煙草屋には、行列ができていた。
「マジかよ……」
並ぶのも変だと思い、近くの喫茶店で時間をつぶしていると、突然、行列が解消された。
「よう、品切れか?」
「あ、提督ぅ。いらっしゃいませー」
膝に猫を抱え、まるでおばあちゃんのような表情で微笑むポーラ。
「様になっているな。いっそのこと、煙草屋として独立したらどうだ?」
「ポーラ、売ることしかできませんから。仕入れ? は、まったくです」
煙草屋の婆さんが入院することになった。
それを知った陳さんが、店番にどうかと、ポーラを紹介してくれた。
短期的な仕事ではあるが、郵便室でくすぶっているよりはマシだと、ありがたく話を受けることにしたのだった。
「陳さんに感謝しろよ? お前をクビにした後も、ずっと心配してくれていたんだぜ?」
「もちろんです! お客さんとして来た時には、並ばず買えるようにします!」
「商品が残っていれば、だけどな」
『美人が煙草屋をやっている』
そんな噂が、この街に留まらず、他県にまで広がっているらしい。
その結果が、先ほどの行列であった。
「提督も煙草、買いに来ましたか?」
「俺は吸わないよ。お前の様子を見に来ただけだ」
「それなら平気ですよ~。毎日売り切れるくらい、たくさん売っていますし。ほら、お手紙とかお花も貰えるんです。お客さんと仲良くできている証拠です」
手紙や花をね……。
「それが、男どもからのアプローチだと、気付いていないのか?」
「アプローチですか? ポーラと仲良くなりたいって事ですよね? 分かっていますよ~。お手紙は、日本語が苦手で分かりませんが……多分、仲良くなりたいって書いてあります」
手紙を読んでみる。
案の定……。
「……まあいい。あまりいい顔しすぎるなよ? それと、マッチは残っていないか? あったら売ってほしいんだ」
「マッチですか? ありますよ~。けど、煙草吸わないんですよね? 何に使うんですか?」
「まあ、色々だよ。あったらあったで便利だからな」
お金を払い、マッチを受け取る。
「毎度あり~です」
「おう」
金勘定とか心配していたが、何とかやれているようで良かったぜ。
「そう言えば、響ちゃん、大丈夫ですか? あれからどうしてますか?」
「あぁ……。検査の為、本部の病院に入院している。なんせ、三日三晩、走りっぱなしだったらしいからな……。怪我もしていたし……」
「そうですか……。響ちゃん……可哀想……」
「ま、飯を食わせたら元気そうだったし、大丈夫だろ。この後、お見舞いに行くんだ。お前も、もう上がりだろ? 一緒に行かないか?」
「いいんですか? 行きたいです!」
「んじゃ、車で待っているから、戸締り済ませたら来いよ」
「はぁい」
『グッド・バイ・ウォーズ!-惜別の開戦-』
「響」
病室に入ると、響はベッドから飛び降り、俺に抱きついてきた。
「おっと……。元気がいいな」
「響ちゃ~ん、ポーラもいますよ~」
響はポーラをチラリと見て、小さくお辞儀をした。
「髪の毛、綺麗にしてもらったんだな。怪我も良くなっている」
机の上の夕食も、綺麗に平らげているところを見るに、もうすっかり元気ってところか。
「さて、響……。何があったのか、俺にちゃんと説明してくれるな?」
あらかたの事情は聞いている。
ポーラと俺が、鈴沼邸から帰ってくる三日前。
響は突然、家出をした。
家出した理由は不明とのことだが、どうやら響は、一銭も持たずに家を出たようで、なんと三日三晩歩き続け、駅近くで俺の車を発見し、帰ってくるのを待っていたらしい。
腹立たしいのは、響が消えたことを里親が本部へ報告しなかったという点だ。
子供だから、そこまで遠くへ行っていないと考え、自分たちで探そうとしていたのか……。
それとも――……。
「どうして家出なんてした? 約束したはずだよな? 家出しないと……」
響は答えない。
ただギュッと、俺に抱きつくだけであった。
「はぁ……。響……あのな……?」
「提督」
ポーラは俺を見ると、小さく頷き、響と視線を合わせるようにして、しゃがみ込んだ。
「響ちゃん、ずっと歩いて、あそこまで来たんですね。ご飯とかどうしていたんですか?」
響はポーラに近づくよう手招きすると、耳元に口をあて、何か言った。
「フムフム、畑の野菜を食べていたと……」
「畑から盗んだってことか?」
ポーラは細い目で俺を見た。
黙っていろってか?
「そうなんですね~。お野菜食べられて偉いです! ポーラ、お野菜はあまり好きじゃないですから……。なんのお野菜を食べましたか?」
ポーラは、響のことを一切否定せず、話を聞き出していた。
艦隊にいる頃から、駆逐艦の面倒見がいいとは思っていたが……。
「……ちょっと席を外すぜ。ポーラ、響の相手をしてやっててくれ」
「はぁい。響ちゃん、久しぶりに折り紙しませんか~? ポーラ、あれから上手になったんですよ~」
響は頷くと、俺から離れ、ポーラと一緒に折り紙を始めた。
しばらく車で過ごしていると、ポーラが戻ってきた。
「戻りました~」
「おう。響はどうした?」
「寝ちゃいました。あまり眠れていなかったみたいです。提督に会えて、安心したのかもしれません」
「そうか……。悪かったな。響は、何か言っていたか? 家出をした理由とか……」
ポーラは首を横に振った。
「話したくないのか、話せないようなことなのか……」
「響ちゃんの里親は、どうしたんですか?」
「迎えに来ることなく、里親を辞退したそうだ。こうなることは、時間の問題だったのかもな……。本気で里親になる気があるのなら、無事であるかどうかだけでも、本部に来て確認するだろうしな……」
「そうですか……」
ポーラは悲しそうに俯いていた。
「……お前が悲しむ必要はないだろ」
「そうですけど……」
「何があったのかは知らんが、あいつの家出癖は今に始まったことじゃない。今までだって、理由もなしに家出しては、里親に見限られてきた。自業自得だよ」
「…………」
ポーラの頭を撫でてやる。
「お前の気持ちは分かるよ。俺だって、おかしいとは思っているんだ。この国を救ってくれた艦娘に、あんな仕打ちはないだろうって……。でも、お前なら分かるだろ? それでも一生懸命生きなきゃならないのだと。他の連中はそうしているし、自分だけ何もしないって訳にはいかないのだと……」
「提督は……ポーラにしてくれたように……響ちゃんのことも助けてくれますか……? 見捨てないでいてくれますか……?」
「あぁ、もちろんだ。お前がそうだったように、あいつにだって、このままではいけないという気持ちはあるはずだ。本当に嫌だったら、里親の元へ行こうともしなかっただろう。何か理由があるんだ。その気持ちがある限り、見捨てはしないよ」
「提督……」
「……どれ、今日は飲みにでも行くか? 最近、飲んでいないんだろう?」
「いいんですか……? でも……ポーラ……また……」
迷惑をかけてしまうと思っているのか……。
ちょっと前までは、何も考えずにいたくせに。
少しは成長したってことか。
「だったら、俺の家で飲むか? 店だとガンガン飲んじまうだろうし、家だったら、ある程度抑えられると思うぜ」
「ほんとーですか? じゃあ、お言葉に甘えます。えへへ」
「んじゃ、行くか。ツマミはあるから、途中で酒を買っていこうか。今日はシラフだから、好き勝手買えないぞ」
「分かってますよー……。ポーラ、ちゃんと反省しましたから……。いつまでもシツコイですよ……」
唇を尖らせるポーラに、思わず笑ってしまった。
ポーラが家に来たのは、これが初めてではない。
いつだったか、ザラと喧嘩したとかで、一時的に預かったことがあった。
「提督のおうち、やっぱり広いですねー」
「デカい家を持っている方がモテるんだよ。人もたくさん呼べるしな」
「でも、掃除が大変そうです……」
「家政婦さんが来てくれるから、掃除の心配はないよ。洗濯だってやってくれるし」
ポーラは目を丸くして、俺を見ていた。
「なんだよ?」
「提督、すごいお金持ちですね……。だから、ポーラが勝手にワインを買ったとき、そこまで怒らなかったんですか?」
「まあ、金持ちって訳ではないが、生活に余裕はあるよ。ワインの件については、呆れて怒る気すらなかっただけだ」
ポーラは恥ずかしそうに手を揉んでいた。
「ま、今日は泊っていけよ。部屋も空いているし、女物の寝巻きもある」
「どうして寝巻きがあるんですか?」
「どうしてって……。俺ほどのモテる男になると、女の一人や二人呼べるだけの用意はあるさ」
「呼ぶんですか? 女の人を……」
「あぁ。尤も、勝手に来るパターンの方が多いがね」
「……コイビトですか?」
「恋人? いや、そんなんじゃないな。遊び相手……とでも言うのかね」
ワインとツマミを出してやる。
「ほら、簡単な物だけど」
「わぁ! おいしそうです!」
「ワインはこのボトル一本だけだぞ。明日も仕事なんだろ?」
「はい! 大丈夫です! ポーラ、大事に飲みます!」
「ならヨシ」
「いただきまーす!」
ヨシの合図で食べ始めるポーラ。
まるで犬のようで、笑ってしまう。
「んー! 提督ぅ! これ、とってもおいしいです! お店で食べてるみたいです!」
「そら良かったな」
本当、幸せそうに飲み食いするよな。
陳さんも、この笑顔に諸々を許してきたんだろうな……。
「提督も飲みましょー! はい、かんぱーい!」
「わかったわかった」
結局、ボトル一本をほぼポーラ一人で空けてしまった。
「提督ぅ……ポーラ、まだ飲み足りないのー……」
「駄目だ。これ以上は飲まない約束だろ。ほら、水を飲め」
「んー……提督のケチ……」
「はいはい……」
ポーラは机に突っ伏すと、空になったワイングラスをじっと見つめた。
「グラスを見たって、ワインは湧いてこねーぞ」
「分かってますよー……」
しかし、ポーラの奴、酒に弱くなったな。
以前はボトル一本だけじゃ、こうはならなかったが……。
「……提督ぅ」
「なんだ?」
「提督は……どうしてポーラに優しくしてくれるんですか……?」
「え?」
「どうして提督は……ポーラを見捨てないんですか……? ポーラの提督だからですか……?」
「あぁ、そうだ。それが俺の仕事だからな。響の件にしても、同じだ」
「じゃあ……ポーラが自立出来たら……もう会えませんか……?」
ポーラはグラス越しに、俺を見た。
「会えないってことはないだろ。まあ、会う頻度は減るだろうがな」
「そうですか……」
永い沈黙。
「フッ、なんだよ? 寂しいのか? 女みたいなこと言って」
「ポーラだって女です……」
唇を尖らせるポーラ。
珍しく、変な酔い方をしているな。
「んん……」
「眠いのか? だったら、あっちの部屋で寝ろ」
「連れて行ってください……」
「あ?」
「抱っこしてください……」
「なんで俺が……。自分で行けよ」
「ヤです……。連れて行ってくれないのなら、ここを動きません……」
頬を膨らませるポーラ。
本当、珍しい酔い方をしているな……。
中途半端に酔うと、幼児退行する癖でもあるのか?
「めんどくせーな……。だったら、勝手にしろよ」
そう言って、毛布でも持ってきてやろうとすると、ポーラは俺の手を掴んだ。
「どうした?」
「提督……怒りましたか……?」
「え?」
「怒らないでください……。謝りますから……。うぅぅ……」
涙を流すポーラ。
「おいおい……」
幼児退行したかと思えば、今度は泣き上戸かよ……。
「お前、一体どうしたってんだよ……? 酒が足りなかったのか?」
「違います……。ポーラは……提督に笑っていてほしくて……。でも……ポーラは……ポーラはぁ……うぅぅ……」
酔わせれば酔わせるほど面倒くさくなるのは知っていたが、中途半端に酔わせても同じことなのかよ……。
つーか、こっちの方がタチ悪いぞ……。
「わかったわかった……。分かったから、泣くな……」
「うぅぅ……」
「……仕方ないな」
ポーラを抱き上げる。
「くっ……重っ……」
「重くないです!」
「分かったから! 暴れるな! 落とすから!」
そのまま、寝室へと連れて行ってやる。
「そら、下ろすぞ」
「んー……」
ポーラを布団に寝かせる。
「寝巻きには、さすがに自分で着替えろよ?」
「寝巻きはいいです……。女の人が着たやつですよね……?」
「そうだが、洗濯はしているぞ?」
そう言ってやっても、着替えようとしないポーラ。
こいつ、こんなに潔癖だったか……?
