「響……ほんとにいいの……?」
「うん……。これ以上、迷惑かけられないし……」
「迷惑だなんて……。パパもママも、一緒に居ていいって言っていたし……。なんなら、この家の子になってほしいって……」
暁の気遣いが、嘘ではないことは分かっていた。
実際、暁のご両親は、海軍へ里親の手続きについて相談していたようだった。
「ありがとう、暁……。でも……私が帰るべき場所は……」
暁は悲しそうな表情を見せた後、少し厳しめに言った。
「でも……響の司令官は……響を置いて何処かへ行っちゃったじゃない……」
司令官が退院した事は聞いていた。
その後、千歳と何処かへ消えたことも……。
「……ポーラさんだって、もう司令官の家には居ないんでしょ? 例の……男の人と一緒だって……」
「…………」
「響……」
「私は……あの二人にとっては部外者でしかない……。何かを言う権利も、何かをする権利も無い……。それでも……ただ待つだけなのは嫌なんだ……」
自分に何ができるのかは分からない。
何もできないかもしれない。
何もしてはいけないのかもしれない。
それでも――。
「……分かった。でも、何かあったら暁を頼ること! 響は私の妹なんだから、お姉ちゃんに甘えないとダメよ? 分かった?」
暁の困ったような笑顔に、少しだけ、救われた気がした。
「ありがとう、暁……。お世話になりました……」
「うん……。いってらっしゃい、響」
『グッド・バイ・ウォーズ!-惜別の開戦-』
「ただいま」
当然、返事はない。
郵便受けには、大量の手紙が詰まっていた。
「ほんとに、帰ってきていないんだ……」
住み慣れた家なはずなのに、長い間帰っていなかったせいか、匂いも、雰囲気も――まるで他人の家のように感じた。
「…………」
居間も、あの時のまま。
ポーラの部屋だけが、何も無くて――。
「よいしょ……!」
雨戸を開けると、風が室内に入り込み、積もりに積もった埃を舞わせた。
「……とりあえず、掃除しようかな」
部屋を掃除していると、誰かが家の扉を叩いた。
司令官が帰ってきたのかもしれないと、急いで出てみると――。
「家政婦さん……!?」
「お久しぶりです、お嬢様。近くへ寄りましたので、ご挨拶にと……。旦那様は御在宅でしょうか?」
事情を説明すると、家政婦さん――零さんは、驚きの表情を見せていた。
「そんなことが……」
「うん……。わざわざ訪ねて来てくれたのに……ごめんなさい……」
「い、いえ……。では……今は一人で……?」
「うん。とは言え、私もさっき帰ってきたばかりなんだ。それまでは、ずっと暁の家にお世話になっていて……」
「もしかして、追い出されてしまったのですか……!?」
「ううん。自ら戻ってきたんだ。これ以上、迷惑かけるわけにはいかないって……」
「お嬢様……」
「……フフ、まだお嬢様って言ってくれるんだね」
零さんは、少し恥ずかしそうにしていた。
かつての氷のような冷たい表情は、そこにはなかった。
「……零さん、変わったね。すごく柔らかい表情になった。それほどまでに、恋人といるのが幸せなんだね」
「……はい」
そう言う彼女の左手薬指には、指輪が光っていた。
「もしかして……!」
「実は……そのことを報告しようと、こうして訪ねてみたのです。私には、両親がいません。ですから、せめて、お世話になった旦那様に報告をと……」
でも、司令官は居なかった。
それを寂しがるように、零さんはそっと、左手を撫でていた。
「そっか……。零さんにとっても、司令官は家族のような人だもんね」
「はい……」
零さんの悲しそうな表情に――こんな大人でも、寂しいと思っていいのだと思ったら、なんだか――。
「……お茶、淹れるね」
そう言って台所へ向かい、こっそり涙を拭った。
「このお茶、とっても美味しいです」
「よかった。暁のお母さんが、茶道をやっていてね。良い茶葉を貰って来ていたんだ」
零さんは湯呑を置くと、真剣な表情で私を見た。
「お嬢様は、これからどうなされるのですか……?」
「……どうしようかな。ちょっと、考え中……」
「考え中……ですか……」
「うん……。本当は、司令官とポーラの問題が解決するまで、この家に戻ってくるつもりはなかったんだ……。でも、暁たちと一緒に居たら、なんだか二人を思い出しちゃって……」
「…………」
