建物を伝って移動しているレインは複数の気配を感じ、立ち止まって背の刀に手を掛ける。突如、空気を貫くように細い音が周りで巻き起こり、差し込む朝日がそれに反射してレインの目を襲った。何に反射したのか見ると糸だ。それも鉄で出来た鋭い切れ味を誇る厄介な品。レインの中では嫌な予感が脳を駆け巡った。そして、仕掛けた張本人はそれを助長するようにこう言った。動けば死ぬ、と。
まだ少年と言っても差し支えない程の青年は左手に糸のような物を巻き付け現れる。
「こりゃ、おっかないな。これが殺人鬼レインか」
緑色の髪にゴーグルを掛けた青年は自分の優勢を鼻にかけることもなく、寧ろ、お手上げと言わんばかりにそう言った。鉄の糸で動きが制限されたレインはそれを帝具と予想付けた。
「お仲間さんも居るんだろ?」
声に反応し、一斉に現れる。鎧を纏った人物、チャイナ服の女、それからいつぞやの少年にレオーネ。フルメンバーかどうかは分からないが、目視できるだけで五人が自身を囲んでいる。
「随分ピリピリしてるな、俺の暗殺依頼でもあったのか?」
自嘲的な発言などお構いなしで、皆一様に品定めでもするように上から下まで視線が流れる。その視線を不愉快に感じながらも、糸に軽く触れてみる。ピンと張られて、人間の肌程度ならば容易くその糸を赤く染めるだろう。
「殺人鬼と聞いてたけど以外に大人しいな」
鎧の人物はくぐもった男の声でそう言った。そして、レオーネは満足げに頷き、口を開けた。
「やっぱり、ナイトレイドに来い!」
ーー……そういうことか。
粘っこい視線は仲間にしても良いかどうか、もし、本当に殺人鬼なら殺してしまおう。
ーーそういう魂胆か。
レインは一つ嘆息する。
ーー心底――不愉快だ。
ーー俺は関わらぬように気を付けているのに……。
ーーなぜ近づいてくる?……そうか……そういうことか……。
レインは独りでに納得すると目の色を変える。これは比喩表現ではない。正真正銘目の色が赤くなっていく。タツミの実践経験は浅いが他のメンバーは猛者が揃っている。それだけにレインの精神的な変化にさえ気付いた。
ーー……本性を見れば、勧誘する気も失せるだろう。
ザンク戦でほんの数秒だけしか出られなかったそれは満たせなかった欲求を満たそうと簡単に姿を現した。
レインは周囲に張り巡らされた糸を数本集めて掴むと、見せ付けるように引き千切る。その糸の持つ切れ味がスーツに深い傷を入れる。
「マジかよ……」
帝具千変万化・クローステール。それを操る持ち主は驚愕の声を上げ、次の策を練ろうとするや否や、目の前にはレインが立ちはだかる。レインの周りには決して少ないとは言えない量の糸を仕込んでいた。それも一本一本が強固な物だった。
ーー防御も……間に合わねぇッ!