「……まあいい。服、シワになっても知らんからな。じゃあ、おやすみ」
またしても手を掴むポーラ。
「今度は何だ……?」
「ポーラが寝るまで……一緒に居てください……」
「はぁ? なんでそんなことまで……」
泣き出しそうになるポーラ。
「……分かったよ」
中途半端に酔わせた俺も悪いが、こんなことになるのなら、酒なんぞ飲ますんじゃなかった……。
「提督も寝転がってください……」
「はいはい……」
寝転がると、ポーラはじっと、俺を見つめた。
「えへへ……。提督ぅ……。ポーラ……提督といられて幸せです……。ポーラを見捨てないでいてくれてありがとうございます……」
「急になんだよ……。気持ち悪いな……」
「ホンネですよ……。ポーラ、提督のことが大好きです……。えへへ……」
弱弱しく笑うポーラ。
「……分かったから、もう寝とけ。明日もあるんだから……」
「はぁい。眠れるように、ポンポンしてください」
「こうか?」
「そうです。提督、Buonanotteです」
「はいはい。おやすみ」
子供をあやすようにしてやる。
ポーラは満足げな笑顔を見せると、すぐに眠りについてしまった。
「やれやれ……」
こんな甘え方、初めてだな。
駆逐艦なんかは、同じように甘えて来たことはあったが……。
「…………」
でも、考えてみれば、こうなるのも仕方がないのかもな……。
こいつらは、愛情というものを知らないまま、この世に生まれてきたわけだし……。
「本当は、ずっと、こうして甘えたかったのかな……」
子供のような寝顔。
子供のような肌。
子供のような――。
「子供……か……」
最初は、どこかに就職させ、自立してもらって終わりだと思っていたのだが……。
『ポーラが自立出来たら……もう会えませんか……?』
思えば、こいつが何をしたいのか、どうなりたいのか、よく知らないんだよな……。
ザラに迷惑かけたくなくて――ザラから自立したくて――。
「お前はこの先、どうしたいんだ……? 何のために、お前は……」
響の件にしても同じだ。
俺は、何も知らずに、二人を――。
目を覚ますと、目の前にポーラの顔があった。
「あ……」
「んん……ポーラ……?」
ああ、そうか……。
昨日、ポーラと添い寝して、そのまま……。
「お、おはようございます! 提督……」
「おう、おはよう……。ふわぁ……。今、何時だ……?」
「えと……まるななまるまる、です!」
7時ね……。
「で? お前、何していたんだ? 俺の顔を覗き込んで……。イタズラしてないだろうな?」
「し、してません! その……て、提督の顔を見てました! よく寝てるなーって!」
「なんじゃそりゃ……。ん? 何の匂いだ?」
「あ、そうでした! 提督、朝ごはん、できてます!」
「朝ごはん……?」
居間へ向かってみると、確かに朝食が用意されていた。
「お前、自炊なんかできたのか」
「陳さんに教えてもらいました。お味噌汁と玉子焼きしか出来ませんけど……」
「十分だ。この玉子焼きだけど……」
「あ、はい。しょっぱいやつです。提督、しょっぱい方が好きですよね?」
「よく知っているな」
「居酒屋で頼む時、いつもしょっぱいやつかどうか訊いていましたから」
そういやそうだったな……。
なんか、癖を見抜かれたような恥ずかしさがあるな……。
「ささ、提督ぅ。めしあがれー」
「あぁ、いただきます」
玉子焼きを口へ運ぼうとすると、ポーラは身を乗り出して俺を見ていた。
「なんだよ?」
「提督、ポーラの玉子焼き、美味しいですか?」
「まだ食ってないよ。そう注目されると、食いにくいよ」
再び口へ運ぼうとする。
じっと見るポーラ。
その真剣な表情が面白くて、何度も口へ運ぼうとしては、離すイタズラをしてしまう。
「もー! 提督! 早く食べてー!」
「悪い悪い」
今度こそ食べてやる。
「……どうですか?」
「うん、美味いよ」
「ほんと? どれくらい美味しいですか?」
「どれくらい? まあ、普通に美味いよ」
「普通ってどれくらいですか?」
「普通は普通だろ。普通に美味い」
「むぅー! 分からない!イジワルしないで!」
ちょっとからかったつもりだったが、ポーラは今までにないくらい怒っていた。
「悪い悪い……。いや、美味いよ。すごく美味い」
「……毎日食べたいですか?」
「あぁ、毎日食べたいね」
「そうですか……。えへへ……よかったです……」
そう言うと、ポーラは味噌汁を口にして、じっと俺を見つめた。
味噌汁も味わえ、と……。
「玉ねぎとジャガイモが入っているのか」
「味噌汁は何をいれてもいいと、陳さん、言っていました! 玉ねぎとジャガイモがあったので、いれてみました」
一口啜る。
まあ、普通の味噌汁だコト。
「普通に……」
目を細めるポーラ。
「……美味いよ。毎日出してほしいネ」
「ソデスカ……」
何故かカタコトなポーラ。
いや、まあ、今に始まったことではないが、より一層というか……。
「もしかして、照れているのか?」
「ソンナコトナイデスヨ……」
と言いつつ、目をそらし、耳を赤くしているところを見るに、照れているのは間違いないだろう。
「フン……褒められ慣れていない証拠だ。普段から行儀良くしていれば、照れずに済んだものを……」
「照れてないです……」
「そうかい」
頬を膨らませるポーラ。
昨日の事といい、珍しい表情を見せるようになったよな。
いや……今までがおかしかったのか……。
「飯食ったら、家まで送ってやるよ。一度帰った方がいいだろ?」
そう言って、しわくちゃになった服を指してやる。
「あー……そうですね……。そうさせてもらいます……」
「だから寝巻きに着替えろと言ったんだ」
「んー……」
ポーラは何やら不満そうな顔を見せると、それを隠すように味噌汁を口にした。
ポーラを家まで送った後、響の様子を見に行こうと本部へ寄った。
「ここにいたのか」
響は、郵便室で延々と封筒を作っていた。
「ポーラのみならず、あの響をも手懐けるとは。どうだい、笠谷君? 彼女を引き取っては」
「無茶言わんでください。雨海さんと違って、生活に余裕がないのでありますよ」
「彼女を引き取れば、国からの支援も受けられて、君の給与と同額か、それ以上の収入が手に入るよ?」
「なおのことであります。自分、女性に養われるよりも、女性を支える男になりたいのであります」
「格好つけるのは止めたまえ。だとしたら、この体たらくは何だい? どうせ、女性に養ってもらえるかもしれないと、よこしまな気持ちで海軍に入ったのではないのかね?」
「失敬な! 自分だって、雨海さんのようになろうと努力したつもりでありますよ!」
「本当かね? 高見上官が嘆いていたよ。大きな仕事を任せようとしたら『自分には荷が重いから、もっと簡単な仕事に就かせてほしい』と懇願してきて困っている、とね。その他にも、同僚の女性に借金があるとかなんとか……」
笠谷君はバツの悪そうな表情を見せた。
「フフ、しかし、君に金を貸す女性がいるってのは、君にも女性を魅了するナニカがあるということだ。『弱い男』に弱い女性がいるのも事実だし、君もその類なのでは?」
「不本意であります……」
「なら、少しは漢を見せたらどうだね? まずは借金を返したまえ」
そう言って、俺はいくらかのお金を笠谷君に渡してやった。
「これは……?」
「ポーラや響を預かってくれたお礼だ。少しばかり色を付けたのは、君への投資だよ」
「こんなに……! ありがたいのであります!」
「フッ……そう易々と受け取るのが君だよ。漢は諦めたまえ」
笠谷君の肩をポンと叩き、真剣な表情で封筒を作る響に話しかける。
「響」
相当集中しているのか、封筒作りを止めない響。
「ほれ」
わき腹をくすぐってやると、響はキャッキャと笑い、ようやく俺を見た。
「よう、いい子にしていたか?」
響は俺に抱きつくと、そのまま抱き上げるようせがんだ。
「そら! おお、しっかり食ったようだな。だいぶ重くなっているぜ」
響は怒っているのか、俺の頬をグイっと伸ばした。
「ほほっていふのは? はら、ふひでいははいほははらはいへ?」
「『怒っているのか? なら、口で言わないと分からないぜ?』でありますか?」
「ほー! よふわはっはへ」
「『ほう、よく分かったね』でありますね」
響を下ろし、軽くチョップしてやる。
頭を押さえる響は、相変わらず無表情であった。
「さて……。そろそろ話してくれてもいいんじゃないのか? どうして里親の元を離れたのか……」
響は何も言わず、俯くだけであった。
「何不自由ない暮らしだったはずだろう? そら、お前がいなくなっても本部へ報告しに来なかった連中だし、相手側にも問題があったのかもしれんが……。それでも、自分で言ったよな?『自分の気持ちをちゃんと言葉で伝えます』って……」
「…………」
「……分かったよ。お前がそんな態度なら、俺はもうお前を見捨てる。他の連中に面倒見てもらえ。それこそ、笠谷君なんかいいんじゃないか? 暇そうだし」
「忙しいでありますよ!」
響は笠谷君を見ると、何度も首を横に振った。
「それはそれでショックであります……」
響は縋るようにして、俺に抱きついた。
「じゃあ、話してくれるな?」
反応を見せない響。
これまで幾度となく甘やかしてきたが、それがいけなかったのかもな……。
「じゃあ、もうこれっきりだ。俺は本気だぞ?」
そう言ってやっても、困惑するだけで、何も言わない響。
「……笠谷君、真鍋さんは知っているね? ほら、この前、僕を呼びに来た新人さんだ。彼女を呼んできてくれないかい?」
「了解であります」
笠谷君が呼びに行っている間も、響は何も言わず、ただくっ付いているだけであった。
やがて、笠谷君が真鍋さんを連れて帰ってきた。
「お、お呼びでしょうか!」
「わざわざ悪いね、真鍋さん。この前話した件だけど、この子のこと、頼んだよ」
「あ、はい! 準備はできています! では、こちらで預かります!」
「悪いね」
真鍋さんは、一緒に連れてきた屈強な海兵に命じ、俺から響を引き離した。
響は多少の抵抗を見せていたが、そのままどこかへ連れていかれた。
「ありがとう、真鍋さん。高見上官の後では大変だと思うけど、君なら出来ると信じているよ」
「は、はい! 頑張ります!」
俺は彼女に近づき、耳元で囁いた。
「これからも、僕の為に力を貸してほしい。それ相応のお礼はするつもりだよ」
「お、お礼……ですか……?」
「興味があるのなら、高見上官……いや、美奈子さんに訊いてみたらいいよ。彼女がそうだったように、君も気に入るはずだよ」
彼女は顔を真っ赤にすると、慌てて郵便室を出て行ってしまった。
「罪な男でありますなぁ……」
「彼女は高見上官の後釜候補として、本部へ来たらしいんだ。新人なのに、もう部下を抱えている。投資だよ、投資」
「はぁ……。あまり誑かしては、いつか刺されますよ?」
「経験済みだよ。尤も、未遂に終わったがね」
笠谷君の呆れる顔を横目に、俺は郵便室を後にした。
以前、高見上官に響を預けたことがあった。
厳しいことで有名な上官の元で、何をされたのかは知らないが、響は行儀良くなって帰ってきた。
「だから、今度もそれを期待して、響を彼女に預けたんですよ」
「そうだったんだねぇ……。いやぁ、雨海さんも大変だねぇ……。はい、チャーハンお待ち!」
陳さんのチャーハンは、格別に美味かった。
「そんなことよりも、陳さん。ポーラの件、ありがとうございました。おかげで助かっていますよ」
「いんやぁ、この程度のことしかできなくてゴメンね……」
「いやいや……」
「でも、煙草屋の婆さんも、明後日には退院するって話だよ? そうなったら、ポーラちゃん、また仕事を探さないとだねぇ……」
明後日か……。
「まあ、うちの料理食べて元気出してよ。ほら、餃子、おまけしておくからさ」
「すみません……。いただきます」
相変わらず、解決しなきゃいけないことが山積みだな……。
陳さんの店を出て、ポーラの様子でも見に行こうと歩き出した時であった。
「やっと見つけたぞッ! 雨海ッ!」
野太い声。
俺は、嫌な予感を抱きつつ、恐る恐る振り返った。
「鬼頭(おにがしら)提督……」
「貴様を探すため、街中を駆け巡ったのだ! さあ、私を抱けーッ!」
鬼頭提督。
戦艦級の提督にして、最強の女海兵。
心技体、全てにおいて最強を自負しており、戦艦級の武蔵すらもビビらせた女だ。
「雨海! どうして私の手紙を無視するのだ!? 我慢できずに会いに来てしまったではないか!」
「……声が大きいですよ、鬼頭提督。街の人に迷惑だ……」
「す、すまない……。最近、耳が遠くてな……」
おそらく、砲撃の音で聴覚をやられたのだろう。
戦艦級の砲撃は半端ないからな……。
「それで? 私に会いに来たと?」
「そうだ! 何度も何度も手紙を出したのに、貴様は一切返信してこなかっただろう!? 何故だ!?」
「手紙って……あの『果たし状』の事ですか?」
「あぁ! 貴様に決闘ならぬ、結婚を申し込んだのだ!」
戦時中、とある作戦に戦艦級が必要だったこともあり、手を貸してもらおうと、彼女に接触した。
しかし『私よりも弱いやつに手を貸すつもりはない。私との組み手に勝てたのなら、手を貸してやってもいい』との事で、渋々試合をしたことがあったのだ。
普通なら勝てない試合ではあるが、組み手の際、顔を近づけてみたり、体を触ってみたりしている内に、彼女の『女』の部分が目覚めたらしく、急に弱くなり、そのまま組み伏せることが出来たのだった。
「あの試合から、私の中で何かが目覚めてしまったのだ……。毎晩、貴様に負けた事ばかり思い出して……。その度に、体が熱くなって……。もう一度、貴様に倒されたい……。敗北感を味わいたい……。そして、無理やり抱かれて……抵抗も出来なくて……。うおおおおおおおおおおおおおおおおおお! あ……」
鬼頭提督は鼻血を垂らすと、それを恥ずかしそうに拭いた。
ファンシーなハンカチで……。
「とにかく! 私と結婚してほしい! もう一度、私を女にしてくれーッ!」
プロポーズにしては、あまりにも……。
嗚呼、ほら……街の連中が何事かと集まってきて……。
「とりあえず、場所を変えませんか……? こんなところでは……」
「提督ぅ?」
振り返ると、ポーラが立っていた。
「どうしたんですか? こんなところで」
「ポーラ……」
そうだ……!
