避けては通れない話。
夕暮れが輝き始める頃合いに、プジョーが童実野町を抜けた郊外を走り抜ける。
その車の中は、終始無言だった。
「……」
原因はもちろん、助手席にある。
勝利はドアに肘を掛けながら、無表情で外を眺める。
(ご紹介……って雰囲気じゃないわよね)
無言で運転する舞は勝利の様子を伺いつつ、目的地の住所を頭にしながら周りを見る。
(……進むにつれてどんどん、住宅街の様子が煌びやかになっていく)
舞は、街並みの変化について気づいていた。
童実野町を抜けて勝利指定の住所に近づいてくるにつれて、家の様相や店構えが整っていくのを感じる。家の玄関や庭が広くなり、大衆スーパーや個人経営の店は少なくなり、高級志向の専門店が立ち並ぶようになっていく。
勝利は、本来この辺りに住む家の出なのだろうか。
推測、といえる程度ですらない思い付きで、無言の時間を過ごしていた。
しかし、舞の意識が、一瞬で切り替わる。
理由は目的地が近づいてきたから。そして……自分の推測は、外れていたことが分かったからだ。
舞は、表情を曇らせていった。
車の外を見て、周りの様子を伺う。
先ほどまでの、住宅街が目に入らなくなり、店も、建物も、数を減らしていく。
そして、ほんの数分後に、消えた家や店の代わりに現れた、大きな、大きな建物。
そこが、勝利の目的地だった。
「……病院?」
「こんにちは。ご用件を承ります」
「……黒羽。黒羽
「ああ、黒羽さんの。もしかして……」
「……初めまして。黒羽、勝利と申します」
「ああっ、お待ちしてましたよ。少々お待ちください」
病院に入り、脇目も振らずに受付に向かい、面会の手続きを終わらせる勝利。
車に乗っていた時からずっと、その表情は変わらないままだった。
面会の許可が出て、病院の廊下を歩く時も、表情は一つも動かない。
「こちらになります」
結局、ナースに案内され、病室の目の前にたどり着いても彼の表情はついぞ変わることはなかった。
どころか、時間がたつにつれ眉間のしわは深くなり、鋭い目つきで、『黒羽』のネームプレートを見つめる。
ナースが席を外したのを合図に、勝利がドアノブに手を伸ばす。
その強張った手がノブを掴む前に、勝利の手を舞の手が包み込んだ。
「……舞さん?」
「あんたが、何を思ってんのかはわからない。でも、見舞いに来るってことは、母親が、嫌いなわけじゃないんでしょ?」
「……うん」
「なら、笑顔は作ってから入りな。その方が、あんたの母さんも喜ぶよ」
「……うん、そうだね」
返事をしながら少しだけ手で顔を触り、固まった表情を解きほぐしていく。
笑顔、とはいいがたい、苦しさがにじみ出た顔ではあるが、先ほどよりは幾分かましになった。
改めて、ノブを握る。
その上に、舞の手が重なる。
手を、引いた。
部屋に入って、まず舞の目に入ってきたのは、正面に飾られているトロフィーや表彰状の数々だった。
そのすべてに、ここ一年ちょっとのM&Wの有名な大会の名前と、『黒羽勝利』の名が刻まれていた。
それを見て、始めてきた勝利のことを、ナースたちが顔なじみのように話している理由を把握した。
そして、舞がそれらに一瞬気を取られた間に、勝利はすでに、病室のベッドに近づいていた。
舞は勝利を追うようにそちらに目を向ける。
ベッドには、一人の女性が、体を起こして座っていた。
どうやら、我々が部屋に入る前から起きていたようだった。
その女性、勝利の母は、正面、つまり、舞の方を向いている。
そこでようやく自身の失策に気づき、しまった、と心で思う。
自分は、勝利の母にとっては、初対面の女である。
美貌に多少以上の自信はあるが、息子が連れてくる女としては、安心できる風体をしていない。
焦った舞は顔を向けながら、怪しいものではないことを告げようとした。
