どうぞ!
天文二十四年(1555年) 四月下旬 山城国愛宕郡 京 飛鳥井邸 朽木竹若丸
「おい!その荷物は蔵にしまっておけ!」
「急げ!三好殿がまもなく到着されるぞ!」
「ああ、待て、それは麿の文箱じゃ!隅に置いておけ!」
「ああ、それは妾の化粧箱です!慎重に扱いなさい!」
「「「ハッ!」」」
新次郎と平九郎を中心に矢継ぎ早に命を下し、叔父上と母上が時折、自身の道具について細やかな指示を出している。
ズズッ……。
そんな中、特にやれることがない吾と御爺は、喧騒を見物しながら茶をすする。
「御爺」
「なんじゃ、竹若丸」
「……本国寺に火をつけたのはどこの、誰であると考える?」
「……言うな。今するべき話ではない」
ズズッ……。
御爺に窘められて、また茶をすする。
もう、ここまで混乱が重なると何も言えない。
叔母上の見舞いから戻り、本能寺で眠りについて暫くすると、宿直の者に起こされた。
本国寺で火災が発生したというのだ。
なお、三好長慶は西院城に宿泊していたらしく、無事だという。
日が昇るころには鎮火したが、本国寺は使えぬ。
そこで急遽、この飛鳥井邸が使われることとなった。
会談まで、あと僅かな時で場を整えねばならぬ。
皆、戦々恐々として今に至る。
なお、本国寺の火災は恐らく、朽木と三好の不可侵を面白く思わない公方様や側近の方々が命じられたのだろう。
狙いは“朽木と三好の和睦を妨害”することであろうが、このような小手先の妨害で何とかなると思うとは、笑止千万。
そんなことを考えていると、ドタドタと誰かが走ってくる音が聞こえた。
そして、音を出しているのが誰なのか気付いて家臣たちが動きを止める。
「にーさま!遊ぼー!」
春齢女王様が吾の背中に乗っかってくる。
内裏では今、母親の目々典侍様が病ということで、飛鳥井邸で預かっているらしい。
春齢女王様は、毎年様々な献上品を送ってくる吾のことに興味津々らしく、会いたがっていたという。
初めて会うなり、突っ込んできたから驚いたものだ。
だが、今では恒例の行事となっているので、皆何も言わぬ。
「春齢女王様、走ってはなりませぬよ。それに吾はこれからお仕事が入っております」
「え~~~、今日も?」
春齢女王様がうんざりしたような声を上げる。
だけど、此度の上洛の本来の目的はこの日のためにあるのだから、仕方ないではないか。
「……まぁ、仕事が終わりましたら遊びましょう。それまで待っていてください」
「やったぁ!約束よ!」
そう言って、春齢女王様は女中に回収されて場を後にし、皆が作業を再開する。
「……年下の扱いが上手じゃの……」
「? どういうこと?」
「いや、何でもない」
御爺が呆れながら茶をすする。
どういうことなのか、聞こうとしたところで新次郎が近づいてきた。
「殿!支度が整いました」
ーーーさて、暴れる戦ではなく、話す戦の始まりだ。
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天文二十四年(1555年) 四月下旬 山城国愛宕郡 京 飛鳥井邸 松永久秀
午の刻。
飛鳥井邸は周囲を朽木と三好の兵、それぞれ五百に囲まれて物騒な雰囲気を醸し出している。
我が主は、三好 修理太夫 長慶
阿波、讃岐、淡路、摂津、和泉、河内、丹波、そして山城の八か国を治める大大名であり、圧倒的な実力を有する御方である。
そんな強大な主と渡り合える強者は、六角や畠山、朝倉、あるいは最近勢力を伸ばしている毛利くらいであろう。
だが、昨年新たなる敵が増えた。
朽木 竹若丸
僅か二歳で朽木谷の主になり、様々な産物を作って領内を繁栄に導いた神童である。
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朽木は昨年の一月、我ら三好が送った三千の軍勢に、僅か三百で立ち向かって勝利した。
主は敗北を受けて増援を送り、朽木を滅ぼす気でいたが、そのタイミングで山城に一揆や米問屋を襲う暴動が発生した。
調べてみれば、小浜や敦賀の商人が朽木の命で山城国中の米を買い占め、戦をしている丹波でより高値で転売し、京に米不足を引き起こしていたことが判明。
結局、洛中の治安維持を優先せざるを得ず、我が主は朽木から提示された“三年間の不可侵”という和睦を受け入れた。
その間に我らは朝倉、浅井を寝返らせて六角を叩き、武威を示した。
しかし一方で、朽木は高島郡を掌握し、攻め寄せた浅井を返り討ちにして北近江をも手中に収めた。
最早、侮ることのできぬ敵となっておる。
その朽木から「和睦の期間を三年から五年に延長したい」という話が持ち上がったのだ。