「私は部外者だけど……何ができるか分からないけど……何もせずには居られなかったんだ……。だから……こうして戻ってきた……。戻ってきたから何なんだって話なんだけど……。ただ寂しかっただけなのかもしれないし……もしかしたら、二人が戻ってきているのかもとか、思ったり……したのかも……。よく分かんないや……」
俯く私に、零さんはそっと、背中をなでてくれた。
「ごめん……。慰めてもらっちゃって……」
「いえ……。お嬢様は……部外者なんかではありませんよ……」
「え……?」
「お嬢様がここへ戻ったのは……いいえ、帰ってきたのは、お嬢様が、旦那様やポーラ様の家族だからですよ……」
「家族……だから……?」
「はい。これは、旦那様とポーラ様だけの問題ではありません。これは、家族の問題です。お嬢様も家族の一員ですから、問題を解決しようとするのは当然です」
家族だから――。
その言葉に、私は――。
「ですから……部外者だなんて言わないでください……。そして……もう……我慢しないでください……。寂しいと思っていいんですよ……。貴女は……お二人の家族なんですから……」
押さえこんでいた何かが崩れ、私は声を出して泣いてしまった。
止めどなく溢れる涙を、零さんは優しく抱きしめながら、受け止めてくれた。
どれだけの時間泣いただろう。
空はすっかり夕焼けていた。
「ごめん……零さん……」
「いいえ」
零さんは抱きしめながら、何度も頭を撫でてくれた。
「お嬢様はまだ子供なのですから、もっと大人に甘えるべきです」
「……いつまでも子供ではいられないよ」
視線の先の掃除道具が、いつまで泣いているのだと言わんばかりに、こちらを見ていた。
「お掃除されていたのですね」
「うん……。何ができるか分からないけど、出来ることからしようと思って……」
「そうでしたか」
零さんは立ち上がると、持ってきたバッグから、メイド服を取り出した。
「零さん……?」
「掃除、お手伝いします。ついでに、お夕食の支度もさせてください」
「そんな、悪いよ……。今日はもう遅いし、そろそろ帰った方が……」
「私の心配は無用です。それに、この家の事は、お嬢様よりも知っているつもりですし、掃除・洗濯・炊事に至るまで、お嬢様一人で熟せるとは思えませんから」
その言葉にムッとすると、零さんはニコッと笑って見せた。
少し、悪い顔をしながら。
「いつまでも子供ではいられないのでしょう? あの旦那様が認めた、パーフェクトなメイドの仕事ですよ? 傍で見るだけの価値はあると思いませんか?」
今度は歯を見せ、笑う零さん。
司令官の見せるソレと似ていて――なるほど……。
「……分かった。じゃあ、お言葉に甘えることにするよ」
「はい、ありがとうございます。お嬢様」
零さんもまた、司令官の家族という訳か……。
結局、夜遅くまで零さんのお世話になってしまった。
「私はこれで帰ります。しかし、お嬢様の家事は、到底私に敵うものではありませんので、定期的に熟せているかチェックし、必要とあらばお手伝いに参りますので、そのつもりで。では」
そう言って、零さんは帰っていった。
まあ、つまり、司令官が帰ってくるまで、お世話してあげるという事だろう。
「断るべきなんだろうけれど……」
零さんの仕事っぷりを見たら、彼女の言うように、とてもじゃないが熟せるとは思えなかった。
尤も、そう思わせるよう、わざと、私に熟せないような仕事っぷりを見せたのかもしれないけれど……。
そして、おそらく、そう思わせたのは――。
「これはメイドの仕事であって、私がなすべき仕事は別にある……か……」
そう言われた訳ではないけれど、何となく、そう言われているような気がした。
翌日。
海軍本部へ向かうと、真鍋さんが出迎えてくれた。
「響ちゃん……!」
「真鍋さん……」
「良かった……。暁ちゃんから連絡があって……。心配していたんだよ……?」
「ごめんなさい……。でも、私は大丈夫だよ。家には、前に勤めてくれていた家政婦さんが来てくれているから……」
それを聞いて、真鍋さんはホッと胸を撫で下ろしていた。
「さあ、こんなところではなんだから、郵便室に行きましょう? あそこにはお菓子もあるから」
「うん」
郵便室に行くと、笠谷さんが暇そうにしていた。
「相変わらず暇そうね」