「わっ!?」
俺はポーラを抱き寄せ、鬼頭提督に見せつけた。
「鬼頭提督、申し訳ない……。私には、この子がいまして……」
「なんだと……!? って、艦娘のポーラではないかッ! まさか、艦娘と付き合っているとでも!?」
俺は、あえて何も言わなかった。
「提督ぅ! 急に何するのー! はなしてー!」
「後でワイン買ってやるから、大人しくしてろ」
小声でそう言ってやると、ポーラは目の色を変え、されるがままになった。
現金な奴……。
「そうか……。そうなんだな……」
俯き、拳を震わせる鬼頭提督。
普通に怖い。
「う……」
「う?」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」
突然の雄叫びに、ポーラも俺も、互いに抱き合って怯えていた。
「燃える! 燃えるぞ雨海ッ! 恋は障害があってこそだ! 嗚呼、血がたぎる……! この高揚感……! 深海棲艦との戦い以来だ……!」
鬼頭提督は、ギンギンになった目で、俺たちを見た。
「ポーラッ! 貴様から必ず! 雨海を奪ってみせるッ! 今日から、恋のライバルだッ!」
「ヒィ……提督ぅ……この人……怖いです……」
俺だって怖いよ……。
「今日のところは引き揚げてやる……。だが! 貴様と結婚するまで、私はこの街を出んからなッ!」
そう言うと、鬼頭提督は去っていった。
「提督ぅ! なんですかあの人はー!?」
「…………」
これは……非常にマズイことになったかもしれん……。
約束通り、ポーラにワインを買ってやり、車で家まで送ってやることにした。
「うへへ~。このワインが飲みたかったんです。提督、ありがとうございまーす」
「……どういたしまして」
クソ……。
いつもいつも、高いワインばかり選びやがって……。
「そういや、お前、あそこで何していたんだよ? 仕事はどうした?」
「煙草、すぐに売り切れちゃったんですよー。やることもないので、陳さんのところへお礼を言いに行こうかと思っていたんです」
この時間で、もう売り切れか……。
流石というか何というか……。
「提督は何していたんですか? あの女の人、誰ですか?」
「誰って……。お前、知らないのか? ほら、戦艦級の提督だよ。演習で会ったことあるだろ」
「そうでしたっけ?」
そうでしたっけ……って……。
あのインパクトある肉体を覚えていないとは……。
「……デートですか?」
「え?」
「ポーラのことを見て、恋のライバルって言ってました。コイビトでしたか……?」
「んなわけないだろ……。なんか、勝手にあっちが盛り上がっているだけだ……。結婚したいだのなんだのと……勝手に押しかけてきて……」
「迷惑してますか?」
「あぁ、迷惑だ。あんな街中で叫んで……はしたないったらないぜ……」
「ふぅん……」
ポーラは何やら、考え事をするかのように、口元に手をあてていた。
「なんだよ?」
「提督ぅ、あの人、また来ますかね?」
「……来るだろうな。あのテのタイプは、諦めが悪いからな……」
尤も、戦場においては、その諦めの悪さが重宝されていたようだが……。
「だったら、またポーラを雇いませんか?」
「え?」
「レイミさんの時のようにするんです。ポーラと提督が一緒に住んでいて、諦めさせるやつです」
「それはさっき試してみたが……逆に燃えていただろ……。それに、麗美の時はそれで良かったが、今回はすぐに同棲していないとバレる。相手は同じ海軍であるし、俺よりも権力がある。住所なんかもすぐにバレるだろうよ」
「じゃあ、本当に一緒に住むのはどうですか……?」
「あ?」
「提督のおうち、とっても広いですし……。ポーラ、ご飯も作れますから……」
ポーラはワインボトルをギュっと抱きしめると、退屈そうに窓の外を見ていた。
「ポーラ……お前……」
「…………」
「お前、そうやって甘えようって魂胆だな?」
「え?」
「駄目だ駄目だ! 同棲なんて絶対駄目だ! そんな事になれば、お前は絶対何もしなくなる。ワインだって勝手に飲むだろうし、ご飯を作ると言ったって、玉子焼きと味噌汁くらいだろ? 結局、俺が作ることになる未来しかみえん」
「て、提督、言ってたじゃないですか! 毎日食べたいって!」
「本当に毎日食えるわけないだろ……。それに、あの場では言わなかったが、玉子焼きが少ししょっぱかったんだよ。味噌汁だってそうだし、ジャガイモだって火がちゃんと通っていなかった」
「…………」
「大体、お前はまず、自分の生活を何とかしろよな。ゴミだって自分で捨てられないし、仕事だって……」
「……もういいです」
「あ?」
「もういいです! 提督なんかキライです!」
そう言うと、ポーラは車から飛び出していった。
「あ、おい!」
飛び出して行ったわりには、しっかりとワインボトルを持っていきやがった。
「なんだよあいつ……」
まあ、少し言い過ぎたところはあるかもしれんが……。
「多少は、いい薬になったかもな。ったく……。何が『本当に同棲』だよ……」
翌日。
響の様子を確認する為、本部へ寄ってみると……。
「雨海!」
鬼頭提督が、郵便室で待ち受けていた。
「……鬼頭提督。ここで何を……?」
「貴様への手紙を検閲していたのだ」
「検閲ぅ!?」
「まったく……けしからん手紙が多くてかなわんな……」
そう言うと、鬼頭提督は、可愛らしい便箋を破り捨てた。
「お、おい! それはまさか……!」
破れた手紙をつなぎ合わせてみる。
それはウメちゃんからのものであった。
「やはりそうだ……! ポーラとの関係が誤解だと分かって、再び手紙をくれたんだ……! あぁ……なんてことを……」
俺は、鬼頭提督の――いや、鬼頭の馬鹿を睨みつけた。
「おぉ! その瞳……! ゾクゾクするぞ雨海!」
そもそも、何故こいつが俺の手紙を……。
ふと、笠谷君がいないと思い、辺りを見渡してみると……。
「あ……」
笠谷君は目が合うと、我関せずといった具合に、封筒を作り始めた。
てめぇ……笠谷ぁ……。
「……鬼頭提督。勝手に手紙を処分されては困るのですが……?」
「なに、検閲させてもらったが、大したことは書かれていなかったぞ。それに、貴様は私の夫となる男だ。他の女からの手紙など不要だ。違うか?」
「……違いますね。私は貴女の夫になるつもりはないし、私にとってその手紙たちは『大したもの』なんです……」
「こんな手紙がいいとでも言うのか? だったら、私が代わりに書いてやる! こんな偽物の愛を綴った手紙なんかよりも、私の本物の熱い愛の方がいいはずだ!」
こいつ……。
「……てめぇ、いい加減にしろよ。こっちが下手に出れば調子に乗りやがって……」
「おぉ……おぉぉぉぉぉぉ! いいぞ雨海! その調子だ……! もっともっと怒ってくれ……! 調子に乗った私をッ! 貴様の逞しい肉棒でワカラセてほしいのだッ!」
こいつ、無敵か……?
「さぁ、ヤろう! 今ッ! ここでッ!」
今にも脱ぎだしそうな鬼頭を止めようとした時であった。
「響ちゃん!」
廊下の方で、真鍋さんの声。
それと同時に――。
「うぉ!?」
郵便室へ入ってきた響は、俺に抱きついた。
「響ちゃん! あ……雨海提督……」
「真鍋さん」
「ご、ごごご、ごめんなさい! あの……響ちゃんが急に……その……」
「落ち着いて、真鍋さん。大丈夫だよ」
真鍋さんは響を引き離そうとしたが、もの凄い力で掴んでいるのか、中々離れなかった。
「ひ、響ちゃん……お願いだから、言うこと聞いてほしいな? おもちゃもお菓子もあるわよ?」
響は離れない。
こういう時、高見上官は厳しくしていたものだが、真鍋さんにはまだ負担が大きかったか……。
「おい響、真鍋さんの言うことを……」
ふと、鬼頭へ目を向けた。
やけに大人しいと思っていたら……。
「ぐっ……」
何やら、距離を取っている鬼頭。
視線の先には、響がいた。
「あ! 鬼頭提督もいらっしゃったのですね! 申し訳ございません! すぐに遠ざけますので……」
「あ、あぁ……」
遠ざける……?
