グッド・バイ・ウォーズ!-惜別の開戦-   作:雨守学

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第2話

煙草屋には、行列ができていた。

 

「マジかよ……」

 

並ぶのも変だと思い、近くの喫茶店で時間をつぶしていると、突然、行列が解消された。

 

「よう、品切れか?」

 

「あ、提督ぅ。いらっしゃいませー」

 

膝に猫を抱え、まるでおばあちゃんのような表情で微笑むポーラ。

 

「様になっているな。いっそのこと、煙草屋として独立したらどうだ?」

 

「ポーラ、売ることしかできませんから。仕入れ? は、まったくです」

 

煙草屋の婆さんが入院することになった。

それを知った陳さんが、店番にどうかと、ポーラを紹介してくれた。

短期的な仕事ではあるが、郵便室でくすぶっているよりはマシだと、ありがたく話を受けることにしたのだった。

 

「陳さんに感謝しろよ? お前をクビにした後も、ずっと心配してくれていたんだぜ?」

 

「もちろんです! お客さんとして来た時には、並ばず買えるようにします!」

 

「商品が残っていれば、だけどな」

 

『美人が煙草屋をやっている』

 

そんな噂が、この街に留まらず、他県にまで広がっているらしい。

その結果が、先ほどの行列であった。

 

「提督も煙草、買いに来ましたか?」

 

「俺は吸わないよ。お前の様子を見に来ただけだ」

 

「それなら平気ですよ~。毎日売り切れるくらい、たくさん売っていますし。ほら、お手紙とかお花も貰えるんです。お客さんと仲良くできている証拠です」

 

手紙や花をね……。

 

「それが、男どもからのアプローチだと、気付いていないのか?」

 

「アプローチですか? ポーラと仲良くなりたいって事ですよね? 分かっていますよ~。お手紙は、日本語が苦手で分かりませんが……多分、仲良くなりたいって書いてあります」

 

手紙を読んでみる。

案の定……。

 

「……まあいい。あまりいい顔しすぎるなよ? それと、マッチは残っていないか? あったら売ってほしいんだ」

 

「マッチですか? ありますよ~。けど、煙草吸わないんですよね? 何に使うんですか?」

 

「まあ、色々だよ。あったらあったで便利だからな」

 

お金を払い、マッチを受け取る。

 

「毎度あり~です」

 

「おう」

 

金勘定とか心配していたが、何とかやれているようで良かったぜ。

 

「そう言えば、響ちゃん、大丈夫ですか? あれからどうしてますか?」

 

「あぁ……。検査の為、本部の病院に入院している。なんせ、三日三晩、走りっぱなしだったらしいからな……。怪我もしていたし……」

 

「そうですか……。響ちゃん……可哀想……」

 

「ま、飯を食わせたら元気そうだったし、大丈夫だろ。この後、お見舞いに行くんだ。お前も、もう上がりだろ? 一緒に行かないか?」

 

「いいんですか? 行きたいです!」

 

「んじゃ、車で待っているから、戸締り済ませたら来いよ」

 

「はぁい」

 

 

 

 

 

 

『グッド・バイ・ウォーズ!-惜別の開戦-』

 

 

 

 

 

 

「響」

 

病室に入ると、響はベッドから飛び降り、俺に抱きついてきた。

 

「おっと……。元気がいいな」

 

「響ちゃ~ん、ポーラもいますよ~」

 

響はポーラをチラリと見て、小さくお辞儀をした。

 

「髪の毛、綺麗にしてもらったんだな。怪我も良くなっている」

 

机の上の夕食も、綺麗に平らげているところを見るに、もうすっかり元気ってところか。

 

「さて、響……。何があったのか、俺にちゃんと説明してくれるな?」

 

あらかたの事情は聞いている。

ポーラと俺が、鈴沼邸から帰ってくる三日前。

響は突然、家出をした。

家出した理由は不明とのことだが、どうやら響は、一銭も持たずに家を出たようで、なんと三日三晩歩き続け、駅近くで俺の車を発見し、帰ってくるのを待っていたらしい。

腹立たしいのは、響が消えたことを里親が本部へ報告しなかったという点だ。

子供だから、そこまで遠くへ行っていないと考え、自分たちで探そうとしていたのか……。

それとも――……。

 

「どうして家出なんてした? 約束したはずだよな? 家出しないと……」

 

響は答えない。

ただギュッと、俺に抱きつくだけであった。

 

「はぁ……。響……あのな……?」

 

「提督」

 

ポーラは俺を見ると、小さく頷き、響と視線を合わせるようにして、しゃがみ込んだ。

 

「響ちゃん、ずっと歩いて、あそこまで来たんですね。ご飯とかどうしていたんですか?」

 

響はポーラに近づくよう手招きすると、耳元に口をあて、何か言った。

 

「フムフム、畑の野菜を食べていたと……」

 

「畑から盗んだってことか?」

 

ポーラは細い目で俺を見た。

黙っていろってか?

 

「そうなんですね~。お野菜食べられて偉いです! ポーラ、お野菜はあまり好きじゃないですから……。なんのお野菜を食べましたか?」

 

ポーラは、響のことを一切否定せず、話を聞き出していた。

艦隊にいる頃から、駆逐艦の面倒見がいいとは思っていたが……。

 

「……ちょっと席を外すぜ。ポーラ、響の相手をしてやっててくれ」

 

「はぁい。響ちゃん、久しぶりに折り紙しませんか~? ポーラ、あれから上手になったんですよ~」

 

響は頷くと、俺から離れ、ポーラと一緒に折り紙を始めた。

 

 

 

しばらく車で過ごしていると、ポーラが戻ってきた。

 

「戻りました~」

 

「おう。響はどうした?」

 

「寝ちゃいました。あまり眠れていなかったみたいです。提督に会えて、安心したのかもしれません」

 

「そうか……。悪かったな。響は、何か言っていたか? 家出をした理由とか……」

 

ポーラは首を横に振った。

 

「話したくないのか、話せないようなことなのか……」

 

「響ちゃんの里親は、どうしたんですか?」

 

「迎えに来ることなく、里親を辞退したそうだ。こうなることは、時間の問題だったのかもな……。本気で里親になる気があるのなら、無事であるかどうかだけでも、本部に来て確認するだろうしな……」

 

「そうですか……」

 

ポーラは悲しそうに俯いていた。

 

「……お前が悲しむ必要はないだろ」

 

「そうですけど……」

 

「何があったのかは知らんが、あいつの家出癖は今に始まったことじゃない。今までだって、理由もなしに家出しては、里親に見限られてきた。自業自得だよ」

 

「…………」

 

ポーラの頭を撫でてやる。

 

「お前の気持ちは分かるよ。俺だって、おかしいとは思っているんだ。この国を救ってくれた艦娘に、あんな仕打ちはないだろうって……。でも、お前なら分かるだろ? それでも一生懸命生きなきゃならないのだと。他の連中はそうしているし、自分だけ何もしないって訳にはいかないのだと……」

 

「提督は……ポーラにしてくれたように……響ちゃんのことも助けてくれますか……? 見捨てないでいてくれますか……?」

 

「あぁ、もちろんだ。お前がそうだったように、あいつにだって、このままではいけないという気持ちはあるはずだ。本当に嫌だったら、里親の元へ行こうともしなかっただろう。何か理由があるんだ。その気持ちがある限り、見捨てはしないよ」

 

「提督……」

 

「……どれ、今日は飲みにでも行くか? 最近、飲んでいないんだろう?」

 

「いいんですか……? でも……ポーラ……また……」

 

迷惑をかけてしまうと思っているのか……。

ちょっと前までは、何も考えずにいたくせに。

少しは成長したってことか。

 

「だったら、俺の家で飲むか? 店だとガンガン飲んじまうだろうし、家だったら、ある程度抑えられると思うぜ」

 

「ほんとーですか? じゃあ、お言葉に甘えます。えへへ」

 

「んじゃ、行くか。ツマミはあるから、途中で酒を買っていこうか。今日はシラフだから、好き勝手買えないぞ」

 

「分かってますよー……。ポーラ、ちゃんと反省しましたから……。いつまでもシツコイですよ……」

 

唇を尖らせるポーラに、思わず笑ってしまった。

 

 

 

ポーラが家に来たのは、これが初めてではない。

いつだったか、ザラと喧嘩したとかで、一時的に預かったことがあった。

 

「提督のおうち、やっぱり広いですねー」

 

「デカい家を持っている方がモテるんだよ。人もたくさん呼べるしな」

 

「でも、掃除が大変そうです……」

 

「家政婦さんが来てくれるから、掃除の心配はないよ。洗濯だってやってくれるし」

 

ポーラは目を丸くして、俺を見ていた。

 

「なんだよ?」

 

「提督、すごいお金持ちですね……。だから、ポーラが勝手にワインを買ったとき、そこまで怒らなかったんですか?」

 

「まあ、金持ちって訳ではないが、生活に余裕はあるよ。ワインの件については、呆れて怒る気すらなかっただけだ」

 

ポーラは恥ずかしそうに手を揉んでいた。

 

「ま、今日は泊っていけよ。部屋も空いているし、女物の寝巻きもある」

 

「どうして寝巻きがあるんですか?」

 

「どうしてって……。俺ほどのモテる男になると、女の一人や二人呼べるだけの用意はあるさ」

 

「呼ぶんですか? 女の人を……」

 

「あぁ。尤も、勝手に来るパターンの方が多いがね」

 

「……コイビトですか?」

 

「恋人? いや、そんなんじゃないな。遊び相手……とでも言うのかね」

 

ワインとツマミを出してやる。

 

「ほら、簡単な物だけど」

 

「わぁ! おいしそうです!」

 

「ワインはこのボトル一本だけだぞ。明日も仕事なんだろ?」

 

「はい! 大丈夫です! ポーラ、大事に飲みます!」

 

「ならヨシ」

 

「いただきまーす!」

 

ヨシの合図で食べ始めるポーラ。

まるで犬のようで、笑ってしまう。

 

「んー! 提督ぅ! これ、とってもおいしいです! お店で食べてるみたいです!」

 

「そら良かったな」

 

本当、幸せそうに飲み食いするよな。

陳さんも、この笑顔に諸々を許してきたんだろうな……。

 

「提督も飲みましょー! はい、かんぱーい!」

 

「わかったわかった」

 

 

 

結局、ボトル一本をほぼポーラ一人で空けてしまった。

 

「提督ぅ……ポーラ、まだ飲み足りないのー……」

 

「駄目だ。これ以上は飲まない約束だろ。ほら、水を飲め」

 

「んー……提督のケチ……」

 

「はいはい……」

 

ポーラは机に突っ伏すと、空になったワイングラスをじっと見つめた。

 

「グラスを見たって、ワインは湧いてこねーぞ」

 

「分かってますよー……」

 

しかし、ポーラの奴、酒に弱くなったな。

以前はボトル一本だけじゃ、こうはならなかったが……。

 

「……提督ぅ」

 

「なんだ?」

 

「提督は……どうしてポーラに優しくしてくれるんですか……?」

 

「え?」

 

「どうして提督は……ポーラを見捨てないんですか……? ポーラの提督だからですか……?」

 

「あぁ、そうだ。それが俺の仕事だからな。響の件にしても、同じだ」

 

「じゃあ……ポーラが自立出来たら……もう会えませんか……?」

 

ポーラはグラス越しに、俺を見た。

 

「会えないってことはないだろ。まあ、会う頻度は減るだろうがな」

 

「そうですか……」

 

永い沈黙。

 

「フッ、なんだよ? 寂しいのか? 女みたいなこと言って」

 

「ポーラだって女です……」

 

唇を尖らせるポーラ。

珍しく、変な酔い方をしているな。

 

「んん……」

 

「眠いのか? だったら、あっちの部屋で寝ろ」

 

「連れて行ってください……」

 

「あ?」

 

「抱っこしてください……」

 

「なんで俺が……。自分で行けよ」

 

「ヤです……。連れて行ってくれないのなら、ここを動きません……」

 

頬を膨らませるポーラ。

本当、珍しい酔い方をしているな……。

中途半端に酔うと、幼児退行する癖でもあるのか?

 

「めんどくせーな……。だったら、勝手にしろよ」

 

そう言って、毛布でも持ってきてやろうとすると、ポーラは俺の手を掴んだ。

 

「どうした?」

 

「提督……怒りましたか……?」

 

「え?」

 

「怒らないでください……。謝りますから……。うぅぅ……」

 

涙を流すポーラ。

 

「おいおい……」

 

幼児退行したかと思えば、今度は泣き上戸かよ……。

 

「お前、一体どうしたってんだよ……? 酒が足りなかったのか?」

 

「違います……。ポーラは……提督に笑っていてほしくて……。でも……ポーラは……ポーラはぁ……うぅぅ……」

 

酔わせれば酔わせるほど面倒くさくなるのは知っていたが、中途半端に酔わせても同じことなのかよ……。

つーか、こっちの方がタチ悪いぞ……。

 

「わかったわかった……。分かったから、泣くな……」

 

「うぅぅ……」

 

「……仕方ないな」

 

ポーラを抱き上げる。

 

「くっ……重っ……」

 

「重くないです!」

 

「分かったから! 暴れるな! 落とすから!」

 

そのまま、寝室へと連れて行ってやる。

 

「そら、下ろすぞ」

 

「んー……」

 

ポーラを布団に寝かせる。

 

「寝巻きには、さすがに自分で着替えろよ?」

 

「寝巻きはいいです……。女の人が着たやつですよね……?」

 

「そうだが、洗濯はしているぞ?」

 

そう言ってやっても、着替えようとしないポーラ。

こいつ、こんなに潔癖だったか……?

