おかしい……。
ここは黄昏の館。
その一室で一人の少女が唇をキュッと結び、眉間に薄っすらと皺を寄せていた。
高級織物の素材の糸にも勝るとも劣らないほどの美しい金色の髪が、簾のように少女の顔に影を作る。
少女の名は『アイズ・ヴァレンシュタイン』。
この英雄の都オラリオの最大派閥の幹部であり、誰もが憧れる第一級冒険者だ。
これはいったいどうなっているの……。
アイズはとてもシリアスな雰囲気を醸し出している。
暑いわけでもないのに、つつーっと汗が頬を伝う。
視界がぐわんぐわんと揺れて、胸がキューッと締め付けられる。
もしここに、アイズを心から慕う白兎のような少年や山吹色の妖精がいたのなら、血相を変えて、大騒ぎしていただろう。
その光景が簡単に想像できてしまうほど、アイズの様子はおかしかった。
時は数日前に遡る。
ロキ・ファミリア壊滅の報がオラリオ中を騒がせたあの遠征。
各派閥の上級冒険者が救出に駆り出され、深層に取り残されたロキ・ファミリアの幹部陣たちをなんとか助け出せた騒動の後、アイズは深い眠りに陥っていた。
それもそのはず。
アイズは穢れた精霊に取り込まれ、その力を吸われ続けていた。
もし助け出されるのが、あと少しでも遅ければ、完全に吸収されてしまっていただろう。
そんなことになれば、数日間目が覚めないほどに憔悴してしまうのは必然だ。
そして、ようやく目が覚めたのはつい先日のこと。
アイズのお見舞いには彼女と縁を結んだ人たちが代わる代わる会いに来てくれた。
もちろん、あの白兎の少年、『ベル・クラネル』とそのファミリアの面々も。
彼の姿を見て、アイズは大層喜んだ。
過去に『人形姫』と揶揄されていた彼女からは考えられないほど、口元が緩んでしまった。
今思い返しても、ほんのちょびっとだけ恥ずかしい。
と、まあ、そんなこんながあった数日間だったのだけれど、問題はここからだ。
「ベル・クラネル、ひいてはヘスティア・ファミリアと同盟を組もうと思っている。60階層よりも下に落ちてしまったタリヤの氷園のリベンジ、そして、迫りくる黒竜の討伐。そのどちらにも彼のファミリアは必要不可欠だと僕は思っている」
ロキ・ファミリアの首領である勇者『フィン・ディムナ』がアイズを含めた団員全てにそう伝えた。
その言葉を聞いて、アイズの友達であるアマゾネスの少女『ティオナ』は大喜びをしていた。
ティオナの姉であるティオネは団長のお考えなら……と肯定し、アイズもアイズでお気に入りの少年と、また一緒に訓練したり、じゃが丸くんを買いに行ったりできると頬が緩んだ。
なんなら、心の中の小さい自分が紙吹雪をわさーっと散らしてぴょこぴょこと踊っていたくらいには喜んでいた。
そんなアイズを見て、主神であるロキや団長であるフィン、そしてリヴェリアとガレスはホッと安堵のため息を漏らした。
ヘスティア・ファミリアと同盟を組むという考えは、アイズが目を覚ます前からフィンの頭の中にあった。
ヘスティアと仲の悪いロキですら、ベル・クラネルの英雄としての素養、そして、黒竜討伐のラストピースであることを認め、渋々とフィンの案に頷いた。
どのくらい渋々だったかというと、眉間のシワが深く深く刻み込まれ、胃の中からアダマンタイトでも吐き出すのではないかと錯覚してしまうほどの重々しさを滲ませる声で了承したほどだ。
あの時ばかりはフィンですら苦笑いを浮かべて、自分の案を撤回したほうがいいのではないかとほんの少しだけ思ってしまったのは秘密だ。
そして、ロキの了承と三首領であるリヴェリアとガレスの同意を得て、同盟の計画を進めていた。
ヘスティア側の方もロキとの同盟には難色を示していたが、あちらの団長であるベル・クラネルの懇願と、フィンの説得により、なんとか折れてくれた。
まあ、ヘスティアからはベルとアイズの距離感をしっかりと適切に保つようにとの条件を付けられたのだけれど。
