「恋人ができたぁ!?」
家政婦さんは、いつもの無表情を赤らめながら、小さく頷いた。
「それは……休暇の旅行中に……?」
「はい」
「はぁ……恋人……ねぇ……」
家政婦さん――氷雨零(ひさめれい)は、苗字に似合った氷のような女だ。
無表情で、無口で――それ故に、どこからも雇ってもらえずにいて――。
『仕事は完璧なのだがね』
戦時中に、空けた家の管理を任せてはどうかと紹介され、期間限定で雇ってみたのだが、これがまあよく出来た女で――開口一番の「私のことは『家政婦さん』とでもお呼びください」には度肝を抜かれた。
家に帰る頃にはすでにいないし、全ての家事は終わっているし――プライベートに干渉しない徹底ぶりが気に入り、戦後も、こうしてお世話になっていた。
「それで……その……大変申し上げにくいのですが……」
「この仕事を辞めたい、と?」
家政婦さんは、ためらいがちに頷いた。
「行き場のない私を拾っていただき、戦後も、こうして雇っていただいたのに……申し訳ございません……」
「何を謝ることがあろうか。むしろ、謝るのはこちらの方だ。永い間、長期休暇の一つもやれてなくて申し訳なかった……」
「そんな……! 長期休暇を拒んでいたのは私の方ですから……!」
「……しかし、君にここまで言わせるほど――君をそこまで変えてしまうほどに、相手は魅力的な人なのだろうね」
「……はい」
どこか嬉しそうな彼女に、俺は――。
「そうか……」
「代わりの者は、私が必ず見つけますので……!」
「いや、大丈夫だよ。君の代わりなんていないさ。それほどまでに、君は完璧だった」
「しかし……」
「零さん」
俺は、タンスにしまっておいた封筒を彼女に渡した。
「これは……」
「いつか、こんな日が来ると思ってね。退職金ってやつだよ」
「そ、そんな……。こんなにいただけません……!」
「いいんだ。その代わり、幸せになると約束してほしい。無論、いつでも戻ってきてくれて構わないのだけれども、ね」
そう言って笑って見せると、零さんは涙を流した。
「永きにわたり、私のような者を雇っていただき、ありがとうございました……。このご恩は一生忘れません……。そして、必ず、幸せになってみせます……」
「あぁ、きっとだよ」
泣きながら、初めて見せてくれた彼女の笑顔に、俺は――。
そんな、惜別の想いがあふれ出るように、俺は、別れの言葉を口にしていた。
「グッド・バイ……」
『グッド・バイ・ウォーズ!-惜別の開戦-』
「よし、忘れ物は無いか?」
「うん、大丈夫だよ。そんなことよりも、司令官、大丈夫?」
「なにがだ? 一人で寂しいんじゃないか、とでも?」
「そうじゃなくて……。新しい家政婦さん、まだ見つからないんでしょ? 仕事も忙しいだろうし……家事、大変なんじゃないかって……」
「心配すんな。たいしたことないよ。俺の心配よりも、自分を心配してろよ。学校、不安じゃないか?」
「大丈夫だよ。暁たちもいるらしいし」
復興が進んできたこともあり、艦娘の為の学校が開校された。
家政婦さんがいなくなった今、響の面倒を見られる奴もいなかったので、本当に助かる。
「たくさん学んでこい。弁当、お前が好きなものを詰めておいたからな」
「うん、ありがとう。司令官、無理だけはしないでね? 絶対だよ?」
「あぁ、分かってるって。ほら、行ってこい」
「絶対だからね?」
響は角を曲がる直前まで、心配そうに俺を見ていた。
「とは言ってみたものの……」
家政婦さんがいなくなってからの数日間、正直、本当にきつかった。
仕事のこともそうだが、入学のための手続きや、家事全般――なんでこの家はこんなにも広いんだよ――とにかく、休む暇がないのだ。
「ポーラの仕事も探してやらないといけないしな……」
あれから、ポーラとは会っていない。
ポーラから会いに来ることも無かったし、俺もなんとなく会いづらかった。
真鍋さんに頼み、様子を見てもらうようにしてはいるが……。
「顔を合わせないままではいられないよな……」
けど、ポーラはもう、俺には会いたくないと思っているのかもしれないしな……。
だとしたら、面倒を見るのは、俺でなくても――。
「はぁ……。クソ……」
ここ最近の疲れもあってか、なんだか体が重い気がする……。
気持ちが沈む感じもするし、眩暈も――。
「うぅ……なんだ……?」
視界が、靄に包まれてゆく。
気が付くと、何故か俺は座っていた。
「え……?」
貧血……?
いや、それにしては……。
幸い、今日は休みをもらっている。
「少し……休むか……」
やらなければいけないことはたくさんある。
しかし、少しくらいは……。
強い光に目が覚める。
「うぅ……」
時計の針は、お昼過ぎを指していた。
「クソ……寝すぎたか……」
なんか、寒いな……。
いや……。
「う、うぅぅぅ……。さ、寒すぎる……」
まさかと思い、体温計を咥えてみる。
「クソ……『ある』じゃねぇか……」
寒気と吐き気。
浅くなる呼吸。
「はぁ……はぁ……これ……ヤバいかも……」
体を起こし、薬を探す。
「確か……ここに……」
ようやく見つけた薬箱には、何も入っていなかった。
「クソ……」
もう一度、布団に戻る。
だが、全身が筋肉痛であるかのような痛みで、眠ることが出来ない。
発汗による不快感。
強くなるストレスと、吐き気。
悪寒。
体全体が、布団を越えて、畳に沈み込むかのような感覚があって――。
「ただいま。司令官?」
「響……」
そうか……。
今日は、お昼過ぎくらいに帰ってくる予定だったな……。
「司令官……? どうしたんだい? なんだか、苦しそうだけど……」
「あぁ……ちょっと……んぷっ……!」
響を見て安心したのか、その場で嘔吐してしまった。
「はぁ……はぁ……」
「し、司令官……! しっかりするんだ……!」
「響……頼む……。本間診療所の……本間先生に……連絡……を……」
「司令官……? 司令官ー!」
意識が遠くなる。
嗚呼、でも……なんだか……。
次に目を覚ました時には、辺りは真っ暗になっていた。
「ん……」
頭は氷嚢で冷やされており、近くには『本間診療所』と書かれた薬袋が置かれていた。
「響……呼んできてくれたのか……」
体を起こそうとした時であった。
「あ……」
声の方を振り返る。
そこには――。
「ポーラ……?」
「提督……」
ポーラは近づくと、俺の首筋に触れた。
「まだ熱いですね……。体、起こしてはダメです……。寝ていてください……」
「お前、どうしてここに……」
「響ちゃんから聞いたんです……。提督が、倒れたって……」
響が……。
「お水、飲んでください」
そう言って、吸い飲みを差し出すポーラ。
「いや、自分で飲むよ……」
「ダメです! じっとしていてください!」
「けど……」
「いいですから……!」
大人しく、ポーラに従う。
「……悪い」
「謝らないでください……。提督は悪くないですから……」
氷嚢を交換すると、ポーラは俺の手をそっと握った。
「響ちゃんから聞きました……。家政婦さんが辞めたって……」
「…………」
「本間先生は、過労だって言っていました……。提督……無理しすぎです……」
過労か……。
戦時中に比べたら、たいしたことはしていないはずなんだがな……。
「提督……ポーラ、自分でも何も出来ないって分かっています……。でも……」
ポーラは、泣きそうな目で、俺を見ていた。
「大変な時は……頼ってほしいです……。頼りなくても……ポーラ……精一杯頑張りますから……。一人で……抱え込まないでください……。提督の身に何かあったら……ポーラは……ポーラは……」
体が弱っているせいか――はたまた、この前の件があったせいか、俺は――。
「て、提督……!?」
「ポーラ……ごめん……。俺……俺は……うぅぅ……」
情けないほど、涙が溢れ出る。
この前、さんざん泣いたはずなのだがな……。
「提督……。泣かないでください……。提督が泣いたら……ポーラも……うぅぅ……」
二人して泣いた。
泣いている理由は違えど、きっと、その中心にあるのは――。
ひとしきり泣いた後、なんだか恥ずかしくなり、布団を深くかぶってしまった。
「提督、眠くなっちゃいましたか?」
同じように泣いていたはずなのに、ポーラは優しく語りかけていた。
お前も恥ずかしがれよ、クソ……。
