天文二十四年(1555年) 四月下旬 山城国愛宕郡 京 相国寺 朽木 竹若丸
三好修理太夫との会談を終えた翌日、相国寺において吾と三好修理太夫は無事に和睦の延長に同意し、調印を終えた。
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おい、コラ、何故和睦の延長などするのだ?
公方様は絶賛不機嫌である。
側近の方々も不機嫌どころか、殺意すら向けられている。
「うむ、これで畿内は落ち着くのぅ、目出度きことよ」
「「……ありがたき幸せ」」
公方様がちっとも心にもない祝いの言葉を吾と修理太夫に送る。
周りの側近の方々も、殆どが此度の和睦を快く思っていない。
花押を書く間、その拒絶の気配がひしひしと伝わってきた。
だが、それほど和睦に反対していたのなら、上洛の前に何らかの妨害の動きがあっていいはずだ。
何故、上洛した後にこのような行いが発生したのだろうか……。
「では、儀式は終了しましたので、我らはここで失礼致しまする」
「では、某も失礼いたしまする」
「待て、竹若丸に命を下す。修理太夫は列座に入れ」
三好修理太夫と共に御前を退出しようとすると、公方様に呼び止められた。
「「……ハッ」」
修理太夫が列座に入り、吾と御爺が御前に残る。
黒いドロドロが薄くなり、公方様の御心の流れが良くなっているのが見えた。
「……さて、竹若丸、民部少輔よ。余は朽木に今まで大した恩賞を与えられなんだ……」
公方様は憂鬱そうに昔を振り返っておられる。一体、何を言い出すつもりなのだろうか。
「だが、此度の三好との戦で十倍の敵に勝ったことは比類なき武勇であった! これなら、文句を言うものもおらぬじゃろう!」
公方様の御言葉に熱が入る。とてつもなく嫌な予感がした。
「あ、あの……く、」
「よって民部少輔を国持衆に任ずると同時に評定衆に任じ、竹若丸には准国持衆に任じた上で、余の妹を其方に嫁がせる!」
「「「……え!?」」」
吾が「過分なお言葉でございまする」と言う前に畳みかけられた御言葉に、誰もが驚愕した。
吾だけでなく、御爺や三好修理太夫までもが目を見開いている。
それ以外の御側近の方々は、苦虫を噛み潰したような顔をされていた。叔父上たちは黙って目を伏せている。
恐らく、事前に知っていて口止めされていたのだろう。公方様だけは「驚かせることができた」と、無邪気な子供のように喜ばれている。
「恐れながら、朽木は代々御供衆に任じられてきた家柄でございます。准国持衆や国持衆とは、過分な身分にございます」
「祖父の申す通りでございます。それに、公方様の妹君との婚姻など身分不相応。斯様なお話を受けられる家柄ではございませぬ」
御爺が正気を取り戻してすぐに公方様へ再考を促し、吾もそれに続いた。
だが、公方様の御意志は変わらない。首を横に振られた。
「いや、三好孫四郎が余を追い出すように言った時、其方は果敢に立ち向かった。その時の健気な姿は忘れられぬ」
公方様が涙を流しながら続けられる。
「無論、直ぐにとは言わぬ。其方が十になるまでには嫁がせたい。頼む」
「く、公方様!?」
「頭をお上げください!」
公方様が頭を下げて頼み込んできた。これ以上断ることは不敬に当たる。
吾も御爺も、受け入れるしかなかった。
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天文二十十四章(1555年) 四月下旬 山城国愛宕郡 京 相国寺 朽木 竹若丸
結局、吾と御爺は断りきれなかった。
最終的に吾が十歳になったら正式に婚約し、十五歳になり次第、婚姻するという話にまとまった。
元服の際には公方様が偏諱を与えたいと言い出したが、こちらは「元服の名は祖父に譲ってほしい」と願ってどうにか許された。
「お初にお目にかかります、詩姫様。朽木竹若丸と申します」
「……詩です」
さて、吾は今、詩姫様と対面している。
公方様の御前を下がる際、「先に簡単な顔合わせをしておけ」と言われたため、そのまま彼女の元へと案内されて今に至る。
