EP.1 「I AM HERE」
【ヴィラン】《villain》
物語の主人公(ヒーロー)に対する悪役。
また、現実の犯罪者。悪党、悪漢。
* * *
世に『超常』が生まれてから、130年以上。
今では世界人口の約八割が超常という特異体質こと『個性』の持ち主だ。
超常は日常となり、超人社会と呼称されるようになった。
世界人口の八割というのは、統計のマジック。
世代が進むごとに個性持ちの割合が増えていくから、世代で所持率が変わる。
今は第五世代と言われているけれど、第五世代での無個性は絶滅危惧種扱い。
それぐらい個性は、世界に浸透してしまっている。
『個性』とはよく言ったもので、本当に様々な種類がある。
使い道のわからない個性。
なんとなく便利な個性。
簡単に人を殺せるような個性。
世界に一つしかない、選ばれた特別な個性。
この世界は超人社会と言われるだけあって、一握りの特別な個性の持ち主達が
抑止力としての警察は、あんまり機能していない。
でもそれは、あくまでも一握りの人達のお話だ。
宝くじで高額当選した人達が、選ばれた特別な存在として雲の上の世界でなんかやっている。連番10枚買って300円が当たった一般市民側にとってみれば、
だとするなら、役所に『個性:無し』として登録されている私の場合は、連番10枚買って300円すら当たらなかった存在なのだろうか。
実際、私に個性のことを尋ねてきた人達の顔色はわかりやすいぐらいに曇る。
そして彼らは、私のことを何も出来ない無能のゴミとして扱う。
* * *
私の名前は、
私立聡明小学校六年生、11歳。
第五世代なのに無個性の可哀想な子と認識され、そう扱われる対象だ。
私はいま、母が使っていた鏡台の前に座り、髪を編み直している。
小学生の自分にとって鏡台はまだ早いけど、母の形見だからなるべく使うようにしている。
父も叔母も黒髪で、母は薄いピンクの髪だった。
どういう化学変化を起こしたのかはわからないけど、私の髪はやや黒みを帯びた青色。
冬の空の色、と言えば伝わるだろうか。
どことなく不安になる、暗い印象の色。
私がそう言うと、母は「貴女の髪の色は、
美人の叔母の真似をして伸ばし続けていた髪は、鎖骨を越えて胸のあたりまで届いている。
もっとも、美容院にも行かず大絶賛放置中の長髪をそのままにしておくと、
だから
聡明小学校は、小中一貫のエリート校として知られている。
エリート校とはいえ、無個性や片親に対するイジメの構造は変わらない。
イジメに反撃をしているせいもあって、私に同世代の友人は少ない。
迂遠な表現なら孤立気味、率直に言うならぼっちだ。
私の母は二階級特進が適用されたことで、父より階級が高くなった。
色々あって、沢山のお金が私名義の口座に振り込まれている。
お金よりは母が生きていてくれるほうが良かったが、この辺は割り切るしかない。
現在住んでいる
個性の所持に関係無く、ただ歩いているだけで不審者に絡まれる。
十年くらい前に高速道路が開通して以来、寂れた下町になってしまったからだと大人達は言う。
そんなことはない。
仮にも首都圏高速中央環状線鳴羽田エリアとして、高層ビルも多く建っている。
ヒーローや警察の
そもそも犯罪率が最初から高い街だったのなら、二人共に刑事の両親が、職場に近い街だとしても夫婦の新天地に選ぶことはなかったと思う。
単純に、二年前の大事件の真実が世間に公表されていないせいだと思う。
私に対して支払われた高額すぎる見舞金は、口止め料も込みなのだと理解はしてる。
大事件であり大破壊であり、ナンバーワンヒーローもヴィランのラスボスも大打撃を受けたあの出来事は、社会的には完全に無かったことになっている。
だから誰も知らない。
ヘアゴムで留めて、ふんわりと広げた三つ編みが完成した。
改めて鏡台の鏡を見直す。
私の暗い瞳が、そこに映っている。
私の眼球は生まれつき薄膜が張ったように艶がないので、相手が映り込むことはない。
もっとわかりやすく言うのなら、私の目にはハイライト的なものが無い。
鏡の中の私は、私自身ですらも誰を見ているのかよくわからない。
父も叔母も同じ瞳をしているから、これは父方の血の影響なのだろう。
叔母は家の中ではともかく、外行きの際はカラコンをつける。
それだけで叔母は別人、いや、モデルのように印象が変わるのだから面白い。
私は叔母と違い、コンタクトはつけない。