虫の良い話だと思ったが、朽木から出された条件を見て呆然とせざるを得なかった。
これならば、朽木の動きを封じつつ、三好は六角や大和、紀伊へと兵を動かせる。
最終的に、殿の決断で条件を飲むことと相成った。
此度、我が主は朽木竹若丸殿に御会いになられる。
本来なら本国寺を予定していたのだが、謎の放火を受けたことで使えなくなり、急遽この飛鳥井邸が使われることとなった。
放火の主犯は恐らく、和睦を妨害したい公方様の側近の仕業であろうな……。
一行の中には、御嫡男・三好 孫次郎 慶興様も同行されておられる。
元服されて数年が経ち、凛々しき若武者になられた。
我が主は、御嫡男の慶興様にも朽木竹若丸という男を見極めさせようとされているのだ。
暗殺などの危険を指摘したが、「朽木竹若丸という童が仁義を貫くというなら、見極めてみようではないか」と却下されてしまった。
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そんなことを考えていると、廊下で朽木の一行が待ち構えており、その先頭に七歳ほどの童が立っていた。
殿と朽木竹若丸殿が、ついに対面する。
「……失礼しました。朽木竹若丸と申しまする。以後お見知りおきを」
「……三好 修理太夫 長慶でござる。こちらは倅でござる」
「三好 孫次郎 慶興でござる。良しなに……」
「朽木竹若丸でござる。良しなに……」
「「……」」
同い年ほどの若人が互いに名乗り、頭を下げる。
先に声を上げたのは、竹若丸殿であった。
「……どうぞ……」
竹若丸殿の先導で殿は部屋に入る。
殿は正座を、童は胡坐(あぐら)をかいて座った。
これで始まるかと思い、殿の後ろに控えようとした、その時――。
「座を直せ」
殿の鋭い声が響いた。
「見よ、これが相手に敬意を示す座り方ぞ」
そう言って、竹若丸殿に正座の手本を示す。
「貴様は今、敵の前だからと、己を大きく見せるためにそう座っているのであろう」
竹若丸殿が圧倒されている。
「逆だ。命を奪い合う敵だからこそ、奪う命に敬意を払え」
「……」
スッ
我が主からの一喝を受け、竹若丸殿は胡坐から正座へと姿勢を変え、深く頭を下げた。
「失礼いたしました」
「うむ」
一喝されても動じない胆力は見事。
そう感心するうちに、殿と童の会談が始まった。
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天文二十四年(1555年) 四月下旬 山城国愛宕郡 京 飛鳥井邸 三好 修理太夫 長慶
(なんとも、小さき童よ……)
朽木竹若丸という童を見て、最初に抱いた感想は「小さい」というものだった。
本当に、大叔父上が率いる十倍の軍勢を打ち破った武将なのか? 信じられぬ。
「さて、双方とも、和睦の内容についてまとめよう」
「そうでおじゃるのぅ……」
此度、和睦の仲介人となる飛鳥井様と九条様が上座に座って話を進める。
ーーーーー
<和睦内容>
一、朽木と三好は五年間、互いに不可侵を誓うこと。
本(天文二十四)年から五年を以て失効とする。
一、双方ともに公方様を盛り立てることを誓うこと。
一、その証として、朽木は毎年、銭一千貫と澄酒百石分を三好に上納すること。
一、朽木谷から大原、京に至る道中に置かれた三好の関所を廃止すること。
一、和睦の期間中、他領へ侵攻する際は、事前に双方へ通告を行うこと。
一、細川 右京太夫 晴元が朽木領内に入った場合は、身柄を引き渡すこと。
ーーーーー
(……なんだ、この和睦は……。)
率直に言って、三好に有利すぎる。
我らの損となるのは、大原から京までの関所を廃止することだけだ。
いや、目の前の童は七歳。
五年の和睦を履行すれば十二歳ほどの若武者になり、元服を迎えるであろう。
今は北近江の覇者であるが、いずれ我らを超えてくるやもしれぬ。
この和睦は、童の成長を待つための時間稼ぎということか……。
「さて、双方とも、和睦の内容に異存はあるか?」
「・・・・異存ない」
「異存ありませぬ。」
飛鳥井様の問いかけに、双方が和睦の内容に同意したことで会談は終わる。
これから、私的な話が行われてもよかろう。
「……竹若丸殿。なぜ、儂がこの和睦を受け入れると思ったのじゃ?」
ついつい、問いかけてしまった。
今まで分からなかった。
なぜ、この童は儂が和睦を受け入れると確信していたのかと……。
竹若丸殿は少し考えた後、儂を見据えて話し始めた。
「……三年前からですね。つまり、吾が四つのときからなんとなく気づいておりました」