「しょ、勝利君のお母さん、初めまして! あたし、勝利君の……えっと、仲間で! 孔雀舞と申します!」
弁解のような、必死な自己紹介。
しかし、勝利の母親には、その声には届いていない。
一度下げた顔を上げた舞は、それを一瞬で察した。
響かなかった、という意味ではない。
舞の言葉は、否、舞のことも、勝利のことも、彼女の眼には入っていないことが、すぐにわかった。
「……」
色が抜けたような薄い水色の、長い髪。
病人だからなのか、はたまた、もともとなのだろうか。見ていて不安になるほど、透き通るかのように白い肌。
上半身を起こし、ベッドに座りこんで身を立てているがしかし、その中に骨が入っているのか疑わしくなるほど華奢で、今にも折れそうな体。
そして何よりも……焦点が合わず、虚ろなまま真っ直ぐ前を見る瞳。
絶対に、言葉にしない。するはずもない。
だが、舞は、思ってしまった。
死人のようである。と。
「……母さん、久しぶり」
母親、
しかし、白に反応はない。
「ようやく、面会できるようになったんだ。長い間、来れなくてごめん。まあ……当たり前なんだけどね。むしろ、来れるようになったことにびっくりしたくらいさ」
勝利は驚いた様子もなく、白のベッドに腰掛け、話を続ける。
舞はそれに何も言わず、黙って見守ることにした。
「……僕のトロフィー、ナースさんが飾ってくれてたんだね……うれしいな。母さん、M&W、覚えてる? 昔母さんが、僕に買ってくれたカードだよ」
僕、結構強いんだよ。と笑う勝利。その笑顔に、先ほどまでの苦々しさは感じられない。
来れて、良かった。
心よりそう思っている、笑顔だと感じた。
舞はそれを感じ、そっと、白に寄り添う勝利に寄り添った。
「自己紹介してもらったけど、僕からも紹介するね。彼女は、孔雀舞さん。この間の決闘者王国って大会で知り合いになって、仲良くなったんだ」
舞をちらと見て、改めて舞の説明を行う。
それを受け、舞も改めて、白の前に出た。
「孔雀、舞です。始めまして」
「僕の、とっても大切な人なんだ。今日、僕がここに来れたのも……彼女のおかげ」
「ちょっと……何言いだすのよ。お母さんの前で」
舞は小さく怒り、勝利を小突いた。
勝利は小さく、くっく、と笑った。
「すごく強い決闘者でね。次の大会でも、一緒に戦うんだ。待っててね。必ず、いい報告をしに来るからね」
舞は、白にそう語る勝利の姿に、あどけない少年の姿を幻視した。
「早く母さんも、舞さんと話してほしいな。絶対に、仲良くなれると思うから」
勝利は、白の手を握る。
握り返すような様子はなく、だらんと垂れたままの指。
舞はそれを、そっと上から包み、折り曲げた。
「『精神病』でね。もう、長いことあんな感じなんだ」
「……そうなの」
病院の屋上に出た二人は、勝利が買ってきたホットコーヒーを飲みながら、空を見て話す。
夕日はもう下がり切り、少し暗くなり始めていた。
「最近まで、面会も許してもらえてなくて……最近ようやく会えるようになったんだ。叔父さん……僕の後見人になってくれてる人が、病院の人に何回か掛け合ってくれてたみたいでさ」
「……いい人ね。叔父さん」
「うん……本当に、いい人だ」
勝利は、コーヒーを一口飲んで、隅のベンチに座る。
舞がそっと、その隣に座り、勝利に身体を寄せた。
「ねえ、舞さん」
「なあに?」
勝利の真剣な声。それに、舞は軽く返事をした。
勝利は、精一杯空気を吸い込んで、言葉を続けた。
「今から僕、変なことをいっぱい話そうと思うんだ」
「……そう」
「舞さんが、聞きたくないことも、あるかもしれない。信じられない話も、たくさんあると思う」
「……なるほど」
「……聞いてくれる?」
「ええ」
その言葉は、驚くほど、力強かった。
勝利は、一瞬だけ驚いた顔を作って間を置いた後、
覚悟を決めたように、重々しく口を開いた。
