六月の放課後。
校庭には、夏の気配を孕んだ風が吹いていた。
空は高く、白い雲が流れる。
その穏やかさの裏で、僕らの胸にはざわつくものがあった。
「最近、教室の雰囲気が妙だな」
隼人が呟く。
確かに、笑顔が減っていた。
特に、演劇部の女生徒・安藤麻美。
クラスの中心だった彼女が、ここ数日ずっと塞ぎ込んでいる。
「文化祭の脚本、没になったって聞いたよ。部長と揉めたみたいだ」
「くだらない。意見の相違など、結果に影響はない」
「いや、あるんだよ」
僕は窓越しに、部室棟を見やった。
“結果”じゃなく“過程”――隼人に何度も教えた言葉が、胸に浮かぶ。
「麻美の“気持ち”を無視した結果が、今の空気なんだ」
隼人が眉を寄せた瞬間、風が凍る。
ぞくりと背筋が粟立つ。
廊下の向こう、重たい気配。
「……来るぞ」
/*/
部室棟の影が歪み、人の形に膨れ上がる。
叫びが木霊した。
「どうせ私なんて、必要ないんだぁぁぁぁ!」
花弁が黒く散り、少女の姿がデザトリアンへ変わる。
虚ろな目。伸びる腕。
その怒りと悲しみが渦を巻き、校舎を揺らした。
/*/
「下がってろ、隼人!」
僕は前に出た。
掌に光を集める。
胸の奥で“回路”が起動する。
心の花を繋ぐ青白い糸が、世界に浮かび上がる。
「完成せよ――〈精霊手〉!」
空気が震え、青い輝きが包む。
だが、その瞬間、デザトリアンの拳が飛ぶ。
僕は受け止めきれず、床に叩きつけられた。
「さつきっ!」
隼人が叫ぶ。
拳を握りしめて、一歩前に出た。
「なぜ……なぜ殴らないんだ!? 敵だろう!」
「敵じゃない。心を奪われただけの人だ!」
「……そんな理屈、理解できない!」
隼人が拳を振りかざす。
だが、寸前で止まった。
デザトリアンの目から、涙が一筋、こぼれたのだ。
その涙を見た瞬間、彼の肩が震えた。
「これが……感情……か?」
「そうだ、隼人! 人は感情で動く。
怒って、泣いて、笑って、また立ち上がる。
それが“生きる”ってことだ!」
「……俺にも、できるか?」
「できる! お前にも“掴める”!」
/*/
隼人が叫び、足を踏み出す。
拳が風を裂き、デザトリアンの腕を弾く。
その動きに、確かに“心”があった。
憎しみではなく、守る意志の拳。
僕はその隙に、掌を重ねる。
青い光が螺旋を描き、詠唱がこだまする。
七度七度生まれても、終に見る夢は同じなり。
愛してる。愛してる。愛してる。
この光は何も殺さない。ただ、心を打つのみ――!
光が花のように咲き、デザトリアンの胸を包み込む。
闇が薄れ、少女の顔に微笑みが戻る。
黒い花弁が風に散り、青い空へと消えた。
/*/
静寂。
汗と涙の匂いが、夏の風に溶ける。
「……これが、“救う”ってことか」
隼人が拳を見つめた。
その目には、確かな光が宿っていた。
「そうだよ。お前、今……笑ってる」
彼は驚いたように口元を触れ、
そして、初めて、心から笑った。
「悪くないな。過程ってやつも」
僕は笑って頷いた。
“修行”は、まだ始まったばかりだ。
だが、確かに芽は出た。
破壊の拳しか知らなかった少年が、いま“心を掴む拳”を覚えたのだから。
/*/
その夜、空には大きな満月が昇った。
ゆりが月を見上げ、微笑む。
精霊手の青い光は、彼女の心にも届いていた。
──悲しみを断ち切るのではなく、結び直す光。
それが、さつきの拳の意味だった。