「……ポーラ、そろそろ帰りますね。何かあったら、また言ってくださいね?」
「もう帰るのか……?」
「もう遅いですし……。長居しては、迷惑ですから……」
ポーラは弱弱しく微笑むと、立ち上がった。
「……ポーラ」
「なんですか?」
「新しい仕事……見つかったのか……?」
少し躊躇った後、ポーラは答えた。
「……もう少しで見つかりそうです。今、マナベさんに頼んで、隣町のあたりで仕事を探してもらっているんです」
隣町……。
しかし、それだと……。
「ポーラのことは心配しないでください。マナベさんに良くしてもらっていますから。提督ははしっかり休んで、早く元気になってください。響ちゃん、とっても心配していましたから」
…………。
「では……」
「ポーラ」
「はい?」
「……もし良かったらなんだが、この家で、家事を――」
「――提督」
ポーラは再び近づくと、そっと、俺の頭を撫でた。
「今の提督は、ポーラに涙を見せちゃうほど弱っています。ハンダンリョク? が低下しているはずですから、あまり変なことを言ってはダメですよぉ」
そう微笑むポーラは、どこか――。
「……そうだな。悪い……」
「……じゃあ、もう行きますね。オダイジニ、です」
ポーラが去ってからしばらくして、響が部屋へと入ってきた。
「司令官……」
「響……。悪いな……。心配かけてしまって……。あと、本間先生を呼んできてくれて、ありがとう」
「ううん……。体調良さそうで良かったよ……」
響は近くに座ると、心配そうに俺を見つめていた。
「学校、どうだった?」
「楽しかったよ。挨拶と学校案内だけで、授業は来週からって事になったんだ。来週からは、給食も出るらしいんだ」
「そうか。それは良かったな」
「うん」
永い沈黙が続く。
「……司令官」
「ん?」
「怒らないの……? ポーラを連れてきたこと……」
「怒る? どうして?」
「だって……」
響は俯いてしまった。
「……言いたいことは分かる。でも、怒る訳ないだろ。別に、ポーラに会いたくないってことではないしな……」
「それでも……」
響は目を瞑ると、申し訳なさそうに言った。
「さっきの……ポーラとの会話……聴いてしまったんだ……」
「…………」
「辛い思いを……させちゃったかなって……」
「……そんなことないさ。むしろ、ポーラを連れてきてくれて、ありがとう。こういう機会がなければ、俺は、ポーラと話すことが出来なかったかもしれないから」
頭をなでてやると、響はそっと、俺に寄り添った。
「そうか……。会話、聴いていたのか……」
「うん……。ごめんね……」
「いや……。一つだけ、訊いていいか?」
「うん……」
「帰り際……俺があいつに提案しようとしたことについて……どう思った……?」
「どう……というのは……?」
「あいつを……傷つけてしまったのではないかと思ってな……」
響は――。
「……司令官が、そんなことを言えるようになるとはね」
「え?」
「うん……。正直、私も、そう思ったよ……。ポーラを傷つける提案だったって……」
やはり、そうか……。
「ポーラは、司令官に恋をしている。でも、司令官は、ポーラを受け入れるつもりはないのだと、間接的にポーラへ伝えた。ポーラは、そんな司令官を尊重して、多く関わらないよう配慮してくれていたのに……。まるで、同情するかのように、そんな提案をするなんてね……」
「……怒らないのか? そのことに関して……」
「私は司令官の味方だから……。それに、ポーラをここに呼んだ事だって、ポーラにとっては……」
自分にも非があると思っているのか……。
「……悪い。そんな顔をさせるつもりはなかったんだ……」
「ううん……。いいんだ……」
響は微笑むと、俺の頭をそっと撫でた。
「でもね、司令官……。家政婦さんがいなくなった今、やっぱり、ポーラをこの家に呼ぶべきだと、私は思うんだ……」
「え……? けど、それは……」
「分かっているよ……。だから、ポーラが傷つかないようにすればいいと思うんだ。本当は、司令官がポーラを恋人として受け入れるのが一番いいんだけど……。そうは出来ないのなら……」
響は少し躊躇った後、決意した表情で言った。
「正直に、全て話したらどうかな……? この前のこと――間接的に伝えてしまったことも含めて、全部……」
「ど、どうしてだ……? つーか、それができるのなら……」
「うん……。でも、それは、伝えたらどうなるか分からなかったからでしょ? ポーラが泣いたり、傷ついたりするんじゃないかって思ったからでしょ? 司令官の元を離れてしまうかもしれないって……」
「…………」
「でも……ポーラはこうして来てくれたじゃないか……。傷ついたかもしれないけど……それでも、司令官に向き合おうとしてくれたじゃないか……。司令官は、それに応えなくていいの……? 司令官も、向き合う必要があるんじゃないの……!?」
響は、ぽろぽろと涙を流していた。
俺の味方をしたい気持ち――それに反する言葉に、耐えられなくなったのだろう。
「響……」
俺は起き上がり、響を抱きしめた。
「ごめん……。そうだよな……。誰よりもポーラを想っていたのは――あの日、傷ついていた姿を見ていたのは、お前だもんな……」
「うぅぅ……」
俺は、本当に……。
「……分かった。俺も、向き合うことにするよ……。ありがとう、響……」
「司令官……。ごめんなさい……。辛い思いを……させてしまって……」
「馬鹿……。こっちの台詞だよ……。不安にさせてごめんな……。もう、大丈夫だ……」
響は、しばらく泣いていたが、泣き疲れたのか、そのまま眠ってしまっていた。
「…………」
こんな子供に気を遣わせるほど、俺は――。
翌朝、本間先生が訪ねてきてくれた。
「うん。熱は下がっているね。薬が効いたみたいだ」
「ありがとうございます」
本間先生には、昔からお世話になっている。
先生の処方する薬を飲むと、一日もかからずに治るパターンが多いんだよな……。
他の医者ではこうもいかないし、本当、何者なんだこの人は……。
「薬箱にも、薬を補充しておいたよ。これからは、定期的に薬箱のチェックをするようにね」
「すみません」
「それで? この後は海軍本部へ行きたいと?」
「はい」
「そうか……。本当は、まだ安静にしてほしいのだがね……」
「見逃してくださいよ。いつもより、多めに包んだんですから」
本間先生はニヤリと笑うと、親指と人差し指を擦るジェスチャーを見せた。
「たかり屋が……」
さらに多く握らせると、本間先生は一枚一枚丁寧に数えたあと、外出の許可をくれた。
響を暁の家に預け、海軍本部へと向かう。
「真鍋さん」
「雨海提督……!? 倒れたとお聞きしましたが……!?」
「心配かけたね。けど、一日休んだら良くなったから、もう大丈夫だよ」
「い、一日で……!? 倒れるほどだったのにですか!?」
まあ、普通はそう思うよな……。
俺自身、なんで一日で復帰できたんだって思っているし……。
「そんな事より、ポーラはいるかい?」
「あ、はい。今、お手洗いに……」
「提督……?」
丁度帰ってきたのか、ポーラは唖然とした表情で、俺を見ていた。
「ポーラ、ちょっと話が――」
「――何しているんですか……!?」
ポーラは駆け寄ると、俺の額に手をあてた。
「ポーラ……?」
「どうして来たんですか……!? まだ、体調良くなっていないはずです……!」
「いや、もう熱は……」
「熱がなくても、寝ていなくちゃダメです……! また……倒れちゃいますよ……!」
本気で心配しているのか、ポーラは怒りと悲しみの表情を見せていた。
「……悪い。でも、どうしても、お前に話しておきたいことがあったんだ。出来れば、二人で話がしたい……。真鍋さん、いいかな?」
「あ、はい……。じゃあ、あの……私、外に出ていましょうか……?」
「いや、僕たちが出ていくよ。ポーラ、行くぞ」
俺は、ポーラの手を引いた。
「え、わ……! 提督ぅ!?」
本部近くにある喫茶店。
戦時中の賑やかさに比べ、現在は閑散としていた。
「好きなもの頼め。ケーキでも何でもいいぞ」
「は、はい……」
ポーラはレモンスカッシュだけ注文すると、おずおずと俺を見た。
「どうした?」
「いえ……その……ポーラ、何かやっちゃったかなって思ってぇ……」
「あ?」