「僕には……カードの精霊が見える」
「……」
「僕は、僕のカード……『BF』たちが、僕の周りを飛び回る姿が、見えているんだ」
その言葉から、どれくらいの時間がたったかはわからない。
手元の缶コーヒーは、すでに温度が失われ始めていた。
勝利は、屋上の床を見つめたまま、動かない。
ただ、ひたすらに、舞の言葉を待った。
呆気かもしれない。
激昂かもしれない
拒絶かもしれない。
だが、舞は聞いてくれた。聞くといってくれた。
なら、舞を信じ、答えを待つ。
それが、勝利に今できる、最大の誠意だった。
舞が、口を開いた。
「ねえ、勝利……」
「……何?」
勝利は顔を上げず、疑問符だけを返す。
そしてまた、舞の言葉を待った。
「今、『BF』は、ここにいるの?」
「えっ?」
思わず顔を上げ、舞を見る。
舞は優しい表情で、膝に肘をついて手で顔を支え、勝利の顔をのぞき込んでいた。
「あんたの友達よ。今、ここにいる?」
舞がもう一度聞く。
すると、勝利の腰から、光が二つ漏れ出る。
『ぴぃー!』
『かぁー!』
いきなり飛び出てきた、ブリザードとゲイルの姿に、勝利は目を丸くする。
すると舞はくすっと笑い、目の前に手を差し出した。
差し出した手に気づいたブリザードが、嬉しそうに舞の指先に止まった。
ゲイルは、場所を取られたことを不服そうにしながら、舞の肩に止まった。
「……いるのね。ここに」
勝利は、その言葉に絶句する。
舞が、顔のそばに指を近づけた。
ブリザードは嬉しそうに、舞の顔に自分の顔を擦り付けて鳴いた。
「……なんで……見えてるの?」
「見えてないわよ。でも、わかるわ」
舞が空いた手で、勝利の眉間をつんとつつく。
「あんたの眼が、あんたの表情が、あんたの友達がここにいることを教えてくれてる」
舞のその言葉で、勝利は思わず感極まる。
ふり絞るように、言葉を吐き出した。
「僕が、おかしくなってるだけかもしれない……僕が、嘘を吐いてるだけかもしれないよ……?」
「精霊が見える。カードの精霊が存在する。確かに、信じられない話ね」
「だったらっ!」
「勝利」
涙を抑えることもせずに訴える勝利を、舞がそっと頭に手を添え、宥める。
「その言葉が、道端に落ちてる言葉なら蹴っ飛ばしてやるわよ。あたしがその言葉を信じたのはね……勝利。その言葉が、あんたの口から出た言葉だからよ」
舞の言葉に、勝利は思わず手元の空の缶を落とす。
乾いた床に金属音が響き渡るが、その音も、勝利の嗚咽に押しつぶされた。
(あなたは……何度僕を泣かせるんだよ。舞さん)
「……今、手に留まっているのはブリザード。肩に留まっているのがゲイル。みんな、舞さんのことが大好きだけど……その子たちは特に舞さんが好きだから、飛び出てきちゃったみたい」
涙を拭いながら、勝利は笑う。
それにつられ、舞も笑った。
「ふふっ。ありがとうね、ゲイル、ブリザード」
『ぴぃ!』
『かぁ!』
元気に返事をするブリザードたち。
聞こえていないはずの舞も、嬉しそうにしていた。
勝利は感情を整えた後、改めてベンチに座って舞に向き直る。
「……舞さん。話をしてもいいかな。僕の、過去の話だ」
真剣な表情だった。
少し震える手で、ネックレスを握る。
舞はその手に、手を重ねた。
「ええ」
勝利は、大きく息を吸い、話し始めた。
「これは……僕が、すべてを壊してしまった時の話だ」
――――――――――――――――――――――――
これは、叔父さんに引き取られた後に聞いた話なんだけど。
僕の母さんの家、『黒羽家』は、結構な歴史がある名家だったらしい。
要するに、母さんは箱入りのお嬢様だったんだ。
それが、一人のはぐれ物の男と偶然に出会った。
そして、恋に落ちた。
ありがちな話だよね。でもだからこそ、縛られたお嬢様の行く末としては、珍しい話じゃないのかもしれない。
