「緊張してんのか?」
俺の問いかけに、ポーラは小さく頷いていた。
「そんなに気を張らなくてもいい。艦娘の印象を良くする為の交流会だとかなんだとか言っていたが、そんなのはお前らには関係のない話だ。お前らは、お前ららしく在ればいいんだ。見ろ、響なんて、もう飯に手をつけているぞ」
響は暁たちと、貪るように飯を食っていた。
遠慮も何もありゃしねぇが、子供の振る舞いとしては満点だろう。
「あそこ、若い男連中のいる場所が、お前の担当卓だ。大丈夫。いつものように飲み食いして、お前らしさを見せつけてやれ」
「提督は……? 一緒じゃないんですか……?」
「俺は俺で仕事がある。一緒には居てやれない」
不安そうに俯くポーラ。
人見知りするような質ではないはずだが、海で遭遇した軟派野郎の所為か、委縮してしまっているな……。
「何かあったら、俺が必ず守ってやる。一緒には居てやれないが、遠くから見ているから、安心しろ」
「提督……」
「それに、一緒に居たら、俺があまりにも格好良すぎて――俺は男にもモテるんだぜ――誰もお前に目がいかなくなっちまうだろ? 艦娘がメインの交流会だ。目立つわけにはいかねぇんだよ」
ポーラは呆れるように笑うと、小さく「そうですね」と言った。
「元気出たか? なら、行ってこい」
「はい。あ、一つだけ、いいですか?」
「なんだ?」
「この交流会が上手くいったら……ゴホウビ……欲しいです……」
「ご褒美?」
「はい……」
ポーラは俯くと、恐る恐る言った。
「デート……してほしいです……。二人っきりで……」
勇気を振り絞ったのか、ポーラは祈るようにして、手を揉んでいた。
その様子に――嗚呼、クソ――。
「……いいよ」
「ほんとですか……!?」
「あぁ」
ポーラは嬉しそうに微笑むと、小指を差し出した。
「約束……です!」
「……あぁ」
約束を紡ぐ。
ポーラは俺を見つめた後、名残惜しそうに小指を離し、自分の担当卓へと向かっていった。
「デート……か……」
似たようなことはたくさんしてきたはずなのに、何故、俺は……。
「雨海提督、上官がお呼びです」
「あぁ、今行くよ」
とにかく今は、仕事をするのみ。
そうさ。
俺は軍人だ。
そう思いつつも、俺はずっと、ポーラの卓を見続けていた。
……いや、見守ることも、一つの仕事だからな?
『グッド・バイ・ウォーズ!-惜別の開戦- 』
海軍本部で行われた交流会は無事成功した。
最初こそ、ポーラは緊張気味であったが、段々と慣れてきたのか、笑顔で話す様子も見られた。
「ふぅ……」
「雨海提督、お疲れ様でした」
「真鍋さん」
「凄かったですね。雨海提督の卓、艦娘だけではなく、皆さん、雨海提督に夢中でしたね」
「ただ適当に受け答えしていただけなのだがね。艦娘と一般の方の交流を邪魔してしまったようだ……」
「雨海提督は黙っているだけでも魅力が溢れていますから、仕方がないですよ。それに比べて……」
視線の先には、笠谷君が鼻の下を伸ばしながら、艦娘たちと交流していた。
「今日のメインは、一般の方なんですよ!? あの人は、ただのサクラなのに……」
「まあまあ。彼のことは見ていたけれど、ただ鼻の下を伸ばしているわけではなさそうだったよ。艦娘への警戒心を解くように、一般の方も巻き込んで会話していたようだ」
「ただ下心があるようにしか見えませんが……」
「まあ、それは否定できないが……。それでも、彼なりに努力はしているようだ。君との一件以来、彼は真面目に業務をこなしているようだった。このままではいけないと思ったのだろう」
艦娘にデレデレしている笠谷君を見て、真鍋さんは不機嫌そうであった。
ふぅん……。
「……しかし、艦娘とあそこまで打ち解けるとはね。だらしのない彼だが、意外にも、女性から人気があるようだよ。艦娘から好かれるのも、その要因あってこそなのかもしれないね」
「……あそこにいるのは、比較的面倒見のいい艦娘たちです。霞ちゃんもそうだし、千歳さんや香取さん、大和さんも――だから、構ってもらっているだけですよ……」
共通点があるような無いような……。
しかし、まあ……。
「そんなに気になるのかい? 彼のことが」
「そういう訳では……。ただ……」
「ただ?」
「……同じ海軍として恥ずかしいだけです。ただ、それだけです……」
「そうかい」
真鍋さんに恋心があるかどうかは分からないが、嫉妬心があるのは間違いないだろうな。
若くして人を動かす役職に就いた彼女には、友人と呼べる者がいない。
唯一、心からぶつかることができたのは、笠谷君だけだ。
二人は絶対に認めないが、そこには友情に近しいものが芽生えていたはずだ。
「…………」
「……真鍋さん」
「は、はい」
「注意してきたらどうかね。そこまで言うのなら」
「でも……交流できているのは事実ですから……」
「交流会は既に終わったよ? 今、彼のやっていることは、仕事でも何でもないはずだ。違うかな?」
真鍋さんはハッとすると、一目散に笠谷君の方へと向かっていった。
やれやれ……。
「提督ぅ……」
「おう、お疲れ。見ていたよ。しっかりと仕事をこなしたな」
「疲れましたぁ……。提督ぅ……ぎゅってしてくださいぃ……」
「……後でな。響はどうした?」
「響ちゃんなら、他の駆逐艦たちとどこかに行っちゃいましたよ?」
確かに、駆逐艦の姿は無い。
「会うのが久しぶりな娘たちもいるでしょうから、はしゃいでいるのかもしれませんね」
他の艦娘達もそうなのか、交流会で見せた姿とは違い、楽しそうに笑いあっていた。
「お前はいいのか? 誰かに会わなくて」
「ポーラには提督がいるからいいんです」
「いや、俺とは毎日顔を合わせているだろ。せっかく集まっているんだ。行って来いよ。それとも、仲のいい艦娘はいなかったか?」
「そういう訳ではないですケド……。確かに、提督とは、毎日顔を合わせていますよ? それでも……」
ポーラは俺を見つめると、そっと寄り添った。
「それでも……提督といたいんです……。毎日顔を合わせるくらいでは、足りないんです……。ダメですか……?」
上目遣い。
くっ……俺は絶対に思わんぞ。
そんな目をしても……可愛いなんぞとは……。
「……ダメだ」
「なんでー!?」
なんで……か……。
なんでだろうな……。
「……お前、前に言ったよな?」
『関係は、壊れません。ポーラ、少しずつでも、提督に好きになってもらいますから。そしたら、好きな気持ちも、今のキスも、いつの間にか日常に――提督が好きな日常になると思いますから』
「――確かに、俺は日常が壊れることを恐れているし、今のままの関係が続けばいいと思っている。お前が、それを徐々に変えてゆこうとしていることも分かる。でも……」
「でも……?」
「同時に、特別なことは、特別なままであってほしいとも思っているんだ。何かが足りないと感じた時、それが満たされることは『日常』ではなく『特別』だ。その特別に、こう……特別感があるというか……うぅん……」
ポーラを納得させるための方便のつもりだったが……。
自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってきた……。
「……つまり、ポーラが提督と一緒にいたいという気持ちは、特別だということですか?」
「あぁ、そうだ」
「そして、その特別を提督は大切にしたいと……?」
「あぁ……まあ……そうだな……」
「それはつまり……ポーラが特別に想うその気持ちは、提督にとっても特別ということですか……?」
「え……?」
「だって……そういうことですよね……?」
ん……?
そういうこと……になるのか……?
よくわからなくなってきた……。
「……提督」
「なんだ?」
「ポーラとのデートは……特別ですか……? 特別だから……ゴホウビになりますか……?」
そう問うポーラの表情は――なんだ、その恋する乙女の表情は――。
「…………」
日常だと言えば、毎日のようにデートをすることになるだろう。
特別だと言えば、俺は、コイツのことを――。
「ポーラ」
千歳がお酒を持って、こちらへやってきた。
「お酒、飲んでいいみたいよ。こっちで飲みましょう?」
「ほんとですか!?」
「ほら、行きましょう?」
千歳はポーラの手を引くと、一瞬だけ俺に目配せをした。
どうやら不穏な空気を察し、連れ出してくれたようだ。
「気を遣わせたか……」
しかし……。
「特別……か……」
俺にとって、ポーラは――。
海軍本部の粋な計らいで、艦娘たちは戦時中に使用していた寮へ泊まることになった。
「――という訳なんだ。今日は暁たちと寝るよ。司令官、一人で寂しくない?」
「寂しいと言ったら、一緒に寝てくれるのか?」
響は少し考えた後「暁たちがいいというのなら」と答えた。
「フッ……冗談だよ。俺は寮には行けないんだ。別に用意された部屋で寝るよ」
「じゃあ、その部屋に行こうか?」
「一人で来てくれるのなら」
そう言ってやると、響は小さく「えっち……」と言って、去って行ってしまった。
……えっちか?