「戦時中も、こういうことあったじゃないですかぁ……。ほら、ポーラが作戦前夜にお酒を飲んじゃって出撃できなかった時も、こうして呼ばれて……。ものすっごく優しく説教されてぇ……」
説教されると思っていたのか……。
つーか……。
「なんだよ? 心当たりでもあるのか?」
「え……。ソウイウワケジャナイデスケド……」
目を逸らすポーラ。
こりゃ、何かあるな……。
まあ、今は、そんなことはどうでもいい……。
「……その事については後で問い詰めるとして、話ってのは、ほかにある」
「そ、そうなんですか……? なんだぁ……。良かったぁ……」
心底ほっとしているところを見るに、よっぽどな事をやらかしているらしいな、コイツ……。
……まあいい。
「まずは、改めてお礼を言わせてほしい。昨日、看病に来てくれて、どうもありがとう」
「い、いえ! 別に……。むしろ、迷惑じゃなかったですか……?」
「そんなことないよ。響も、お前が来てくれて安心したみたいだし、本当に助かったよ」
「え、えへへ……。なら、良かったです」
俺は、運ばれてきたアイスコーヒーを口にした。
言わなきゃだよな……。
「……ポーラ」
「はい?」
「お前に、謝らなきゃいけないことがある……。けど、その前に確認させてほしい……」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、ポーラは真剣な表情で俺に向き合った。
「はい……」
「お前、俺の事が好きなのか……?」
「え……」
「もちろん、異性としてだ」
ポーラはしばらく固まっていたが、レモンスカッシュを一口飲み、にへらと笑った。
「何を言っているんですか~。そんなこと、アリエマセンよ~」
「本当か……?」
「ホントですよ~。確かに、提督のことは好きですよ? でも、そういう好きではないですよ~?」
「ポーラ」
「はい~?」
「あの日――さっちゃんと俺がデートした日、お前も聴いていたんだろ? 俺が、異性というものをどう思っているのかという話を……」
ポーラは――。
「あの日、あの場所にお前を呼んだのは、響ではない……。俺なんだ……。俺が、響に頼み、お前をあの場所へ連れ出したんだ」
「……どういうことですか?」
俺は、全てをポーラに話してやった。
ポーラの気持ちに気付いていること――恋人になれないことを伝えるために、呼び出したこと――それら全てを――。
「そう……だったんですね……」
「悪かった……。あの時の俺は――いや、今も同じだが――お前が傷つく姿を見たくなかったんだ……」
「……だったら、黙っていればよかったじゃないですか。どうして……」
「それは……」
立ち止まるな。
嫌われてもいい。
今までだって、そうしてきただろう。
ポーラだって、女なんだぞ。
そうやって生きてきたはずだし、これからだって――。
「女……か……」
「提督……?」
そうか。
そうだよな。
「ポーラ」
「は、はい……」
「仕事がないのなら、うちで家政婦をしてくれないか?」
「え……?」
そうさ。
ポーラだって――。
「お前にとっても、都合はいいよな? 俺のことが好きなんだし」
ポーラが女であるのなら、今まで通りやれるだろ。
そうだよ。
何を躊躇う必要があろうか。
そもそも、いいんだよ。
嫌われても。
むしろ、ソッチでいいはずだろう。
ポーラが俺を嫌い、担当を外れることになれば、仕事が楽になって、家政婦さんもいらなくなって――。
「提督……」
「なんだ? 給料だってたんまり出してやるぞ。何か不満でもあるか?」
ポーラは悲しそうな表情で微笑むと、優しい声で言った。
「無理……しなくていいですよ……。心配しなくても、ポーラは提督を嫌いにはなりませんから……」
「え……」
「提督は、そんな酷い人じゃないって、ポーラ、分かっていますから..……」
ポーラはそっと、俺の手を取った。
「ポーラ……」
嗚呼……そうか……。
「また……逃げようとしてしまったのか……俺は……」
俺は……何をしているんだ……。
『……だったら、黙っていればよかったじゃないですか。どうして……』
どうして俺は、ポーラに向き合おうとしたんだ……?
『司令官は、それに応えなくていいの……? 司令官も、向き合う必要があるんじゃないの……!?』
響の為……?
『本当は、まだ安静にしてほしいのだがね……』
過労で倒れない為……?
『心配しなくても、ポーラは提督を嫌いにはなりませんから……』
何を【恐れている】?
『ポーラが俺を嫌い、担当を外れることになれば、仕事が楽になって、家政婦さんもいらなくなって――』
それでいいのなら、ハッキリと伝え、二度と会わなければいいだけで――。
「提督……」
どうして、俺は……。
『俺は、ポーラと一緒にいることを、悪いと思っていないのか……』
『いい方向に向かうことを願っているよ』
「…………」
そうか――。
「……ポーラ」
「は、はい」
「ごめん……。お前の気持ちから、逃げてしまった……」
「…………」
「ちゃんと、言うよ」
俺は背筋を伸ばし、まっすぐポーラを見つめた。
「お前の気持ちは嬉しいけど、恋人になることはできない……」
ポーラは――。
「ごめん……」
……痛い。
似たような経験は、したはずなのに――。
けど、それでも――。
「…………」
――目をそらしては、いけない。
永い永い、沈黙があっても。
逃げてしまいたい、気持ちがあっても。
目をそらしては、いけない。
見なければ、ならない――
「――……」
彼女の頬をつたう、涙の行く末を――。
「ポーラ……」
「ご……めんなさい……。泣かないって……っ……決めたん……です……。泣いちゃ……ダメ……だって……」
大粒の涙が、テーブルを叩く。
「……それは、俺を傷つけない為か?」
ポーラは答えず、ただ涙を拭うだけであった。
「どこまでも……優しい奴だな……。お前は……」
否定するポーラの手を、そっと握る。
「…………」
本当は、分かっているんだ。
でも、分かってはいけないんだ。
この手を離す為に、たくさんの『理由』をつくることはできる。
でも、ポーラ相手には、どれも選びたくはない。
選びたくないからこそ、分かってはいけないんだ。
ただただ、理由なく、進むしかないのだ。
「ここからは……提督として、お前に話がある……」
「は……い……」
「知っての通り、うちの家政婦が辞めてしまった。新しい家政婦は、響と仲良くできる人がいいと思っている。お前が最適だ。響も、そう言っている。うちで、家政婦をやらないか?」
ポーラは――。
「分かっている……。だからこそ、俺の気持ちを伝えたんだ……。断ってくれてもいい……。嫌いにならないと言ってはくれたが……撤回しても、俺は恨まない……。今まで通り、お前を支援するし、顔を合わせたくないのなら、近づくことはしないよ……」
それでも――。
「…………」
そうだ。
だから俺は、俺の気持ちをポーラに伝えたんだ。
響の為でもなければ、過労を心配する為でも――何かを恐れている為でもない。
「それでも――」
俺は、ただ――。
「――俺は、お前と居たいと思っている。お前に、来てほしいと思っている。お前と共に、この先も――……」
ポーラは――。
「……それが愛の告白じゃないのなら……提督は……どうやって愛を伝えるというのですか?」
あまりにも純粋な質問に、俺は思わず笑ってしまった。
「フッ……確かにそうだな……。予定はないが、自分の首を絞めてしまったかもな」
「そういうところですよ。安い言葉ばかり言っているから、艦娘から嫌われるんです」
「だが、お前には好かれただろう?」
「当たり前です。だって、ポーラにかけてくれる言葉は、安くなんかありませんから。全部全部、本物ですから」
微笑むポーラ。
確かに、そうだな……。
本人には、言えないけれど。
「……分かりました。家政婦のお話、お受けいたします。フツツカモノですが、よろしくお願いいたします。提督」
「……ああ。よろしくな、ポーラ」
「えへへ」
目を腫らし、微笑む彼女の笑顔に、俺は――。
事情を説明すると、真鍋さんはほっとしていた。
「すまなかったね。せっかく、仕事を探してくれていたのに」
「いえ! 正直、ほっとしています。隣町まで求人をかけたのですが、何故か門前払いだったので……」
まさかとは思うが、隣町まで悪評が広がっているのか……?