コンタクトなんてつけたら、頭部に衝撃を受けた際に目を損傷してしまう。
同世代ではないが、私にも友達はいる。
今はそれでいい。
異性、というか恋愛自体、興味が薄い。
鏡台に置いてあるポーチの中身を確認する。
ティッシュ、ハンカチ、絆創膏。
折りたたみ
リップクリーム、ハンドクリーム。
ベッドの上の群青色の鞄には、水色のリボンがついている。
鞄を手に取り、ポーチを入れながら中身を確認する。
お財布。ケータイ。ケータイの充電器。
1mmピンホールレンズと、二重底の下にあるスパイカメラ。
鞄の取り出しやすい場所に、
誰からも見やすい場所に、猫耳のついた防犯ブザーをキーホルダーとして。
ちらりと壁に目をやる。
私立聡明小学校の、白を基調とした生真面目かつ可愛い制服がかけられている。
私立だからというわけでもないが、小学校で制服が存在しているのは大きい。
少なくとも義務教育の間は、通学の際に毎日私服を悩まずに済む。
鏡に視線を戻す。
今の私の格好は、白のワイシャツ、群青色のネクタイ、黒のジャケットと黒のパンツスーツ。
サラリーマンともいえるし、暗躍しているエージェントみたいな服装とも言える。
でも私は一応女子で、髪も伸びている。いいとこ、ピアノの演奏会だと思われるだろう。
演奏会といえば演奏会かもしれない。
今日は私の数少ない友人の一人、羽根山和歩こと和歩ちゃんの路上ライブの日。
向こうの方が一つ年上だけど、長い付き合いなので、ちゃん付けだ。
よし、こんなところか。
私は鞄を肩にかけ、立ち上がる。
部屋を出て、台所を確認。
炊飯器の炊き上がり時間は予約済み。
ラップをかけた肉野菜炒めの皿を、紙の端に乗せて紙を固定している。
紙には「和歩ちゃんと路上ライブです。少し遅くなります。 空より」と書いておいた。
「行ってきます」
誰も居ない静かな空間に挨拶を残し、私は家を出る。
* * *
「
「ああ……俺のバイクがっ!」
「逃げろ!」
家を出てから、まだ三分も経過していない。
なのに大勢の人達がヴィランから離れようと、走りだしている光景に出くわした。
身長四メートルか五メートルか、とにかく身体の大きいハゲ人間が、筋肉質の身体を見せつけるようなラフなタンクトップ姿でバイクをかじり、食べながら叫んでいる。
「歯が命ィィィ!」
流石は
治安が悪い、というか意味不明。
歯が命だからといって、バイクを食べて何をどうアピールするというのか。
むしろ金属を食べて大丈夫な胃の方を自慢した方がいい。
私はまず、上空を確認した。
案の定、キラリと光る何かが青空を駆け抜けている。
私は思いきり息を吸い、数少ない友人のヒーローネームを叫んだ。
「ザ・スカイクロウラー!」
青空の彼方から、物凄い勢いで何かがすっ飛んできた。
オールマイト、ではなく。
オールマイトをリスペクトしたデザインのヒーロースーツに身を包んだヒーロー。
「はいはァ~い♡」
空を駆け抜けてきた彼は、気さくなポーズで気さくな挨拶をしてみせる。
大男の上空、その背後から大男の膝裏に対してその手を向けた。
「
両膝の裏を反発力で攻撃された大男はたまらず体勢を崩し、よろめいて転んだ。
相変わらず彼は甘いと思う。
ヴィランの急所を狙わない。
「俺は名前を正しく呼ばれると嬉しい男! ザ・スカイクロウラー!」
チームIDATEN所属のサイドキック、ザ・スカイクロウラーが名乗りをあげる。
そして私が無事な姿であることを確認して安心したのか、へにゃりと笑った。
いつかヒーローとして独立するために、今はサイドキックとして修行を積んでいるぽややんヒーロー。
「ターボヒーロー・インゲニウム、現着!」
両腕のエンジンからブースターを噴かし、全身を白銀鎧に包んだヒーローが急接近してきた。
そして、勢いもそのままに大男に跳び蹴りを食らわせる。
起き上がろうとしていた大男は跳び蹴りをまともに喰らい、失神した。
「インゲニウムだ!」
「流石ヒーロー!」
「あっさり解決だ!」
逃げていた、あるいは何もせず眺めていた人達が次々に賞賛の声を挙げる。
後から来たインゲニウムに美味しいところを全部持って行かれたにも関わらず、ザ・スカイクロウラーは嬉しそうだ。
皆がインゲニウムを褒め称えるので、仕方なくぽややんヒーローに向けて拍手を送る。
ぽややんヒーローは、いつものへにゃり顔でVサインを見せてくる。
「……
「その台詞、最初に言おう?」
「だよねー!」
はぁ。ぽややん過ぎる。
