タコピー鬼つええ! 逆らう奴ら全員ぶっ殺していこうぜ!   作:ヤマがら

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二話

 遡ること数日前。

 

「ちくしょう……。どこだよ……ここ……」

 

 腹の虫がぎゅるるるっと鳴り、胃袋が背中とくっつきそうな痛み。

 デンジはよろよろとゾンビのように歩く。

 サメのようなギザギザの歯が乾いた唇の間から覗き、吊り上がった目は充血して赤い。

 いつもの威勢はどこにもなく、肩は落ち、首はだらりと前に垂れ、まるでくたびれた昆布が揺れているようだった。

 汗と埃でべとついた前髪が額にへばりつき、頬はやせこけ、骨が浮き出している。

 息が熱く、喉の奥が砂を噛んだようにひりひりする。

 

「腹……減った……」

 

 声は掠れ、吐息は白く立ち消える。

 視界の端がチカチカと明滅し、膝ががくがく震える。

 空腹の波が背骨を這い上がり、脳髄まで突き抜ける。

 

 バタッ

 

 端の方に土管が積み上げられただけの広い空き地のど真ん中で、ぷつりと糸が切れたパペット人形のように倒れ込んだ。

 硬い地面に打ちつけられ、衝撃で肺の空気が一気に抜ける。埃が舞い上がり、鼻と口に詰まる。

 うつ伏せに倒れたまま、開いた口から乾いた息が漏れた。

 胃が空洞になって、肋骨が内側から突き破りそうな錯覚。

 両手は力なく開き、指が小刻みに痙攣する。

 視界の隅で自分の影が長く伸び、まるで死体のように見えた。

 

「……だ、大丈夫だっピか?」

 

 桃色の丸い生命体が心配そうにデンジの顔を覗き込む。

 

「誰……お前……悪魔……?」

「……あ、悪魔じゃないっ……ピ……」

 

 その生命体もまたぐったりとデンジの横に倒れ込み、ピンク色の体をしぼめる。

 

「……大丈夫?」

 

 低い声が頭上から降ってきた。

 デンジはかろうじて目を開ける。そこにいたのは、赤いランドセルを背負った少女だった。長く伸びた前髪と、表情に乏しい小さな顔。彼女は何も言わず、ただデンジと謎の物体を見下ろしていた。

 

「腹、減った……」

 

 デンジはそれだけを絞り出すのがやっとだった。もう一匹もか細い声で「お腹、空いたっピ……」と小さくつぶやいた。

 少女は、しばらく無表情で二人を見つめていたが、やがて何も言わずにランドセルを下ろした。がさがさと中を漁り、袋に入ったコッペパンを取り出す。

 

「これ、あげる」

 

 彼女はコッペパンの袋を、二人の間にそっと置いた。

 デンジは、最後の力を振り絞って手を伸ばした。震える指で袋を破り、中のコッペパンを取り出す。彼はそれを迷わず真ん中から引きちぎった。

 謎の生命体の目が食パンから離れられない。デンジはちぎった半分をタコのような生命体の前に差し出した。

 

「おらよ。半分こだ」

「ありがとうだっピ!」

 

 タコのような生命体は歓喜の声を上げ、渡されたパンに齧り付いた。デンジも残りの半分を貪り食う。パサパサしたパンが、喉の奥に張り付く。胃が、久しぶりに食べ物という感覚を思い出す。空腹の激痛は嘘のように引いていった。

 

「……生き返った……」

 

 ごつごつした喉の奥から、やっとまともな声が出た。デンジはよろよろと起き上がる。

 

「俺ぁデンジ。あんたは命の恩人だぜ」

「私……しずか……どういたしまして」

 

 少女は無表情のまま、小さく頭を下げる。その視線は、ピンク色の丸い不思議な生命体に注がれていた。

 桃色の丸い生命体は、しぼんでいた体を少しだけ膨らませる。

 

「僕の名前は、んうえいぬkfっていうっピ!」

 

 デンジと少女は、同時に声を上げた。

 

「……え?」

「は?」

 

 二人の戸惑いに気づいたタコピーは、慌てて付け加える。

 

「す、好きなように呼んでもらって大丈夫だっピよ!」

 

 少女は無表情のまま、持っていた赤いランドセルから一冊の本を取り出した。それは、古びた海の生き物図鑑だった。

 少女はパラパラとページをめくり、タコが描かれたページを指差す。

 

「じゃあ、タコピー」

 

 その名前にタコピーは目を丸くする。

 

「おっ、いいじゃねぇか! よろしくな! タコピー!」

 

 デンジは豪快に笑い、タコピーの丸い体に手を伸ばして力強く握手をした。

 タコピーは嬉しそうに体を揺らし、「よろしくっピ!」と答えた。少女はただ、その様子をじっと見つめていた。

 一息つくと、タコピーは体を弾ませるように動かした。

 

「そうだっピ! ぜひともしずかちゃんにお礼をさせてほしいっピー!」

 

 そう言うと、タコピーはピンク色の丸い体から触手のようなものを体内に差し入れ、ごそごそと何かを弄り始めた。やがて、その触手が引き抜かれると、先端には翼の生えた小さな白い輪っかが握られていた。

 

「なんだそれ」

 

 デンジは目を丸くする。デンジの知っている「悪魔」の道具とは全く違う、間の抜けた形状だった。

 

「これはハッピー道具の一つ、パタパタつばさ! これを使うと──」

 