そして、つい先日、正式にロキ・ファミリアとヘスティア・ファミリアの同盟が公にも発表されて、今オラリオはその話題で持ちきりだった。
うん、そこまではいい。私もすごく嬉しいし、またベルと冒険できるのは、胸がふわふわする。
ちょうどその同盟が正式に成立した翌日に、アイズの治療や検査が終わって、ようやくディアン・ケヒトファミリアの治療施設から退院することができた。
黄昏の館に帰ってからは、色々と迷惑をかけた団員たちに謝罪とお礼を伝えて回り、ずっと寝てばかりだった身体の調整をしたりと、そこそこ忙しくしていた。
「あ、アイズさん! 退院できたんですね! おめでとうございます!」
そんな中、アイズたちのホームであるはずの黄昏の館に、まさかの人物と遭遇した。
その人物とは、先の救出作戦の立役者の一人。
そして、自分の身を投げ売ってアイズを救い出してくれた白い男の子。
「ベル。ありがとう。えっと、君はどうしてここに?」
そう、アイズが今一番会いたかったベルがいたのだ。
「あ、えっと、先日フィンさんから提案してもらって、もしよかったらロキ・ファミリアのホームで他の団員たちの稽古に混じってくれないかって。それで、今日からお邪魔させてもらってるんです!」
「そうなんだ」
第一級冒険者になって、みんなに認められる英雄候補になったベルだけれど、彼の本質は出会った頃と全く変わらず、真っ白く純粋ままで、少しだけ頬を紅く染めながら可愛らしい笑顔を見せてアイズの質問に答えた。
そんなベルがとても微笑ましく、そして好ましく思えて、アイズも優しい顔で相槌を打った。
フィンがベルにそう提案した思惑は、おそらく同盟として遠征に同行するであろうベルと団員たちのコミュニケーションをとらせるためと、団員たちのモチベーションを向上させるためなのだろう。
でも、こうしてなんの後ろめたさも無く、ベルと訓練できるようになったことがアイズは嬉しかった。
ただまあ、あの市壁の上で、2人だけの秘密の訓練の時間がなくなってしまったのは少し、いや、かなり寂しくはあるけれど。
「じゃあ、私とくんれ「おい、兎野郎!」!?」
アイズが自分との訓練を申し出ようとしたところで、がなり声がその言葉を打ち消した。
「あ、ベートさん!」
「てめぇ俺と訓練するんじゃなかったのかよ。やんねぇなら俺はダンジョン行くぞ」
「す、すみません! すぐに行きます! それじゃあアイズさん。また後で!」
「え、あ、う、うん……。頑張って……」
アイズの言葉を打ち消した声。
それはアイズと同じロキ・ファミリアの団員であり、幹部であるベートだった。
しかも、ベートから聞こえた言葉はアイズが全く想定もしていなかった言葉で、あまりにも衝撃的すぎて思考がフリーズしてしまい、アイズはそのままベルとベートを見送ってしまった。
「あ、アイズじゃん! なにボーっと立って……って本当にどうしたの!? お腹痛いの!?」
どれほどの時間そうしていたのかは分からないが、アイズの親友であるティオナが声を掛けるまで、ただただ呆然自失と2人が消えていった方向を見続けていたのだった。
そして今に至る。
今日も今日とてベルは黄昏の館へと足を運んで団員たちと訓練をしたりコミュニケーションをとったりしている。
もちろんそれは良いことではあるのだけれど、それはそれとしてベートとは二人きり、もしくはレフィーヤを含めて3人で訓練しているのは、ムムムと眉間にしわを寄せざるを得ない。
レフィーヤもレフィーヤで、ほんの少し前まではアイズさんアイズさんと慕ってくれていたのに、いつの間にかベートさんと訓練するようになったし。
自分が可愛がっていた子たちがぜーんぶベートさんに盗られたような気がして、モヤモヤーっとムムムーっとムカムカーっとした気持ちになってしまう。
はっ、もしかしてこれがロキたち神様が言うNTR!?