私は呆れてため息をついたけど、笑顔で彼に手を振った。
「じゃね、クロウラー」
「またね、
ザ・スカイクロウラーは、そう言って私に手を振り返した。
いつものへにゃり顔なのに、ちゃんとヒーローしてた。
* * *
「お待たせ、和歩ちゃん」
「空ちゃん!」
待ち合わせ場所付近の壁に寄りかかって、
わざとモサらせた髪、ではなく、きちんと櫛で梳かしたストレート寄りの桃色の髪。
ベレー帽に眼鏡、黒を基調としたロングワンピース、厚底のブーツ。
その傍らには、音響機材運搬用ケース・キャスター付きが置かれている。
これは中身ごと全て私が買った上で、彼女にケースを預けている。
彼女の自宅でも収録できるようにという配慮だ。
私の方が年下なのに、私の方が背が高い。
和歩ちゃんは私にお姉さんぶりたいので、厚底ブーツで身長を
「早速準備しちゃおう、道路使用許可もタダじゃないし」
「ポップ☆ステップの衣装も用意してあるよ、空ちゃん」
「あれは
「
「ただでさえスタイルの良い和歩ちゃんがお尻で売りはじめたら、みんなお尻しか見なくなっちゃうよ?」
和歩ちゃんは声がいい。
将来的に歌って踊れるアイドルヒーローを目指すのなら、最初からそっちを磨いた方がいい。
ボーカルトレーニングにもなるし、変な所で引っ込み思案な彼女の度胸付けにもなる。
「はーい。プロデューサー兼マネージャー兼スポンサー兼護衛兼雑用の空ちゃんに従います」
「YouTubeの再生数も伸びてるし、頃合いみてメン限動画でポップ☆ステップ版をアップして荒稼ぎしよう」
「それはそれでなんか複雑」
「アイドルで
路上ライブ用のマイクとマイクスタンド。
スピーカー。アンプ。ポータブル電源。ノートパソコン。
二人で力を合わせて、機材を設置していく。
工事現場で使うようなカラーコーンと、コーンバーで道路に一メートルの幅を作る。
これが今回の路上ライブの
広い歩道ではあるけれど、歩行者用の通路スペースを必ず確保すること。
それが今回の道路使用許可に対して、
私の父は、警察官として嘘を嫌う。
叔母に至っては、
だから、当初は無許可のゲリラライブを敢行しようとした和歩ちゃんを説得して、正しく許可を申請するようにした。
彼女はヒーローになるべく、ザ・スカイクロウラーこと
経験を積んで独立したザ・スカイクロウラーのヒーロー事務所に、サイドキックとしてポップ☆ステップが所属するという目論見だ。
あるいはその逆。サイドキックとしてポップ☆ステップが所属してあげるから、ザ・スカイクロウラーはそれをきっかけとして独立する。
どちらにしても、二人の仲をとりもつ事ができる。
それならばなおのこと、無許可の路上ライブなどやるべきではない。
和歩ちゃんが航一さんに恋心を抱いているのなら、余計に。
* * *
「みんな~、今日も集まってくれてありがと~!」
お尻で売るポップ☆ステップの衣装ではなく。
正しく歌で売る私服で、和歩ちゃんはキチンとアピールしていく。
応援用の法被(YouTube動画から購入可能)を来たファン達が、サイリウムを握り声援を送ってくれている。
「最初に歌ったのは、『あのバンド』という歌でした。次は……『けっかおーらい』!」
交通整理をしていた私は、曲の終わりに合わせてノートパソコン前に移動済み。
重い音響機材運搬用ケースに繋げてあるから、ノートパソコンだけを窃盗するのは難しい。
和歩ちゃんと視線を合わせ、頷き合う。
手早くキーボードを操作し、『けっかおーらい』の曲を流しはじめる。
(BGM:こっちのけんと「けっかおーらい」)
好印象なノービスから 転がるスターに
ばらまいた優しさの外に 手を伸ばして
このライブは、ノートパソコンについているカメラで収録と配信もしている。
好印象なノービスから 転がるスターに
めでたしなストーリー踊り 羽伸ばして
YouTuberを目指しているわけではないが、同接人数はそこそこいる。
君の瞳が助け求めてる 誰これ構わず皆が飢えてる
「「Hey! Hey! Hey! Hey!」」
ファンの人達のコールと共に、サイリウムが元気に振られる。
目の下のクマ シワのあるマスク
ヨレてるスーツ 身に纏うルール
マイクを握って、必死に熱唱している和歩ちゃん。
正義の肯定 ナンセンスな
看板突き破って 飛んじゃってええで
その和歩ちゃんが、マイクスタンドを手にした。
それでこそ good 後手に回れば boom!
