殺人鬼は何を斬るのか   作:勇者あああああ

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狙撃は寝て待て

ソラと呼ばれる女性は優秀な狙撃手(スナイパー)であった。ましてや数百メートルの距離で外すなど有り得ないほどに。

 

ソラは初弾を外した苛立ちを舌打ちとして現した。使い終わった薬莢を排出し新たな薬莢を装填する。着弾まで1秒程度の高速でやってくる物体をどう躱したのか、という謎だけが残った。まず、今のは外したのではなく躱されたと言うべきだろう。だからと言って、銃声を聞いてから避けたと言うなら最早こちらに打つ手はない。だが、それはまず無理だろう。そんなことが可能な身体能力なら捕まることはなかったはずだ。直感というのも些か納得のいかない見解である。なら答えは一つだ。隣に立つ上司兼観測手(スポッター)の男に原因がある。スコープから目を離すことができないソラだが概ね確信していた。そして、事実隣に立っているクラウの覗いているスコープは光を反射させこちらの位置を知らせることに努めていた。

 

やはり連れてくるべきではなかった、そう後悔しているソラだった。そもそも、狙撃に関しては素人同然のクラウに観測手(スポッター)を任せようと思った自分が悪い、諦めて一人での狙撃を実行しようとグリップを握り直した。狙撃手(スナイパー)は基本的に二人一組(ツーマンセル)、もしくは三人一組(スリーマンセル)で動くことが多いが今はそこまで厳戒態勢になる必要はない。なぜなら、こちらが断然有利なのだ。それに餌はもう撒かれている。その餌に食い付けば、人間には反応できない速度で相手の射程外から一方的に弾丸を叩き込めばいい。餌を前にじっと耐えるなら、もうすぐ駆け付ける増援の物量で押し潰せばいいだけの話だ。それにクラウには下がってて、と叱咤済みだ。もう幸運が訪れることはない。

 

ーーさぁ、出てきなさい。

 

後は待つだけだ。いつものように、動くこともなく、ただひたすらに待つだけだ。

 

△▽△▽

 

レインはまともに動くことも出来なかった。迂闊にトラックから飛び出せば、頭は西瓜を割ったような光景になるだろう。出口は目の前だというのに。餌を前に待てを続ける犬とはこのように耐え難い心境なのか、と感じていた。チェルシーも変装の必要性を感じなくなったのか元に戻っている。そして、向こうも為す術がないと言った苦悶の表情を浮かべている。

 

レインは嫌な汗が全身から流れていることに気が付いた。死に近い体験をしたせいか、全身に夥しい量の汗が流れている。変装に使った目出し帽を外し、手元にある物を再確認する。刀にナイフは言うまでもなく使い物にならない。自動拳銃と突撃銃があるがどちらも近距離戦闘には適している。だが、狙撃戦では話にならない。射程は高々十~二十メートル程度なのだ。物によれば二キロ先に赤い花を咲かせることの出来る狙撃銃とは不利有利を論じるのも馬鹿らしい。なにより最もこちらが不利を被っている要素は位置の悪さだ。向こうは視界の良い高台を見つけており、そこからいつでもこちらを狙い打ち出来るのだろう。狙撃手(スナイパー)は位置取りで勝負が決まるというのは冗談ではなかったらしい。これでは完全に詰みである。

 

チェルシーも打開策を模索してはいるが状況が悪すぎる。こうなれば一か八か──

 

ーー駄目だ、駄目だ!