当然、男っていうのは、僕の父さんだ。
父さんは、若いころに相当やんちゃしたみたいで、仕事についたもののうまく行かないし、現場にも馴染めなくてういていて、なし崩しに仕事をやめるところまで行っちゃって。
それで根無し草でいろいろなところを回っていた時に、母さんと出会ったんだってさ。
まあ、父さんの生い立ちについては、黒羽家で噂になってたのを又聞きしただけだから、どれくらい本当のことなのかはあんまりわからないけど……
少なくとも、名家『黒羽』は、父さんを良く思いはしなかった。
それだけは、間違いなかった。
……そう。僕が生まれているってことは、そういうことさ。
世間知らずの母さんは、軽々と家を捨て、父さんと一緒になった。
親戚、両親、『黒羽』全体の反対を振り切って、母さんは勘当同然の状態で家を飛び出して、父さんと結婚したんだ。
……そうして、僕が生まれた。
その日暮らしの金しか稼げない大黒柱。
家計の管理も料理もできない専業主婦。
その二人のもとですくすくと育つ子供。
うまく行かないことの方が多かったのは、想像に難くないよね……実際、家の空気が良くないことのほうが多かったのは、僕も子供ながらに感じ取っていた。
小さなボロアパートで、ぼろいテーブルを囲み、それを片して三人で布団を敷いて眠る日々。
苛立った父さんが、僕や母さんに手を挙げることも少しあった。
体の傷を見られたくなくて。そもそも、みんなと違いすぎる僕自身が恥ずかしくて。学校なんかにもほとんど言ってなかった。
父さんも何も言ってこなかったから、家の隅で父さんの迷惑にならないよう粛々と勉強しているだけだった。
それでも、ギリギリ回っていた。
崖っぷちではあっただろう。
でもその時の僕たちは、まだ家族だった。
僕が、それをおかしくしたんだ。
最初に気づいたのは、父さんだった。
僕が、テレビを見ていた時の話だった。
それは、クイズ番組だった。
父さんと一緒に見ていたけど、学のない父さんはつまらなそうに見ていた。
でも、一緒にいた僕もわからないなりに楽しんでいたから、付き合ってくれていたんだと思う。
その時に……
僕が、当時の僕の年齢では当てられるはずのないクイズを、何回も連続で当て続けたんだ。
……うん。これが、僕がよく言う、『勘が鋭い』って自負しているものの始まりだ。
今思えばだけど、これは、『精霊が見える』なんていう特異な力の副産物みたいなものなんだと思う。
感覚が鋭くなって、五感では感じきれない、独自の感情を読み取ることができる。
父さんは、それに気づいたんだ。
父さんはそれを母さんに話し、僕に、確率にかかわるゲームやパズル、テストみたいなものを片端からやらせた。
母さんは馬鹿にしたような顔から、どんどんと驚愕の顔に変わっていって。
父さんは驚愕の顔を、満面の笑みへ変えていった。
確率を超えた何か。言い表すことのできない力を、僕に見ていた。
僕には、僕にしかない力があるということを、確認したんだ。
僕の手を取り、すごい才能だ! と騒ぐ父さん。
その奥で母さんは……とっても複雑な顔をしていたのを、今でも覚えてる。
母さんが僕のことを不気味がるのは当然だと思う。
でも、当時の僕は……僕のその力に、いい反応をくれなかった母さんよりも、僕の力を『才能』と呼んで、喜んでくれた父さんの方に、懐くようになっていったんだ。
その日から、父さんは少なくとも、僕に手を上げることは少なくなっていった。
それが、地獄の入り口だった。
父さんは僕の力で、金儲けをしようと考え始めたんだ。
初めは、競馬、パチンコ、麻雀に、僕を連れて行った。
どの馬が勝ちそうか、どの台が出そうか、どの役なら勝てそうか。
でも、どれもうまくいかなかった。
そこで、結局そんなものか、と、父さんがあきらめたらそれで終わりだった。
でも、父さんはあきらめなかった。