「さて……ポーラは……」
「雨海く~ん!」
声をかけてきたのは、俺と同じく艦娘たちの付き添いで来ていた提督達であった。
「ねぇねぇ! あたし達、これから部屋で飲むんだけど……一緒に来ない!?」
既に出来上がってんなぁ……。
面倒くさそうだし、適当な理由をつけて……。
「すみません。これからやることがあって……」
「そんなの後でいいじゃない。たまには、昔話でもしましょう……?」
そう言って、俺の太ももを撫でる。
なるほど……。
俺を見る目が怖いとは思っていたが、こいつら……おそらくは――。
「いいでしょ……? 大丈夫……たくさん気持ちよくしてあげるから……」
さすがは、戦場を生き抜いてきただけあるな……。
それ故に――ってところか……。
どうも逃げられそうもないと、覚悟した時であった。
「こんなところに居たんですね。探しましたよ、雨海提督」
この声は……。
「千歳……?」
「今日中に必要な手続きがあると言ったではありませんか」
合わせろと、目配せをする千歳。
「あ、あぁ……悪い。今、行くところだったんだ」
「そうでしたか。それで? 皆さんはこんなところで何をされているのですか……? 艦娘の模範となるべき提督方が、何を……?」
千歳の圧のある笑顔に、皆は一目散に逃げて行った。
「まったく……」
「悪い……。助かったよ」
「噂通り、モテるんですね。雨海提督」
「まあな……」
「否定しないんだ。それもそうかぁ。艦娘の中にも、貴方のファンは多いですから」
「そうなのか?」
「無論、悪く思っている艦娘の方が多いですよ?」
そう言うと、千歳はニコッと笑って見せた。
「ポーラの時も助けてくれたな。ありがとう。そちらも噂通り、気の利く艦娘だな。千歳」
「お褒めに与り光栄です」
ふざけるように言う千歳。
「さては、酔っているな?」
「貴方のパートナーに付き合って飲みましたから」
ポーラのことか。
「そうそう。ポーラから伝言があります。それを伝えに来たんでした」
「伝言?」
「『今日は寮でお酒を飲みます。一緒に居られなくてゴメンナサイ』とのことです」
アイツ……。
あれだけ、俺と居たいだなんだと言っていたくせに……。
俺よりも酒かよ……。
いや……別にいいんだけどよ……。
「聞きましたよ。ポーラと一緒に住んでいるって。恋人だって」
「恋人ではないさ。住み込みで家政婦をやってもらっているだけだ」
「そうなんですか? 本人は、もう恋人みたいなものだと言っていましたけど」
「みたいなもの、だろ? あいつが勝手に言っているだけだ。俺に恋人はいないよ」
「ふぅん。じゃあ、フリーなんですね。だから、提督達に言い寄られていたんだ」
「あの人たちは……まあ……戦地を経験しただけあって……その……飢えているんだろ……。色々と……」
「確かに、あの目は少し怖かったなぁ」
「そんな目をした連中を笑顔で追い払うんだから、お前の方が怖いよ」
「うふふ、確かに」
お互いに笑いあう。
千歳。
ポーラとはまた違うタイプの話しやすさがあるな。
ほぼ初対面であるのにもかかわらず、まるで、気心の知れた友人と話しているようだ。
「さて……そろそろ行くよ。色々とありがとな。お前も寮に戻れ」
「へぇ、何のお礼もせずに行っちゃうんだぁ」
「あ?」
「噂通り、酷い人ですね。雨海提督」
「……お前は噂とは違い、案外図々しいんだな」
「事実は小説よりなんとやら、ということですよ」
「……何がお望みで?」
そう言ってやると、どこに隠していたのか、千歳は一升瓶を取り出し、微笑んで見せた。
「どうぞ」
「ありがとう」
こちらも酒を注いでやろうとすると、千歳はそれを嫌がった。
「なんだ。誘っておいて飲まない気か?」
「自分の分は自分で注ぎます。そう決めているんです」
どういうこだわりだよ。
「まあいい。じゃあ……」
「はい。乾杯」
二人とも、一気に飲み干す。
「いい飲みっぷりじゃないか」
「提督こそ」
どんどん酒を注いでくる千歳。
その表情は、どこか嬉しそうであった。
「そんなに飲ませるのが好きか? 案外サディストなんだな」
「いえ。ただ、嬉しいんです。こうしてご奉仕できることが」
「ご奉仕?」
「殿方にお酒を注いであげるの、一度はやってみたかったんです。願い、叶っちゃいました。うふふ」
無邪気に笑う千歳に、こちらも笑顔になってしまう。
「フッ……変な奴。しかし、残念だったな。俺みたいなのが初めてで。もうちょっとこう、誠実そうな男の方がよかったんじゃないのか?」
「あら、そうでもありませんよ――とでも言ってほしいのですか? 案外かわいいところ、あるんですね?」
「馬鹿、そんなんじゃないよ。ただ、噂好きな誰かさんなら知っているだろ? 俺の素行の悪さをよ」
「えぇ、知っていますよ。知った上で、こうして誘ったんですから」
「おいおい、誰でも良かったってのか?」
「女性社会の海軍において、唯一、男性提督となった殿方……。噂程度でしかない素行の悪さなんて霞むくらい、立派な殿方だと思っています。それこそ、千歳の初めてにはふさわしい方かと……」
「フン……揶揄ったり褒めたり……。風邪ひきそうだぜ……」
「なら、温めて差し上げます」
そう言って、体を寄せる千歳。
「おいおい……いくら何でも酔い過ぎだぞ」
「酔っている体なら、こうしていても構わないと?」
「え?」
千歳はゆっくりと顔を上げると――その目は、明らかに素面であった――。
「ち、千歳……?」
「貴方を狙っているのが、ポーラや提督達だけだとお思いですか……?」
「え……」
「迂闊でしたね……。ダメですよ……? そう簡単に、女を部屋へとあげてしまっては……。襲われちゃいますよ……?」
妖しい表情。
嘘だろ……?
