タコピー鬼つええ! 逆らう奴ら全員ぶっ殺していこうぜ! 作:ヤマがら
遡ること数日前。
「ちくしょう……。どこだよ……ここ……」
腹の虫がぎゅるるるっと鳴り、胃袋が背中とくっつきそうな痛み。
デンジはよろよろとゾンビのように歩く。
サメのようなギザギザの歯が乾いた唇の間から覗き、吊り上がった目は充血して赤い。
いつもの威勢はどこにもなく、肩は落ち、首はだらりと前に垂れ、まるでくたびれた昆布が揺れているようだった。
汗と埃でべとついた前髪が額にへばりつき、頬はやせこけ、骨が浮き出している。
息が熱く、喉の奥が砂を噛んだようにひりひりする。
「腹……減った……」
声は掠れ、吐息は白く立ち消える。
視界の端がチカチカと明滅し、膝ががくがく震える。
空腹の波が背骨を這い上がり、脳髄まで突き抜ける。
バタッ
端の方に土管が積み上げられただけの広い空き地のど真ん中で、ぷつりと糸が切れたパペット人形のように倒れ込んだ。
硬い地面に打ちつけられ、衝撃で肺の空気が一気に抜ける。埃が舞い上がり、鼻と口に詰まる。
うつ伏せに倒れたまま、開いた口から乾いた息が漏れた。
胃が空洞になって、肋骨が内側から突き破りそうな錯覚。
両手は力なく開き、指が小刻みに痙攣する。
視界の隅で自分の影が長く伸び、まるで死体のように見えた。
「……だ、大丈夫だっピか?」
桃色の丸い生命体が心配そうにデンジの顔を覗き込む。
「誰……お前……悪魔……?」
「……あ、悪魔じゃないっ……ピ……」
その生命体もまたぐったりとデンジの横に倒れ込み、ピンク色の体をしぼめる。
「……大丈夫?」
低い声が頭上から降ってきた。
デンジはかろうじて目を開ける。そこにいたのは、赤いランドセルを背負った少女だった。長く伸びた前髪と、表情に乏しい小さな顔。彼女は何も言わず、ただデンジと謎の物体を見下ろしていた。
「腹、減った……」
デンジはそれだけを絞り出すのがやっとだった。もう一匹もか細い声で「お腹、空いたっピ……」と小さくつぶやいた。
少女は、しばらく無表情で二人を見つめていたが、やがて何も言わずにランドセルを下ろした。がさがさと中を漁り、袋に入ったコッペパンを取り出す。
「これ、あげる」
彼女はコッペパンの袋を、二人の間にそっと置いた。
デンジは、最後の力を振り絞って手を伸ばした。震える指で袋を破り、中のコッペパンを取り出す。彼はそれを迷わず真ん中から引きちぎった。
謎の生命体の目が食パンから離れられない。デンジはちぎった半分をタコのような生命体の前に差し出した。
「おらよ。半分こだ」
「ありがとうだっピ!」
タコのような生命体は歓喜の声を上げ、渡されたパンに齧り付いた。デンジも残りの半分を貪り食う。パサパサしたパンが、喉の奥に張り付く。胃が、久しぶりに食べ物という感覚を思い出す。空腹の激痛は嘘のように引いていった。
「……生き返った……」
ごつごつした喉の奥から、やっとまともな声が出た。デンジはよろよろと起き上がる。
「俺ぁデンジ。あんたは命の恩人だぜ」
「私……しずか……どういたしまして」
少女は無表情のまま、小さく頭を下げる。その視線は、ピンク色の丸い不思議な生命体に注がれていた。
桃色の丸い生命体は、しぼんでいた体を少しだけ膨らませる。
「僕の名前は、んうえいぬkfっていうっピ!」
デンジと少女は、同時に声を上げた。
「……え?」
「は?」
二人の戸惑いに気づいたタコピーは、慌てて付け加える。
「す、好きなように呼んでもらって大丈夫だっピよ!」
少女は無表情のまま、持っていた赤いランドセルから一冊の本を取り出した。それは、古びた海の生き物図鑑だった。
少女はパラパラとページをめくり、タコが描かれたページを指差す。
「じゃあ、タコピー」
その名前にタコピーは目を丸くする。
「おっ、いいじゃねぇか! よろしくな! タコピー!」
デンジは豪快に笑い、タコピーの丸い体に手を伸ばして力強く握手をした。
タコピーは嬉しそうに体を揺らし、「よろしくっピ!」と答えた。少女はただ、その様子をじっと見つめていた。
一息つくと、タコピーは体を弾ませるように動かした。
「そうだっピ! ぜひともしずかちゃんにお礼をさせてほしいっピー!」
そう言うと、タコピーはピンク色の丸い体から触手のようなものを体内に差し入れ、ごそごそと何かを弄り始めた。やがて、その触手が引き抜かれると、先端には翼の生えた小さな白い輪っかが握られていた。
「なんだそれ」
デンジは目を丸くする。デンジの知っている「悪魔」の道具とは全く違う、間の抜けた形状だった。
「これはハッピー道具の一つ、パタパタつばさ! これを使うと──」
タコピーは白い輪っかを体の真ん中にある穴に通す。すると、その小さなピンク色の体に、まるで天使のような、透き通る白い翼が背中から生えた。