「貴女こそ……。今日もお菓子目当てでありますか? 最近、太ったとかなんだとか言ってませんでしたっけ?」
「うっさい! 相変わらずデリカシーのない男! 今日は、ほら、響ちゃんが訪ねてきたの。さっさとお菓子出しなさいよ」
「響ちゃん!」
「こんにちは」
「心配していたのでありますよ! ささ、どうぞこちらへ! どこぞの食いしん坊に奪われる前に、美味しいお菓子をどうぞであります」
「誰が食いしん坊よ!」
お菓子をいただきながら、これまでの話をした。
「そうでありましたか……」
「私に何ができるか分からなくて……。とりあえず家に帰って、掃除とかしてみたのだけれど……。これじゃあ、暁の家で待っているのと変わらないと思ってね……」
「それで、海軍本部へ……?」
「うん……。二人とも、司令官やポーラについて、何か知らない……?」
真鍋さんは少しためらった後、気まずそうに言った。
「……分からないことはないけれど、それを知って、響ちゃんはどうするつもりなの?」
その言い方に、どこか、私への気遣いを感じた。
つまり、司令官とポーラは――。
「お二人とも、それぞれ別の方と行動しているのであります」
「ちょ、ちょっと!」
焦る真鍋さんとは違い、笠谷さんは冷静だった。
「雨海さんは千歳さんと――県に、ポーラさんは梅津さんの家にいるようであります」
「何を言って……! ち、違うのよ、響ちゃん? 二人には、ちょっと訳があってね?」
「真鍋さん。そういった気遣いは、響ちゃんに失礼でありますよ」
珍しく真剣な笠谷さんに、真鍋さんは気圧されたのか、黙り込んでしまった。
「笠谷さん……ありがとう……」
「いえ……。それで、響ちゃんはどうしたいのでありますか?」
その問いかけに、少しだけ戸惑ってしまった。
どうしたい……か……。
「……質問を変えましょうか。響ちゃんは、また三人で暮らしたいのでありますか?」
三人で……。
『部外者だなんて言わないでください……。そして……もう……我慢しないでください……。寂しいと思っていいんですよ……。貴女は……お二人の家族なんですから……』
「……うん! 私たちは……家族だから……!」
それを聞いた笠谷さんは、真鍋さんも驚くほどの優しい表情を見せた。
そして、一枚のメモと切符を渡した。
「これは……?」
「雨海さんの居場所を記したメモと、そこまで行ける汽車の切符であります。明日まで滞在するらしいので、すぐ出発すれば間に合うかと」
「どうして切符を……?」
笠谷さんは困った笑顔を見せた。
「響ちゃんと同じであります……。三人には、一緒に居て欲しかったので……。余計な事とは思いつつ、雨海さんを説得に行こうと、切符を手に入れたのであります……」
そうか……。
この人も、司令官の……。
「……しかし、響ちゃんが行くというのなら、自分は不要であります。きっと、響ちゃんなら……」
「笠谷さん……」
「ポーラさんの方は心配しなくても大丈夫であります。きっと、彼女も、響ちゃんと同じ気持ちなはずでしょうから、今は響ちゃんがしたいことをすればいいのであります」
私がしたいこと……。
『響――』
「……そうだね。うん……ありがとう、笠谷さん……」
「切符代は、二倍にして返すよう、雨海さんにお伝えください」
「フフ……分かったよ」
和やかな雰囲気になると、真鍋さんは我に返ったのか、急に慌てだした。
「ちょ、ちょっと待って……! まさか、一人で行かせるつもり!? ダメよ! そんな遠いところ……。響ちゃん、少しだけ時間をくれない……? 私、同行するために、許可をとってくるから……」
「大丈夫だよ、真鍋さん。一人で行ける。私、司令官に会うため、三日間駆けた事があるんだよ?」
「そ、そうかもしれないけれど……」
「それに……一人で行かなくちゃいけない気がするんだ……。そうじゃないと……もし、司令官とポーラが仲直りしても、そこに、私の居場所はないと思うんだ……」
「響ちゃん……」
「司令官もポーラも、きっと、それぞれの想いがあって、こうしていると思うんだ……。戦っているんだ……。だから、私も戦いたい……。自分の足で、二人に会いに行きたいんだ!」
そう言った瞬間、私の心にあった――私ですら気付けなかったような――そんな不安が、無くなった気がした。
「真鍋さん、行かせてあげましょう」