心の中の小さいアイズはムンクの叫びとはかくやと言った顔をして絶望している。
もちろん、ロキからしたら、寝てから言え! いや、絶対に寝させんで! とツッコミを入れられるであろうが、下界の住人であるアイズにはよくわからないだろう。
「……ズルい」
アイズはしょんぼりとため息を吐いた。
実はアイズがこうして落ち込んでいるのには、ベート以外にも理由がある。
それはベルの新しい二つ名だ。
『獅兎の光』
これはベルがレベル5になった時に神々から授けられた二つ名。
今までは『リトル・ルーキー』『白兎の脚』といった、少しだけ愛嬌のあるベルにピッタリな二つ名だった。
アイズ自身も、ベルにピッタリな素敵な二つ名だと思っていた。
しかし、今度の二つ名は第一級冒険者としての格を備えた、最後の英雄としても相応しい二つ名。
アイズが最初にその名を聞いた時にはカッコいい……と内心拍手したほどだ。
だが、ふと冷静になって考えてみると、『獅子』の部分が引っ掛かってしまう。
それは考えるまでもなく、下界最強の一角である『レオン・ヴァーデンベルク』に掛かっているのだろう。
そういえば遠征前にベルからレオン……ナイト・オブ・ナイトのことを尋ねられたっけ。
おそらく、ベルとナイト・オブ・ナイトは面識があるのだろうとアイズは思い至る。
そして、アイズたちが遠征に行っていた時に行われた都市競技祭典の最終戦で、ベルとレオンが戦ったことをアイズは小耳に挟んでいた。
しかし、それは戦いというよりは、教師が生徒を高みへ導くための訓練のような戦いとも感じられたということも。
もしかして、ベル……ナイト・オブ・ナイトにも……?
疾風にも稽古をつけてもらって、白妖の魔杖を師匠って呼んで、ナイト・オブ・ナイトを先生って呼んで、そして今はベートさんにも……。
5股……。ベル、やっぱり不良……。
顔色は真っ青に、目はグルグル回しながら頭を抱えるアイズ。
心の中の幼女アイズも、「浮気者ーーーー!!!」と、断崖絶壁の上から海に向かって不満を叫ぶように喚いている。
元々は自分がベルの先生で、戦い方を教えたのに、気がつけばアイズ以外にも4人の師匠……のような人物が出来てしまっていて、アイズの脳は破壊されかけていた。
「……寂しい。ぐすん」
アイズは丸まったまま、ゴロッとベッドに寝転んだ。
『アイズさん。団長がお呼びです』
ドアをノックされ、外からそう告げられる。
フィンが? なんだろう?
「うん、わかった」
アイズは寝転んだまま首を傾げ、部屋の外にいる団員に返事をして立ち上がった。
フィンの思惑はわからないけれど、とりあえず行かなきゃと、アイズは自室から出て、執務室へと向かった。
「やあ、アイズ。突然呼び出して悪かったね」
「ううん。大丈夫。それで、どうしたの?」
執務室に入室し、書類仕事の途中のフィンに呼び出した理由を尋ねる。
『はぁっ!』
『はっ! こんなもんかぁ兎野郎!!』
『ベル・クラネル! あなたにだけいい格好はさせません!』
執務室の外から、金属がぶつかる音と、
三人分の勇ましい声が聞こえてきた。
そちらが気になって、フィンの後ろの窓に視線を向けていると、苦笑いするフィンの声が聞こえた。
「いや、ホームに戻ってきてから、なんだかアイズの様子がおかしいと聞いてね。原因はあれかい?」
そして、フィンも親指でその窓を指差した。
アイズはこくりと頷いて肯定し、そのままフィンの横を通り過ぎて、窓の外を眺めた。
そこには、ベートとベル、レフィーヤの1対2の模擬戦が繰り広げられていた。
レベル6であるベートとレベル5とレベル4のベルとレフィーヤの肉弾戦。
数だけはベートが不利ではあるが、それでもベルとレフィーヤはベートに押されていた。
しかし、ちゃんと模擬戦になっている。
ほんの数ヶ月前なら、真剣勝負はもちろん、模擬戦ですら瞬きの間に終わってしまうほどの力量差があったはずだ。