 

「……まあいい。服、シワになっても知らんからな。じゃあ、おやすみ」

 

またしても手を掴むポーラ。

 

「今度は何だ……?」

 

「ポーラが寝るまで……一緒に居てください……」

 

「はぁ? なんでそんなことまで……」

 

泣き出しそうになるポーラ。

 

「……分かったよ」

 

中途半端に酔わせた俺も悪いが、こんなことになるのなら、酒なんぞ飲ますんじゃなかった……。

 

「提督も寝転がってください……」

 

「はいはい……」

 

寝転がると、ポーラはじっと、俺を見つめた。

 

「えへへ……。提督ぅ……。ポーラ……提督といられて幸せです……。ポーラを見捨てないでいてくれてありがとうございます……」

 

「急になんだよ……。気持ち悪いな……」

 

「ホンネですよ……。ポーラ、提督のことが大好きです……。えへへ……」

 

弱弱しく笑うポーラ。

 

「……分かったから、もう寝とけ。明日もあるんだから……」

 

「はぁい。眠れるように、ポンポンしてください」

 

「こうか?」

 

「そうです。提督、Buonanotteです」

 

「はいはい。おやすみ」

 

子供をあやすようにしてやる。

ポーラは満足げな笑顔を見せると、すぐに眠りについてしまった。

 

「やれやれ……」

 

こんな甘え方、初めてだな。

駆逐艦なんかは、同じように甘えて来たことはあったが……。

 

「…………」

 

でも、考えてみれば、こうなるのも仕方がないのかもな……。

こいつらは、愛情というものを知らないまま、この世に生まれてきたわけだし……。

 

「本当は、ずっと、こうして甘えたかったのかな……」

 

子供のような寝顔。

子供のような肌。

子供のような――。

 

「子供……か……」

 

最初は、どこかに就職させ、自立してもらって終わりだと思っていたのだが……。

 

『ポーラが自立出来たら……もう会えませんか……?』

 

思えば、こいつが何をしたいのか、どうなりたいのか、よく知らないんだよな……。

ザラに迷惑かけたくなくて――ザラから自立したくて――。

 

「お前はこの先、どうしたいんだ……? 何のために、お前は……」

 

響の件にしても同じだ。

俺は、何も知らずに、二人を――。

 

 

 

目を覚ますと、目の前にポーラの顔があった。

 

「あ……」

 

「んん……ポーラ……?」

 

ああ、そうか……。

昨日、ポーラと添い寝して、そのまま……。

 

「お、おはようございます! 提督……」

 

「おう、おはよう……。ふわぁ……。今、何時だ……?」

 

「えと……まるななまるまる、です!」

 

7時ね……。

 

「で? お前、何していたんだ? 俺の顔を覗き込んで……。イタズラしてないだろうな?」

 

「し、してません! その……て、提督の顔を見てました! よく寝てるなーって!」

 

「なんじゃそりゃ……。ん? 何の匂いだ?」

 

「あ、そうでした! 提督、朝ごはん、できてます!」

 

「朝ごはん……?」

 

 

 

居間へ向かってみると、確かに朝食が用意されていた。

 

「お前、自炊なんかできたのか」

 

「陳さんに教えてもらいました。お味噌汁と玉子焼きしか出来ませんけど……」

 

「十分だ。この玉子焼きだけど……」

 

「あ、はい。しょっぱいやつです。提督、しょっぱい方が好きですよね?」

 

「よく知っているな」

 

「居酒屋で頼む時、いつもしょっぱいやつかどうか訊いていましたから」

 

そういやそうだったな……。

なんか、癖を見抜かれたような恥ずかしさがあるな……。

 

「ささ、提督ぅ。めしあがれー」

 

「あぁ、いただきます」

 

玉子焼きを口へ運ぼうとすると、ポーラは身を乗り出して俺を見ていた。

 

「なんだよ?」

 

「提督、ポーラの玉子焼き、美味しいですか?」

 

「まだ食ってないよ。そう注目されると、食いにくいよ」

 

再び口へ運ぼうとする。

じっと見るポーラ。

その真剣な表情が面白くて、何度も口へ運ぼうとしては、離すイタズラをしてしまう。

 

「もー! 提督! 早く食べてー!」

 

「悪い悪い」

 

今度こそ食べてやる。

 

「……どうですか?」

 

「うん、美味いよ」

 

「ほんと? どれくらい美味しいですか?」

 

「どれくらい? まあ、普通に美味いよ」

 

「普通ってどれくらいですか?」

 

「普通は普通だろ。普通に美味い」

 

「むぅー! 分からない!イジワルしないで!」

 

ちょっとからかったつもりだったが、ポーラは今までにないくらい怒っていた。

 

「悪い悪い……。いや、美味いよ。すごく美味い」

 

「……毎日食べたいですか?」

 

「あぁ、毎日食べたいね」

 

「そうですか……。えへへ……よかったです……」

 

そう言うと、ポーラは味噌汁を口にして、じっと俺を見つめた。

味噌汁も味わえ、と……。

 

「玉ねぎとジャガイモが入っているのか」

 

「味噌汁は何をいれてもいいと、陳さん、言っていました! 玉ねぎとジャガイモがあったので、いれてみました」

 

一口啜る。

まあ、普通の味噌汁だコト。

 

「普通に……」

 

目を細めるポーラ。

 

「……美味いよ。毎日出してほしいネ」

 

「ソデスカ……」

 

何故かカタコトなポーラ。

いや、まあ、今に始まったことではないが、より一層というか……。

 

「もしかして、照れているのか?」

 

「ソンナコトナイデスヨ……」

 

と言いつつ、目をそらし、耳を赤くしているところを見るに、照れているのは間違いないだろう。

 

「フン……褒められ慣れていない証拠だ。普段から行儀良くしていれば、照れずに済んだものを……」

 

「照れてないです……」

 

「そうかい」

 

頬を膨らませるポーラ。

昨日の事といい、珍しい表情を見せるようになったよな。

いや……今までがおかしかったのか……。

 

「飯食ったら、家まで送ってやるよ。一度帰った方がいいだろ?」

 

そう言って、しわくちゃになった服を指してやる。

 

「あー……そうですね……。そうさせてもらいます……」

 

「だから寝巻きに着替えろと言ったんだ」

 

「んー……」

 

ポーラは何やら不満そうな顔を見せると、それを隠すように味噌汁を口にした。

 

 

 

ポーラを家まで送った後、響の様子を見に行こうと本部へ寄った。

 

「ここにいたのか」

 

響は、郵便室で延々と封筒を作っていた。

 

「ポーラのみならず、あの響をも手懐けるとは。どうだい、笠谷君? 彼女を引き取っては」

 

「無茶言わんでください。雨海さんと違って、生活に余裕がないのでありますよ」

 

「彼女を引き取れば、国からの支援も受けられて、君の給与と同額か、それ以上の収入が手に入るよ?」

 

「なおのことであります。自分、女性に養われるよりも、女性を支える男になりたいのであります」

 

「格好つけるのは止めたまえ。だとしたら、この体たらくは何だい? どうせ、女性に養ってもらえるかもしれないと、よこしまな気持ちで海軍に入ったのではないのかね?」

 

「失敬な! 自分だって、雨海さんのようになろうと努力したつもりでありますよ!」

 

「本当かね? 高見上官が嘆いていたよ。大きな仕事を任せようとしたら『自分には荷が重いから、もっと簡単な仕事に就かせてほしい』と懇願してきて困っている、とね。その他にも、同僚の女性に借金があるとかなんとか……」

 

笠谷君はバツの悪そうな表情を見せた。

 

「フフ、しかし、君に金を貸す女性がいるってのは、君にも女性を魅了するナニカがあるということだ。『弱い男』に弱い女性がいるのも事実だし、君もその類なのでは?」

 

「不本意であります……」

 

「なら、少しは漢を見せたらどうだね? まずは借金を返したまえ」

 

そう言って、俺はいくらかのお金を笠谷君に渡してやった。

 

「これは……?」

 

「ポーラや響を預かってくれたお礼だ。少しばかり色を付けたのは、君への投資だよ」

 

「こんなに……! ありがたいのであります!」

 

「フッ……そう易々と受け取るのが君だよ。漢は諦めたまえ」

 

笠谷君の肩をポンと叩き、真剣な表情で封筒を作る響に話しかける。

 

「響」

 

相当集中しているのか、封筒作りを止めない響。

 

「ほれ」

 

わき腹をくすぐってやると、響はキャッキャと笑い、ようやく俺を見た。

 

「よう、いい子にしていたか?」

 

響は俺に抱きつくと、そのまま抱き上げるようせがんだ。

 

「そら! おお、しっかり食ったようだな。だいぶ重くなっているぜ」

 

響は怒っているのか、俺の頬をグイっと伸ばした。

 

「ほほっていふのは? はら、ふひでいははいほははらはいへ?」

 

「『怒っているのか? なら、口で言わないと分からないぜ?』でありますか?」

 

「ほー! よふわはっはへ」

 

「『ほう、よく分かったね』でありますね」

 

響を下ろし、軽くチョップしてやる。

頭を押さえる響は、相変わらず無表情であった。

 

「さて……。そろそろ話してくれてもいいんじゃないのか? どうして里親の元を離れたのか……」

 

響は何も言わず、俯くだけであった。

 

「何不自由ない暮らしだったはずだろう? そら、お前がいなくなっても本部へ報告しに来なかった連中だし、相手側にも問題があったのかもしれんが……。それでも、自分で言ったよな?『自分の気持ちをちゃんと言葉で伝えます』って……」

 

「…………」

 

「……分かったよ。お前がそんな態度なら、俺はもうお前を見捨てる。他の連中に面倒見てもらえ。それこそ、笠谷君なんかいいんじゃないか? 暇そうだし」

 

「忙しいでありますよ!」

 

響は笠谷君を見ると、何度も首を横に振った。

 

「それはそれでショックであります……」

 

響は縋るようにして、俺に抱きついた。

 

「じゃあ、話してくれるな?」

 

反応を見せない響。

これまで幾度となく甘やかしてきたが、それがいけなかったのかもな……。

 

「じゃあ、もうこれっきりだ。俺は本気だぞ?」

 

そう言ってやっても、困惑するだけで、何も言わない響。

 

「……笠谷君、真鍋さんは知っているね? ほら、この前、僕を呼びに来た新人さんだ。彼女を呼んできてくれないかい?」

 

「了解であります」

 

笠谷君が呼びに行っている間も、響は何も言わず、ただくっ付いているだけであった。

やがて、笠谷君が真鍋さんを連れて帰ってきた。

 

「お、お呼びでしょうか!」

 

「わざわざ悪いね、真鍋さん。この前話した件だけど、この子のこと、頼んだよ」

 

「あ、はい! 準備はできています! では、こちらで預かります!」

 

「悪いね」

 

真鍋さんは、一緒に連れてきた屈強な海兵に命じ、俺から響を引き離した。

響は多少の抵抗を見せていたが、そのままどこかへ連れていかれた。

 

「ありがとう、真鍋さん。高見上官の後では大変だと思うけど、君なら出来ると信じているよ」

 

「は、はい! 頑張ります!」

 

俺は彼女に近づき、耳元で囁いた。

 

「これからも、僕の為に力を貸してほしい。それ相応のお礼はするつもりだよ」

 

「お、お礼……ですか……?」

 

「興味があるのなら、高見上官……いや、美奈子さんに訊いてみたらいいよ。彼女がそうだったように、君も気に入るはずだよ」

 

彼女は顔を真っ赤にすると、慌てて郵便室を出て行ってしまった。

 

「罪な男でありますなぁ……」

 

「彼女は高見上官の後釜候補として、本部へ来たらしいんだ。新人なのに、もう部下を抱えている。投資だよ、投資」

 

「はぁ……。あまり誑かしては、いつか刺されますよ?」

 

「経験済みだよ。尤も、未遂に終わったがね」

 

笠谷君の呆れる顔を横目に、俺は郵便室を後にした。

 

 

 

以前、高見上官に響を預けたことがあった。

厳しいことで有名な上官の元で、何をされたのかは知らないが、響は行儀良くなって帰ってきた。

 

「だから、今度もそれを期待して、響を彼女に預けたんですよ」

 

「そうだったんだねぇ……。いやぁ、雨海さんも大変だねぇ……。はい、チャーハンお待ち!」

 

陳さんのチャーハンは、格別に美味かった。

 

「そんなことよりも、陳さん。ポーラの件、ありがとうございました。おかげで助かっていますよ」

 

「いんやぁ、この程度のことしかできなくてゴメンね……」

 

「いやいや……」

 

「でも、煙草屋の婆さんも、明後日には退院するって話だよ? そうなったら、ポーラちゃん、また仕事を探さないとだねぇ……」

 

明後日か……。

 

「まあ、うちの料理食べて元気出してよ。ほら、餃子、おまけしておくからさ」

 

「すみません……。いただきます」

 

相変わらず、解決しなきゃいけないことが山積みだな……。

 

 

 

陳さんの店を出て、ポーラの様子でも見に行こうと歩き出した時であった。

 

「やっと見つけたぞッ! 雨海ッ!」

 

野太い声。

俺は、嫌な予感を抱きつつ、恐る恐る振り返った。

 

「鬼頭(おにがしら)提督……」

 

「貴様を探すため、街中を駆け巡ったのだ! さあ、私を抱けーッ!」

 

鬼頭提督。

戦艦級の提督にして、最強の女海兵。

心技体、全てにおいて最強を自負しており、戦艦級の武蔵すらもビビらせた女だ。

 

「雨海! どうして私の手紙を無視するのだ!? 我慢できずに会いに来てしまったではないか!」

 

「……声が大きいですよ、鬼頭提督。街の人に迷惑だ……」

 

「す、すまない……。最近、耳が遠くてな……」

 

おそらく、砲撃の音で聴覚をやられたのだろう。

戦艦級の砲撃は半端ないからな……。

 

「それで? 私に会いに来たと?」

 

「そうだ! 何度も何度も手紙を出したのに、貴様は一切返信してこなかっただろう!? 何故だ!?」

 

「手紙って……あの『果たし状』の事ですか?」

 

「あぁ! 貴様に決闘ならぬ、結婚を申し込んだのだ!」

 

戦時中、とある作戦に戦艦級が必要だったこともあり、手を貸してもらおうと、彼女に接触した。

しかし『私よりも弱いやつに手を貸すつもりはない。私との組み手に勝てたのなら、手を貸してやってもいい』との事で、渋々試合をしたことがあったのだ。

普通なら勝てない試合ではあるが、組み手の際、顔を近づけてみたり、体を触ってみたりしている内に、彼女の『女』の部分が目覚めたらしく、急に弱くなり、そのまま組み伏せることが出来たのだった。

 

「あの試合から、私の中で何かが目覚めてしまったのだ……。毎晩、貴様に負けた事ばかり思い出して……。その度に、体が熱くなって……。もう一度、貴様に倒されたい……。敗北感を味わいたい……。そして、無理やり抱かれて……抵抗も出来なくて……。うおおおおおおおおおおおおおおおおおお! あ……」

 

鬼頭提督は鼻血を垂らすと、それを恥ずかしそうに拭いた。

ファンシーなハンカチで……。

 

「とにかく! 私と結婚してほしい! もう一度、私を女にしてくれーッ!」

 

プロポーズにしては、あまりにも……。

嗚呼、ほら……街の連中が何事かと集まってきて……。

 

「とりあえず、場所を変えませんか……? こんなところでは……」

 

「提督ぅ?」

 

振り返ると、ポーラが立っていた。

 

「どうしたんですか? こんなところで」

 

「ポーラ……」

 

そうだ……!

