グッド・バイ・ウォーズ!-惜別の開戦-   作:雨守学

1 / 4
第1話

私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。

 

――太宰治「グッド・バイ」作者の言葉 より

 

 

 

 

 

 

『グッド・バイ・ウォーズ!-惜別の開戦-』

 

 

 

 

 

 

「いいか、響。お前はもう、駆逐艦ヴェールヌイではなく、普通の女の子『響ちゃん』なんだ。ほら、あそこを見ろ。いかにも『金持ちです』って感じの夫婦がいるだろ? あれがお前の新しい里親だ。いいか、もう一度言うぞ。今度は、ちゃんとやるんだ。復唱しろ。『子供らしく振舞います』」

 

「子供らしく振舞います」

 

「いいぞ。『自分の気持ちをちゃんと言葉で伝えます』」

 

「言葉で伝えます」

 

「よしよし。んじゃ、最後だ。『何も言わずにいなくなったりしません』」

 

「家出しません」

 

「……まあ、いいだろう。もう大丈夫だな? 頼むぞ、響。アレに断られたら、もう、お前を引き取ってくれるところはないと思え。ここまでこぎつけるの、ほんっっっっっとうに大変だったんだから、な?」

 

響は小さく頷くと、新しい里親の元へと駆けて行った。

 

「今度は大丈夫そう? 雨海(あまがい)君」

 

「高見上官。ここまで来れば、もう大丈夫でしょう。面会の段階では、好印象でしたよ」

 

「だといいのだけれど……。この前みたいに家出して、先方を怒らせることだけはしないでちょうだいね」

 

「口酸っぱく言っておきましたよ。これで駄目なら、路頭に迷うことになるのだと」

 

「終戦宣言から一年以上経っているというのに……彼女だけだからね……。里親が決まっていないのは……」

 

終戦宣言から一年半。

艦娘たちは社会に適応し、勤めに出る者も現れた。

駆逐艦は里親に引き取られ、それぞれの家庭で幸せそうに暮らしているのだが……。

 

「いかんせん愛想が無いですからね。私の艦隊でも、浮き気味でしたよ」

 

「貴方の艦隊はそんなのばかりでしょう? 先日だって、ポーラが……」

 

上官の説教が始まりそうだったので、俺は顔を近づけ、その口をふさいでやった。

 

「な、何をするのよ!?」

 

「いえ、物欲しそうにしていたのでね」

 

「……貴方も聞いているでしょう? 私、結婚するの……。だから、もう、こういうことは……」

 

「知っていますよ。でも、親が決めた結婚なのでしょう? 貴女が望んだものではないはずだ」

 

上官は何も言わず、目をそらした。

俺は、上官をベッドに押し倒した。

 

「だ、駄目……本当に……」

 

と、言いつつ、いつも抵抗しないんだよな。

 

「本当は期待していたんでしょう? 知っていますよ。響の里親を探してきたのは、貴女なんだって。俺に恩を売って、見返りに抱いてもらおうとしていたのでしょう? ずっと、そうして来ましたもんね?」

 

「ち、違う……! 私は……ただ……あの子のことを思って……」

 

「じゃあ、何もしなくていいの? 美奈子さん」

 

上官は俯くと、小さく「下の名前で呼ぶのはズルいわよ……」と言った。

そして、上目遣いで俺を見ると――。

 

 

 

シャワーから上がると、上官が分厚い封筒を渡してきた。

 

「これは?」

 

中身を見てみると、まあまあの大金が入っていた。

 

「……手切れ金ってやつですか?」

 

「今回は本気なの……。確かに、親が決めた結婚ではあるわ……。でも、私は納得しているのよ……。少なくとも、貴方との関係を続けるよりかは……」

 

今まで似たようなことはたくさんあったが、手切れ金まで持ち出すとは……。

 

「それに、私はこの結婚を機に、海軍を去ることにしたの……。だから、もう貴方の力にはなれない……。貴方だって、私の権力を利用するために、こんなことをしているのでしょう……? 分かっているんだから……」

 

「そうと分かっていても、結局はやめられなかった。違いますか?」

 

上官は何も言わなかった。

 

「……分かりました。もう、俺の方から貴女に関わることはしません。正真正銘、これが最後です」

 

「…………」

 

「それと、このお金は受け取れません。確かに俺は、貴女を利用した。でも、それはあくまで副次的なものであって、貴女への愛は本物だった。これを受け取ってしまえば、愛が偽物になってしまう……。そんな気がするのです……。それだけは、避けたいのです……」

 

そう言って、封筒を返してやる。

 

「雨海君……」

 

「結婚おめでとう、美奈子さん。幸せになるんだよ」

 

「うん……。ありがとう……」

 

「グッド・バイ……」

 

上官は涙を流すと、最後のキスをして、部屋を出て行ってしまった。

 

「ふぅ……」

 

ベッドに寝転がると、上官の髪留めが目に入った。

 

「あーあ……もうちょっと利用できると思っていたんだがな……。本気なら仕方ない……」

 

その髪留めをごみ箱へ放り込み、俺は部屋を出た。

 

 

 

郵便室に寄ると、案の定、大量の手紙が送られてきていた。

 

「これで全部、であります」

 

「ありがとう、笠谷君」

 

「しかし、相変わらずの量でありますなぁ。すべて女性からで?」

 

「どうやらそうらしい」

 

「そうらしいって……読んでいないのでありますか?」

 

「読むだけ無駄なんだ。ほとんどが知らない人からのラブレターでね。街中で見かけただの、新聞で読んだだの――どうやら勝手にブロマイドが作られているらしくて、それを買ったのだという連中まで……」

 

「ほへぇ~。流石、海外艦担当にして、唯一の男性提督! そんでもって、こんな色男ときた日にゃ……。はぁ~……うらやましい限りでありますなぁ」

 

「そうとも言えないさ」

 

差出人を確認し、不要なものを捨ててゆく。

そんな中――。

 

「どうされたでありますか?」

 

「これを見てくれ」

 

「ん~? 雨海修様……」

 

「差出人を見たまえよ」

 

「差出人……? おや! こりゃ……」

 

「――艦隊の提督からだ。他にもあるぞ。こっちは――艦隊だし、こっちは海軍本部の――上官。他にも、財閥のご令嬢やら、政治家やら――大物ぞろいだ」

 

「はー……気が付きませんでした……。しかし……え……まさか、その方々も、貴方に恋文を……!?」

 

「まあ、出世するために色々やったからね。戦争が終わり、一段落したこともあって、もう一度会いたいのだの、両親に会ってほしいのだのとね……。婚姻届が送られてきたこともあるんだ。困ったもんだよ」

 

「なるほど……。このテの手紙は無視できませんからねぇ……。『そうとも言えない』ってのは、そういうことでありますか……」

 

「深海棲艦さえ現れなきゃ、こんなことで悩む必要もなかったのだろうがね……」

 

戦争が、この国の全てを変えてしまった。

当時、艦娘を手懐けるには、女性が最適だと考えられていて、艦娘に関する業務のほとんどは、女性によって行われていた。

やがて、深海棲艦に対抗するには、艦娘の力を利用するしかないのだと判明すると、それまで艦娘の面倒を見ていた女性たちは、艦娘と共謀し、クーデターを起こした。

男性社会であった海軍は、なすすべもなく、あっさりと陥落し、女性社会の海軍が誕生したのであった。

そして、その波紋は国の政治にまで広がってゆき――。

 

「しかしまあ、そういう社会でなければ、提督になれなかったのかもしれないと思うと、何とも複雑な気持ちになるよ」

 

それでも、ただモテるだけでは難しかったがね……。

それもこれも、上手くいったのは、全て――。

 

「あ! いたいた! 雨海さん、来々軒の方がお越しです」

 

「来々軒? 出前をとった覚えはありませんが……」

 

「いえ、それが、ポーラの件とのことで……」

 

「……なるほど」

 

あいつ……。

 

「……分かりました。すぐに行きます」

 

「お願いします。応接間へ案内しておりますので。では……」

 

俺はわざとらしく、ため息をついて見せた。

 

「また、でありますか?」

 

「あぁ……。また、だ。まったく……今度は上手くやれていると、安心していたのに……」

 

 

 

応接間に入ると、来々軒の店主である陳さんと、その隣にポーラが座っていた。

陳さんの何とも言えない表情と、申し訳なさそうにするポーラを見て、今回も駄目だったのかと、ため息をついてしまった。

 

「雨海さん……」

 

「いえ、何も言わなくていいですよ、陳さん。今度は何をやらかしたんだ? ポーラ……」

 

ポーラは何も言わず、ただ俯くだけであった。

 

「自分で言えないほどのことをやらかしたのか?」

 

やはり、何も言わないポーラ。

痺れを切らしたのか、陳さんが口を開いた。

 

「雨海さん……。申し訳ないけど……これ以上、うちでは雇えないかなぁ……。安い給料で働いてもらっているんで、強くは言えないけど……。勤務中にお酒を飲んで、仕事を放棄するのはねぇ……?」

 

「すみません……。ポーラ……俺、言ったよな? 勤務中の飲酒は禁止だってよ……」

 

「だって……お客さんが、一緒に飲みましょーって……」

 

「ポーラちゃん……飲むにしたってさ、限度ってのがあるだろう? ちょっとだけなら、まあ、お客さんのご好意だし? おじさんも目を瞑ろう。けど、お客さんに交じって、宴会を始めちゃうのはねぇ……。料理を運ばなきゃいけない時も、ポーラちゃんはお酒に夢中だったから、お客さんが自ら運んでくれていたよね? しかも、その料理をポーラちゃんが食べちゃってて……。それは……ちょっと……マズいんじゃないのかねぇ……?」

 

陳さんが俺を見る。

 

「ほんっっっっっとうに申し訳ございません……」

 

「まあ……それだけなら許そうと思ったんだけどさ……。ポーラちゃん、お店が終わった後、お客さんがキープしているお酒、こっそり飲んでるでしょ……? それはさすがに……ねぇ……?」

 

再び俺を見る陳さん。

もはや、ポーラに何を言っても無駄だと思っているのだろう。

 

「本当に申し訳ございません……。分かりました……。ポーラを引き揚げさせます……。ご迷惑をおかけした分については、海軍本部へ請求してください……。陳さん、長い間、ポーラの面倒を見ていただき、ありがとうございました……」

 

「いやぁ……まあ……。ポーラちゃんが来てくれて、店が活気づいたのは事実だしさ……。でも……うん……うちに居続けたら、それこそ、ポーラちゃん、甘えちゃうでしょ?」

 

「ですね……」

 

「まあ……そういうことだから……。雨海さんも大変だろうけど……。今度、うちへ食べに来なよ。サービスするからさ」

 

「ありがとうございます……」

 

「じゃあ……。今までありがとね、ポーラちゃん。次のお店では怒られないようにね」

 

そう言うと、陳さんは帰っていった。

 

「……ポーラ」

 

「ポーラ……悪くないです……」

 

「あ?」

 