「さあ、響ちゃん……。雨海提督も困っているから……ね……?」
響はゆっくり顔を上げると、俺をじっと見つめた。
相変わらずの無表情であるが、どこか――。
「……早く離れろ、響」
冷たく言ってやると、響はそっと、俺から離れた。
「いい子ね。すみません……雨海提督……」
「いいんだ。君はよくやってくれているよ。いずれ、お礼をさせてもらうよ」
それを聞いた真鍋さんは、顔を真っ赤にして俯いた。
高見上官から、お礼の内容を聞いたということだろうか。
「で、では! 失礼します!」
真鍋さんに連れられ、響は部屋を後にした。
それに安堵する鬼頭。
もしかして……。
「ふぅ……。さて、雨海よ……」
「おっと、そういえば、そろそろ駆逐艦が俺を訪ねてくる時間だったな」
「く、駆逐艦が……?」
「何か?」
鬼頭は苦虫を嚙み潰したような顔を見せた。
「そ、そうか……。それは……邪魔してはいけないな……。今日のところは、これで失礼させてもらう……」
そう言うと、鬼頭はそそくさと去っていった。
やはりそうか……。
「ふぅ……ようやく行ったでありますか……」
「笠谷君……」
「し、仕方がないではありませんか……。逆らったら……何をされるか……」
「やはり君に、漢は無理のようだな……」
「ぐぅ……」
終業時間を見計らって、俺は真鍋さんを呼び止めた。
「あ、雨海提督……」
「雨海でいいよ。真鍋さん、もしよかったら、これから時間あるかな? 食事でもどうだい?」
「え、あ、は、はい! だだだ、大丈夫……です……」
「良かった。じゃあ、行こうか」
食事中の彼女は、どこか緊張しているようであった。
「美味しくなかったかい?」
「い、いえ! とっても美味しいです! で、でも……私……こういうお店は初めてで……」
だろうな。
本部配属となったエリートとはいえ、田舎出身であると聞いているし……。
「だとしたら、今の内に慣れておいた方がいい。君も高見上官と同じように、いずれは出世するだろう。そうなった時、接待するにしても、されるにしても、こういったお店は必ず選ばれる」
「な、なるほど……。勉強になります……」
「とはいえ、僕も高見上官から教えてもらったんだけどね、このお店。それと、あまり硬くならないでほしいな。今日は、響の世話をしてもらっているお礼もそうだけど、もっと君のことを知りたいと思って誘っているんだ」
「そ、そうなんですか?」
「うん。もし良かったらなんだけど、親しみを込めて、二人っきりの時は、下の名前で呼んでもいいかな? 美香さん……って……」
「わ、わわわ……あの……その……」
「なんてね。まだ早いか。でも、いずれ呼ばせてね。真鍋さん」
「は、はいぃ……」
さて……。
「そういえば、さっきの件だけど……。真鍋さんは、鬼頭提督と面識が?」
「は、はい。本部配属となる前、指導してくれたのが、鬼頭提督でした」
「そうなんだ。いや、鬼頭提督、なんだか、響を怖がっていたようだったから……。もしかして、子供が苦手だとかあったりするのかなって」
そう訊いてやると、真鍋さんは黙り込んでしまった。
「あ、あれ? 訊いちゃいけないことだったかな?」
「そ、そんなことは……!」
真鍋さんは何かを考えるように俯いた後、顔を上げ、小声で話し始めた。
「あの……本当は口止めされているのですが……。実は……」
店を出る頃には、真鍋さんはすっかり出来上がっていた。
「大丈夫かい?」
「す、すみましぇん……。わらし……おしゃけ弱くて……」
生まれたての小鹿のように、プルプル震える真鍋さん。
嗚呼、可愛い……。
勉強ばかりしてきて、大人の社交なんぞとは無縁に生きてきたのだろう。
こういう女の子が堕ちてゆく姿に、俺は……。
「良かったら、僕の家に来るかい?」
「ふぇ?」
「ね?」
「は、はいぃ……。その……ふちゅちゅかものですが……。あの……その……わらし……実は……処……」
「ポーラ?」
俺の声に、ポーラは振り返った。
隣には、笠谷君が居た。
「提督……」
ポーラは真鍋さんを見ると、突然走り去ってしまった。
「ポーラさん!?」
残された笠谷君は、それを呆然と見ているだけであった。
ポーラが走って行った先には、治安が良いとは言えない歓楽街があった。
「よりによって……。笠谷君、ポーラを追いかけなくていいのかい? 一緒に行動していたんだろう?」
「え……いや……その……」
「何をもたついて……。仕方ない……」
真鍋さんを笠谷君に預ける。
「あ、雨海しゃん!?」
「すまないね、真鍋さん。後のことは、この笠谷君が全ての面倒を見てくれるから……」
「じ、自分でありますか!?」
「他に誰がいるってんだ……。漢を見せろ、笠谷君」
笠谷君の肩を叩き、俺はポーラの跡を追った。
「ポーラ!」
ようやくポーラの背中が見えてきた。
相変わらず、足が遅いな……。
「どうして追ってくるんですか……!?」
「お前こそ、何故逃げる!? それに、そっちは歓楽街だ! 逃げるにしても、方向を変えろ!」
「ヤです!」
ポーラは路地裏をちょこまかと逃げ回った。
普通なら追いつけるが、こうも曲がり角が多いと……。
「クソ……。飯を食った後だから……脇腹が……」
ポーラが大通りへ出た、その時――。
「ポーラ!」
大きなクラクションと、甲高いブレーキ音。
迫るトラック。
驚いたポーラは、その場に固まっていた。
「クソ……!」
腕を伸ばし、何とかポーラを引き寄せる。
間一髪で、トラックとの接触を避けることが出来た。
「バカヤロウ!」
「す、すまない……」
トラックは怒りのクラクションを鳴らすと、そのままアクセル全開で去っていった。
「はぁ……はぁ……。おい、大丈夫か?」
ポーラは俯いている。
怪我は無さそうだが……。
「あーあ……。服が泥だらけじゃないか……。こりゃ、洗っても取れないぞ……」
ポーラは……。
「ポーラ……?」
ポーラは、泣いていた。
「お、おいおい……。どうした? どこか痛むのか?」
俺の心配をよそに、ポーラはそっと、俺の胸に頭を預けた。
「ポーラ……?」
「……か」
「え?」
「提督の……ばかぁ……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
突然の大号泣に、街の連中が何事かと集まってくる。
「おま……! い、いえ! 大丈夫です大丈夫です! なー? 怖かったなー? さ、行くぞー?」
何とかタクシーを手配し、とりあえず、家へと連れてきた。
その間にも、ポーラは泣き続けていた。
「ほら、飲めよ」
ココアを淹れてやると、ポーラは鼻を鳴らしながら、それを飲んだ。
ようやく泣きやんだか……。
「……で? どうして逃げたんだ? というか、笠谷君と何をしていたんだ?」
「…………」
「……別に答えたくないのなら、それでもいい。帰りたいのなら帰ってもいいし、泊まりたいのなら泊まっていけ」
そう言って、俺は寝巻きを渡してやった。
「言っておくが、その寝巻きは、お前用にわ・ざ・わ・ざ! 買ってきたやつだ。だから、安心して着ていいぞ」
嫌味っぽく言ったつもりであったが、ポーラは……。
「ん……」
ポーラは俺の背中に抱きつくと、小さく言った。
「ごめんなさい……」
何に対しての謝罪なのかは分からないが……。
「……とりあえず、風呂入れ。ボロボロだぞ、お前……」
ポーラは頷くと、寝巻きを持って風呂場へと向かっていった。
風呂上りのポーラは、いつものような、のほほんとした表情に戻っていた。
「いい湯でした~」
「……そうかい」
本当、単純な奴……。
「提督……あの……」
「なんだよ? ワインなら無いぞ。あっても絶対に飲ませないからな」
「ち、違いますよ! その……この前はごめんなさい……。さっきも……逃げちゃってごめんなさい……。あと……助けてくれて……ありがとうございます……」
あの『ごめんなさい』には、色々含まれていたって訳か……。
「……俺の方こそ悪かったよ。この前は、その……少し言い過ぎた……」
ポーラは首を横に振ると、膝を抱えて俯いた。
「……で? 逃げた理由は、なんとなく分かったが……。笠谷君と何をしていたんだ? こんな時間まで……」
「……料理を教えてもらおうと思って」
「料理を?」
「笠谷さん……一人暮らしをして長いから……料理が上手かもしれないと思って……。相談したら『料理は得意であります』って……」
笠谷君が料理を……?
聞いたことないが……。
「それで……仕事終わりに教えてあげるから、うちに来ないかって言われて……」
なるほど……。
「で、その途中で俺に見つかったと……」
頷くポーラ。
笠谷……あいつ……おそらく、ポーラのことを……。
「……提督は何してましたか?」
「え?」
「女の人……良かったんですか……? コイビトですよね……?」
「恋人? いや、ありゃ新人さんだよ」
「新人さん……とっても可愛かったです……。提督……ああいう人が好きですか……?」
「まあ、可愛いっちゃ可愛いよな。彼女、結構優秀でさ、響の面倒を見てもらっていて――」
「――好きなんですか?」
そう訊くポーラの瞳は、どこか――。
「ポーラ?」
ポーラは近づくと、そっと俺に抱きついた。
「お、おい……どうした……?」
「ヤです……」
「え?」
「提督にコイビトいるの……ヤです……。他の女の人といるの……ヤです……。ポーラとだけ……居てほしいです……」
ポーラは、小さく震えていた。
「ポーラ、お前……」
「…………」
なるほど……これは……。
「そうか……。ポーラ、お前の気持ち、よく分かったよ……」
「提督……」
「お前……寂しかったんだよな?」
「え?」
「いや、分かっているよ……。お前には、頼れる人が少ないもんな……。ザラにも頼れないし、甘えられる人は、俺だけだもんな……。そんな俺に恋人なんか出来たら、構ってくれなくなるんじゃないかと、不安になるよな……」
そうだ……。
こいつには、親がいない……。
俺を親のように思っていても、不思議じゃない……。
そら、不安にもなるよな……。
「安心しろ。俺は、恋人なんかつくるつもりはない。少なくとも、お前が自立するまではな」
そう言ってやると、ポーラは安心するどころか、何故か頬を膨らませ、怒っていた。
「あ? どうした?」
「提督……やっぱり何も分かってないです……」
「はぁ? 何が?」
「……もういいです。提督のニブチン……」
そう言うと、ポーラはムッとした表情のまま、寝室へ去っていった。
「なんなんだよ……?」
翌日。
朝食を作っていると、ポーラがムッとした表情のまま、起きてきた。
「よう。まだ機嫌が悪いのか?」
「どうして朝食作っているんですか……?」
「どうしてって……。朝食、いらなかったか?」
「ポーラが作りたかったの! むぅー!」
「作りたかったって……。今日は卵無いし……味噌汁だけ作るか?」
「玉子焼き以外も作れます!」
「ほう。何が作れるんだ? ほれ、材料はこれしかないぞ。何を作るつもりだ?」
そう言ってやると、ポーラは材料とにらめっこを始めた。
そんなことをしている内に、朝食は完成した。
「ほら、食えよ」
「……いただきます」
不機嫌なポーラの表情は、一気に明るくなった。
「提督ぅ! これ、とっても美味しいです!」
「そうか。ほれ、レシピ書いてやったぞ。この通り作れば、同じのが出来るぞ」
「ほんとですか? ありがとうございま……あ……」
ポーラはレシピを俺に返した。
「なんだよ? 料理、上手くなりたいんじゃないのか?」
「……提督に教えてもらったら意味ないです」
「はぁ? なんじゃそりゃ……」
「提督の味じゃ駄目なんです……。ポーラの味じゃないと……」
「何言ってんだよ……。そういうのはな? 料理できるようになってから言えってんだよ……。まずは手本通りに作って、それから自分の味にしていくんだよ。悪いことは言わん。レシピ、持って帰れ」
「むぅ……」
朝食を済ませ、ポーラは帰り支度を始めた。
「送っていかなくていいのか?」
「あ、はい。今日、このまま病院に行くんです。煙草屋さん、今日で退院なので、引継ぎをするんです」
そういや、今日が最後だったな……。
「……また、仕事を探さないといけないのか。クソ……」
「……ごめんなさい」
「いや……。まあ、何とかなるだろ……。それまでは、郵便室で仕事を貰え。俺が手配しておくから」
「はい……」
「忘れ物ないな? 煙草屋の婆さんによろしくな」
「分かりました」
「じゃあ……」
「あ、提督、ちょっといいですか?」
「ん? なんだ……」
ポーラは、俺の頬にキスをした。
「な……!? 何を……!?」
「イ、イタリアの挨拶です! イタリアでは普通です! じゃあ……あの……い、いってきましゅ!」
そう言って、ポーラは家を飛び出していった。
「イタリアの挨拶って……。ポーラ……お前……」
俺は、キスされた頬をそっと撫でた。
「お前……間違ってるぞ……。キスするんじゃなくて、リップ音を鳴らすだけだぞ……」
あいつ、本当にイタリアの艦娘か……?