 

「わっ!?」

 

俺はポーラを抱き寄せ、鬼頭提督に見せつけた。

 

「鬼頭提督、申し訳ない……。私には、この子がいまして……」

 

「なんだと……!? って、艦娘のポーラではないかッ! まさか、艦娘と付き合っているとでも!?」

 

俺は、あえて何も言わなかった。

 

「提督ぅ! 急に何するのー! はなしてー!」

 

「後でワイン買ってやるから、大人しくしてろ」

 

小声でそう言ってやると、ポーラは目の色を変え、されるがままになった。

現金な奴……。

 

「そうか……。そうなんだな……」

 

俯き、拳を震わせる鬼頭提督。

普通に怖い。

 

「う……」

 

「う?」

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」

 

突然の雄叫びに、ポーラも俺も、互いに抱き合って怯えていた。

 

「燃える! 燃えるぞ雨海ッ! 恋は障害があってこそだ! 嗚呼、血がたぎる……! この高揚感……! 深海棲艦との戦い以来だ……!」

 

鬼頭提督は、ギンギンになった目で、俺たちを見た。

 

「ポーラッ! 貴様から必ず! 雨海を奪ってみせるッ! 今日から、恋のライバルだッ!」

 

「ヒィ……提督ぅ……この人……怖いです……」

 

俺だって怖いよ……。

 

「今日のところは引き揚げてやる……。だが! 貴様と結婚するまで、私はこの街を出んからなッ!」

 

そう言うと、鬼頭提督は去っていった。

 

「提督ぅ! なんですかあの人はー!?」

 

「…………」

 

これは……非常にマズイことになったかもしれん……。

 

 

 

約束通り、ポーラにワインを買ってやり、車で家まで送ってやることにした。

 

「うへへ~。このワインが飲みたかったんです。提督、ありがとうございまーす」

 

「……どういたしまして」

 

クソ……。

いつもいつも、高いワインばかり選びやがって……。

 

「そういや、お前、あそこで何していたんだよ? 仕事はどうした?」

 

「煙草、すぐに売り切れちゃったんですよー。やることもないので、陳さんのところへお礼を言いに行こうかと思っていたんです」

 

この時間で、もう売り切れか……。

流石というか何というか……。

 

「提督は何していたんですか? あの女の人、誰ですか?」

 

「誰って……。お前、知らないのか? ほら、戦艦級の提督だよ。演習で会ったことあるだろ」

 

「そうでしたっけ?」

 

そうでしたっけ……って……。

あのインパクトある肉体を覚えていないとは……。

 

「……デートですか?」

 

「え?」

 

「ポーラのことを見て、恋のライバルって言ってました。コイビトでしたか……?」

 

「んなわけないだろ……。なんか、勝手にあっちが盛り上がっているだけだ……。結婚したいだのなんだのと……勝手に押しかけてきて……」

 

「迷惑してますか?」

 

「あぁ、迷惑だ。あんな街中で叫んで……はしたないったらないぜ……」

 

「ふぅん……」

 

ポーラは何やら、考え事をするかのように、口元に手をあてていた。

 

「なんだよ?」

 

「提督ぅ、あの人、また来ますかね?」

 

「……来るだろうな。あのテのタイプは、諦めが悪いからな……」

 

尤も、戦場においては、その諦めの悪さが重宝されていたようだが……。

 

「だったら、またポーラを雇いませんか?」

 

「え?」

 

「レイミさんの時のようにするんです。ポーラと提督が一緒に住んでいて、諦めさせるやつです」

 

「それはさっき試してみたが……逆に燃えていただろ……。それに、麗美の時はそれで良かったが、今回はすぐに同棲していないとバレる。相手は同じ海軍であるし、俺よりも権力がある。住所なんかもすぐにバレるだろうよ」

 

「じゃあ、本当に一緒に住むのはどうですか……?」

 

「あ?」

 

「提督のおうち、とっても広いですし……。ポーラ、ご飯も作れますから……」

 

ポーラはワインボトルをギュっと抱きしめると、退屈そうに窓の外を見ていた。

 

「ポーラ……お前……」

 

「…………」

 

「お前、そうやって甘えようって魂胆だな?」

 

「え?」

 

「駄目だ駄目だ! 同棲なんて絶対駄目だ! そんな事になれば、お前は絶対何もしなくなる。ワインだって勝手に飲むだろうし、ご飯を作ると言ったって、玉子焼きと味噌汁くらいだろ? 結局、俺が作ることになる未来しかみえん」

 

「て、提督、言ってたじゃないですか! 毎日食べたいって!」

 

「本当に毎日食えるわけないだろ……。それに、あの場では言わなかったが、玉子焼きが少ししょっぱかったんだよ。味噌汁だってそうだし、ジャガイモだって火がちゃんと通っていなかった」

 

「…………」

 

「大体、お前はまず、自分の生活を何とかしろよな。ゴミだって自分で捨てられないし、仕事だって……」

 

「……もういいです」

 

「あ?」

 

「もういいです! 提督なんかキライです!」

 

そう言うと、ポーラは車から飛び出していった。

 

「あ、おい!」

 

飛び出して行ったわりには、しっかりとワインボトルを持っていきやがった。

 

「なんだよあいつ……」

 

まあ、少し言い過ぎたところはあるかもしれんが……。

 

「多少は、いい薬になったかもな。ったく……。何が『本当に同棲』だよ……」

 

 

 

翌日。

響の様子を確認する為、本部へ寄ってみると……。

 

「雨海!」

 

鬼頭提督が、郵便室で待ち受けていた。

 

「……鬼頭提督。ここで何を……?」

 

「貴様への手紙を検閲していたのだ」

 

「検閲ぅ!?」

 

「まったく……けしからん手紙が多くてかなわんな……」

 

そう言うと、鬼頭提督は、可愛らしい便箋を破り捨てた。

 

「お、おい! それはまさか……!」

 

破れた手紙をつなぎ合わせてみる。

それはウメちゃんからのものであった。

 

「やはりそうだ……! ポーラとの関係が誤解だと分かって、再び手紙をくれたんだ……! あぁ……なんてことを……」

 

俺は、鬼頭提督の――いや、鬼頭の馬鹿を睨みつけた。

 

「おぉ! その瞳……! ゾクゾクするぞ雨海!」

 

そもそも、何故こいつが俺の手紙を……。

ふと、笠谷君がいないと思い、辺りを見渡してみると……。

 

「あ……」

 

笠谷君は目が合うと、我関せずといった具合に、封筒を作り始めた。

てめぇ……笠谷ぁ……。

 

「……鬼頭提督。勝手に手紙を処分されては困るのですが……?」

 

「なに、検閲させてもらったが、大したことは書かれていなかったぞ。それに、貴様は私の夫となる男だ。他の女からの手紙など不要だ。違うか?」

 

「……違いますね。私は貴女の夫になるつもりはないし、私にとってその手紙たちは『大したもの』なんです……」

 

「こんな手紙がいいとでも言うのか? だったら、私が代わりに書いてやる! こんな偽物の愛を綴った手紙なんかよりも、私の本物の熱い愛の方がいいはずだ!」

 

こいつ……。

 

「……てめぇ、いい加減にしろよ。こっちが下手に出れば調子に乗りやがって……」

 

「おぉ……おぉぉぉぉぉぉ! いいぞ雨海! その調子だ……! もっともっと怒ってくれ……! 調子に乗った私をッ! 貴様の逞しい肉棒でワカラセてほしいのだッ!」

 

こいつ、無敵か……?

 

「さぁ、ヤろう! 今ッ! ここでッ!」

 

今にも脱ぎだしそうな鬼頭を止めようとした時であった。

 

「響ちゃん!」

 

廊下の方で、真鍋さんの声。

それと同時に――。

 

「うぉ!?」

 

郵便室へ入ってきた響は、俺に抱きついた。

 

「響ちゃん! あ……雨海提督……」

 

「真鍋さん」

 

「ご、ごごご、ごめんなさい! あの……響ちゃんが急に……その……」

 

「落ち着いて、真鍋さん。大丈夫だよ」

 

真鍋さんは響を引き離そうとしたが、もの凄い力で掴んでいるのか、中々離れなかった。

 

「ひ、響ちゃん……お願いだから、言うこと聞いてほしいな? おもちゃもお菓子もあるわよ?」

 

響は離れない。

こういう時、高見上官は厳しくしていたものだが、真鍋さんにはまだ負担が大きかったか……。

 

「おい響、真鍋さんの言うことを……」

 

ふと、鬼頭へ目を向けた。

やけに大人しいと思っていたら……。

 

「ぐっ……」

 

何やら、距離を取っている鬼頭。

視線の先には、響がいた。

 

「あ! 鬼頭提督もいらっしゃったのですね! 申し訳ございません! すぐに遠ざけますので……」

 

「あ、あぁ……」

 

遠ざける……?

 

「さあ、響ちゃん……。雨海提督も困っているから……ね……?」

 

響はゆっくり顔を上げると、俺をじっと見つめた。

相変わらずの無表情であるが、どこか――。

 

「……早く離れろ、響」

 

冷たく言ってやると、響はそっと、俺から離れた。

 

「いい子ね。すみません……雨海提督……」

 

「いいんだ。君はよくやってくれているよ。いずれ、お礼をさせてもらうよ」

 

それを聞いた真鍋さんは、顔を真っ赤にして俯いた。

高見上官から、お礼の内容を聞いたということだろうか。

 

「で、では! 失礼します!」

 

真鍋さんに連れられ、響は部屋を後にした。

それに安堵する鬼頭。

もしかして……。

 

「ふぅ……。さて、雨海よ……」

 

「おっと、そういえば、そろそろ駆逐艦が俺を訪ねてくる時間だったな」

 

「く、駆逐艦が……?」

 

「何か?」

 

鬼頭は苦虫を嚙み潰したような顔を見せた。

 

「そ、そうか……。それは……邪魔してはいけないな……。今日のところは、これで失礼させてもらう……」

 

そう言うと、鬼頭はそそくさと去っていった。

やはりそうか……。

 

「ふぅ……ようやく行ったでありますか……」

 

「笠谷君……」

 

「し、仕方がないではありませんか……。逆らったら……何をされるか……」

 

「やはり君に、漢は無理のようだな……」

 

「ぐぅ……」

 

 

 

終業時間を見計らって、俺は真鍋さんを呼び止めた。

 

「あ、雨海提督……」

 

「雨海でいいよ。真鍋さん、もしよかったら、これから時間あるかな? 食事でもどうだい?」

 

「え、あ、は、はい! だだだ、大丈夫……です……」

 

「良かった。じゃあ、行こうか」

 

 

 

食事中の彼女は、どこか緊張しているようであった。

 

「美味しくなかったかい?」

 

「い、いえ! とっても美味しいです! で、でも……私……こういうお店は初めてで……」

 

だろうな。

本部配属となったエリートとはいえ、田舎出身であると聞いているし……。

 

「だとしたら、今の内に慣れておいた方がいい。君も高見上官と同じように、いずれは出世するだろう。そうなった時、接待するにしても、されるにしても、こういったお店は必ず選ばれる」

 

「な、なるほど……。勉強になります……」

 

「とはいえ、僕も高見上官から教えてもらったんだけどね、このお店。それと、あまり硬くならないでほしいな。今日は、響の世話をしてもらっているお礼もそうだけど、もっと君のことを知りたいと思って誘っているんだ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「うん。もし良かったらなんだけど、親しみを込めて、二人っきりの時は、下の名前で呼んでもいいかな? 美香さん……って……」

 

「わ、わわわ……あの……その……」

 

「なんてね。まだ早いか。でも、いずれ呼ばせてね。真鍋さん」

 

「は、はいぃ……」

 

さて……。

 

「そういえば、さっきの件だけど……。真鍋さんは、鬼頭提督と面識が?」

 

「は、はい。本部配属となる前、指導してくれたのが、鬼頭提督でした」

 

「そうなんだ。いや、鬼頭提督、なんだか、響を怖がっていたようだったから……。もしかして、子供が苦手だとかあったりするのかなって」

 

そう訊いてやると、真鍋さんは黙り込んでしまった。

 

「あ、あれ? 訊いちゃいけないことだったかな?」

 

「そ、そんなことは……!」

 

真鍋さんは何かを考えるように俯いた後、顔を上げ、小声で話し始めた。

 

「あの……本当は口止めされているのですが……。実は……」

 

