「ん……」
強い光に目を覚ます。
潮の香り。
窓の向こうに広がる、見覚えのある景色。
「痛っ……!」
腹部に激痛が走る。
「……そうか」
どうやらここは、海軍本部内の医務室らしい。
そして、どうやら俺は――。
「…………」
内臓まで貫かれているとかではなさそうだ。
近くに氷嚢の用意があるところを見るに、刺されて――というよりも、高熱で倒れたといったところか。
死を覚悟し、走馬灯のようにあいつらの顔を見たことを思い出すと、この結果は――。
「恥ずかしい……」
などと、顔を赤くしていると――。
「あ……」
籠いっぱいの果物を抱えながら、部屋へ入ってきたのは――。
「ポーラ……」
「提督……提督ぅぅぅぅぅ……!」
「うわ!?」
涙と鼻水を噴き出しながら、ポーラは俺を抱きしめた。
「うぅぅぅぅぅぅ……! うぁぁぁぁぁん!」
「ポーラ……」
不細工な泣き顔。
けど、何故か愛おしい。
「心配かけたな……」
「うぅぅぅ……。でいどぐぅ……ヒッ……もう……ヒッ……大丈夫……ヒッ……なんですかぁ……?」
しゃっくりする度に、体がビクッとなるのが面白くて、思わず笑ってしまう。
「あぁ。まだ傷が痛むけど、なんとかな」
「ほんと……? ヒッ……よかったぁ……」
ポーラは俺をじっと見つめると、もう一度抱きしめた。
「……怖がらせてしまったな」
「怖かったです……。提督が死んじゃったら……ポーラ……ポーラはぁ……」
再び涙するポーラ。
そんなポーラを慰めていると、千歳と響が部屋へと入ってきた。
「失礼しま……あ、雨海提督……!?」
「司令官……!?」
「おう」
二人は駆け寄ると、心配そうに俺を見つめた。
「心配かけたようだな」
「ごめんなさい……。私……お傍にいながら……なにも……うぅぅ……」
「千歳……。こちらこそ、悪かったな……。嫌なものを見せてしまって……」
千歳は首を横に振ると、大粒の涙を流した。
「響も、心配かけたな……」
響は無言で俺の頬をつねった。
「いふぁいひょ」
おそらく、怒っているのだろうが、その表情は徐々に――。
「響……」
頭をなでてやると、響もまた、大粒の涙を流した。
皆が泣き止んだ頃、ようやく事件当時の状況を聞くことができた。
「あの後、すぐに海軍本部へ連絡して、こちらで治療してもらいました」
「俺を刺した女はどうなった?」
「自治体警察へ引き渡しました。連日の嫌がらせは、その人の仕業だったようです」
やはり、そうだったのか……。
「あの時は疑って悪かった。ごめんな……千歳……」
頭を下げると、千歳は慌ててそれを止めた。
「やめてください……! あの時は、提督も高熱でどうにかなっていたといいますか……。あれだけのことをされていたのですから、疑うのは当然です……。むしろ、そう思われるようなことをしてしまった私が悪いのであって……」
「いや……どう考えても俺が悪いんだ……。嫌がらせを受けたのは、俺が原因だしな……」
「その通りだ」
そう言って、部屋へ入ってきたのは――。
「梅津雄二……」
「君はポーラさんを危険な目に合わせた。あまつさえ、僕を疑った」
「……その件は申し訳なかった」
「謝るのは僕にではないはずだ。違うかい?」
雄二は、責めるというよりも、子供を諭すように言った。
それが一層、俺をみじめにさせた。
「ポーラ、響……すまなかった……」
「提督……」
「司令官……」
雄二はフッと笑うと、呆れるように言った。
「提督として優秀なのは認めるが、艦娘を危険な目に合わせるのはいかがなものかね。ま、僕も人のことを言える立場ではないが……。少なくとも、僕だったらポーラさんを危険な目にあわせないね」
俺はそれに、何も言い返せなかった。
「誰も言えないのなら、僕が言ってやる。雨海修、ポーラさんから手を引け」
「……!」
「ちょ、ちょっと! 待ってください! 貴方……何様のつもりで……!」
千歳の言葉に、雄二は一切耳を貸さなかった。
「分かっているのだろう? このままでは、ポーラさんだけではなく、響ちゃんも――君ですらも不幸になるぞ」
俺は――。
「そ、そんなことないです! ポーラは、提督と一緒にいられたら、それだけで……!」