鬼頭を警戒しつつ、郵便室へ向かう。
「笠谷君」
「あ! 雨海さん! 酷いでありますよ!」
「昨日は悪かったね。あの後、大丈夫だったかい?」
「まったく大丈夫ではなかったでありますよ! 真鍋さんでしたか? あの人、とっても酷い人で……!」
「誰が酷いですって……?」
真鍋さんが、響を連れて、郵便室へとやってきた。
「真鍋さん、昨日はすまなかったね……。笠谷君に、変なことされなかったかい?」
「は、はい! されそうにはなりましたけど……」
「え?」
「ご、誤解であります! あまりにも酔っぱらっていたので、介抱しようと自宅へ招こうとしただけで……」
「嘘よ! どさくさに紛れて、胸を揉んだじゃない!」
「あれは、ふらついた拍子に触ってしまっただけで……!」
「とにかく! とってもイヤらしい目で見てきたんです……」
「自分はただ心配して……! せっかく介抱してあげたのに……。雨海さん! やっぱりこの人、酷い人でありますよ! 」
「まあまあ……。しかし、イヤらしい目で見ていたのは本当だろう? 君、昨日、ポーラを自宅へ連れ込もうとしていたそうじゃないか」
「そ、それは……料理を教えてほしいと言われて……」
「君、出来るのかい? 料理……」
「と、得意であります……よ……」
「何が作れるんだい?」
「……玉子焼きとか、味噌汁とか?」
「それ、ポーラでも作れるぞ。他には?」
「あとは……うぅむ……」
「本当は作れないくせにー!」
真鍋さんは、舌を出して揶揄っていた。
結構、子供っぽいところがあるな……。
「ぐぬぬ……! そういう貴女はどうなんでありますか!?」
「私はなんでも作れますが? 田舎から食材がたくさん送られてきますし、響ちゃんにだって好評なのよ? ね、響ちゃん?」
響は何度も頷いていた。
言わされている訳ではなさそうだが、どこかゲッソリしているように見えるのは何故だろうか……。
「まあまあ、それくらいで。真鍋さん、響を連れてきてくれてありがとう。しばらくはこちらで預かるから、君の方は引き続き、里親を探してほしい」
「は、はい! すぐにでも見つけてきます! では、私はこれにて……。その……昨日の続きは……また……どこかで……」
「あぁ、必ず」
「で、では……」
真鍋さんは舌を出して笠谷君を煽った後、郵便室を後にした。
「さて……」
響は、目を見開き、俺を見ていた。
「聞いていた通りだ。お前のことは、俺がしばらく預かることになった。一緒に暮らす事になるから、荷物、まとめてこい」
響の表情が、一気に明るくなる。
無表情ではあるのだが、なんとなく、そんな気がする。
「フッ……そんなに嬉しいのか? 但し、条件があるぞ。それは……」
「雨海ッ!」
いいところに来たな……。
「鬼頭提督」
「今日こそ……んんっ!?」
鬼頭は響を見て、眉をひそめた。
「どうしました? 鬼頭提督……」
「いや……。間が悪いようだ……。失礼する……」
鬼頭は去っていった。
どうやら、真鍋さんがの言っていた通りのようだな……。
「ど、どういうことでありますか!? あの鬼頭提督が……何も出来ずに……」
「フッ……何故だろうな……?」
笠谷君には黙っておこう。
ウメちゃんの手紙の恨みだ。
家へと向かう車の中で、響に条件の説明をした。
「――という訳だ。鬼頭は子供が苦手のようでな。お前がいつも傍にいれば、奴は俺に近づけなくなる。つまり、条件ってのは、鬼頭から俺を守ること、だ。出来るか?」
響は鼻息を荒くしながら、何度も頷いた。
『実は……鬼頭提督は、駆逐艦のことが大好きなんです……。本当は、戦艦級ではなくて、駆逐艦を担当したかったくらいで……。でも、あの見た目ですし、駆逐艦からは恐れられ、泣かれてしまうこともあったそうで……。それがショックだったのか、駆逐艦を見る度に、泣かれてしまうのではと、避けるようになってしまったようで……』
ファンシーなハンカチを持っていることから、可愛いモノ好きではなかろうかとは思っていたが……。
ファンシー……か……。
「ファンシーで思い出したぜ。響、お前、茶碗とか箸とかあるか? うちに子供用はないぜ?」
首を横に振る響。
まあ、そらそうか……。
持ってきた荷物も、小さなリュックだけだったし……。
「仕方ねぇ……。行きたくはないが……。響、お前、泣くなよ?」
響はキョトンとしたまま、小さく頷いた。
「待ってたわよぉ! 響ちゅわ~ん」
マーブルは響を抱き上げると、頬擦りした。
「可愛いわ~! こういう子の為に、店をオープンしたのよぉ! 夢が叶ったわぁん!」
今日来ることも、響のことも知らないはずだ。
相変わらず、ナニモンだよこいつは……。
「マーブル」
「分かってるわ。子供の生活に必要そうなものは、あらかた用意したわよぉん。ついでに、可愛い寝巻きやお洋服も用意しちゃった!」
俺は、響に目を向けた。
マーブルに抱きかかえられた響は、心を殺すかのように、目をつむっていた。
まるで着せ替え人形のように、響は色々な服を着せられていた。
「可愛いわぁん……。本当、お人形さんみたい……」
おだてられ、まんざらでもなさそうな響。
頼まれてもいないのに、ポーズまでとっている……。
「響ちゃん、貴方のお父さんにも見せに行ったら? 似合うかどうか訊いてきなさいよ」
「誰がお父さんだ……」
響は小走りで駆け寄ると、俺をじっと見つめた。
「あぁ、可愛いよ。気に入ったのは全部買ってやるから、好きなだけ試着してこい」
そう言ってやると、響は俺に抱きついた後、マーブルの元へ戻っていった。
マーブルにビビるかと思ったが、案外平気そうだな。
これなら、鬼頭相手でも大丈夫そうだな。
家に着くと、響は早速、マーブルのところで買った茶碗などを棚に並べ始めた。
「気が早いな」
あてがわれた部屋も、すぐに響色に染めていた。
「定住する気満々だな……。言っておくが、鬼頭が諦めるまでだからな? もしくは、お前の里が見つかるまでだ」
響は反応を見せず、マーブルのところで買った絵本を読み始めた。
自由か、こいつ……。
「まあいい……。家政婦さんに風呂を沸かしてもらっといたから、お前、先に入れ」
そう言って、タオルを渡してやる。
響は絵本を置くと、俺をじっと見つめた。
「なんだよ?」
何も言わない響。
けど……。
「もしかして、一緒に入りたいのか?」
頷く響。
そういや、戦時中も一緒に入りたがったな……。
「駄目だ。もう一人で入れるんだろ? だったら……」
何度も首を横に振る響。
一人で入れないってことはないのだろうが……。
「…………」
まあ、まだ子供だしな……。
「分かったよ……。けど、一回きりだぜ」
響は頷くこともせず、嬉しそうにタオルを振り回していた。
風呂も食事も済ませると、響はうとうとし始めた。
「お前、眠いんだろ?」
絵本を読めとせがんできた響は、俺の膝の上で今にも眠りそうであった。
「寝るなら部屋で寝ろ。こんな所じゃなくて」
そう言っても、響は離れようとしなかった。
むしろ、より深く、俺に寄りかかった。
ポーラもそうであったが、やはり、まだまだ甘えたい時期なのかもな……。
「仕方ないな……。ほれ、布団に連れて行ってやる」
ポーラとは違い、軽々持ち上がる響。
体も温かくなっていて、いつ眠ってしまってもおかしくはなかった。
「っと……。ほら、眠るまで傍にいてやるから、服を放せ」
添い寝して見せると、響は安心したかのように頷き、ゆっくりと瞳を閉じていった。
やがて、寝息が聞こえてくる。
「やれやれ……」
ポーラの時にも思ったことだが、本当、まだまだ子供だな……。
「…………」
こんなに可愛い寝顔を見せる子供なのに、里親の連中は、どうして響に興味を示さないのだろうか……。
まあ、愛想がないのは確かだし、何考えているのか分からないし……。
でも……。
「んぅ……」
よく観察すれば、考えていることも分かるはずだし、たった数日一緒にいただけじゃ、こいつの魅力は――。
家出癖はあるが……それでも受け入れることができれば、きっと、響は……。
翌朝。
家の前が騒がしかったので、何事かと出てみると……。
「ポーラ?」
ポーラは、何やら袋を持って、俺の家の前に立っていた。
「あ、提督ぅ。おはようございまーす」
「お前、こんな朝早くからなにして……」
「雨海ッ!」
この声は……。
ポーラの後ろには、鬼頭が立っていた。
「お前ら……何してんだよ……」
「聞いてくださいよー! ポーラ、提督に朝ごはんを作ってあげようと思っていたんです! そしたら、この人が~!」
「フン! 貴様が朝食だと? 料理なら、私の方が得意だ! 雨海! 貴様、少し痩せていたな? 栄養が足らないと、作れるものも作れんぞ! これを食え!」
そう言うと、鬼頭は弁当箱らしきものを渡した。
「わざわざこれを届けに来たと……?」
「そうだ! どのタイミングで渡そうか迷っていたら、この泥棒猫が邪魔をしてきたんだ!」
「邪魔なのはソッチです! ポーラは、もっと前から居たんです! でも、提督はまだ寝てるかもと思って、エンリョしてたんです!」
「ほざけ! 私はもっと前からいたぞ!」
「ポーラは、そのもっと前からです!」
「どっちでもいい! 朝っぱらから騒ぐな!」
そんなやり取りをしていると、響が寝巻きのまま出てきた。
「アレ? 響ちゃん!?」
「ぐぉ……!?」
「響、起こしちまったか」
響は寝惚け眼をこすると、鬼頭を見て状況を理解したらしく……。
「シャー!」
それはまるで、猫――いや、レッサーパンダか?
とにかく、両手を上げ、鬼頭を威嚇し始めた。
「な、何故ここに駆逐艦が……。うぅ……可愛い……」
「シャー!」
「しかし……クソ……! ここは撤退だ……!」
鬼頭はそそくさと去っていった。
響は両手を下げると、キラキラした目で俺を見つめた。
褒めろってか……?
「よくやってくれたな、響」
響は満足そうに、撫でられていた。
その横――。
「で? お前は何故、しゃがんでいるんだ?」
「ポーラも褒めてください。ポーラも、貢献しました!」
「お前は騒いだだけだろ……」
「えー?」
撫でられる響は、ポーラに目を向けると、得意げにして見せた。
ポーラが持ってきた袋の中には、買ってきたのだというジャガイモと玉ねぎ、卵が入っていた。
「朝食作っちゃいますねー」
「この前と一緒じゃねぇか。つーか、勝手に上がり込んでいるし……」
響は鬼頭の持ってきた弁当箱に威嚇していた。
「受け取っちまったな……」
弁当箱を開けてみる。
なんと精力のつきそうな……。
『栄養が足らないと、作れるものも作れんぞ!』
え、あれってそういうことなのか?
「あー!? 提督ぅ! それ、食べるんですかー!?」
「え?」
「ダメです! これはボッシュ―です!」
ポーラは弁当箱を奪うと、持っていた菜箸を器用に使い、それを食い始めた。
「こんなもの……! うっ……!」
「ポーラ?」
飯を喉に詰まらせたのか?
水でも用意してやろうとした、その時……。
「お、美味しい……!」
「え?」
「これ、とっても美味しいです!」
バクバクと弁当を食うポーラ。
あっという間に平らげていた。
「う……」
そして、そのまま膝をついていた。
「負けました……。このお弁当には……勝てません……。およよ……」
そんなに美味かったのか……。
ちょっと食べてみたくなったじゃねぇか……。
「……俺はまだ食っていないんだが? お前が作らないのなら、鬼頭に頼もうかなぁ?」
それを聞いたポーラは、そそくさと朝食作りを再開した。
単純な奴……。
そんなポーラに、響は憐みの目を向けていた。
そんな目も出来るんだな、お前……。
ポーラの朝食は、まあ普通であった。
「どうですかぁ? 提督ぅ。お味噌を変えてみたんです」
「あぁ、普通に美味いよ」
「しょっぱくないですか? ジャガイモに火は通ってますか?」
「あぁ。でも、玉子焼きに卵の殻の破片が入っている」
響のものにも入っていたらしく、証拠だと言わんばかりに、ポーラへ見せつけていた。
「……いいんです! ポーラ、味で勝負してますから……!」
「でも、鬼頭に負けたと思っているんだろう?」
「ソデスケド……」
これ以上言うと、またイジケるからな……。
そろそろ褒めておくか……。
「けど、成長を感じるよ。味噌を変えるなんてな。こりゃ、どこの味噌だ?」
そう訊いた瞬間、何か嫌な予感がした。
「……気に入ったんですか? このお味噌……」
「え、まあ……。な、なんだよ……不気味な表情して……」
ポーラはニヤリと笑うと、味噌汁の椀を掲げ、言った。
「キギョーヒミツです……。このお味噌汁が飲みたいのなら、ポーラに頼むしかないです……」
そういうことか……。
「あっそ……。どうせ、陳さんに訊いたんだろ? 俺もそうしよ」
「ちちち、違います! 陳さんに訊いてもムダです……」
「訊くだけだよ。もしかしたら、何か知ってるかもしれんしな」
「ダ、ダメです! うぅ……提督ぅ……イジワルです……」
泣きそうなポーラ。
「わ、わかったわかった……。訊かないよ……。アーコノミソシルオイシイナー」
「むぅぅ……」
ふと、響を見ると、ポーラが持ってきた袋から、味噌を取り出し、俺に見せていた。
そこには、ガッツリと商品名らしきものが書かれていた。
「馬鹿……! 空気読めよ!」
急いで味噌を袋へしまう。
だが――。
「ポ、ポーラ! 俺は見てないぞ!? 何も見てないぞ!?」
「う……うぅぅ……! 響ちゃんのばかぁ……! うわぁぁぁぁん……!」
辺りには、ぬいぐるみが散乱していた。
全て、響がポーラを慰めようと、自室から持ってきたものであった。
「うぅぅ……ぐしゅ……」
鼻水を垂らすポーラを一生懸命ぬいぐるみであやそうとする響。
皿洗いを終えた俺は、不安そうにする響の頭を撫でてやった。
「響、ぬいぐるみ片付けとけ。後はまかせろ」
響は申し訳なさそうにぬいぐるみを抱えると、自室へと戻っていった。
「駆逐艦にあやされる奴があるか……」
そう言って、頭を撫でてやる。
「だってぇ……」
「まあ……お前の魂胆は分かるよ……。それが上手くいなくて、泣くとは思わなんだが……」
「うぅ……」
ポーラは、洗われた鬼頭の弁当箱へ目を向けた。
「ポーラには……何もないですから……」
「え?」
「ポーラ……このままだと……提督に見放されちゃいます……。ポーラにしかできないこと……何か欲しいんです……。そうじゃないと……ポーラは……」
そんなこと考えてたのか……。
だから、あんなことを……。
「そういや、前にも似たようなこと言ってたな……。見放さないと言ったろ……」
「でも……」
まったく……。
「お前がお前らしくあれば、それでいいよ。それが、お前にしかできないことだ」
「ポーラがポーラらしく……?」
「まあ、直してほしいところはたくさんあるが……それでも……」
ふと、旅行なのだと、はしゃいでいたポーラを思い出す。
「フッ……」
「提督……?」
「もっと自分らしく振舞えよ。俺は、お前が笑っている時の顔が一番好きだ」
「え……」