 

 

店を出る頃には、真鍋さんはすっかり出来上がっていた。

 

「大丈夫かい?」

 

「す、すみましぇん……。わらし……おしゃけ弱くて……」

 

生まれたての小鹿のように、プルプル震える真鍋さん。

嗚呼、可愛い……。

勉強ばかりしてきて、大人の社交なんぞとは無縁に生きてきたのだろう。

こういう女の子が堕ちてゆく姿に、俺は……。

 

「良かったら、僕の家に来るかい?」

 

「ふぇ?」

 

「ね?」

 

「は、はいぃ……。その……ふちゅちゅかものですが……。あの……その……わらし……実は……処……」

 

「ポーラ?」

 

俺の声に、ポーラは振り返った。

隣には、笠谷君が居た。

 

「提督……」

 

ポーラは真鍋さんを見ると、突然走り去ってしまった。

 

「ポーラさん!?」

 

残された笠谷君は、それを呆然と見ているだけであった。

ポーラが走って行った先には、治安が良いとは言えない歓楽街があった。

 

「よりによって……。笠谷君、ポーラを追いかけなくていいのかい? 一緒に行動していたんだろう?」

 

「え……いや……その……」

 

「何をもたついて……。仕方ない……」

 

真鍋さんを笠谷君に預ける。

 

「あ、雨海しゃん!?」

 

「すまないね、真鍋さん。後のことは、この笠谷君が全ての面倒を見てくれるから……」

 

「じ、自分でありますか!?」

 

「他に誰がいるってんだ……。漢を見せろ、笠谷君」

 

笠谷君の肩を叩き、俺はポーラの跡を追った。

 

 

 

「ポーラ!」

 

ようやくポーラの背中が見えてきた。

相変わらず、足が遅いな……。

 

「どうして追ってくるんですか……!?」

 

「お前こそ、何故逃げる!? それに、そっちは歓楽街だ! 逃げるにしても、方向を変えろ!」

 

「ヤです!」

 

ポーラは路地裏をちょこまかと逃げ回った。

普通なら追いつけるが、こうも曲がり角が多いと……。

 

「クソ……。飯を食った後だから……脇腹が……」

 

ポーラが大通りへ出た、その時――。

 

「ポーラ!」

 

大きなクラクションと、甲高いブレーキ音。

迫るトラック。

驚いたポーラは、その場に固まっていた。

 

「クソ……!」

 

腕を伸ばし、何とかポーラを引き寄せる。

間一髪で、トラックとの接触を避けることが出来た。

 

「バカヤロウ!」

 

「す、すまない……」

 

トラックは怒りのクラクションを鳴らすと、そのままアクセル全開で去っていった。

 

「はぁ……はぁ……。おい、大丈夫か?」

 

ポーラは俯いている。

怪我は無さそうだが……。

 

「あーあ……。服が泥だらけじゃないか……。こりゃ、洗っても取れないぞ……」

 

ポーラは……。

 

「ポーラ……?」

 

ポーラは、泣いていた。

 

「お、おいおい……。どうした? どこか痛むのか?」

 

俺の心配をよそに、ポーラはそっと、俺の胸に頭を預けた。

 

「ポーラ……?」

 

「……か」

 

「え?」

 

「提督の……ばかぁ……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 

突然の大号泣に、街の連中が何事かと集まってくる。

 

「おま……! い、いえ! 大丈夫です大丈夫です! なー? 怖かったなー? さ、行くぞー?」

 

 

 

何とかタクシーを手配し、とりあえず、家へと連れてきた。

その間にも、ポーラは泣き続けていた。

 

「ほら、飲めよ」

 

ココアを淹れてやると、ポーラは鼻を鳴らしながら、それを飲んだ。

ようやく泣きやんだか……。

 

「……で? どうして逃げたんだ? というか、笠谷君と何をしていたんだ?」

 

「…………」

 

「……別に答えたくないのなら、それでもいい。帰りたいのなら帰ってもいいし、泊まりたいのなら泊まっていけ」

 

そう言って、俺は寝巻きを渡してやった。

 

「言っておくが、その寝巻きは、お前用にわ・ざ・わ・ざ! 買ってきたやつだ。だから、安心して着ていいぞ」

 

嫌味っぽく言ったつもりであったが、ポーラは……。

 

「ん……」

 

ポーラは俺の背中に抱きつくと、小さく言った。

 

「ごめんなさい……」

 

何に対しての謝罪なのかは分からないが……。

 

「……とりあえず、風呂入れ。ボロボロだぞ、お前……」

 

ポーラは頷くと、寝巻きを持って風呂場へと向かっていった。

 

 

 

風呂上りのポーラは、いつものような、のほほんとした表情に戻っていた。

 

「いい湯でした~」

 

「……そうかい」

 

本当、単純な奴……。

 

「提督……あの……」

 

「なんだよ? ワインなら無いぞ。あっても絶対に飲ませないからな」

 

「ち、違いますよ! その……この前はごめんなさい……。さっきも……逃げちゃってごめんなさい……。あと……助けてくれて……ありがとうございます……」

 

あの『ごめんなさい』には、色々含まれていたって訳か……。

 

「……俺の方こそ悪かったよ。この前は、その……少し言い過ぎた……」

 

ポーラは首を横に振ると、膝を抱えて俯いた。

 

「……で? 逃げた理由は、なんとなく分かったが……。笠谷君と何をしていたんだ? こんな時間まで……」

 

「……料理を教えてもらおうと思って」

 

「料理を?」

 

「笠谷さん……一人暮らしをして長いから……料理が上手かもしれないと思って……。相談したら『料理は得意であります』って……」

 

笠谷君が料理を……?

聞いたことないが……。

 

「それで……仕事終わりに教えてあげるから、うちに来ないかって言われて……」

 

なるほど……。

 

「で、その途中で俺に見つかったと……」

 

頷くポーラ。

笠谷……あいつ……おそらく、ポーラのことを……。

 

「……提督は何してましたか?」

 

「え?」

 

「女の人……良かったんですか……? コイビトですよね……?」

 

「恋人? いや、ありゃ新人さんだよ」

 

「新人さん……とっても可愛かったです……。提督……ああいう人が好きですか……?」

 

「まあ、可愛いっちゃ可愛いよな。彼女、結構優秀でさ、響の面倒を見てもらっていて――」

「――好きなんですか?」

 

そう訊くポーラの瞳は、どこか――。

 

「ポーラ?」

 

ポーラは近づくと、そっと俺に抱きついた。

 

「お、おい……どうした……?」

 

「ヤです……」

 

「え?」

 

「提督にコイビトいるの……ヤです……。他の女の人といるの……ヤです……。ポーラとだけ……居てほしいです……」

 

ポーラは、小さく震えていた。

 

「ポーラ、お前……」

 

「…………」

 

なるほど……これは……。

 

「そうか……。ポーラ、お前の気持ち、よく分かったよ……」

 

「提督……」

 

「お前……寂しかったんだよな?」

 

「え?」

 

「いや、分かっているよ……。お前には、頼れる人が少ないもんな……。ザラにも頼れないし、甘えられる人は、俺だけだもんな……。そんな俺に恋人なんか出来たら、構ってくれなくなるんじゃないかと、不安になるよな……」

 

そうだ……。

こいつには、親がいない……。

俺を親のように思っていても、不思議じゃない……。

そら、不安にもなるよな……。

 

「安心しろ。俺は、恋人なんかつくるつもりはない。少なくとも、お前が自立するまではな」

 

そう言ってやると、ポーラは安心するどころか、何故か頬を膨らませ、怒っていた。

 

「あ? どうした?」

 

「提督……やっぱり何も分かってないです……」

 

「はぁ? 何が?」

 

「……もういいです。提督のニブチン……」

 

そう言うと、ポーラはムッとした表情のまま、寝室へ去っていった。

 

「なんなんだよ……?」

 

 

 

翌日。

朝食を作っていると、ポーラがムッとした表情のまま、起きてきた。

 

「よう。まだ機嫌が悪いのか?」

 

「どうして朝食作っているんですか……?」

 

「どうしてって……。朝食、いらなかったか?」

 

「ポーラが作りたかったの! むぅー!」

 

「作りたかったって……。今日は卵無いし……味噌汁だけ作るか?」

 

「玉子焼き以外も作れます!」

 

「ほう。何が作れるんだ? ほれ、材料はこれしかないぞ。何を作るつもりだ?」

 

そう言ってやると、ポーラは材料とにらめっこを始めた。

そんなことをしている内に、朝食は完成した。

 

「ほら、食えよ」

 

「……いただきます」

 

不機嫌なポーラの表情は、一気に明るくなった。

 

「提督ぅ! これ、とっても美味しいです!」

 

「そうか。ほれ、レシピ書いてやったぞ。この通り作れば、同じのが出来るぞ」

 

「ほんとですか? ありがとうございま……あ……」

 

ポーラはレシピを俺に返した。

 

「なんだよ? 料理、上手くなりたいんじゃないのか?」

 

「……提督に教えてもらったら意味ないです」

 

「はぁ? なんじゃそりゃ……」

 

「提督の味じゃ駄目なんです……。ポーラの味じゃないと……」

 

「何言ってんだよ……。そういうのはな? 料理できるようになってから言えってんだよ……。まずは手本通りに作って、それから自分の味にしていくんだよ。悪いことは言わん。レシピ、持って帰れ」

 

「むぅ……」

 

 

 

朝食を済ませ、ポーラは帰り支度を始めた。

 

「送っていかなくていいのか?」

 

「あ、はい。今日、このまま病院に行くんです。煙草屋さん、今日で退院なので、引継ぎをするんです」

 

そういや、今日が最後だったな……。

 

「……また、仕事を探さないといけないのか。クソ……」

 

「……ごめんなさい」

 

「いや……。まあ、何とかなるだろ……。それまでは、郵便室で仕事を貰え。俺が手配しておくから」

 

「はい……」

 

「忘れ物ないな? 煙草屋の婆さんによろしくな」

 

「分かりました」

 

「じゃあ……」

 

「あ、提督、ちょっといいですか?」

 

「ん? なんだ……」

 

ポーラは、俺の頬にキスをした。

 

「な……!? 何を……!?」

 

「イ、イタリアの挨拶です! イタリアでは普通です! じゃあ……あの……い、いってきましゅ!」

 

そう言って、ポーラは家を飛び出していった。

 

「イタリアの挨拶って……。ポーラ……お前……」

 

俺は、キスされた頬をそっと撫でた。

 

「お前……間違ってるぞ……。キスするんじゃなくて、リップ音を鳴らすだけだぞ……」

 

あいつ、本当にイタリアの艦娘か……?

 

 

 

鬼頭を警戒しつつ、郵便室へ向かう。

 

「笠谷君」

 

「あ! 雨海さん! 酷いでありますよ!」

 

「昨日は悪かったね。あの後、大丈夫だったかい?」

 

「まったく大丈夫ではなかったでありますよ! 真鍋さんでしたか? あの人、とっても酷い人で……!」

 

「誰が酷いですって……?」

 

真鍋さんが、響を連れて、郵便室へとやってきた。

 

「真鍋さん、昨日はすまなかったね……。笠谷君に、変なことされなかったかい?」

 

「は、はい! されそうにはなりましたけど……」

 

「え?」

 

「ご、誤解であります! あまりにも酔っぱらっていたので、介抱しようと自宅へ招こうとしただけで……」

 

「嘘よ! どさくさに紛れて、胸を揉んだじゃない!」

 

「あれは、ふらついた拍子に触ってしまっただけで……!」

 

「とにかく! とってもイヤらしい目で見てきたんです……」

 

「自分はただ心配して……! せっかく介抱してあげたのに……。雨海さん! やっぱりこの人、酷い人でありますよ! 」

 

「まあまあ……。しかし、イヤらしい目で見ていたのは本当だろう? 君、昨日、ポーラを自宅へ連れ込もうとしていたそうじゃないか」

 

「そ、それは……料理を教えてほしいと言われて……」

 

「君、出来るのかい? 料理……」

 

「と、得意であります……よ……」

 

「何が作れるんだい?」

 

「……玉子焼きとか、味噌汁とか?」

 

「それ、ポーラでも作れるぞ。他には?」

 

「あとは……うぅむ……」

 

「本当は作れないくせにー!」

 

真鍋さんは、舌を出して揶揄っていた。

結構、子供っぽいところがあるな……。

 

「ぐぬぬ……! そういう貴女はどうなんでありますか!?」

 

「私はなんでも作れますが? 田舎から食材がたくさん送られてきますし、響ちゃんにだって好評なのよ? ね、響ちゃん?」

 

響は何度も頷いていた。

言わされている訳ではなさそうだが、どこかゲッソリしているように見えるのは何故だろうか……。

 

「まあまあ、それくらいで。真鍋さん、響を連れてきてくれてありがとう。しばらくはこちらで預かるから、君の方は引き続き、里親を探してほしい」

 

「は、はい! すぐにでも見つけてきます! では、私はこれにて……。その……昨日の続きは……また……どこかで……」

 

「あぁ、必ず」

 

「で、では……」

 

真鍋さんは舌を出して笠谷君を煽った後、郵便室を後にした。

 

「さて……」

 

響は、目を見開き、俺を見ていた。

 

「聞いていた通りだ。お前のことは、俺がしばらく預かることになった。一緒に暮らす事になるから、荷物、まとめてこい」

 

響の表情が、一気に明るくなる。

無表情ではあるのだが、なんとなく、そんな気がする。

 

「フッ……そんなに嬉しいのか? 但し、条件があるぞ。それは……」

 

「雨海ッ!」

 

いいところに来たな……。

 

「鬼頭提督」

 

「今日こそ……んんっ!?」

 

鬼頭は響を見て、眉をひそめた。

 

「どうしました? 鬼頭提督……」

 

「いや……。間が悪いようだ……。失礼する……」

 

鬼頭は去っていった。

どうやら、真鍋さんがの言っていた通りのようだな……。

 