「だって……お客さん……喜んでくれました……。ポーラとお酒飲めて嬉しいって……。それに、キープしているお酒は、飲んでもいいってお客さんが……」

 

「社交辞令だし、キープしている酒を飲んでもいいってのも、酒の席での冗談だろ……。本気にしてどうする……。それに、仕事を放棄したのは事実だろ。それでも自分は悪くないってか?」

 

ポーラは何も言わず、ただ不貞腐れるだけであった。

 

「はぁ……。陳さんが最後の砦だったのに……。お前みたいな奴を長い間雇ってくれたんだぞ? 何度問題を起こしても、笑って許してくれた人だぞ? それがお前……もう雇えないとまで言わせちゃって……。誰よりも辛かったのは陳さんなんだぞ?」

 

泣きそうなポーラ。

陳さんの気持ちを知ってのことか、はたまた理不尽な仕打ちだと悔しがっているだけなのか……。

 

「……とにかく、また仕事を探さなきゃならんぞ。それとも、ザラに報告して、また一緒に住んでもらうか?」

 

「ザラ姉さまだけには言わないでください! ザラ姉さまには……迷惑かけたくないです……」

 

「だよな? だったら、ちゃんとしてくれ……。頼むから……」

 

「はい……。ごめんなさい……」

 

「はぁ……」

 

戦後、ポーラの姉妹艦であるザラは、日本人の男と交際を始めた。

ザラに金魚のフンだったポーラは、ザラと共に日本へ移り住むことを決意し、しばらくの間、二人一緒に暮らしていた。

しかし、ザラが交際相手と幸せそうにしているのを見て、邪魔してはいけないと思ったのだろう。

ザラの元を離れ、自立したいのだと、自分の提督であった俺を頼ってきたのだった。

 

「提督ぅ……ポーラ……まだお金ありますか……?」

 

「あぁ、あるよ。けど、イタリアからの自立支援金は、徐々に少なくなってきている。お前以外の海外艦は、支援金なんていらないくらいには自立できているからな……。いつ切られても不思議じゃないよ」

 

「うぅ……」

 

こいつが日本の艦娘であれば、もっと手厚い支援が受けられたんだけどな……。

 

「落ち込んでいても仕方がない。街へ出るぞ」

 

「飲みに行くんですか!?」

 

「ちげぇよ馬鹿! お前を慰めるために街へ出るんじゃない。職を探しに行くんだ」

 

「そうでしたか……」

 

「はぁ……。とにかく、よそ行きの服に着替えてこい。少しでも見た目を良くしないと、門前払いだ……」

 

それを聞いて、ポーラは何やらもじもじと手遊びを始めた。

 

「どうした?」

 

「あー……よそ行きの服って……あれですかね……?」

 

「あぁ、前に買ってやったのがあるだろ」

 

「あぁ……あれですね……。あれなんですけど……そのぉ……」

 

「……まさか、どっかになくしたのか?」

 

「そ、そうじゃないんです! その……ワインを飲んでいた時にですね……? 床にこぼしちゃった事があってぇ……。何か拭くものはないかなーって……思ってですね……? ちょうど手元にあったのが……そのぉ……」

 

「……そのワインってのは?」

 

「……赤です」

 

「その『手元にあったもの』は、今どこに……?」

 

「雑巾として活躍してます……」

 

あと何回、ため息をつけばいいのか……。

 

 

 

「着いたぞ」

 

「うぇあ!? んじゅ……うへへ……寝てまひたぁ……」

 

車を降りると、店から屈強な男が出てきた。

 

「いらっしゃ~い。そろそろ来る頃だと思っていたわよぉん」

 

「マーブル……。また一段と、化粧が濃くなったな……」

 

「知らないのぉ? 今はこういうのが流行りなのよ!」

 

通称、マーブル。

本名、間武瑠(はざまたける)。

屈強な元軍人で、今はファンシーショップ『マーブル』の店主である。

 

「あら、貴女がポーラちゃん? 可愛いわねぇ」

 

ポーラが目を丸くして、俺を見ている。

 

「……マーブル、こいつに服を見繕ってくれ。あと、髪も整えてほしい」

 

「仕事を探しているんでしょう? 任せて! 絶対に採用したくなるくらい、可愛く仕上げちゃうわ!」

 

 

 

「それじゃあ、ポーラちゃん! 髪も整えたし、これに着替えてみましょうね~」

 

「はぁい」

 

ポーラが更衣室に入ると、マーブルは小さい声で俺に話しかけてきた。

 

「可愛い子じゃない。とても艦娘とは思えないわぁ」

 

「……何故、艦娘だと分かった? お前はポーラを知らんはずだろう……。そもそも、どうして俺たちが来ることを……」

 

「女の勘ってやつよ。前にも説明したでしょう?」

 

マーブルは不思議な奴だ。

まるで、未来がみえているかのような振る舞いをすることが多い。

今日だって、来ることを言ってはいないし、その目的だって言っていない。

 

「そんなことより、大変そうねぇ。毎日ラブレターが来るんでしょう? 特に、貴方が調略のために堕とした女は……今後、厄介な存在になるわよ……?」

 

どうしてそんなことまで……。

 

「貴方だって分かっているのでしょう? このまま、なあなあには出来ないって……」

 

「……俺はどうすればいい?」

 

「そうね……。いっそのこと、結婚でもして、諦めてもらったらいいじゃない。勝ち目なんて無いくらいの、とびっきりの美人と……。貴方なら簡単なんじゃない?」

 

「…………」

 

「……なんてね。ポーラちゃん、大丈夫? きつくなぁい?」

 

「大丈夫~……です」

 

「じゃあ、カーテンを開けるわよ~? じゃーん!」

 

「おぉ……!」

 

思わず声が出る。

 

「えへへ……提督、どうですか~?」

 

「いや……ビックリしたよ。すごく美人になった」

 

「ウフフ、元の顔がいいから、ちょっと着飾ったらこれよ! とびっきりの美人になったわぁん!」

 

いやはや……。

ポーラじゃなかったら、確実にナンパするレベルだ……。

美人の中に、無邪気な小娘らしさも隠れていて……。

 

「流石はマーブル……。脱帽だ……」

 

「んふ、私も久々に腕が鳴ったわ。今日のお代は結構だから、コーデするときは絶対にうちへ来て!」

 

「あぁ、助かるよ」

 

もう一度、ポーラに目をやる。

確かに、元の顔は、かなりいいんだよな……。

本当、黙っていれば――ポーラのことを何も知らなければ……。

 

「うん……イケるぜ、これは……。よし、早速街へ行くぞ!」

 

「おー!」

 

 

 

数日後。

 

「嘘だろ……」

 

「提督ぅ……」

 

なんと、全滅であった。

どうやら街では、ポーラの素行の悪さが噂になっており、名前を出した瞬間、門前払いとなったのだ。

 

「面接どころか、話すらさせてもらえなかった……。お前、何やらかしたんだよ……」

 

「何もしてません! 多分……」

 

「はぁ……」

 

女性社会のこの国では、艦娘という立場はむしろ、就活では有利に働くはずなのだが……。

その特権をも上回るというのか……。

こいつの素行の悪さは……。

 

「高見上官には頼れないしな……。とにかく、他をあたるしかない……。探しておくから、今日はもう帰れ……」

 

「はい……すみません……」

 

そう言うと、ポーラはトボトボと帰っていった。

 

「…………」

 

素行が悪いとはいえ、可哀想ではあるんだよな……。

人類の為に戦ったのに――日本語だって、まだ……。

 

「遠くの街だったら、ポーラのことは知られていないだろうが……」

 

この街には、ザラが暮らしている。

離れ離れにするのは、それこそ……。

 

 

 

いつものように郵便室へ行くと……。

 

「あれ、今日はこれだけかい?」

 

「へぇ、そのようでありますな」

 

毎日、束になるほどのラブレターが送られてきていた。

それが、今日に限っては……。

 

「まあ、それでも、個人宛に来る手紙では、多い方であります」

 

「まあ、そうか……。こんなもんだよな、普通は……」

 

しかし、翌日も、そのまた翌日も、手紙は少なくなってゆき……。

 

「おかしい……。さすがにおかしい……」

 

「良いことではありませんか。捨てるほどあったわけですし」

 

「手紙の数はモテる男のステータスだぞ! それが少なくなったってのは……」

 

ふと、気付く。

 

「そういえば、最近、ウメちゃんからの手紙がないではないか!」

 

「ウメちゃん?」

 

「花咲ウメちゃんだ。花屋の娘だよ。いつもいつも、可愛い便箋をくれる娘で……」

 

小動物のような可愛さを持つウメちゃん。

俺にホの字で、ちょっとイジワルしてやると、目をハートにするウメちゃん。

 

「…………」

 

そんなウメちゃんが……どうして……。

 

「何かが起きているに違いない……」

 

 

 

車を走らせ、ウメちゃんを訪ねた。

 

「やあ、ウメちゃん」

 

「あ……雨海さん……」

 

「なんだ、元気そうだね。手紙をくれなくなったから、何かあったのではないかと心配していたんだよ」

 

「そ、そうだったんですか……!?」

 

嬉しそうな顔。

相変わらず可愛いなぁ……。

 

「あ……でも……」

 

「ん?」

 

「私のことは……もう気にかけていただかなくて結構です……。雨海さんの恋人に……悪いですから……」

 

「恋人……? 僕の……コイビト……?」

 

「隠さなくていいです……。噂になっていますよ……。ここ数日、雨海さんが、美人を連れて街を歩いていると……」

 

ここ数日、美人を連れて……?