「本当にそうかい? この男は、ポーラさんの気持ちにも応えず、あまつさえ危険な目に――挙句の果てには、ポーラさんと響ちゃんを海軍本部に任せ、自分は他の女とイチャイチャしていた」
そう言って、雄二は千歳を見た。
「そ、それは違います! 私は、ただ、雨海提督が心配で……!」
「ただ心配なわけではなかろう。この男に気があるはずだ。違うか?」
雄二が俺を見る。
俺は何も答えなかったが、ポーラは――。
「違う! 確かに……私は雨海提督に好意がありますし……それも伝えました……。でも……雨海提督は……」
永い沈黙が続く。
「……一つだけいいかい?」
そう言って、響は雄二を見た。
「なにかな?」
「散々和を乱しておいて、結局、何が言いたいんだい? 貴方は……」
「言っただろう? ポーラさんから手を引けと」
「司令官が手を引いても、ポーラが貴方に振り向くことはないよ……。貴方だって、分かっているはずだ……。なのに、どうして和を乱すようなことを言うの……?」
響にしては珍しく、俺以外の人間に怒っているようであった。
「分かっているさ。和を乱したことも謝る。だがね、僕は怒っているのだ。君が怒っているのと同じ理由だ。僕にとって大事な人が、危険な目にあったんだ。和を乱してでも、言う権利はあるはずだ。そうだろう?」
雄二の言っている事が尤もだったからか、響は黙り込んでしまった。
「……ここまで言われても、彼は何も言わない。僕だったら、手を引けと言われても、ポーラさんへの気持ちが本物なら、一言二言反論するものだがね」
それでも黙っている俺に、雄二は呆れ、部屋を出て行ってしまった。
重苦しい空気だけが、部屋に残っていた。
「……司令官、気にすることないよ。私たちは平気だから」
「そ、そうですよ! ポーラ、提督にはもっともっとメイワクかけてますし、このくらいなんてことないです!」
慰めの言葉が、逆に俺を傷つける。
それを察してか、千歳は――。
「……二人とも、今日はお暇しましょう。雨海提督のお体に障ってはいけないから……」
響も察したのか、何度も頷いていた。
「では、雨海提督。また来ますね」
「あぁ……悪かったな……」
「いえ……。お大事になさって……」
「提督……」
「悪いな……。安全そうだったら、家に帰ってくれていい。響も、そろそろ学校に行きたいだろう?」
「でも……」
「俺のことは心配するな……。安静にしながら、一人で色々考えたいんだ……」
千歳に目配せする。
千歳は頷くと、二人を連れ、部屋を出て行った。
「…………」
『分かっているのだろう? このままでは、ポーラさんだけではなく、響ちゃんも――君ですらも不幸になるぞ』
俺は――。
その日の夜。
千歳が訪ねてきた。
「夜分遅くにすみません……。今、よろしいでしょうか?」
「あぁ」
千歳は傍にあった椅子に座ると、俺の額に手をあてた。
「熱は下がったみたいですね。よかったです」
「おかげさまでな。ポーラと響はどうした?」
「家に帰りました。雨海提督が留守にしている間、家を守るんだって」
「そうか……。お前は、どうしてここに? 本部で事務を任せられているとはいえ、住んでいるわけでもあるまい」
「もちろん、住んでいるわけではありません。でも、住めるくらいには、快適な場所です。お風呂もあって、洗濯もできて、食事にも困らない。お仕事用に、寝泊りできる個室もいただいておりますから、時々こうして、泊まっているんです」
なるほど……。
「それに……一日中、雨海提督にも会えますから……」
……なるほど。
「……あんなことがあっても、諦めないのか」
「えぇ……。むしろ、火がついちゃったかも」
「え?」
「……さっき、ポーラと話したんです。というよりも、ポーラに詰められちゃって……」
『チトセさん……提督のこと、好きなんですか……?』
「いつもみたいに、否定してもよかったんだけど……。あの子の顔を見て、思ったんです……。ああ、この子は焦っているんだって……。きっと、ポーラは分かっているんです。私が本気を出せば、雨海提督は……って……」
「…………」