「ど、どういうことでありますか!? あの鬼頭提督が……何も出来ずに……」

 

「フッ……何故だろうな……?」

 

笠谷君には黙っておこう。

ウメちゃんの手紙の恨みだ。

 

 

 

家へと向かう車の中で、響に条件の説明をした。

 

「――という訳だ。鬼頭は子供が苦手のようでな。お前がいつも傍にいれば、奴は俺に近づけなくなる。つまり、条件ってのは、鬼頭から俺を守ること、だ。出来るか?」

 

響は鼻息を荒くしながら、何度も頷いた。

 

『実は……鬼頭提督は、駆逐艦のことが大好きなんです……。本当は、戦艦級ではなくて、駆逐艦を担当したかったくらいで……。でも、あの見た目ですし、駆逐艦からは恐れられ、泣かれてしまうこともあったそうで……。それがショックだったのか、駆逐艦を見る度に、泣かれてしまうのではと、避けるようになってしまったようで……』

 

ファンシーなハンカチを持っていることから、可愛いモノ好きではなかろうかとは思っていたが……。

ファンシー……か……。

 

「ファンシーで思い出したぜ。響、お前、茶碗とか箸とかあるか? うちに子供用はないぜ?」

 

首を横に振る響。

まあ、そらそうか……。

持ってきた荷物も、小さなリュックだけだったし……。

 

「仕方ねぇ……。行きたくはないが……。響、お前、泣くなよ?」

 

響はキョトンとしたまま、小さく頷いた。

 

 

 

「待ってたわよぉ! 響ちゅわ~ん」

 

マーブルは響を抱き上げると、頬擦りした。

 

「可愛いわ~! こういう子の為に、店をオープンしたのよぉ! 夢が叶ったわぁん!」

 

今日来ることも、響のことも知らないはずだ。

相変わらず、ナニモンだよこいつは……。

 

「マーブル」

 

「分かってるわ。子供の生活に必要そうなものは、あらかた用意したわよぉん。ついでに、可愛い寝巻きやお洋服も用意しちゃった!」

 

俺は、響に目を向けた。

マーブルに抱きかかえられた響は、心を殺すかのように、目をつむっていた。

 

 

 

まるで着せ替え人形のように、響は色々な服を着せられていた。

 

「可愛いわぁん……。本当、お人形さんみたい……」

 

おだてられ、まんざらでもなさそうな響。

頼まれてもいないのに、ポーズまでとっている……。

 

「響ちゃん、貴方のお父さんにも見せに行ったら? 似合うかどうか訊いてきなさいよ」

 

「誰がお父さんだ……」

 

響は小走りで駆け寄ると、俺をじっと見つめた。

 

「あぁ、可愛いよ。気に入ったのは全部買ってやるから、好きなだけ試着してこい」

 

そう言ってやると、響は俺に抱きついた後、マーブルの元へ戻っていった。

マーブルにビビるかと思ったが、案外平気そうだな。

これなら、鬼頭相手でも大丈夫そうだな。

 

 

 

家に着くと、響は早速、マーブルのところで買った茶碗などを棚に並べ始めた。

 

「気が早いな」

 

あてがわれた部屋も、すぐに響色に染めていた。

 

「定住する気満々だな……。言っておくが、鬼頭が諦めるまでだからな? もしくは、お前の里が見つかるまでだ」

 

響は反応を見せず、マーブルのところで買った絵本を読み始めた。

自由か、こいつ……。

 

「まあいい……。家政婦さんに風呂を沸かしてもらっといたから、お前、先に入れ」

 

そう言って、タオルを渡してやる。

響は絵本を置くと、俺をじっと見つめた。

 

「なんだよ?」

 

何も言わない響。

けど……。

 

「もしかして、一緒に入りたいのか?」

 

頷く響。

そういや、戦時中も一緒に入りたがったな……。

 

「駄目だ。もう一人で入れるんだろ? だったら……」

 

何度も首を横に振る響。

一人で入れないってことはないのだろうが……。

 

「…………」

 

まあ、まだ子供だしな……。

 

「分かったよ……。けど、一回きりだぜ」

 

響は頷くこともせず、嬉しそうにタオルを振り回していた。

 

 

 

風呂も食事も済ませると、響はうとうとし始めた。

 

「お前、眠いんだろ?」

 

絵本を読めとせがんできた響は、俺の膝の上で今にも眠りそうであった。

 

「寝るなら部屋で寝ろ。こんな所じゃなくて」

 

そう言っても、響は離れようとしなかった。

むしろ、より深く、俺に寄りかかった。

ポーラもそうであったが、やはり、まだまだ甘えたい時期なのかもな……。

 

「仕方ないな……。ほれ、布団に連れて行ってやる」

 

ポーラとは違い、軽々持ち上がる響。

体も温かくなっていて、いつ眠ってしまってもおかしくはなかった。

 

「っと……。ほら、眠るまで傍にいてやるから、服を放せ」

 

添い寝して見せると、響は安心したかのように頷き、ゆっくりと瞳を閉じていった。

やがて、寝息が聞こえてくる。

 

「やれやれ……」

 

ポーラの時にも思ったことだが、本当、まだまだ子供だな……。

 

「…………」

 

こんなに可愛い寝顔を見せる子供なのに、里親の連中は、どうして響に興味を示さないのだろうか……。

まあ、愛想がないのは確かだし、何考えているのか分からないし……。

でも……。

 

「んぅ……」

 

よく観察すれば、考えていることも分かるはずだし、たった数日一緒にいただけじゃ、こいつの魅力は――。

家出癖はあるが……それでも受け入れることができれば、きっと、響は……。

 

 

 

翌朝。

家の前が騒がしかったので、何事かと出てみると……。

 

「ポーラ?」

 

ポーラは、何やら袋を持って、俺の家の前に立っていた。

 

「あ、提督ぅ。おはようございまーす」

 

「お前、こんな朝早くからなにして……」

 

「雨海ッ!」

 

この声は……。

ポーラの後ろには、鬼頭が立っていた。

 

「お前ら……何してんだよ……」

 

「聞いてくださいよー! ポーラ、提督に朝ごはんを作ってあげようと思っていたんです! そしたら、この人が~!」

 

「フン! 貴様が朝食だと? 料理なら、私の方が得意だ! 雨海! 貴様、少し痩せていたな? 栄養が足らないと、作れるものも作れんぞ! これを食え!」

 

そう言うと、鬼頭は弁当箱らしきものを渡した。

 

「わざわざこれを届けに来たと……?」

 

「そうだ! どのタイミングで渡そうか迷っていたら、この泥棒猫が邪魔をしてきたんだ!」

 

「邪魔なのはソッチです! ポーラは、もっと前から居たんです! でも、提督はまだ寝てるかもと思って、エンリョしてたんです!」

 

「ほざけ! 私はもっと前からいたぞ!」

 

「ポーラは、そのもっと前からです!」

 

「どっちでもいい! 朝っぱらから騒ぐな!」

 

そんなやり取りをしていると、響が寝巻きのまま出てきた。

 

「アレ? 響ちゃん!?」

 

「ぐぉ……!?」

 

「響、起こしちまったか」

 

響は寝惚け眼をこすると、鬼頭を見て状況を理解したらしく……。

 

「シャー!」

 

それはまるで、猫――いや、レッサーパンダか?

とにかく、両手を上げ、鬼頭を威嚇し始めた。

 

「な、何故ここに駆逐艦が……。うぅ……可愛い……」

 

「シャー!」

 

「しかし……クソ……! ここは撤退だ……!」

 

鬼頭はそそくさと去っていった。

響は両手を下げると、キラキラした目で俺を見つめた。

褒めろってか……?

 

「よくやってくれたな、響」

 

響は満足そうに、撫でられていた。

その横――。

 

「で? お前は何故、しゃがんでいるんだ?」

 

「ポーラも褒めてください。ポーラも、貢献しました!」

 

「お前は騒いだだけだろ……」

 

「えー?」

 

撫でられる響は、ポーラに目を向けると、得意げにして見せた。

 

 

 

ポーラが持ってきた袋の中には、買ってきたのだというジャガイモと玉ねぎ、卵が入っていた。

 

「朝食作っちゃいますねー」

 

「この前と一緒じゃねぇか。つーか、勝手に上がり込んでいるし……」

 

響は鬼頭の持ってきた弁当箱に威嚇していた。

 

「受け取っちまったな……」

 

弁当箱を開けてみる。

なんと精力のつきそうな……。

 

『栄養が足らないと、作れるものも作れんぞ!』

 

え、あれってそういうことなのか?

 

「あー!? 提督ぅ! それ、食べるんですかー!?」

 

「え?」

 

「ダメです! これはボッシュ―です!」

 

ポーラは弁当箱を奪うと、持っていた菜箸を器用に使い、それを食い始めた。

 

「こんなもの……! うっ……!」

 

「ポーラ?」

 

飯を喉に詰まらせたのか?

水でも用意してやろうとした、その時……。

 

「お、美味しい……!」

 

「え?」

 

「これ、とっても美味しいです!」

 

バクバクと弁当を食うポーラ。

あっという間に平らげていた。

 

「う……」

 

そして、そのまま膝をついていた。

 

「負けました……。このお弁当には……勝てません……。およよ……」

 

そんなに美味かったのか……。

ちょっと食べてみたくなったじゃねぇか……。

 

「……俺はまだ食っていないんだが? お前が作らないのなら、鬼頭に頼もうかなぁ?」

 

それを聞いたポーラは、そそくさと朝食作りを再開した。

単純な奴……。

そんなポーラに、響は憐みの目を向けていた。

そんな目も出来るんだな、お前……。

 

 

 

ポーラの朝食は、まあ普通であった。

 

「どうですかぁ? 提督ぅ。お味噌を変えてみたんです」

 

「あぁ、普通に美味いよ」

 

「しょっぱくないですか? ジャガイモに火は通ってますか?」

 

「あぁ。でも、玉子焼きに卵の殻の破片が入っている」

 

響のものにも入っていたらしく、証拠だと言わんばかりに、ポーラへ見せつけていた。

 

「……いいんです! ポーラ、味で勝負してますから……!」

 

「でも、鬼頭に負けたと思っているんだろう?」

 

「ソデスケド……」

 

これ以上言うと、またイジケるからな……。

そろそろ褒めておくか……。

 

「けど、成長を感じるよ。味噌を変えるなんてな。こりゃ、どこの味噌だ?」

 

そう訊いた瞬間、何か嫌な予感がした。

 

「……気に入ったんですか? このお味噌……」

 

「え、まあ……。な、なんだよ……不気味な表情して……」

 

ポーラはニヤリと笑うと、味噌汁の椀を掲げ、言った。

 

「キギョーヒミツです……。このお味噌汁が飲みたいのなら、ポーラに頼むしかないです……」

 

そういうことか……。

 

「あっそ……。どうせ、陳さんに訊いたんだろ? 俺もそうしよ」

 

「ちちち、違います! 陳さんに訊いてもムダです……」

 

「訊くだけだよ。もしかしたら、何か知ってるかもしれんしな」

 

「ダ、ダメです! うぅ……提督ぅ……イジワルです……」

 

泣きそうなポーラ。

 

「わ、わかったわかった……。訊かないよ……。アーコノミソシルオイシイナー」

 

「むぅぅ……」

 

ふと、響を見ると、ポーラが持ってきた袋から、味噌を取り出し、俺に見せていた。

そこには、ガッツリと商品名らしきものが書かれていた。

 

「馬鹿……! 空気読めよ!」

 

急いで味噌を袋へしまう。

だが――。

 

「ポ、ポーラ! 俺は見てないぞ!? 何も見てないぞ!?」

 

「う……うぅぅ……! 響ちゃんのばかぁ……! うわぁぁぁぁん……!」

 

 

 

辺りには、ぬいぐるみが散乱していた。

全て、響がポーラを慰めようと、自室から持ってきたものであった。

 

「うぅぅ……ぐしゅ……」

 

鼻水を垂らすポーラを一生懸命ぬいぐるみであやそうとする響。

皿洗いを終えた俺は、不安そうにする響の頭を撫でてやった。

 

「響、ぬいぐるみ片付けとけ。後はまかせろ」

 

響は申し訳なさそうにぬいぐるみを抱えると、自室へと戻っていった。

 

「駆逐艦にあやされる奴があるか……」

 

そう言って、頭を撫でてやる。

 

「だってぇ……」

 

「まあ……お前の魂胆は分かるよ……。それが上手くいなくて、泣くとは思わなんだが……」

 

「うぅ……」

 

ポーラは、洗われた鬼頭の弁当箱へ目を向けた。

 

「ポーラには……何もないですから……」

 

「え?」

 

「ポーラ……このままだと……提督に見放されちゃいます……。ポーラにしかできないこと……何か欲しいんです……。そうじゃないと……ポーラは……」

 

そんなこと考えてたのか……。

だから、あんなことを……。

 

「そういや、前にも似たようなこと言ってたな……。見放さないと言ったろ……」

 

「でも……」

 

まったく……。

 

「お前がお前らしくあれば、それでいいよ。それが、お前にしかできないことだ」

 

「ポーラがポーラらしく……?」

 

「まあ、直してほしいところはたくさんあるが……それでも……」

 

ふと、旅行なのだと、はしゃいでいたポーラを思い出す。

 

「フッ……」

 

「提督……?」

 

「もっと自分らしく振舞えよ。俺は、お前が笑っている時の顔が一番好きだ」

 

「え……」

 

「だからって、ヘラヘラすんなよ? ヘラヘラと笑顔は違うんだぜ。お前はいつもヘラヘラしているから、仕事も見つからないんだ。せっかく可愛いんだから、もっといい笑顔を見せろよな」

 

「え……え……?」

 

「なんだよ? なんか変なこと言ったか?」

 

「提督……ポーラのこと……好きなんですか……?」

 