 

頭を振り強く歯軋りすることで、なんとか痺れを切らさずに済んだ。向こうはこういった無茶な動きを待っているのだ。危うく敵の術中に嵌まりかけたチェルシーだが、このまま黙っていても始まらない。先程から永遠に無茶な策と一旦落ち着けという自分の声がループする。始めからあの男を信じるべきではなかったのだ。全く、最近詰めが甘くなったなと思う機会が増えた。恐らくはレインに感化された部分もあるだろう。ここ数ヶ月ぬるま湯に浸かり続けたツケを払わされる時が来たのだ。

 

ーーごめん、助けにきたつもりだったのに……。

 

そう思いながらレインに目を遣ると行動を起こしていた。その男の顔は危機に脅かされて動いている顔ではない、確かな希望の糸を掴み這い上がる顔だった。

 

レインは隠れていたトラックを漁っていた。どうやら兵員を輸送するトラックらしく、中にはまだ武器の類いが残されている。

 

ーーこの最悪な状況を打破できる物は……。

 

銃はあるがやはりどれも近距離戦や中距離戦を想定されたもので都合よく狙撃銃などは放置されてはいない。仮に狙撃銃があったとしても、先述した通り位置の悪さがある。加えて狙撃手としての腕の差が出てしまうだろう。レインは刀や銃に埋もれた中に手を突っ込んだ。キラリと光る鉄が見えたのだ。掴むと片手で持ち上げるのが困難な程に重い筒だ。ただ中には人ならば木端微塵にすることが出来る砲弾が内包されている。

 

ーーこれなら、可能性自体はある……か。

 

考えたがやはり怪しい所だ。それでも相手に届く武器が手に入った。これを上手く使うしか希望はない。なにより、チェルシーをこんな地獄に招いたのは自分が原因だ。彼女だけでも逃す、そう決意し策を組み立てていく。

 

△▽△▽

 

ーーそろそろ痺れを切らすか。

 

ソラはこれまでの経験上耐える訓練を受けていない相手なら半刻と持つ者は居なかった。あの男もまた、こちらの様子でも伺おう等と愚かな選択を取るのだろうか、どこか物悲しげな目でスコープを覗いていた。

 

△▽△▽

 

ソラは男という生き物に対して強い偏見を持っていた。それは過去の悲惨な経験からきている。まだ少女の時分であった頃、一家は盗賊に襲われた。父は数人殺したが弱っていたところを殺された。母と少女は抵抗したところで特に結果は変わらなかった。適度に痛め付けられ、反抗しないのを確認すると目の色が変わった。非常に下卑た目だった。少女は理解出来ず母は何かを察したのか怯え始め、その体を震わせた。

 

絶望だった。獣欲に突き動かされた盗賊達は女を消耗品としてしか見ていなかった。人間性、それはここまでの事が出来るのか、少女は絶望と苦痛の中で幼い心が変わっていくのに気付くことはなかった。

 

少女の一家は一つの小さな集落に属していた。そして、その集落の家畜小屋には女が詰められていた。お前達は家畜だ、俺達に飼われなければ生きることも儘ならない、そう洗脳するように放置され、飯と称して家畜のエサが出された。

 

数日経つと逃げ出す者も現れたが、発砲音とバタっと何かの倒れる音だけが聞こえ奴等が入ってきた。お前達の責任だ、そう怒鳴り付けて穴だらけの死体を家畜小屋で磔にした。それは紛れもなく先刻逃げ出した者だった。違うのは穴だらけになり、死臭を纏っていたことだ。

 

翌日、家畜小屋は死臭と集る蠅で埋め尽くされていた。それに充てられて吐き出された嘔吐物の臭いも混濁し、正気を保つのも難しい空間だった。地獄の片鱗を味わった少女は憔悴しきっていた。その心を蝕む“声”があった。それは殺せ、殺せ、と呟き続けた。犯されたくないなら刃を突き立てろ、蹂躙されるのが嫌なら銃を取れ、死にたくないなら殺せばいい、少女の幼く脆い心に生まれたばかりの自制心が崩壊するのに時間は掛からなかった。

 

その日の夜、数人の女が呼び出された。男達のお楽しみには必要だからだ。少女も呼ばれた一人だった。随分従順になったな、磔の効果が出たかと男達は油断していた。その状況で“声”はまたしても言葉を紡ぐ。凶器は転がってるぞ、好きなのを取れ、と。その言葉通り周囲には男達の装備が疎らに落ちている。男の隙を突いて、咄嗟にナイフを背中に隠した。ナイフを持った瞬間、少女の小さな脳に多量の情報が流れ込む。持ち方、力の入れ方、振るい方、少女は混乱も覚えたが目の前に迫る男を見て、防衛本能と新しい知識が相俟って刺した。それも少女の力で致命傷を与えられる柔らかい眼球に。男は予想していない反撃に対応も出来ずに叫んで転げ回っている。