Give me your … Give me your …
完全に入り込んでいる。
マイクスタンドごと振り回し、踊るように歌う和歩ちゃん。
けっけっかおーらい!
「けっけっかおーらい!」
法被を着たファンの人達が、一緒に叫んでいる。
「おっと!」
迷える俺たちのヒーロー
和歩ちゃんには悪いけど、ポップ☆ステップ衣装はいらないと思う。
もう止まれない keep off keep off
苦労をその手に何を握ろう
和歩ちゃんはお尻で売る必要なんてどこにもない。
Get…Get this! “All Right”
Get this! “All Right”
真正面から理不尽を薙ぎ払える魅力を持っている、大丈夫!
御伽話俺たちのヒーロー
もう止まれない keep on keep on
その想いは、きっと航一さんに届く!
身の程にも合うその日を願うから今
跳躍の個性が発動し、マイクスタンドごと和歩ちゃんが高く飛び跳ねる。
月、月下往来
「「おーらい!」」
交通整理をしていた私だったが、ファンの人達と一緒につい叫んでしまった。
すると、不意打ちのように仕切り用のカラーコーンを蹴り飛ばされる。
「なーにがオーライだ、往来の邪魔してんじゃねーよ」
「うまいこと言ったな」
「ギャハ!」
トゲトゲ頭にギザギザ歯の不良男。
モヒカン頭の大柄で肌黒の不良男。
トカゲ顔でギャハギャハ笑っている不良男。
これがいつもの
何故か突然、理不尽を押しつけられる。
「道路使用許可はとっています。こちらの通路をお通り下さい」
倒されたカラーコーンを立て直しながら、彼らの案内を試みる。
「ああ? なんだテメエ?」
「それ以上やると、器物損壊罪と威力業務妨害罪になりますよ」
駄目だ。
違法行為を違法行為と指摘してしまうから、事態を悪化させてしまう。
僕らはもう諦めたの
軋む明日を絵に
「あんだ小僧、テメエちっとこっち来いや」
トゲトゲ頭が、私の胸ぐらを掴んできた。
彼の拳の指の間から、合計三本の鋭利な棘が突然飛び出す。
棘の先は、私の喉元。
残念なことに、その棘は周囲の観客には気づかれない角度であり、位置だった。
僕らはもう身につけたの
軋む明日をただ歩いて
「スパイク。俺の個性だ。ハッ、ビビったかオラ」
駄目だ、案の定彼らを怒らせてしまった。
想いをこめて歌っている和歩ちゃんの邪魔をしたくない。
私は和歩ちゃんに向けて、トラブル発生・ライブ続行のハンドサインを出す。
もう遅いのは分かってる
まわりを通っていく
和歩ちゃんは一瞬青ざめるも、頷いてくれた。
成りたいもんに成っている
みんなが通っていく
「飲み物でも奢ります。缶コーヒーでいいですか?」
成れないもんに成っていく 僕の帰り道に
転がって突っ伏している 僕の可能性へ
彼らは、私を裏路地へ連れて行く。
人気の無い場所で私を壁に押しつけてから、膝蹴りを放ってきた。
忘れてきたのに思い出した
体に痛みが来る前に
「生意気だなコイツ! テメエをボコって財布ごと貰うわ!」
「痛たた……強盗致傷罪は執行猶予とかつかないですよ」
「なんだテメエ、男の癖に女みてえなツラと鞄しやがって」
逃げだして来る彼に
我先に立ち去るナードに差し上げたのに
「……一応、女ですけど」
「はあ?」
今の自由とは何?