しかし、ベルもレフィーヤも数多の冒険や数多の壁を乗り越えて、別人かと思ってしまうほどに成長していた。
「ねえ、フィン。なんでベルとベートさん、あんなに仲良さそうになってるの?」
アイズはずっと思っていたことをフィンに尋ねる。
今までベートがベルのことを意識していたのはアイズですらわかっていた。
あのミノタウロスとの戦いの後、一人の少年が冒険者となり、英雄への階段に一歩だけ足を掛けたあの時から、ベートのベルへの呼び方が『トマト野郎』から『兎野郎』に変わっていたから。
しかし、こうやって一緒に訓練するような関係ではなく、気に食わない野郎とトラウマである怖い人という絶対に混ざり合わないであろう水と油のような関係だった。
だが、今の二人は違う。
特にベルからはベートに対する苦手意識がなくなっているようで、格上の冒険者に勇猛果敢に挑み、レフィーヤとの連携で攻勢に転じている。
「僕も直に見たわけではないんだけどね。ただどうやら、君の救出の時に色々とあったらしいよ」
「……そっか」
アイズはギュッと左手で右腕を握りしめる。
それはただの嫉妬ではなく、彼らの冒険をその目で見れなかったことによる悔しさ、そして自分のせいでという申し訳なさからくるものだった。
「ベル・クラネルは最後の英雄への資格を見せた。だから僕は……僕たちは彼らと手を組むことに決めたんだ。僕たち下界の悲願を成し遂げるために」
フィンがアイズの隣に並び、蹴り飛ばされたベルに視線を向ける。
静かながらも熱の籠もった声に、アイズの手にさらなる力が入る。
下界の悲願、黒竜討伐はアイズにとっての悲願でもあるから。
大切なものを取り戻すために剣を手に取ったあの日から変わらない願い。
その鍵の一つが、目の前の少年に掛かっている。
「彼は一日一日確かに成長しているよ。ベートの技術を吸収して」
ベルとベートの戦闘スタイルは似ている。
短剣を使い、スピードを主体としたスタイル。
オラリオでもスピードツートップの片割れであるベートとの模擬戦は、成長力のチートであるベルにとっては、これ以上ないほどのお手本になっているのだろう。
悔しい……。
アイズは心の奥底でそう思ってしまう。
もちろんベートとの戦いでベルが成長するのは嬉しい。
しかし、だが、それでも、ベルという真っ白なキャンパスに戦い方という色を一番最初に足したのはアイズなのだ。
「一度、彼にリハビリを付き合ってもらったらどうかな? あ、ただ彼はうちの団員からも人気だ。だからもし2人でやりたいのであれば、ホーム以外の場所がいいかもね」
「……うん」
フィンは片目を閉じて、悪巧みをするようにアイズにそう告げる。
アイズはフィンが言外に何を伝えたいのかわかったから、素直に頷いた。
この訓練が終わったら、ベルに伝えよう。
そう思ってアイズはベルたちの模擬戦を静かに見守るのだった。
日が沈み、ベルたちの模擬戦が終わった。
そして、ベルが自分のホームに帰ろうと黄昏の館の門を潜った時、視界の端に金色が映り込んだ。
「え、あ、アイズさん!?」
「うん。訓練お疲れ様」
門の端に立っていたのは、ベルの想い人であり、憧憬の存在であるアイズその人だった。
まさかの遭遇に、ベルは顔を紅くして慌てふためく。
「あ、あの、どうしたんですか? 誰かと待ち合わせですか?」
いったいなぜアイズがここに立っているのかわからずに理由を尋ねるベル。
「うん。君を待ってたの」
「ふへぇっ!!??」
素っ頓狂な……というか、これを人語と言ってしまうのは言葉に対する最大級の侮蔑と捉えられても仕方ないような声をベルは漏らしてしまった。
しかし、アイズはキョトンと首を傾げるだけで、不思議そうにベルを見つめる。
「ベル、明日、訓練しよ?」
「く、訓練……ですか!? は、はい! もちろん! 喜んで!」