「だから……素直な気持ちを、ポーラに伝えました」
「ポーラは……なんと……?」
「何も言いませんでした。何故だと思います?」
何故……。
「提督が……ポーラへの気持ちに応えられていないからですよ……」
千歳の表情は、どこか――。
「……私は諦めません。たとえ、提督がポーラを好きなのだと言っても、それを本人に伝えられないのなら――ポーラもそれを理解し、何も言えないというのなら……私は……」
「千歳……」
「……それだけです。お体に障るようなことを言って、申し訳ございませんでした……」
そう言って、千歳は部屋を出て行った。
「…………」
千歳の言葉を受けたポーラは、一体、どんな気持ちになったのだろうか……。
『提督ぅ!』
分かっている……。
もう、答えは出ているんだ。
何かと理由をつけて、伝えずにいただけで――恐れただけで――。
『分かっているのだろう? このままでは、ポーラさんだけではなく、響ちゃんも――君ですらも不幸になるぞ』
それでも――。
「俺は……」
翌日。
本間先生がお見舞いに来てくれた。
「調子はどうかね?」
「えぇ、なんとか。ここにいるのは退屈なので、外に出たいのですがね……。体に負担をかけないようにと、禁止されているのです。先生、先生の怪しい薬で、早々に治してはくれませんかね?」
「内因性であれば、そうもできよう。しかし、君、外傷性はどうにもならんよ。私は神様でも魔法使いでもないのだからね」
内因性であればどうにかできるのか……。
「そんなに外へ出たいのかね?」
「えぇ、まあ」
本間先生は、待っていましたと言わんばかりにニヤリと笑うと、手を叩き、誰かを呼んだ。
部屋へ入ってきたのは、ポーラであった。
「ポーラ?」
ポーラは何やら、車輪のついた椅子を押していた。
「手動運動車だ。これまで似たようなものはあったが、これは医療機関用に開発された物だ。私の旧友が作ったものでね、宣伝するよう頼まれているのだよ。君ほどのハンサムボーイが乗ってくれたら、きっと売れると思ってね」
なるほど……。
「相変わらず、商売上手な先生だ……。医師ではなく、セールスマンでもやったらどうなんです?」
「バカ言っちゃいかんよ、君。私はね、あくまでも医療の発展を想い、こうして活動しているのだよ」
「……宣伝料は、いくらもらえる予定なんだい?」
「それは、君の宣材写真でいくら儲けられるか、という話かね?」
憎たらしい笑顔のまま、本間先生は指を擦って見せた。
結局、散々写真を撮られ、あまつさえ手動運動車まで買わされた。
「では、お大事に」
金を数えながら、本間先生は去っていった。
「たかり屋が……」
「まあまあ、いいじゃないですか~。こうしてお外へ出る許可も出たんですから~」
そう言うと、ポーラは車を押し、歩き始めた。
「便利ですね~。この車いす」
「車いす? なんじゃその名前は……」
「だって、椅子に車がついているんですよ? 車いすじゃないですか」
「それだと、椅子車になりそうなもんだが……」
「言いにくくないですか? 椅子車も、シュドー……ナントカも」
まあ、確かに……。
「……本間先生から聞きました。この車いすは、歩けない人の為に作られたものだって……」
「確かに、杖が使えない人でも、これならどこへでも行けそうだな。けど、一般的に普及させるのは難しいだろうな。結構高かったし……」
「…………」
「それに、結構重いしな……。誰かに押してもらわないと、軽い坂も登れそうにないな……」
「…………」
「押している方はどうだ? 重くないか? つっても、艦娘の力ならチョチョイのチョイか……」
「…………」
「おい、さっきから何を黙って……」
振り返り、ポーラの顔を見る。
ポーラは――。
「……お前、なんで泣いているんだ?」
大粒の涙を流すポーラ。
「お、おいおい……一体、どうしたっていうんだよ……?」
「だ……だってぇ……。車いすに座る提督を見ていたら……なんだか……二度と歩けないかもしれないと思っちゃってぇ……」
「はぁ? 何を言って……」
「そんなこと無いって……分かってます……。分かってるけどぉ……うぅぅ……」