先ほどの『説教される心当たり』は、もしかして……。
「マナベさん、お世話になりました」
「いいえ。けど、羨ましいです……。私も、雨海提督のメイドになりたい……」
目をハートにする真鍋さんに、ポーラは若干引いていた。
「……それで、今後のことなのだけれど、ポーラが今住んでいるアパートの解約手続きをお願いしたいのだが」
「「え!?」」
何故か、驚く二人。
「ど、どういうことでしょうか……!?」
「て、提督ぅ……!?」
「え、なんだその反応……。だって、必要ないだろ、もう……」
「え……?」
「へ……?」
唖然としている二人を見て、ハッとした。
「あ、あぁ……! そうか……! すまん……。いや、その……住み込みの家政婦を頼んだつもりなんだが……」
そういや、言っていなかったな……。
いや、つーか、零さんと同じ、通いの家政婦であることを想定していなかった。
うわ……。
なんか、凄く恥ずかしい……。
これじゃあ、まるで……。
「い、いや……! 忘れてくれ……! そうだよな。普通は、通いだよな……。前の家政婦さんもそうだったし……。病み上がりで、判断力がおかしくなっていたよ……。ハハハ……」
クソ……死にてぇ……。
こんなこと言ってしまったら、きっと、ポーラは――。
『そんなにポーラと居たかったんですかぁ~?』
とか言って、ニヤニヤしてくるに違いない……。
俺は、恐る恐るポーラに目を向けた。
ポーラは……。
「あ……えぁ……あぅ……」
顔を真っ赤にして、あたふたしていた。
「ポ、ポーラさん……?」
「あ、あにょ……そにょ……い、いいんです……か……? 一緒に……暮らしても……」
「あ、あぁ……。お前さえ……良ければだけど……」
ポーラは両手で自分の頬を包むと、ふにゃっとした笑顔を見せた。
「嬉しい、です……えへ……。とっても、嬉しいです……。えへ……えへへへへ……」
初めて見るタイプの笑顔に、思わずドキッとしてしまう。
「あ……えっと……そ、そうか……。そりゃ、良かった……。じゃあ、真鍋さん。手続き、お願いしてもいいかな?」
「え、あ、はい……。えっと……いつからですか?」
「できれば――」
「――早めでお願いしましゅ!」
ポーラは目をキラキラさせながら、前のめりで真鍋さんに近づいた。
「わ、分かりました……。では、すぐに……」
真鍋さんが去ると、ポーラは俺をじっと見つめた。
「提督……」
「な、なんだ?」
「提督……提督提督提督ぅ!」
「おわっ!?」
ポーラは抱きつくと、俺の胸に頭をこすりつけた。
「えへ、えへへへへへ! 提督ぅ!」
「お前……そんなに嬉しいのかよ?」
「嬉しいですよ! だって……提督の家政婦さんになれるだけじゃなくて、一緒に住めるだなんて!」
満面の笑みを見せるポーラ。
そういや、一緒に住みたがっていたもんな。
「でも提督ぅ、そんなにポーラと居たかったんですかぁ~? 寂しかったんですかぁ~?」
「……調子に乗るなよ。住み込みの方が効率いいと思っただけで、一緒に居たいとかではないからな……」
「でも、さっきは言っていたじゃないですか。『俺は、お前と居たいと思っている』キリッ! って!」
コイツ……。
「……やっぱり、この話はナシだ! 真鍋さ~ん」
「あっあっあっ! ゴメンナサイ! ウソです! 言ってないです! コウリツがいいだけです!」
俺は、細い目でポーラを見た。
本気で焦っているポーラに、思わず噴き出してしまった。
「冗談だよ。確かに、言ったよな。うん……。お前と、一緒に居たかったんだ。効率がいいのも事実だが、それが一番の理由だったんだろうな」
そう言ってやると、ポーラは頬を膨らませ、何やら怒っていた。
「ズルいですよ……。どうして、もっと好きになるようなことを言っちゃうんですか……。コイビトにもしてくれないのに……」
「俺はずっと、女にそうしてきたからな。だからさ」
ポーラは少し考えた後、驚いた表情を見せた。
「そ、それって!」
「さて、お前の家に行くぞ。引っ越しの準備、しなくちゃだしな」
「ま、待ってくださいよぉ! 今のってぇ!」
すぐにでもうちに来たいのだというポーラを何とか引き離し、響を迎えに行った。
「ありがとうございました」
「いえ、また遊びにいらしてください」
「じゃあね、響!」
「うん」
暁とその家族は、俺たちの姿が見えなくなるまで、手を振り、見送ってくれた。
「暁のところの家族、いい人たちだったな」
「うん。暁も幸せそうで良かったよ」
響は手をつなぐと、ソワソワし始めた。
「心配しなくても、ちゃんとポーラに向き合ったよ。来週あたりから、住み込みで家政婦をやってくれることになった」
「Xорошо! 本当に!?」
「あぁ。お前のアドバイス通り、全部話したんだ。泣かれはしたが、まあ、上手いこと宥めることが出来た。ありがとな、響」
頭を撫でてやると、響は満面の笑みを見せた。
「さて……家に帰ったら、片付けだ。ポーラの為に、部屋を空けないといけないからな。手伝ってくれるか?」
「うん!」
「よし! その前に、腹ごしらえでもするか! ちょっと奮発して、いい肉を食いに、行くぞー!」
「Ypaaaaaaa!」
数日後。
ポーラがやってきたぞっ!