真鍋さんは俯いた後、何かを決意したかのように、顔をあげた。
「分かった……。でも、何かあったら、必ず周りの人を頼ること……。困るようなことがあったら、このバッヂと、私の名前を出して……。きっと、力になれるはずだから……」
そう言って、真鍋さんは自分の勲章を一つ、渡してくれた。
「頑張ってね……響ちゃん……」
「気を付けるでありますよ」
「うん……! ありがとう、二人とも……!」
家に帰り、旅の準備を進めていると、零さんがやってきた。
事情を説明すると、止めるどころか、お弁当を持たせてくれた。
「止めないの……?」
「はい。私には、お嬢様を止める権利はありませんから。むしろ、誇らしいくらいです。あれだけ旦那様に甘えていたお嬢様が、一人で旅を決意するなんて……」
零さんはどこか、寂しそうに微笑んでいた。
「家の留守はお任せください。帰ってきた時、気持ちよく迎えられるような家に仕上げておきますから」
「ありがとう……零さん……」
「それと……これを旦那様にお渡しください」
そう言って、零さんは、戸棚にあった小箱を渡した。
「これは……?」
「おそらく、旦那様に必要なものです。何故このようなものがここにあるのかは分かりません。ですが、きっと必要になりますから」
零さんもまた、笠谷さんのような優しい表情を見せていた。
「分かった」
「お気をつけていってらっしゃいませ。お嬢様」
「うん、いってきます」
零さんに家を任せ、私は駅へと急いだ。
汽車が発車したのは、夜中の23時を過ぎた頃だった。
目的地の最寄り駅へは、日の出前に到着する予定だ。
「ふぅ……」
見慣れた街が遠ざかってゆくと、途端に、不安がぶり返してくる。
三日間走りぬいたあの時と比べたら、こんな事、屁でもないはずなのに……。
夜中だからかな……。
「…………」
いや、違う……。
不安なのは、司令官に会おうとしているからだ……。
ずっと考えないでいたけれど、もし、司令官が、ポーラではなく、千歳を選んでいたのなら……。
もし、私の事が邪魔で――会いに行ったとしても、拒絶されてしまったら――。
『でも……響の司令官は……響を置いて何処かへ行っちゃったじゃない……』
「司令官……」
乗客の少ない車内で、私はとうとう泣いてしまった。
「う……うぅぅ……」
不安。
心細さ。
里親が見つからなかったあの頃と、同じ境遇なはずなのに――。
あの頃は、泣かなかったのに――。
「しれいかぁん……ぽーらぁ……うっ……うぅぅ……」
いつから私は、こんなにも寂しがり屋さんになっちゃったんだろう……。
でも――涙は止めどなくあふれるけれど――それが幸せな事なんだって、私は気付いていた。
だからこそ、今は泣いておこうと思った。
そういうことに、しておいた。
強い光で目を覚ます。
「ん……」
いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。
汽車はどこかの駅に着いたところのようで、大勢の人が乗り降りを始めていた。
「…………」
朝陽がまぶしい。
朝陽が……。
「……っ!」
車内にあった時計に目を向ける。
到着予定時刻は、とうに過ぎていた。
「――……」
血の気が引いてゆくのが分かる。
発車ベルが、けたたましく鳴り響く。
「……!」
私は急いで、汽車を降りた。
乗ってきた汽車が大きな音を立てて走り去ってゆくのを、私は呆然と見ていることしかできなかった。
「どうしよう……」
途端に襲い掛かる不安。
溢れそうになる涙。
そんな不安を必死に抑え、駅員さんに声をかける。
「す、すみません……。ここから――駅までの汽車は、何時ごろ来ますか……?」
「――駅まで? えーっと……今が8時だから……次は11時半頃かな」
「――駅の到着時刻は……」
「16時頃じゃないかな?」
夕方……。
司令官が滞在するのは今日まで……。
絶対に間に合わない……。
「……ありがとうございました」
「え? あ、うん……。お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
駅員さんの心配をよそに、私はフラフラと駅を出た。
駅前は、多くの人で溢れていた。
「…………」
私は、ただその光景を見ていることしかできなかった。