過去の自分の“まま”に
確かに、二次性徴の関係で急に体格が変化してしまったけれど。
「はあ?」とまで言われなければならないほど、女子力を捨てた覚えはない。
不良達が面白がって、私の両腕を二人がかりで押さえつけてきた。
残りの一人に無遠慮な手つきで胸を揉まれ、顎を掴まれた。
正義の肯定 ナンセンスな
「本当だ、コイツ女だ」
「裸にひん剝いてネットで晒すべ」
「……不同意わいせつ罪です」
看板突き破って 飛んじゃってええで
「ナントカ罪とか言われても知らねえよ、お前はヤることヤってAVデビューだ!」
「ギャハ! ハメ録りしようぜお嬢ちゃん」
「不同意性交等致死傷罪。やめてください、警察呼びますよ」
「ああ、後でな」
「わ~怖ーなケーサツ(棒)」
それでこそ good 後手に回れば boom!
「それよかヒーロー呼んだ方が良くね? 『助けてオールマイト』って言ってみ?」
大柄で肌黒の男が、私の顎、というより頬を掴んだ。
喋ろうにも、うまく喋れない。
「んぐっ……」
「オラ言ってみろよ!」
「おめーはマジでクッソムカつくんだよ!」
「ねえ、俺の子供産んでよ子供」
Give me your … Give me your …
気持ち悪い。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!
ヒーローだって暇じゃない。
今私がどれだけ助けを求めても、オールマイトがこんな路地裏の騒ぎごときに飛んでくるはずがない。
頭と身体が冴えていく感覚がする。
仕方が無いから、ここは
けっけっかおーらい!
ドザァ!
物凄い音を立てて、すぐそばのゴミ捨て場に巨躯が舞い降りた、いや、落下してきた。
不良達全員の視線と意識が、落下してきた誰かに向いた。
その一瞬だけで多分どうとでも出来たけど、私は流れに身を任せることにした。
「な……なんだ!?」
「人が落ちてきたぁ!?」
「貴様等……オールマイトの話をしていたか? ここに彼は来ない」
「おっと!」
迷える俺たちのヒーロー
巨躯の男は、大量のゴミ袋に埋もれたまま決め台詞を言う。
「だが……
もう止まれない keep off keep off
巨躯の男が、ゆらりと立ち上がる。
「ふむ……多少不格好な着地になったが心配は要らん。急ぎの際、ゴミ捨て場は良い緩衝材になる。また首を鍛えておくことで、頸椎損傷と
「あ? なんだこのおっさ……」
トゲトゲ頭が呆れた瞬間、巨躯の男の右ストレートが炸裂した。
トゲトゲ頭はあっさりと吹き飛び、その一発で地面に倒れ伏す。
「な……なんだテメエ!?」
「いきなり何しやがる!?」
いきなり何しやがる、は私が言いたい台詞なのだけれど。
苦労をその手に何を握ろう
「その質問に答えてやろう」
巨躯の男が両手を構え直す。
顔の上半分をマスクで覆ったコート姿。
その両手には、
「俺はナックルダスター。貴様等のようなクズ専門の掃除屋だ!」
そう言うや否や。
ナックルダスターは、大柄で肌黒の男とトカゲ頭を一瞬で殴り倒した。
「小僧、手伝え。こいつらの舌が黒いかどうかを確認するだけでいい」
「小僧じゃなくて、私、女の子なんですけど……」
彼らに触るのもイヤだったけど、舌の色を確認する行為を手伝う。
「舌の変色は無し……結局全員ハズレか」
「あのー、聞いてます?」
「小僧、よく聞け」
Get…Get this! “All Right”
Get this! “All Right”
ナックルダスターは、ニカッと良い笑顔を見せてきた。
「悪党を殴るとスカッとするぞ!」
あっ、ハイ。
お兄ちゃんも同じこと言ってました。
ありがとうでも、助かりましたでもなく。
ヤバイ人って、本当にどこにでもいるんだな、という感想になった。
ナックルダスターは、御満悦な表情で格好良く立ち去って行った。
* * *
塚内空は、カラーコーンを蹴り飛ばされたあたりからずっと録画していたカメラを止めた。
近くのコンビニに素早く立ち寄り、小さい缶コーヒーを買い、レジ袋に入れてもらった。
「ありゃっしたー」
