春が深まり、校庭の桜はすっかり緑に変わっていた。
病室を出た僕――明堂院さつきは、少しずつ身体を慣らすために毎朝走っていた。
相変わらず胸は痛むが、今はそれすら愛おしい。
この鼓動が、生きている証だから。
その朝、校門の前に一人の影が立っていた。
西隼人。無表情のまま、僕を待っている。
「……昨日、病院から戻ったばかりだろう。何をしている」
「走るんだよ。心臓が動くうちは、まだやれる」
「無理はするな。人間の身体は脆い」
「そう言うお前こそ、心が硬すぎる」
彼が一瞬だけ目を細める。
そう、彼はこの世界に馴染めない。
笑わないし、遊ばない。
誰かと話すときは、相手の“反応”を分析しているようだった。
管理社会で育ったという噂もあるが、それだけじゃない。
たぶん、感情の扱い方を知らないのだ。
「……隼人。俺と一緒に、修行しよう」
「修行?」
「体を鍛えるのもあるけど、もっと大事なのは心だ。
心を動かす練習をしよう」
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明堂院家の庭。
竹林に囲まれた静かな道場。
木漏れ日が畳の上で踊る。
「まずは〈精霊手〉の型を取る」
僕は立ち上がり、手を合わせた。
呼吸を整え、ゆっくりと掌を開く。
風が通り抜け、青白い光が指先に宿る。
「……その光、何だ?」
「心の回路を使って、命の流れを視る力だ。
呼吸の間で、世界と同調する」
「そんな非合理的なものを信じているのか?」
「信じるんじゃない。感じるんだよ」
隼人は眉をひそめた。
けれど、その目は確かに興味を帯びていた。
感情のない人間なんていない。
ただ、“触れ方”を忘れているだけだ。
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午前の稽古は、静かに過ぎた。
僕は彼に呼吸法と型を教えながら、少しずつ会話を挟んでいく。
木刀を振る合間、休憩のたびに話題を振った。
「隼人、何が好きなんだ?」
「好き?」
「うん、食べ物とか、音楽とか、景色とか」
「……効率の良い食事なら理解できるが、味を気にしたことはない」
「それじゃあ、修行の後に食べに行こう。
身体を動かしたら、何を食べても美味しい。
それが“生きる”ってことだよ」
「……理解不能だ」
「いいさ。今はそれでいい」
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数日後。
隼人の構えが、目に見えて柔らかくなっていた。
打ち込む木刀の音が軽やかになる。
呼吸も、わずかに笑みを含んでいる。
「お前、変わったな」
「……そうか?」
「うん。目が生きてる。前よりずっと」
隼人は一瞬、照れくさそうに視線を逸らした。
その仕草が、なんだか微笑ましかった。
少しずつ、彼の中で何かが溶けていくのがわかる。
無表情の仮面の奥に、“人間の温度”が戻ってきていた。
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ある日の稽古後、夕陽を背にして彼が尋ねた。
「さつき。人はなぜ修行する?」
「強くなるため、だろう?」
「違う。俺たちは“成長する過程”の中に生きてる。
結果は死かもしれない。けど、
そこに至るまでの“過程”でできている。
だから、過程を楽しむことこそ、人生の意味なんだ」
隼人は黙っていた。
でも、風の中でその言葉を反芻しているようだった。
ゆっくりと拳を見つめ、何かを掴むように指を握る。
「……過程を、楽しむ」
「そう。お前が笑う日が来たら、それが修行の完成だよ」
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翌朝。
道場に行くと、隼人がすでにいた。
額に汗を光らせ、木刀を振っている。
風を切る音が、まるで歌のように響いていた。
僕は思わず笑った。
――あぁ、もう大丈夫だ。
この少年は、ちゃんと“人間”として生き始めている。
「おはよう、隼人。今日もいい風だな」
「おはよう、さつき。……確かに、悪くない」
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空を仰ぐと、青い光が差し込んだ。
あの日の〈精霊手〉の輝きが、心の中でまた脈打つ。
人は結果ではなく、過程でできている。
その過程を繋ぐのが、僕たちの手――精霊手だ。
その光を胸に、僕は明日も彼と共に歩く。
“楽しむために強くなる”――
それが、僕たちの修行の形だった。