千変万化。文字通り、攻撃も防御もこなせるが、盾を作成しようにも時間が足りない。それに皆は一瞬の怯みから復帰できずにいる。レインの血に満ちたようにも見える赤い目と合い、刀は下ろされる。
その結果、生じたのは鉄と鉄が織り成す不協和音。皆がレインに気圧されても、一人動ける者がいた。それはレインの変化に気付くことがなかったタツミだ。タツミとて怖くない訳ではない。その怖れすら制御して飛び出したのだ。
「そんなに人を傷付けて何が楽しいんだよッ!」
タツミには目の前の人物が殺人鬼だろうがなんだろうが、仲間の命を狙った時点でタツミにとっては少なからず敵になる。語気の強まりに合わせて弾き返そうと試みるが、動く気配はない。理不尽とさえ感じる程の腕力の差はタツミの勢い付いた気力を容赦なく削ぎ落としていった。
「お前に……何が分かる?」
あまりに淡々とした怒声はタツミを更に追撃していく。タツミは必死に堪えていると腹部に物理的な反撃を喰らい、ゴーグルの少年と共に吹き飛んでいった。その隙に鎧の男とレオーネはレインの両サイドを陣取っている。鎧の男は槍で一撃を狙うがレインに刀で受け止められ、レオーネのストレートは手首を掴み止める。
「さっきまでとは別物だな」
鎧の男はレインの殺気を間近で感じ、鎧の中でじっとりとした汗を流していた。レインは鎧の男を無視するとレオーネに焦点に合わせる。
「女らしい腕だ。戦士にしては……柔すぎる」
レインの発した言葉は口説き文句に聞こえなくもないが、それならば“骨を折る”という残虐行為に至ってはいないだろう。
レオーネは喉を壊す勢いで叫んだ。それで注意の逸れた鎧の男はレオーネの骨を折った腕力を顔面に受け、屋上の隅まで追いやられる。だが、ただでやられるだけのレオーネではない。
レインは唐突に体勢を崩され、浮遊感を感じた。
「舐めんな」
足払いを掛けられ、そう吐き捨てられる。レオーネは骨折の痛みで汗を滲ませてはいるが、その瞳は痛みに屈してはいない。レインも空いている片手で体を支えるが、数の暴力はレインに一瞬の休憩さえ与えない。
「すみません」
逆転した視界の中、眼鏡を掛けたチャイナ服の女は巨大な鋏を手に迫ってくる。そして、その両刃がレインの腰回りを捉えたが、
ーー殺すのに謝る意味が分からないな……。
意外にも冷静を保てている自分に感心し、殺し合いに特化した状態のレインは迫り来る死に対して、最適な判断を下す。
帝具万物両断・エクスタスはどんなものでも真っ二つにする。それはスーツも例外ではない。その二対の刃がレインを二つに分けようとした刹那、レインはチャイナ服の女の手首を逆立ちのまま蹴るという荒技をやってのけ、蹴りを受けた手首は関節が外れ、重力に従いぶら下がっている。
帝具と言えど鋏は鋏、二枚の刃が無くてはその切れ味は発揮されない。勿論、レインのスーツが切断されることも無い。鉄の擦れ合う不快な音だけが鳴り渡る。そのまま片手の腕力だけで距離を取ったが、
「――葬る」
背後から掛かるその声には聞き覚えがあった。同時にこの戦闘で初めて命が危機に晒されたと感じ、全身に悪寒のような震えが生じた。
「そう言えば、お前も居たな。忘れてたよアカメ」
レインの首を狙った一閃は白い刃によって防がれる。アカメの帝具一斬必殺・村雨はどんなかすり傷でも傷口から毒を流し込み、即死に至らせる。振り向く時間など与えられなかったが、逆にその能力を考えれば防御は容易かった。首から上だけに絞れば傷付くことはない。
銃を取り出し、自分の首から後ろにいるアカメに銃口を突き付け、引き金を絞る。アカメはその弾丸を横に流れながら躱す。
その直後、アカメの攻撃を防いだ手をクローステールによって縛り上げられる。先程同様千切ろうとするが、
「界断糸。今度は逃がさないぜ」
通常の糸より強度の高い界断糸はレインの腕力でも何ともなら無い。そして、銃を握る手は鎧の男によって握り潰すように抑えられる。片手の使えないレオーネはクローステールで縛り上げられた腕の前に立ち、鎧の男とレオーネの拳がレインの腹部にめり込んだ。呼吸も儘ならない中、鉄の冊を破壊しながら建物からレインは落下していった。
「レオーネ、今回はハズレだ。諦めろ」
