レインは忍び寄ってくる黒い人影から特定の人物への確信を得た。灯りの届かないこの牢だが鉄格子の中を覗き込もうと近くなった顔は平均を優に越える顔立ちだ。そして、それを飾り付けるのは赤いリボンの付いたヘッドホン、それから棒の付いた飴玉であった。
「チェルシー……っ!」
歓喜の声を上げようとするが腹部に鋭い痛みが流れる。蹲るレインを尻目にチェルシーは入り口に掛かっている蝋燭に火を点けた。先程よりは良好な視界を手に入れたがそれが仇となった。
「……酷い」
レインの全身に痣が広がっているの見て目を伏せた。左手の指先は肉が抉れ、白い何かがこちらを覗く。チェルシーに医学的知識は然して無いが、それが見えてはならないものだと分かった。それを裏付けるようにレインはその患部を苦しそうに抑えている。
「問い詰めるのは後にしてくれ」
「……その方が良さそうね」
チェルシーも弱ったレインを責め立てる程鬼ではない。それにチェルシーは闇雲にレインを助けようとしていただけではない。地下の区画を調べ、外へと繋がる搬出口も見つけてある。そして、脱出の妙案も用意している。それら全てをレインに伝えた。
「そいつは……上出来だな」
痛みに引き攣らせているのか、笑みを浮かべているのか、判断の付かない表情をしている。恐らくは前者なのだが、チェルシーはそれを気にすることもなく、
ーーよし!
レインの言葉に内心ガッツポーズしていた。やっと認めさせた、と。ただ、喜んだのはほんの寸刻だ。レインの顔を見て先程突き付けられた言葉を思い出す。
答えることの出来なかった問い掛けに体を硬直させたのを覚えている。喉が蓋をされたように言葉が出ず怒りで火照った体が一気に冷めていく感覚も思い出せる。幸いにも警備が入れ替わる時間まで計画は進められない為、時間自体にはゆとりがある。チェルシーは意を決し、話を切り出そうとした時、
「何か話をしてくれないか。そうだな……君の事を話してくれ」
唐突な注文にチェルシーはあたふたと驚いた。暇を持て余しているのはどうやらレインも同じらしい。まさに今、会話を振ろうとしていて、自分の事を聞かれるという想定はない。レインは元来より自ら口を開けることは殆どない人間だ。それほど弱っていると言うことなのだろう。
「え、私の話?特に面白い話なんてないよ?」
チェルシーは人差し指を自身に向け、少し申し訳なさそうに答えた。取り立てて話すような事はないように思えたチェルシーだったが、レインにとって面白味は重視していないらしい。単に気を紛らわしいたいだけのようだ。
「なぜ、暗殺者に?」
困っているチェルシーを見て、レインは抽象的な質問をより具体的にした。チェルシーは躊躇していた口を開けた。
「地方の役所勤めをしている内に色々見てね」
果たして“色々”とはどれだけ凄惨な光景だったのか、レインにとって想像するのは容易かった。レインもそういった光景の一部だったからだ。
「そして、これを見つけたの」
チェルシーはガイヤファンデーションを手に取り、更に言葉を続ける。
「その時、殺した太守が初めての暗殺……だったかな。次に来た太守は思いやりのある人だったから国は平和を取り戻したの」
「それから革命軍に?」
「革命というよりは自分の力で救える人が居るなら、自分の力で平和を取り戻せるなら、と思って志願したの」
チェルシーは自身のキャラから外れた発言に悶々としたものを覚えていた。それとは正反対にレインの瞳は尊敬や羨望を織り交ぜた様な崇高な者を見る目をしている。
「立派な事じゃないか。その信念が有る限り道を踏み外すことは無いだろう」
レインは戦場に身を置いて長いが、ここまで他人を思える暗殺者は少ない。殺害が及ぼす精神的ショックは心に傷を負い、一生心を閉ざしてしまうケースもある。例えそれが誰かの為の殺しでもだ。そんな稼業でも心を壊さないのはチェルシーの精神的支柱がしっかりと根を張りチェルシーをブレさせないようにしている証拠だろう。決して訳もなく人を殺めないように。
チェルシーは正面から褒められることへの耐性が薄いのか、髪を弄ったり、必要以上に飴を舐めたりしている。不安定な行動を取っていると肝心のレインの事が一切聞けていないのを思い出し、動きを止めて少し震えた声で問いを投げ掛ける。
「じゃあ、レインは?」