不安や焦燥感――それらはとっくに無くなっていて、喪失感のようなものだけが残っていた。
「司令官……」
私は、馬鹿だ……。
どうして、眠ってしまったのだろう……。
どうして、司令官に会いに行こうだなんて思ったのだろう……。
どうして――どうして――。
後悔と懺悔――私の背中を押してくれた真鍋さんや笠谷さん、零さんに対して、申し訳ない気持ちで心がいっぱいになって――。
「う……うぅ……」
また、泣いてしまう。
弱虫な私。
泣くことしか出来ない私に、あの二人の家族になる資格なんて――。
「響ちゃん……?」
聞き覚えのある声。
顔を上げると、そこには――。
「鬼……ちゃん……?」
「やっぱり……! 響ちゃんではないか! どうしてこんなところに!?」
鬼ちゃん――鬼頭提督が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
事情を説明すると、鬼ちゃんは慰めるように、私の背中を撫でてくれた。
「そうか……。それは大変であったな……」
「うん……。次の汽車に乗っても……多分……もう……司令官とは……」
不安を吐露できたのもあってか、はたまた顔なじみに会えて安心したのか、私はとうとう大粒の涙を流してしまった。
「事情は分かった……。私に任せてくれ!」
「え……?」
鬼ちゃんと共に、待たせていたのだという車に乗車した。
「安心してくれ、響ちゃん。私が必ず、雨海に会わせてやる!」
「ど、どうやって……?」
鬼ちゃんはニヤリと笑うと、運転手に指示を出した。
「――飛行場まで。急いでくれ!」
車は、ものすごいスピードで街を駆け抜けてゆく。
「私は今、――海軍航空隊の指揮を執っている。出勤しようと、駅で迎えの車を待っていたのだが、まさか響ちゃんと会うことになろうとはな」
久しぶりに会った鬼ちゃんは、髪も長くなっていて、とっても美人になっていた。
「汽車を待つよりも、飛行機で向かった方が速い。幸いなことに、雨海のいる目的地近くにも飛行場があるしな。不幸中の幸いとは、まさにこのことだ。ツイているぞ、響ちゃん!」
本当にツイていたら、寝過ごすこともなかっただろうけれど……。
「しかし、まさか、雨海とポーラがそんなことになっているとはな……。不安だったろう、響ちゃん……」
私は返事をしなかった。
けれど、鬼ちゃんは私のことをよく分かっているようで、微笑み、頭をなでてくれた。
「響ちゃんの不安は分かる。雨海が、千歳を選ぶと思っているのだろう? そして、その結果の先に、自分の居場所はないと、不安になっているのだろう?」
「…………」
「安心しろ。あの男は、そんな選択はしない。千歳と二人でいるのだって、ちゃんと理由があるはずだ。それも、ポーラや響ちゃんと一緒にいるための理由が、だ」
私だって、そう信じたい。
でも――。
「……こうして雨海に会おうとしたのは、その不安に向き合おうと思ったからだろう? だったら、もっと堂々としてなきゃ駄目だ」
「…………」
「……それでも、雨海を信じられないというのなら――その不安に押しつぶされそうだというのなら、会うのはやめておいた方がいい」
「え……?」
「どんな運命が待ち受けていたとしても、その運命に向き合う勇気がなければ、雨海に会えたとしても、この先ずっと、響ちゃんは成長できないと思う。一生、運命を雨海の行動に左右され続け、慰められることでしか涙を抑えられない存在になってしまうよ。それでもいいの……? そんな弱い女のままで、雨海と家族になれるとでも!?」
『弱虫な私』
『泣くことしか出来ない私に、あの二人の家族になる資格なんて――』
「……やだ」
「…………」
「嫌だ……! 司令官が助けてくれたように……私だって、司令官の力になりたい……! 司令官の傍で……司令官を支えたい……! 司令官の……家族になりたい……!」
そうだ。
私は、司令官の家族になりたいんだ。
司令官の傍にいたいんだ。
司令官と、ポーラと、私で、また、一緒に暮らしたいんだ。
「そうだ……! もっと我が儘を言っていいんだぞ……! 雨海に何を伝えたいんだ!? 響ちゃんがしたいことはなんだ!?」
「私と、本当の家族になってほしい……! ポーラともう一度、仲直りして、また三人で暮らしてほしい……!」