鎧を纏った男はその装備を解除する。整えられたリーゼントがトレードマークの男、ブラートは険しい表情でそう言った。そのブラートを尻目にレオーネは妙な違和感を感じていた。雰囲気が変わったと言うよりは、
ーー……“二人目”。
レオーネは違和感をそう解釈した。ブラートも似た言葉を漏らす。
「最初大人しかったのは“一人目”だ。そして、目が赤くなったのが“二人目”だ。レインという男は二人居る」
レオーネとブラートの考えが一致した。レオーネがスカウトしたのは一人目に当たる人物だ。ブラートは壊れた鉄冊を握り、
「あれは確かに実力者だ。一方で精神的に危うい部分や不安定な所が目立つ、チームに引き入れたら確実に壊滅の道を進むことになる」
建物から見下ろしながらレインを評価した。レインが落下した場所には地面が割れた形跡こそあるが、既にレインは遁走していた。
△▽△▽
ケインは蜘蛛のタトゥー連中の資料を鼻歌混じりに作成していると部屋の扉が開いた。
「ケイン……首斬りザンク討伐成功だ」
どこか気怠げなレインは一直線にソファに向かい、鉄と相俟って重量の増した体をソファに沈めた。
「帝具使いに勝ったのか?」
レインは息をゆっくりと全て吐き出す。ケインはその長い溜息が何を意味するのか問う。
「勝ったと言ってもスポーツじゃないんだ。殺し合いの勝利なんて虚しいだけだ。なによりも……」
そこで忌々しげに顔を歪める。まるで禁忌を犯したようなその表情でケインは悟ったが、レインは罪を自白するように呟いた。
「また、“あいつ”が出てきた」
ケインは腕を組み、神妙な面持ちになる。こればっかりはレインの問題であり。誰かが手伝えるわけではない。自身で克服するしかないのだ。
「それにナイトレイドとも一戦交えた」
衝撃の告白にケインは頭を抑えた。レインという人物に出会ってから、どれだけこの所作を繰り返したことか、
「おいおい、ナイトレイドは革命軍の主力だぞ?上からなんて言われるか――」
「安心しろ、誰も殺してない。寧ろ、いいパンチをもらった」
腹部の装甲は二つの拳の形で凹んでいる。それを手で翳し、歪んだ鉄に自身の指を埋めていった。
「博士にメンテナンスを頼んでくる」
ケインは少し安堵していたが、結局ナイトレイドとは疎遠になったのは確かだろう。
△▽△▽
「任務完了~」
どこか腑抜けた声を出したのはチェルシーと呼ばれる暗殺者だ。外見こそ可憐な少女だが、帝具の所有や暗殺者として持つべき胆力を兼ね備えた強かな女性である。今の帝国の環境を生き抜けているのがいい証拠だろう。
「今月で四件目っと……チェルシーちゃん随分と頑張ってるが……その、大丈夫か?」
チェルシーの職業は暗殺者、つまりは人の命を奪うことになる。それが短期間に四件も続いたとなれば、心配にもなる。
「大丈夫、精神衛生は常に保ってるから」
チェルシーの口から得意気に出たその言葉を掻き消すようにカチッと小さな音が部屋に響いた。チェルシーは音源に視線を向けた。異常な程白い肌と端整な目鼻立ちだが、周囲は攻撃的な品物がずらりと並んでいる。そして、音源はその人物の手に握られていた。人を殺すためだけに製造された鉄の塊、武骨なフォルムの自動拳銃。
「動作確認するなら言ってくれよな、怖ぇから」
特に表情を作ることもなく、謝罪の言葉を入れた男はソファに全身を預けながら天井に向かって引き金を引いている。勿論、弾丸もマガジンも入っていない。
「帰ってきてたんだ。ザンクはどうだったの?」
名前と実力以外はチェルシーにとっても謎の多い男。レインはあくまで無表情を貫き、
「何の問題もなく始末した」
ーー嘘つけ……。
ケインは内心、口を尖らせたが、チェルシーはへぇ~と嘆声を漏らす。
「それよりも明日の大仕事だ」
チェルシーのスケジュールには明日は大きな仕事はなかった筈だ。疑問が浮かぶ中、それを解決する言葉がケインから出てくる。
「盗賊団と帝国で子供の人身売買が行われてた。それの阻止と子供達を使って何をしてるかの調査だな」
「なにそれ?聞かされてないよ?」
レインは己の軽はずみな言動を後悔してる側でチェルシーは抗議の声を上げている。
「来るのは勝手だが、足を引っ張るようなら構わず切り捨てるぞ」
ケインはレインの以外な反応に驚いていた。いつもなら突き放すのがいいところだ。レインは抗議の声を一刀両断すると、もう一挺の拳銃を簡易的に分解する。大まかに分けられたパーツを手にし、メンテナンスを続ける。