店員の声を背に、彼女はすたすたと早歩きをしながら、猫耳防犯ブザーを鞄からノールックで外す。路上ライブ会場から聞こえてくる曲と歌的に、羽根山和歩が駆けつけてくるまで五分程度は時間があると判断した。
御伽話俺たちのヒーロー
もう止まれない keep on keep on
塚内空は猫耳防犯ブザーを右手で握りしめ、顔の前で格好良く構える。
「変身」
そう言いながら、塚内空は猫耳防犯ブザーの隠しボタンを押した。
チープな電子音が小気味よく鳴ったあと、これまたチープな合成音声が裏路地に響いた。
「テテテテテ
変身と宣言はしたが、別に彼女の姿が変わったりはしない。
彼女は仮面ライダーの類ではないし、変身系の個性があるわけでもない。
身の程にも合うその日を願うから今
白のワイシャツ、群青色のネクタイ、黒のジャケットと黒のパンツスーツ。
水色のリボンがついた群青色の鞄。
変わらない。彼女の服も身体も、何一つ変わってはいない。
格好良く防犯ブザーを右手で構えてはいるが、左手には缶コーヒーの入ったレジ袋を手にしたままだ。
「モード・ブラックジャック」
彼女自身の口でそう告げながら、鞄に防犯ブザーをいそいそと付け直す。
レジ袋を右手に握り直し、中の缶コーヒーごと袋をねじっていく。
するとコンビニのレジ袋と缶コーヒーで、簡易的なブラックジャックが完成した。
月、月下往来
裏路地に、ナックルダスターが殴り倒した三人の不良が気絶したまま倒れている。
「
塚内空はそう言うやいなや、倒れたままの不良達に近づいた。
一人あたり一分として、三人で三分。
まずはリーダー格のコイツから。
問答無用。
遠慮無しの全力。
塚内空はトゲトゲ頭男の顔面に向けて、レジ袋を振りかぶった。
* * *
塚内空の膂力、いや、正しく
彼女の体内で発生する力の使い方は、一般的な女子小学生のそれとは全く違う。
それは役所に『個性:無し』として登録した五歳の頃から続けている武術、太極拳が絡んでいる。
太極拳の準備運動・
六年間、真面目に続けている太極拳の基本功と、太極拳の
個性が生まれてからの130年ちょっとで武術の大半は喪失、または失伝してしまった。
武術は無個性の人々が編み出したもの。
だが、個性は武術を必要としない。
個性と引き換えに、人類は武の術理の大半を捨て去ってしまった。
だから、普通の人は想像できない。
ナックルダスターの助けが無くとも、個性持ちの成人男性三人、しかも壁に両腕を押さえつけられた状態から彼女は逆転勝利できたということを。
体格差や筋力差をものともしない武術の術理という炎を絶やさないよう後世に灯し続ける人達が、塚内空を正統後継者として鍛えていることを。
役所に『個性:無し』で登録されているからといって、塚内空という11歳の女子小学生は、無力で護られるだけの少女ではないということを。
* * *
正しい力の伝え方。
顔面だけ交通事故状態の三人の不良達は、生きてはいるが見るも無惨な状態だ。
塚内空は缶コーヒーをレジ袋から取り出すと、ボコボコに変形したスチール缶の中身を一気に飲み干した。
苦い無糖の冷たいコーヒーが、運動後の喉を潤してくれる。
どちらかといえば、スチール缶を潰しすぎないようにするほうが手間だった。
彼女はレジ袋を裏返し、返り血が身体につかないよう慎重に細長く畳む。
細長く折り畳んだレジ袋をスチール缶の中にねじこむ。
周囲に散乱しているゴミ袋の中から缶と瓶が分別されている袋を選びだし、そのスチール缶を袋の中にねじこんだ。
周囲を見渡し、深呼吸を一回。
猫耳防犯ブザーの正しいボタンを、正しい用途のために押した。
まずは羽根山和歩が泣きながら駆けつけてきてくれた。
次いでライブに来ていたファンと周辺住民が駆けつけ、警察に通報した。
たいして間を置かず、巡回していた警察がパトカーでやってきてくれた。
塚内空は、涙目の羽根山和歩に抱きしめられながら、録画していた動画データを証拠として警察に提出した。
手枷を装着され担架に乗せられ、運ばれていく不良達の姿を塚内空は無表情で眺めていた。
