森を抜けたレイン達は目的地である小屋へと辿り着いた。辺りに住み着く危険種のレベルが高い所為か、闃然としていて人の気配はない。それだからこそ見つかりにくい訳だが、それにしても酷い目にあった。
小屋の薄い扉は風が吹けば倒れそうな程に脆そうに見え、壊さないためにも弱い力でノックする。
「……フラッシュ」
小さく細い男の声が聞こえる。チェルシーは不思議そうな顔をするなり、声を掛けてくる。
「フラッシュって何?」
知らなければ不思議に思うのは当然の話だ。そもそもこの言葉の意味を簡単に知られては困る。
「使い捨ての合言葉だ」
感嘆の声を零すチェルシーを余所に、予めケインから聞いていた合言葉を返す。
「サンダー」
合言葉を聞くと鍵の開く音が響く、入れと言うことだろう。入ると外観から感じた脆さは無い、カモフラージュの為にわざと加工していたのかもしれない。
「お待ちしておりました」
中年男性は腰を折り、慇懃な態度を取る。風貌からはとてもじゃないが行動的には見えない。だが、そんな消極的な民ですら行動を起こすほど帝国は腐っているということだ。
「それで仕事については?」
「こちらです」
男は人の身長程ある棚を開けるともう1つ扉が見える。そこに掛けられた鍵を外すと地下まで階段が伸びている。何重にも偽装することにより、確立された安全の場は密会には適しているだろう。
降りていくと小さい部屋には質素な椅子と机のみが並んでいる。椅子へと腰を掛けると、男は慇懃な態度を崩さずに現状を話し始める。
「モハルという太守なのですが、重税や圧政は勿論。奴隷や罪人、大きな借金を抱えた者には危険種と戦わせて、それを観戦する趣味があるんです。私の友人もその戦いに駆り出されて、亡くなりました…」
戦闘の訓練も受けていない素人が危険種に挑めばどうなるかは想像に難くない、つまり人が死んでいくのを観て、楽しんでいる。
「モハルだな、分かった。革命軍がその仕事を引き受けよう」
その後、大まかな宮殿内部の地図や逃走に向いている経路を書いた地図を渡された。土地勘の無い2人にとっては有益な情報だ。
「今、出発すれば夜には街に着けます。ご武運を」
陽は真上に位置しているが、また危険種に襲われる可能性はある。夜になればその可能性は飛躍的に上がる。今、出発するのを逃せば、次は明日になる。一刻も早く子供達の案件に取り掛かりたいレインは今すぐ発つことを提案し、チェルシーも意見に反対はなかった。
△▽△▽
レジスタンスの男が言った通り、陽が落ちる頃には街が見えてきた。街は帝都からさして離れていないため、手配書が出回っている。街に近付くとフードを深く被る。街の入り口には検問が1つ存在し、そこで通行を許可されなければ、街へは行けない。迂回も考えたが、街は壁に囲まれ、入り口は1つしかない。
「どうするの?」
手配書は出回っていないチェルシーだが、同行者が捕まれば自分にも疑念の目が向けられる。他人事ではなくなり、面の割れている相棒を真摯に心配する。
「うまくやるさ」
戦闘力とは違うスキルが試されるが、彼に話術のスキルまであるとは思えない。どちらかと言えば口数は少なく、力で事を進めるタイプの人間、それがチェルシーの観察の結果に生まれたレインの人物像だ。
疑問を抱えたまま検問がやって来る。チェルシーは愛想の良い笑顔で通過していき、レインもそれに続いた。
「兄ちゃん、ちょい待ち」
軍服を来た男は顔を隠した来訪者を手放しで歓迎はしなかった。
「ほら、最近はナイトレイドだのレジスタンスだのが動き出してるだろう?せめて手配書が回ってる連中は逃がすわけにはいかないからな」
軍の男は喋りながら、手配書を探し持ってきた。そして、フードを外すように促す。
「すまない、火傷跡が酷くてな見せられる顔じゃないんだ」
軍の男からはレインの顔は鼻がギリギリ見える位だった。流石に手配書と見比べられては髪色を変えた程度では誤魔化せない。決して見られるわけにはいかないが、
「大丈夫だ、俺がちょいと見るだけさ」
レインの言い訳はあっさりと砕かれる。妙にしつこい軍人に内心で舌打ちをするが、無情にも指がフードへと伸びていく。しかし、これ以上渋れば怪しまれる。頭の中では様々な策を練っていると、慌てるような足音が近付いてくる。