「ち、千歳……その……」
「……うふふ。なーんちゃって!」
千歳は離れると、嬉しそうに笑って見せた。
「女性経験が豊富だとは聞いていたのに、そんなに狼狽えちゃって……かわいいですね。うふふ」
コイツ……。
「ごめんなさい。ちょっと揶揄ってみたかったんです。女性経験が豊富な人に、私の魅力が通用するのかなって」
「……そうかい」
千歳は酒を飲み干すと、小さくため息をついて見せた。
「なんだよ?」
「いえ……。なーんで、海外艦の提督になっちゃったかなぁ……と思いまして……」
「え?」
膝を抱え、トロンとした目で俺を見る。
「狙っていたのに」
拗ねるように、唇を尖らせる千歳。
「……まだ揶揄うのか?」
「本音ですよ。私、酔ったら本音で話してしまうんです」
「あっそ……」
どうせ、また揶揄っているのだろう。
もう相手にするもんか。
「女性社会……女性の提督……。女性ばかりの海軍も、悪くはないです……。他の艦娘達も、その方が戦いやすいと言っていましたし……。でも、もし殿方が提督だったらと考えると、こう、ドキドキすると言いますか……。同じように思う艦娘もいたみたいです」
確かに、男性提督を望む声も、多少なりともあった。
尤も、そういう連中は、俺の素行を見て、考えを改めたようだが……。
「だから『狙っていた』のだと?」
頷く千歳。
「どうして海外艦の担当になっちゃったんですか?」
「語学堪能だと判断されたからだろう。それに、日本の艦娘は、俺のようなチャラチャラした男は嫌いらしいからな」
「確かに、軟派な殿方は嫌われがちでしたね」
「俺は完全にそういうタイプだった。お前が俺にどんな幻想を抱いているのかは知らんが、却ってよかったんだよ。幻想は幻想のままであった方がいいこともある」
そう言って酒を飲み干すと、千歳は透かさず酒を注いだ。
「確かに、あの頃の貴方はそういうタイプでした。私も、少しだけ、残念に思ったくらいですから」
「だろ?」
「でも、貴方が指揮する姿は本物でしたし、成果も大きかった。女性男性関係なく、貴方は本物の提督でした」
千歳は一升瓶に残ったわずかな酒を、注がずに、そのままラッパ飲みした。
「んっ……はぁ……!」
「おお……」
その飲みっぷりに、思わず拍手を送る。
「雨海提督……」
「なんだ?」
「貴方は……完璧でした……。私は知っています……。貴方が軟派を『演じていた』こと……。艦娘の為……艦隊の為に……そうしていたことを……」
千歳が、俺を見つめる。
「でも、今の貴方には、あの頃の完璧さは見えません。ポーラに詰められていた時――提督たちに詰められていた時の貴方は、完璧とは程遠かった……。それこそ、私に揶揄われてしまうほどに……」
「……戦争が終わって、腑抜けたって言いたいのか?」
「いいえ……。ただ、貴方に何があったんだろうって……。昔の貴方だったら、ポーラの好意に狼狽えることも無かったし、提督たちの誘いにホイホイついて行ったでしょう……」
「…………」
「何があったんですか……?」
何があったか……か。
確かに、あの頃は必死だったし、女性社会に風穴を開けてやるのだと息巻いていた。
それもこれも、女性への復讐の為で――。
けど、今は……。
『提督ぅ!』
「ポーラですか……?」
「え?」
「ポーラの存在が、貴方を……?」
俺は否定もせず、ただ空になったお猪口に口をつけた。
「……そうですか。やっぱり、そうなんだぁ……」
「……悪かったな。お前の理想の男でなくなっちまって……」
千歳はキョトンとした顔を見せていた。
「逆ですよ?」
「あ?」
「むしろ、逆なんです。確かに、貴方は完璧ではなくなった。だからこそ、魅力的になったと言いたいんですよ」
俺が分からないでいると、千歳は妖しい笑顔を見せた。
「ポーラや提督たちが、貴方を困惑させていたのをみて、私も同じようにしてみたいと思いました。あれほどまでに完璧だった貴方が見せる弱弱しい姿に、こう、母性が刺激されたんです」
こいつ……。
「……お前、そんな奴だったのか。つーか、やっぱりサディストじゃねぇか!」
「まあ、否定はしませんけど……。サディストとは少し違うと思います。貴方にだって分かるはずです。自分より弱い人を守ってあげたくなる気持ち。自分より弱い人をイジメたくなる気持ち」
『フフ……可愛いなぁ……。やっぱり、優秀な若い海兵ってのは、大事にされてきたのか、ウブな子が多くていいね』
否定できない自分がいる。
「今日、貴方に会って――ポーラに狼狽える貴方を見て、貴方が完璧ではなくなったのを知りました。けど、幻滅するどころか、ドキドキしちゃったんです。なんて弱弱しいのでしょう。なんて可愛らしいのでしょう、と」
「……気分悪いぜ」
「お気を悪くさせてしまったのならごめんなさい。でも、貴方も悪いんですよ? こんなに簡単に、私の誘いに乗っちゃって……」
千歳の妖しい目が、俺を見つめていた。
「お、おい……」
「そう狼狽えないでください……。そんな目をされては、ますます……」
千歳は堪えるように目を瞑ると、そっと立ち上がった。
「……私、変なこと言ってますね。少し、酔いすぎちゃったみたい……」
「……そのようだな」
「そろそろ失礼します。お付き合いいただき、ありがとうございました」
「あぁ……」
「では……」
去ろうと扉に手をかけた千歳は、何故か動きを止めた。
「……雨海提督」
「なんだ?」
「また……ご奉仕させていただけませんか……? 今度は……ちゃんと素面で来ますから……」
断ってもよかったが、こちらに顔を向けずに話す千歳に、そうは言えなかった。
「……あぁ」
「約束……ですよ……?」
そう言って、千歳は去っていった。
何も疚しい気持ちは無いはずなのに、千歳が何もせずに去ってくれたことに、安心している自分がいた。
「完璧ではなくなった……か……」
きっとそれは、過去の俺にとっては最悪なことなのだろう。
でも……。
『それでも……提督といたいんです……。毎日顔を合わせるくらいでは、足りないんです……。ダメですか……?』
「嗚呼……」
過去の恨みが霞むくらいに、俺は――。
翌朝。
戦時中の癖か、ぼうっとしたまま、執務室に来てしまっていた。
「……何してんだ、俺は」
しばらく何もせずにいると、扉がノックされた。
「どうぞ」
部屋へ入ってきたのは――。
「千歳」
「やはり、ここでしたか。他の提督も同じように、寝ぼけて執務室に向かっていましたから」
千歳は涼しい笑顔を見せると、そのまま近くにあった椅子に座った。
「昨日は申し訳ございませんでした……。あんな、はしたない姿を見せてしまって……」
本当に恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして俯く千歳。
その姿に、安堵している自分がいた。
「まあ、だいぶ酔っていたしな。俺も、お前にタジタジになっていた姿を忘れてほしいし、昨日のアレは無かったことにしようじゃないか」
そう言って笑って見せたが、千歳は――。
「無かったことには……したくないかも……」
「え……?」
「だって……無かったことにしちゃったら……約束も……無かったことになっちゃうから……」
『また……ご奉仕させていただけませんか……? 今度は……ちゃんと素面で来ますから……』
『約束……ですよ……?』
「な、なんちゃって! ご迷惑ですよね……。あはは……」
「いや……まあ……別に……迷惑ってことはないが……」
「え……本当ですか……?」
千歳は顔を上げると――その顔には、嬉しさが隠れていて――されど、隠しきれていなくて――。
「で、では……昨日と同じように……千歳に――」
「――提督ぅ……おはようございま……」
「――また、ご奉仕させていただけますか?」
「「え……」」
ノックもせず部屋に入ってきたポーラは、千歳を見て固まっていた。
千歳もまた、同じく……。
「チトセさん……? ここで、何をしているんですか?」
「え……えーっと……ちょっと、雨海提督に用事があって……」
千歳が俺を見る。
困った表情で……。
それを不審に思ったのか、ポーラは俺に細い目を向けた。
「提督ぅ……? ゴホーシってなんですか……? チトセさんに……何をさせようとしていたんですかぁ……?」
表情に影を落とすポーラ。
あ、これ、面倒なことになるやつだ……。
「ち、違うのポーラ! その……これは私から誘った事でね!?」
「ポーラ……知ってます……。ゴホーシって……えっちなことですよねぇ……? チトセさんから誘ったって……どういうことですかぁ……?」
「いや……えっちな意味じゃねぇよ……。ご奉仕ってのは、御酌の事で……」
「オシャク……? どうしてチトセさんが、提督にオシャクするんですか……? それに『また』って言っていましたよね……? いつ……したんですか……? オシャク……」
なんか、御酌がイケナイ言葉みたいになってねぇか……?
まあ、いずれにせよ、正直に答えないとな。
「昨日、他の提督に襲われそうになってな。千歳に助けてもらったんだよ。そのお礼として……って感じだ」
「どうしてチトセさんへのお礼に、提督がオシャクされているんですか……? おかしくないですか……?」
「そ、それはね? 私、男の人に御酌してみたくて……。雨海提督がちょうど良くてね?」
「でも、チトセさんは昨日、笠谷さんにオシャクしていました……。笠谷さんも男の人です……」
そうなのか?