父さんは、僕の力そのものは、確信していた。
そう言って、僕を褒めてくれたからこそ、僕も父さんの役に立とうと思って頑張り続けた。
そして、あきらめずに繰り返しているうちに、父さんは僕の能力に気づいた。
それは麻雀をやっていた時に、気づいたことだった。
僕は……人の手を読み取る能力にたけているということだった。
そこで父さんは、僕の『勘』は、感覚的に物事を判断する『直感』ではなく、雰囲気のような目に見えない情報から、類稀なる感性で最適な物事を読み取る『洞察力』からなるものだと気が付いた。
初めて見ていたクイズ番組の時、僕は問題そのものではなく、出題者や回答者の様子を見て、択一問題を選んでいた、ということに、父さんは気づいたんだ。
『力』を理解した。
そこからは、やりたい放題だった。
父さんは、やんちゃだったころの伝手を利用して、大きく金を動かすことができる賭場やカジノに僕を連れて行った。
ある時には、自分で賭場を開いて、僕に手伝わせることもしていた。
そうして、とにかく、『対人』でできるゲームで、『洞察力』を生かすことができるゲームで、父さんが勝てるように僕は僕が得た情報を父さんに流し続けた。
最初の方は、勝ちの方が多いかな、ってくらいだったけど、僕がその技術に慣れてきてしまったんだろうね……どんどん父さんの勝ち星と、手元のお金が増えていったんだ。
……うん、そうだね。
僕の決闘の『読みが鋭い』とか言われている技術は、この時に培ったものが大きいんだ。汚い場所で、汚いものを掴みとるために必死に鍛え上げた力。
それが今、一番大切な楽しい時間を守るために使われている。
皮肉だよね。
そうして、そんな馬鹿なことを始めて年の単位に差し掛かろうとした頃。
そのころには、流石に僕も気づいていた。
自分がやっていることは、悪事であることくらいは。
父さんの目の前で、消えたお金に咽び泣く人や、怒り狂う人。
それを見て、悪い顔で笑う父さん。
今でも、脳裏にこびりついている。
でも、それでも僕はやめなかった。
自分を認めてくれた、父さんが喜んでいた。それだけでよかった。
最低だよね。
僕は、一時一瞬の父さんの笑顔に縋っていただけ。
他のことなんて、どうでもよかったんだ。
あの頃の僕にとっての『勝利』は、
父さんを喜ばせるためのものでしかなかったんだ。
だから、母さんが父さんに傷つけられていた時も、辛くはあったけど、何もしなかったんだ。
父さんが怖かったのもあったけど、それ以上に、僕の『才能』に価値がなくなったとき、父さんに見限られた時に、また父さんに殴られる日が戻ってくる。
それが、怖かったんだ。
そんなことを考えて、母さんに暴力を振るう父さんの後ろにいた。
父さんと一緒にいて、荒事に巻き込まれることも山ほどあった。
まだその時は中学生の年だったかな……年齢不相応の、荒事を避ける力なんかも、身についてしまっていた。
それでも、僕は父さんを信じ続けた。
僕の力を『異物』とした母さんよりも、僕の力を『才能』と呼んでくれた父さんを信じたかったからだった。
でも、そんな歪んだ日々は、突然終わったんだ。
他でもない、僕の手によって。
ある日、いつものように出かけようとした僕らの前に、母さんが立ち塞がった。
小さな玄関の前で仁王立ちして、僕らを外に出すまいとした。
当然、まず父さんが怒った。
ビンタをして、母さんをどかそうとした。
それでも母さんは、父さんにしがみついて離さなかった。
何度やられても、離さなかった。
どうすればいいのか、わからなかった。
父さんを、怒らせたくなかった。
母さんを、徒に傷つけたくもなかった。
父さんから逃げ、母さんに向き合わなかった。
そんな僕には、できることがなかった。
くだらない言葉が、口からこぼれた。
『もうやめてよ。母さん』
だってさ。
信じられる?