「だからって、ヘラヘラすんなよ? ヘラヘラと笑顔は違うんだぜ。お前はいつもヘラヘラしているから、仕事も見つからないんだ。せっかく可愛いんだから、もっといい笑顔を見せろよな」
「え……え……?」
「なんだよ? なんか変なこと言ったか?」
「提督……ポーラのこと……好きなんですか……?」
「笑顔の話な? 普段は憎たらしい顔しているなと思っているよ」
そう言って、ポーラの頬をつねってやった。
「い、いふぁいえふー!」
「元気出たか?」
そう訊く俺に、ポーラは何故か、恥ずかしそうに俯き、小さく頷いた。
「だとさ。響」
響は申し訳なさそうに――怒られることを覚悟した犬のように、恐る恐る歩いてきた。
「悪気はなかっただろうし、正直、俺もお前が悪いとは思っていないが……。一応、言うことあるよな?」
響は頷くと、小さく言った。
「ごめんなさい……」
「響ちゃん……。ポーラの方こそ、ごめんなさい……。あんなことで泣いちゃって……ビックリしましたよね……?」
答えない響を俺は抱き寄せた。
「ビックリしたよな? なんだこいつってさ」
「そうなんですか……?」
全力で否定する響。
にもかかわらず、無表情なのがちょっと面白い。
「そういえば、どうして響ちゃんがいるんですか?」
「今更だな……」
俺は、ポーラにすべてを説明してやった。
「ズルいです! ポーラも、提督と一緒に暮らすー!」
「駄目だ」
「どうしてですかー!?」
「前にも説明したろ……。つーか、お前がいると、鬼頭の燃える心に薪をくべるようなもんだ……。今朝がそうだったろ……」
「そうかもですけどー!」
ポーラが響を見る。
響は得意げに、鼻を鳴らした。
「むぅ……! だったらいいです! ポーラもオニガシラさんから提督を守りますから!」
「いや、だから、それをするとだな……」
「勝てばいいんです! 提督にふさわしいのは、ポーラだってことを証明します!」
何を言ってるんだこいつは……。
まあ、こっちには響がいるし……。
「勝手にしろ……。くれぐれも、邪魔だけはしないでくれよな……。あと、郵便室の仕事は怠るなよ?」
その日から、地獄のような生活が始まった。
まず、毎朝必ず、ポーラと鬼頭はやってきた。
「いつもいつも同じ食材ばかりではないか! 雨海の体を労わるのなら、もっと栄養価の高いものを食わせなければならんぞ!」
「なるほど!」
こんな調子で、毎日毎日やってきては、最終的に響が現れ、鬼頭が帰ってゆくのを繰り返している。
また、朝以外にも――。
「雨海ッ!」
「うわ!? 鬼頭……」
「ポーラはいないし、響ちゃんも居ないようだな……。今がチャンスだ……」
そう言うと、鬼頭は弁当箱を渡した。
「昼食だ! 貴様は度々、昼食を抜いているだろう? それでは体力が持たんぞ。量はあまり多くしなかったから、せめて栄養価の高いものを食え!」
「お、おう……」
そこへ、トイレへ行っていた響が帰ってきた。
「シャー!」
「うぐ……!」
響はウィンクすると、鬼頭の前に立ちはだかった。
今のうちに逃げろ、と……。
「すまん、響!」
「雨海! ぐぬぬ……わ、私だって……いつまでも逃げてばかりではないぞ……!」
俺は、鬼頭から逃げ続けた。
そんなことが数日続いたある日。
「あー! 提督ぅ! どうしてオニガシラさんのお弁当を食べているんですかー!?」
「ん? あぁ……。なんか、最近、お前が美味そうに食ってるから、食べてみようと思ってな。いつもは、笠谷君にあげているのだが……」
「ダメですよー! 昼食もポーラが作りますから!」
「流石に朝昼同じメニューは嫌だよ……」
しかし、マジで美味いな……。
程よい味付けだし、昼食を抜くことが多い俺の為に、程よい量で作ってきてくれている。
「最近は、響の分も作ってくれているんだよ。な、響?」
響は口いっぱいにケチャップをつけながら、何度も頷いた。
「むぅ……! ポーラだって、玉子焼きや味噌汁だけじゃないんですよ!? 最近はザラ姉さまにも教えてもらっているんですから!」
「ザラに? お前、まさか、ザラの邪魔をしているんじゃないだろうな?」
「してません! もう! 少しはキキカンを持ってください!」
ポーラはプリプリと怒りながら、仕事へと戻っていった。
「うーむ……」
確かに、少しは危機感を持った方がいいか?
最近は、鬼頭が現れても、あまり驚かなくなったというか、普通に接しているというか……。
「雨海」
噂をすればなんとやら……。
「鬼頭」
「今日の弁当はどうだ? 美味いか?」
「……普通だ」
「フフ、それは良かった」
鬼頭は、威嚇する響に目を向けた。
「今日も元気に威嚇しているな。弁当、美味かったか?」
響は困惑しながらも、小さく頷いていた。
「鬼頭、お前……響を克服したのか……?」
「いや……まあ……まだ苦手ではあるというか……。ほら、この子は、私のことを怖がらないから……。それに、私は仲良くなりたいんだ。雨海、貴様とは関係なくな」
確かに、響の弁当には、響好みの物ばかり入っているし、ここ最近の鬼頭は、響から逃げず、むしろ響の方が痺れを切らして撤退していたようだった。
「それと……ここ数日、貴様への態度について、色々考えていてな……」
「俺への態度……?」
「再会した時、色々と気持ち悪いことを言ってしまったと反省してな……。声もうるさいし、迷惑だったかもしれないと……。だから、最近は声を小さくする訓練をしているんだ。自分の欲望も、なるべく抑えるよう努めている」
確かに、声は控えめになっているし、何よりも普通の会話ができている。
つーか、俺も普通に会話を……。
「これからは、急に訪問することは控えるつもりだ。雨海、私は、貴様の……いや、貴方のことが、本気で好きなんだ。なるべく、貴方好みになるよう努めるつもりだし、嫌なところがあったら、遠慮なく言ってほしい……。だから……その……」
なんだよ、その表情は……。
なんだよ、その純粋な気持ちは……。
「……弁当、美味かったよ。弁当箱、洗って返すから……その……また取りに来いよ……」
嗚呼、駄目だ……。
俺は、こういうのに弱いんだ……。
クソ……。
「……あぁ! ありがとう、雨海……。私、頑張るから……」
「…………」
「じゃあ……。響ちゃんも、またね」
手を振り去ってゆく鬼頭。
響は、じっと俺を見ていた。
「……マズいな。これは……」
気が付くと、俺はマーブルの店へ出向いていた。
「いらっしゃい。来ると思っていたわ。今日は響ちゃん、いないのね」
「検査でな。分かっていただろう」
「んふ」
マーブルは店の奥にあるバーのような雰囲気の場所へと俺を案内した。
「ここに来るのは久々だな」
何か困ったことがあると、不思議とここへ来てしまう。
酒は並んでいるが、お店ではない。
完全にマーブルの趣味の部屋である。
「車じゃないんでしょう? ウィスキーでよかったかしら?」
「あぁ」
マーブルと乾杯し、ウィスキーをなめる。
「強いな。でも、美味いよ」
「良かった」
マーブルは、俺の言葉を待っているようであった。
「……わざわざ話させるのか? 分かっているんだろ?」
「自分で言葉にする必要があるのよ。言いたくないのなら、言わなくてもいいわ。私も、答えるつもりはないから」
だよな……。
俺は、マーブルにすべてを話した。
「――気が付いたら、ここにいたよ。正直、何に困っているのかも分からない……。マズいことになっているという感覚だけがあるんだ……」
「なるほどね」
マーブルは微笑むと、酒を呷り、言った。
「貴方は臆病なのよ。女を誑かしている癖に、敵にすることを恐れている」
「敵にすることを……?」
「振るのが怖いのよ。勝手に諦めてほしい……そう思っているのでしょう?」
振るのが怖い……。
「優しいのでは無く、臆病なだけ。あのご令嬢を振った時、貴方は何を感じ、何を後悔したの? 必要なのはなんだったの?」
「…………」
「貴方が本当の優しい人になりたいのなら、自分が傷つくことを恐れてはいけないわ」
そう言うと、マーブルは更に酒を呷った。
「戦場も同じだった……。『鬼神』と呼ばれた私は、血も涙もないと言われていたけれど……自分ではそう思わなかった……」
マーブルは、悲しそうな目で俺を見た。
「相手を苦しませないようにするには、全力で挑むことが大事なの……。恋愛も同じよ……。だからこそ……貴方が羨ましい……。同じなら……私も、そっちが良かったなって……」
「マーブル……」
そうか……。
軍人を辞めたのも、こんな店を持ったのも……。
「後悔しているか……? 全力で挑んだことを……」
「してないわ。それに、そうじゃないと、失礼でしょう?」
「フッ……今のお前の姿こそ、失礼にあたるだろうに……」
「貴方だったら、そのままでいられた?」
俺は、何も言えなかった。
「これが私よ。後悔を恐れてはいけないわ。後悔を乗り越えて、自分らしさを手に入れること。それが大事だと、私は思っているわ。だから、後悔は無い」
「強いな……」
「貴方にもなれるわ。そうなる為に、ここへ来たのだから」
そういうつもりは無かったのだが、マーブルに言われると、そんな気もしてくる。
「……ありがとう、マーブル。もう行くよ」
「もういいの?」
「あぁ。また、響やポーラと一緒に来るよ」
「可愛い物、たくさん入荷しておくわ」
「頼んだ。あぁ、それと……」
「?」
「俺は、お前を鬼神だなんて思っていないぜ。誰よりも強いのは確かだが……誰よりも優しい奴だと思っている。きっとそれは、戦場でもそうだったんだろうと思うし、そう思われていたんだろうとも思っている」
「…………」
「お前が後悔していないと言うのなら、それでいい。望んでそうなったのも、本当だと思う。けど……」
俺は伏せられた写真立てを起こした。
そこには――。
「間武瑠を許してやれよ、マーブル……。それが出来ないのなら、俺がお前を許してやる……。そして……」
いや、これ以上は野暮だろう。
俺はそのまま、店を後にした。
響を迎えに行こうと、本部へ戻ると……。
「雨海」
響と鬼頭が、一緒に遊んでいた。
「すまない。遊んでもらっていたんだ」
「……完全に克服したな」
「いや、彼女が受け入れただけだ。それでも、なんだか嬉しいよ」
そう言うと、鬼頭は微笑んだ。
その表情を見て、俺は――。
『貴方が本当の優しい人になりたいのなら、自分が傷つくことを恐れてはいけないわ』
「鬼頭、話が――」
「――分かっている」
鬼頭は響を撫でると、小さく言った。
「響ちゃんと話した。貴方が、どうして響ちゃんと暮らしているのか……その理由も知った……」
俺は、響に目を向けた。
響は、じっと、鬼頭を見つめていた。
「……そうか」
「そんな顔をするな。本当は、分かっていた……。しかし、知っているだろう? 私は、諦めが悪い。響ちゃんの話を聞いても、諦めるという選択はない」
何故か、その言葉に救われた気がした。
マーブル……。
俺はまだ、お前のようになれそうにはないらしい。
「……雨海」
「なんだ……?」
「チャンスをくれないか……? 一日だけでいい……。私に……時間をくれないだろうか……?」
そう言って、俺を見つめる鬼頭は、どこか――。
「ここ数日、私は、貴方に好かれようと努力してきたつもりだ……。その成果を……貴方に見せたいのだ……。全力でぶつかりたいのだ……。それでも駄目なら……大人しく引き下がろう……。だから……」
深々と頭を下げる鬼頭。
「鬼頭……」
頭を下げる隣で、響もまた、頭を下げた。
なるほど……。
「まさか、響まで味方するとはな……」
「…………」
「分かった……。お前が全力で来るというのなら、俺もそれを受け入れよう。それが、戦場での礼儀だ。そうだろう?」
「……流石は私が見込んだ男だ」
「全力で来いよ、鬼頭。全力で振ってやるから」
「無論、そのつもりだ。尤も、お前に私が振れるかな? 今の私は、そんじょそこらの女子よりも、一番『女』をしているぞ」
そう言って笑う鬼頭に、俺もまた、笑うことができた。
翌日。
『果たし状』と書かれた手紙の中には、遊園地のチケットが二枚入っていた。
「『――日に遊園地にて。鬼頭』か……。フッ、あの人らしいな……」
響も連れてきてほしいと書かれている。
二枚のチケットは、そういうことか。
「もちろん、行くだろう?」
響は何度も頷いた。
その隣、頬を膨らませているのは……。
「なんだよ、ポーラ?」
「提督……どうしてオニガシラさんとデートするんですか……?」
「仕方ないだろ……。奴は本気だ。全力で挑んでくる相手には、全力で相手をする。そう決めたんだ」
「……ポーラも行きます」
「なんでだよ?」
「何されるか分かりませんから……。提督を守らないと……」
「気持ちは嬉しいが、今回は遠慮してくれ。響もいるし、子供の前で変なことをする人じゃないはずだ」
「そうかもしれませんけど……」
「それとも、単純に遊園地へ行きたいのか? だとしたら――」
「――もういいです……」
そう言うと、ポーラは帰ってしまった。
本気で心配していたということだろうか。
だとしたら、悪いことをしてしまったな……。
約束の日は、快晴であった。
「いい天気だな」
響は、マーブルで買った鞄を見せびらかすように、何度もくるくる回っていた。
「……来たな」
遠く、手を振る女。
鬼頭は、地味な洋服でやってきた。
「よう。てっきり、派手な洋服で来るもんだと思っていたぜ」
「こっちの方が、貴方好みだろう?」
鬼頭は響を見た。
響は見せつけるように、背中を見せた。
「可愛い鞄だな。今日はよろしくね、響ちゃん」
鬼頭が手を差し出すと、響は手を握り、残った片方の手を、俺に差し出した。
「雨海」
「……分かったよ」
手を握ってやると、響は楽しそうにジャンプした。
遊園地は、一日で全ての乗り物に乗れるほどの広さしかなかった。
「しかし、遊園地なんて、またベタな」
「響ちゃんが行きたがっていたからな。初めて来たんだよね?」
響は何度も頷いていた。
「そうなのか」
「というよりも、おそらく、響ちゃんにとって、ほとんどが初めての体験になるのではないか? 水族館も、動物園も――終戦してから、里親と出かけたことも無いと聞くし……」
そうだった……。
ポーラもそうであったが、こいつは、ポーラ以上に――。
「……なら、今日はたくさん楽しまなければな」
「雨海……」
「あくまでも、響の為に、だからな。調子に乗るなよ?」
「あぁ、分かっている。でも、少しは浮かれていいだろう? ようやく、貴方と一緒に出かけることが出来たのだから。私の夢が、一つ、叶ったのだから……」
そう微笑む鬼頭に、思わず――。
「……まずは、何に乗ろうか」
乗り物は、そこまで面白いものではなかったが、それでも響は楽しんでいるようであった。
「響ちゃ~ん」
一人でメリーゴーランドに乗っている響は、無表情のまま、手を振っていた。
「楽しいのなら、笑えってんだよ……」
「私には、微笑んで見えるぞ?」
「え?」
「少しだけではあるが、口角が上がっている。分からんか?」
よーく響を見てみる。
口角が上がっている?