昨日は、俺が初めてとかなんとか言っていたような……。
「まあ、そうなんだけど……」
千歳は再び俺を見た。
「別にいいじゃねぇか。助けてもらったのは事実だし。お礼に御酌させてほしいってんなら、いくらでも付き合ってやるさ。疚しいことでもないんだし」
「そ、そう! それに、ポーラの好きな人に手を出すわけないじゃない!」
千歳がそう言うと、ポーラは急に焦りだし、何故か俺を睨みつけた。
ポーラが俺を好きなことを千歳が知っている……ということを俺が知っているってのが恥ずかしかったんだろうな。
「わ、私そろそろ行かないと……。では、失礼しますね!」
千歳は逃げるように去っていった。
「提督ぅ!? どういうことー!? なんでチトセさんと一緒にいたのー!? えっちな事したのー!?」
「落ち着けよ……。別に疚しいことはしていないと言っただろ……」
「でも……むぅぅ……! ポーラがいない間にウワキするなんてぇ……。そもそも提督、今日は疲れたからすぐ寝るって、昨日言ってたじゃないですかぁ……」
「んなこと言ってねぇよ……」
「チトセさんにそう伝えたでしょー!? あ! もしかして、ポーラを遠ざける為に伝えさせたんですか!? ポーラは提督と一緒に過ごそうと探していたのにー!」
「はぁ? んなこと伝えて無……」
『そうそう。ポーラから伝言があります。それを伝えに来たんでした』
「……ちょっと待て。お前、昨日、俺を探していたのか?」
「そうですよ……。なのに……。提督……ヒドイです……」
『でも、貴方も悪いんですよ? こんなに簡単に、私の誘いに乗っちゃって……』
まさか……。
「お前、千歳に、俺宛の伝言を伝えなかったか?『今日は寮でお酒を飲みます。一緒に居られなくてゴメンナサイ』って……」
「伝えてないですよぉ……」
なるほど……。
「……俺は、千歳からそう伝えられて、お前を探すのをやめたんだ」
「だから、伝えてないですって!」
「俺も同じだ。千歳に伝言なんて頼んでねぇんだよ……」
ポーラはポカンとした顔を見せていた。
「え……どういうことですか……?」
「……珍しく鈍いじゃねぇか」
そう言ってやると、ポーラはようやく理解したのか、焦りの表情を浮かべていた。
「で、でも……! どうしてですか!? なんで……遠ざける事なんか……」
「まあ……そういうことだろ……」
ポーラは涙目になりながら、俺に迫った。
「提督ぅ……!」
「安心しろ。何もなかったよ。天地神明に誓ってもいい」
そう言ってやっても、ポーラは不安そうにしていた。
まあ、分かるよ。
俺もちょっと、恐ろしいと思っているのだから……。
「……そう言えば、昨日の分がまだだったな」
「え……?」
「……ほら」
手を広げてやると、その意図に気付いたのか、ポーラはゆっくり近づき、抱きしめられた。
この慰め方、すっかり板についてきたな……。
「……ほんとに何も無かったんですか?」
「そう言っているだろ。つーか、千歳の伝言がなかったら、お前を探しに行っていたさ」
「……ポーラに会いたかったってことですか?」
「そうは言ったつもりは無いけど……そう言ったってことでいいよ」
「なんですか、それ」
ポーラはクスクス笑うと、より一層体を預けた。
「千歳から聞いたよ。俺と恋人だって吹聴して回っているらしいな」
「今のこの状態を見たら、誰でもコイビトだと思います……」
「じゃあ、やめておこうかな」
そう言ってやると、ポーラはよりギュっと俺を抱きしめた。
『貴方にだって分かるはずです。自分より弱い人を守ってあげたい気持ち。自分より弱い人をイジメたくなる気持ち』
まあ、そういうのとは少し違う気がするけど……。
「意地悪したくなるよな……」
「え? なんですか?」
「なんでもないよ。もういいだろ? 駆逐艦たちが見ているぞ」
「え!?」
振り返るポーラ。
扉の隙間から、顔を真っ赤にした駆逐艦たちが、こちらを見ていた。
「な、何見ているんですかー!?」
「見つかっちゃった! 逃げろー!」
逃げる駆逐艦たちを追いかけるポーラ。
「やれやれ……」
「相変わらずだね、司令官」
「おわ!?」
いつの間にか、机の下にいる響。
「お前……! いつから!?」
「ずっといたよ。司令官が部屋に来る前からね……。驚かせようと思って……」
響は机の下から出てくると、俺の膝の上に座った。
「司令官、千歳さんにタジタジになっていたんだね。千歳さんも、はしたない姿を司令官に見せたって言ってた」
「……聴いていたのか」
「ポーラに嘘をついたの……? 何もなかったって……」
「あいつの言う『えっちなこと』は無かったよ。ただ、千歳は酔っていたようでな。こう……俺をタジタジにさせるような言動ばかりを……分かるだろ?」
響は察したのか、退屈そうに俺へ寄りかかった。
「千歳さん、司令官のことが好きなんだね」
「……かもな」
「ポーラが焦るのも分かるよ。司令官と千歳さん、なんだかお似合いに見えるから……」
「そう見えるか?」
「うん……。きっと、ポーラも同じように思ったはずだ。そうじゃなかったら、あんなに焦らないと思う」
響は不安そうに、俺を見た。
分かっているさ……。
「確かに、千歳はいい女かもな」
「…………」
「でも俺は、揶揄われるのは好きじゃない。揶揄いがいのある女の方が好きだ。お前みたいな……な!」
くすぐってやると、響はキャッキャとはしゃいでいた。
荷物を車に積み込み、帰り支度をしていた時であった。
「ポーラはまだか?」
「さっき、声をかけてきたんだけど……」
「何やってんだあいつは……」
そこに、何故か千歳が走ってやってきた。
「雨海提督!」
「千歳?」
「その、ポーラが……!」
「え?」
千歳について行くと、そこには――。
「一目惚れなんです! ポーラさん! お近づきのしるしに、どうか!」
「えーっと……」
大きな花束を渡されているポーラ。
渡している男は……。
「だ、誰だ……?」
「あの方は……梅津海軍大臣のお孫さんです……」
「梅津閣下の……!?」
「あ、提督ぅ!」
ポーラは俺に気付くと、そのまま抱きついてきた。
「おっと……」
「ポーラさん!? き、貴様! 何者だ!?」
お孫さんが、こちらを睨む。
本当に梅津閣下の孫か?
そう思ってしまうほど、似ているところが一つもない。
「……初めまして。海外艦を担当している雨海です。梅津閣下には――」
「あぁ……なんだ……。艦隊の提督か……」
たいしたことはないとでも言うように、お孫さんはフンと鼻を鳴らした。
なんだとはなんだ。
一応、提督だぞ。
まあ、梅津閣下に比べたら、そら劣るやもしれんが……。
「……ポーラがご迷惑をおかけしたようで。ほら、帰るぞ」
ポーラの手を取る。
「待ちたまえ」
その反対の手を、お孫さんが取った。
「……何か?」
「君に用は無い。僕はポーラさんと話があるのだ。その手を放したまえ」
ポーラは困ったように俺を見た。
「……野暮を承知で申し上げるが、彼女は嫌がっている。分からないのか?」
「なんだその口の利き方は……? 僕を誰だか分かって言っているのか……?」
「梅津閣下の孫だろう……? だから何だってんだ……?」
そう言って睨みつけてやると、狼狽えたのか、お孫さんはポーラの手を離した。
「フン……」
「き、貴様ぁ……。こんなことをして……タダで済むと思うなよ……!」
「望むところだ……。行くぞ、ポーラ」
「は、はい!」
睨みつけるお孫さんを残し、俺たちはその場を後にした。
ポーラの荷物を詰め込んでいる間、千歳は心配そうに俺を見ていた。
「そんなに心配か?」
「えぇ……。だって、相手はあの梅津海軍大臣のお孫さんですよ……。何をされるか分かりません……」
「そんなに悪い奴なのか?」
「よくない噂ばかりです……。逆らった人は、左遷させられるだとか――最悪の場合、海軍を辞めさせられるだとか……」
なるほど……。
しかし、そんな蛮行を、あの梅津閣下が許しているとは、とても……。
「雨海提督……」
千歳は泣きそうな目で、俺を見ていた。
「お前が心配することではないさ。権力に屈するつもりは無いが、辞めさせられるようなことがあったとしても、それはそれで構わんさ」
「でも……!」
「知らせてくれてありがとう、千歳。辞めることがあっても、約束は果たすつもりだから、安心しろ。じゃあ、またな」
「提督……!」
車に乗り込む直前、千歳は俺の手を掴もうとしたが、俺はあえて――千歳には分からないように――それを躱した。
車をすぐに走らせる。
遠ざかる千歳。
その表情に――掴みどころを失った手に、少しだけ心が痛んだ。
海軍本部を出て、家路を急ぐ。
「さっきからやけに大人しいな、お前ら」
響は細い目を俺に向け、ポーラは俯いていた。
「……まずは響の理由から聞こうか」
響は退屈そうに腕を組むと、これまた退屈そうにため息をついて見せた。
「なんだってんだよ? 何がそんなに気に入らない?」
「いや……。司令官って、本当に罪作りな男だと思って……」
「はぁ?」
「千歳さんを誑かして……。挙句の果てに、あんなカッコいいところを見せちゃって……」
そう言って、響はポーラを見た。
「私も、あんな風に守られたかったよ」
嫌味のように言う響。
その言葉を受けて、ポーラは小さくなっていた。
「……で? お前はなんだって大人しいんだ?」
「ソレハ……ソノ……」
「……もしかして、怖かったのか? すぐに駆け付けてやれなくて悪かったな……」
「ソウジャナクテ……」
「じゃあ、心配しているのか? あの孫が復讐に来るんじゃないかと……」
後ろに座る響が、わざとらしく、大きなため息をついて見せた。
「なんだよ?」