彼女の眼球は生まれつき薄膜が張ったように艶がないので、相手が映り込むことはない。
だから不良達の姿が塚内空の瞳に映ることも無く、羽根山和歩の姿が映ることもなかった。
* * *
「ただいま」
「おかえりなさい」
私が警察沙汰になった(巻き込まれたんだけど!)関係で、お父さんは帰宅が少し遅くなってしまった。
お父さんの名前は、塚内直正。階級は警部。
お母さんは警視なので、お母さんの方が偉い。えへん。
「お久しぶり、警部ドノ」
「来てたのか、真」
「そりゃね」
普段忙しく駆けずり回っている女子大生、叔母の
真さんはお父さんの妹だから、私から見れば叔母。
真さんから見れば、私は姪だ。
それにしても、私もお父さんも真さんも全員瞳にハイライトが無いから、遺伝なんだなぁと苦笑する。
「夕飯用意するから待ってて、お父さん」
「ありがとう、空」
私が用意したご飯、肉野菜炒め、わかめと豆腐の味噌汁を、お父さんは味わって食べてくれた。
「ごちそうさま。いつもありがとう、空」
「お粗末様でした」
そうだ、今度
後ろ手の状態で親指同士を結んでしまえば、特殊な個性持ちでも無い限りは拘束できるはず。
台所で皿洗いをしながらそんな事を考えていると、突然背後から抱きしめられた。
「そーらちゃん」
「なんですか? 真さん」
真さんは私に頬ずりをしてきたので、水道の水を止めた。
洗っている途中に抱きしめられると、少し困ってしまう。
「空ちゃん、
「
真さんの個性、
気軽なスキンシップに見せかけて、真さんは不意を打ってくる。
「良かった。中途半端に抵抗するためじゃなく、あの手の連中から逃げるためにそういう習い事を使って欲しいから」
「ほら、見て下さい。綺麗でしょ?」
そう言いながら、私は真さんに両手を見せる。
拳も掌も使ってないから、綺麗なまま。
「そもそも相手に触ってません。気持ち悪い人達だったので」
「女子小学生に子供産んでとか言う連中はちょっとね……」
真さんは、頬ずりをしながら小声で尋ねてきた。
「
「はい。
「ん。それならよし」
そう言って、真さんは私から離れた。
食後のお茶を飲んでいたお父さんが、真さんにイヤそうな顔を見せる。
「心臓に悪い。
「あら兄さん、
「お前な……相手が
「ヒーローと
「やめろ、ここで議論をするつもりはない。口じゃお前にかなわない」
洗い物を終えた私は、お父さんと真さんのそんなやりとりに笑顔を見せた。
内心は、真顔になっていたのだけれど。
私は太極拳で危ないことはしていない。スワイショウでならしたかも。
私は
正直、よくわからない。
ヒーローも警察も来ないのなら、逃げるか自衛するしかない。
そして逃げようとしても大抵は逃げられない。
選択肢なんて最初からない。
どうせ最後は戦うことになる。
一度法が許しても、あの手の連中は何度でも繰り返し襲いかかってくる。
世界はいつだって理不尽だ。
自分の身を守る行為が犯罪になるのなら、私はヒーローになれない。
* * *
当然だが、塚内直正と塚内真は今回の事件において犯人を決して許さなかった。
ただでさえ塚内空は、亡くなった塚内翔子(享年30)が命を賭して護った一人娘なのだ。
この世界は個性犯罪を繰り返さないと正式にヴィラン登録されず、犯罪をしても執行猶予がつきやすい傾向にあるが、今回は未成年かつ無個性として役所に登録されている女子児童への凶悪犯罪であり、明確な証拠が豊富にあった。
だから犯人は言い逃れもできず、法の全力で裁かれることとなった。
強盗傷害罪(強盗が未遂でも成立)、不同意性交等未遂罪、不同意わいせつ罪、エトセトラ。
洗えば洗うほど、幾らでも埃がでてきた。
「いつだってそうだ。いつだってお前等のような奴らがにやにや笑いながら、俺を怪物にする!」
顔中の骨にヒビが入り骨折していたので、顔面を包帯でぐるぐる巻きにされていた釘崎爪牙は裁判でそう証言した。
傍聴人達にとっては「だから何?」という感じだった。
示談が通じる相手でもなく、裁判官からの印象は最悪。
国選弁護人は、頭を抱えることしかできなかった。
応援を頂けると更新頻度があがる仕様です。