「「「「―――……!!!???」」」」
この瞬間、儂は言葉の意味を理解するのに時を要した。
儂や家臣たち、そして朽木側の家臣たちも同じだったらしく、一様に目を見開いている。
「だって、貴方は朽木にいた公方様や細川右京太夫を殺さなかったではありませんか」
竹若丸殿が、わずか三歳のときに儂の気性に気付いた理由を語り始める。
「吾が三つの時に、公方様と右京太夫様は敗北して朽木谷へと逃れてこられました」
我らの驚愕を他所に、竹若丸殿の話は続く。
その目は集中し、確かな光を帯びていた。
その光は熱く、見る者を圧倒する力を秘めている。
「貴方は追い討ちをかけることも、朽木谷に赴いて『細川右京太夫を差し出せ』と脅すこともしなかった」
成程、儂の父を殺した男に仕え、結果として下剋上を成し遂げた以上、当然、細川右京太夫を殺そうとするはずだと考えたのだろう。
童は頬に指を置いて、考えを巡らせながら言葉を続ける。
「無論、近江守護の六角氏を警戒したという側面もありましょうが、管領代殿が死去した好機ならば動けたはずです。それでも、貴方は吾が六歳になるまで何もしなかった」
そして、童が不敵な笑みを浮かべて言った。
「このことから貴殿は、丁寧で、礼儀に厳しく、用意周到で、どんな相手にも油断しない武士だと思ったのです」
我ら三好の者だけではない。
朽木の家臣すら驚きを隠せずにいる。
この場で、竹若丸殿だけが唯一、不敵に笑っていた。
「『朽木に攻め入るのは簡単だが、六角や畠山が別の方角から攻め寄せてくる』なんて可能性を、貴方のようなお方が放っておくはずがないでしょう?」
「……」
笑みを湛えたまま、竹若丸殿は話を締めくくった。
儂は言葉を失い、呆然とする。
それは以前、確かに儂自身が思考したことそのものであった。
最早、儂の心を読まれているようで、恐怖すら感じる。
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天文二十遷四年(1555年) 四月下旬 山城国愛宕郡 京 西院城 三好 修理太夫 長慶
飛鳥井邸から京での宿所・西院城に戻ると、倅、大叔父上、松永弾正を呼び出す。
「それで、其方らは竹若丸を見てどう思った?」
「敵ながら見事だと思いました」
「あれが、七つであることが信じられませぬな」
「というより、薄気味悪いほどですな」
儂の問いかけに、倅、松永弾正、大叔父上の順に返す。
そして、倅と弾正が話を続けた。
「……まず初めに、父上の御考えを深く理解していることです。某でも納得せざるを得ないほど、先を見通しておりました」
「我らでも、そこまでは考えが及びませなんだぞ!」
そうじゃ。正直言って、あの童の思考には驚かされてばかりだ。
クソ、こうなったら弟たちが此度参加していなかったことが悔やまれる。
「だが、勝機はある。弱点もな」
大叔父上の言葉に、儂、倅、弾正が弾かれたように振り向く。
「大叔父上、それは?」
「あの童は幼いこと、そして……」
童の弱点
大叔父上が発した一言に、儂だけでなく、弾正や倅も深く納得せざるを得なかった。
「足利の忠臣であることじゃ」
あの童は、今もなお、公方様の“良い部分”しか見ることができていないのだと……。
「……なるほど。どれほど聡明であれ、所詮は七つの童。足利という神輿の腐り具合までは見抜けぬか」
「あるいは、見抜いているが、見て見ぬふりをしているかもしれませぬ。」
弾正が、哀れむような、あるいは嘲るような笑みを浮かべて呟く。
そうなのだ。
足利の公方という存在は、どれほど忠義を尽くし、どれほど汗を流して戦おうとも、まともな恩賞を与える力など無い。
それどころか、力をつければ警戒し、利用できるだけ利用して、最後は使い潰す。
それがこれまでの歴史が証明してきた、足利の本質であった。
「朽木は足利に恩賞も与えられずにこき使われ、いずれ自壊する」
それが、儂らが出した結論であった。
どれほど知略に優れ、領地を豊かにしようとも、仕える主君を誤れば、待っているのは破滅のみ。
儂は、隣で真剣な面持ちで話を聞いている倅・慶興に視線を向けた。
このことについては、いずれ倅にも骨の髄まで叩き込んで教えねばならぬ。
足利の甘言に惑わされ、忠義という名の呪縛に囚われれば、三好とて朽木と同じ路をたどることになる。
乱世を生き抜くための冷徹な現実を、この機会にしっかりと学ばせるつもりであった。
綺麗事だけでは生きていけぬ乱世の濁流を嫌というほど見てきた儂、大叔父上、弾正の三人は、その過酷な未来を歩むであろう朽木に対して、一抹の憐れみを感じてしまった。