「おい、もう試合始まるってよ!」
「本当かよ!さっさと行きな!」
伸びてきた指は同僚の誘いの声に引いていき、紙にペンを走らせる。
「ありがとう」
急ぐ男に感謝の言葉を掛ける。チェルシーも胸を撫で下ろし、レインも運の良さに一息吐いた。
「なんか偶々って感じがするんだけど?」
胡散臭い者を見る目で覗き込んで来る。
「運だって実力の内だろ?」
開き直るように言うと、チェルシーは否定も肯定も出来ずに渋々納得した。実際、何事にも運は付き物だろう。
夜の街を暗殺者が闊歩していると、女性からチラシを渡される。チラシには危険種vs人間と見出しがあり、街中央の闘技場で開催と書かれている。先刻の軍人が言っていた試合とはこの事だろう。
「これが太守の趣味ね。酷い」
チェルシーは不愉快さを露骨に顔に出す。
「これくらいは日常茶飯事なんだろう。だが、それも今日までだ」
「うん、私がきっちり終わらせる」
冷静を保ってはいるが、闘志はメラメラと燃えている。今までの穏やかな雰囲気は微塵も感じられない。
「暗殺は任せる。俺はその闘技場で君の仕事ぶりを見てることにする」
チェルシーはピリピリとした雰囲気を消すと得意気な表情で言葉を紡ぐ。
「私の技は速いから余所見は禁物よ」
了解、そう答えると二手に別れた。
△▽△▽
闘技場では熱気と狂気が渦巻いていた。
「レディィィスアンドジェントルメェェェェン!!」
司会兼DJのような風体の男は腹から出した声がマイクを通して、何百人という観客の喧騒を制した。それはその男が毎度お馴染みになっている人気のDJという理由も勿論だが、まるで嵐の前の静けさのようにも感じる。
「今宵も狂乱の祭典がやって来たぜ!生粋のクズ共がパワフルでデンジャラスな化物に1on1だ!!」
DJの男の叫びに共鳴するように会場が一体となって叫ぶ。その一体感はまるで1つの生き物だと錯覚させる。DJは調子を落とすことなく、危険種と参加する選手の名前を紹介していき、ゴングを打ち鳴らす。
結果は危険種の一方的な勝利。死体はその場で危険種が喰らう。レインはその光景に果てしない嫌悪感を感じ、意外に周りからも親指を地面へと向け、ブーイングの嵐となる。だが、観客のブーイングの矛先はその卑劣な行為にではない。
「死ぬの速すぎだろ!もっと頑張れよ!!」
「マジつまんなーい」
言ってることは千差万別だが、意味することは死んでいった者の呆気なさにだった。死に対して醜く粘る姿こそ、彼らには嗤いのツボなのだろう。
これはもう太守だけの問題ではない、とレインは感じた。太守が規範であり、それは“絶対的正しさ”になっている。力の無い者、意志の弱い者はその正しさに流され、その正しさに同調することで自分が正しいと勘違いを起こす。太守の広めた毒は徐々に街を腐らせていったのだ。まともな太守に変わったとしても、元に戻せるかは難しい。
レインが酷い有り様を目の当たりにしている中でも試合は進んでいき、益々ヒートアップしていく観客達に深い憐れみを覚えた。
別の事を考えようとすると、脳裏にはチェルシーの言葉が過る。観客席よりも更に高い場所で高みの見物を決め込む男が1人。それが標的のモハル。遠目ということもあり、細かい事までは分からないが、酒瓶を片手に持ちしっかりと生きていることは分かった。
DJの観客の熱気を煽るような言葉の数々を耳に入れていると、巨大な四足歩行の生物が会場の中央に鎮座する。昼に見た飛竜に比べたら小さいものだが、それでもかなりの大きさだろう。
「みんなそろそろメインディッシュが見たいんだろ?分かってる分かってるって、今日は特別な奴を用意したぜ。最近流行りのレジスタンスだぁぁぁぁぁ!!」
その言葉に嫌な予感を感じながらも視線をゆっくりと下げていく。そこには昼に会ったレジスタンスの中年男性。抵抗しようとしているが、軍人数人に闘技場へ放り込まれる。そして、絶望の塊のような危険種が嫌でも目に入る。
「こいつは密かに革命軍へと情報を流していたクソ畜生だ!そいつには立派すぎる処刑の舞台を整えてやった。さぁ、みんな最高に盛り上がってくれぇ!!」
