──どこまでも白い世界だった。
風もなく、音もなく。
ただ、静寂だけが満ちていた。
「……ここは……」
自分の声が、遠くでこだまする。
立っているのか、浮かんでいるのかもわからない。
胸の奥が微かに熱く、右の掌が淡く光っていた。
「目を覚ましたんだね」
振り向くと、そこに小さな白い狐のような存在がいた。
ふわふわと浮かび、尾が光の粉を散らしている。
コロン──けれど、その姿はどこか違って見えた。
現実よりも透き通っていて、声には“重み”があった。
「コロン……?」
「はい。でも、これは“あなたの意識が見ているボク”だ」
コロンは微笑む。
その瞳はまるで月光のように冷たく、優しい。
「ゆりを……救えたのか?」
「ええ。キミの願いが、彼女の心を繋ぎとめた。
けれど――キミはまだ、力の本当の意味を知らない」
「……精霊手のこと?」
コロンは頷いた。
すると足元に、青白い水面が現れる。
それはまるで、心の奥底を映す鏡のようだった。
「精霊手は、“祈り”から生まれる技だ。
キミの詠唱を覚えているかい?」
七度七度(ななどななたび)生まれても 終(つい)に見る夢は同じなり
愛してる。愛してる。愛してる。
この光は何も殺さない。ただ心を打つのみ。
その言葉が水面に刻まれる。
波紋がゆっくりと広がり、光の花弁が咲いた。
「キミは“破壊”を拒んだ。
それは、この世界において、とても珍しい選択です。
ほとんどのプリキュアは“守るために戦う”けれど、
キミは“救うために戦わない”ことを選んだ」
「……それでいいのか?」
「うん。世界は悲しみでできている。
けれど、悲しみを無理に消そうとすれば、別の痛みが生まれる。
キミの光は、ただ“受け止める”。
それこそが、精霊回路の本質――“共鳴”だ」
コロンは近づき、掌を重ねた。
その瞬間、光が走る。
視界に無数の糸が浮かび上がり、星のようにきらめいた。
「見えるだろう? これが“心の花”の根。
一人ひとりの思いがこうして繋がっている。
キミの手は、その糸を切るのではなく、結び直す手。
だから、キミの光は、何も殺さないのです」
「……それでも、悲しみは消えない」
「そうだね。でも、“分け合える”ようになる。
それが、キミの祈りの力。
ムーンライトの心は、キミの光に救われた。
けれど今度は、キミ自身の心を癒やす番です」
ふっと風が吹いた。
水面が揺れ、白い花が散る。
それはまるで夢が終わる合図のようだった。
「さつき。キミが見た“未来”は変えられない。
けれど、“意味”は変えられる。
運命とは、そういうものだ」
「……ありがとう、コロン」
「いいや、キミが自分で掴んだ光だよ。
次に目を覚ますとき、もう一人の“キミ”が動き出すよ」
光が遠ざかる。
胸の奥に、まだ温もりが残っていた。
──どれほどの時が過ぎただろう。
意識が戻ると、聞こえてきたのは誰かの泣き声だった。
「……さつき……っ、お願い、目を開けて……!」
ゆりの声。
かすかに震える手が、自分の頬を撫でている。
薄く目を開けると、涙を流す彼女の姿があった。
ムーンライトの変身が解け、ただの少女として、泣いている。
「泣かないで……ゆりは、泣かない顔が……似合う」
ゆりが小さく笑った。
それは、彼女が初めて見せた“本当の笑顔”だった。
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夜の空。
雲の切れ間に、満ちかけた月が輝いていた。
さつきはその光を見上げながら、胸の中で静かに呟いた。
「この光は、何も殺さない。ただ、心を打つのみ――か」
その言葉が、春の風に溶けて消えた。
──そして夜は、静かに更けていった。