何をセンチになっているんだ、コイツは……。
「うぅぅ……ヒッ……うぅぅ……」
いや……そうか……。
「ポーラ……」
手を広げると、ポーラは俺に抱きついた。
そうだよな……。
あんなことがあって……心配だったんだよな……。
そら、センチメンタルにもなるよな……。
「ごめんな……ポーラ……。心配かけてしまって……」
首を横に振るポーラ。
「でも、俺は平気だ。俺は、戦場でも生き残った男だぜ? 不死身だよ。響と同じ、不死鳥だ」
「……不死鳥だと、一度死んじゃうじゃないですか」
「まあ……死んだようなもんだろ……。刺されて生きているわけだし……」
ポーラは俺の胸に顔をうずめると、小さく言った。
「遺書……見ちゃいました……」
「え?」
「昨日……家に帰った後……提督の部屋を掃除していたら……棚の中に遺書があって……」
ああ……。
戦時中、何かあった時用に書いたやつか……。
「読んだのか? 俺は死んじゃいねぇってのに。つーか、なに勝手に棚をあさってんだよ……」
「掃除しようと思って……」
「棚の中もか? どうせ、何か疚しいものでもないか、探していたんだろ?」
図星なのか、ポーラは黙り込んでしまった。
「……で? 読んだのか? つーか、読めたのか?」
「読めませんでした……。だから……本間先生に読んでもらったんです……」
だから、一緒にいたのか……。
「……最初は、遺書かどうかも分かりませんでした。遺書って文字、読めなかったので……」
「じゃあ、なんでわざわざ……」
「響ちゃんに聞いたら、それは読んじゃダメだって言われて……」
「……だから、興味本位で本間先生を頼ったと?」
何も言わないポーラ。
つーか、本間先生も本間先生だ。
遺書だって分かってんなら、読み聞かせるなよ……。
「提督……」
ポーラは、より一層強く、俺を抱きしめた。
「死なないでください……。ポーラ……なんでもしますから……。遺書なんて……書かないで……」
「ポーラ……」
なるほど……。
すべての要素が重なってのことであったか……。
「……別に、死ぬ準備の為に遺書を書いたわけじゃないよ」
「分かってます……。分かってますけどぉ……」
「フッ……」
ほんと、コイツは……。
「…………」
こんなに泣いてくれる奴がいるのに、俺は――。
『分かっているのだろう? このままでは、ポーラさんだけではなく、響ちゃんも――君ですらも不幸になるぞ』
『ポーラさんから手を引け』
『提督が……ポーラへの気持ちに応えられていないからですよ……』
ポーラの将来性を想うのなら――こんな俺なんかよりも、きっと――。
「……だよな」
そうだ。
そもそも、俺は女を恨んでいた訳で――。
コイツだって、艦娘とはいえ、一人の女であって――。
だから、これ以上は――。
「提督……?」
涙でぐちゃぐちゃになったポーラの顔が、俺を見つめる。
「――……」
これ以上は――……。
「提――……」
世界が、静寂に包まれる。
波の音も、風の音も聞こえない。
潮の香りも、ポーラの揺れる髪も――確かにそこにある。
なのに――。
「――……」
顔を離すと、ポーラは驚いた表情のまま、唖然としていた。
でも、きっと――顔には出ていなかったけど――この場で一番驚いていたのは、ポーラでも、木陰からこちらを見ている響でもなく――キスをした俺自身であっただろうと思う。
「て……提督……?」
「……ごめん」
「え……?」
「ごめん……つい……」
つい……ってなんだよ……。
なにが、つい、なんだよ……。
俺は一体、何をして……。
嗚呼……恥ずかしい……。
「提督……」
いつものように、何か誤魔化すような事を言いたいのに、なんか、すっごい恥ずかしくて――嗚呼、ダメだ……。
何も考えられない……。
クソ……。
ポーラ、お前も何か、フォローするようなことを言ったらどうなんだ……。
「ポーラ――」
ポーラは、俺の言葉を遮るように、キスをした。
「…………」
ゆっくりと、名残惜しそうに、顔を離す。
その表情は――。
「誤魔化さないで……」
「え……?」
「自分に……嘘をつかないでください……。正直で……あってください……」
嘘……?
