→ナポレオン戦争のリニーの戦い
→銀河英雄伝説の第九次イゼルローン要塞攻防戦
今回は日置 五郎衛門 行近から見た視点中心に展開されます。
天文二十四年(1555年)四月下旬 近江浅井郡 向源寺 日置五郎衛門行近
早朝。
ぶううぅぅぅん――と、地底を這うような重低音が耳の奥を震わせた。
朝倉方の陣から響く地鳴り。開戦の合図であった。
「申し上げます! 敵の軍勢が動き出しました!」
「こちらも大筒を放て! 敵に後れを取るな!」
「ハッ!」
伝令が飛び出していって間もなく。
ズガァァァァンッ!
空気が何重にもひび割れるような轟音が、遥か地平まで響き渡った。
続けざまに、我が方の陣からも放たれる。
ドォォォォンッ!
大筒から放たれた鉄球が風を切り、少し遅れて、ズウゥゥゥン……と朝倉勢の陣中から低い着弾音が不気味に響いてきた。
(直撃はしなかったか……)
だが、敵への心理的衝撃は計り知れぬはずじゃ。
大筒は直撃せずとも、鉄砲を遥かに凌駕する轟音と、大地を激しく叩く衝撃によって敵を動揺させ、その陣形を乱すことができる。
そうして浮足立ったところへ、バラバラバラッ!と前進してくる敵に鉄砲を浴びせ、最後に弓隊と槍隊を投入して敵軍を完全に突き崩す。
これこそが、これまで朽木の常勝無敗を支えてきた必勝の戦術であった。
――だが、今回は違った。朝倉勢は陣形が乱れてなお、狂ったように前進してくるのだ。
「何……っ!?」
朝倉勢は動揺するどころか、むしろ全速力で突っ込んでくる。隊列を整えようともせず、乱れた形のまま、力任せに吾が軍の陣形へと肉薄してきた。
想定外の突撃に、鉄砲隊は的を絞りきれず、狙撃ではなくただの乱れ撃ちの状態に陥ってしまう。
「まずい!」
気づけば敵はすでに、大筒の射程の内側へと入り込んでいた。
このままでは飛び道具しか持たぬ鉄砲隊が、朝倉の鋭い槍の餌食になってしまう。
「騎馬隊、槍隊、前へ! 弓隊は後方から援護に回れ!」
儂は檄を飛ばし、自ら槍を引っ掴んで前線へと躍り出た。怒号を上げながら、奥歯が火花を散らすほどに噛み締める。
(敵の狙いはこれか……! 朽木の圧倒的な火力を無効化するため、初手から乱戦に持ち込む気だったのだ!)
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天文二十四年(1555年)四月下旬 近江浅井郡 木之本 朝倉宗滴
ウォォォォォ――ッ!
全軍の士気を爆発させる、地鳴りのような咆哮。
オォォォーッ!!
大地を震わせる、重く威厳に満ちた開戦の雄叫び。
ゴォォォォ――ッ!
もはや人間の声を超え、濁流のように響き渡る大号令。
「……初めの策は、上手くいったようじゃな」
前線の様子を遠目に眺めながら、儂は微かな満足感を覚えていた。
浅井の残党が我が朝倉に亡命してきたことで、敵が「大筒」なる未知の兵器と、大量の鉄砲を運用していることは事前に掴んでいた。
だからこそ忍びを放ち、その運用の弱点を徹底的に探らせたのだ。
そうして見出した一つの確信。
――朽木の軍勢は、遠距離・中距離からの火力攻撃で敵の陣形を乱した後に、槍隊を投入して一気に崩すことを常道としている。
ならば、答えは一つ。
一、一挙に間合いを詰め、懐に飛び込めば、鉄砲や大筒は無力化できる。
二、最初から陣形を明確に定めず、あえて乱れた形で兵を前進させれば、狙い撃ちされる損害は最小限に抑えられる。
三、鉄砲も大筒も弓と同じく飛び道具。敵味方が入り乱れる乱戦になれば、誤射を恐れて撃つことを控えるはず。
朽木に勝つには、この泥仕合に引きずり込む他にない。
儂は軍議の席で、将たちにそう宣言したのだ。
そして今、戦況は思惑通りに動いている。
敵の将は朽木の老将というが、齢は五十程度か。
儂の策に直前で気づき、即座に槍隊を前進させて乱戦に対応してきたところを見ると、見事な采配を振るう。
だが、こちらも油断はできぬ。最初の突撃の際、朽木の大筒と鉄砲の斉射によって、すでに四百ほどの兵が脱落してしまった。
それに、陣形を捨てて突っ込んだがゆえに、こちらも統制の取れぬ乱戦に移行してしまっている。
しかし、これで朽木を我が方と同じ土俵に引きずり込んだ。
本番の勝負は、ここからよ。
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天文二十四年(1555年)四月下旬 近江浅井郡 向源寺 日置五郎衛門行近
ハァァァァッ!
