛!?
どこで学んだの??
私だけじゃない。動揺を治めようとした義父も圧倒されて声も出せない。
「落ち着いたか!」
二歳の幼児に家臣達、いや皆が圧倒されている。
竹若丸が貞忠に眼を据えた。
「左門、俺と死ねるか!」
「し、死ねまする!」
貞忠が身を乗り出して叫んだ。竹若丸が頷く。そして視線を後ろの家臣達に向けた。
「俺と死ねる者は残れ! 余の者は要らん、去れ!」
家臣達が顔を見合わせた。
「し、死ねまする!」
「竹若丸様と共に戦いまする!」
家臣達が口々に応えた。
そこに義父が畳みかけるように大声で命を下す。
「天晴れぞ、竹若丸。晴綱も喜んでいよう、見事じゃ。皆、守りを固めよ。物見を出せ! それからきれいな水と布、薬の用意を忘れるな!」
「はっ」
家臣達が声を出して答えた。
さっきまでの動揺が嘘のようになくなっていた。
武家のことに疎い私でも皆の心が一つにまとまったのだと感じたのだとわかる。
そして、男も女も義父の命を受けて部屋を出ていく。
部屋にある程度の落ち着きを取り戻した時、クルリと竹若丸は私に笑顔を向ける。
「ね!これでみなないていない!」
先程までの迫力が嘘のように息子は無邪気に笑って、私の膝に頭をのせてくる。
「敦盛など何時覚えた? 誰に教わった?」
一段落して落ち着いたのか義父が竹若丸に問いかけてくる。
スースー
「・・・寝てしまったようです」
指でつついてみて確認を取った後に私は義父に言う。
息子は無垢な顔で眠っていた。先程の出来事が夢幻のごとく。
私の一言に部屋に残っている家臣たちが前のめりにズッコケる。
夫を失っても時の流れは残酷に進んでいく。
息子に何があったのか分からない。
だけど、ただ一つだけ願うことがあるとすれば
どうか、息子の無垢な寝顔が永遠に続いてほしいと感じてしまう私がいる。