「その気持ちを雨海にぶつけろ! たとえ雨海を信じられなかったとしても――たとえどんな運命が待ち受けていたとしても、その運命に立ち向かうだけの勇気を持つんだ! 強い女になって、堂々と雨海の家族を名乗れるように……!」
そう言い終えると、鬼ちゃんはポロポロと涙を流した。
「お、鬼ちゃん……」
「す、すまない……。つい……熱くなっちゃって……」
溢れたのは涙なんかじゃなく、鬼ちゃんの優しさなんだって、私には分かっていた。
「鬼ちゃん……ありがとう……。もう大丈夫だよ。私、司令官に全てをぶつけるよ。今まで言えなかったことも、伝えられなかった気持ちも、全部、全部、ぶつけてみせるよ!」
「響ちゃん……うぅぅ……! うおおおおおおおおおおおおん……!」
怯える運転手をよそに、私は鬼ちゃんを慰め続けた。
飛行場に着いたのはいいものの、さすがに私一人の個人的な理由で飛行機を飛ばす事は難しかったようで、中々許可が下りずにいた。
けど、私の持っていた勲章が真鍋さんの物だと知ると、何故かすぐに許可が下りた。
「この勲章って、そんなに凄いの?」
「勲章自体は、そこまで大したものではない。真鍋は、梅津閣下が手塩にかけて育てた人材だ。彼女が海軍本部へ配属になったのも、梅津閣下直々の命令だったらしい。海軍連中のほとんどは、真鍋のバックに梅津閣下がいることを知っている。それ故の許可なのだろう」
なるほど……。
というよりも、真鍋さんって、そんなに凄い人だったんだ……。
「尤も、真鍋自身、そんなこととは露知らずだがな。勲章を渡したのも、金を借りる担保になるだろうとの考えだったのだろう」
……なるほど。
「飛行の準備が完了しました!」
「うむ。では、行こうか、響ちゃん」
「うん!」
飛行機に乗り込む。
けど、操縦士は鬼ちゃんではなかった。
「悪いな、響ちゃん。私はここまでだ」
「え?」
「自分の道は自分で切り開く。それが、強さの秘訣だ。強い女になるのだろう?」
「鬼ちゃん……」
「今度は間違いなんかじゃなく、私に会うために、あの駅へ来てほしい。もちろん、響ちゃんの家族を連れて、だ」
そう言って、鬼ちゃんは笑顔を見せてくれた。
「うん! 遊びにいく……! 司令官とポーラの三人で! 絶対に!」
「あぁ!」
キャノピーが閉じられる。
「鬼ちゃん……!」
鬼ちゃんは寂しそうに微笑むと、力強く敬礼をしてくれた。
「ありがとう……! 鬼ちゃん……!」
飛行機は加速すると、別れを惜しむ暇も無いまま、あっという間に離陸した。
「鬼ちゃん……」
いつまでも寂しがってはいられない。
そう思い、私はぐっと、涙をこらえた。
最寄りの飛行場に到着し、そこから車で司令官がいる旅館まで送ってもらった。
「ありがとうございました」
「いえ、梅津閣下によろしくお伝えください」
そう言って、車は行ってしまった。
真鍋さんではなく、梅津閣下に……か……。
鬼ちゃんが言っていたことは本当だったんだ……。
「さて……」
ここが、司令官が泊まっている旅館……。
「…………」
何故だろう。
急に緊張してきた。
司令官に会ったら何を話すかは決めている。
何を伝えたいのかも……。
なのに――。
「……分かってる」
怖いんだ。
分かっていても、怖い。
拒絶されるんじゃないかって……。
千歳を選んでいるかもって……。
『どんな運命が待ち受けていたとしても、その運命に向き合う勇気がなければ、雨海に会えたとしても、この先ずっと、響ちゃんは成長できないと思う。一生、運命を雨海の行動に左右され続け、慰められることでしか涙を抑えられない存在になってしまうよ。それでもいいの……? そんな弱い女のままで、雨海と家族になれるとでも!?』
「鬼ちゃん……」
私は意を決し、旅館に入っていった。
「いらっしゃいま……あら、小さなお客様だこと」
「こ、こんにちは……。あの……ここに泊まっている……雨海って男の人がいると思うのですが……」
「あぁ。あの提督さん? あの人なら、今しがたお帰りになりましたけど」
「え……」
「汽車の時間に合わせて出ていかれたようね。今頃、駅へ向かうバスを待っているのではないかしら?」
「バ、バス停はどこですか……!?」
「この通りを左に行ったところ――」
「――ありがとうございます……!」
旅館を飛び出し、バス停へと走る。
「はぁ……! はぁ……!」
司令官……。
司令官……!