 

「おいおい、どんだけ激しい……あぁ?」

 

男は連れをからかおうとしたところで視界が狭まったのに気付いた。男は薬でハイになっていたこともあってすぐには気付かなかった。目に何か入った、そう思い手を目に持っていくと大きな鉄があった。それも鉄塊ではなく、人の手で綺麗に形作られた、人を傷付けるための物だと気付いた瞬間、左の眼球が爆発したように熱を持った。その爆発に伴い男は膝から叫び声と共に崩れ落ちる。

 

部屋の残り二人の男も異様な雰囲気に目を遣ると脳天に高速で何かが飛んできた。だが、それが何かを考える為の脳は高速で飛んできた何かによってぐちゃぐちゃにかき混ぜられた後だった。

 

少女の手には男達の所持していた拳銃がすっぽりと収まっていた。勿論少女は銃を握るなど初めてだ。ナイフを手にした時と同じ現象が銃を手に取った時にも訪れた。使い方を一瞬で理解したのだ。少女は硝煙が漂う銃口を死体へと下ろし、更に数弾打ち込んでいく。確実に止めを刺すためか、恨みが爆発したのかは分からないが漠然と引き金を引き続ける。そして、マガジンに詰められた鉄が無くなり幾分か軽くなった拳銃を放り投げる。少女を除く女性達は状況を理解出来ず、ポカンとしている。それは少女が悪役の笑顔を無理矢理張り付けたように歪な笑みを浮かべていたからだ。

 

それから少女は母を助けるでもなく、父を弔うわけでもなかった。ナイフと銃を両手に集落を出たのであった。少女に変化をもたらした“声”も最初から居なかったように消えていた。それからは“声”によって得た禍々しい狂気と少女らしからぬ技術で各地を転々とし、帝国軍にスカウトされた。ここならば男尊女卑などの下らない思想はない、実力主義者の聖地とも言えた。ここで自分を活かせる場所を探した。それが狙撃手(スナイパー)だった。時にヘドロや下水の通る溝に這いつくばり、時に虫やら雑草を食し、時に糞尿を垂れ漏らしながらも射撃態勢を維持する。いつ現れるかも分からぬ標的を待つために。そんな不快な環境下でも耐える事が出来るのは生きることが彼女にとってのプライドとも言えたからだ。その忍耐力を買われ、帝国で一二を争う狙撃手(スナイパー)へとなったのだ。

 

△▽△▽

 

ソラは我慢強く耐え続ける標的をスコープで監視し、昔懐かしい思い出と一緒に待っていた。今となって考えれば、あの“声”は消えたのではなく自身の中に溶け込んだのだろう、技術として、また意識として。その“声”が久しく叫んだ気がした。来るぞ、とあの時の盗賊連中に襲われた時よりも大きな声で警告する。スコープから見える光景は数分ぶりに変化を見せた。標的の男は布を巻き付けた左手のみを地面に着けて射線に現れた。アクロバティックな動きではあったが正確無比なソラの射撃技術から逃れる程の速さも意外性もない。だが、右肩に担ぐ黒光りする筒の危険性はソラの心臓を跳ね上げさせた。それが起因し、レティクルが僅かにずれた後に引き金を引いた。ボルトアクション方式のスナイパーライフルは面倒な動作を必要とし連射性能を捨てるが、精密性と弾道直進性は他の銃の比ではないのだ。つまり外せば致命的なミスになる。放たれた弾丸はレティクルの示す位置へと着弾した。

 

△▽△▽

 

行け、レインはそう叫ぶと同時に痛々しい左手を酷使して飛び出した。自分の命を優先するなら、こんな無謀な策は取らなかっただろう。レインは自分の荷を未来ある若者に背負わせるのが腹立たしくてならないのだ。チェルシーは一瞬躊躇ったがレインの意を汲み取るように駆け出した。

