レインは目の前の仇敵に何をされるのか、何を聞かれるのか、そんなことを考えることはしなかった。頭を稼働させるには状況が酷であり、精神的にも肉体的にも完全に疲弊しきっていた。
「レイン……聞きたいことは一つだ。クラント博士を知っているな?」
「……なぜ……その名前を?」
「やはり、あの装備は博士の発明品か」
レインは途切れながらも返答した。既に裏付けされているようで、質問ではなく確認であったからだ。そして、これからが本題なのだろう。だが、レインとて口を割るつもりは毛頭ない。自慢ではないが痛みによる拷問は眼前の男により、みっちりと経験している。現状の打開は不可能であっても、起こりうることが分かっているなら準備や覚悟は出来る。歯を食いしばるレインとは対照的にシャドーは熟考から返ってくる気配がない。レインは出鼻を挫かれた思いだった。
目とはただ光を受け取る受光器官ではない。目は口ほどに物を言う、そんな諺があるようにコミュニケーションにおいても重要な役割を果たしている。視線、瞳孔、瞬き、少なからずそれらから相手の心理を読み取ることも可能だ。それを踏まえれば、目がない相手と言うのは何を考えているのかが今ひとつ掴めない。
気が削がれ始めた頃、拷問室唯一のドアが開く。
「シャドー将軍、オネスト大臣がお呼びです」
「クッ!あの狸爺め、早速嗅ぎ付けてきたか……すぐに向かう」
悪態を吐くなり、その頬を綻ばせる。
「まぁいいさ、ではなレイン」
最悪の事態は回避することが出来たことに安堵していると、シャドーは報告に来た兵に指示を出す。指示をだされた兵はレインに近付き、小銃のグリップでレインの意識を根刮ぎ奪っていった。
△▽△▽
「大臣!何のようだ!」
謁見の間の入り口から大声を張り上げるのはシャドー将軍。
「まぁまぁ、少し長くなります。焦らず、入ってください」
いつもより数段機嫌の良いオネスト大臣は丁寧な言葉遣いでシャドーを招き入れる。反して、一刻も早くレインから情報を引き出したいシャドーは露骨に態度を悪くしながらも、定位置である入り口の側の壁に背を預ける。
それに続いて、ヒールが地面を一定のテンポで叩く音が謁見の間に届く。その音にオネスト大臣は頬を緩ませていく。待ち望んだ人物の凱旋、その人物のこれからの活躍、それら全ては大臣にとって都合の良いことだらけだった。
その人物は扉を開ける。毅然とした態度、周りに畏怖や尊敬を抱かせるオーラは女性ながら帝国を生き残り、将軍にまで登り詰めた証とでも言うべき産物だろう。ただ、それは所詮凡人の着眼点、シャドーはそう思わずにはいられなかった。同じ将軍という肩書きだからこそ分かる。オーラや立ち振舞い等は帝国の狂気に簡単に押し潰されてしまう。将軍にまで登り詰めようと思えばそれこそ必要なのは才能や血筋、もしくは帝国に負けないほどの狂気、自分の良心を如何に殺せるかになってくる。上官に上がれば上がるほど、帝国の吐き気を催すような闇を目の当たりにすることになる。その時、その闇を許容できるか否か、もし許せずに大臣の敵に回ってしまったら最後、利用され捨てられる。要は柔軟性が大事ということだ。その環境下でも己のスタイルを維持し続けられるのが、その女の怖い所である。
謁見の間にて軍帽を手で抱えている女将軍、エスデスの腹の底に沈められている狂気は普通ではない。本来、禁忌感や不快感を感じずにはいられないことを平気でやってのける。レインと似ている、シャドーは個人的にそう感じていた。もし、レインが“あの日”、帝国を逃げるような真似をしなければ、確実に将軍まで登り詰められただろう。レインの面影をエスデスに重ねていると時間が随分経っていたようで、皇帝とエスデスは既に話終えていた。
「地下に籠るのはもう飽きたか?」
エスデスがシャドーの隣に並び、流し目でそう問い掛ける。少なくともエスデスが知る限り、征伐で北方に出向く前は地下から出てくる気配すらなかった。
「少々事情が変わってな、お前の方こそ随分と早い帰還だな?」
北方異民族には帝国も手を焼いていた。だからこそ切り札であるエスデス将軍を投入した。エスデスと言えど、征伐に一年は掛かると予想されたが、その予想を裏切り、半年という早さで制圧したのだ。シャドーはオネスト大臣の上機嫌の理由の一つはこれだろうと感じていた。
「全く、誰なんだ、あれを勇者と呼んだのは?期待外れもいいところだ」