「……野暮を承知で申し上げるが」
さっきの俺の真似か、声を低くする響。
「ポーラは照れているだけだよ」
「へ?」
「そうだよね? ポーラさん?」
「そうなのか?」
ポーラは……。
「……ほらね」
ポーラは耳まで真っ赤にさせると、より一層小さくなってしまった。
「何を照れているんだ……?」
「あんな守られ方したら、誰でもそうなるよ……」
再びため息をつく響。
なるほど……。
「別に、普通だろ……。ただ困っているから助けただけで……」
「でも……」
ポーラは横目で俺を見た。
「でも……嬉しかったんです……。まるで……コイビトを守るように……手を引かれて……。相手は怖い人なのに……それに負けないくらい……提督は……」
ポーラは小さく「カッコヨカッタデス……」と言った。
「……そうかい」
そう照れられると、こっちまで恥ずかしくなっちまう……。
「……なんか食って帰るか。朝食も摂っていなかったし」
「私はお腹いっぱいだけどね」
と、響が言う。
これは完全なる嫌味であった。
その日の夜。
寝支度を済ませ、床に就こうとした時であった。
突如、応接間の方でガラスの割れる音が聞こえた。
ポーラがやらかしたのかと思い、向かってみると……。
「司令官……」
「提督ぅ……」
そこには、不安そうにしている二人の姿があった。
「大丈夫か?」
見てみると、ガラスが割られていた。
それも、外側から……。
「……何があった?」
「分かりません……。ガラスが割れる音が聞こえて……それで……」
「司令官!」
響が指す先に、小さな風呂敷包みが転がっていた。
中身を確認してみると、ガラスを割るには十分なサイズの石と、手紙のようなものが入っていた。
「これは……」
手紙のようなものには、新聞の切り抜きが貼られていて『許さない』と読めた。
間違いなく、脅迫文であった。
「司令官、これってまさか……」
「……断定はできんが、あの男の仕業かもしれないな」
なるほど……。
千歳が心配するわけだ……。
「司令官……」
「提督ぅ……」
不安そうにする二人。
俺に対する嫌がらせだけなら、たいしたことはないのだが……。
「……怖かったよな。今日は、三人で寝ようか。その方が安心だろ?」
「いいんですか……?」
「嫌ならいいんだぜ?」
二人は急いで、布団と枕を俺の部屋へと運んでいった。
「さて……とりあえず、ガラスを片付けないとな……」
しかし……面倒な事になったな……。
別に、俺を許さないのは構わないのだが……。
「男なら、正々堂々勝負しに来いってんだ……」
翌朝。
いつものように、子猫ちゃんたちの愛を受け取りに郵便受けへ行ってみると――。
「うわぁ!?」
手紙が、ズタズタに切り裂かれていた。
「提督ぅ!?」
俺の声を聞き心配したポーラが、割烹着姿で出てきた。
「大丈夫ですか!? って、なんですかこれ!?」
「…………」
これも、ヤツの仕業か……?
「……ポーラ、響を起こしてくれ。すぐにここを出るぞ……」
「え? わ、分かりました!」
寝ぼけ眼の響を乗せ、海軍本部へと向かった。
「なるほど……。それでこちらに……」
「このままでは、二人を怖がらせてしまう。真鍋さん、しばらくの間、二人を預かってくれないかい? いくら梅津閣下の孫とはいえ、さすがに海軍本部への出入りはないだろうと思うから……」
「それは構いませんけど……。雨海提督はどうされるのですか……?」
「俺は一人で戦うよ。ヤツの狙いはポーラだが、危害を加えたいのは俺だろうしな」
「提督ぅ……」
「心配すんな。すぐに解決する。響、学校休むことになってしまって、悪かったな……。またすぐに通わせてやるから、我慢してくれ……」
「私たちは平気だよ……。それよりも、司令官が心配だよ……」
「大丈夫だ。卑怯な手を使ってくるような奴に、俺は負けんよ」
そう言って、二人の頭を撫でてやった。
「雨海提督……。その……梅津閣下には相談されたのでしょうか……?」
「いや……」
「でしたら、相談するべきです! 梅津閣下なら……あの人なら、きっとどうにかしてくれるはずです……! 私、梅津閣下のことは良く知っています……。厳しさの中に、優しさもあって……。そんな人が、こんなことを許すはずがありません……!」
「そうだね……。だが、お孫さんがやったという証拠もない。証拠もないのに、梅津閣下の親族を疑う発言はできないよ。僕も、梅津閣下を尊敬している。だからこそさ」
「雨海提督……」
「……心配してくれてありがとう。迷惑かけて悪いけど、二人のこと、どうかよろしくお願いします。お前らも、ちゃんと真鍋さんの言うことを聞くんだぞ」
「提督……」
「司令官……」
二人が俺に抱きつく。
「なにも、今生の別れって訳じゃないんだ。毎日顔を出すようにするから、そう寂しがるな」
「ほんとですか……?」
「あぁ」
「約束だよ、司令官……」
「おう」
小指に約束を紡ぎ、その場を後にした。
「さて……ここからどうするかな……」
今回の件、十中八九、梅津閣下のお孫さんによるものだとは思うが……。
「まずは証拠集めが必要だよな……」
しかし……なんて陰湿な……。
こんな男らしくないやり方、まるで――。
「雨海提督……?」
声の主は……。
「千歳?」
千歳は表情をぱっと明るくさせると、駆け足で近づいてきた。
「本部に来ていたのか」
「えぇ。本日より、こちらで仕事をすることになったので」
「仕事?」
「言ってませんでしたっけ? 私、今、海軍の事務仕事を任せられておりまして」
『今日中に必要な手続きがあると言ったではありませんか』
なるほど……。
あの時、千歳が俺に用事がある事を――俺と千歳には何のつながりもないのに――何故、提督たちが疑問に思わなかったのかを不思議に思っていたのだが……。
そういうことか……。
「そうだったのか。本部配属とは、出世したな」
「元居た鎮守府が閉鎖になって、居場所がなくなっただけです。とは言え、こうして提督にお会いできる機会が増えるのですから、良いことには変わりないですけどね。なーんて」
千歳が嬉しそうに笑う。
その笑顔に、ちょっとだけ照れてしまう自分がいた。
「提督は、何か用事ですか?」
「あぁ……まあ、そんなところだ……」
「……もしかして、お孫さんの件ですか?」
心配そうにする千歳。
巻き込むわけにはいかないよな……。
「いや……ちょっとした用事で来ていただけだ。そろそろ行かないと。じゃあ、また」
「あ……」
そそくさとその場を去る。
千歳には悪いが、あまり一緒にはいられない。
『また……ご奉仕させていただけませんか……? 今度は……ちゃんと素面で来ますから……』
「…………」
あの表情は、きっと――。
まずは、梅津閣下のお孫さんの情報を集めるところから始めた。
「これは内緒の話なのですが……。実は、梅津閣下のお孫さんは、閣下の息子さんが引き取ってきた、元孤児なんだそうです……。息子さんが戦死してからは、閣下が引き取ったようですが……。閣下は忙しい方ですから、面倒を見ることもできず……。素行が悪いのだと指摘できるような方もおらずで……」
なるほど……。
「そんな感じです……。あの……お役に立てたでしょうか……?」
「あぁ、十分すぎるくらいだよ。そんなことよりも、内緒の話なのに、僕に言ってよかったのかい?」
「は、はいぃ……。いいんです……。雨海提督の頼みなら……私、なんだってやります……」
「そうなんだ。イケナイ娘だね……。じゃあ、他にも有力な情報がないか、探ってくれないかい……?」
「もちろんです……!」
「頼んだよ」
そう言って頬を撫でてやると、名も知らぬ若い海兵は目をハートにさせていた。
この調子で情報を集めるか……。
「しかし……フフ……」
情報も集まるし、自己顕示欲を満たされるし、やっぱり初心な海兵は最高だぜ。
家に帰る頃には、ある程度の情報が集まっていた。
「梅津雄二か……」
噂通り……とまでは言わないが、梅津閣下の権力を利用し、傲慢な態度に出る嫌われ者であることは間違いないようであった。
左遷だの辞めさせられるだのというのは、権力を以てというよりも、梅津雄二を避けるために異動を志願したり、自主退職した者がいたという程度であった。
故に、俺が逃げさえしなければ、皆が心配しているような事態にはならないわけだが……。
「しかし、嫌がらせの度が過ぎている……」
話が本当であるのなら、もっとこう、直接的な対決をしてきそうなものだが……。
何故、ガラスを割り、脅迫状を送り、手紙を破り捨てるようなことを……。
そんなことを考えていると、突如、外が騒がしくなった。
「何事だ?」
外へ出てみると……。
「雨海さん!」
「何事です?」
「火事ですよ! ほら!」
見ると、ゴミ捨て場が燃えていて、近所の人たちが消火活動にあたっていた。
「火の気なんてなかったから、きっと放火ですよ!」
「放火……」
火はすぐに消えた。
何が燃えたのかを確認するため、皆がゴミ捨て場に近づく。
そして、確認を終えると、何故か皆、俺を見た。
「雨海さん……」
「なんです?」
近づき、確認してみる。
「これは……」
燃えていたのは――勝手に作られていた――大量の俺のブロマイドであった。
自警の事情聴取を受け、家に帰ったのは深夜であった。
「疲れた……」
燃えていたのが俺のブロマイドであったこともあり、根掘り葉掘り訊かれた。
別に容疑がかかっていた訳ではなかったのだろうが、どうも自警という組織には慣れておらず――尤も、自警側もまだ慣れていない様子だったのだが――どっと疲れてしまった。
「放火か……。しかも、俺のブロマイドとは……」
これも、嫌がらせの一つだろうか……?