 タコピーは白い輪っかを体の真ん中にある穴に通す。すると、その小さなピンク色の体に、まるで天使のような、透き通る白い翼が背中から生えた。

 

「空を飛ぶことができるんだっピ!」

 

 タコピーは楽しそうに声を上げ、ひらひらと宙を舞い始めた。地面から十センチ、二十センチと上昇し、軽やかに空き地の真ん中を飛び回る。

 

「すげー!」

 

 デンジは目を輝かせ、その飛行を視線で追いかけた。飢えが満たされたこともあり、彼の表情にはいつもの悪ガキのような好奇心が戻っていた。

 タコピーは宙を舞いながら、デンジの熱っぽい視線に応えた。

 

「はい、どうぞ。次はしずかちゃんもやってみるっピ」

 

 そう言ってタコピーが地上に降り立ち、パタパタつばさの輪っかを外して差し出す。

 しずかは、その輪っかを見つめたまま、小さく首を横に振った。

 

「うーん……私はいいや」

 

 デンジは、せっかくの「ハッピー道具」を拒否する彼女の態度が理解できなかった。

 

「いいのかよ。すっげー楽しそうだぜ?」

「したじき買いに行かなきゃだから。じゃ」

 

 しずかはそう言って、背負い直した赤いランドセルをきゅっと握りしめた。彼女はくるりと踵を返し、端の方に土管が積み上げられた空き地を後にしようと歩き出す。

 去り際、しずかは振り返ることなく、まるで独り言のように淡々と言葉を続けた。

 

「パンは給食残したやつだから気にしないで。明日もあげるよ」

 

 タコピーは、パタパタつばさを握りしめたまま、その背中に向かって問いかけた。

 

「なんでだっピ? とっても楽しいっピのに──」

 

 しずかは立ち止まり、長く伸びた前髪の下で表情の見えない顔をわずかにタコピーたちの方へ向けた。そして、彼女の口から出た言葉は、冷たい風のように二人の間に吹き抜けた。

 

「だって──空なんて飛べたってどうせ何も変わらないし」

 

 その言葉は、空き地に差し込む夕陽の色を、一瞬にして凍てつかせたようだった。しずかは再び歩き出し、無言のまま角を曲がって見えなくなった。

 デンジとタコピーは、その場に取り残され、彼女の残した言葉の重さにじっと押し黙っていた。

 しずかの言葉が残した沈黙を破ったのは、タコピーだった。彼はパタパタつばさを握りしめたまま、どこか寂しげな声でつぶやく。

 

「しずかちゃんは──もしかしたら、空を飛んだことがあるのかもしれないっピ」

 

 デンジは、しずかが残したコッペパンの包み紙を踏みながら、顎に手をやった。

 

「は? どうしてそう思うんだよ」

 

 タコピーは、白い輪っかの翼を撫でながら答えた。

 

「この星には空を飛ぶ生物が多いっピし、『にんげん』も鳥たちに交じって夜な夜な飛行訓練を──」

 

 デンジはタコピーの言葉を遮り、目を輝かせる。

 

「マジか! タコピーは頭いいな!」

 

 デンジはタコピーの奇抜な発想を疑うことなく、むしろ感心した。彼の中で「空を飛ぶ」というのは、それだけで最高に価値のあることだった。

 

 

 翌日。

 

「じゃあこれも訓練の一つだっピか!?」

 

 タコピーは土管の隙間から外を覗きながら、小声だが興奮気味に言った。

 

「違うけど……ちょっと静かに」

 

 しずかは、長く伸びた前髪の下で表情を硬くし、タコピーの体を抑えつけるように小声で制した。

 しずか、タコピー、そしてデンジの三人は、昨日の空き地の隅に積み上げられた土管の中に身を潜めていた。土管の冷たいコンクリートの感触が、デンジの背中に伝わる。

 

「学校の人いるから。見つかったら保健所」

「マジか。そいつぁ隠れねぇとだなぁ」

 

 デンジは本能的にその言葉の意味を理解し、サメのような歯をきつく噛みしめた。飢えは満たされたが、再びこの世界で追い詰められるのはごめんだった。彼は土管の奥へ体を滑らせ、金色の髪を隠すようにする。

 

「ピ!」

 

 タコピーも事態の深刻さを察したのか、普段の陽気さを引っ込め、小さく鳴いて口をつぐんだ。

 土管のわずかな隙間から、外の光景が見えた。

 一際目立つ金髪の少女を中心に、数人の女子生徒たちが楽しそうに笑いながら歩いてくる。

 

「まりなちゃんに言われた通り、したじきバリバリに折っといたよー」

 

 一人の女子生徒が金髪の少女に報告する。その声は、土管の中にいる三人の耳にもはっきりと届いた。

 

「今週もう3枚目だもんね!」

 

 別の生徒が、まるで遊びの点数を数えるように明るく言う。

 

「あいつまた買い直さなきゃじゃん。お小遣いなくなったかな」

 

 くすくすという笑い声が土管の外で弾ける。その声は、しずかを見る女子生徒たちの、冷たく見下した視線をそのまま音にしたようだった。

 

「いやいや、生活保護のお金で買えるでしょ」

 

 その言葉が決定打だった。デンジは顔を上げ、土管の隙間からしずかの横顔を盗み見る。彼女は微動だにせず、ただ前髪で隠れた瞳を、通り過ぎる集団に向けていた。その表情には、いかなる感情も読み取れなかった。

 

「楽しそうだっピね。遊びの相談してるっピか?」

「……そうなんじゃない?」

 

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