「あ、良いんだ」
チェルシーもどこか拍子抜けしたように呟いた。レインはブラシや潤滑油などを手際よく持ち替えながらパーツ一つ一つを磨いていく。
「来るなって言っても来るだろう」
全てが洗浄され、パーツを組み立てる。鉄同士が円滑に動くかどうかの動作確認を終え、二挺の拳銃をホルスターにしまう。
「来るならケインから情報を聞いておけよ」
チェルシーに向き直り、それだけ告げると盛大な欠伸と関節を鳴らす音を部屋に染み込ませ、部屋を出ていく。
「ケイン、聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
ケインは仕事の情報かと思ったがチェルシーは真剣見を帯びていた。仕事の話ではなさそうだ。質問の内容によっては答えられないこともある。迷った末、
「答えられるものならいいぜ」
という月並みの台詞が紡がれる。じゃあ、とチェルシーは一つ間を置いて、
「さっきの人身売買の話でレインが凄い怖い目をしてたんだけど、何か知ってる?」
レインは自分の話をするのが好きではない。特に過去の話になると、目に見えて機嫌が悪くなる。これは答えるべきではないと判断したケインは上手くはぐらかそうと、
「そりゃ、子供が人身売買されてるなんて話、聞かされたら誰だって不愉快に――」
「不愉快とか嫌悪感とかじゃなくて、憎しみとか恨みに似た感じだった。ケインだったら何か分かるかなと思ったんだけど」
ーーこれが女の勘って奴か……。
チェルシーは困ったように頬を掻く、ケインは知っているだけに複雑な気持ちが芽生えた。その鬱屈な気分を取り払う為、一つ助言する。
「結論から言うと知ってるが答えられない、だな。そういうことはやっぱり本人から聞いた方がいい、何より俺の口からは話せないしな」
チェルシーはその意見に反論する点が見つからず、納得したのか本来の無邪気な笑顔を浮かべる。
「じゃあ、レインを口説かないとね」
上機嫌で退室したチェルシーを見送り、ケインはポツリと呟いた。
「羨ましい」
△▽△▽
同時刻
下世話な話題が一切ない帝都近郊では、夜の冷たい風と張り詰めた緊張感が合わさって、分厚い軍服に身を包んだ兵士でさえ、心身ともに冷えていた。その兵士達の先頭には無精髭を生やした男が立っている。その男が上長の位を持っているのだが、本人はその手のことが苦手で仕方ない。
月の光と同色の髪を持つ女性兵士は、その男の仕事を無理矢理引き継ぐことになった。もう溜息を吐き出すのも面倒になり、いつもより目を鋭くさせて部隊を纏めた。
男は腰に固定させた特殊な刀の柄を愛でるように弄っていた。その刀の名は私怨憤怒・リベンジと呼ばれ、有名なブドー大将軍の帝具、雷神憤怒・アドラメレクと名が似ていると一時期騒がれたものだ。造った者が一緒だとか語り継がれる内に間違ったなど諸説あるが、意外にも
閑話休題。
その男にとっては名の由来はどうでもいい話だ。その刀に込められた吐き気のするような呪いの数々に比べれば。
その刀は名の通り、恨み、憎しみ、復讐、そう言った人間の負の感情を糧に斬れ味を増していく。それ故に歴代の使い手は皆、復讐に人生を振り回された者達ばかりだ。中には復讐を恐れ、ターゲットの親族や知人全てを殺した狂人も居たそうだ。そんな恨み恨まれる世界に身を置いていた刀がどうして自分を選んだかが不思議でならなかった。本来なら復讐しなくてはならない相手も今や義理の父となっている。
男は憂鬱の混じった息を吐き出した。外は冷えてる所為か息は白くなっていく。父のファミリーネームを受け継ぎ、クラウ=リッチウェイとなっている。だが、クラウにはそれを屈辱に思うことも誇りに思うこともない。まるで興味が無かった。クラウの運命は本当ならば“二十年も昔に終わっている筈だったのだから”、その運命の歯車を変えた男。巷を騒がす殺人鬼、その男だけがクラウの人生の目的――否。人生を賭けた標的なのだ。
最後の方にメタネタが入ってましたが、あれはザンクの帝具をネットで調べてる時、ついでに全部見ておこうと思ったら、雷神憤怒・アドラメレク……えぇっ!みたいになりましたね。完全に忘れてて、やり直すのも変だなと思い、ネタにしました。重要な帝具なんですがね……。