「もはや、嫌がらせの度を超えているぞ……」
だが、気がかりなことがある。
『聴き取りによると、怪しい女が雨海さんのお宅付近をウロついていたのだとか……』
女……。
そいつが放火犯だとするなら、俺のブロマイドが燃えていたのは偶然か……?
確かに、最近は手紙も少なくなってきたし、ポーラとの関係を知った奴が、俺のブロマイドを捨てることもあろう。
たまたまそれに火をつけた……?
はたまた、今回の放火犯と嫌がらせしてきた奴は別人か……?
「うーん……分からん……」
居間に寝転がり、縁側の向こうの庭を眺める。
「……静かな夜だな」
いつもなら、こんなところで寝転がっていると、響が飛びついてきて……。
『あー! 響ちゃんズルいです! ポーラも!』
『ポーラは重いからダメだよ。そうだよね、司令官』
『重くないです! 提督ぅ……ポーラもぉ!』
「フッ……」
笑ったのは、二人のことを思い出し、少しだけ、ほんの少しだけ、寂しいと思ってしまったからであった。
「早々に解決しなくちゃな……」
いつもはうるさく感じる虫の音が、今日に限っては――。
翌日の早朝。
いつものように郵便受けへ向かうと……。
「千歳……?」
千歳は、門の近くに座り込んでいた。
「あ! 雨海提督! おはようございます!」
「おはよう……って、何してんだ? こんなところで……」
というか、何故家の住所を……。
「朝早くからすみません……。その……事情を聞きました……。ポーラが本部預かりになったことも知っています……。家政婦がいなくなって、お困りかと思い……その……お力になれたらと……」
千歳の手には、風呂敷包みが握られていた。
「……ずっと待っていたのか? 俺が起きてくるまで……」
千歳は微笑むだけであった。
「……とりあえず上がれよ」
「は、はい! お邪魔します」
千歳は風呂敷包みを解くと、持ってきたのだという食材を並べた。
「聞きましたよ。なんでも、近所で放火があったのだとか……。その件で、自治体警察の事情聴取を受けたそうですね」
「あぁ。燃えていたのが俺のブロマイドだったようでな」
「ブロマイド? 提督、ブロマイドなんて作ってらしたんですか?」
「勝手に作られていたんだ。俺ほどモテるようになると、勝手にブロマイドが作られてしまうらしい」
「へぇ、艦娘のブロマイドがあるのは知っていましたけれど、提督のブロマイドもあるんですね。私も一枚欲しいかも……なんて」
千歳は朝食を作り始めた。
「……自然に家へ上げてしまったが、何故、朝食を?」
「先ほど言ったじゃないですか。家政婦がいなくて困っているだろうから、お力になろうと来た次第です」
「頼んでないが?」
「頼まれていませんが?」
「……じゃあ、なんで来たんだ?」
「うーん……提督の困っている顔が見たかったから……とか?」
俺の怪訝そうな表情を見て、千歳は嬉しそうに笑った。
「冗談ですよ。ただ、お力になりたいと思っただけです。千歳の不純な心が、そうさせたんです」
「不純な心?」
「言ったでしょう? ご奉仕するのが好きだって」
なるほどネ……。
「そう気を遣ってもらえるのはありがたいものだネ。けど、あいにく困ってはいないんだ」
「だったら、どうして家政婦を雇っているのです?」
「その方が楽だからだ。元々、料理も掃除も、得意な方だ。ポーラの前の家政婦よりも、上手くできる自信がある」
「千歳相手では、そうとも言っていられませんよ?」
「フッ……どうだかネ……」
そうこうしている内に、朝食は完成した。
「随分とシンプルだな」
「基本が一番ですから。さぁ、召し上がれ」
相当な自信があるのか、得意げな千歳。
「いただきます」
まずは味噌汁を一口……。
「……!?」
もう一口。
「どうです?」
「なんだこれ……凄い美味しいぞ……!」
「フフン、でしょう?」
味噌汁だけでなく、他のおかずも美味かった。
「その様子だと、千歳の勝ちかしら?」
正直、完敗どころの騒ぎではない。
色々と美味いものは食べてきたつもりだが、これは……。
「提督?」
「……レシピ、教えてくれないか?」
千歳はニンマリと笑うと、弾んだ声で「ダメです」と言った。
朝食を済ませ、縁側でくつろいでいると、千歳がお茶を持ってきてくれた。
「ありがとう」
「隣、いいですか?」
「あぁ」
千歳は隣に座ると、俺と同じように庭を眺めた。
「何を見ているんです?」
「別に、何も」
「何もってことはないでしょう?」
「何かを見ようとしなければ、目を開けちゃ駄目なのか?」
「なんです? その言い方。トゲがあってヤな感じ」
千歳はお茶を啜ると、じっと俺を見つめた。
「なんだよ?」
「別に、何も。見ようとしなければ、目を開けてはいけませんか?」
コイツ……。
「ウフフ、冗談ですよ。本当、提督って面白いんだから」
「……俺は面白くないがね」
「揶揄われるの、嫌い?」
「嫌い」
「嘘。本当は好きだって思ってる。顔に書いてありますよ?」
思わず顔に触れる。
それが可笑しかったのか、笑う千歳。
「ウフフ、ごめんなさい」
「…………」
「お気を悪くされたのならごめんなさい。つい、楽しくなっちゃって。こうやって気軽にお話しできる殿方、中々いないから」
「そうかい……」
お茶を飲み干し、立ち上がる。
「朝食、美味かったよ。気を遣ってくれたのはありがたいが、今後、こういうのは止してくれ」
「どうしてですか?」
「知っての通りだ。今は色々と大変なんだ。お前を巻き込みたくないし、それに……」
『提督ぅ!? どういうことー!? なんでチトセさんと一緒にいたのー!? えっちな事したのー!?』
「ポーラが嫉妬しちゃう?」
「……あぁ」
「嫉妬、させたくないんですね」
「面倒くさいからな……」
「ふぅん……」
千歳は立ち上がると、台所で湯呑を洗い始めた。
「そんなにポーラが大事ですか?」
「提督だからな」
「ただの艦娘と提督の関係?」
「そうだ」
「それ以上でもそれ以下でもない?」
「……そうだ」
「じゃあ、千歳は?」
湯呑を洗い終えた千歳は、俺をじっと見つめた。
「千歳もポーラと同じ艦娘だというのなら、大事に想ってほしいかも……なんて……」
「…………」
「って、あれ……? ごめんなさい……。困らせるつもりはなかったのですが……。それとも……やっぱり……ポーラは特別な存在でした? 千歳とは違って……」
俺は答えなかった。
「……提督、何か言ってくださ――」
「――千歳」
俺は、千歳をまっすぐ見つめた。
「悪いけど……もう帰ってくれないか……? それと……もう、ここには……」
痛い。
ポーラを振った時と、等しく。
「……分かりました」
理由も問わず、千歳は持ってきた風呂敷を手に、家を出て行った。
「はぁ……」
居間に寝転ぶ。
「これでよかったんだよな……」
そう、自分に言い聞かせる。
千歳が何を考えているのか、ポーラに向き合った今、痛いほど分かってしまう。
だからこそ、変に期待させるよりも前に――。
けど――。
「泣かなかったな、あいつ……」
それが余計に、俺の心を締め付けていた。
海軍本部へ向かおうと、車に乗り込もうとした時であった。
「あ」
と、声を発したのは……。
「梅津雄二……」
梅津雄二は大きな花束を持ち、俺を見ていた。
「雨海修……」
「……ポーラならいないぜ」
「え?」
「どっかの誰かさんが嫌がらせしてきたからな……。危ない目にあわせる前に、避難させたんだ……」
「嫌がらせ……? どういうことだ……?」
あくまでとぼけるつもりか……。
「……とにかく、あんたをポーラに会わせるわけにはいかない。お引き取り願おうか」
そう言って、車に乗り込もうとした時であった。
「ま、待ってくれ!」
「……なんだ?」
「……少し、話をしないか?」
「あ?」
梅津雄二――雄二を乗せ、車を走らせる。
「いい車に乗っているな」
「……どうも」
どうしても話がしたいとのことだったので、乗せてはやったが……。
何を考えてんだ……コイツ……。
「その……この前はすまなかった……。どうも、酒癖が悪くてね……。あの日はしこたま飲んでいたものだから……」
「自分は悪くなく、酒が悪いと?」
「そうは言っていないだろう。嫌味な奴だな」
「フン……」
雄二は気まずそうに鼻先をかくと、独り言のように話し始めた。
「雨海修……。唯一の男性提督にして、海外艦を担当する男か……」
「…………」
「僕も中々の美形であると自負しているが、君も負けず劣らずと言った具合だな」
「…………」
「フッ……無口な男だな……」
雄二は流れゆく景色を眺めながら、退屈そうにため息をついた。
「ポーラさんに手を出されたことを怒っているから、無口になっているのかい? それとも、僕に関する噂を知って、口も利きたくないと思っているのかい? 後者であるのなら、弁明させてほしい」
弁明……?