表情こそ変えないものの露骨に嫌というのが見受けられた。レインの過去に壮絶な事があったのは知っているが、チェルシーも答えたのだからレインも答えるのが筋と言うものだろう。それでも渋るのでレイン同様に具体的な質問に切り替える。
「名前は?両親から貰った名前」
チェルシーは本名を聞きたがっているらしい。レインも答えたいのは山々だが、当の本人も知る由はなかった。レインという名の名付け親は他でもないレインなのだ。それを隠すわけでもなく、
「名前も両親も知らない。名前は自分で付けたし、自分の面倒は自分で見た」
レインは抑揚のない沈着とした調子で語っていく。傷に響かないように配慮したのだろうが、話の内容が内容なだけにチェルシーの寂寥感を煽った。それでもチェルシーは質問を続ける。少しでもレインを知るために。
いくつかの質問を経ても曖昧な答えばかりでチェルシーの中に迷いが生じる。心を人から遠ざけてしまったレインをどうすれば救えるのか。そもそも、何がレインにとっての救済になるのだろうか、それすら分からない。それでも、諦めは生まれなかった。己の精神的な大黒柱は人を救うことにあり、それはレインも例外ではない。ここで諦めたら誰がレインと向き合うのだ。殺人鬼と恐れられ、蔑まれてしまうレインと誰が向き合うだろう。
「何を吹き込まれた?」
レインは質問攻めに合うのはいい加減うんざりだ、とでも言いたげに項垂れた様子で言葉を吐いた。今までの機械的な淡々とした口調よりも、面倒そうながらも感情の込められた声は人間であることを示している。
「別に何も、ただ知りたいって思っただけ。それじゃあダメかな?」
可愛らしく首を傾げて見せるが、レインは疑念の目を寄越すのみだ。それにタイムリミットも既に迫っていた。それらを踏まえてチェルシーは言葉を紡いだ。
「じゃあ、最後の質問いいかな?」
レインは苦痛に顔を瞬間的に顰めたが、これで解放されるなら、と質問を促した。
「レインは迷ったりしたらどうするの?」
レインは目をチェルシーへと向けた。今までの質問とは方向性が大きく変わり、過去を掘り起こす事ではなく、友への相談のように伺えた。チェルシーから目を離すと考えるような素振りを見せ、
「戦場では迷った奴から死んでいく。生き残ろうと戦っていると迷うことはなくなる」
レインは三十手前という若さだが、既に幾つもの修羅場を潜り抜け長年戦い続けてきた。その歴戦の戦士特有の感覚故常人から理解は得られないが、戦いを愛して止まない戦士はそう語る。チェルシーも全てを理解できた訳ではないが迷ったら死ぬというのは理解した。
「そうだね……分かった」
チェルシーは心中で一段落を付けることが出来た。心の切り替えも済み、チェルシーは行動を開始した。酸化して赤黒くなった血にコーティングされた壁掛け時計に目を遣る。後数分もすれば見張りの交代になる。チェルシーは独房の機械仕掛けの錠を解錠する。鉄の擦れる音を出し、後続して牢の開閉音が響く。久しく解放されたレインは徐に立ち上がり、のっそりと牢を出た。体の関節からは音が鳴り、体の調子を確認した。
全身に広がる打撲痕はどれも軽傷と呼べるだろう。それでも動きに支障を来すのは免れないが、左指の問題に比べれば些細なものだ。肉が欠損し骨が露出してしまっているのは芳しくない状況だ。放っておくと病の併発も考えられる。
チェルシーはその身を一人の兵士へと変貌させるとパックバックから包帯ではないが布切れを差し出す。無いよりはマシだろう程度に思いながらそれを指へと巻き付ける。惰性で断続的に流れる血が布へ染み込んでいく。
後はチェルシーと共に入ってきた見張りの一人から兵装を奪い去るだけだ。倒れた兵士に近付くと殺されてはいない、気絶もしくは寝ていると判断した。血に濡れていてはさすがに疑念の目を向けられるだろう。勿論チェルシーはこれを見越して無力化という選択をしたのだ。
軍服を身に纏い装備していた近距離戦闘用の突撃銃を借りることで完璧な変装を実現した。チェルシーの物に比べると少々出来は悪いが正しい振る舞いをすれば簡単に見つかることはないはずだ。出血しているせいで血の臭いはあるがその程度なら誤魔化しは効くだろう。気絶した兵は手足に口を縛り独房に放り込み施錠する。