ここで僕は、母さんを否定したんだ。
僕を、必死に助けてくれていたはずの、母さんを。
そこからのことは、あまり覚えていないけど。
母さんの、絶望の表情だけは、よく覚えている。
いつのまにか、僕の肩には包丁が突き刺さっていて。
僕の目の前には、今、病室でみたのと同じような表情をした母さんが、
『ごめんなさい』
って、繰り返してた。
母さんが包丁を、父さんに向けたのか、僕に向けたのか。
僕が自分で包丁に飛び込んだのか、考える暇もなく刺されてしまったのか。
父さんを守ったのか、母さんを守ったのか。
何にも、覚えてない。
気がついたら僕は病院にいた。
近所の人が通報して、救急車が駆けつけてくれたらしい。
傷跡は残ることになったけど、そんなことはどうでもよかった。
その時の僕はただ、母さんに会いたかった。
会って、ごめんなさい、と、謝りたかった。
でも、病院の人に、ダメだと言われた。
僕はいま、母さんにあってはいけないんだと言われた。
意味が正しくわかっていたかは、わからないけど。
とっても泣いたことだけは確かだった。
父さんは、気がついたら、僕たちの元からいなくなっていた。
後に親戚の人たちが話していた陰口で知ったけど、母さんと僕が病院に運ばれた後、稼いだお金を持ち出して一瞬で消えたらしい。
遅すぎたけど、それで気づいた。
正しかったのは、母さんで。
悪かったのは、父さんで。
間違っていたのは、僕だ。
そこから、退院した僕の面倒を誰がみるのか、と言う話で、揉め事が起こった。
当然だよね。
父さんの身内が、顔を出すわけがない。
必然的に『黒羽』が僕を引き取ることになるけど、父さんとの最低の行いは、すでにみんなの耳に入っている。
いや、何も知らなくとも、馬鹿な男に騙されて家を出た女が産んだ子供の面倒を見てやる義理なんて、何もなかっただろう。
結局、叔父や叔母の家を何個かたらい回しにされた。
生意気だ、とか。
気味が悪い、とか。
何もしない極つぶしだ、とか。
適当な理由で、何度も追い出された。
ひとしきり親戚を一周したころ、
手に負える子ではない。
とか適当な理由をつけて、『黒羽』の経営関連の保護施設に放り込まれる。
そうなる予定だった。
真黒叔父さんが、手を挙げるまでは。
叔父さんは、親戚全員の反対を押し切って、僕の後見人になると宣言したんだ。
それだけじゃなくて、母さんをここに、『黒羽』が関係しているこの病院に、転院させてくれたのも、真黒さんだったらしい。
感謝より、安心より、混乱した。
意味がわからなかったよ。
何で、僕みたいな、最低な男を助けてくれたのか。
引き取られて、真っ先に聞いた。
ずっと口を噤んでいた叔父さんだったけど、僕が譲らないことに気づいて諦めたんだろうね。
話してくれたよ。
『同じ過ちは、繰り返したくないんだ』
『救えたはずのものを、救えなかったという過ちは』
最初は、何のことかさっぱりわからなかった。
でも、すべてを聞き終わって理解した時、僕は、死んでしまいたくなった。
事件が起こる、ずっとずっと前から。
母さんが、頼んでくれていたんだ。
『勝利だけは、助けてあげて欲しい』
ってね。
真黒叔父さんだけじゃない。
両親に、兄弟に、何親等も離れた親戚に。何度も頼み込んでいたんだ。
自分が馬鹿だった。
自分が『黒羽』を名乗る資格はない。
だが、勝利には。
勝利だけには、普通の、幸せな人生をくれてやりたい。
そう言って、親戚に、
『勝利を、救ってやってくれないか』と。
頼み込んでいたんだ。
僕は、本当の意味で、自分が何もわかっていない愚か者だったことに気が付いたのは、その時だった。
僕の力を知った時に、母さんが僕に感じていたのは、不気味さや、薄気味悪さなんかじゃあなかった。
不安。
僕が、普通の幸せから遠ざかってしまうことを、恐れていたんだ。