「笑顔の話な? 普段は憎たらしい顔しているなと思っているよ」

 

そう言って、ポーラの頬をつねってやった。

 

「い、いふぁいえふー!」

 

「元気出たか?」

 

そう訊く俺に、ポーラは何故か、恥ずかしそうに俯き、小さく頷いた。

 

「だとさ。響」

 

響は申し訳なさそうに――怒られることを覚悟した犬のように、恐る恐る歩いてきた。

 

「悪気はなかっただろうし、正直、俺もお前が悪いとは思っていないが……。一応、言うことあるよな?」

 

響は頷くと、小さく言った。

 

「ごめんなさい……」

 

「響ちゃん……。ポーラの方こそ、ごめんなさい……。あんなことで泣いちゃって……ビックリしましたよね……?」

 

答えない響を俺は抱き寄せた。

 

「ビックリしたよな? なんだこいつってさ」

 

「そうなんですか……?」

 

全力で否定する響。

にもかかわらず、無表情なのがちょっと面白い。

 

「そういえば、どうして響ちゃんがいるんですか?」

 

「今更だな……」

 

俺は、ポーラにすべてを説明してやった。

 

「ズルいです! ポーラも、提督と一緒に暮らすー!」

 

「駄目だ」

 

「どうしてですかー!?」

 

「前にも説明したろ……。つーか、お前がいると、鬼頭の燃える心に薪をくべるようなもんだ……。今朝がそうだったろ……」

 

「そうかもですけどー!」

 

ポーラが響を見る。

響は得意げに、鼻を鳴らした。

 

「むぅ……! だったらいいです! ポーラもオニガシラさんから提督を守りますから!」

 

「いや、だから、それをするとだな……」

 

「勝てばいいんです! 提督にふさわしいのは、ポーラだってことを証明します!」

 

何を言ってるんだこいつは……。

まあ、こっちには響がいるし……。

 

「勝手にしろ……。くれぐれも、邪魔だけはしないでくれよな……。あと、郵便室の仕事は怠るなよ?」

 

その日から、地獄のような生活が始まった。

まず、毎朝必ず、ポーラと鬼頭はやってきた。

 

「いつもいつも同じ食材ばかりではないか! 雨海の体を労わるのなら、もっと栄養価の高いものを食わせなければならんぞ!」

 

「なるほど!」

 

こんな調子で、毎日毎日やってきては、最終的に響が現れ、鬼頭が帰ってゆくのを繰り返している。

また、朝以外にも――。

 

「雨海ッ!」

 

「うわ!? 鬼頭……」

 

「ポーラはいないし、響ちゃんも居ないようだな……。今がチャンスだ……」

 

そう言うと、鬼頭は弁当箱を渡した。

 

「昼食だ! 貴様は度々、昼食を抜いているだろう? それでは体力が持たんぞ。量はあまり多くしなかったから、せめて栄養価の高いものを食え!」

 

「お、おう……」

 

そこへ、トイレへ行っていた響が帰ってきた。

 

「シャー!」

 

「うぐ……!」

 

響はウィンクすると、鬼頭の前に立ちはだかった。

今のうちに逃げろ、と……。

 

「すまん、響!」

 

「雨海! ぐぬぬ……わ、私だって……いつまでも逃げてばかりではないぞ……!」

 

俺は、鬼頭から逃げ続けた。

 

 

 

そんなことが数日続いたある日。

 

「あー! 提督ぅ! どうしてオニガシラさんのお弁当を食べているんですかー!?」

 

「ん? あぁ……。なんか、最近、お前が美味そうに食ってるから、食べてみようと思ってな。いつもは、笠谷君にあげているのだが……」

 

「ダメですよー! 昼食もポーラが作りますから!」

 

「流石に朝昼同じメニューは嫌だよ……」

 

しかし、マジで美味いな……。

程よい味付けだし、昼食を抜くことが多い俺の為に、程よい量で作ってきてくれている。

 

「最近は、響の分も作ってくれているんだよ。な、響?」

 

響は口いっぱいにケチャップをつけながら、何度も頷いた。

 

「むぅ……! ポーラだって、玉子焼きや味噌汁だけじゃないんですよ!? 最近はザラ姉さまにも教えてもらっているんですから!」

 

「ザラに? お前、まさか、ザラの邪魔をしているんじゃないだろうな?」

 

「してません! もう! 少しはキキカンを持ってください!」

 

ポーラはプリプリと怒りながら、仕事へと戻っていった。

 

「うーむ……」

 

確かに、少しは危機感を持った方がいいか?

最近は、鬼頭が現れても、あまり驚かなくなったというか、普通に接しているというか……。

 

「雨海」

 

噂をすればなんとやら……。

 

「鬼頭」

 

「今日の弁当はどうだ? 美味いか?」

 

「……普通だ」

 

「フフ、それは良かった」

 

鬼頭は、威嚇する響に目を向けた。

 

「今日も元気に威嚇しているな。弁当、美味かったか?」

 

響は困惑しながらも、小さく頷いていた。

 

「鬼頭、お前……響を克服したのか……?」

 

「いや……まあ……まだ苦手ではあるというか……。ほら、この子は、私のことを怖がらないから……。それに、私は仲良くなりたいんだ。雨海、貴様とは関係なくな」

 

確かに、響の弁当には、響好みの物ばかり入っているし、ここ最近の鬼頭は、響から逃げず、むしろ響の方が痺れを切らして撤退していたようだった。

 

「それと……ここ数日、貴様への態度について、色々考えていてな……」

 

「俺への態度……?」

 

「再会した時、色々と気持ち悪いことを言ってしまったと反省してな……。声もうるさいし、迷惑だったかもしれないと……。だから、最近は声を小さくする訓練をしているんだ。自分の欲望も、なるべく抑えるよう努めている」

 

確かに、声は控えめになっているし、何よりも普通の会話ができている。

つーか、俺も普通に会話を……。

 

「これからは、急に訪問することは控えるつもりだ。雨海、私は、貴様の……いや、貴方のことが、本気で好きなんだ。なるべく、貴方好みになるよう努めるつもりだし、嫌なところがあったら、遠慮なく言ってほしい……。だから……その……」

 

なんだよ、その表情は……。

なんだよ、その純粋な気持ちは……。

 

「……弁当、美味かったよ。弁当箱、洗って返すから……その……また取りに来いよ……」

 

嗚呼、駄目だ……。

俺は、こういうのに弱いんだ……。

クソ……。

 

「……あぁ! ありがとう、雨海……。私、頑張るから……」

 

「…………」

 

「じゃあ……。響ちゃんも、またね」

 

手を振り去ってゆく鬼頭。

響は、じっと俺を見ていた。

 

「……マズいな。これは……」

 

 

 

気が付くと、俺はマーブルの店へ出向いていた。

 

「いらっしゃい。来ると思っていたわ。今日は響ちゃん、いないのね」

 

「検査でな。分かっていただろう」

 

「んふ」

 

マーブルは店の奥にあるバーのような雰囲気の場所へと俺を案内した。

 

「ここに来るのは久々だな」

 

何か困ったことがあると、不思議とここへ来てしまう。

酒は並んでいるが、お店ではない。

完全にマーブルの趣味の部屋である。

 

「車じゃないんでしょう? ウィスキーでよかったかしら?」

 

「あぁ」

 

マーブルと乾杯し、ウィスキーをなめる。

 

「強いな。でも、美味いよ」

 

「良かった」

 

マーブルは、俺の言葉を待っているようであった。

 

「……わざわざ話させるのか? 分かっているんだろ?」

 

「自分で言葉にする必要があるのよ。言いたくないのなら、言わなくてもいいわ。私も、答えるつもりはないから」

 

だよな……。

俺は、マーブルにすべてを話した。

 

「――気が付いたら、ここにいたよ。正直、何に困っているのかも分からない……。マズいことになっているという感覚だけがあるんだ……」

 

「なるほどね」

 

マーブルは微笑むと、酒を呷り、言った。

 

「貴方は臆病なのよ。女を誑かしている癖に、敵にすることを恐れている」

 

「敵にすることを……?」

 

「振るのが怖いのよ。勝手に諦めてほしい……そう思っているのでしょう?」

 

振るのが怖い……。

 

「優しいのでは無く、臆病なだけ。あのご令嬢を振った時、貴方は何を感じ、何を後悔したの? 必要なのはなんだったの?」

 

「…………」

 

「貴方が本当の優しい人になりたいのなら、自分が傷つくことを恐れてはいけないわ」

 

そう言うと、マーブルは更に酒を呷った。

 

「戦場も同じだった……。『鬼神』と呼ばれた私は、血も涙もないと言われていたけれど……自分ではそう思わなかった……」

 

マーブルは、悲しそうな目で俺を見た。

 

「相手を苦しませないようにするには、全力で挑むことが大事なの……。恋愛も同じよ……。だからこそ……貴方が羨ましい……。同じなら……私も、そっちが良かったなって……」

 

「マーブル……」

 

そうか……。

軍人を辞めたのも、こんな店を持ったのも……。

 

「後悔しているか……? 全力で挑んだことを……」

 

「してないわ。それに、そうじゃないと、失礼でしょう?」

 

「フッ……今のお前の姿こそ、失礼にあたるだろうに……」

 

「貴方だったら、そのままでいられた?」

 

俺は、何も言えなかった。

 

「これが私よ。後悔を恐れてはいけないわ。後悔を乗り越えて、自分らしさを手に入れること。それが大事だと、私は思っているわ。だから、後悔は無い」

 

「強いな……」

 

「貴方にもなれるわ。そうなる為に、ここへ来たのだから」

 

そういうつもりは無かったのだが、マーブルに言われると、そんな気もしてくる。

 

「……ありがとう、マーブル。もう行くよ」

 

「もういいの?」

 

「あぁ。また、響やポーラと一緒に来るよ」

 

「可愛い物、たくさん入荷しておくわ」

 

「頼んだ。あぁ、それと……」

 

「?」

 

「俺は、お前を鬼神だなんて思っていないぜ。誰よりも強いのは確かだが……誰よりも優しい奴だと思っている。きっとそれは、戦場でもそうだったんだろうと思うし、そう思われていたんだろうとも思っている」

 

「…………」

 

「お前が後悔していないと言うのなら、それでいい。望んでそうなったのも、本当だと思う。けど……」

 

俺は伏せられた写真立てを起こした。

そこには――。

 

「間武瑠を許してやれよ、マーブル……。それが出来ないのなら、俺がお前を許してやる……。そして……」

 

いや、これ以上は野暮だろう。

俺はそのまま、店を後にした。

 

 

 

響を迎えに行こうと、本部へ戻ると……。

 

「雨海」

 

響と鬼頭が、一緒に遊んでいた。

 

「すまない。遊んでもらっていたんだ」

 

「……完全に克服したな」

 

「いや、彼女が受け入れただけだ。それでも、なんだか嬉しいよ」

 

そう言うと、鬼頭は微笑んだ。

その表情を見て、俺は――。

 

『貴方が本当の優しい人になりたいのなら、自分が傷つくことを恐れてはいけないわ』

 

「鬼頭、話が――」

「――分かっている」

 

鬼頭は響を撫でると、小さく言った。

 

「響ちゃんと話した。貴方が、どうして響ちゃんと暮らしているのか……その理由も知った……」

 

俺は、響に目を向けた。

響は、じっと、鬼頭を見つめていた。

 

「……そうか」

 

「そんな顔をするな。本当は、分かっていた……。しかし、知っているだろう? 私は、諦めが悪い。響ちゃんの話を聞いても、諦めるという選択はない」

 

何故か、その言葉に救われた気がした。

マーブル……。

俺はまだ、お前のようになれそうにはないらしい。

 

「……雨海」

 

「なんだ……?」

 

「チャンスをくれないか……? 一日だけでいい……。私に……時間をくれないだろうか……?」

 

そう言って、俺を見つめる鬼頭は、どこか――。

 

「ここ数日、私は、貴方に好かれようと努力してきたつもりだ……。その成果を……貴方に見せたいのだ……。全力でぶつかりたいのだ……。それでも駄目なら……大人しく引き下がろう……。だから……」

 

深々と頭を下げる鬼頭。

 

「鬼頭……」

 

頭を下げる隣で、響もまた、頭を下げた。

なるほど……。

 

「まさか、響まで味方するとはな……」

 

「…………」

 

「分かった……。お前が全力で来るというのなら、俺もそれを受け入れよう。それが、戦場での礼儀だ。そうだろう?」

 

「……流石は私が見込んだ男だ」

 

「全力で来いよ、鬼頭。全力で振ってやるから」

 

「無論、そのつもりだ。尤も、お前に私が振れるかな? 今の私は、そんじょそこらの女子よりも、一番『女』をしているぞ」

 

そう言って笑う鬼頭に、俺もまた、笑うことができた。

 

 

 

翌日。

『果たし状』と書かれた手紙の中には、遊園地のチケットが二枚入っていた。

 

「『――日に遊園地にて。鬼頭』か……。フッ、あの人らしいな……」

 

響も連れてきてほしいと書かれている。

二枚のチケットは、そういうことか。

 

「もちろん、行くだろう?」

 

響は何度も頷いた。

その隣、頬を膨らませているのは……。

 

「なんだよ、ポーラ?」

 

「提督……どうしてオニガシラさんとデートするんですか……?」

 

「仕方ないだろ……。奴は本気だ。全力で挑んでくる相手には、全力で相手をする。そう決めたんだ」

 

「……ポーラも行きます」

 

「なんでだよ?」

 

「何されるか分かりませんから……。提督を守らないと……」

 

「気持ちは嬉しいが、今回は遠慮してくれ。響もいるし、子供の前で変なことをする人じゃないはずだ」

 

「そうかもしれませんけど……」

 

「それとも、単純に遊園地へ行きたいのか? だとしたら――」

「――もういいです……」

 

そう言うと、ポーラは帰ってしまった。

本気で心配していたということだろうか。

だとしたら、悪いことをしてしまったな……。

 