天然というかマイペースというか、挙動不審なベルの反応をスルーして、アイズはフィンに言われたようにベルを訓練に誘った。
そしてベルはというと、予想外のお誘いに戸惑いつつも、久しぶりのアイズとの訓練に戸惑いを喜びの色に塗りつぶして、凄い勢いで首を縦に振って、その申し出を受け入れた。
アイズはその勢いに驚きながらも、嬉しそうに目を細めて小さく頷いた。
「それじゃあ、朝に、いつもの場所で」
「はい!」
ほんの細やかな約束。
それはまるで友達と遊ぶような、ありふれたやりとり。
しかし、そんな短いやりとりでも、ベルとアイズにとっては、心が温かくなる大切な時間だった。
そして翌日の早朝。
アイズは一人、市壁の上で目を閉じて風を感じながら立っていた。
気持ちいい……。
冬に入り、身体を冷やす風だけれど、今のアイズにとっては心を落ち着ける心地よい風だった。
息を吸い込み、ゆっくりと吐く。
これから始まるベルとの訓練にワクワクソワソワしてしまう浮ついた気持ちを落ち着かせるために、それを数度繰り返した。
そして、タッタッタっと石畳を駆け上がる足音が聞こえる。
「す、すみません! 遅くなりました!」
「ううん。大丈夫。私も、今来たところだから」
階段から姿を見せたベルは、すでにほんの少しだけ疲れているようで、顔や手にすり傷ができている。
「ボロボロだけど、どうしたの?」
それが気になってアイズはベルに尋ねた。
「あ、これはその、ホームを出るときに色々あって……あはは」
「?」
ベルはバレバレな誤魔化しをし、アイズは不思議そうに首を傾げた。
ちなみに何故ベルが訓練前にボロボロだったのかというと、ここに来る前にポンコツエルフと鬼畜エルフのダブル師匠エルフにギッタギタのボッコボコな朝稽古をさせられていたからだ。
昨夜、黄昏の館から帰宅した時に、即、秒、刹那で何かあったのだと、主神を始め、ファミリアのメンバーにバレてしまい、針の筵のような時間を送っていた。
なんとかみんなを説得して、訓練の許可は得たのだけれど、アイズとの2人での訓練が少しばかり面白く思わなかったリューと、眉間に皺を寄せたヘディンが、まだまだ空が藍色の時間から激しい稽古をつけてしまった。
その結果、今に至るということだ。
「大丈夫? 先に休む?」
「いえ! 大丈夫です!」
「そっか。じゃあ……準備できたら、始めよう」
ボロボロなベルに気を使った提案をしたアイズだったが、ベルは両の拳をギュッと握りしめて大丈夫だと答えた。
その返答に口角を少し上げて頷くアイズ。
そして、すぐに準備を終えたベルは、アイズと少し距離を取ってナイフを構えた。
空を飛ぶ鳥の鳴き声が開始の合図となる。
鞘を構えたアイズの隙を探るベル。
以前はアイズがわざと隙を作って、ベルを査定したが、今回は違う。
一部の隙もなく、ベルの脳内で様々な攻撃パターンをシミュレーションしても、全て弾き返され、鞘での一撃を喰らってしまう気しかしない。
「来ないの? じゃあ私から行くよ」
「ッッッ!!」
どう攻めるか躊躇っていたベルに痺れを切らしたアイズが、タンっと石畳を蹴ってベルとの距離を詰める。
そして袈裟斬りを一つ。
「クッ!」
それをヘスティアナイフで受け止め、カウンターで後ろ回し蹴りを放つベル。
しかしアイズは、まるでダンスのターンをするように華麗に蹴りを交わし、連続の斬撃をベルに喰らわせた。
防戦一方になったベルではあるが、これまでの経験や向上したステータスで、なんとか全て捌き切る。
「防御も前より上手くなったね。でも、そこから攻撃に繋げられないとダメだよ」
「……は、はい!」
最後に訓練した時よりも上達していた防御技術に称賛を送りつつ、さらなる改善点を告げる。
もちろんその間に攻撃は止むことはない。
アイズさんの攻撃は相変わらず激しい……!