 

「もしかして、ポーラのことかい?」

 

「ポーラさんと言うのですね……。名前まで素敵……」

 

「いや……ポーラって、艦娘の……」

 

「艦娘とお付き合いを……!? そうですよね……。提督ですから……。共に戦った仲間ですから……そうもなりますよね……」

 

「いや、だから……」

 

「あんな美人を見せられたら、私……。雨海さん……どうかお幸せに……。私は……貴方のことが……うぅぅ……」

 

「ウメちゃん!?」

 

ウメちゃんは店を空けたまま、走り去ってしまった。

 

「ウメちゃん……」

 

その後も、俺に惚れているであろう娘たちを訪ねてみたが、やはり俺とポーラがデキていると噂になっているらしく――尤も、着飾っていたからなのか、ポーラとは分からなかった様子だが――ポーラがあまりにも美人であったが故に、恋を諦める者が続出したようであった。

 

「そもそもポーラを知らない連中がいるとは……」

 

確かに、海外艦は日本の艦娘とは違い、知名度が低いとは思っていたが……。

 

「それにしたって……はぁ……」

 

毎日来る大量の手紙に、辟易していた。

しかし、それを羨む周りからの視線が、俺を優越感に浸らせていたのは事実であった。

それに……。

 

「ウメちゃん……」

 

あの可愛らしい便箋は……もう……。

 

「便箋……」

 

ふと、返信しなければならない手紙があったことを思い出す。

便箋を切らしていることも……。

 

「…………」

 

『貴方だって分かっているのでしょう? このまま、なあなあには出来ないって……』

 

出世の為、艦隊を大きくするために、色々やってきた。

婚約を仄めかしたり、床を共にしたり――。

しかし、戦争が終わってしまえば、もう、彼女たちは――。

されど、不要な手紙のように、簡単に捨てることができないのも事実だ。

今まで当たり障りのない返信をしてきたが、そろそろ限界だろう……。

 

『いっそのこと、結婚でもして、諦めてもらったらいいじゃない。勝ち目なんて無いくらいの、とびっきりの美人と……』

 

『あんな美人を見せられたら、私……』

 

「……そうだ!」

 

 

 

郵便室へ戻ってみると、ポーラが封筒の仕分け作業をしていた。

 

「ここにいたのか。何をしているんだ?」

 

「あ、提督ぅ。ポーラ、お仕事してます」

 

「お仕事?」

 

「はい!」

 

ドヤ顔をするポーラ。

 

「何か仕事が欲しいのだと、自分を訪ねてきたのでありますよ」

 

「ほう」

 

「笠谷さん、一人で大変だって言ってましたからね~」

 

「本部も、お駄賃程度なら渡してもやってもいいとのことだったので、こうして手伝ってもらっているのであります」

 

「そうだったのか。いや、悪いね。面倒を見てもらって……」

 

「いいえ、助かっておりますよ。毎日お願いしたいほどであります」

 

「うへへ~そんなに褒めなくても~」

 

こいつが自ら仕事をねぇ……。

 

「笠谷さん、終わりました~。次、何しますか?」

 

「そうでありますなぁ……。今日はもう、特にないのであります」

 

「えぇ~……。ポーラ、まだ働けますって……」

 

「そう言われましてもなぁ……」

 

丁度いい。

 

「なら、ポーラ。俺からの仕事を請けてみないか?」

 

「提督のお仕事ですか……? なんだか難しそうです……。ポーラ、日本語喋れますけど、読み書きはまだ苦手でぇ……」

 

「大丈夫だ。簡単な仕事さ。報酬も弾むぜ。何がいい?」

 

「ほんとですか? じゃあ、飲みに行きたいです!」

 

「ああ、いいよ。仕事が終わったら、居酒屋でも何でも連れて行ってやるよ」

 

「やったー! えへへ、約束ですよ~?」

 

「あぁ」

 

仕事の内容も訊かずに……。

まあ、好都合ではあるのだが……。

 

 

 

マーブルを訪ねると、やはり何もかも分かっていたかのように、写真機がセットされていた。

 

「コーデだけお願いしようと思っていたんだぜ。写真機なんかも持っていたのか」

 

「スタジオもあるし、現像だってできるわよぉん」

 

本当、ナニモンなんだよこいつは……。

 

「提督、写真を撮るんですか?」

 

「あぁ。俺と写真を撮ってくれ。それが仕事だ」

 

ポーラは何故か、目を細めた。

 

「嫌か?」

 

「提督……なんだか怪しいです……。写真を撮るだけなんて……。変です……」

 

「ベツニ、ヘンナコトハナイダロウ……」

 

「ほんとーですかぁ? 怪しい……。じー……です……」

 

口で言うのか、それ。

 

「はいはい、ポーラちゃん。まずはこれに着替えて。お仕事なんでしょう?」

 

「……はーい」

 

更衣室に入ると、ポーラはカーテンから顔を出し、疑うような視線を俺に向けていた。

 

「いいから早く着替えろよ。居酒屋、終わっちまうぞ」

 

「そうでした! すぐ着替えます!」

 

「まったく……」

 

マーブルはクスクス笑うと、小声で言った。

 

「街の娘のように、諦めてくれたらいいのだけどね?」

 

「……なんの話だ?」

 

「写真、厄介な先方へ送るんでしょう? さすがに、結婚するとまでは言えないようだけれども、お似合いのカップルだと思わせたら勝ち、ってことでしょう?」

 

こいつ、本当……。

 

「……全員が全員、諦めてくれるとは思っていないさ。手紙の内容も、恋仲であるとまでは書かず、いずれはそうなるのかもしれないと思わせる程度の内容にするつもりだ」

 

「同棲している、くらいのことは書いておいた方がいいわ」

 

「確かめに来られたらどうする?」

 

「それが出来るのなら、とっくに貴方へ会いに来ているはずでしょう?」

 

それもそうか……。

 

「一つだけ、忠告しておくわ」

 

「忠告?」

 

「ポーラちゃんを巻き込むのはいいけれど、ちゃんと責任を果たしなさいよ。あの子を泣かせるようなことがあったら……」

 

マーブルの目が――いや、その目は、間武瑠のものであった――。

 

「マーブルさ~ん、背中のチャック……んんっ……届かない~……」

 

「はいはい、ちょっと待ってねぇん」

 

「…………」

 

責任……か……。

 

「提督ぅ?」

 

「ん!? どうした?」

 

「どうした? じゃないですよー……。この服……とっても窮屈です……。早く写真、撮りましょー?」

 

「あ、あぁ……そうだな……」

 

 

 

撮影を終え、現像もしてもらった。

 

「おぉ、いい感じじゃないか」

 

「本当、いい写真だわぁん。入口に飾ろうかしら?」

 

「提督ぅ? もういいでしょー? 早くお酒、飲みに行きましょーよー」

 

「わかったわかった……。マーブル、世話になったな。これ、少し多めに詰めておいたから」

 

そう言って、現金の入った封筒を渡してやる。

 

「あら、こんなにいいの? 悪いわね」

 

「前回のこともあるしな。今後も世話になるから、その時はよろしくな」

 

「任せてちょうだい!」

 

「提督ぅー!」

 

「分かったから、腕を引っ張るな……!」

 

ポーラに引きずられるようにして、店を後にした。

 

 

 

「んがっ!?」

 

目を覚ますと、知らない天井があった。

 

「なんか……うっ……くせぇ……。頭も痛いし……」

 

体を起こすと、上半身裸のポーラが、ワインボトルを抱えて眠っているのが見えた。

 

「あぁ……そうか……。昨日、散々はしごした後、ポーラの家で飲みなおしたんだっけか……」

 

一瞬、ヤっちまったかと思ったが、酔うと脱ぎたがる奴だったな、こいつ……。

 

「家だから、安心して脱いじまったんだろうな……。それにしても……なんだこの臭いは……」

 

フラフラになりながら、カーテンを開け、朝日を浴びていると……。

 

「うわっ!?」

 

薄暗くて気付かなかったが、ゴミ袋が山積みになっていた。

 

「なんじゃこりゃ!?」

 

「うーん……提督ぅ……うるさいですよぉ……」

 

「おいポーラ! なんだ、このゴミの山は!?」

 

「え~……? あー……これはですねー……。なんか……ゴミを出す日? があるらしくてぇ……。ポーラ、忙しくて……出し忘れててぇ……」

 

「ゴミを出す日を逃し続けた結果、こうなったと?」

 

「えへへ……」

 

こいつ……。

 

「……今日がそのゴミを出す日だ! 俺が出してくるから、お前は服着て顔を洗ってこい!」

 

「あれぇ!? どうしてポーラ、裸なんですか!? 提督のえっちー!」

 

「お前が勝手に脱いだんだろうが! いいから顔を洗ってこい、馬鹿!」

 

ポーラを洗面所へ放り込み、俺はゴミの山をゴミ捨て場へ運び始めた。

 

「畜生、なんで俺がこんなことを……!」

 

 

 

ゴミを出し終え、部屋を掃除していると、ポーラが居間へ戻ってきた。

 

「おい……。何ちゃっかり風呂に入っているんだよ……」

 

「いい湯でしたよ~。提督もどうですか~?」

 

「……俺は遠慮しておくよ」

 

ふと、ポーラが抱えていたワインボトルに目をやる。

 

「お前、そんな高価なワイン、どこで手に入れたんだ?」

 

「これですか~? 昨日、提督が買ってくれたんですよ~? 忘れちゃいましたか?」

 

「俺が……? 馬鹿な……」

 

「あー……まあ……提督、寝ちゃっていたから……そのぉ……」

 

財布を確認する。

そこには、一銭も入っていなかった。

 

「お前……マジかよ……」

 

「一応、許可はとりました! うん、いいよって……言ってた……ように聞こえました……」

 

目をそらすポーラ。

ワインはしっかりと飲まれていた。

 

「はぁ……」

 

「ごめんなさい……」

 

迂闊だった……。

酒なんか飲ますんじゃなかったぜ……。

 

「もういいよ……。寝ていた俺も悪いから……。いや、まあ、勝手に金を使うのはいけないことだが……」

 

「その……ちょっとだけ残っていますから……。飲みますか……?」

 

そう言うと、ほぼというか、一滴あるかないかのボトルを差し出すポーラ。

 

「いらないよ……。とりあえず、帰るわ……。ゴミ、ちゃんと捨てろよ……?」

 

「はい……」

 

「じゃあな……」

 

家を出ると、すぐに鍵をかけられた。

こういう言いつけだけはしっかり守るよな……。

 

「けど、なんかムカつくぜ……。これじゃあ、俺が追い出されたみたいじゃないか……」

 

まあいい。

俺は、昨日撮った写真をポケットから取り出した。

 

「これでチャラにしてやるよ」

 

その日の内に手紙を書き、写真と共に『厄介者達』へと送りつけた。

 

 

 

数日後。

厄介者からの手紙は、少なくなっていた。

 

「効果覿面だな」

 

中には『諦めがついた』という内容の手紙も、何通か来ていた。

 

「何かいいことでもあったのでありますか?」

 

「いや? そんなことより、今日はポーラ、来ていないのかい?」

 

「いえ、数日前に来たっきりで……。一緒ではないのでありますか?」

 

あれからポーラとは会っていない。

仕事が無いと、いつも俺に泣きついてくるから、てっきり郵便室で仕事をもらっているものと思っていたのだが……。

 

「失礼いたします! 雨海提督、雨海提督はおられますか?」

 

郵便室に、若い海兵が入ってきた。

 

「僕が雨海だ。何か用事かな?」

 

「は、はっ! 鈴沼様より電報があり、お伝えに参りました! こ、こちらです!」

 

「そうか。ご苦労様。それにしても、君、見ない顔だね。もしかして、若くして本部配属となった優秀な新人とは、君のことかな?」

 

そう言って近づくと、顔を赤くして慌てだした。

 

「あ、あわわ……。で、では……その……失礼いたしましたぁ~!」

 

逃げるように去る娘に、思わず顔がほころぶ。

 

「フフ……可愛いなぁ……。やっぱり、優秀な若い海兵ってのは、大事にされてきたのか、ウブな子が多くていいね。彼女が次のウメちゃん候補かな?」

 

「お盛んなこって……。それよりも、鈴沼って、あの鈴沼財閥の?」

 