 

 

約束の日は、快晴であった。

 

「いい天気だな」

 

響は、マーブルで買った鞄を見せびらかすように、何度もくるくる回っていた。

 

「……来たな」

 

遠く、手を振る女。

鬼頭は、地味な洋服でやってきた。

 

「よう。てっきり、派手な洋服で来るもんだと思っていたぜ」

 

「こっちの方が、貴方好みだろう?」

 

鬼頭は響を見た。

響は見せつけるように、背中を見せた。

 

「可愛い鞄だな。今日はよろしくね、響ちゃん」

 

鬼頭が手を差し出すと、響は手を握り、残った片方の手を、俺に差し出した。

 

「雨海」

 

「……分かったよ」

 

手を握ってやると、響は楽しそうにジャンプした。

 

 

 

遊園地は、一日で全ての乗り物に乗れるほどの広さしかなかった。

 

「しかし、遊園地なんて、またベタな」

 

「響ちゃんが行きたがっていたからな。初めて来たんだよね?」

 

響は何度も頷いていた。

 

「そうなのか」

 

「というよりも、おそらく、響ちゃんにとって、ほとんどが初めての体験になるのではないか? 水族館も、動物園も――終戦してから、里親と出かけたことも無いと聞くし……」

 

そうだった……。

ポーラもそうであったが、こいつは、ポーラ以上に――。

 

「……なら、今日はたくさん楽しまなければな」

 

「雨海……」

 

「あくまでも、響の為に、だからな。調子に乗るなよ?」

 

「あぁ、分かっている。でも、少しは浮かれていいだろう? ようやく、貴方と一緒に出かけることが出来たのだから。私の夢が、一つ、叶ったのだから……」

 

そう微笑む鬼頭に、思わず――。

 

「……まずは、何に乗ろうか」

 

 

 

乗り物は、そこまで面白いものではなかったが、それでも響は楽しんでいるようであった。

 

「響ちゃ~ん」

 

一人でメリーゴーランドに乗っている響は、無表情のまま、手を振っていた。

 

「楽しいのなら、笑えってんだよ……」

 

「私には、微笑んで見えるぞ?」

 

「え?」

 

「少しだけではあるが、口角が上がっている。分からんか?」

 

よーく響を見てみる。

口角が上がっている?

どこが?

 

「よく分かるな……」

 

「分かるさ。そうでなくとも、楽しんでいるのは分かるだろう?」

 

「まあな」

 

「……響ちゃん、ずっと、貴方と遊びたがっていたんだぞ」

 

「え?」

 

「でも、貴方に迷惑をかけられないと、気を遣っていたようなんだ」

 

「響から、そんな話を?」

 

「あぁ」

 

あの響が、自分の事を……。

 

「信頼されたんだな、あいつに」

 

「そうなのだろうか?」

 

「俺はそんな話、されたことない。そもそも、普通の会話だってままならんのだぞ」

 

「それはきっと、会話などせずとも、心が通じ合っている証拠なのでは?」

 

「だとしたら、あいつが里親の元を離れる理由とか、あいつがどうしたいのかとか、分かるはずだろう。俺は未だに、あいつがどうしたいのか分からないし、どうすればいいのかも分からんのだ……。それに比べたら、お前は凄いよ。本当、お前のような奴に……」

 

そうか……!

 

「鬼頭……お前、響の里親にならないか?」

 

「え?」

 

「そうだよ! 何故、考えつかなかったんだ! お前ほどの理解者なら、響も満足だろう! お前だって、あいつのことが好きだろう?」

 

「そ、そうだが……。しかし……」

 

「不満か?」

 

「い、いや! 不満なんて無い! もし、一緒に暮らせるのなら……私にとっても、嬉し事だ……」

 

「だったらいいじゃないか」

 

「でも……あの子は……」

 

その時、どこで貰ってきたのか、風船を持った響が、こちらへ駆けてきた。

 

「おう、楽しかったか?」

 

頷く響。

 

「響ちゃん、風船貰ったんだね。どこで貰ったの?」

 

響の指す先に、風船を持った着ぐるみが歩いていた。

 

「私も貰おうかな? 響ちゃん、一緒に来てくれる?」

 

響は頷くと、鬼頭の手を引き、着ぐるみの方へと歩き出した。

その姿は、親子そのものであった。

 

「豈図らんや、鬼頭が里親にふさわしいとは……」

 

しかし、あまり乗り気じゃなさそうなのは、一体……。

 

 

 

それからも、鬼頭の手作り弁当を食べたり、全ての乗り物に乗るのだと意気込む響に連れまわされたりと、遊園地を満喫した。

 

「はぁ……疲れたぜ……」

 

空はすっかり夕焼けに染まっていた。

ベンチへ座り込む俺に、響は水筒のお茶を注ぎ、渡した。

 

「ありがとう」

 

鬼頭は、お手洗いの為、席を外していた。

 

「……なあ、響。お前、鬼頭の事、どう思う?」

 

響は何も言わず、じっと俺を見ていた。

 

「いい奴だよな? お前のこともよく分かっているし、何よりも、お前と仲良くなれている。色々、相談したんだろ? お前自身のこと」

 

頷く響。

どこか恥ずかしそうに見えるのは、気のせいだろうか。

 

「もし、鬼頭が里親だったら、どうだ? きっと、毎日が楽しいんじゃないのか? 鬼頭も、お前と一緒に暮らせるのなら嬉しいと言っていたし……。お前さえよければ……」

 

その言葉に、響は……。

 

「響?」

 

「響ちゃんは、私の元へは来ないよ」

 

鬼頭は、買ってきたのだという飲み物を俺に渡すと、ベンチに座り、響の頭を撫でた。

 

「……どういうことだ?」

 

「そのままの意味だ……。そうだよね、響ちゃん?」

 

響は水筒をギュっと抱きしめると、俯いてしまった。

 

「私も、響ちゃんの里親になれるのなら、なりたいんだ。響ちゃんにも、そのことを伝えたこともある……。でも、響ちゃん……本当は……」

 

俯く鬼頭。

そして、何かを決意するかのように顔を上げると、顔を赤くして、俺に言った。

 

「雨海……私は……貴方が好きだ……。貴方と恋人になりたい……。今は好きになってくれなくても、いずれは、貴方に好きと言ってもらいたい……。その為なら何だってするし、いつまでだって待てる自信がある……」

 

「…………」

 

「正直に答えてほしい……。私に……そのチャンスはあるだろうか……? 私に……そのチャンスをくれないだろうか……?」

 

俺を見るその瞳は、乙女そのものであった。

麗しく、純粋で――。

でも――。

 

「……確かに、お前は魅力的な女性になった」

 

『自分が傷つくことを恐れてはいけないわ』

 

「けど……ごめん……。俺が、お前を好きになることはない……。良い友人になれても……恋人にはなれない……」

 

心が痛む。

だが、それ以上に痛みを感じているのは――。

 

「……そうか」

 

鬼頭は微笑むと、ベンチに深く腰かけた。

 

「そうか……。そうか! 全力を以てしても、貴方を射止めることはかなわんか!」

 

「…………」

 

「いやぁ、良い負けっぷりだ! なんだか清々しいぞ! 雨海!」

 

高笑いする鬼頭の表情が、徐々に崩れてゆく。

 

「鬼頭……」

 

「ハハハ……駄目だな……。雨海……悪いが……一人にしてくれないか……」

 

ここで慰めては、鬼頭は……。

そう思い、席を立ったが……。

 

「響?」

 

響は、そっと、鬼頭に寄り添っていた。

 

「響……ちゃん……」

 

鬼頭は、響に慰められながら、大声で泣き出した。

雄叫びのような泣き声が、閑散とし始めた園内に響き渡る。

 

「響……」

 

響は小さく頷くと、ギュっと鬼頭を抱きしめていた。

俺は何も言わず、しばらくの間、その場を離れることにした。

 

 

 

日が沈み、園内がライトアップし始めると、どこに隠れていたのか、辺りはカップルだらけになっていた。

 

「もう大丈夫か?」

 

鬼頭は泣き止んでおり、響と一緒に談笑していた。

 

「あぁ、すまなかった。泣いてスッキリしたよ」

 

「そうか……」

 

響は相変わらず、無表情であった。

 

「ライトアップ、綺麗だな」

 

「あぁ……」

 

いつだったか、海外で見た遊園地に比べたら、あまりにも――。

それでも、今は――。

 

「……告白が成功していたら、響ちゃんの里親になるつもりだったんだ」

 

「え?」

 

「本当は、里親になりたくて仕方がなかった……。ずっと……子供が欲しかったし……恋人ができることもないだろうと思っていたから……。でも……」

 

鬼頭は、響を見た。

 

「響ちゃん、ここからは、貴女の言葉で説明して。大丈夫。私も勇気を出したけど――上手くいかなかったけど――後悔はしていないから……」

 

優しい鬼頭の表情に、響は――。

 

「響?」

 

響は――。

 

「お前……」

 

眉が下がり、今にも泣き出しそうな表情で、俺を見ていた。

 

「――……」

 

見たことがない表情に、何故か胸が締め付けられる。

そして――。

 

「司令官……」

 

震える唇。

今にも零れそうな涙。

 

「私……本当は……司令官と一緒に居たいんだ……。司令官と一緒に……っ……暮らしたい……うぅぅ……」

 

ボロボロと溢れる涙。

嗚咽。

いつもの響からは想像もできないほどの――。

 

「雨海」

 

固まる俺に、鬼頭は微笑みながら言った。

 

「響ちゃんがどうして、里親の元を離れようとするのか……。その理由に、貴方と一緒にいたいという気持ちがあったようなのだ」

 

「俺と……一緒に……?」

 

「でも……言えなかったんだよね……? 貴方はそういうのを嫌がるだろうし、断られるのが怖かったみたい……。何度も何度も、貴方を諦めようと、里親の元へ行こうとした。けど……」

 

俺は、響に目を向けた。

 

「俺に……気を遣ったと……?」

 

響は、何度も首を横に振った。

 

「違わないだろう、響ちゃん。もう、気を遣わなくていいんだよ。ここまで来たら、本音でぶつからないと、ね?」

 

そう言われると、響は涙を拭いて、再び俺を見つめた。

 

「響……」

 

「司令官が……一生懸命……私の為に……里親を見つけてくれるのを見たら……っ……言い出せなくて……。本当は……うぅぅ……司令官と離れたくなくてぇ……。離れると……寂しくなって……いてもたっても……いられなくて……うぅぅ……ごめんなさいぃぃ……! うぁぁぁぁぁぁん……!」

 

鼻水が垂れるのもお構いなしに、感情を爆発させる響。

謝罪の中に、一体どれだけの『気遣い』が含まれているのか。

一体どれだけの『不安』が含まれているのか――。

 

「雨海」

 

「鬼頭……」

 

そうか……。

だから、この人は俺に――。

 

「……優しいんだな」

 

「惚れてくれたか?」

 

「あぁ……カッコいいよ……」

 

その意味が分かっているのか、鬼頭は優しく微笑んだ。

 

「なら、次は貴方が漢を見せる番だ」

 

漢を……か……。

 

「響……」

 

「司令……官……」

 

「俺は……」

 

響は、俺の口をふさいだ。

 

「いいんだ……」

 

「え?」

 

「もう……大丈夫……。自分の気持ちを言えたから……それで満足だよ……」

 

微笑む響。

だが――。

 

「また、気を遣おうってか……?」

 

「そうじゃないよ……」

 

『貴方が本当の優しい人になりたいのなら――』

 

「……分かった。なら、俺も、もう気を遣わない」

 

「え……?」

 

「響、俺はな、お前が邪魔で仕方がなかったよ」

 

「……っ」

 

「雨海ッ!」

 

俺は、鬼頭を睨みつけた。

それをどう受け取ったのかは分からないが、鬼頭は閉口した。

 

「何考えているのか分からないし、何も言ってくれないし……。里親に出そうものなら、逃げてきてしまうし……。その度に、俺は里親にも上層部にも叱られて……。お前の里親を見つけようと、何度も何度も面倒なことをして……。うんざりだった……」

 

「…………」

 

「でも……一番うんざりだったのは……そんなお前の気持ちを理解できない、俺に対して……だったよ……」

 

そうだ……。

俺は……。

 

「俺は、お前の提督だ……。お前がドロップされた日から、ずっとお前を見てきた……。なのに、俺は、お前のことを何一つとして理解してやれなかった……。お前も、それが分かっていたから、俺に何も言わなかったのだろう……?」

 

首を横に振る響。

 

「違わないさ。お前が里親から何度も帰ってきてしまうところで、本当は気付くべきだったんだ……。そうでなくとも、叱るように問い詰めるのではなく、もっと寄り添って訊くべきだった……。お前をそうさせてしまったのは、俺だ……。お前を苦しめたのは……俺だ……」

 

「違うよ……私が――!」

「――だから」

 

俺は、響にまっすぐ向き合った。

 

「だから……俺に里親は無理だ……」

 

「司令官……そんなこと――!」

「――だから!」

 

俺は頭を下げ、言った。

 

「お前に里親ができるまででいい……。生活を共にする中で、お前のことを教えてほしい……」

 

これが、精一杯。

里親になってもいいと、心を動かされた。

でも、本当にそれで良いのかと――響の為になるのだろうかとも思った。

 

『貴方が本当の優しい人になりたいのなら――』

 

だったら、断るべきなのだろう。

けど――。

 

「司令……官……」

 

マーブル……俺はつくづく弱い人間だと思い知らされたよ……。

弱くて、臆病で――。

それでも……。

 

「帰ろう、響……。俺たちの家に……」

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁん……!」

 

響は大声で泣くと、俺に抱きついた。

 

「響……」

 

それでも、今は、これでいいよな……?

それを受け入れてくれる人がいるのなら、それに甘えてもいいよな……?