チェルシーはナイフを数本こちらに手渡す。必要に迫られて殺す場合はこれを使えということだ。そして、ナイフは早速役目を果たす時が来た。交代の時間がやって来たのだ。入り口の蝋燭の火を消し、銃床を握る手にナイフを隠し持つ。チェルシーも同様の準備を整えると扉が開いた。入れ替わりの兵とすれ違い一秒にも満たない時、二人は振り返り兵の口を抑え、隠していたナイフを首許へと深々と差し込む。筋肉と骨の頑強な鎧を突き破り、神経の束を断ち切っていく。口からは痛みを訴える叫び声の代わりに生暖かい息だけが漏れだし、首からは酸素を含んだ動脈血が壁一面を上塗りしていった。
腕力で物を言わせたレインに対し、チェルシーは骨と骨の僅かな隙間に一突きした。説明すると簡単に見えてしまうが体表の上から骨と骨の合間など見えるはずもない、その時点で難易度の高さは見て取れる。加えて言えば、骨と骨の隙間は本当に針一本と言える。正しく針を穴に通す繊細な作業を振り向き様にやってのけるのはチェルシーが優秀な暗殺者であることが分かる。倒れた男もいつ死んだのかも分からないのか、無機質な瞳は虚空を見つめている。
全ての地金を血液で多い尽くしたナイフを捨て、何も無かったように歩みを進めた。
△▽△▽
レインは敵に扮装した姿で単独行動に移していた。そもそも、施設内には人が多いこともあり警備兵を
ーー回収されたか。
あれだけの性能を発揮する防具は帝具と同等の扱いを受けていてもおかしくはない。となれば、既に解体し中に詰まっている技術の解明に手を掛けている頃だろう。強い閉塞感に苛まれ、苛立ちは更にエスカレートしていった。
居心地の悪さに息苦しさすら覚えていた時、目当ての部屋を見つけた。武器管理を行うその区画には不用心にも扉のロックはない。出来るだけ自然体を維持した。まるで実家の扉を開くのと同じくらい緊張感のない手付きで扉を開けた。すると驚いたことに哨戒兵もいない。寧ろ、トラップすら疑い始めたがそれを気にしてはキリがない。最低限の注意だけ払い、装備を取り返した。だが、またしても問題が発生した。拳銃ならば懐に仕舞えばいいのだが、刀はどうしようもなかった。上手い言い訳を付けようにも声を発すると存在が悟られる可能性がある。捨てるか迷ったが、チェルシーの記した地図によると出口までの距離は近い。手放すのも惜しいのでなるべく自然に運ぶことにした。
哨戒兵をやり過ごしやって来たのは、出口と呼ぶにはサイズの大きい搬出口と表示されている地上へのルートだ。一体何に使うんだと思いながら見上げていると等間隔に響く足音。ここには哨戒兵はいないとすると残るは相棒のみだ。
「どうだった?」
「問題はない。が、やはりアーマーまでは見つからなかった」
そこは端から予想済みなので仕方がないと割り切り長い通路を進んだ。幅もトラック数台分はあろうかと言ったところで、実際に両端は壁より最初にトラックが並んでいる。
それを観察しながら扉に辿り着くと扉の開閉を管理する電子ロックを見つける。こういう時、クラントならば難なく開錠してしまうのだろう。だが、生憎にもレインは機械の類いが得意ではない。どうしたものかと悩んでいるとチェルシーが自信ありげに歩み出た。
「分かるのか?」
チェルシーは勿論と答えて見せた。事前に調べ上げた訳ではなく、手引きした男に聞いたパスワード故にあまり自慢げにもできないし合ってるのかも怪しいが、そこは信じるしかない。
巨大な扉はそのサイズに見合った音が発生する。ここまで来れば感付かれようが既に遅い。脱出を目の前にしてレインはここまで上手く行くものだろうかと不審に思っていた。警備が緩かった訳ではない。チェルシーの持つ帝具と潜入のスキルは折り紙付きだ。それでも何か胸騒ぎのようなどうしようもない不安感を煽られる。
ふと、背後を見渡すと歩んできた長い通路と陳列したトラックなどだけが視界を埋め尽くす。差異はあるが殆どが鉛色で構成される中、一つ輝いた。流れ星のように一瞬で何かは分からなかったが、レインの勘あるいは経験が警鐘を全力で鳴らした。それに従いチェルシーの体を強く押し自身も後方へと跳び退ける。その判断が少し遅ければ、目の前を通過した弾丸の餌食になっていた頃だろう。互いに左右のトラックへと身を隠した。
「狙撃か……」
レインが目にしたのはスコープに反射した光のようだ。今もなお扉の開閉は続き、あと一歩で自由の身だったと言うのに。眉の辺りに苦渋の線を彫り、突破口を探すべく頭を回転させた。
アカメが斬るの!の世界観が崩壊しつつありますね。トラックとか電子ロックとか出てきましたし……。
今後もこの程度の投稿ペースになりますが悪しからず。