正直……?
「提督の気持ちは……誰のものでもないです……。誰にも……縛れるものではないです……。大切にしたいものがあるのは分かります……。でも……!」
ポーラの瞳が、俺を見つめる。
その中にいる俺は、怯えていた。
「それは……ポーラを失ってでも……大切にしたいものなんですか……?」
「……!」
「ポーラ……ほんとは分かっていました……。提督は……ドクセンヨク? の強い人だって……」
「は、はぁ!? ど、独占欲……!? 俺が!?」
「だってそうです! ポーラを家政婦に呼んだのも、今のキスも! 全部、ポーラをドクセンしたいが為の行動です!」
「い、いやいやいや! お前を家政婦に呼んだのは、お前を不憫に思ってのことで……。今のキスだって……うぅん……なんつーか……意識が朦朧としていたというか……。や、病み上がりだし!」
「どうして、わざわざ住み込みなんですか……? 別に、通いでもいいのに……。キスだって……思わずしちゃったんですよね……? ポーラを愛おしく思ったから……失いたくないから……」
「いや……だからそれは……」
つーか、なんて傲慢な考え方を……。
普通、思っても口にするか……?
「……ポーラのこと、好きなんですよね?」
俺が答えられないでいると、ポーラは小さくため息をついて見せた。
「なんで……そうやって逃げるんですか……?」
「…………」
「そうする理由も、分からなくはないです……。でも……ポーラだけじゃなく、自分からも逃げるんですか……?」
自分からも……。
「……ユージさんの言う通りかもしれません」
「え……?」
「このままだと……きっと……お互い不幸になるかもしれません……」
「お前……何を言って……」
ポーラは、何かを決意したかのような表情で立ち上がると、一歩下がった。
「ポーラ……?」
「ポーラ……辞めます……」
「辞める……? 何を……?」
「提督の家政婦さんです……」
「え……」
ポーラは、もう一歩下がった。
「家政婦を辞めるって……。なんで急に……」
「その方が……いいと思います……。ポーラだってツラいです……。でも……ポーラが傍にいると……提督は甘えてしまいます……。本当に大切にしたいものがなんなのか、分からなくなっちゃいます……」
「俺が……本当に大切にしたいもの……?」
「ポーラは……提督に振り向いてほしいです……。ポーラのことが好きだって……ポーラのことを愛しているって……言ってほしいです……。でも、今のままでは、きっと言えないです……。ポーラを想う気持ちよりも、大事なものがあるから……」
ポーラが何を言っているのか、よく分からない。
それほどまでに、俺は動揺していた。
「ポーラが傍にいたら、いつまでもいつまでも、同じだと思います……。だから……ポーラは……提督にとって一番大事な人になれるまで……提督から離れます……」
また一歩、遠ざかる。
ポーラが離れる度に、言葉を失う。
「お、おい待てよ……。家政婦を辞めるって……今後どうすんだよ……?」
「自分で何とかします……。提督とも……しばらく会いません……」
「お前に出来るわけないだろ! 今まで出来なかったから、俺を頼った訳で……!」
「それは……ポーラを気遣っての言葉ですか……? それとも……ポーラを失いたくないから言ってますか……?」
その表情は、今まで見てきたどの表情よりも、恐ろしく、そして冷たかった。