でも、パワーだけなら僕のほうが上。
それならっ!!!
「すぅ……っはぁ!!!」
「ッ!?」
アイズの剣戟で一番重い一撃になる上段からの切り下ろしに、受け流すではなく、パワーで押し返し、アイズの体勢を崩させた。
「やぁぁぁぁぁ!!」
そして、その勢いのまま、さらに一歩踏み込み、攻勢へと転じさせるベル。
凄い……。
そんなベルの攻撃に、アイズは最大限の驚きと称賛を贈った。
アイズのアドバイスを即座に吸収し、応用を交えて実践する。
これができる冒険者がどれだけいるだろう。
訓練の後に修正できるのなら充分。
ただの凡夫はそのアドバイスを血肉に変えるのにどれほどの時間を要するだろうか。
しかし、目の前の少年は、戦いの中で成長する。
凄い、凄い、凄い!
暴れ狂った兎のように、市壁の上という狭い空間でも縦横無尽に駆け回り、アイズに一太刀入れようと連撃を繰り出すベルに、アイズの心は歓喜に打ち震えていた。
「はぁぁぁぁ!!」
「ふっ!」
ベルの連撃最後の一撃に、アイズは鞘を合わせて鍔迫り合いをする。
だが、パワーはベルが上。
当然ながら鍔迫り合いに勝利したのはベルだった。
「はあ……はあ……はあ……」
鍔迫り合いに勝って、押し込んだのはベル。
しかしこれは鍔迫り合いの試合ではない。
体勢を崩される前に、アイズはわざと力を抜き、ベルの勢いを利用して後ろへと飛んだ。
「凄いね、ベル。本当に、強くなった」
「はあ……はあ……あ、ありがとうございます……」
アイズは声に出してベルに称賛の言葉を告げた。
心の底から、強くなったという事実をアイズも噛み締めるように。
アイズに反撃をさせないために、ずっと全力でナイフでの連撃を繰り出していたベルは、息も絶え絶えになりながら称賛に対してのお礼を返した。
「ベル。やっぱり、少し休憩しようか」
「え、ぼ、僕はまだ……」
「ううん。やっぱりちょっとだけ疲れてるから。時間はまだあるし、ね?」
「うっ……。わ、わかりました」
アイズはベルに休憩を提案した。
ベルは大丈夫だと、まだ続けられると、その提案を断ろうとしたが、哀しいかな惚れた女性の首を傾げる可愛らしい仕草になす術なく、頷くしか無かった。
「ベル」
「へっ!? いや、それは流石に……」
「ん」
「だ、ダメです! は、恥ずかしいですから!」
「……ベルの意地悪」
「うっ!!」
アイズとベルは並んで座って休憩をする。
そして座るやいなや、アイズが自分の太腿をポンポンと叩いた。
そう、膝枕のお誘いだ。
しかし、初心初心でピュアッピュアなベルは、それを顔を真っ赤にして断る。
それはもう顔から湯気が出るどころか、ファイアボルトしてしまうのではないかというほどに。
どれだけお願いしても、頑なに拒絶するベルに、アイズはぷっくりと頬を膨らました。
そしてそれはベルにクリティカルヒット。
もし魔石があるのなら、一発で砕かれて灰になってしまうほどの破壊力。
ベルはバクバクと脈を打つ心臓に手を当てて鎮めようと勤しむ。
「ベル。ありがとう。私を助けてくれて」
静寂の時間にほんの少しだけ浸り、ようやくベルの心臓が落ち着いてきたころ、アイズの口からベルに対する感謝の言葉が告げられた。
「いえ。あれは僕だけじゃなく、ベートさんやティオナさん、そしてレフィーヤさんやレオン先生、他にもたくさんの人たちがいたからできたことだと思います」
ベルは首を振って、自分だけの力じゃないと返した。
それはアイズもわかっている。
ファミリアの、そして冒険者と学区の垣根を超えて、たくさんの人たちが力を貸してくれたから、自分は今こうしてベルの隣にいられるということは。
でも、それでも、ベルがいなければ、この平穏で心地よい時間は永遠に失われていたこともわかっている。
「ロキに聞いたよ。ティオナも助けてくれて、誰よりも傷ついて、そして、私も助け出してくれたって。だから、ありがとうベル」
だから、アイズは再度ベルにお礼を述べる。
本当に冒険者らしくない子だと微笑ましく思いながら。
普通なら、あれだけの活躍をしたのなら、自分のお陰で助け出せたのだと声高らかに言い触らすだろうに。