どこが?
「よく分かるな……」
「分かるさ。そうでなくとも、楽しんでいるのは分かるだろう?」
「まあな」
「……響ちゃん、ずっと、貴方と遊びたがっていたんだぞ」
「え?」
「でも、貴方に迷惑をかけられないと、気を遣っていたようなんだ」
「響から、そんな話を?」
「あぁ」
あの響が、自分の事を……。
「信頼されたんだな、あいつに」
「そうなのだろうか?」
「俺はそんな話、されたことない。そもそも、普通の会話だってままならんのだぞ」
「それはきっと、会話などせずとも、心が通じ合っている証拠なのでは?」
「だとしたら、あいつが里親の元を離れる理由とか、あいつがどうしたいのかとか、分かるはずだろう。俺は未だに、あいつがどうしたいのか分からないし、どうすればいいのかも分からんのだ……。それに比べたら、お前は凄いよ。本当、お前のような奴に……」
そうか……!
「鬼頭……お前、響の里親にならないか?」
「え?」
「そうだよ! 何故、考えつかなかったんだ! お前ほどの理解者なら、響も満足だろう! お前だって、あいつのことが好きだろう?」
「そ、そうだが……。しかし……」
「不満か?」
「い、いや! 不満なんて無い! もし、一緒に暮らせるのなら……私にとっても、嬉し事だ……」
「だったらいいじゃないか」
「でも……あの子は……」
その時、どこで貰ってきたのか、風船を持った響が、こちらへ駆けてきた。
「おう、楽しかったか?」
頷く響。
「響ちゃん、風船貰ったんだね。どこで貰ったの?」
響の指す先に、風船を持った着ぐるみが歩いていた。
「私も貰おうかな? 響ちゃん、一緒に来てくれる?」
響は頷くと、鬼頭の手を引き、着ぐるみの方へと歩き出した。
その姿は、親子そのものであった。
「豈図らんや、鬼頭が里親にふさわしいとは……」
しかし、あまり乗り気じゃなさそうなのは、一体……。
それからも、鬼頭の手作り弁当を食べたり、全ての乗り物に乗るのだと意気込む響に連れまわされたりと、遊園地を満喫した。
「はぁ……疲れたぜ……」
空はすっかり夕焼けに染まっていた。
ベンチへ座り込む俺に、響は水筒のお茶を注ぎ、渡した。
「ありがとう」
鬼頭は、お手洗いの為、席を外していた。
「……なあ、響。お前、鬼頭の事、どう思う?」
響は何も言わず、じっと俺を見ていた。
「いい奴だよな? お前のこともよく分かっているし、何よりも、お前と仲良くなれている。色々、相談したんだろ? お前自身のこと」
頷く響。
どこか恥ずかしそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「もし、鬼頭が里親だったら、どうだ? きっと、毎日が楽しいんじゃないのか? 鬼頭も、お前と一緒に暮らせるのなら嬉しいと言っていたし……。お前さえよければ……」
その言葉に、響は……。
「響?」
「響ちゃんは、私の元へは来ないよ」
鬼頭は、買ってきたのだという飲み物を俺に渡すと、ベンチに座り、響の頭を撫でた。
「……どういうことだ?」
「そのままの意味だ……。そうだよね、響ちゃん?」
響は水筒をギュっと抱きしめると、俯いてしまった。
「私も、響ちゃんの里親になれるのなら、なりたいんだ。響ちゃんにも、そのことを伝えたこともある……。でも、響ちゃん……本当は……」
俯く鬼頭。
そして、何かを決意するかのように顔を上げると、顔を赤くして、俺に言った。
「雨海……私は……貴方が好きだ……。貴方と恋人になりたい……。今は好きになってくれなくても、いずれは、貴方に好きと言ってもらいたい……。その為なら何だってするし、いつまでだって待てる自信がある……」
「…………」
「正直に答えてほしい……。私に……そのチャンスはあるだろうか……? 私に……そのチャンスをくれないだろうか……?」
俺を見るその瞳は、乙女そのものであった。
麗しく、純粋で――。
でも――。
「……確かに、お前は魅力的な女性になった」
『自分が傷つくことを恐れてはいけないわ』
「けど……ごめん……。俺が、お前を好きになることはない……。良い友人になれても……恋人にはなれない……」
心が痛む。
だが、それ以上に痛みを感じているのは――。
「……そうか」
鬼頭は微笑むと、ベンチに深く腰かけた。
「そうか……。そうか! 全力を以てしても、貴方を射止めることはかなわんか!」
「…………」
「いやぁ、良い負けっぷりだ! なんだか清々しいぞ! 雨海!」
高笑いする鬼頭の表情が、徐々に崩れてゆく。
「鬼頭……」
「ハハハ……駄目だな……。雨海……悪いが……一人にしてくれないか……」
ここで慰めては、鬼頭は……。
そう思い、席を立ったが……。
「響?」
響は、そっと、鬼頭に寄り添っていた。
「響……ちゃん……」
鬼頭は、響に慰められながら、大声で泣き出した。
雄叫びのような泣き声が、閑散とし始めた園内に響き渡る。
「響……」
響は小さく頷くと、ギュっと鬼頭を抱きしめていた。
俺は何も言わず、しばらくの間、その場を離れることにした。
日が沈み、園内がライトアップし始めると、どこに隠れていたのか、辺りはカップルだらけになっていた。
「もう大丈夫か?」
鬼頭は泣き止んでおり、響と一緒に談笑していた。
「あぁ、すまなかった。泣いてスッキリしたよ」
「そうか……」
響は相変わらず、無表情であった。
「ライトアップ、綺麗だな」
「あぁ……」
いつだったか、海外で見た遊園地に比べたら、あまりにも――。
それでも、今は――。
「……告白が成功していたら、響ちゃんの里親になるつもりだったんだ」
「え?」
「本当は、里親になりたくて仕方がなかった……。ずっと……子供が欲しかったし……恋人ができることもないだろうと思っていたから……。でも……」
鬼頭は、響を見た。
「響ちゃん、ここからは、貴女の言葉で説明して。大丈夫。私も勇気を出したけど――上手くいかなかったけど――後悔はしていないから……」
優しい鬼頭の表情に、響は――。
「響?」
響は――。
「お前……」
眉が下がり、今にも泣き出しそうな表情で、俺を見ていた。
「――……」
見たことがない表情に、何故か胸が締め付けられる。
そして――。
「司令官……」
震える唇。
今にも零れそうな涙。
「私……本当は……司令官と一緒に居たいんだ……。司令官と一緒に……っ……暮らしたい……うぅぅ……」
ボロボロと溢れる涙。
嗚咽。
いつもの響からは想像もできないほどの――。
「雨海」
固まる俺に、鬼頭は微笑みながら言った。
「響ちゃんがどうして、里親の元を離れようとするのか……。その理由に、貴方と一緒にいたいという気持ちがあったようなのだ」
「俺と……一緒に……?」
「でも……言えなかったんだよね……? 貴方はそういうのを嫌がるだろうし、断られるのが怖かったみたい……。何度も何度も、貴方を諦めようと、里親の元へ行こうとした。けど……」
俺は、響に目を向けた。
「俺に……気を遣ったと……?」
響は、何度も首を横に振った。
「違わないだろう、響ちゃん。もう、気を遣わなくていいんだよ。ここまで来たら、本音でぶつからないと、ね?」
そう言われると、響は涙を拭いて、再び俺を見つめた。
「響……」
「司令官が……一生懸命……私の為に……里親を見つけてくれるのを見たら……っ……言い出せなくて……。本当は……うぅぅ……司令官と離れたくなくてぇ……。離れると……寂しくなって……いてもたっても……いられなくて……うぅぅ……ごめんなさいぃぃ……! うぁぁぁぁぁぁん……!」
鼻水が垂れるのもお構いなしに、感情を爆発させる響。
謝罪の中に、一体どれだけの『気遣い』が含まれているのか。
一体どれだけの『不安』が含まれているのか――。
「雨海」
「鬼頭……」
そうか……。
だから、この人は俺に――。
「……優しいんだな」
「惚れてくれたか?」
「あぁ……カッコいいよ……」
その意味が分かっているのか、鬼頭は優しく微笑んだ。
「なら、次は貴方が漢を見せる番だ」
漢を……か……。
「響……」
「司令……官……」
「俺は……」
響は、俺の口をふさいだ。
「いいんだ……」
「え?」
「もう……大丈夫……。自分の気持ちを言えたから……それで満足だよ……」
微笑む響。
だが――。
「また、気を遣おうってか……?」
「そうじゃないよ……」
『貴方が本当の優しい人になりたいのなら――』
「……分かった。なら、俺も、もう気を遣わない」
「え……?」
「響、俺はな、お前が邪魔で仕方がなかったよ」
「……っ」
「雨海ッ!」
俺は、鬼頭を睨みつけた。
それをどう受け取ったのかは分からないが、鬼頭は閉口した。
「何考えているのか分からないし、何も言ってくれないし……。里親に出そうものなら、逃げてきてしまうし……。その度に、俺は里親にも上層部にも叱られて……。お前の里親を見つけようと、何度も何度も面倒なことをして……。うんざりだった……」
「…………」
「でも……一番うんざりだったのは……そんなお前の気持ちを理解できない、俺に対して……だったよ……」
そうだ……。
俺は……。
「俺は、お前の提督だ……。お前がドロップされた日から、ずっとお前を見てきた……。なのに、俺は、お前のことを何一つとして理解してやれなかった……。お前も、それが分かっていたから、俺に何も言わなかったのだろう……?」
首を横に振る響。
「違わないさ。お前が里親から何度も帰ってきてしまうところで、本当は気付くべきだったんだ……。そうでなくとも、叱るように問い詰めるのではなく、もっと寄り添って訊くべきだった……。お前をそうさせてしまったのは、俺だ……。お前を苦しめたのは……俺だ……」
「違うよ……私が――!」
「――だから」
俺は、響にまっすぐ向き合った。
「だから……俺に里親は無理だ……」
「司令官……そんなこと――!」
「――だから!」
俺は頭を下げ、言った。
「お前に里親ができるまででいい……。生活を共にする中で、お前のことを教えてほしい……」
これが、精一杯。
里親になってもいいと、心を動かされた。
でも、本当にそれで良いのかと――響の為になるのだろうかとも思った。
『貴方が本当の優しい人になりたいのなら――』
だったら、断るべきなのだろう。
けど――。
「司令……官……」
マーブル……俺はつくづく弱い人間だと思い知らされたよ……。
弱くて、臆病で――。
それでも……。
「帰ろう、響……。俺たちの家に……」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁん……!」
響は大声で泣くと、俺に抱きついた。
「響……」
それでも、今は、これでいいよな……?