弱くて、臆病で――なのだから……。

 

「ごめんな……。これからは……たくさん話そう……。たくさん笑って――泣いて――……。そして……」

 

そして、いつか――。

 

「うわぁぁぁぁぁぁん……! わぁぁぁぁぁぁん……!」

 

いつまでも泣き続ける響を抱きしめる。

小さい体に感じる、大きな不安。

安堵に反するような、大きな泣き声。

その全てが、何故か愛おしい。

されど、心の奥底に、これまでに感じたものや、これから感じるであろうものが残っているのも事実で――消えはしないが、それでも――。

 

「それでも……」

 

それでも、今は――。

 

 

 

響が泣き止むと、鬼頭は安心したように微笑み、立ち上がった。

 

「さて……私も、帰るべき場所へと帰るかな」

 

「え?」

 

「振られてしまったしな……。私も、次へ進まなければならない。貴方を諦めたからといって、恋愛を諦めるわけではないからな」

 

そう笑う鬼頭は、どこかスッキリとした表情を見せていた。

 

「雨海……貴方は、私にとって初恋の人だった……。振られてしまったが、後悔はしていない……。むしろ、これで良かったのだと思っている。本気でぶつかった結果、女として成長できたからな」

 

「鬼頭……。あぁ、お前は女らしくなったよ。俺以外であれば、惚れていただろう」

 

「フフ……手ごわいな、貴方は……」

 

鬼頭は、じっと、俺を見つめた。

 

「雨海……。最後に……恋をした乙女の願いを……一つだけ……叶えではくれないだろうか……?」

 

「なんだ……?」

 

「ギュッと……抱きしめてほしい……」

 

その表情は――。

 

「……あぁ」

 

そっと、抱きしめてやる。

『筋骨隆々』という言葉が、脳裏に浮かぶ。

けど、それ以上に――。

 

「……っ」

 

これを押し殺し、涙する彼女が愛おしくて――。

それでも、俺は、この人を離さなければならない。

それが、優しさだと思ったから――。

 

「鬼頭……」

 

強くなる惜別の念にも別れを告げるよう、俺は、小さく言った。

 

「グッド・バイ……」

 

 

 

鬼頭を見送った後、響が、もう一度園内を回りたいのだと言い出した。

 

「なんでだよ? もう遅いし、もうすぐ閉園時間なんだから……」

 

響は、遠くにある観覧車を指した。

 

「あれに乗りたいのか?」

 

何度も頷く響。

確かに、あれはまだ乗っていなかったな……。

 

「……分かったよ」

 

俺が了承したのを確認すると、響は急に走り出し、建物の陰から何かを引っ張り出した。

それは――。

 

「ポーラ……?」

 

ポーラは、変な動物耳のカチューシャを着けた姿で、響に手を引かれていた。

 

「……お前、こんなところで何してんだよ?」

 

「あー……えーっと……。提督を守りたくてぇ……そのぉ……コッソリついてきちゃいました~……なんて……」

 

つーか、何エンジョイしてんだよ……。

 

「……いつから付いてきていたんだ?」

 

「エト……サイショカラデス……」

 

「最初からって……。は? どういうことだ? どうやってここへ?」

 

「ですからぁ……。そのぉ……提督の車にですね? 荷物のところが……空いていたのでぇ……」

 

マジかよ……。

 

「じゃあ、なんだ? お前、ずっと車の荷室に居たのか?」

 

「はいぃ……」

 

全く気付かなかった……。

俺は、響を見た。

 

「まさかとは思うが……」

 

響は、わざとらしく無表情をつくっていた。

 

「はぁ……お前ら……」

 

「スミマセン……」

 

確かに、付いてきたそうにはしていたが……。

 

「でも……良かったです……。提督に何もなくて……。心配だったんですよ……?」

 

「……その割には、ずいぶん楽しんでいたようだが?」

 

カチューシャを取り上げ、響に装着してやる。

 

「これは……オニガシラさんが良い人だと分かって……安心しちゃって……」

 

「安心だと分かったのなら、さっさと帰れよ……」

 

「そうですけど……」

 

何故か拗ねるポーラ。

 

「……まあ、帰るにしても、お前に帰り方が分かるはずないもんな?」

 

「分かりますよ! 多分……」

 

多分って……。

 

「まあいいや……。せっかくだし、お前も乗っていくか? 観覧車」

 

「いいんですか?」

 

「その為に引っ張り出してきたんだろ?」

 

そう言って、強く頭を撫でてやると、響は頭を押さえながら頷いていた。

 

 

 

「わぁ~! 綺麗ですね~」

 

ポーラと響は、観覧車の窓に引っ付き、景色を眺めていた。

 

「あんまり動くなよ。揺れるから」

 

「提督も見てくださいよぉ。どうして見ないんですか? 景色」

 

「つまらん景色だからだ。低いし、ライトアップもしょぼいし……。海外で乗った観覧車の方が、もっと良かった」

 

「モリサガルこと言いますねー……。オニガシラさんの時は、綺麗だって言ってたじゃないですか……」

 

「俺は言っていない。綺麗だと言うから、適当に返事しただけだ。つーか、その会話も聴いていたのかよ……」

 

ポーラは座りなおすと、退屈そうにする俺に目を向けた。

 

「なんだよ?」

 

「提督、オニガシラさんの事……好きになりましたか……?」

 

「はぁ?」

 

「オニガシラさんに『コイビトにはなれない』って言った時の提督……なんだか辛そうでした……。本当は好きだけど……コイビトになれない理由があるのかなって……」

 

ポーラは何故か、悲しそうな表情をしていた。

 

「別に……。理由なんてない。ただ、女性を振るってことに、慣れていないだけだ……」

 

「そうなんですか?」

 

「あぁ……」

 

「辛かったですか……?」

 

「……あぁ」

 

「それだけ……オニガシラさんの事……大事に想えるようになっていましたか……?」

 

その質問に、俺は答えることができなかった。

永い沈黙が続く。

 

「おわ!?」

 

突如、響が俺の膝の上に座ってきた。

そして、変な動物耳のカチューシャを俺に着けた。

 

「アハハハハ! 提督ぅ! 全然似合わない―!」

 

大笑いするポーラ。

響は鼻で笑っていた。

こいつら……。

 

「フッ……」

 

けど、なんだか救われたような気持ちになった。

まさか、それを分かっていて、響は――。

 

「司令官、お手」

 

「アーッハッハッハッハッハー! お腹! お腹痛いです!」

 

「…………」

 

 

 

車に乗り込むと、響はすぐに眠ってしまった。

 

「寝ちゃいましたね」

 

「あんだけ遊び、あんだけ泣いたからな……」

 

そんな響の頭をポーラは優しく撫でていた。

 

「提督、響ちゃんと一緒に住むことにしたんですね」

 

「里親が見つかるまでな……」

 

「何でですかー……。里親になったらいいのに……」

 

「色々あんだよ……。それに、自分で言うのもなんだが、俺は素行が悪い。響の教育に悪いだろ……」

 

「それは、おうちに女の人を呼んだり、ですか……?」

 

「まあ、そういうのもあるな……」

 

つーか……そうか……。

響を引き取ると、もう、誰かを呼んで遊ぶことも出来ないのか……。

 

「じゃあ、もう出来ませんね。女の人を呼ぶこと」

 

「……しばらくの間は、な。すぐに響に合う里親を見つけるさ」

 

「そんなに女の人を呼びたいんですか? 提督のえっち……」

 

「お前には関係ないだろ……」

 

「むぅ……」

 

唇を尖らせるポーラ。

 

「……ポーラも、提督と暮らしたいです」

 

「絶対駄目だ。どうせ、ダラダラと過ごすつもりだろ? 何のメリットもない……」

 

「……ポーラ、女です」

 

「は?」

 

「ポーラ、女ですから……。その……提督がしたいこと……出来るかもしれませんケド……」

 

俺は、ポーラに目を向けた。

その表情は――。

 

「出来るって、何が?」

 

「ダカラ……ソノ……エッチナコトトカ……」

 

「えっちなことだぁ!?」

 

「……かも、です! 出来るかも! 出来るとは言ってないです!」

 

「はっ! 何が『えっちなこと』だよ。それがなんなのかも分からない生娘がよ」

 

「わ、分かりますよ!」

 

「じゃあ、なんだってんだよ?」

 

「だから……その……。って! 何言わそうとしてるんですか! 提督のえっち! スケベー!」

 

「はいはい。いいからお前も寝てろよ。それとも、子守歌が必要か?」

 

「むぅー! 提督のばか! あほ! インランー!」

 

淫乱って……。

 

 

 

プリプリと怒るポーラを送ってやり、家路を急ぐ。

 

「ん……」

 

「おう、起きたか」

 

響は辺りを見渡すと、今度は荷室を確認し始めた。

 

「ポーラは家に帰したよ。しかし、お前、ポーラがあんだけ騒いでいたのに、よく起きなかったな」

 

響は助手席へと移動すると、俺の顔をじっと見つめた。

 

「なんだよ?」

 

「司令官……」

 

「ん?」

 

「……お腹空いた」

 

「はぁ?」

 

「お腹空いた」

 

確かに、晩飯がまだだったな……。

 

「つーか、お前……今……」

 

響は恥ずかしそうに俯くと、小さく言った。

 

「これからは……ちゃんと言葉で伝えるよ……。もっと……私のこと……知ってほしいから……」

 

そう言うと、響は笑顔を見せた。

そんな顔、出来たんだな。

 

「……そうか。つーか、出来るのなら、最初からやれよ……。戦時中も、殆ど喋らなかったじゃねぇか……」

 

「うん……。なんだか……恥ずかしくて……」

 

顔を赤くする響。

急に感情を出し始めたな。

 

「司令官……」

 

「なんだ?」

 

「ありがとう……。私を受け入れてくれて……」

 

そう言うと、響はそっと寄り添った。

俺はなんだかむず痒くなって、しばらく固まっていた。

 

 

 

家に着き、荷物を運んでいると――。

 

「どうした?」

 

響は、遠目に家を見つめていた。

 

「……響」

 

俺はしゃがみ込み、響へ手を差し伸べた。

 

「司令官……」

 

「おかえり、響」

 

その言葉に、響は――。

 

「……泣き虫だな」

 

響を抱きかかえ、家へと入る。

 

「さ、飯の準備だ。お前にも手伝ってもらうぞ。さっさと泣き止んで、手洗ってこい」

 

「……うん!」

 

響の里親になるつもりは無い。

里親になるだけの資格も無い。

けど、今は――。

 

「司令官……」

 

「ん?」

 

「大好きだよ……」

 

今だけは――。

 

「……俺もだよ」

 

響は満面の笑みを見せていた。

 

 

 

数日後。

 

「フッ……」

 

「そのお手紙、そんなに面白いのでありますか? どなたからのお手紙で?」

 

「鬼頭提督からだよ」

 

「え……」

 

あれから、鬼頭は頻繁に手紙をくれるようになった。

以前のような果たし状ではなく、可愛らしい便箋で送られてきており、文面の最後には必ず『貴方の良き友人 鬼頭より』とあった。

 

「また一つ、読むのが楽しみな手紙が増えたな」

 

「正気でありますか……?」

 

「正気さ。君は分からんだろうね。あの可愛さは」

 

複雑そうな表情の笠谷君の後ろで、響とポーラが封筒を作っていた。

 

「順調か?」

 

「あ、提督ぅ。順調ですよー。ポーラ、封筒作りのプロになれるかもしれません」

 

「そんなプロはねぇよ……」

 

響に目を向ける。

相変わらずの集中力だな。

 

「ほれ」

 

わき腹をくすぐってやると、響はキャッキャと笑い、ようやく俺を見た。

 

「司令官」

 

「迎えに来たぞ。そろそろ帰ろう」

 

「うん」

 

「いいなぁ……。ポーラも、提督のおうちに帰りたいです……」

 

「お前にはお前の家があるだろう……」

 

「提督ぅ……今日……お泊まりしちゃダメですか……? ポーラ、夜ご飯作りますから……」

 

「駄目だ。そもそも、毎朝押しかけてきて飯作ってるだろ……。晩飯までお前の料理なのは嫌だよ……」

 

あれからポーラは、毎朝朝食を作りに来ている。

正直飽き飽きしているが、食べないと拗ねるし、料理の腕は確かに上がっているように感じるから、職業訓練の一環として受け入れてはいるが……。

 

「ポーラさん、自分の家で良ければ、お泊まりも料理も――」

「――ポーラ、提督のおうちがいいです」

 

ポーラの即答に、笠谷君は肩を落としていた。

 

「じゃあ、お泊まりはいいですから、おうちには行きたいです!」

 

「なんで来たがるんだよ……」

 

そんなことを話していると――。

 

「失礼いたします。雨海提督、家政婦さんより電報です。来客、すぐ戻るように……とのことです」

 

「家政婦さんから? 分かりました」

 

来客で戻るように……か……。

珍しいな。

変な相手だったら、家政婦さんは帰すはずだが……。

 

 

 

結局、ポーラが駄々をこね始めたので、仕方なく車に乗せた。

 

「えへへ~。提督のおうち、楽しみです」

 

「何が楽しいのやら……」

 

ポーラは響を膝に乗せ、遊んでいた。

遊ばれている響も、どこか満更でもなさそうにしている。

 

「そろそろ着くから、降りる準備しとけ。ん……?」

 

家の前に、誰かが立っている。

大きな荷物を持って……。

 

「誰だ……?」

 

車を停め、家に近づくと……。

 

「あ、修君!」

 

この声……。

そして、俺を君付け――しかも、下の名前で呼ぶのは……。

 

「さっちゃん……!?」

 

「久しぶりだね、修君。えへへ」

 

自分でも、久々に耳にした下の名前。

そんな俺の下の名を、不穏な声でつぶやいたのは……。

 

「オサム君……?」

 

ポーラは、さっちゃんの――俺の幼馴染の顔を何故か睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

――続く

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