「あぁ、そうだね。鈴沼財閥のご令嬢である『鈴沼麗美』だ。いつも素敵な恋文をくれるのだが、我慢できず、電報を送ってきたのだろう」

 

そう言って、電報の内容を確認したとき、俺の顔は一気に青ざめた。

 

「どうされたのでありますか?」

 

「鈴沼麗美ではない……。こりゃ……鈴沼一朗からだ……」

 

「鈴沼一郎って……あの鈴沼一郎でありますか!? 鈴沼財閥トップの!?」

 

電報には、鈴沼麗美へ送った手紙(ポーラとの写真付き)を見たことと、今すぐにでも会いに来いというような内容が書かれていた。

 

「マズイな……。御大の逆鱗に触れてしまったのかもしれないぞ……」

 

鈴沼一郎……。

所謂、大戦景気の成功者だ。

先見の明があり、戦争によるボーキサイト需要の高まり以前から、ボーキサイトの採掘や金属加工会社への投資・買収などを行っており、今や三大財閥に肩を並べようとしている人物の一人だ。

 

「ボーキサイトを海軍で独占するために、彼の一人娘である鈴沼麗美へ接近したんだ……。作戦は成功したが、一郎氏に気に入られてしまってね……。戦争が終わったら、娘をもらってほしいと言われていたんだ……」

 

「しかし、約束を反故にしたと?」

 

「約束などしていないからね。娘には手を出していないし、酒の席での冗談だとばかり……」

 

いや、しかし、おかしい……。

これまで、一郎氏からの連絡なんて、一度もなかった。

彼は多忙であるし、何故、今更俺のことを……。

娘と俺が文通していることだって知らないはずだし、彼女自身、一郎氏と会話できるのは年に一回あるかどうかと言っていたはずだが……。

 

「まさか……。ポーラとの写真を見て、お嬢さんが一郎氏に……?」

 

いや……圧力をかけてくるような女性ではないはずだ……。

おそらく、何かの手違いで、俺との文通が一郎氏にバレて……。

 

「マズいことになったぞ……。ポーラを連れて来いとも書かれているし……」

 

「ツケが回ってきたというわけでありますな。ここは潔く、華麗に散ってはいかがかな? なーに、骨はしっかりと、この笠谷優成が拾ってやりますよ」

 

謎の自信を見せる笠谷君を尻目に、俺はふらつきながら郵便室を出た。

 

 

 

色々考えているうちに、いつの間にか街へ出ていた。

 

「やっぱり、怒っているよな……」

 

個人的な問題で済むのならいい……。

しかしこれは、海軍と鈴沼財閥の関係にヒビが入る事態へ発展しかねない……。

そうなった場合、おそらくは――。

 

「……どこか遠くへ逃げてしまおうか」

 

いや……。

せっかく出世したのだ。

この立場を手放すわけには……。

 

「ん?」

 

歓楽街の一角。

薄暗い路地裏に――。

 

「ポーラ……?」

 

ポーラは、何やら化粧の濃い女性と話しながら、地下にある店へと消えていった。

 

「何やってんだあいつ……」

 

不思議に思い、その店の看板を見てみると――。

 

「あいつ……!」

 

 

 

階段を下り、店へと入る。

 

「ちょっとー……まだ開店前なんですけどー……」

 

「ポーラ!」

 

「ポーラ……? あら、もう客がついたのねー……。ポーラちゃん、お客さん来てるわよー……」

 

「はぁい?」

 

店の奥から、ポーラが出てきた。

……派手なドレスに身を包んで。

 

「あれ? 提督ぅ?」

 

「お前……こんなところで何やってんだ!?」

 

「何って……お仕事ですよ~? 今日が初出勤なんです」

 

「仕事って……。お前、ここが何の店か知っているのか?」

 

「男の人とお酒を飲むお店ですよね? ポーラに向いているお店です! えへへ」

 

本当、こいつ……。

 

「……帰るぞ。こんなところで働くな……」

 

「え~?」

 

「ちょいと待ちなよ、おにいさん」

 

煙草をふかしながら、近づいてくる女。

 

「フゥ……。あんた、この子の何なのさ?」

 

「俺は、この子の提督だ」

 

「提督……? あぁ……この子、艦娘だったねぇ……。それで? その提督さんが、何の用だい?」

 

「この子の提督として、こんなところで働かせる訳にはいかないのでね。連れて帰らせてもらう」

 

「はっ! こんなところって……。何様のつもりだい……? それに、その子は自ら、この店に来たんだよ。何の権利があって、うちの従業員を連れていくって言うんだい!?」

 

ポーラ自ら……?

 

「うちもね、カツカツなんだよ。女性社会だか何だか知らないけど……金持ちの客がめっきり来なくなってねぇ……。そんな時に、こんな上玉が来たんだ。そう易々と渡すもんかい!」

 

なるほど……。

俺は、ポケットから財布を取り出した。

 

「なんだい? 財布なんか出して……」

 

「そんなに金が欲しいのなら、有り金全部くれてやる。だから、この子を巻き込むな」

 

財布の中身を全て出し、女に差し出す。

 

「ふんっ……こんなはした金……何の足しにもなりゃしないよ!」

 

「なら、これはどうだ?」

 

腕時計を渡してやる。

 

「売れば金になる。あんたなら、価値がわかるだろう?」

 

女は腕時計を手に取ると、退屈そうに鼻を鳴らした。

 

「行くぞ、ポーラ」

 

「は、はい……」

 

 

 

「どうしてあんなところに居たんだ!」

 

ポーラは目を逸らしながら答えた。

 

「仕事を探していたら……声をかけられて……。男の人とお酒を飲む仕事だって……」

 

「お前……本当にそれだけだと思っていたのか? あれはな……!」

「……知っています!」

 

「え……?」

 

「どういう仕事か……知っています……。でも……ポーラが出来る仕事……それくらいしか無いです……。違いますか……?」

 

ポーラは、悲しそうな表情をしていた。

 

「……そうだとしても、どうして俺に黙っていた?」

 

「提督に……これ以上……迷惑かけたくなかったです……」

 

「俺に……?」

 

「この前……提督のお金でお酒を買いました……。いつもの提督なら……ものすごく、ものすごーく……怒りますよね……? でも……あの日は違いました……」

 

『もういいよ……。寝ていた俺も悪いから……』

 

「ポーラ……知っています……。怒られなくなったら、おしまいだって……。怒られているうちが……ハナ? だって……。提督……怒らなかったです……。怒らないのは……ポーラにシツボー? したからです……。迷惑……しているからです……」

 

「だから、自分一人で仕事を……? 俺に迷惑をかけたくない一心で……?」

 

頷くポーラ。

 

「提督は……いつもいつも……ポーラの為に頑張ってくれています……。ポーラも、その想いに応えたいです……。でも……上手くいかなくて……」

 

こいつなりに、色々と考えた結果なのか……。

確かに、ここ最近は、意欲的に働いていたよな……。

郵便室の仕事だって、こいつ自ら……。

 

「馬鹿か、お前……。迷惑なんて、今更だろ……。失望? そんなもん、とうの昔にしているよ」

 

「…………」

 

「それでも、お前を見捨てなかっただろ……。それは、お前が一生懸命頑張っていたからだ。ザラに迷惑かけたくないと、本気で思っていたからだ……。それは、今も同じだろ?」

 

「はい……」

 

「その気持ちがあるのなら、俺は見捨てたりしないよ。俺は、お前の提督だ。お前が自立できるまで、しっかりと面倒を見るつもりだ。だから、安心して背中を任せてくれ。勝手に行動するな……。本気で心配したんだぞ……」

 

「提督……う……うぅぅ……! ごめんなさいぃぃ……! 本当は……怖かったぁぁ……! うわぁぁぁぁん……!」

 

「よしよし……」

 

子供のように泣くポーラ。

女の涙ほど、面倒くさいものはないと思っていたのだが……。

何故だろう、今は――。

 

 

 

ポーラはしばらく泣いていたが、落ち着いたのか、恥ずかしそうに俺から離れた。

 

「もう大丈夫か?」

 

「はい……ぐすっ……ずみまぜん……」

 

ポーラは、俺の左手をチラリと見た。

 

「腕時計の事なら気にするな。ありゃ、実は偽物なんだよ」

 

「そうなんですか……?」

 

「偽物の方が、女にはそれっぽく見えるんだよ。実際、騙されていただろ? あの女」

 

「でも……お金は……」

 

「お前が買ったワインよりかは、安くついたよ」

 

「すみません……」

 

俯くポーラ。

思えば、ここ最近、落ち込む顔ばかり見ている気がする。

こいつはもっと、笑った顔の方が――。

 

「提督……ポーラに出来ること……ありませんか……? ポーラ……なんでもやります……!」

 

ポーラに出来ること……か……。

 

「あ……」

 

ふと、思い出す。

 

「……だったら、一つだけ、頼まれてくれないか?」

 

 

 

汽車が走り出すと、ポーラは子供のようにはしゃぎだした。

 

「提督! 見てください! モクモクです!」

 

「おい馬鹿! 窓を開けるな! 煙が入ってくるだろう!?」

 

あれから数日。

俺たちは、鈴沼邸へと向かっていた。

 

「いいか、ポーラ。今から向かう家では、とにかく、何も言わず、お淑やかにしてくれよ? 設定もちゃんと守れ。いいな?」

 

「分かってますって~。ポーラは、提督の艦娘で、一緒に住んでいる……ですよね?」

 

「そうだ。海外艦のカワイソーな艦娘を俺が面倒見ているって設定だ。お嬢さんとの婚約を持ちかけられても『この子の将来が心配で、それどころではないのです』と、断る。さすがの一郎氏も、そこまで言われちゃ、引き下がるほかないだろう」

 

まあ、そう上手くいくかは分からんが……。

そもそも、どういう用件で呼び出されているのか、はっきりとは分かっていないし……。

お嬢さんと結婚する約束を反故にしたと思われているから?

はたまた、別の理由?

いずれにせよ、ポーラを連れてこいと言われている以上、前者の可能性が高い。

 

「お嬢さんへの手紙って、何を書いたんですか?」

 

「設定をそのまま書いたんだよ。会いたいって言うから『今はポーラの世話があるんで、会いに行けない』……と」

 

「それで、お父さんが怒っちゃったって事ですか? どうしてですかね? 仕方ないですよ。忙しいのは」

 

娘を放っていたというだけであるのなら、とうの昔に手紙が来ているはずだ。

やはり、ポーラの写真を見て、お嬢さんが一郎氏に泣きついたか……?