「僕はね、確かに性格が悪い。酒癖も悪いし、婆さんの孫であることを利用し、色々とやってきた。けど、女って奴は、僕のようなチョイ悪な男が好きらしくてね。それでいて、この顔だろう? 女が寄ってくる寄ってくる」
悔しいが、そのようだ。
悪い噂ばかりではあるが、魅力的ではあるという証言は多々あった。
「しかしまあ、君も分かるだろうがね、女ってのは嫉妬深いだろう? 他の女とイチャイチャしているだけで、根も葉もない噂を流されてしまってね……。それでいて、女の噂ってのは、恐ろしく広がるときた」
「……つまり、噂を流している女が悪いのであって、自分は真っ当な人間だと?」
「そうは言っていない。ただ、君に無視されるような筋合いはないと言いたいのだよ」
コイツ……。
想像していたよりも、こう……。
「フン……どう弁明しようとも、アンタへの評価は変わらねぇよ……」
「なら、どうしてそこまで敵視するんだい? 僕はこうして、正々堂々、宣戦布告に来たというのに」
「正々堂々……? 宣戦布告……?」
「あぁ。僕はね、本気でポーラさんに惚れてしまったんだ。だから、君からポーラさんを奪うつもりだ。それを宣言しに来たんだ」
「……言いたいことはそれだけか?」
「あぁ、そうだ」
俺は車を停めた。
「楽しいドライブは、もう終わりかい?」
俺は何も言わず、出ていくようジェスチャーをした。
「……分かったよ。まったく……何をそんなに怒っているんだかね……」
雄二は車を降りたが、花束を置きっぱなしにしていった。
「おい……」
「ポーラさんに渡しておいてくれないか? 僕に会わせる訳にはいかないのだろう?」
雄二は「アディオス」と挨拶して、去っていった。
「なんだアイツ……」
しかし……。
「…………」
俺は、花束を見た。
「不快感はあるが……」
嫌な奴ではない。
そう思ってしまった自分に、嫌気がさした。
本部へ向かい、ポーラと響を訪ねた。
「提督ぅ……!」
「司令官……!」
二人は駆け寄ると、俺に抱きついた。
「おっと……」
「提督……! 火事……大丈夫でしたか!?」
「司令官……怪我してない!?」
放火があったことを知っているのか。
まあ、そらそうか……。
「あぁ、大丈夫だ。この通りピンピンしているよ」
二人はホッとすると、泣きそうな目で俺を見つめた。
「司令官……あれから、あの人に嫌がらせされてない……?」
「あぁ……。ここへ来る前、ヤツは家に来たよ」
「え……」
「これをお前に、だってよ」
花束をポーラに渡してやる。
「これを……ポーラに……?」
「俺からポーラを奪うのだと、宣戦布告してきたよ。正々堂々と戦うとのことだ」
「正々堂々って……。あんなことして、よくそんな事が言えるよ……!」
珍しく怒っている響。
「あぁ、俺もそう思ったよ。けど……」
「けど……?」
「話していて思ったのだが……どうも、陰湿な奴とは思えなかったんだ……」
「どういうこと……?」
「いや、俺にもよく分からんのだが……。どうも引っかかるんだよな……。本当にヤツの仕業なのだろうかと……」
わざわざ宣戦布告してくるような奴が、あんな脅迫をするだろうか……。
手紙を切り裂いたのも、ただの嫌がらせにしては弱いというか……。
「でも……司令官のブロマイドが放火に使われたんだよ? どう考えても……」
「その件についても、どうやら別の犯人がいそうなんだ。なんでも、怪しい女がウロついていたという証言があってな……」
「怪しいオンナですか……?」
「あぁ……」
うーん……。
やっぱり、何か引っかかる……。
放火の件は別としても、これまでの陰湿な嫌がらせが、どうもあの男の仕業だとは……。
「とにかく、今は様子を見ることにするよ。そうだ。せっかく来たんだし、三人で飯を食わないか? 本部を出るわけにはいかないから、食堂になってしまうが……」
「十分です! ね、響ちゃん!」
「Ypaaaaaaa!」
「じゃあ、行こうか」
飯を食った後も、できるだけ三人での時間を過ごした。
二人が寂しくないようにと、そうしていたのだが――。
「提督ぅ! えへへ、こっちですよー!」
「遅いよ司令官」
「ごめんごめん」
気付けば、三人でいることを誰よりも楽しんでいる自分がいた。
寂しいと思っていたのは、どうやら俺の方だったらしい。
「…………」
でも、いつまでも一緒にいる訳にはいかないよな……。
俺を好きでいてくれているとは言え、いつかはポーラも――。
響だって、里親が見つかれば……。
「提督? どうしました?」
「司令官?」
「……いや、なんでもないよ」
って、何を寂しがっているんだ俺は……。
ポーラにしろ響にしろ、いずれはそうなると分かっているからこそ、今があるんだろ。
この関係だって、本来、俺が望んだものではない。
俺は提督で、こいつらは艦娘。
提督として、艦娘を導くのが俺の仕事だ。
そう、仕事なんだ。
吞まれてはいけない。
日が暮れてきたこともあり、今日のところは引き揚げることにした。
「提督ぅ……」
「司令官……」
「そう寂しがるな。また明日、顔を出すよ」
「ほんと……? 約束ですよ……?」
「あぁ、約束するよ」
三人、小指を絡める。
「じゃあ、また明日な」
「はい……。Ci vediamo……です……」
「До свидания」
「フッ……」
粋な挨拶の仕方に、俺もまた、粋な返しをするように、いつもの台詞を言った。
「グッド・バイ」
家に帰ると……。
「!」
家の前に、千歳が立っていた。
「あ、おかえりなさい」
「千歳……」
「……ごめんなさい。来るなって言われたけど……来ちゃいました……。約束……守ってもらおうと思って……」
千歳の手には、風呂敷包が握られていた。
「ずっと……待っていたのか……?」
千歳は答えない。
「……千歳」
「……お夕飯、まだですよね? 良かったら――」
「――帰ってくれ……」
そう言って、千歳を尻目に、玄関へ向かう。
「どうして避けるのですか……?」
「…………」
「私……何かしちゃいましたか……? 何か……提督の迷惑になるようなこと……嫌われるようなこと……しましたか……? もしそうなら……!」
「いや……」
「だったら……どうして……」
俺が答えられないでいると――。
「やっぱり……ポーラですか……?」
「…………」
「ただの艦娘と提督の関係……では無かったのですか……? 私は……それ未満ですか……?」
千歳は――なんて悲しそうな顔なんだ――そっと俺に近づいた。
「提督なら……もう気付いているのでしょう……? 私がどうして……こうしているのか……」
「……それが分かっているのにもかかわらず、ここに来ている理由は分からんよ」
「諦めたくないからです……。きっと、提督はポーラのことが好きなのでしょう……? でも、恋仲にはなれていない……。だから、私は……」
やはり、千歳は――。
「……話して間もない男に惚れては、女がすたるぜ」
「貴方と一緒になれるのなら、世間にどう思われようとも構いません……」
「本気なのか……?」
「えぇ、本気です」
正直、どうしてここまで俺に好意が持てるのか、まったく分からない。
それは、ポーラにも同じことが言えるのだが――特に、千歳と俺は、ほぼ初対面と言っても過言ではないのに……。
「提督……」
けど――いずれにせよ――。