「提督は……いつも自分勝手です……。ポーラが提督のことを好きだから、どうせ離れられないとでも思っているんですよね……? そう思っているから、その気持ちに甘えてきたんですよね……?」
「ポ、ポーラ……?」
「……もう、うんざりです。なんだか話していて……気持ちがサめてきました……。ポーラ……ほんとに提督の事が好きだったんでしょうか……? カンチガイだったのかもしれません……」
「は、はぁ……?」
「……とにかく、これでサヨナラです。もう……知りません……」
ポーラは背を向けると、ゆっくりと歩き出した。
「ま、待てよポーラ!」
車いすの――クソ、確かに言いやすいな――車輪に手をかける。
だが、重すぎてまったく回らない。
「ポンコツめ……!」
そうしている間にも、ポーラは離れてゆき――。
「待て! ポーラ!」
待てよ。
「待てって! おい!」
待ってくれよ。
「俺が悪かったって! なあ!」
頼むよ。
「そ、そうだ! まだ、ご褒美のデート、してないだろ! しよう! 今からでも!」
ポーラ。
「分かった! 言うよ! 言うから! だから――」
ポーラ――。
「行かないでくれよ……! ポーラ……!」
情けなく懇願する俺に、ポーラはようやく足を止めた。
「ポーラ……」
振り返ったポーラの表情は――。
「グッド・バイ……です……」
そう言って、ポーラは去っていった。
「嗚呼……なるほど……」
車いすに、深く腰掛ける。
「あの言葉は……こんなにも人を傷つけるものだったのか……」
情けなく、響の隠れている木陰に目をやる。
だが、もうそこに、響の姿はなかった。
「雨海提督……!」
その声に、我に返る。
「探しましたよ……。どうしてこんなところに……」
空は、すっかり夕焼けに染まっていた。
どうやら、あれからずっと、ここに放心状態で居たらしい。
「千歳……」
「……何か、あったのですか? なんだが、元気がないような……」
「……いや、なんでもないよ」
「……そうですか。お体に障りますから、お部屋に戻りましょう? ね?」
「あぁ……」
それから何も言わず、千歳は車いすを押してくれた。
あれから数日が経った。
この間の記憶は全く無くて――ただただ、傷が治るのを待っているだけであった。
「明日、退院ですね」
「あぁ……」
「……ポーラの事、気がかりですか?」
俺は返事をしなかったが、それが答えだと知ってか、千歳は悲しそうな表情を見せた。
「お二人の間に何があったのかは知りません……。でも……いいのですか……? ポーラも提督も、会うどころか、お互いのことを話題にもしなくなっちゃって……」
あれからポーラとは会っていない。
響も気を遣っているのか、来ることは無かった。
「何があったのか……教えてくださりませんか……?」
千歳の問いに――その涙ぐむ表情に――俺はポーラと何があったのかを話した。
「それは……つまり……」
「……振られたって事だな」
そう言葉にした時、ようやく実感が湧いてきて、逆に安心している自分がいた。
「そっか……だからポーラは……」
そう呟いた千歳は、少し考えた後、申し訳なさそうに言った。
「……お体に障るかもと思い、ずっと黙っていたのですが、実は、ポーラは今、梅津雄二さんと一緒に行動しているんです」
「え……?」
あのポーラが、梅津雄二と……?
一体、何のために……?