 

「提督?」

 

そんなのはありえない、とは思うが……。

こいつの容姿を見てしまうと、そうとも言い切れないかもしれないと思ってしまうのは何故だろうか……。

 

「けど、いいんですか? その人、提督のことが好きなんですよね? 提督は、結婚したくないですか?」

 

「したくないね」

 

「それは……ポーラのお世話をしなければいけないからですか……? それとも……」

 

「……余計な詮索はするな。ふわぁ……。俺は……ちょっと寝る……。着いたら起こしてくれ……」

 

「……はぁい」

 

結婚なんぞ……誰がするか……。

 

 

 

駅に着いたのは、夕方であった。

 

「面会は明日の昼頃だ。今日は一泊して、英気を養うぞ」

 

「お泊りですか!? やったー!」

 

「フッ、そんなに嬉しいことか?」

 

「だって、お泊りって、旅行じゃないですか! ポーラ、旅行は初めてです!」

 

「初めて? ザラとは行かなかったのか?」

 

「ザラ姉さまとお出かけしたことはありますけど、街を出たことはないです。ポーラにはまだ早いって、言っていました」

 

まあ、ザラの言いたいことは分かる。

確かに、外に出すのは危なっかしいよな……。

 

「じゃあ、なんだ。街を出たのも初めてなのか?」

 

「はい! 初めてです!」

 

だから、あんなにはしゃいでいたのか……。

なんか、可哀想になってきたな……。

 

「……とりあえず、宿へ向かうぞ」

 

「はい!」

 

 

 

宿は、想像以上に立派であった。

 

「おー! 提督ぅ! 凄いです! 立派です!」

 

目をきらめかせるポーラに、女将はクスクス笑っていた。

 

「すみません。騒がしくて……」

 

「いいえ~。喜んでいただけたのなら何よりです」

 

流石は、本部のお偉いさんだぜ。

ちょっと誘惑してやるだけで、こんなに上等な宿をとってくるとは……。

 

「提督、早くお部屋に行きましょー! 温泉もあるみたいです! 早く早くー!」

 

「わかったわかった……」

 

 

 

部屋もまた、上等であった。

食事も、ポーラが困惑するレベルであったし、温泉も最高であった。

 

「戻りました~」

 

「おう。初めての温泉、どうだった?」

 

「極楽極楽~でした~。景色も良くて、さいこーでした~。えへへ~」

 

「そりゃ良かったな。どうだ、ちょっと外を歩かないか? 温泉街だから、浴衣のまま散策できるらしいぞ」

 

「いいですね~。ちょうど、体を冷ましたかったので~」

 

「んじゃ、行こうか」

 

 

 

――温泉街。

名所と言われるだけあってか、夜だというのに、浴衣を着た人で溢れていた。

 

「夜なのに、にぎやかですねー。みんな浴衣を着ていて、外じゃないみたいです」

 

「確かにな。お、甘酒と酒まんじゅうだ。どれ、買ってやろう」

 

「いいんですか!? やったー! 提督、大好きです!」

 

「はいはい……」

 

甘酒と酒まんじゅうを手に、近くにあった足湯でくつろぐことにした。

 

「んー! おいひー!」

 

「おい、足をバタバタさせるな。迷惑だろ」

 

まったく……。

幸せそうな顔しちゃって……。

 

「提督、乾杯しましょー? はい、カンパーイ!」

 

「おう。乾杯」

 

「えへへ~」

 

「フッ……」

 

仕事とはいえ、連れてきて良かったな。

こんなに喜んでくれるのなら、もっと……。

 

「…………」

 

いや……。

こんなことばかり続けていたら、きっとこいつは……。

まあ、たまにな……。

たまに、何かを成し遂げたとか……そういう時にでも連れて行ってやるか……。

 

 

 

しばらくして、宿へ戻ろうとすると……。

 

「ちょっと待っててください!」

 

そう言って、ポーラは売店へ入っていった。

 

「トイレか?」

 

やがて、小さな紙袋を手に、戻ってきた。

 

「何か買ったのか?」

 

「はい! 提督にプレゼントです!」

 

「俺に?」

 

開けてみると、何やらヘンテコなキーホルダーが入っていた。

 

「……なんだこれ?」

 

「温泉街のマスコット『アッチ―湯君』です!」

 

アッチ―湯君……。

 

「……どうしてこれを俺に?」

 

「今日のお礼です! お店の人に訊いたら、これが一番人気あるって言っていましたので!」

 

今日のお礼……。

 

「あ……気に入りませんでしたか……?」

 

「あぁ……いや……」

 

お礼……か……。

 

「フッ……仕事で来ているんだ。お礼なんていいのに……」

 

「でも……何かお礼がしたかったんです……。それじゃ足りないって……分かっています……。でも……」

 

しゅんとするポーラ。

俺は改めて、キーホルダーを見た。

 

「フッ、よく見りゃ、かわいい顔してるな、こいつ。気に入ったよ。ありがとう、ポーラ」

 

そう言ってやると、ポーラは嬉しそうな笑顔を見せた。

単純な奴……。

 

「……良かったです! えへへ……。ポーラも、おそろいのを買ったんですよ~。ほら!」

 

キーホルダーを見せるその姿は、まるで子供のようであった。

 

「そうか。でも、あんまり無駄遣いすんなよ? じゃ、帰ろうか」

 

「はぁい」

 

こういうところだけは、本当に――。

 

 

 

翌朝。

寝相の悪いポーラの蹴りで、目を覚ました。

 

「いてぇ……。クソ……」

 

昨日のアレは一体なんだったのかと思うくらい、ポーラの寝顔が憎たらしく見えた。

 

「……まだこんな時間じゃねーか。二度寝するには微妙だし……」

 

ポーラは起きそうにないし……。

 

「仕方ない……」

 

 

 

早朝の温泉街は、静まり返っていた。

 

「ふわぁ……。何もないな……」

 

足湯も入れないようになっているし、こんな時間では、どの店も……。

 

「ん、神社か……」

 

長い階段の先に、神社があるらしい。

行くところもないし……。

 

「行ってみるか……」

 

 

 

神社までの道のりは、想像以上に過酷であった。

 

「はぁ……はぁ……。意外とあったな……」

 

振り返り、景色を望む。

遠くに見える立派な建物が、鈴沼邸であった。

 

「雨海さん……?」

 

聞き覚えのある声。

振り返ると、そこには――。

 

「麗美……さん……?」

 

「雨海さん……雨海さん……!」

 

麗美は駆け寄ると、涙を流しながら、俺を抱きしめた。

 

「麗美は……麗美は……。ずっと……貴方にお会いしとうございました……」

 

「麗美さん……」

 

震える肩をそっと抱いてやる。

 

「遅くなってすまなかったね……。元気そうで良かったよ……」

 

「雨海さんも……うぅぅ……」

 

 

 

しばらく慰めてやっていたが、恥ずかしくなったのか、麗美はそっと離れ、顔を赤くして俯いてしまった。

 

「わたくしとしたことが……取り乱しました……」

 

「いや、あの頃と変わらず安心したよ。最後にお別れした時も、同じように泣いていたから」

 

「あの時は……! 貴方が戦地へ行かれると聞いたからで……!」

 

「フフ、そうだったね」

 

「もう……。貴方も相変わらず、意地悪な方ですわ……」

 

鈴沼麗美。

久々に顔を見たが、あの頃の『幼い箱入り娘』感はなくなっている。

 

「そんな事より、こんな時間から、何をしていたんだい? 家からここまで、結構な距離があるはずだけど……」

 

「それは……その……。雨海さんが来られると聞いて……」

 

「僕が? この神社と僕に、何か関係があったかな?」

 

「……戦時中、雨海さんが無事でいられるようにと、毎日、この神社へお祈りをしていたのです。その願いを叶えてくださった神様に、お礼が言いたくて……」

 

戦時中、毎日……。

 

「そうだったんだね……。ありがとう、麗美さん。ここの神様にも、お礼を言わなきゃね」

 

そう言って、俺は賽銭箱へ小銭を放った。

 

「…………」

 

本当、余計なことを……。

毎日お祈りだって……?

そんなことされたら……。

 

「……そう言えば、どうして君のお父様から電報が? お忙しいのでは?」

 

「実は、珍しく帰宅した父が、たまたま手紙を読んでしまったようで……」

 

やはり、そうであったか……。

 

「父は、雨海さんからの手紙だと分かると、全ての仕事をキャンセルして、雨海さんを呼び出すようにと……電報を……」

 

「それは……何故だい……?」

 

麗美はもじもじすると、恥ずかしそうに言った。

 

「父は……雨海さんを……婿入りさせたいと……考えているようで……」

 

「婿入り……」

 

「……父は、家業をわたくしに継がせるつもりでした。わたくしも、継ぐことに抵抗はありませんし、いずれそうなるだろうと、勉学に励んでまいりました……。しかし……」

 

麗美は、遠くの屋敷へ目を向けた。

 

「この国のみであるのなら、女性であるわたくしが継いだとしても、問題なく経営できるでしょう……。しかし……今や、鈴沼グループは、世界的な企業へと成長を遂げております……。企業のトップが女性……。それを受け入れてくれるほど、世界はまだ……」

 

なるほど……。

 

「だからこそ、僕を婿に、と……」

 

「雨海さんほどの語学力があれば、世界に通用するでしょうし、心証もよかろう、と……。何より……」

 

「何より?」

 

「わたくしが……雨海さんを強くお慕いしていることを……分かっているようで……」

 

そう言うと、麗美は顔をそむけてしまった。

 

「で、でも……雨海さんも困りますわよね……。写真の方……艦娘のポーラさん……でしたわね……。その方と一緒に暮らしていらっしゃる訳でしょう……? 一緒に暮らすくらいですし……とっても美人ですし……。その……きっと……」

 

俺は、あえて何も言わなかった。

 

「その方も……こちらへ……?」

 

「えぇ……。今は、宿に」

 

「……そうですか」

 

永い沈黙が続く。

 

「……そろそろ帰らないと。家の者が心配しますから……」

 

「途中まで送るよ」

 

「いえ……。一緒にいるところを見られたら、それこそ……」

 

何がマズいのか、麗美は言わなかった。

 

「では……後ほど……」

 

「えぇ……」

 

麗美はそそくさと、階段を下って行った。

 

「俺を婿に……か……」

 

残された俺は、しばらくの間、そこから見える景色を眺めていた。

 

 

 

宿へ戻ると、ポーラが広縁で涼んでいた。

 

「あ、提督ぅ。どこ行ってたんですか~?」

 

「ちょっと散歩だ。誰かさんの寝相が悪くて、目が覚めてしまったからな」

 

「そうなんですか~。それは大変でしたね~」

 

こいつ、嫌味も通じないのか……。

 

「で? お前はのんきに朝風呂か?」

 

「はい~。朝から極楽でした~。この場所も、涼しくてさいこーです」

 

「そら良かったな……」

 

本当、のんきなもんだぜ……。

これから修羅場が待ち受けているというのに……。

 

「…………」

 

いや、こいつは関係ないよな……。

一応、連れてこいと言われたから連れてきたが、こいつに何かさせるつもりはないし……。

用事が済んだら、こいつだけでも……。

 

「昼食は向こうでいただくことになっているから、朝食はほどほどにな」

 

「はぁい」

 

 

 

昼前になると、鈴沼家の使用人を名乗る者が、車で迎えに来た。

 

「よくこの宿が分かりましたね」

 

「海軍本部に問い合わせましたら、こちらにいるとのことでしたので」

 

わざわざ海軍本部に……。

いや、そもそも何故、海軍本部に問い合わせを……?