そこが、僕の地獄。
どん底の孤独で、絶望の只中で、地獄の淵だった。
叔父さんが残してくれたアパート、僕らが暮らしていたアパートで、たった一人、ずっと蹲ってた。
辛くて、苦しい思い出が詰まった場所だったけど、そこが僕と母さんを繋ぐ、唯一の場所だったから。
僕はその場所を、意地でも離れようとしなかったらしい。正直、記憶はないけどね。
何せそこから幾月の間、僕は何もしなかった。
ただ、いつか母さんに会える日を信じて、ただ生きているだけ。
僕にできることは、もうそれだけだった。
僕にはもう、何も残っていない。
信じられるものも、何もない。
そう、思っていたから。
多分、この生活が後数か月も続いていたら、僕は……どうなっていたかはわからない。
そんな時だよ。
みんなが、きてくれたのは。
きっかけは、叔父さんの『家のものを一回整理しておいてくれないか。白のものを整理しておきたいんだ』ってお願いだった。
ずっと同じ場所で、同じ空間で独りでいる僕への、気分転換の意図もあったんだろうね。
当時は、全部持っていってくれてもいいと思ってたから、押入れのものを、全部表に出そうとしたんだ。
その中に、それはあった。
それは、子供の頃に一度だけ、たったの一度だけ。
父さんがいない時に二人で出かけて。
その帰りに母さんに何か欲しいものはないの? と聞かれて。
それが嬉しかった僕は、知りもしないけど、店頭で、一番人気、と銘打たれたカードを買ってもらった。
それが、M&Wのカードパック。
古臭い、煎餅でも入っていたであろう銀缶の中に入っていた、当時からそこにいたカードたち。
それが、『BF』だった。
『ぴぃー!』
それが、聞こえた。
僕はとうとうおかしくなったんだ、と思った。
最初こそ、耳を塞いだり、目をつむったりして、抵抗してた。
でも、途中から、そんなことはどうでも良くなった。
もはや、幻聴だろうが、幻覚だろうが、何でもよかった。
彼らが、僕の名を呼んでくれた。
友達だと、言ってくれた。
一緒に、生きる道を示してくれた。
何も残っていないと思っていた僕に、
自分たちがいる。
と言ってくれた。
それから、彼らと、『BF』と共に生きようと心に決めた。
それから、高校の理事長をやっている叔父さんに、
『成績優秀の優等生であり続けること』
『真黒叔父さんに迷惑をかけないこと』
を約束して、童実野高校に入れてもらって、今に至る。って感じかな。
高校に通おうと決めた理由は、一個だけ。
母さんと次に話ができた時に、
普通の高校生になったよ。
そういってあげたかっただけ。
母さんが望んだ、母さんが、僕に持っていてほしいと願った……『普通の、幸せな人生』を、手に入れた姿を見せてあげたかったんだ。
くくっ。
どうして、舞さんが泣いてるのさ。
いいんだよ。
僕が悪いことをしたのも、母さんをあんなふうにしたのも、事実なんだ。
その事実には、向き合わなきゃいけない。
僕は、母さんを待つ。
待って、いつか母さんが戻ってきてくれた時にいうんだ。
『ごめんなさい』と、
『ありがとう』を。
うん?
『どうして、あたしに話してくれたの?』って?
……舞さんには、何も隠したくなかったからかな。
王国で、今の僕を信じてくれた舞さんを、信じたかった。
僕の味方だと、仲間だと言ってくれた舞さんの言葉を、信じたかった。
そんなわけないと、わかっていたからこそ。
『本当の僕を知ったら、舞さんは僕から離れていってしまうのかもしれない』
そういう不安から、逃げたくなかった。
そんなところかな。
うん……うん……。
ありがとう、舞さん。
僕が、独りじゃないということを教えてくれて。
僕を、仲間だと呼んでくれて。
次の話で黒き記憶編は終了。
その次からは、バトルシティ編に入ります。