「一緒にいる理由は分かりません……。でも……もし、雨海提督のことを諦めたというのなら――それが理由だとするのなら……」
『……もう、うんざりです。なんだか話していて……気持ちがサめてきました……。ポーラ……ほんとに提督の事が好きだったんでしょうか……? カンチガイだったのかもしれません……』
あの言葉に、嘘はなかったのか……。
心のどこかで、あれは俺に対する鼓舞というか、そういうものだと思っていて――どうせ、俺を好きだという気持ちは無くならないだろうと――。
でも――。
「雨海提督……」
「……そうか」
千歳は悲しそうに俯いた後、何かを決意したかのように、顔を上げた。
「ポーラは、雨海提督のことを諦めたのですね」
「……そのようだな」
「雨海提督も、同じですか……?」
答えに詰まる俺を、千歳は抱きしめた。
「千歳……」
「自分でも分かっています……。こんなこと……しちゃいけないって……。でも……」
より強く抱きしめる千歳。
「好きなんです……。貴方のことが……。きっと……貴方を振り向かせるには……ここしか……」
「ごめんなさい……」と謝る千歳。
抱きしめる手が、小さく震えていた。
「…………」
抱きしめ返してやったのは、同情か、それとも――。
でも、今は分からなくてもいいと思った。
今は、このぬくもりに身を寄せることしか、俺には出来なかったから――。
翌日。
千歳に付き添われ、家に帰った。
「ただいま」
声をかけても、家には誰もいなかった。
居間へ行くと、手紙が二通、置かれていた。
「雨海提督……」
一通はポーラ。
もう一通は響からであった。
「お世話になりました……か……」
ポーラからの手紙の内容は、それだけであった。
部屋も、もぬけの殻であった。
「ポーラ……」
響の手紙には、暁の家で世話になっていることと、ポーラと俺の問題が解決するまで、帰ることはないという内容が書かれていた。
「俺とポーラの問題が解決するまで……か……」
その『解決』が、何を意味しているのかは分かっている。
だとするなら、きっと、もう――。
「響にも……愛想を尽かされてしまったようだ……」
悲しく微笑む俺に、千歳は一瞬だけ憐憫の情を見せたが、すぐに明るく振舞って見せた。
「ポーラのことは分かりませんが、きっと、響ちゃんはすぐに戻ってきますよ。私からも、声をかけておきます。今は……これです!」
そう言って、千歳は大量の手紙を俺に渡した。
「郵便受けに入っていました。これ、全部ラブレターですよね? 相変わらずモテるんだ~」
そう言って、俺の頬を突く千歳。
「やめろよ」
「やめませーん。それで? どうするんですか? この手紙たち」
「……とりあえず、全部読んで、返信するよ」
「へぇ、律儀ですね。それとも、読んで、いい子がいたら、あわよくば……とか思っているんですか?」
「違うよ。今までは、返信どころか、読むことすらしなかったんだ。けど、それでは駄目だと思ってな……」
「どう返信するんです?」
「……俺の事は諦めてくれって感じの内容だ」
「そんなことで諦めてくれるんですか? その人たちは」
俺が黙っていると、千歳は手紙を一通手に取り、退屈そうにヒラヒラさせた。
「きっと、諦めさせるナニカ……一文だったり、写真だったりを送っていた……とか?」
それがなんなのか、千歳は分かっているのだろう。
苦虫を噛んだような俺の表情を見て、クスクス笑って見せた。
「どうするんです? もう、今までのテは使えないようですけど~?」
「うるせぇ……。なんとかするさ……」
「何をするって言うんです?」
今までのように、ポーラの写真を送ってもいいが……。
『提督は……いつも自分勝手です……』
これ以上、迷惑かけられないよな……。
「……仕方ないですね!」
そう言うと、千歳は椅子に座り、手紙を読み始めた。
「おい」
「協力してあげます」
「え?」
「ポーラの代わり、この千歳が請け負います」
「ポーラの代わり……?」
「ですから、提督の恋人役ですよ。今までだって、そうしてきたのでしょう? 千歳の写真も使っていいですし、なんなら、諦めきれないって女の人がいたら、恋仲を見せつけに行ってもいいですよ?」