「お世話になりま……わっ!」
響が放った巨大クラッカーに、ポーラは驚愕と歓喜の表情を見せていた。
「ようこそ、ポーラ」
「提督……響ちゃん……。はい! よろしくお願いいたします!」
「ポーラ、来て。ポーラの部屋、用意したんだ」
「わわ! ちょっと待ってくださいよ~!」
響は、荷解きも済んでいないポーラの手を取り、部屋を案内し始めた。
「はしゃぎ過ぎだろ、あいつ……」
と、言いつつも、クラッカーを用意したのは――。
「フッ……」
ポーラの荷物を持って、響たちの跡を追った。
一通りの説明を受け、荷ほどきも済ませたのか、ポーラが居間へやってきた。
「響はどうした?」
「暁ちゃんの家に遊びに行きました。提督と二人っきりの方がいいでしょーって。気を遣われちゃいました」
あいつ……余計なことを……。
「提督、座ってもいいですか?」
「あぁ。ここはもうお前の家だ。好きにしろ」
そう言ってやると、ポーラはわざわざ俺の隣に座った。
「おい」
「ポーラの好きにしました。ダメですか?」
ポーラはじっと、俺を見つめていた。
「……ダメだ」
「なんでですかー!? 好きにしていいって言ったのは、提督ですよー!?」
「だからって隣に来る奴があるか……。つーか、忘れてないだろうな? お前は家政婦なんだぞ? お前は雇われの身で、俺はその雇用主だ」
「だからなんだっていうんですか?」
「弁えろって話だ! 言うなれば、社長と社員。王と家来。提督と艦娘だ」
「でも、ポーラと提督は『ポーラとオサムくん』ですよ? それ以上でもそれ以下でも無いです」
うーむ、真理だ……。
って……。
「……今は雇用主と家政婦だろう。いいか? お前が嫌いだから言っているんじゃない。将来、お前が働きに出ることになったら、上下関係ってのは大事だってことを分かってほしいんだよ。今までの働き口では、そういうのは関係なかったのかもしれんが、今後はそうもいかないんだ」
ポーラはムスッとすると、唇を尖らせ、言った。
「じゃあ……キュウケイ時間はどうですか? キュウケイ時間は、ロウドウにはなりませんから、何をしても自由ですよね……?」
どこで覚えたんだよ、そんな屁理屈……。
「そうかも知れないが……。じゃあ、なんだ? お前が社員だったら、休憩時間に社長にベッタリするってのか?」
「しません。でも、それが提督だったら、します」
「なんじゃそりゃ……」
「それとも……イヤ……ですか……? ポーラに……くっ付かれるの……」
ポーラは俯くと、悲しそうな顔を見せた。
クソ……。
「……嫌じゃないよ」
「ホント? じゃあいいですよね! えへへ」
ポーラは俺の腕に抱きつくと、ニコニコと笑顔を見せていた。
「お前……本当……」
それでも振り払わない俺に、ポーラはご満悦であった。
家ではベタベタし過ぎると思い、買い物と銘打って外へ連れ出した。
「んー……もっとお家でイチャイチャしたかったです……」
「お前な……。仮にアレが休憩時間だったとして、休み過ぎだと思わないのか?」
「好きな人といると、時間を忘れちゃうんですよー。提督だってぇ……マンザラでもなさそうでしたよー? えへへ~」
本当、コイツは……。
「それで、何を買うんですか? 何か足りない物、ありましたっけ?」
「足りない物だらけだ。まず、引っ越すのに、どうしてあんなに物が少なかったんだよ? 家具はいいとしても、私物が少なすぎやしないか?」
「あー……。提督、女の人を呼ぶ準備があるって言っていたので、それを使えばいいかなーって……」
「はぁ? お前、他人が着た寝巻きもまともに着られないくらいには潔癖なんだろ? 無理だろ、だったら……」
「ケッペキじゃないです! あれは……ただ……提督のコイビトの物だったらヤダなと思っただけで……。その……ただのシットみたいな感じで……」
嫉妬……。
「そもそも、ポーラのお家を見たら、ケッペキじゃないのは分かるはずです!」
まあ、そらそうか……。
ポーラはムッとした顔を見せると、俺に寄り添った。
「提督は……カンチガイばかりです……。ポーラは、あんなにたくさんアピールしていたのに……。提督のこと……大好きで……たくさん……」
言っていて恥ずかしくなったのか、ポーラは顔を赤くして、俯いてしまった。
「……そうかい。どうでもいいけど、そろそろ離れろよ。街の連中が、不思議そうに見ているぞ……」
「別に、いいじゃないですか。提督、ケッコンしたくないんですよね? だったら、見せつければいいですよ。提督には、こーんなにビジンなコイビトがいるんだーって」
「美人って……自分で言うか?」
「ポーラ、知っています。タバコ屋さんの時も、お菓子屋さんの時も、ビジンがいるお店って言われていたこと。ポーラ、ビジンですよ? 提督も、それが分かっているから、ポーラの写真をたくさん送ったんですよね?」
その通りだが……。
「これからは、ホントに一緒に住む事が出来ているんですから、セッキョクテキにアピールしていくべきですよー」
一理ある、が……。
「……いや、だとしても、今は見せつける対象がいないんだから、くっ付く必要はねぇ!」
引き離すと、ポーラはどこで覚えたのか「よよよ……」と泣き真似をして見せた。
ひとしきり物を買った後、マーブルの店を訪ねた。
「マーブル」
店に入ると、何故か商品は少なくなっていて、棚もいくつか無くなっていた。
「あら、いらっしゃい」
「この有り様はどうした? 最近、店を空けているとは思っていたが……」
「ちょっとね。今日はどうしたの?」
キョウハドウシタノ?
「おい、冗談はいいから、ポーラの生活に必要な物をだな……」
「ポーラちゃんの? どんなのがお望みなのかしら?」
怪訝そうな顔を見せる俺に、マーブルは寂しそうに微笑んで見せた。
ポーラが商品を探している間、マーブルに事情を話した。
「そう。ポーラちゃんと住むことにしたのね」
「まあ、家政婦として、だがな……。そんなことよりも、どうした? 知っていたんじゃないのか? いつもの不思議な力で」
「それがね『見えなくなっちゃった』のよ」
「見えなくなった?」
「貴方が店に来た日……貴方は私に言ったでしょう?『間武瑠を許してやれ』って……」
『間武瑠を許してやれよ、マーブル……。それが出来ないのなら、俺がお前を許してやる……』
「……あぁ」
「あの後、かつての『戦場』へ行ったの……。『間武瑠』を許す為にね……」
だから、ここ最近、店を空けていたのか……。
「かつての戦場は、一つの村になっていたわ。村の中心には、慰霊碑が建てられていて、日本人の名前――私の戦友の名も、刻まれていたわ……。変な話よね……。敵兵の名を刻むだなんて……。戦争の記憶も、まだ――」
「…………」
「村の皆は、私がかつての敵兵だと知っても、優しく受け入れてくれたわ……。戦争で子を亡くした者、夫を殺された者――私が殺したかもしれないのに、彼らは――」
マーブルは写真立てを手にすると、涙を流した。
「毎晩、夢を見ていた……。戦友が亡くなった夢を……。そして……生き残った『間武瑠』が、のうのうと、幸せそうに生きている『未来』の夢を……。けど、彼らに会って――『間武瑠』を許せるようになってからは、夢を見ることは無くなったの……」
それで、力が……。
いや、そんな事よりも……。
「本当のお別れが、出来たんだな……」
マーブルは頷くと、涙を拭った。
「私ね……向こうに移り住むことに決めたの……」
「向こう……ってのは?」
「かつての戦場に、よ……。戦争から結構経っているけれど、まだまだ戦争の爪痕が残っているの……。私に何ができるか分からないけれど、少しでも、力になりたいのよ……」
マーブルは拳を握りしめると、辛そうな表情で言った。
「罪が消えることは無いわ……。間武瑠を許したと言っても、それは、罪に向き合う覚悟ができたというだけの話……。私は私を許せない……。だからこそ、背負い続けなければならないと思ったの……」
「マーブル……」
マーブルは、遠くであれこれ悩んでいるポーラを見た。
「艦娘が嫌いだった……。人間同士の戦争の前に、彼女たちが現れてくれていたらって……。そうしたらきっと、私は、人を殺さずに済んだのにって……」
深海棲艦の存在が、人間同士の戦争を終わらせた。