ゴングの鋭く響く音を皮切りに危険種の筋肉は爆音を轟かせ、獲物に飛び掛かる。
次の瞬間、瞬きすら許さない程の瞬間的な速さで銀閃を放つ物体が危険種の目を強襲した。
△▽△▽
会場で1つのハプニングが発生する少し前、チェルシーは自分の持つ最大の武器であり、防具であるガイアファンデーションの使い所を探っていた。誰に変化すれば怪しまれないか、その人選をミスすれば一巻の終わり。前情報は宮殿内の地図のみだが、闘技場とは連絡橋1本で繋がっている。外からはその程度の情報しかない。それだからこそ、成功すれば半信半疑だったあの男も実力を認めるだろう。
ーー帰ったらギャフンと言わせてやる。
「よし!」
気合いを入れ直すと潜入を開始した。
闘技場に人員を割いてるおかげで宮殿内の警備は予想に反して空っぽだった。しかし、問題なのは連絡橋にいる歩哨をどう欺くかだった。関係者でなければ、つまみ出されるのがオチだ。頭を働かせながら連絡橋を観察して数分した頃、メイド服の女性が酒や肉を運び、連絡橋を渡っていった。
ーーこれだ…。
警備の目をすり抜けられる穴を見つけ、給仕が居るだろう厨房に向かうと、1人で準備に当たる給仕を背後から麻酔針で深い眠りへと誘う。
ここまでは成功への布石、あとは悟られずに太守へと接近する。いつも通りやれば問題はない、そう言い聞かせ、己を鼓舞する。レインのような力技は持ち合わせてはいないが、力だけが戦いのアドバンテージではないことを証明する。
先程、連絡橋を渡った給仕にも帰ってくると同じ手段で無力化を図る。そして、帝具ガイアファンデーションを使用し、その姿は誰が見てもチェルシーとは気付かないだろう。
△▽△▽
チェルシーは敵陣地の真っ只中にも限らず堂々としていた。それは彼女がもうチェルシーではないからだ。太守に雇われたメイドという役だ。ガイアファンデーションを有効に使うには自分を殺す必要がある。化けた相手の立場を考え、常を守り、役割を演じる。そして最後の最後に自分の役割を果たす。それが彼女の戦いだ。
それは今も例外ではない。
「おい、少し早くないか?」
警備の男は時間の間隔に違和感を払拭しきれず、メイドに問う。メイドと兵士どちらが地位が高いかは言うまでもない。ならば、自ずと言葉使いも変えねばならない。
「早めにと聞いております」
警備の感じていた違和感を巧く消してやると、
「分かった、行け」
頭を下げると闘技場へと潜入を成功させる。闘技場では観衆の熱狂的な声が石造りの壁を反響させる。ここからは警備の数も増える。気を入れ直し、床の感触を確かめるように慎重に最上階へと向かう。
最上階を目指して、螺旋階段を上がる。横をすれ違う兵士にも悟られることなく、最上階へは容易に到達する。扉を警備する2名の兵士は入室を許可すると、一層大きくなる歓声が耳を劈く。
「お待たせしました」
豪勢な椅子の横には小さなテーブルがあり、既に幾つものボトルが開けられている。そのボトルを回収し、新たな酒に料理を提供する。これでメイドの役割は果たした。次はチェルシーの役割を果たす。隠し持っていた細い針を1本取り出す。これは通常の針だが、狙いは首の後ろにある頚椎と呼ばれる急所、的確に攻撃すれば針でも即死させられる。
タイミングを計っていると、モハルは勢いよく立ち上がる。それに反応し、針を仕舞い、そしてメイドに戻る。
「どうなされました?」
モハルは微動だにしない、何かに驚いてるのか口は半開きになっている。気になり、モハルの視線を追い掛ける。
ーー嘘でしょ…。
あろうことか危険種の前には、身を隠すような長いコートに、人工の黒色に染め上げられた髪を風に吹かせる男。仕事のパートナーで間違いはなかった。
△▽△▽
闘技場を支配していた熱気は数段増して、絶叫のような声も聞こえる。その声を悠長に聞いているレインだが、レインこそがその絶叫を起こしていた。今まで喋りっぱなしだったDJも掛けていたサングラスを掛け直していた。
「こ、こいつは!なんとレジスタンスの男を助けに入ったのは有名な最高のクソッタレ、レインだぁぁぁぁぁ!」