エスデスは至極つまらないという様子を見せた。この世でこの女を満足させられる者が果たして居るのだろうか、数々の強者を目にしてきたシャドーであるが思い当たる者はない。レインならば可能性はあるが、下手に人間的に成長したレインは戦士としては不出来であり、エスデスの下位互換程度に収まってしまった。
「誰しも前を向くには希望や可能性が必要だ。お前さんの殺したその勇者は異民族達にとっては帝国を倒せるかもしれないという小さい希望だったのだろう」
「あの程度が望みとはな……」
その瞳にも声色にも深い嘲りの感情が込められている。それを取っ払うと薄い笑みを張り付け、
「ではな、
シャドー、それは親の名付けた名ではない。まだシャドーに目があった頃、加えるなら、まだ、まともだった頃、シャドーは既に将軍という地位を明確なものにしていた。身を粉にして、帝国に尽くし、武勇も数えきれない程持っていた。だからこそ、帝国の非道な行いの数々を許せずにいた。当時、悪の元凶はオネスト大臣とは別の男だった。三十年も昔の為、現皇帝やエスデスは生まれてもいない。ブドー大将軍もその頭角を現す少し前の話だ。
▽△▽△
三十年前、時は違えど、帝国は今と然程変わってはいない。権力や財力のある者は更に裕福に、何も持たぬ者は更にどん底に落とされていく。そんな弱肉強食のルールは変わってはいない。帝国の腐敗政治だって、大した差はない。その環境でも心を汚すことなく、将軍まで成り上がった男、キューテ=リッチウェイ。後にシャドー将軍と呼ばれる男だ。兎に角、腕っ節が強く、単細胞と称されることもあったが、その真っ直ぐさが作用したのか、段々と周囲から認められていった。
キューテを倒せる者はいない、全盛期のキューテはそう噂される程までに強くなった。自分の力が認められ、称賛される度に快感を感じていた。自分が多くの者の目に触れている。その事実が彼の支えでもあった。そして、民の悲痛の声に応えるべく、帝国内部に蔓延る害虫の駆除に乗り出した。民を苦しめる者を消して回る日々は更に民からの支持を得ていった。それが結果的にキューテの首を絞めることになるとも知らずに。
いつもと変わらない。キューテはその日をそう感じていた。いつも通り、部隊を引き連れ、一人のターゲットを始末した。民を助けるとは言え、人を殺して気分の良い者などそうはいない。短い黙祷を捧げ、その場を去ろうと振り向いた瞬間の出来事だった。顔に鋭い痛みが走り、この一瞬で光を失った。何が起きたのかを理解しようと懸命に努めたが理解できることは少なかった。分かったのは両目を斬られた事位なものだった。
「あなたは調子に乗りすぎた……」
裏切った部下達は冷酷に告げた。理解が追い付かない、得た情報は正しく処理されることはなく、頭の中を何度も反芻する。結局、理解には及ばなかった。殺されることはなかったが、適度に痛め付けられ、視力を失ったキューテはこの時を以て表舞台を降りることとなった。
後日、部下の中でも特に信頼していたディロンとナム、両名が報告を兼ねて病室へと参りに来た。当然、信じられる訳がない。部下に裏切られた挙げ句、その目を奪い去られた。民から期待される将軍でも、精神は二十代前後の青年だ。心が折れていてもおかしくはない。
「なら、俺達が目になりますよ!」
「私とディロンは貴方に憧れて、軍に志願したんですよ」
彼等の必死さは声に乗ってキューテの耳にも届いた。だが、信用はできない。心の奥底では何を考えてるかは分からない。前までは部下を疑うなど有り得ない話だったのが、今では一番信頼していた二人を疑う始末だ。
「話だけでも聞いて頂けますか?」
「…………ああ」
キューテ=リッチウェイ、その男は帝国の象徴と言っても過言ではない程に民から慕われていた。同時に帝国にとっては恐れる存在へとなっていた。ましてや、民を想う良心すら持っている為、利用すら出来ない。それに戦で負けなし、暗殺するとなると難しい。ならば、彼の死角から、予想だにしない所から仕掛ける必要があった。
そして、目を付けたのが忠臣だった。忠臣の中から金に困る者、手段を選ばない者、様々な穴を突き、信頼の厚い忠臣を崩した。そして、あの事件が起きたのだ。殺さなかったのは単純に戦で負けなしのキューテが戦死した、では民が納得しない。弱体化を図ることで将軍という地位を時間を掛けて、ゆっくりと引きずり下ろしていく。それが帝国の目論見であり、キューテが生き残った理由だ。
ーー忠義は!?恩義は!?