マーブルの言うように、もっと早くに深海棲艦が現れていれば――。
「けど、結局、軍人という道を選んだのは私だもの……。逆恨みもいいところよね……」
マーブルは、もう一度、ポーラを見た。
「ポーラちゃん、悩む必要はないわ。タダにしてあげるから、全部持っていきなさい」
「え、いいんですか!?」
「えぇ! どうせ、今日でお店をたたむつもりだったから!」
「ありがとうございます! じゃあ、これもぉ……これも!」
「マーブル……」
マーブルはそっと、小箱を俺に渡した。
「これは……?」
「とびっきりの商品よ。然るべき時に、開けなさい」
「然るべき時ってのは?」
「その時になったら、きっと分かるはずだわ。これが、貴方に出来る、最後のアドバイスよ」
最後の……。
「私、感謝しているのよ。貴方に会えて、私は私に向き合うことが出来た。貴方が私を許してくれたから、私は私で在れた。ありがとう……雨海君……」
マーブル……。
「感謝するのは、俺の方だ。お前のお陰で、俺も前に進めた。そして……」
俺は、ポーラを見た。
「そっか……」
「……寂しくなるよ」
「それは、口説き文句かしら?」
「そう受け取ってもらっていい」
「んふ、貴方らしいわね」
微笑むマーブルの横顔は、あまりにも女性らしくて――。
「提督ぅ! これで全部です!」
「おー、随分欲張ったな」
「ホントは、もっと欲しいもの、たくさんあったんですけど……。イヤシイ女は嫌われるみたいなので、やめておきました!」
「まあ」
どこで覚えたんだよ、そんなの……。
「分かった分かった……。じゃあ、車に詰めてこい。マーブルにお礼、言うんだぞ」
「あ、はい! マーブルさん、ありがとうございます!」
「いいのよぉ」
ポーラを先に行かせ、俺はマーブルに向き合った。
「もう、戻らないのか?」
「えぇ。向こうで、戦友と同じお墓に入るわ。復興が進んだら、向こうでお店を開くつもりよ」
「そうか……」
俺はもう一度、マーブルを見た。
もう二度と会うことがないと思うと、なんだか……。
「そんなに見つめないでぇん! 私、貴方の顔が好みなのよ? 惚れちゃうじゃない!」
それは、マーブルなりの気遣いであった。
そんな彼女に、俺は――。
「グッド・バイ……」
マーブルがその『意味』を知らないはずもなく、小さい声で「いじわるね……」と言うだけであった。
帰りの車内は、やけに静かであった。
「どうした? さっきから、大人しいじゃないか」
「うーん……だって、提督、なんだか寂しそうにしていますから……。そういう時の提督は、話しかけてほしくない時だって、ザラ姉さまが言っていました……」
なるほど……。
気を遣われたって訳か……。
「流石はザラだ。秘書艦なだけあるぜ」
「……ポーラだって、見抜きました。提督のこと、ちゃーんと見てましたよ……?」
「フッ、そうだな」
ポーラは頬を膨らませると、そっぽを向いてしまった。
「なんだ、慰めてくれないのかよ?」
「慰めてほしいんですか……?」
「あぁ。俺は、お前に元気でいてほしいと思っているよ」
その言葉の意味を、ポーラは理解したのであろう。
耳を真っ赤にさせていた。
「家政婦を口説くのは、良くないと思いますケド……」
「それで得をするのなら、どんな言葉でもかけてやるさ。それが俺ってもんだ」
「ヤな男ですね……」
「そんな男に惚れた女が、ここにいるぜ?」
そう言って、膨らんだ頬を突いてやる。
「むぅ! 提督なんてキライです! せっかく慰めてあげようと思ったのにー!」
「フッ」
十分、元気出たよ。
家に着き、荷物を降ろす。
「だからぁ……ホントにキライだって言ったわけじゃないんですぅ……。提督ぅ……ポーラのこと……キライにならないでくださいぃ……うぇぇぇん……」
「分かったから! いいから、荷物を運べ、馬鹿!」
ポストを確認すると、大量の手紙が入っていた。
「うわ……マジかよ……」
「どうしました? およ? これって……ラブレターですか?」
いつもは海軍本部に届く大量のラブレターが、何故か自宅のポストに入っている……。
宛先も、本部ではなく、自宅になっている……。
「住所がバレた……というのもあるのだろうが、返信が無いことに痺れを切らした連中が、直接自宅に送ってきた……ということなのかもな……」
「それって、何か問題なんですか?」
「問題だらけだ! これでは、海軍の連中に、俺が如何にモテるか、証明できないではないか! むしろ、本部に来る手紙が減る分、モテないと思われているかも……」
「ソデスカ……」
呆れるポーラ。
「ケッコンしたくなくて――その為にポーラの写真を送ったのに、ラブレターが来る方が嬉しいって……。提督、よく分からないです……」
「モテるモテないと結婚は別の話だ」
「でも、ラブレターの人は、提督とケッコンしたいと思います。提督とケッコン出来ないと知ったら、ラブレター送ってこなくなっちゃいますけど、いいんですか?」
「だからこそ、はぐらかしているんだ」
「それでたくさん、イタイメを見ているのにですか?」
確かにそうだが……。
「提督ぅ……もういいじゃないですか……。提督がモテるのは、みんな知っています。サッチャンさんの時みたいになるくらいなら、ハッキリとお断りした方がいいですよ……」
「…………」
「それにぃ……」
ポーラは俺の腕に抱きつくと、にへらと笑った。
「提督にはぁ……ポーラという素敵なオクサンがいるじゃないですかぁ。それで十分ですよ~」
「誰が奥さんだ……。ただの家政婦だろ……」
「でも、一緒に住んでいますよ? こんな家政婦、いませんよ~」
ムカつく笑顔を見せるポーラ。
けど、まあ……。
「……そうだな」
「え!? ポーラ、オクサン!?」
「違うわ! 手紙の話だ。確かに、モテるモテないってのは、もう十分だよな……。そもそも、戦争も終わったし、遊んで暮らせるくらいには貯蓄もある……。女を誑かして出世する必要もないし、意味ないのかもなって……」
復讐の為に誑かしている側面もあったが、どうしてだろう、今は――。
「……手紙の返事、書くか」
「え?」
「いつもは読まずに捨てるが、ちゃんと読んで、恋をする意思がないことを伝えるとするよ。さっちゃんの時のような思いは、もうしたくないしな」
それに……。
『私は私を許せない……。だからこそ、背負い続けなければならないと思ったの……』
俺も、これからどう生きるかを考えないとな……。
いつまでも、親父のことを引きずるってのも、カッコ悪いしな……。
「だったら、写真を送りませんか?」
「え?」
「ポーラと響ちゃんが一緒に写った写真です! 三人の写真を見たら、きっと諦めてくれますよ!」
確かにそうかもしれないが……。
「……お前はそれでいいのか?」
「え?」
「散々利用してきた俺が言うのもなんだが……」
ポーラは少し考えた後、微笑んで見せた。
「大丈夫ですよ。ポーラ、そんな事では傷つきません。むしろ、提督と写真撮れるの、とっても嬉しいですし、写真を見た人が、とってもお似合いだと思ってくれたら、もっともっと嬉しいですから。えへへ」
「ポーラ……」
「それに……ポーラのこと、そうやって想ってくれて、とっても嬉しいです……。やっぱり、提督は優しい人です……。ポーラの大切な人……。ポーラの大好きな人……です……」
そう言うと、ポーラはそっと、俺の胸に頭を預けた。
「……ポーラ」
「なんですか……?」
「……響が見ているから、離れてくれないか?」
「ふぇ!?」
ポーラが振り返った先に、不満そうな顔の響が立っていた。
「お帰り、響」
「……ただいま」
響は近づくと、細い目でポーラを見ていた。
「な、なんですか……?」
「この泥棒猫……」
「ド、ドロボウ?」
ポーラを引き離すと、響は抱っこするよう、俺にせがんだ。
「よっと……。暁たちと遊んできたんだって? 気を遣わせたな」
「いいんだ。二人っきりにするくらいには、私は寛容な心を持っているし。その立場に甘んじた卑しい家政婦さんとは、格が違うんだよ」
そう言って、ドヤ顔を見せる響に、ポーラは頬を膨らませていた。
「それで? ラブレターの返事に、写真を送るのかい?」
「聴いていたのか」
「うん。卑しい家政婦さんが、どんな感じで司令官にすり寄るのかを見るためにね」