謙虚すぎるほどに謙虚な少年は、二度目のお礼で、少しだけ嬉しそうに、そして照れくさそうに頬を染めて頷いた。
「そういえば、ベルはベートさんと仲良くなったの?」
「えっ!?」
そして、アイズはずっと気になっていたことをベルに尋ねた。
唐突な話の方向転換に、ベルは抜けた声を漏らす。
「え、えーっと、仲良くなったわけじゃないと思うんですけど、でも、前より少しだけ怖い気持ちはなくなったなと思います」
「そっか」
ベルはベートに対しての印象を素直に話した。
仲良くなるというのが、ヴェルフやタケミカヅチ・ファミリアやモルドさんたちのような人たちに対して抱くような気持ちならば、それはベルがベートに対して抱いているとは言えない。
ベートもそれは同じだろう。
でも、尊敬できる冒険者の一人なのは間違いない。
以前まで抱えていたトラウマが払拭されて、あの死地で身を挺しながら仲間を護るために自身の命を燃やしていた気高き狼のことを心の底から尊敬した。
そして狼は、助からないと思っていた自分の仲間を、自身の身を火炎地獄に落としながらも救い出し、最後には囚われのお姫様をも取り戻した兎を認めた。
ただ、それだけのこと。
だから、別に仲良くなったわけではない。
でも、2人にとっては、それが一番いい関係なんだろう。
あの時のことを思い出しながら、噛み締めるような笑みをみせて語るベルを見ながら、アイズは小さく頷いた。
「レフィーヤとは? ティオナとは?」
「えっ? レフィーヤさんとティオナさんですか?」
「うん。あの2人も、なんだかちょっと、前とは違う感じがしたから……」
アイズはさらに深く踏み込む。
レフィーヤは前までのように少しだけ棘のある言葉をベルに浴びせるが、もっと距離が近くなったような気がした。
それにベルも前のようにレフィーヤに対しての怯えが薄くなり、お互いに高めあえる関係になってるように思える。
そして、極めつけはティオナだ。
元々ベルのことを気に入っていたティオナだったが、今ではさらに好意の大きさが増したような気がする。
その好意の意味はアイズにはわからないけれど。
ただ、そんな光景を見ていると、なんだか、なんとも言い難い気持ちがアイズの心に靄を掛けてしまう。
だから気になった。
何があったのか、どうしてああなったのかということが。
「レフィーヤさんにはあの作戦の時、凄く助けられて、気合いを入れられて、本当に凄い方だなって思いました。でもそれだいじゃなく、負けたくないって気持ちも生まれて」
「ライバルってこと?」
「そう……ですね。レフィーヤさんにとっては僕なんかがライバルと言ってしまうのは烏滸がましく思えるかもしれませんけど」
そう言って、ベルは照れ笑いをして後頭部を掻いた。
ベルはレフィーヤをライバル認定するなんて烏滸がましいとは言うけれど、何かとベルに対して対抗心を抱いていることを見てきたアイズにとっては、むしろレフィーヤは内心喜ぶんじゃないかなと思ってしまうが。
「じゃあティオナは?」
「ティオナさんは、色々とあって、その時に、お互いの好きな英雄譚を話し合ったりして。でも、前も似たような感じでしたね」
あははと笑うベル。
どうやらというか、やっぱりというか、彼はとてもニブチンのようだ。
しかし、それはアイズも同じで、確かにと頷いた。
「えっと、そろそろ訓練再開しましょうか」
そう言って立ち上がろうとするベル。
確かにお互いに疲れはとれて、訓練を再開するには充分な休息はできた。
しかし、アイズはそんなベルの服の袖を握って静止させた。
「あ、アイズさん?」
唐突に服を引っ張られて困惑するベル。
そんなベルを見上げながら、アイズは口を開いた。
「ベル。私は?」
「へ?」
「ベートさんやレフィーヤ、ティオナとは、前よりも、えっと、仲良くなった。私とは?」
普段の何を考えているのかわからない瞳から伝わってくる期待という名の圧。
自分以外のロキ・ファミリアのメンバーと関係を深めて、さらにはいつの間にかナイト・オブ・ナイトの後継者のような二つ名までつけられて。
ならば、自分は?