それを受け入れてくれる人がいるのなら、それに甘えてもいいよな……?
弱くて、臆病で――なのだから……。
「ごめんな……。これからは……たくさん話そう……。たくさん笑って――泣いて――……。そして……」
そして、いつか――。
「うわぁぁぁぁぁぁん……! わぁぁぁぁぁぁん……!」
いつまでも泣き続ける響を抱きしめる。
小さい体に感じる、大きな不安。
安堵に反するような、大きな泣き声。
その全てが、何故か愛おしい。
されど、心の奥底に、これまでに感じたものや、これから感じるであろうものが残っているのも事実で――消えはしないが、それでも――。
「それでも……」
それでも、今は――。
響が泣き止むと、鬼頭は安心したように微笑み、立ち上がった。
「さて……私も、帰るべき場所へと帰るかな」
「え?」
「振られてしまったしな……。私も、次へ進まなければならない。貴方を諦めたからといって、恋愛を諦めるわけではないからな」
そう笑う鬼頭は、どこかスッキリとした表情を見せていた。
「雨海……貴方は、私にとって初恋の人だった……。振られてしまったが、後悔はしていない……。むしろ、これで良かったのだと思っている。本気でぶつかった結果、女として成長できたからな」
「鬼頭……。あぁ、お前は女らしくなったよ。俺以外であれば、惚れていただろう」
「フフ……手ごわいな、貴方は……」
鬼頭は、じっと、俺を見つめた。
「雨海……。最後に……恋をした乙女の願いを……一つだけ……叶えではくれないだろうか……?」
「なんだ……?」
「ギュッと……抱きしめてほしい……」
その表情は――。
「……あぁ」
そっと、抱きしめてやる。
『筋骨隆々』という言葉が、脳裏に浮かぶ。
けど、それ以上に――。
「……っ」
これを押し殺し、涙する彼女が愛おしくて――。
それでも、俺は、この人を離さなければならない。
それが、優しさだと思ったから――。
「鬼頭……」
強くなる惜別の念にも別れを告げるよう、俺は、小さく言った。
「グッド・バイ……」
鬼頭を見送った後、響が、もう一度園内を回りたいのだと言い出した。
「なんでだよ? もう遅いし、もうすぐ閉園時間なんだから……」
響は、遠くにある観覧車を指した。
「あれに乗りたいのか?」
何度も頷く響。
確かに、あれはまだ乗っていなかったな……。
「……分かったよ」
俺が了承したのを確認すると、響は急に走り出し、建物の陰から何かを引っ張り出した。
それは――。
「ポーラ……?」
ポーラは、変な動物耳のカチューシャを着けた姿で、響に手を引かれていた。
「……お前、こんなところで何してんだよ?」
「あー……えーっと……。提督を守りたくてぇ……そのぉ……コッソリついてきちゃいました~……なんて……」
つーか、何エンジョイしてんだよ……。
「……いつから付いてきていたんだ?」
「エト……サイショカラデス……」
「最初からって……。は? どういうことだ? どうやってここへ?」
「ですからぁ……。そのぉ……提督の車にですね? 荷物のところが……空いていたのでぇ……」
マジかよ……。
「じゃあ、なんだ? お前、ずっと車の荷室に居たのか?」
「はいぃ……」
全く気付かなかった……。
俺は、響を見た。
「まさかとは思うが……」
響は、わざとらしく無表情をつくっていた。
「はぁ……お前ら……」
「スミマセン……」
確かに、付いてきたそうにはしていたが……。
「でも……良かったです……。提督に何もなくて……。心配だったんですよ……?」
「……その割には、ずいぶん楽しんでいたようだが?」
カチューシャを取り上げ、響に装着してやる。
「これは……オニガシラさんが良い人だと分かって……安心しちゃって……」
「安心だと分かったのなら、さっさと帰れよ……」
「そうですけど……」
何故か拗ねるポーラ。
「……まあ、帰るにしても、お前に帰り方が分かるはずないもんな?」
「分かりますよ! 多分……」
多分って……。
「まあいいや……。せっかくだし、お前も乗っていくか? 観覧車」
「いいんですか?」
「その為に引っ張り出してきたんだろ?」
そう言って、強く頭を撫でてやると、響は頭を押さえながら頷いていた。
「わぁ~! 綺麗ですね~」
ポーラと響は、観覧車の窓に引っ付き、景色を眺めていた。
「あんまり動くなよ。揺れるから」
「提督も見てくださいよぉ。どうして見ないんですか? 景色」
「つまらん景色だからだ。低いし、ライトアップもしょぼいし……。海外で乗った観覧車の方が、もっと良かった」
「モリサガルこと言いますねー……。オニガシラさんの時は、綺麗だって言ってたじゃないですか……」
「俺は言っていない。綺麗だと言うから、適当に返事しただけだ。つーか、その会話も聴いていたのかよ……」
ポーラは座りなおすと、退屈そうにする俺に目を向けた。
「なんだよ?」
「提督、オニガシラさんの事……好きになりましたか……?」
「はぁ?」
「オニガシラさんに『コイビトにはなれない』って言った時の提督……なんだか辛そうでした……。本当は好きだけど……コイビトになれない理由があるのかなって……」
ポーラは何故か、悲しそうな表情をしていた。
「別に……。理由なんてない。ただ、女性を振るってことに、慣れていないだけだ……」
「そうなんですか?」
「あぁ……」
「辛かったですか……?」
「……あぁ」
「それだけ……オニガシラさんの事……大事に想えるようになっていましたか……?」
その質問に、俺は答えることができなかった。
永い沈黙が続く。
「おわ!?」
突如、響が俺の膝の上に座ってきた。
そして、変な動物耳のカチューシャを俺に着けた。
「アハハハハ! 提督ぅ! 全然似合わない―!」
大笑いするポーラ。
響は鼻で笑っていた。
こいつら……。
「フッ……」
けど、なんだか救われたような気持ちになった。
まさか、それを分かっていて、響は――。
「司令官、お手」
「アーッハッハッハッハッハー! お腹! お腹痛いです!」
「…………」
車に乗り込むと、響はすぐに眠ってしまった。
「寝ちゃいましたね」
「あんだけ遊び、あんだけ泣いたからな……」
そんな響の頭をポーラは優しく撫でていた。
「提督、響ちゃんと一緒に住むことにしたんですね」
「里親が見つかるまでな……」
「何でですかー……。里親になったらいいのに……」
「色々あんだよ……。それに、自分で言うのもなんだが、俺は素行が悪い。響の教育に悪いだろ……」
「それは、おうちに女の人を呼んだり、ですか……?」
「まあ、そういうのもあるな……」
つーか……そうか……。
響を引き取ると、もう、誰かを呼んで遊ぶことも出来ないのか……。
「じゃあ、もう出来ませんね。女の人を呼ぶこと」
「……しばらくの間は、な。すぐに響に合う里親を見つけるさ」
「そんなに女の人を呼びたいんですか? 提督のえっち……」
「お前には関係ないだろ……」
「むぅ……」
唇を尖らせるポーラ。
「……ポーラも、提督と暮らしたいです」
「絶対駄目だ。どうせ、ダラダラと過ごすつもりだろ? 何のメリットもない……」
「……ポーラ、女です」
「は?」
「ポーラ、女ですから……。その……提督がしたいこと……出来るかもしれませんケド……」
俺は、ポーラに目を向けた。
その表情は――。
「出来るって、何が?」
「ダカラ……ソノ……エッチナコトトカ……」
「えっちなことだぁ!?」
「……かも、です! 出来るかも! 出来るとは言ってないです!」
「はっ! 何が『えっちなこと』だよ。それがなんなのかも分からない生娘がよ」
「わ、分かりますよ!」
「じゃあ、なんだってんだよ?」
「だから……その……。って! 何言わそうとしてるんですか! 提督のえっち! スケベー!」
「はいはい。いいからお前も寝てろよ。それとも、子守歌が必要か?」
「むぅー! 提督のばか! あほ! インランー!」
淫乱って……。
プリプリと怒るポーラを送ってやり、家路を急ぐ。
「ん……」
「おう、起きたか」
響は辺りを見渡すと、今度は荷室を確認し始めた。
「ポーラは家に帰したよ。しかし、お前、ポーラがあんだけ騒いでいたのに、よく起きなかったな」
響は助手席へと移動すると、俺の顔をじっと見つめた。
「なんだよ?」
「司令官……」
「ん?」
「……お腹空いた」
「はぁ?」
「お腹空いた」
確かに、晩飯がまだだったな……。
「つーか、お前……今……」
響は恥ずかしそうに俯くと、小さく言った。
「これからは……ちゃんと言葉で伝えるよ……。もっと……私のこと……知ってほしいから……」
そう言うと、響は笑顔を見せた。
そんな顔、出来たんだな。
「……そうか。つーか、出来るのなら、最初からやれよ……。戦時中も、殆ど喋らなかったじゃねぇか……」
「うん……。なんだか……恥ずかしくて……」
顔を赤くする響。
急に感情を出し始めたな。
「司令官……」
「なんだ?」
「ありがとう……。私を受け入れてくれて……」
そう言うと、響はそっと寄り添った。
俺はなんだかむず痒くなって、しばらく固まっていた。
家に着き、荷物を運んでいると――。
「どうした?」
響は、遠目に家を見つめていた。
「……響」
俺はしゃがみ込み、響へ手を差し伸べた。
「司令官……」
「おかえり、響」
その言葉に、響は――。
「……泣き虫だな」
響を抱きかかえ、家へと入る。
「さ、飯の準備だ。お前にも手伝ってもらうぞ。さっさと泣き止んで、手洗ってこい」
「……うん!」
響の里親になるつもりは無い。
里親になるだけの資格も無い。
けど、今は――。
「司令官……」
「ん?」
「大好きだよ……」
今だけは――。
「……俺もだよ」
響は満面の笑みを見せていた。
数日後。
「フッ……」
「そのお手紙、そんなに面白いのでありますか? どなたからのお手紙で?」
「鬼頭提督からだよ」
「え……」
あれから、鬼頭は頻繁に手紙をくれるようになった。
以前のような果たし状ではなく、可愛らしい便箋で送られてきており、文面の最後には必ず『貴方の良き友人 鬼頭より』とあった。
「また一つ、読むのが楽しみな手紙が増えたな」
「正気でありますか……?」
「正気さ。君は分からんだろうね。あの可愛さは」
複雑そうな表情の笠谷君の後ろで、響とポーラが封筒を作っていた。
「順調か?」
「あ、提督ぅ。順調ですよー。ポーラ、封筒作りのプロになれるかもしれません」
「そんなプロはねぇよ……」
響に目を向ける。
相変わらずの集中力だな。
「ほれ」
わき腹をくすぐってやると、響はキャッキャと笑い、ようやく俺を見た。
「司令官」
「迎えに来たぞ。そろそろ帰ろう」
「うん」
「いいなぁ……。ポーラも、提督のおうちに帰りたいです……」
「お前にはお前の家があるだろう……」
「提督ぅ……今日……お泊まりしちゃダメですか……? ポーラ、夜ご飯作りますから……」
「駄目だ。そもそも、毎朝押しかけてきて飯作ってるだろ……。晩飯までお前の料理なのは嫌だよ……」
あれからポーラは、毎朝朝食を作りに来ている。
正直飽き飽きしているが、食べないと拗ねるし、料理の腕は確かに上がっているように感じるから、職業訓練の一環として受け入れてはいるが……。
「ポーラさん、自分の家で良ければ、お泊まりも料理も――」
「――ポーラ、提督のおうちがいいです」
ポーラの即答に、笠谷君は肩を落としていた。
「じゃあ、お泊まりはいいですから、おうちには行きたいです!」
「なんで来たがるんだよ……」
そんなことを話していると――。
「失礼いたします。雨海提督、家政婦さんより電報です。来客、すぐ戻るように……とのことです」
「家政婦さんから? 分かりました」
来客で戻るように……か……。
珍しいな。
変な相手だったら、家政婦さんは帰すはずだが……。
結局、ポーラが駄々をこね始めたので、仕方なく車に乗せた。
「えへへ~。提督のおうち、楽しみです」
「何が楽しいのやら……」
ポーラは響を膝に乗せ、遊んでいた。
遊ばれている響も、どこか満更でもなさそうにしている。
「そろそろ着くから、降りる準備しとけ。ん……?」
家の前に、誰かが立っている。
大きな荷物を持って……。
「誰だ……?」
車を停め、家に近づくと……。
「あ、修君!」
この声……。
そして、俺を君付け――しかも、下の名前で呼ぶのは……。
「さっちゃん……!?」
「久しぶりだね、修君。えへへ」
自分でも、久々に耳にした下の名前。
そんな俺の下の名を、不穏な声でつぶやいたのは……。
「オサム君……?」
ポーラは、さっちゃんの――俺の幼馴染の顔を何故か睨みつけていた。
――続く