声にして叫びたかった。光を受け取ることの出来なくなった瞳からは涙が零れ、医療用の眼帯に染み込ませていく。部下一人一人を家族のように接して得た信頼は金で買収出来てしまうものなのか、利益を促す甘言で奪い去られていくものなのか、裏切られたことがキューテの純白な心に黒い染みを作った。国の策略によって嵌められたことが、その染みを飛躍的に増殖させた。
帝国の予期せぬ変化がキューテの身に起きていた。キューテ=リッチウェイはここで緩やかに落ちていくというのが帝国の当初の筋書きだった。逆に復讐に出たならば、国に仇名した悪漢として葬り去ればいいだけの話だ。キューテは諦めも感じたし、やりきれない思いもあったが、変わり行く心境の中で感じたのは狂気。自身の中で渦巻く巨大な狂気の禍を感じる一方、その隣では平気な顔をした自分が居る。白でも黒でもない境地へと至ったのだ。後にその精神的な変化は身体的変化をももたらすことになる。
「……ディロン……ナム……」
ディロンとナムも目の前の人物の変化に気がついた。その現象に唖然としていて、遅れて返事を返すと、
「俺の目になると言ったな?」
ナムは息を飲んだ。信用を取り返すためなら、自分の眼を抉り出すことも厭わないと思い、この病室を訪れた。恐怖で小刻みに震える人差し指と親指を眼へと持っていこうとした時、
「妙な事はやめろ」
キューテの言葉で我に帰った。全身から夥しい量の汗が流れ、それを拭っていると、
ーーなぜ、分かった?
額から鼻まで痛々しい傷は白い包帯で包まれ、視力を失った目は眼帯で覆われている。キューテはナムが感じる疑問に淡々とした口調で答えていく。
「お前達がどれだけ俺を思っているかは知っている。それに俺は目が見えない身だ。誰かに頼らなくてはならない」
言葉を切り、両手をディロンとナムが居るだろう場所に差し出す。
「お前達を頼っていいか?」
先程までの疑問など吹き飛び、ディロンとナムは自分達が泣いている事さえ気付かなかった。凛々しく、分け隔てない良心を持つヒーローのような存在であり、それに憧れた。その人物が自分を頼ってくれる。自分の力が役に立つ。忠臣である二人は拒否の意は微塵もなかった。そこに衝撃の一言を口走った。これからの行動方針とも言える一言を。
「──────」
ディロンとナムは言葉を失った。その壮大な考えもそうだが、その心が完全に堕ちてしまったことだった。先程、手を向けられた優しい雰囲気は遥か彼方へと消え、怒りと狂気が混濁した雰囲気はキューテと同じ身の上にならなければ理解することは不可能だと感じた。良心と隣り合わせに存在する狂気はある意味では二重人格とも思えた。それでも、ディロンとナムの心は揺れることはない。
「付いていきますよ、最後まで」
「俺も同意見ですよ、ボス」
それから三人は名を変えた。ディロンとナムはキンとギンへと。そして、キューテ=リッチウェイは
▽△▽△
怒りにも似た感傷が胸を過る。それを煽るようにオネスト大臣は現れた。
「例の殺人鬼を捕らえたと耳にしましたが?」
シャドーは汚れ仕事を他人に押し付け、それにより甘い蜜を啜る輩が得意ではない。殺意が湧くほどに。
「事情聴取の途中だ、用が終わり次第こちらで処理する」
沸々とした殺意を出さぬように注意を払い、言葉を吐き出した。
「そうですか、そうですか。それは良かった!」
オネスト大臣の頭はお花畑状態なのだろう。鼻歌と共に去っていく。その背中を幾度となく襲撃しようと考えた。だが、まだ帝国の殻が必要だ。将軍というポストのお陰である程度は自由に出来るからだ。まだ我慢だ、そう自身に言い付ける。クラント博士の身柄を確保した暁には自軍の戦力が跳ね上がるのだ。悲願の成就はもうすぐそこだ。レインの元へと帰る足を速めた。