ちなみに、公方様が気を利かせた(余計なことをした)結果、人払いがされて部屋には吾と詩姫様の二人きりだった。
流石に七歳と八歳の童なら何も起こらないと考えたのだろうが、監視の女中すら置かないのは異例の対応といえた。
いきなり嫁を娶れと言われた直後に、その高貴な当人と対面しなければならないのは、正直に言って憂鬱だった。
本音を言えば、かつて若狭武田家が将軍家の娘を娶ったことで混乱した前例を思えば、あまり嫁いできてほしくはなかった。
「……この度、公方様からの御命令で、姫様と婚約することになりそうでございます」
「そうですか……」
だが、詩姫様は悲しそうな、まるで目が死んでいるような顔をしたまま黙り込んでいる。
「……此度の婚儀、不服であると存じております」
「不満ではございませぬ!」
何かに怯えながらも、彼女は懸命に言葉を紡いだ。
「あ、兄上様が選んでくれた御方です。不満などありましょうか」
凄く震えていて説得力がなかったが、吾には分かってしまった。
詩姫様は怯えている。
それも、実の兄君に。
そして、公方様に怯える理由にも、吾には心当たりがあった。
「もしかして、あのドロドロが見えておられるのですか?」
「……! 其方も見えているのですか?」
吾がそう問いかけると、一瞬の間を置いて彼女が問い返してきた。吾が静かに頷く。
その瞬間、吾と詩姫様の間にある空気が変わり、互いに分かり合える存在になった。
詩姫様の目がキラキラと輝きだす。
そこからは今までの固さが消え失せ、口調も和やかなものになった。
吾と同じように、これまで怖い思いをしてきたのだろう。
詩姫様はそれまでの沈鬱な表情が嘘のように、笑顔で話してくれた。
「ところで、あのドロドロは何なの?」
「はい、
「シンリキ?」
詩姫様が小首を傾げる。
「某もよく分かりませぬ。呪いに近いものだそうでございます」
「呪い……」
詩姫様は何かに合点がいったのだろう。
そこからは兄君のドロドロについては話さなくなった。
それから半刻(約一時間)ほど、私たちは言葉を交わした。話題は源氏物語や季節の移ろい、花についてなど多岐にわたった。
近江にはどんな花が咲くのかも聞かれた。
そして、吾には想う女子がおり、彼女から神力について教わったのだと伝えると、深く興味を持たれたようだ。
帰り際には互いに笑い合って別れることができた。これを見た公方様は実にご満足そうであった。
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天文二十十四章(1555年) 四月下旬 山城国愛宕郡 京 本能寺 朽木 竹若丸
「目出度いことではございますが……」
「まずいことになりましたな……」
相国寺から本能寺に戻って早々、吾と御爺は新次郎と平九郎を呼び出した。
公方様からの恩賞について話すと、二人は一様に渋い顔になった。
皆、分かっている。これは公方様が朽木を取り込むための策なのだと。
まず、当主である吾を後見している御爺を国持衆として在京させ、吾から引き離して手元に置く。
そして、詩姫様を送り込むことで、朽木を内側から牛耳ることが目的なのだろう。
そして――五年後に、朽木と三好を争わせる気だ。
それだけではない。格式を重視する六角や畠山、朝倉などがこの過分な恩賞を黙って見過ごすはずがない。
そう考えると、祖父を国持衆にして在京させ、吾を准国持衆に任じたのは、周囲への刺激を最小限に抑える公方様なりの絶妙な調整能力の産物なのかもしれない。
これなら六角の面目もどうにか保てる。
だが、油断はできない。和睦の期間が終わった時、三好と六角、さらには朝倉が手を組んで押し寄せてくる可能性も排除できなかった。
最悪の場合、五年後に朽木は滅びかねない。
「だが、策はある」
「「「!!?」」」
吾の一言に、御爺、新次郎、平九郎が驚いて一斉に顔を上げた。
「そ、それは……?」
「決まっている。この五年間で朝倉を滅ぼして後背の安全を確保し、その上で六角、三好と戦うまでよ」