「……分かったよ。だったら、正直に言おう……。俺は、お前と恋仲になるつもりはない。だがそれは、お前が嫌いだからではない。俺はただ……」
『提督ぅ!』
「ポーラを失いたくないんだ……。あいつのことが……好きだから……」
華蓮ちゃんを振った時と同じように、ポーラへの好意を口にしてしまった。
けど、不思議と、不快感や羞恥心はない。
「……嫌」
「え?」
「嫌……! 私……諦めたくない……!」
「ち、千歳……?」
千歳が、俺をじっと見つめる。
「私……どんな手を使ってでも、貴方を手に入れて見せますから……!」
俺を見つめるその目に、何か強い意志を感じた。
「……何がそこまでお前を搔き立てるんだ」
千歳は――。
「初めてなの……」
「え……?」
「ここまで……誰かを想えたのは……」
「……初恋なのか?」
恥ずかしそうに頷く千歳。
「私にも……よく分からないんです……。でも……提督をお見かけした時から、心がザワザワして……。交流会で再会して、その気持ちの正体に気付いて――でも、やっぱりよく分からなくて――提督とポーラを見ていると、ザワザワが止まらなくて――邪魔をしようとして――」
同じだ。
俺が、ポーラに対して思っていることと――。
だとしたら、やはり、俺も――。
「――だから、諦めたくないんです……。お願い……。私にチャンスをください……。きっと、気に入ってもらえますから……」
「千歳……」
ここで情けをかけてしまっては――。
『貴方が本当の優しい人になりたいのなら、自分が傷つくことを恐れてはいけないわ』
だよな……。
「それでも、俺の答えは変わらないよ……」
「提督……!」
「ごめん……」
家に入り、カギをかける。
「提督……! 私……諦めませんから……! 絶対……どんな手を使っても……!」
それからどうしたのか、よく覚えていない。
気付いた頃には、もう彼女の姿はなかった。
「はぁ……」
床に就いてはみたものの、眠れる気がしなかった。
色々な事があって、疲れているはずなのに……。
「…………」
考えるのは、千歳の事ばかりであった。
『私……諦めませんから……! 絶対……どんな手を使っても……!』
「どんな手を使っても……か……」
確かに、俺とポーラを引き離すため、嘘の伝言をしてきたような奴だ。
それにまんまと騙されたのも事実だし、あいつが本気を出せば、或いは――。
「案外、策略家なんだな……。俺が一人でいる事を良いことに、家に押しかけて来るのだって……」
本当に、千歳にとっては、都合の良い状況――。
「……!」
千歳にとって、都合のいい状況……。
『怪しい女が雨海さんのお宅付近をウロついていたのだとか……』
「いや……そんな……まさか……」
『相手はあの梅津海軍大臣のお孫さんですよ……。何をされるか分かりません……』
『よくない噂ばかりです……。逆らった人は、左遷させられるだとか――最悪の場合、海軍を辞めさせられるだとか……』
千歳に言われ、梅津雄二を警戒したが……。
『根も葉もない噂を流されてしまってね……』
もし……仮にもし、これまでの嫌がらせの全てが千歳の仕業で、そのヘイトを向けるために梅津雄二の噂を聞かせたのだとしたら……。
「俺はポーラを避難させるはずだ……。そして……」
一人になったところに――。
「千歳……お前……まさか……」
考えれば考えるほどに、点と点が線で繋がってゆく。
困惑。
恐怖。
怒り。
悲しみ。
感情が滝のように溢れて――。
発汗。
悪寒。
頭痛。
悪心。
「千歳……」
ふと、窓の外を見た。
気付けば、空が明るくなっている。
「朝か……」
そう、つぶやいた時であった。
「……!」
玄関の扉を叩く音。
「だ、誰だ……?」
恐る恐る、玄関扉を開けてみると――。
「おはようございます。提督」
ニコリと笑う、千歳がいた。
「……言いましたよね? 諦めないって。どんな手でも使うって。だから――」
「――お前なのか……?」
俺はもう、限界だった。
「え? 何がです?」
「とぼけるなよ……! お前だろ……! ここ数日、嫌がらせをしてきたのは……!」
「え……? え……?」
「俺を一人にさせるため、ここまでの事をやってのけたんだろ……! 交流会の時だってそうだ……。俺とポーラを引き離すために、嘘の伝言を……!」
「て、提督……? どうしたのですか……? なんだか目の下のクマも酷いし……。もしかして、嫌がらせが怖くて眠れていないのですか……?」
「ああ、そうだよ……。全部、お前の所為だろ……!」
「わ、私の……? ご、誤解です!」
「怪しい女を見たって証言もあるんだよ……! いくら俺が好きだからって、やっていいことと悪いことがあるだろ……!?」
「提督! 落ち着いてください! 誰かを疑いたい気持ちは分かりますが、今は冷静に……!」
「冷静……? これで冷静でいられるか!」
「提督!」
嗚呼、クソ……。
なんか、頭がクラクラする……。
あれ……?
俺、何をしていたんだっけ……。
ああ、そうだ……。
千歳だ……。
犯人は、千歳だったんだ……。
「ほ、ほんとにどうしたのですか……? どこか悪いのですか……?」
ふらつく俺の額に、手をあてる千歳。
「ひどい熱……! 提督、お家に入りましょう……! 私、すぐにお医者様を……きゃっ!?」
千歳の悲鳴が聞こえた、その瞬間――。
「あ……?」
熱。
腹部に、感じたことのない熱。
そして……。
「フ……フフ……アハハハハハ!」
笑う女。
「ざまあ見ろ……! あたしを捨てたバチが当たったんだぁ! アハハハハハハ!」
千歳……ではない女。
こいつ、どこかで……。
「提……きゃああああああああ!」
これは、千歳の悲鳴。
何をそんなに……。
千歳の視線を辿る。
「あぁ……なるほど……」
熱。
感じたことのない、熱。
そして、ようやく痛み。
「なんの悲鳴だ!?」
駆けつける、近所の連中。
力が抜けたように座り込む千歳。
笑う女。
あぁ、そうか……。
怪しい女ってのは――嫌がらせをしてきた犯人ってのは――。
『あまり誑かしては、いつか刺されますよ?』
『経験済みだよ。尤も、未遂に終わったがね』
紹介するよ、笠谷君……。
こいつだよ……。
もう、名前も忘れちゃったけど……。
「雨海さん!? お、おい! その女を押さえろ!」
「アハハハハハハハハ!」
俺は、柱を背に、座り込んだ。
「て、提督……!」
腰を抜かしながらも、駆け寄る千歳。
さすがの千歳も、ここでは泣くんだな……。
「千歳……」
「提督……! しっかりしてください……! 提督……!」
「……ごめんな。お前を疑ってしまって……」
何度も首を横に振る千歳。
「……お前の料理……美味かったよ。俺みたいな男じゃなくて……もっと……いい男を見つけてくれ……」
「嫌……! 嫌……! ダメです……! 提督ぅ……!」
こんなに泣いてくれる女が、目の前にいるってのに……。
『提督ぅ!』
『司令官!』
「フッ……」
あいつら、泣くだろうなぁ……。
でも、良かった……。
千歳には悪いが、見たのがあいつらじゃなくて……。
「ポーラ……響……」
ある意味、これで良かったんだろうな……。
痛い思いはしたが、最高の幕引きだ……。
「グッド・バイ……」
最後に見えたのは、涙でぐしゃぐしゃになった千歳の顔であった。
――続く