「空を飛ぶことができるんだっピ!」
タコピーは楽しそうに声を上げ、ひらひらと宙を舞い始めた。地面から十センチ、二十センチと上昇し、軽やかに空き地の真ん中を飛び回る。
「すげー!」
デンジは目を輝かせ、その飛行を視線で追いかけた。飢えが満たされたこともあり、彼の表情にはいつもの悪ガキのような好奇心が戻っていた。
タコピーは宙を舞いながら、デンジの熱っぽい視線に応えた。
「はい、どうぞ。次はしずかちゃんもやってみるっピ」
そう言ってタコピーが地上に降り立ち、パタパタつばさの輪っかを外して差し出す。
しずかは、その輪っかを見つめたまま、小さく首を横に振った。
「うーん……私はいいや」
デンジは、せっかくの「ハッピー道具」を拒否する彼女の態度が理解できなかった。
「いいのかよ。すっげー楽しそうだぜ?」
「したじき買いに行かなきゃだから。じゃ」
しずかはそう言って、背負い直した赤いランドセルをきゅっと握りしめた。彼女はくるりと踵を返し、端の方に土管が積み上げられた空き地を後にしようと歩き出す。
去り際、しずかは振り返ることなく、まるで独り言のように淡々と言葉を続けた。
「パンは給食残したやつだから気にしないで。明日もあげるよ」
タコピーは、パタパタつばさを握りしめたまま、その背中に向かって問いかけた。
「なんでだっピ? とっても楽しいっピのに──」
しずかは立ち止まり、長く伸びた前髪の下で表情の見えない顔をわずかにタコピーたちの方へ向けた。そして、彼女の口から出た言葉は、冷たい風のように二人の間に吹き抜けた。
「だって──空なんて飛べたってどうせ何も変わらないし」
その言葉は、空き地に差し込む夕陽の色を、一瞬にして凍てつかせたようだった。しずかは再び歩き出し、無言のまま角を曲がって見えなくなった。
デンジとタコピーは、その場に取り残され、彼女の残した言葉の重さにじっと押し黙っていた。
しずかの言葉が残した沈黙を破ったのは、タコピーだった。彼はパタパタつばさを握りしめたまま、どこか寂しげな声でつぶやく。
「しずかちゃんは──もしかしたら、空を飛んだことがあるのかもしれないっピ」
デンジは、しずかが残したコッペパンの包み紙を踏みながら、顎に手をやった。
「は? どうしてそう思うんだよ」
タコピーは、白い輪っかの翼を撫でながら答えた。
「この星には空を飛ぶ生物が多いっピし、『にんげん』も鳥たちに交じって夜な夜な飛行訓練を──」
デンジはタコピーの言葉を遮り、目を輝かせる。
「マジか! タコピーは頭いいな!」
デンジはタコピーの奇抜な発想を疑うことなく、むしろ感心した。彼の中で「空を飛ぶ」というのは、それだけで最高に価値のあることだった。
翌日。
「じゃあこれも訓練の一つだっピか!?」
タコピーは土管の隙間から外を覗きながら、小声だが興奮気味に言った。
「違うけど……ちょっと静かに」
しずかは、長く伸びた前髪の下で表情を硬くし、タコピーの体を抑えつけるように小声で制した。
しずか、タコピー、そしてデンジの三人は、昨日の空き地の隅に積み上げられた土管の中に身を潜めていた。土管の冷たいコンクリートの感触が、デンジの背中に伝わる。
「学校の人いるから。見つかったら保健所」
「マジか。そいつぁ隠れねぇとだなぁ」
デンジは本能的にその言葉の意味を理解し、サメのような歯をきつく噛みしめた。飢えは満たされたが、再びこの世界で追い詰められるのはごめんだった。彼は土管の奥へ体を滑らせ、金色の髪を隠すようにする。
「ピ!」
タコピーも事態の深刻さを察したのか、普段の陽気さを引っ込め、小さく鳴いて口をつぐんだ。
土管のわずかな隙間から、外の光景が見えた。
一際目立つ金髪の少女を中心に、数人の女子生徒たちが楽しそうに笑いながら歩いてくる。
「まりなちゃんに言われた通り、したじきバリバリに折っといたよー」
一人の女子生徒が金髪の少女に報告する。その声は、土管の中にいる三人の耳にもはっきりと届いた。
「今週もう3枚目だもんね!」
別の生徒が、まるで遊びの点数を数えるように明るく言う。
「あいつまた買い直さなきゃじゃん。お小遣いなくなったかな」
くすくすという笑い声が土管の外で弾ける。その声は、しずかを見る女子生徒たちの、冷たく見下した視線をそのまま音にしたようだった。
「いやいや、生活保護のお金で買えるでしょ」
その言葉が決定打だった。デンジは顔を上げ、土管の隙間からしずかの横顔を盗み見る。彼女は微動だにせず、ただ前髪で隠れた瞳を、通り過ぎる集団に向けていた。その表情には、いかなる感情も読み取れなかった。
「楽しそうだっピね。遊びの相談してるっピか?」
「……そうなんじゃない?」