ベルは自分とはどう思ってるのだろう。
アイズは何故だか、ものすごくそれが気になってしまった。
「へえっ!? え、あ、その、あ、アイズさん!?」
「ジーーーーーー」
「視線の圧が声に出てるッッッッ!?」
憧れて、好意を抱いている人物からの、唐突な「私のことはどう思ってるの?」発言に、ベルは顔を真っ赤にしながらあたふたしていた。
しかもアイズの、何かを期待しているような眼差しに、ベルの心臓はファイアボルトの如くドッカンドッカンしてしまう。
ベルは自分の心臓を落ち着かせるように、何度も深呼吸をした。
「……僕はあの時、アイズさんを助け出す時に、一つだけ心に決めたことがあるんです。でも、それはまだ僕なんかの実力じゃ全然届かなくて。だから、自分勝手な思い込みなのかもしれないんですけど、前よりももっと、ずっと、アイズさんに近づきたいって思っています」
ベルはゆっくりと、しっかりと、その一言一言を大切にするかのように言葉を紡いだ。
『私の英雄になってくれる?』
『あなたの英雄になりたい』
あの救出作戦の時、ベルとアイズはそう約束を交わした。
それはまるで小さい子どもたちが交わす、夢のような約束。
実際にその言葉を口に出して約束したのかは定かではない。
あの時は、アイズを助けるために必死だったから。
でも、確かにあの時、ベルはアイズにそう約束した。
だからもっと強くなるために、リューやヘディンとの朝稽古だけじゃなく、戦闘スタイルが似ているベートにも模擬戦を申し込むようになった。
同じ憧憬を抱くレフィーヤとも対抗心を持って、切磋琢磨し始めた。
レオンに授けられた残光を使いこなすために訓練をして自力を上げた。
英雄になるためにティオナと英雄譚を語り合い、過去の英雄たちに思いを馳せた。
全てはアイズとの約束を果たすために。
「……そっか。うん、ありがとう」
アイズの問いに対して完璧な返答が出来たのか、ベルにはわからない。
しかし、アイズは満足したように微笑んで頷いた。
「ベル、訓練しよっか」
「……! はい!」
二人は立ち上がる。
強くなるために。
大事な約束を叶えるために。
ベル。信じてるよ。君がいつか私の英雄になってくれるって。
ナイフと鞘を交えながら、アイズはベルを想う。
永遠とも思える永い間、待ちわびていた『私だけの英雄』のことを。
斬り結ぶ金属音が空へと響き渡る。
その音は新たな英雄を喜ぶ鐘の音に似ていて。
英雄の雄叫びは新たな時代を告げる号砲のようで。
人形姫も未完の新人ももういない。
ここにいるのは、剣の姫と最後の英雄。
誰も立ち入ることのできない神聖な空間。
昇ってきた太陽の白い光がそんな二人を温かく包み込むのだった。