さっきから言葉にトゲがあるな……。
あんなにポーラを想っていたのに、それとこれとは別ってことか……。
「実は、暁のお父さんが写真屋さんなんだ。そこで撮ってもらうのはどうだろうか?」
「そうだったのか。世話になっているし、そこで頼もうか」
「じゃあ、早速行こう。善は急げ、だよ」
「早速たって……急に行っては……」
「大丈夫。急げば、営業時間に間に合うよ。ほら、司令官、ポーラ、おめかしするよ」
そう言って、響は家へと入っていった。
ポーラは俺を見ると、仕方ないとでもいうように、困った顔で微笑んでいた。
「初仕事だぜ、家政婦さん」
「精一杯頑張りますワ」
互いに笑いあい、響に尻を叩かれながら、めかしこんだ。
写真を撮り終え、せっかくだからと、少しだけ洒落たレストランで食事を済ませ、家路についた。
「写真は明日の夕方にはあがるそうだ。楽しみだな」
「うん……」
ポーラの膝の上ではしゃいでいた響は、ウトウトし始めていた。
「響ちゃん、お風呂も入って、眠くなっちゃいましたか?」
「腹いっぱい食ってもいたしな……。ポーラ、部屋に連れて行ってやってくれないか?」
「あ、はい。響ちゃん、行きますよ~」
「うぅん……まだ起きているよ……。もっと……遊んでいたいよ……」
そう言って、ポーラにしがみつく響。
「ポーラ……トランプやろう……。司令官をかけて勝負しよ……」
「勝手に俺をかけるな……」
響はトランプを取り出したが、相当眠かったらしく、バラバラと零してしまっていた。
「あーあーあー……。響、何もポーラは居なくならないんだから、明日にしておけ」
「んー……」
「そうですよー。ポーラは、ここの家政婦さんになりましたから、いつでも遊べますよー。ですから、おやすみしましょうねー」
「うん……。じゃあ……明日も遊んでね……? 約束だよ……?」
「もちろんです! えへへ」
「おやすみ……司令官……」
「おう。おやすみ」
ポーラに連れられ、響は居間を後にした。
しばらくして、ポーラが戻って来た。
「すぐに寝ちゃいました」
「そうか。ありがとう」
「いいえ~。ポーラ、ちゃんと家政婦さん出来ていますか?」
「あぁ。荒いところはあるが、上出来だよ。響もすっかり、お前を気に入っているようだしな」
「それなら良かったです」
「そうだ……」
俺は、現金の入った封筒をポーラに渡した。
「今日の給料だ。月支給よりも、こっちの方がお前にとって都合が良かろう」
「わぁ、こんなにいいんですか!? ポーラ、働いているというよりも、お世話になっている身なのに……」
「見合った給料だと思わないのなら、その分を働いて返せ。今日はそこまでじゃなかったが、明日からは掃除や洗濯なんかもあるんだからな。期待を込めての給料でもあるんだ」
「は、はい! ポーラ、頑張ります!」
「おう。さて……俺もそろそろ寝るか……」
「あ、提督……」
「ん、なんだ?」
「その……何か、困っていませんか? ポーラ、まだお仕事できますけど……」
「ないよ。明日に備えて、お前も寝ておけ」
ポーラは俯くと、意を決したかのように、言った。
「ポーラ……なんでもやります……!」
ポーラの顔は、何故か真っ赤であった。
「なんでも?」
「なんでも……です……。その……え、えっちなこととかでも……!」
「はぁ!? 何言ってんだお前!?」
「あ、秋雲が言っていました……。その……メイドは……ご主人様の……その……えっちなヨッキュウにも……応えなくちゃいけない……って……」
秋雲……?
あぁ……。
なんか、演習の時、やたらと話しかけられていたな……。
「提督も……家政婦さんに……そういうこと……したいですか……? して……いましたか……?」
「しねぇよ、そんなの……。する気もないね……」
「ポーラが相手でも……ですか……?」
「あ?」
「ポーラ……いいですよ……。提督が……相手なら……」
コイツ……。
「言っている意味、分かってんのか?」
頷くポーラ。
「……分かった」
俺は、ポーラを押し倒した。
「ひゃあ!?」
「いいんだな……?」
「ああああああ、あの……! その……! ポーラ……あの……!」
ポーラは限界まで顔を赤くさせると、両手で顔を覆ってしまった。
「フン……なーにが、えっちな欲求に応えられる、だ。この程度で動揺する癖に、生意気言ってんじゃねぇぞ。生娘が」
退いてやると、ポーラは涙目になりながら、怒っていた。
「ポーラ、やれます……! いきなりで驚いただけです……!」
「どうだか……。手、震えてんぞ」
「こ、これは……その……ム、ムシャブルイ? ってやつです!」
んなわけあるか……。
ったく……。
「……ポーラ」
「な、なんですか?」
「もし、今みたいなことを続けるのなら、今すぐにでも家政婦を辞めてもらう」
「……!」
「悪ふざけだとしても、だ。今回は、秋雲の所為だということに『しておいてやる』。だが、次はないぞ……。俺は、本気で怒っているんだ。分かるだろ……?」
静かに、諭すように言ってやる。
戦時中、この説得方法が、一番、艦娘には効いていた。
案の定、ポーラは――。
「ごめんなさい……」
「……どんな腹積もりであったのかは、あえて訊かん。だが、最初に話した通りだ。俺は雇い主で、お前はただの家政婦だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「はい……」
落ち込むポーラ。
こうなることは、なんとなく分かっていた。
ポーラが、恋心を我慢できなくなること。
一緒に住んでしまえば、関係性の発展を望み、行動に移してくるだろうと。
それが、こういう誘い方になるとは思ってもみなかったが――いや、俺のことを知っているからこそ、この誘い方なのだろう。
俺の素行が悪い所為もあるのだろうが、そうまでしなければ、俺との関係性に発展は無いのだと――そう思わせてしまうほど、俺は、彼女を――。
「…………」
俺のことを想うポーラにとって、住み込みの家政婦という仕事は、ある意味、生殺し状態にあるのかもしれない。
だとすれば……。
「ポーラ」
俺は、そっと、ポーラを抱きしめた。
「て……提督……!?」
「俺には、これくらいしかできないが……。それでもいいのなら、今は、これで我慢してほしい……」
多くの女を、この方法で誑かしてきた。
復讐のため。
利用するため。
この行動も、結果として『利用する』に該当するのだろうが、それでも……。
「提督……。ごめんなさい……。大丈夫です……。こんなこと、していただかなくても、ポーラ……これからはちゃんとしますから……」
それでも――。
強く抱きしめてやると、ポーラは恐る恐る抱きしめ返し、やがて、深く身を寄せた。
「提督……」
「……一回だ」
「え?」
「一日一回……こうしてやる。それで我慢してくれ……」
ポーラの求めていることが、どの程度のものなのかは分からない。
それでも、きっと――。
「いいんですか……? ホントに……?」
「嫌ならいいんだぜ」
ポーラは否定するかのように、強く俺を抱きしめた。
「もう一つだけ……ワガママを言ってもいいですか……?」
「……言ってみろ」
「答えてくれなくてもいいので……提督に……ポーラの気持ちを伝えたいです……。このまま……抱きしめながら……」
それに、何の意味があるというのだろうか。
けど、まあ……。
「いいよ。それでお前が満足ならな」
そう言ってやると、ポーラは震える声で、小さく言った。
「好きです……。提督のこと……大好きです……」
真っ赤に染まる耳。
温かいというよりも、熱くなっている体。
「好き……提督……。大好き……」
……なんか。
「提督……んっ……提督ぅ……」
「……だー! やっぱナシだ!」
ポーラを突き放す。
「何するんですかー!」
「お前……変な声出すなよ!」
「へ、変な声じゃないです! ポーラの声、普通ですよ!」
「いや、そうじゃなくて……。その……なんつーか……」
『雨海……君……あっ……んっ……好きよ……雨海く……んっ……』
「……とにかく、気持ちを伝えるのは禁止だ」
「なんでー!?」
「なんででも、だ!」
クソ……。
なんだって、高見上官はあんなに……。
「むぅ……提督をセンノーする計画が……」
洗脳?