本部に宿をとらせたことまでは、知らないはずだが……。

まさか、本部の方から鈴沼財閥へ情報を……?

だとしたら、両者の関係は、やはり……。

 

 

 

鈴沼邸に着くと、麗美が出迎えてくれた。

麗美は深々と頭を下げると、俺の反応を待った。

 

「ご無沙汰しております。麗美お嬢様」

 

一応、久々に会うテイでいないとな。

 

「お待ちしておりました。雨海様」

 

麗美がポーラに目を向ける。

 

「……おい、ポーラ」

 

「あ……ポーラです! よろしくお願いしましゅ!」

 

こいつ……。

 

「……父の元へ案内いたします。こちらへ」

 

 

 

天下人でも現れるんじゃ無かろうか、と思わせるほどの大広間へ通される。

 

「とっても広いですねー。時代劇みたいです」

 

「……黙って座ってろ」

 

麗美は静かに目を閉じ、父親の登場を待っていた。

 

「いや、待たせてすまないね」

 

一郎氏は杖を突きながら、部屋へ入ってきた。

そして、使用人が木製の椅子を置くと、そこへゆっくりと腰かけた。

 

「すまないね……。本当は、君たちと同じく、座布団に座れたらよかったのだが……足腰がどうもね……」

 

「いえ……。ご無沙汰しております。鈴沼会長」

 

ポーラを肘で小突く。

 

「初めまして、ポーラです」

 

頭を下げるポーラに目もくれず、一郎氏は、じっと俺を見た。

 

「しばらく会わない間に、また男を上げたようだね。提督として、過酷な戦場を経験しただけのことはある」

 

「恐縮です」

 

「うむ」

 

一郎氏は、一瞬だけ、ポーラを見た。

その目は――。

 

「久々の再会だ。君と二人っきりで話がしたい」

 

それを聞いた麗美は、立ち上がり、ポーラを連れて部屋を出て行ってしまった。

 

「さて……。何故、君を呼び出したのか……。理由は分かるかな……?」

 

「お嬢さんとの文通の件でしょうか?」

 

「それもあるが、君の気持ちを知りたくてね」

 

「私の気持ち、ですか……」

 

「単刀直入に訊こう。麗美のことを本気で想っているのかね?」

 

「と、言いますと?」

 

「一人の女として、愛しているのかどうか、という意味だよ」

 

流石は鈴沼財閥のトップ。

齢七十とは思えないほどの鋭い眼光だ。

この目に、一体何人の人間が恐れをなしたのか……。

 

「お嬢さんのことは、親しき友人であると認識しております」

 

「麗美にとってはそうではない。分かっているはずだ」

 

俺は、あえて何も言わなかった。

どうやら麗美の言う通り、一郎氏は俺を婿に迎えたいらしい。

 

「悪いと思いつつ、手紙を確認させてもらったよ。君ほどの男なら、あの子の気持ちに気付いていたはずだ。しかし君は、はぐらかすかのような内容の手紙ばかり送ってきたね。どういう了見なのか、聴かせてもらおうか」

 

こんな状況であるのにもかかわらず、俺は一郎氏に感心していた。

追い詰め方が上手い。

立場をよく理解し、上手く利用している。

 

「……確かに、仰る通りです。お嬢さんの気持ちには気付いていました。しかし、お嬢さんと私では、あまりも身分の違いが……。それに、私は提督です。手紙にも書かせていただきましたが、まだまだ艦娘の自立には時間がかかりますし、それを支える存在も必要です」

 

「それは、君でなければいけないのかね?」

 

「それが、提督としての使命ですから」

 

と、こんな感じで使命感を掲げられたら、一郎氏は何も言えないだろう。

古い人間は、こういうのに弱いと知っている。

 

「そうか……。では、こうしよう。君と同棲している艦娘……ポーラと言ったかな……? 彼女を鈴沼グループで引き取ろうではないか」

 

「え……?」

 

「住む場所もこちらで用意するし、遊んで暮らせるだけの給与を保障する。それなら心配はないはずだ」

 

そう来たか……。

しかし……。

 

「君の身分についても心配はない。唯一の男性提督という立場に、なんの不満があろうか。私は大歓迎だよ」

 

クソ……。

外堀が埋まっていくな……。

 

「…………」

 

確かに、ポーラについては、鈴沼グループに引き取られた方が、俺が面倒を見るよりも、裕福な暮らしができるのは間違いないだろう。

しかし……。

 

『騙されたんだよ。あんたの親父は』

 

結婚なんぞ、俺は……。

 

「さて……もういいだろう……。実はね、今朝、君が娘と会っていたことは知っているんだ。あの神社の神主とは旧知の仲でね……」

 

「……!」

 

「娘の言った通りだ。私はね、君に鈴沼グループを継いでもらいたいと思っている。海外艦を担当し、外交にも長けている君にね……」

 

「……私を買いかぶり過ぎです」

 

「大事なのは箔だよ、雨海君。女性社会の発端となった海軍で、唯一提督にまで上り詰めた男……。自分でも分かっているはずだ。身分相応の結婚であると。それなのに、何故、娘との結婚を拒む? 何故、艦娘なんかと同棲している? これほど魅力的な提案が、他にあろうはずがなかろう?」

 

「……確かにそうかもしれません。しかし……」

 

「しかし、なんだね?」

 

言葉が続かない。

結婚する気がないと、はっきり言えない。

 

「……いや、困惑するのも仕方がないか。急かしてしまってすまないね。私も焦っているのだ。齢七十を迎え、先々のことを思うと、不安で不安で……」

 

「お嬢さんがいるではありませんか。彼女なら、きっと……」

 

「麗美は女だ。世界では戦えない。この国も、いずれは男性社会へと戻ってゆくだろう。その前に手を打ちたいのだ」

 

「…………」

 

「私はね、嫌悪しているのだよ。この国の政治が、女なんぞに乗っ取られてしまったことに……。君だってそうだろう。君ほどの男であれば、もっと良い役職についていたはずだ。それが……今はどうだ? 艦娘の世話をさせられている……。悔しくないのか……?」

 

俺が言えたことではないが、中々のクズだな……。

しかし、何よりも腹が立つのは、何も言い返すことができない自分がいることだ。

ここで言い返してしまえば……。

 

「……こんなことで脅したくはないが、仕方がない。今、陸軍より、魅力的な提案を受けていてね」

 

「……!」

 

「先方が提示する条件の中に『海軍との取引を解消すること』とある。陸軍と海軍の仲が悪いことは知っているし、ボーキサイトの独占により、海軍が優勢であることも知っている。むろん、海軍とは長い付き合いであるし、恩もあるから、これからも取引を継続したいとは思う。しかし、我が鈴沼グループも、この戦後を生き抜くためには、手段を選んではいられなくてね……」

 

こいつ……。

 

「……少し話し過ぎた。私は席を外すから、ゆっくり考えてくれたらいい。昼食を用意しているから、返事はその後にでも……」

 

そう言うと、一郎氏は部屋を出て行った。

残された俺は、しばらく動くことができなかった。

 

 

 

「ポーラ」

 

「あ、提督ぅ。お帰りなさ~い」

 

ポーラは、麗美と一緒に折り紙をして遊んでいた。

 

「ポーラさんに鶴の折り方を教わっていたのです」

 

「鶴なんか折れたのか」

 

「はい~。よく、駆逐艦の子たちと遊んでいましたので~」

 

見てみると、手裏剣や小箱、朝顔なんかも折られていた。

 

「へぇ、意外だな。そんな特技があっただなんて」

 

「えへへ~。ポーラも教えてもらったものばかりですけどね~」

 

ポーラの笑顔に、安心している自分がいた。

 

「お嬢様、昼食のご用意が出来ました」

 

「分かりました。では……」

 

「あ、ちょっと待ってください! その……ポーラ……折り紙に夢中でぇ……」

 

もじもじするポーラ。

なるほど……。

 

「……すみませんが、お化粧室をお借りしても?」

 

「あー……承知いたしました。では、ご案内いたします」

 

「ほら、行ってこいポーラ」

 

「すみません……」

 

使用人に連れられ、ポーラは部屋を出て行った。

 

「素敵な方ですね。ポーラさんって……」

 

「すまなかったね。面倒を見てもらって……」

 

「いえ、むしろ、わたくしの方が面倒を見ていただいたくらいで……」

 

麗美は、ポーラが折った作品を大事そうに箱へしまうと、深刻そうな表情で俺を見た。

 

「父とは……何を……? やはり、婿入りの件を……?」

 

全てを伝えるのは、麗美にとって酷かもしれない。

そう思ったが、俺も余裕がなくなっていたのだろう。

包み隠さず、全てを話してしまった。

 

「父が……神社でのことを……」

 

「…………」

 

「……そうですか。やはり父は……わたくしが女であるからと……」

 

いや、麗美とって酷なのは……。

 

「……雨海さんは、やはり、父の提案を良く思っていらっしゃらないのね」

 

それは、つまり――。

 

「……ポーラさんと話して、わたくし、ようやく気付きました。雨海さんは、わたくしと結婚するべきではないのだと……」

 

「え……?」

 

「ポーラさんのお話に出てくる貴方は、わたくしの知らない顔ばかりで――それを話すポーラさんの顔もまた、とっても幸せそうで――。正直、とっても羨ましく思いました……」

 

麗美は、自分が折ったであろう、形の崩れた鶴を手に、悲しそうな表情を見せた。

 

「本当は……分かっていました……。わたくしでは……貴方を振り向かせることはできないって……。でも……諦めきれなかった……。だから……わたくし……」

 

麗美の目から、一筋の涙が零れる。

 

「ごめんなさい……。父に手紙を見せたのは……そう仕向けたのは……わたくしなのです……。わたくしが……貴方とポーラさんの仲を……。う……うぅぅ……」

 

麗美が……手紙を……?