 

本来なら狙いを付ける優先順位は帝具を持つチェルシーが高いのだが、今、レインの右肩に担ぐ切り札がレインの優先順位を引き上げている。もし、チェルシーを撃つなら、筒が火を噴き上げ砲弾が直撃するか、直撃せずとも圧倒的な熱量に肌を舐め回される。どちらにしろ無事では済まない。

 

そんな考えの下に跳び出したレインだが、敵方の狙撃手(スナイパー)は始めに男から殺すことを決めている。レインの深読みも虚しく、一発目の銃声が地下空間に轟く。だが、着弾した位置は急所ではない。レインの唯一地面に接地していた左手の手首だ。その痛みは今までの痛みに比べれば、耐えられないものではない。しかし、手首であっても侮ることは出来ない。着弾の衝撃が血管を逆流し、心臓を止めることもある。レインの体が小柄でないのでそうはならなかったが。

 

宙で体勢を崩したレインは左肩から転ぶように右肩へ滑り、器用に足をあるべき地面へと戻した。左腕の痛覚がもたらせる最大限の痛み、銃弾がいつ自分のこめかみに穴を開けるのかという恐怖を同時に脳で捌きながらも砲身の如く太い筒を狙撃手(スナイパー)の位置する高台目掛けて引き金を引いた。

 

レインが引き金を引く数秒前、ソラはコマ送りの世界を体験していた。排莢する慣れた手付きも遅く、スコープから見えるのは男の精悍で高潔な目とこちらに向けられた砲口だ。標的を優先するか、自身の命を優先するか、ソラにとっては迷うべき事項だった。標的は男だ。男に抱いてきたのはどれも平等な殺意だった。だが、なんだあの男の目は、ゆったりと流れる時の中で男に対して迷いが生じた。あの時の盗賊のような獣欲にまみれた目でもなければ、オネスト大臣のようにおぞましく底の見えない悪意も宿していない。男に対して初めて持つ感情、純粋な戦意だった。どちらが戦士として優れているのかを試したくて仕方がない。

 

ここまで奇異な体験をしておいて、それがどうでもよくなるような感情がソラの中で萌芽した。戦意の赴くまま戦うのもよかったが、男が手負いであってもらっては勝とうがこの戦意を収められる自信がない。仕方ない、レティクルを射出された砲弾に向け引き金を絞る。丁度レインとソラの中間点で中に詰まっていた熱量が炸裂した。ソラは顔を覆い、レインは筒を手放したが圧倒的なエネルギーの塊をどうすることも出来ずに受け止め、搬出口を大きく飛び越え搬出路まで飛ばされた。黒い煙が場に立ち込め、狙撃は難しくなった。それでも満足げな笑みを浮かべた。

 

ライフルを大まかなパーツに分けていき、ケースへとしまう。その顔には普段からは想像も付かない程の笑みが浮かべられている。こんなに健やかに笑ったのはソラも初めてだった。元から整っている顔の為、それは大層映えるのだが、普段を知る者には不気味にしか感じない。

 

よく思い返せば、ソラは周りに不思議な男が多いなと感じた。身近で言えば隣にいるクラウもその一人だ。感情の豊かな男ではあるが、一度も目に感情を宿したところを見たことがない。まるで死者とも言えるだろう。己が死んだことを理解できないで現実世界をさまよう哀れな亡霊のような。そんなことはありえない、と下らない考えを頭の隅へと追いやった。それよりも初めて明確に出来た敵に喜びを覚えていた。

 

ーーレイン……飢えた殺人鬼か。

 

ーー簡単に死ぬなよ。

 

僅かな微笑と共に一人の狙撃手は力強い歩みで去っていく。




レイン君はモテますね、男からも女からも。このままチェルシーをナイトレイドに行かせるか行かせないかの思案中です。多分、行かせると思いますが。

ではまた次回

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