「んなもん、出来るわけねぇだろ……。つーか、やっぱりわざとじゃねぇか……」
「でも、キケンを感じたから、やめさせたんですよね?」
「いや……まあ……」
本当のこと言ったら、更に面倒なことになりそうだから、黙っておこう……。
「……今日はもう寝る。お前も、明日に備えておけよ」
そう言って立ち去ろうとすると……。
「……提督」
「なんだ?」
「明日も……抱きしめてくれますか……? 今度は……何も言いませんから……」
そう問うポーラは――。
「……約束したしな。でも、いつやめたっていいんだ。それを肝に銘じとけよ」
「やめたら、襲っちゃいますよ?」
「フッ……なら、続けないとな」
「はい。えへへ……」
「じゃあ、おやすみ。ポーラ」
「おやすみなさい。提督」
ポーラは微笑むと、最後に投げキッスをした。
華麗に避けてやると、不満そうにしていた。
「フッ……」
ポーラが家に来てから数日が経った。
「今日の分であります」
「ありがとう」
写真を送ったのもあってか、手紙は日に日に少なくなっていた。
「また少なくなりましたなぁ。いよいよ女性に見放されたということでしょうかね?」
「逆さ。僕が振っているんだ。最近は手紙を捨てていないだろう? ちゃんと読んで、返信をしているんだ。それでもなお、これだけ手紙が来るということさ」
「しかし、以前は、手紙の数はモテる男のステータスだとかなんだとかおっしゃっていませんでしたか? いいのでありますか?」
「もう、そういう次元にはいないのさ。手紙なんぞ無くとも、僕はモテる。そして、そのことを皆が知っている。知らせる必要もなくなったという訳さ」
「それはまた……。まあ、こちらとしても、振り分ける作業が少なくなる分、いいことではありますがね……」
「仕事が少なくなるということは、貴方の居場所がなくなる可能性も秘めているのだけれど?」
そう言いながら入ってきたのは、真鍋さんであった。
「また来た……」
また?
「真鍋さん。こんなところに何か用事かい?」
「雨海提督ぅ。いえ、そこのおサボりさんの様子を見に来たんです! 郵便室は、一応、私どもの管轄でもありますので」
そうだったのか。
「わざわざ貴女でなくてもいいでしょう……。どうせ、自分のおやつを奪いに来たのでしょう? いつものように……」
「いつも?」
「あ、雨海提督の前で何を……! あ、雨海提督ぅ……その……いつもじゃないですよ!? たまに、その……サ、サボりのペナルティとして没収しているだけで……!」
なるほど……。
「仲がいいじゃないか、君たち。雨降って地固まるってやつかい?」
「「仲良くないで(ありま)す!」」
二人は睨み合うと、フンと顔を背けていた。
二人の関係が発展しているのを見ると、何故か安心する。
それはきっと――いや、この二人のように、俺も認めがたいものではあるのだが……。
「さて……痴話喧嘩も見せつけられたところで、手紙でも読もうかな……。返信用の便箋を用意してくれないか? 笠谷君」
「あ、はい。こちらであります」
「ありがとう」
手紙を読んでゆく。
なんとまあ、情熱的な……。
そんな手紙の中に――。
「ん?」
「どうされたでありますか?」
「いや……この手紙の差出人……」
確か……。
「『高見華蓮』って、華蓮ちゃんですか? 高見上官の妹の!」
妹……。
『お兄さん、お姉ちゃんとどういう関係なんですかぁ? 華蓮もぉ、その関係にいれてほしいなぁ』
あの子か……。
高見上官の家によく遊びに来ていた、あの……。
「私、華蓮ちゃんとは同年代で、友達なんです。海軍に入る前、よく遊んでいたんですよ。この前も、高見上官が退役された際に会ったのですが……どうして雨海提督に手紙を?」
何か、嫌な予感がする……。
封筒を開けてみると、中には手紙とともに、一枚の写真が入っていた。
「写真、でありますか?」
そっと、写真を見てみると……。
「うぉっ!?」
急いで写真を伏せる。
「え、どうしたでありますか?」
「雨海提督?」
「い、いや……。す、すまないが……失礼するよ……」
そそくさと去る俺を見て、二人は互いに首をかしげていた。
「クソ……」
一人でこっそり、手紙を読んだ。
そこには、脅しともとれるような内容と、今すぐに会いに来てというような内容が書かれていて――ポーラを連れて来いとも書かれていた。
「華蓮ちゃん……どうしてこんなことを……」
「カレンチャン……?」
「うわー!?」
驚き、振り返ると――。
「ポーラ……?」
「はい、貴方のポーラですよ~。提督ぅ、こんなところで何しているんですか~?」
「お、お前こそ……どうしたんだよ? 海軍本部に何か用事か?」
「あ、はい。提督に、お弁当を持ってきてあげようと思いまして~。愛妻弁当というやつです。デヘヘ~」
「愛妻弁当って……。いや、まあ、ありがたく頂戴するけどよ……。家事はどうしたんだ?」
「もう済みました。だいぶ慣れたので、時間にヨユーが出来たんです」
「ほう。なかなか上達が早いじゃないか」
「えへへ。提督に褒めてほしくて、頑張っちゃいました~。ささ、お弁当も食べてください。ここ数日で、提督の好みは把握しましたから、きっと美味しいはずですよ~」
好みは把握した、か……。
好みの味付けに出来るほど、料理も上達したというわけか。
確かに、ここ数日、凄く頑張っているようだし、響もやたらと褒めていたよな。
「じゃあ、早速いただこうかな」
「どうぞ~」
弁当は、確かに好みの物ばかりであった。
味も――。
「うん、美味いよ。確かに、俺好みだ」
「ホント? 良かった~。えへへ、いっぱい食べてくださいね~?」
本当、美味いな。
嗚呼、なんか、こういうの――。
そんなことを考えながら飯を頬張っていると、ポーラはニコッと笑いながら、言った。
「それで……? カレンチャンって誰ですか……?」
「んぐっ!?」
「もしかして……ウワキですかぁ……?」
お茶を取ろうとする俺の手をはらい、細い目を向けるポーラ。
「正直に話してくれたら、お茶をあげます……。提督……カレンチャンって……ダレデスカ?」
表情に、影のかかるポーラ。
青ざめる、俺の顔。
尤も、ポーラにビビっているわけでは無く、喉に飯が詰まっていて――。
「ん……んぐぐっ……!」
「提督ぅ?」
ようやく喉のつっかえが取れた。
「お前……! 殺す気か!?」
「提督ぅ! カレンチャンって誰ですかー! ウワキするなら、ポーラ、許しませんよー!」
「何が浮気だ……。付き合ってもねぇだろうが……」
「むぅー!」
「……高見上官の妹さんだよ。高見華蓮。手紙を寄こしてきてな。俺に会いたいのだと。ほら、麗美の時と一緒だ」
「レイミさんの時と? じゃあ、カレンチャンも提督のことが好きなんですか?」
「まあ、そういうことだと思う……」
高見上官とは違い、何というか、子供っぽいというか、小悪魔っぽいというか……。
正直、苦手なんだよな……。
「手紙には、お前も連れてこいと書かれている。どうする? 麗美の時のように、場所が遠いが……行くか?」
そう言ってやると、ポーラは目をキラキラさせた。
「い、行きます……! 提督ぅ、これって……!」
「あぁ、ちょっとした旅行だ。せっかくだし、響も連れて行こう。海沿いの家だから、季節的にもちょうどいいし、海水浴と洒落こむか」
「やったー! えへへ、じゃあ早速、水着買わないとですねー。提督ぅ、楽しみにしててくださいねー」
そう言うと、ポーラはそそくさと帰っていった。
「フッ……ったく……」
しかし……。
流石に、この写真のことは言えなかったな……。
つーか、こんなのがポーラにバレたら……。
「なんとか海水浴で機嫌をとってもらっている間に、この件をなんとかしなければ……」
俺は、もう一度写真を見た。
そこには、やはり、なんとまあ気持ちよさそうに眠る、高見上官と俺が写っていた。
二人、同じ布団で。
しかも、生まれたままの姿で――。
『この写真をバラまかれたくなければ、華蓮に会いに来ること! 分かった?』
「華蓮ちゃん……」
また面倒なことになりそうな予感に、俺は深くため息をついた。
――続く