どう? とでも言うように、千歳はこちらを見つめていた。
「……お前に何のメリットがあるってんだ?」
「ポーラと同じことをすれば、ポーラと同じように好きになってくれるかなって」
「……千歳、俺は――」
「――分かっています」
千歳は、優しく微笑んで見せた。
「分かっています……。それでも……私なりに努力したいんです……。貴方に好きになってほしいから……。諦め……きれないから……」
「千歳……」
「……なんてね。これは戦争ですよ、雨海提督。提督がポーラの気持ちに向き合うのが先か、それとも、貴方が私を好きになるのが先か……。結果がどうであれ――待ち受ける先に別れがあっても――それが、惜別だったとしても――私はその結果を受け入れます。そう誓います。だから……」
千歳は俺を見つめると――その瞳は潤んでいて、顔は真っ赤であった。
「貴方の傍に……居させてください……」
頬を伝う涙。
その行方を、目で追う事をしなかったのは――。
「提督……」
千歳はそっと近づくと、俺を抱きしめ、そして――。
「千歳……」
「これは、私からの宣戦布告です……。次があるとしたら、その時は、きっと……」
千歳はニコッと笑うと、椅子に座り、手紙を開封し始めた。
「さて、そうと決まれば、早速取り掛かりましょう? 私も、提督が言いそうなキザな言葉を考えますから!」
ね? とでも言うように、千歳は開封した手紙をヒラヒラさせた。
その態度の切り替えに、思わず笑ってしまう。
「ようやく笑った」
「え?」
「提督の笑った顔、好きなんです。もっともっと、見せてほしいな~?」
揶揄う千歳。
けど、嫌味はない。
「そう簡単に見せるかよ」
「とか言って、なんだか嬉しそうですけど~?」
「俺を好きだと言ってくれる美人と、これから一緒に行動を共にするってんだ。嬉しくない男はいないだろ」
「ふぅん……。そういうこと、簡単に言っちゃうんですね……。こんなにラブレターが来るわけです……」
「照れてんのか?」
「……ちょっと、ですけどね。でも、これは戦争ですから。雨海提督の調略を見てきた私に、それは効きませんよー?」
「フッ……さすがだな」
「伊達に貴方を好きじゃないですから。強敵ですよ? 私は」
確かに、強敵かもな。
あまりの居心地の良さに、本当にコイツのことを――。
でも……。
「……俺はこの戦いで、ポーラへの気持ちに向き合うつもりだ。その為に、俺を好きで居てくれる女性たちを全て振ってみせる。その中には、お前もいることを忘れるなよ?」
「それが、提督の宣戦布告?」
「あぁ、そうだ」
「……分かりました。じゃあ、始めましょうか。【惜別の戦い】を」
ラブレターをヒラヒラさせる千歳。
「あぁ、お手柔らかに」
「言ったはずです。手は抜かないと」
「フッ……そうだったな」
そう言って、俺たちはラブレターの返事を書き始めた。
「…………」
本当は、分かっているんだ。
ずっと、分かっていたんだ。
あいつへの気持ち――自分の正直な気持ちに――。
こんなことをしなくとも、俺は――。
でも、ずっと、逃げてきた。
ずっと、気付かないふりをしていた。
それだけの理由が、俺にはあったから。
それだけの理由を、大事にしていたから。
『それは……ポーラを失ってでも……大切にしたいものなんですか……?』
あの時はすぐに答えられなかったが、今は――。
答えるために、逃げないためにも、今は――。
惜別の戦い……戦争……か……。
「惜別の戦争……グッド・バイ・ウォーズ……なんてな……」
そう呟いた俺に、千歳は猫のような目を向け、ニヤニヤと笑っていた。
「……なんだよ?」
「いいえ、なんでも? グッド・バイ・ウォーズ……惜別の戦争……ブフッ!」
「てめぇ……」
「うふふ」
千歳は、心底楽しそうであった。
その笑顔に心を痛めなかったのは、きっと――。
「……いいから、さっさと返事を書けってんだ」
「はぁい」
待ってろ、ポーラ。
次に会った時には、きっと――。
――続く