一瞬で全軍の動きを緊迫させる、鋭く高い気合の声。
チェェェェイッ!
刀を振り下ろし、突撃の引き金を引く鋭利な叫び。
トォォォッ!!
短く、だが戦場の端まで一直線に通り抜ける苛烈な号令。
「クソォッ!」
正面から朝倉勢と激突し、完全に押し込まれていた。
これでは鉄砲も大筒も完全に使い物にならぬ。
こうなったら、時間をかけてでも鉄砲隊を遊撃させ、朝倉の側面に回すべきか?
否、敵の距離が近すぎる。今、迂闊に部隊を引き下がらせれば、それこそ朝倉の猛追を受けて総崩れになり、手痛い敗北を喫してしまうだろう。
とにかく、一度敵との距離を稼がねば……。
その時、脳裏に一閃の閃きがあった。
(……待てよ。以前、殿が仰っていたあの策なら、この窮地を打破できるかもしれん)
そう思ったら行動は早かった。
最前線の乱戦の指揮を可児又兵衛殿に託すと、儂は目配せを交わした重蔵殿と共に、朝倉勢を欺くための大博打へと動き出した。
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天文二十四年(1555年)四月下旬 近江浅井郡 賤ヶ岳 日置左門貞忠
ダァァンッ!
空気を硬く震わせる、重みのある銃声。
ターンッ!
鋭く高く空気を切り裂く、高音の銃声。
バンッ!
乾いた、一瞬で耳を突き刺すような短い銃声。
「怯むな! 狙いを外すな! 登ってくる敵を一人残らず撃ち落とせ!」
儂は陣頭に立ち、喉が千切れるほどの声を張り上げていた。
儂が率いるのはわずか七百の兵。対する朝倉勢は二千。
数においては圧倒的に不利であったが、この賤ヶ岳の険峻な地形こそが我が軍の最大の武器であった。
崖下を見下ろせば、朝倉の三つ盛木瓜の旗印を背負った黒い鎧の波が、泥を撥ね散らしながら斜面を埋め尽くしている。
「放てっ!」
合図とともに、山頂の即席の木柵から、一斉に鉄砲の火線が吐き出された。
凄まじい硝煙が視界を白く染め上げる。
鉛の弾丸が容赦なく斜面を急襲し、直撃を受けた朝倉の兵たちが、悲鳴を上げて転げ落ちていった。
岩肌に激突した死体が泥まみれになって転がっていく。
しかし、敵もさるもの。
これほどの火力を浴びせられ、凄まじい損害を出しているにもかかわらず、その突撃の勢いは一向に衰えない。
「うおおおぉぉ!」
「朽木を突き崩せ!」
朝倉の兵どもは、むき出しの岩や引き千切れた草の根を掴み、怒号を上げながら鬼の形修で這い上がってくる。
弾丸が大地を穿ち、土砂が周囲に激しく飛び散る中を、まるで死を恐れぬかのように突き進んでくるのだ。
やがて、数条の突き出された長い槍が、我が方の木柵に届き始めた。
「鉄砲隊は下がれ! 槍隊、前へ!」
儂は刀を抜き放ち、柵の隙間からこれらを掻き分けて這い出てこようとする朝倉兵の兜の隙間を突き刺した。
鮮血が飛び散り、敵が崩れ落ちる。すかさず我が方の槍隊が突き出され、崖にしがみつく敵の胸板を次々と貫いていく。
上からの利を活かし、比較的順調に敵に損害を与え続けているのは間違いなかった。だが、いかんせん敵の数が多すぎる。
斬っても撃っても、斜面の下からは次から次へと新しい兵が湧き出してくるのだ。
一瞬の隙を突き、儂は遥か麓、木之本の方角へと視線を走らせた。
父上はどうやら、朝倉の主力と完全な乱戦状態に陥ってしまったらしい。
遠目からでも、視界の端で敵味方の旗印が激しく入り乱れ、混沌とした渦を巻いているのが分かった。
今すぐ下山して援護に向かいたい。
だが、眼前の泥まみれの狂戦士どもを抑えるだけで全力が削がれていく。
こちらには、一歩たりとも動ける余裕など微塵もなかった。
「防ぎ切れ! ここを破られれば、麓の父上らの背後が突かれるぞ! 命を賭して持ちこたえよ!」
硝煙と血生臭い風が吹き荒れる賤ヶ岳で、儂は再び、目の前の命の奪い合いへと没頭していった。
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天文二十四年(1555年)四月下旬 近江浅井郡 木之本 朝倉宗滴
夕刻。
ウォォォォォ――ッ!