 

「手紙を見せれば……こうなることは分かっていました……。きっと、諦めて、わたくしと結婚してくれるのだと……。でも……ポーラさんと一緒にいたら――あの方の優しい表情を見たら……わたくし……わたくし……」

 

大粒の涙が、出来損ないの鶴へと落ちてゆく。

 

「……そうだったのか」

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

「……いや、君のせいじゃないよ。こうなることは、僕も分かっていたんだ……。君の気持ちも……。でも、その気持ちから、僕は逃げ続けた……」

 

いや……。

謝るべきは、そこではないだろう……。

 

「……麗美さん。僕も、君に謝らなきゃいけないことがある」

 

俺は、真実を麗美に話した。

ボーキサイト独占の為に、近づいたことを――。

 

「――だから、本当に悪いのは僕なんだ。麗美さん……すまなかった……。君の気持ちをもてあそんでしまって……」

 

麗美は何度も首を横に振った。

 

「そんな事は分かっていました……。それでも……わたくしは……」

 

分かっていたのか……。

でも……そうだよな……。

俺に会う為――俺と結婚する為に、ここまでの事をした人だ。

それくらい、知っていて当然だよな……。

いや……だからこそ、彼女はここまで……。

 

「わたくし……ポーラさんに酷いことを言ってしまいました……」

 

「え?」

 

「ポーラさんに嫉妬して……わたくし……雨海さんと結婚するつもりなのだと言ってしまったのです……。わたくしと結婚すれば、お金の心配も無いし……今以上に幸せになれるはずだって……。雨海さんも……本当は……それを望んでいるはずだって……」

 

「……別に謝る必要はないよ。事実ではあるだろうから……」

 

「それだけではないのです……。もし……雨海さんが結婚したら、ポーラさんの面倒を見る事はできないだろうと……。それでもいいのかと……訊いてしまったのです……。そしたら……ポーラさんは……」

 

『提督が幸せなら、それでいいです。ポーラ、提督のために何も出来ませんから……。せめて、幸せを願いたいです。レイミさんが提督を幸せに出来るのなら、それが一番いいと思います』

 

ポーラが、そんなことを……。

 

「その言葉に……わたくしは……わたくしは……とんでもないことをしてしまったのだと……。うぅぅ……」

 

そう言うと、麗美は泣き崩れてしまった。

ここで慰めの言葉をかけてしまっては、きっと――。

何も言わず、麗美だけを残し、俺は部屋を出た。

 

 

 

使用人の案内で食堂へと向かうと、すでにポーラが昼食を摂っていた。

 

「あ、提督ぅ。お先にいただいてまーす」

 

「お前、トイレに行っていたんじゃ……?」

 

「行きましたよ? でも、レイミさんと提督、二人っきりの方がいいかな~って思って、先にこっちに来ました」

 

「……余計な気遣いどうも」

 

席へ座ると、ポーラはニコニコしながら言った。

 

「レイミさん、とってもいい人です。提督、絶対結婚した方がいいです!」

 

「……何故だ?」

 

「だって、そっちの方がいいです。こんなに立派なお家があって、こんなに美味しい料理が食べられますから」

 

そう言うと、ポーラは美味しそうにご飯を頬張った。

 

「ポーラの事は心配しなくていいです」

 

「え?」

 

「ポーラ、自分でお仕事探します! もちろん、この前みたいなお店は選びません。ポーラのことを知らない街に行けば、仕事は見つかるはずです!」

 

「けどお前、それだと、ザラと離れて暮らすことになるんだぞ……?」

 

「……大丈夫です! ザラ姉さまには、いつでも会いに行けますし、手紙を書けばいいですから」

 

笑顔を見せるポーラ。

しかし、その表情の中には――。

 

「…………」

 

もし、俺が婿入りの件を呑めば、ポーラが苦労することはなくなるだろう。

海軍へ迷惑をかけることも無いし、麗美の心も救えるだろう。

だが、仮に鈴沼グループがポーラを引き取ったとして、ポーラが目指す『自立』を叶えてやれるかどうか……。

 

『何故、艦娘なんかと同棲している?』

 

おそらく一郎氏は、ポーラを引き取りこそすれ、飼い殺しにでもするつもりだろう。

それでは……。

……いや、それでいいのかもしれない。

ポーラが目指す自立とは、生活に困窮しないということだ。

だったら、飼い殺しであったとしても――。

それを良しとしなかったのは、俺のエゴだったのかもしれない……。

 

『提督が幸せなら、それでいいです』

 

ポーラは、そう言ってくれたのに……俺は……。

 

「提督ぅ?」

 

そうだよな……。

 

「……ポーラ。実はな、鈴沼会長が、お前の生活を支えてくれるそうだ……」

 

「え? どういうことですか?」

 

「鈴沼会長の会社で、お前を雇ってくれるってことだ。家も用意してくれるらしいぞ」

 

「本当ですか!? やったー!」

 

これでいいんだ……。

もう、諦めよう……。

俺のエゴで、こいつまで不幸にはしたくない……。

こいつがそうしたように、俺も、こいつの幸せを願おう……。

 

「……提督、嬉しくないですか?」

 

「え……?」

 

「ポーラ、仕事見つかりました……。でも……提督、嬉しそうじゃないです……」

 

「そ、そんなことはないさ……。嬉しいよ。良かったな。鈴沼グループと言えば、誰もが羨む企業だぞ。一生安泰だよ」

 

ポーラは箸を置くと、まっすぐ俺を見た。

 

「ポーラ……?」

 

「提督が本当にいいと思ったのなら、ポーラはそれでいいです。提督が決めてくれたのなら、どこでも不満はないです。でも……ポーラにとって良くても、提督にとって駄目なら……ポーラは……嫌です……。提督もポーラも、同じ気持ちでいたいです……。たとえお金がたくさんもらえる仕事でも……たとえ生活が豊かになる仕事でも……ポーラは……提督が一緒に喜んでくれるところじゃないと……嫌です……」

 

「ポーラ……」

 

いつものように、騙せばいい。

いつものように、嘘をついて――。

いつものように、面倒くさがって――。

責任だとか――そういう面倒ごとを全て無視して、いつものように――これまでやって来たのと同じように――。

なのに――。

 

「わっ! 提督!?」

 

俺はポーラの手を引き、食堂を飛び出した。

 

 

 

「会長!」

 

「雨海君? なんだね? もう答えが出たのかな?」

 

「……はい」

 

「聞かせてもらおうか」

 

ポーラが、不安そうな表情で俺を見ていた。

 

「……申し訳ございませんが、お嬢さんと結婚することはできません。鈴沼グループを継ぐことも、お断りいたします」

 

「なに……!?」

 

「提督……?」

 

俺は、深々と頭を下げた。

 

「お嬢さんを誑かしたことは謝ります……。大変申し訳ございませんでした……」

 

「……理由を訊いてもいいかな?」

 

「……なんてことはありません。私が、お嬢さんを愛していないからです……」

 

「そういうことではない! 分かっているのか!? この結婚を断れば、海軍との取引は解消されるのだぞ! それでもいいのかと訊いているんだ!」

 

「元々は私が取り付けた関係です……。私が壊しても文句はないでしょう……」

 

「そんな詭弁が通用するとでも思っているのか? 貴様のせいで海軍の立場は危うくなるのだぞ!? タダで済むはずがなかろう!」

 

「…………」

 

「貴様の立場だけではない……。最悪の場合、貴様の命だって危ぶまれるはずだ。そんな危ない橋を渡れるのか!? いいや、貴様はそんな男ではないはずだ! これまでだって逃げてきただろう! 娘の気持ちからも……! 面倒な責任からも……!」

 

その通りだ……。

でも……。

俺は、ポーラに目を向けた。

 

「提督……」

 

そうさ……。

 

「この娘(ポーラ)の幸せを守れるのなら……どんな危ない橋でも渡ってみせます……。たとえ、命尽きることがあろうとも……」

 

「……!」

 

「そいつを守るだと……? そいつを守ることが、どうして結婚を断ることにつながるというのかね?」

 

「……会長は、鈴沼グループでポーラを引き取ると仰いましたね」

 

「あぁ、そうだが?」

 

「飼い殺しにするつもりだったのではないですか……?」

 

俺は顔を上げ、一郎氏の目をじっと見つめた。

 

「仮に飼い殺しにしたとして、何の不満があるというのかね? 一生遊んで暮らせるのだぞ?」

 

「この娘は自立を望んでいるのです……。それに、貴方は信用できない……。艦娘に対してのリスペクトがまったく感じられないし、女性を軽視する発言だってしている……。提督として、そんな男にポーラを預けることはできない……」

 

「君も同じ穴のムジナだろう。女を誑かし、挙句の果てに艦娘を利用している。何が違うというのかね?」

 

確かにその通りだ。

返す言葉も無い。

 

「違います!」

 

「ポーラ……?」

 

「提督は……違います……! 提督は……こんなポーラに手を差し伸べてくれました……。お仕事をクビになっても……提督のお財布から勝手にお酒を買っても……どれだけ迷惑をかけても……手を差し伸べてくれました……!」

 

「……だからなんだというのかね?」

 

「だから……その……」

 

「もういいポーラ……。会長の言う通りだ……。俺は、お前を利用した……。麗美さんに諦めてもらう為、お前の写真を送った……。お前を連れ、会長の同情を誘おうとした……。俺もまた……同じなんだ……」

 

「違います! 全然違います! ポーラ、それでもいいです! それで、提督が喜んでくれるのなら! 提督の為になったのなら、それでいいです! だから……!」

 

「もういい!」

 

会長は、持っていた杖を床に叩きつけ、俺を睨んだ。

 

「もういい……。貴様らの気持ちはよく分かった……。いいだろう……。娘との結婚は無しにしてやる……。だが、報いを受けてもらうぞ……! 今度は陸軍へ取引を移行し、鈴沼グループ総出で海軍を潰してやる……! 貴様の命も無事だと思うな……! 私の力を以てすれば、人間の一人や二人……!」

 

一郎氏は、ポーラを睨みつけた。

 

「貴様ら艦娘もそうだ……! 得体の知れないバケモノが……。深海棲艦と同じように、貴様らも――!」

「――もうおやめください! お父様!」

 

麗美は、投げ捨てられていた杖を拾うと、俺たちを守るようにして、一郎氏の前に立った。

 

「麗美……」

 

「もういいでしょう……。これ以上……醜態を晒すような真似はやめてくださいまし……」

 

「麗美さん……」

 

「女の分際で偉そうに……。誰に口答えしているのか分かっているのか!?」

 

「えぇ……分かっております……。『貴方』の方こそ、口の利き方に気をつけなさい……」

 

「なに……?」

 

麗美は、持っていた杖を強く突くと、一郎氏を睨みながら、宣言した。

 

「わたくしは……鈴沼一郎の娘にして、鈴沼グループの次期会長……鈴沼麗美です……! これ以上、鈴沼グループの顔に泥を塗るような発言を続けるというのなら、たとえ実父だとしても、わたくしは……貴方を……!」

 

麗美の目から、涙が零れる。

普段、父親に対して萎縮している麗美が、これほどまでの事を言ってのけたのだ。

涙が零れるのは、当然の事であった。

一郎氏は俯くと――怒っているのか、小さく震えていた。

 

「麗美さん……」

 

何があってもいいように、麗美を庇うように前へ出る。

 

「麗美……お前……!」

 

ポーラが身構える。

麗美は怖いのか、ガタガタ震えていた。

 

「お前……そんなことを言えるようになったのか!」

 

顔を上げた一郎氏は、笑っていた。

 

「へ……?」

 

一郎氏は俺たちを押しのけると、麗美の肩を強く抱いた。

 

「お父……様……?」

 

「ああ……なんと逞しいことか……! なんと勇敢なことか……! 現会長である私に……実父である私に、ここまで強く出られるなんて……! 私は……私は嬉しいぞ……! 麗美! わっはっはっはっはっはっはっ!」