DJは一瞬素になったが、すぐに仕事へと切り替え、観客を盛り上げさせる。今までは危険種の勝ちが揺るぎないお陰で成り立たなかった賭博が闘技場の各所で起こっていた。
だが、そんな闘技場の状況はレインの脳には1ミリたりとも刻まれていない。目の前の犬にも似た危険種がこちらを殺さんとばかりに睨み付けてくる現状の方がよっぽど問題だからだ。
ーー後でチェルシーから文句が飛んできそうだな。
予想した未来に少々憂鬱になるが、目の前の危険種はそれに構いなく仕掛けてくる。巨大な前足の一撃は普通ならば潰されてしまうだろうが、レインは受け止める。
「こんな光景は流石に俺も初めてだ!」
DJは興奮を表しつつも実況を続けている。軍の人間は暴れる危険種と、それに拮抗する力を持つレインの戦いに巻き込まれる恐れを考え、外で待機を余儀なくされていた。
「ハァ!」
地面が蜘蛛の巣状に割れると強靭な前足を押し返す。それには危険種も驚きを見せて硬直する。
「かかって来な……ワンちゃん」
抜刀すると構え、戦闘の姿勢を取る。
上からそれを眺めていたチェルシーは唖然としたが、全ての目がレインに向いている今ならば、と針を取り出す。そして、トスッ、と軽い音が耳に入る。1つの命が散ったにしては小さい音だが、モハルには相応しい最期だ。死んだモハルを一瞥することもなく、闘技場脱出に動いた。
チェルシーの仕事ぶりを見逃したレインは目の前の危険種と対峙していた。だが、動かない的を相手に戦ってきた危険種は素早いレインを捉えられずにいた。前足を振り下ろすだけの単調な攻撃はレインに退屈さえ覚えさせる。
1つの攻撃を避けると、レインは攻撃へと転じる。懐に入り込み、内蔵に届くほど深く差し込む。危険種の動きが鈍り、後ろ足まで疾駆すると、後ろ足を踏み台に背中へと跳躍し、着地と同時に尾の付け根に刀を突き刺す。
痛みで暴れるが、刀を離さずにバランスを保つ。揺れる背中を刀と共に頭まで疾走し、背中から夥しい量の血液が地を濡らす。飛び上がると、凶悪な顔面の前を通過する。身の丈程の犬歯からも勢いは感じられず、額から顎にかけて刃を下ろす。
「行くぞ!」
始末した危険種を気にすることもなく、レジスタンスの男へと駆け寄るが、腰が抜けてるらしく上手く立てずにいた。気付くと軍の人間が流れ込んで来る。男を肩に抱え、大の大人二人が高い壁を飛び越え、観客席へと足を付けた。観客は瞳を恐怖に支配され、声を上げ、本能的に道を開ける。開けられた道を通り、闘技場を逃げ出す。
△▽△▽
「ねぇ、何やってるの?」
「文句なら後で聞く。それよりもルートCだ」
チェルシーの言いたいことは百も承知だった。追手は撒いたが、警備体制は厳重になってしまった。しかし、地下ならば敵も予想はしていない。そして、ルートCは使われなくなった下水道を使う。
「あった!」
男一人を抱えたレインの代わりに、チェルシーは早速円形の蓋を持ち上げる。開くとレインが飛び下り、チェルシーもそれに続いた。
「酷い臭いね」
チェルシーは鼻を手で覆い、悪態を吐く。汚染された水が管理すらされずに放置されてるのだ。悪臭は鼻を通り越し、軽い頭痛を引き起こす。
「で、何であんな意味もない行動を取ったのかしら?」
「連中のやり方に我慢ならなかっただけだ」
チェルシーもその気持ちは理解できた。だが、仕事に私情を持ち込むのは果たしてプロと言えるのか、そんな小さな葛藤の中、“それ”は突如やって来た。
端的に言えば、殺意の塊。殺意の奔流が下水道に流れてきた。水を伝って、空気を伝って、肌を静電気が走ったような感覚は一般の兵士から感じるものとは違う。
「まずいな、走るぞ!」
その殺意は走るレイン達に刻一刻と迫ってくる。そして次の瞬間、心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われ、レインもチェルシーも次の一歩を踏み出せなかった。何を隠そうその殺意の持ち主が目の前に現れたからだ。
「よう、レイン」
その殺意の持ち主は右腕の借りがある男だった。
テンポの改善ならず……。一つのシーンに対して、描写が長い気がするので、短くしっかりと伝わる文を書きたいですね。とりあえず最後までの構想はあるので完走を目指します。