なおも地を揺らす雄叫びの中、儂は思考を巡らせていた。
さて、ここからどう出る。
今、儂の手元には、あえて乱戦に投入せず陣形を維持させたままの精鋭三百の兵が残っている。
現状、前線で泥沼の白兵戦を繰り広げている兵の数は、我ら朝倉の方が多い。
数で押し切ることは十分に可能だ。
好機を見極め、この三百を決定打として突入させれば勝てる。
そう算段を立てていたのだが、無情にも日は傾きつつあった。
もう間もなく夜が訪れる。
引き上げの刻限だ。
初戦こそ我が方の優勢で始まったが、朽木の兵どもは思いのほか粘り強く抵抗を続けている。
おまけに、賤ヶ岳の砦の朽木勢はいまだに落ちず、攻略部隊は苦戦を強いられているという。
如何したものか、と眉をひそめたその時だった。
ぶううぅぅぅん、!!!!
激しい法螺貝の音が戦場に鳴り響いた。朝倉のものではない。西の方角からだ。
少しして、一騎の物見が狂ったように馬を走らせ、儂の前へと転がり込んできた。
「申し上げます! 西方より、五百ほどの兵が姿を現しました!」
「!!?」
物見がもたらした報せは、この儂を驚愕させるに十分なものであった。
京にいるはずの朽木竹若丸が、すでにこの近江の地に潜んでおり、五百の兵を率いて現れたというのか!?
いや、待て。取り乱すな。これは見方を変えれば好機でもある。
つまり、敵の本隊は孤立しているということだ。だが……いや、罠の可能性もある。
なれば――、
「軍を二つに分ける! 百の兵は直ちに反転し、敵の援軍に対処せよ! 残る二百は、手薄になった敵の鉄砲隊と大筒隊の陣へ突っ込め!」
総大将の首を狙う前に、まずは敵の主力火力を完全に叩き潰し、朽木の総大将を真に孤立させてくれるわ!
朝倉の兵らの動きは素早かった。
残存の精鋭が、朽木の大筒が集結している心臓部へと怒涛の突貫を仕掛ける。
不意を突かれた朽木勢はついに均衡を崩され、向源寺に向けて撤退を開始した。
そのまま追撃をかけ、全滅させたいところではあったが、すでに帳が下りつつある。
我が方の損害も決して軽微ではない。
これ以上の深追いは危険と判断し、一度木之本まで軍を引き下げざるを得なかった。
だが、確かな手応えはあった。
「明日には決戦を行い、朽木の軍勢を完全に粉砕してくれるわ!」
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天文二十四年(1555年)四月下旬 近江浅井郡 向源寺 日置五郎衛門行近
朝倉勢の捨て身の突撃が大筒・鉄砲隊の陣を直撃したことで、我が軍は形を崩され、後退を余儀なくされた。
どうやら、「水軍の兵百名を上陸させて旗を持たせることで偽兵を作り、殿の影武者を用いて敵を陽動する」という、あの場しのぎの策は失敗に終わったらしい。
いや、敵の兵力を分散させれたなら、半分上手くいったといえるだろう。
思い返されるのは、以前、殿と戦について言葉を交わした時のことだ。
『殿、鉄砲や大筒は遠くから、すなわち敵の槍が届かない範囲でしか真価を発揮しませぬぞ』
『……』
儂がそう進言すると、殿は少しの間沈黙し、深く考え込まれた後にこう返された。
『ならば、敵に“迷い”を与えればよい。伏兵や偽兵を使ってこちらの兵力を誤認させ、敵の力を分散させれば、その火力を弱めることができよう』
『ハァ……』
兵法書などでは読んだことがある。
だが、それをこの実戦の場で、これほど瞬時に実行するにはどうすればいいのか。
『なら、吾の影武者を用意すればいい。敵が食いつく極上の
――その策に賭けてみたのだが、結果は半分成功し、半分は失敗に終わった。
そして、無敗を誇った朽木が、初めて「敗北」の味を舐めることとなってしまった。
殿に、一体何とお詫びを申し上げればよいのか……。
幸いだったのは、夜闇が迫っていたことで朝倉からの苛烈な追撃がなく、無事に向源寺まで撤退できたことだ。
大筒も五門を戦場に遺棄せざるを得なかったが、残り四門は無事に回収でき、未だ動かすことができる。
朝倉勢が木之本へと引き下がったことを確認した後、儂はすぐさま生き残った諸将を本陣へと集めた。
その傍らには、殿から遣わされた重蔵殿が、静かに控えている。
重苦しい沈黙の中、儂は口を開いた。
「これより本陣を引き払い、後方へと退いて体勢を立て直す」
儂の一言に、諸将の間に驚愕の動揺が走った。
あの常勝の朽木が、敵に背を向けて退くというのか、と。
「……これは、殿の御命令である」
「!?」
「重蔵殿。皆に、殿の御命令と、次なる策を伝えてくだされ」
コク、と頷いた重蔵殿が、殿から託された真の命を諸将へと告げる。
その冷徹かつ、勝利を諦めぬ殿の覚悟を耳にした一同は、一瞬にして目を引き締めた。
「ここは一旦退き、次なる仕掛けで朝倉を討つ」
諸将の胸に、静かな、しかし確固たる決意の炎が灯った。