 

目を丸くするポーラ。

 

「えと……提督……? これは、どういうことですか……?」

 

「いや……俺に訊かれても……」

 

一郎氏は、麗美の顔をまじまじと見つめると、満足そうに頷いた。

 

「そうかそうか……。私にそこまで言えるのなら、もう立派な『女性』だな。鈴沼グループも、ようやく任せることができる」

 

「え……?」

 

「いやぁ、鈴沼グループの次期会長には、麗美、お前がいいと思ってはいたんだ。しかしね、お前はまだ『か弱い女』を抜け出せていなかっただろう? このままではいけないと、雨海君を餌にしてみたのだが……いやはや、ここまで言えるようになるとは……。せいぜい、雨海君との結婚を成功させ、共にグループを席巻する覚悟を持てる程度にはなると思っていたのだがね」

 

「ど、どういうことですか……? 会長……」

 

「あぁ、雨海君。脅かして悪かったね。ポーラちゃんもごめんね」

 

「ポ、ポーラちゃん……?」

 

「実はね、全部仕込みだったんだよ。娘が私に、わざと恋文を読ませ、雨海君を呼び出そうとしていた時からのね」

 

会長以外、頭にハテナマークがついていた。

 

「麗美、お前が雨海君の事を好きであったということは、戦時中の頃から知っていた。毎日神社に通っていたことも、戦後に文通していたこともね。しかし、会いたいのだと書きはすれ、お前から会いに行くことはなかったし、私の名を使い脅すこともしなかった。私はね、もうじれったかったのだよ。今すぐにでも会いに行けと思ったし、早く私を利用しろ、ともね……。そんなある日、久々に帰宅した私の机に、雨海君からの手紙があった。すぐに分かったよ。お前が、私を利用しようとしているのだと……。そんな事が出来るまでに成長したのだと、嬉しかった。しかし、私が雨海君を詰めたとしても、それは私の力であって、麗美の力ではない。だから、私はポーラちゃんも一緒に呼びつけたのだ。ポーラちゃんをぞんざいに扱うと言えば、雨海君は、自分の身がどうなろうとも、ポーラちゃんを守るため、結婚を断ると思ったからね。そうなった時、せっかく掴めそうだったチャンスを、麗美が自分の力で引き戻せるかどうか……それが見たかったのだよ」

 

「な、なるほど……?」

 

「結果として、結婚には至らなかったが……それ以上のものを見させてもらったよ。いやぁ、よかったよかった。わっはっはっはっはっはっはっ!」

 

大笑いする一郎氏に、腰が抜けたように座り込む麗美。

 

「レイミさん、大丈夫ですか!?」

 

「ポーラさん……すみません……。なんだか……安心しちゃって……」

 

「……仕方がないですよ。昼食もまだでしょうし、力が抜けてしまったのでしょう。ポーラ、麗美さんを食堂へ連れて行ってくれないか?」

 

「分かりました! レイミさん、行きましょー?」

 

「は、はい……。あ……お父様……」

 

「ん? なんだ?」

 

「その……すみませんでした……。でも……鈴沼グループを継ぐ覚悟があるのは、本当です! 雨海さんの力を借りずとも、わたくしの力で、必ずや、鈴沼グループを世界一の企業にしてみせますわ!」

 

「あぁ、その意気だ! 私を会長から降ろす勢いでな!」

 

「は、はい!」

 

麗美はポーラに連れられ、食堂へと消えていった。

 

「……会長」

 

「なんだね?」

 

「いいのですか……? 先ほどの話……全て嘘ですよね……?」

 

一郎氏は驚いた表情を見せた後、大きくため息をついてみせた。

 

「……流石だな。しかし、麗美に鈴沼グループを継がせようとしていたのは本当だ。それには、足りないモノが多すぎるというのもね……」

 

「…………」

 

「手紙が置かれていた意図にも気がついていた……。正直、がっかりしたよ……。こんな手を使うまでに、臆病で卑劣な性格になってしまったのだと……。全ては私の責任だと分かっている……。だからこそ、麗美の思惑通りに動いてやったのだ……。君を婿に迎え、麗美を導いてもらうしかないと……」

 

一郎氏は、俺の目をじっと見つめた。

 

「しかし、君が折れないとは思わなかったよ……。君の噂は聞いていた。脅せば、必ず麗美と結婚するだろうと思っていた。とんだ見当違いだったがね……」

 

「いえ……。ポーラの言葉が無ければ、私は、結婚を受け入れていたと思います……」

 

俺は、ポーラからもらったキーホルダーを取り出した。

 

「あいつは、俺が幸せになるのなら、それでいいのだと言ってくれた……。俺が幸せでないのなら、自分も幸せにはなれないと――一緒に幸せを感じたいのだと言ってくれた……。そんなあいつを……俺は……」

 

キーホルダーを握りしめる。

こんなちっぽけなキーホルダーが、何故愛おしく感じてしまうのだろうか。

 

「……そうか」

 

「会長……申し訳ございませんでした……。俺は……私は……」

 

「もういいんだ……。私の方こそ、悪かったね……。君に――ポーラちゃんに、酷いことを言ってしまった……。私のせいで娘がああなってしまったのを、認めたくなかったのだ……。君たちに、その怒りをぶつけてしまったのだ……。申し訳ない……」

 

そうだったのか……。

 

「……それにしたって、少し言いすぎですよ。麗美さんの言う通り、鈴沼グループの顔に泥を塗るような発言でしたよ」

 

「それを言うのなら、君の麗美に対する態度はなんだね? 会いたいという娘に対し、忙しいだの何だのと……。麗美は戦時中、毎日神社へお参りしていたほどなんだぞ。それを君……彼女の短い青春をもてあそぶなどと……」

 

「……言葉もありません」

 

俺と一郎氏は、お互いに顔を見合わせると、思わず噴き出してしまった。

 

「お互いに酷いことをした。だから、お相子としよう」

 

「ですね」

 

一郎氏は微笑むと、俺の肩をポンと叩いた。

 

「女を誑かすのもほどほどにな」

 

「貴方も、もう少し柔らかい口調を心掛けるように」

 

俺は一郎氏と握手をして、その場を後にした。

 

 

 

「もうお帰りになるのですか?」

 

目を腫らした麗美は、頬にご飯粒を残したまま、寂しそうに俺を見つめた。

 

「汽車の時間もあるからね。それに、ここはあまりにも居心地がよくて、つい貴女との結婚を考えていけない」

 

そう言って笑って見せると、麗美もまた、笑顔を見せた。

 

「……すまなかったね」

 

「わたくしの方こそ……。雨海さんのみならず、ポーラさんまで巻き込んでしまって……」

 

「あいつの事は気にしなくていいよ。ほら」

 

送迎用の車に乗ったポーラは、よだれを垂らしながら眠っていた。

 

「ウフフ、お腹いっぱい食べてらしたから」

 

麗美は俯くと、そっと、俺の胸に頭を預けた。

 

「麗美さん……」

 

「少しだけ……我が儘を言ってもよろしいかしら……?」

 

「えぇ……」

 

「ギュっと……抱きしめてくださいまし……」

 

麗美を抱きしめてやる。

華奢な体が、小さく震えていた。

 

「貴方のことが好きでした……。さようなら……わたくしの初恋の人……」

 

彼女の頬に、涙が伝う。

嗚呼、そうか……。

彼女は、もう――。

彼女とは、もう――。

 

「麗美さん……」

 

「雨海さん……」

 

「ありがとう……。君に会えて本当に良かった……」

 

俺は、彼女から離れ、惜別の言葉を口にした。

 

「グッド・バイ……」

 

 

 

帰りの汽車。

最寄りの駅へ近づくにつれ、乗客は減ってゆき、やがて俺たちだけになった。

 

「んぇあ……?」

 

「ようやく起きたか……」

 

「あれ……? ここ……どこですか……?」

 

「汽車の中だよ。お前、車で寝たきり、一度も起きなかったんだぜ? 汽車までおぶってくるの、大変だったんだからな……」

 

「そうだったんですか……。うへへ……すみません……」

 

外は、すっかり暗くなっていた。

 

「あと、どれくらいで着きますか?」

 

「あと一時間くらいかな」

 

「あと一時間……。あと一時間で、この楽しい旅も終わりですねー……」

 

ポーラは寂しそうに、窓の外を見ていた。

 

「……また連れてきてやるよ」

 

「え……?」

 

「お前がちゃんと仕事を見つけて、安定するようになったら、また連れてきてやる……。今度は仕事なんかじゃなく……ちゃんとした……旅行として、だ……」

 

何故だか、恥ずかしくなってしまった。

そんな俺に、ポーラは――。

 

「おわ!?」

 

「ほんとーですか!? ポーラ、嬉しいです! 提督ぅ! 大好きです!」

 

「お前、馬鹿! 引っ付くなって! まだ行くと決まったわけじゃねーぞ! ちゃんと仕事を見つけてからだな!?」

 

「分かってますって! えへへ~」

 

ポーラは隣に座ると、俺の腕を抱きしめ、頭を預けた。

 

「……ねぇ、提督」

 

「……なんだよ?」

 

「その……さっきはありがとうございました……。ポーラの幸せを守るって……言ってくれて……。とっても……カッコよかったですよ……?」

 

そう言って、珍しい表情を見せるポーラに、思わずドキッとしてしまう。

 

「お前だって……その……庇ってくれただろ……。会長と俺が違うんだって……。それに、お前には感謝しているんだ……。今回の件、お前が居なかったら……俺は今頃……」

 

ふと、ポーラに目を向ける。

ポーラは、眠っていた。

よだれを垂らしながら……。

 

「こいつ……」

 

「んじゅ……うへへ~……。もう飲めませんよ~……」

 

「フッ……」

 

俺はそっと、ポーラに寄り添った。

あの時の言葉に、偽りはない。

俺は、こいつを――。

 

 

 

最寄りの駅に着く頃には、日を跨いでしまっていた。

 

「ん~……眠い~……。提督ぅ……おんぶしてぇ……」

 

「自分で歩け、馬鹿! お前のせいで、服がよだれまみれなんだよ!」

 

駅近くに停めてあった車に、荷物を積み込む。

 

「ほら、さっさと乗れ! 特別に家まで送ってやるから」

 

「はぁい……」

 

ポーラを車に乗せ、運転席に乗ろうと扉へ手をかけた、その瞬間――。

 

「ぐぇあ!?」

 

突然、暗闇から何かが飛び出してきて、俺の腹にタックルをかました。

 

「提督ぅ!? 大丈夫ですか!?」

 

「いてて……。一体、なんだってんだよ……」

 

倒れる俺の腹の上で、何かの動物らしきものが蠢いている。

 

「な、なんだぁ!?」

 

ボサボサの髪に、ボロボロの服――そいつの正体は――。

 

「響……? お前、響か……?」

 

響は顔を上げ、俺の顔を確認すると、気絶するように眠ってしまった。

 

 

 

 

 

 

――続く

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。