「司令か……へぶっ……!」
何かに躓き、転んでしまった。
服は泥だらけになり、膝を擦りむいてしまった。
それでも――。
「……!」
すぐに立ち上がり、走り出す。
痛みなんか、どうってことない。
お気に入りの服だったけれど、そんなこと、気にしている余裕はない。
「あ……!」
ようやく見えてきたバス停には、既にバスが停まっていて――そのバスに乗り込もうとしている、一人の男――。
「司令官……!」
私の声に気付かず、司令官はバスに乗ってしまった。
「司令官……! 私だよ……! 響だよ……!」
バスのドアが閉まる。
「待って……!」
追いかけようとした時、目の前をトラックが遮った。
「あぶねぇだろ!」
「ご、ごめんなさい……」
「チッ……!」
トラックが去るのと同時に、バスもまた走り出した。
「……っ!」
急いで追いかけるけど、バスは無情にもスピードを上げてゆく。
「司令官……! 司令官……!」
バスとの距離が、徐々にひらいてゆく。
「し……あぐっ……!」
再び、転ぶ。
今度は、泥水の中に。
「待って……待ってよぉ……!」
ヘロヘロになりながら、追いかける。
ドロドロで、ヘロヘロで――擦りむいた膝も、激しく打ったお腹も、徐々に痛み出して――。
「はぁ……! はぁ……!」
遠ざかるバス。
やがて、追いつけないことを心と体が悟ったのか、勝手に足が止まった。
「あぁ……あぁぁぁぁぁ……」
その場に、へたり込んでしまう。
『汽車の時間に合わせて出ていかれたようね』
きっと、もう一本のバスを待っても、追いつけないだろう。
これだけ頑張っても、結局、司令官に会うことはできなかった。
「う……うぅぅ……」
駄目……。
泣いたら、ダメ……。
泣いちゃったら、これまでの苦労も、皆の想いも、全部……。
「うぅっ……!」
力を振り絞り、立ち上がる。
そうだ。
まだ、泣く時間じゃない。
会えなかったけれど、だからといって、司令官とお別れする事になった訳じゃない。
私はこの旅で、色んな事を学んだ。
不安と戦う方法を。
不安に打ち勝つ方法を。
そして、知ったんだ。
『お気をつけていってらっしゃいませ。お嬢様』
『頑張ってね……響ちゃん……』
『気を付けるでありますよ』
『たとえどんな運命が待ち受けていたとしても、その運命に立ち向かうだけの勇気を持つんだ! 強い女になって、堂々と雨海の家族を名乗れるように……!』
私は、一人じゃないって。
私は、弱いわけじゃないって。
「……っ!」
気が付くと、走っていた。
里親の元を離れ、司令官に会いに行った時のように。
無我夢中で――ただ司令官に会いたいという一心で――。
『響』
司令官……。
『響……』
司令官……!
『響!』
司令官!
『帰ろう、響……。俺たちの家に……』
「司令官……! わぷっ!?」
前を見ずに走ったせいか、人とぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさ……い……」
言葉を失ったのは、嗅ぎなれた匂いが、鼻を突いたからであった。
「え……」
この、匂いは……。
「…………」
ゆっくりと、ぶつかった人の顔を見上げる。
逆光で、よく見えなかった。
けど――。
「な、なんだぁ!?」
声。
驚いた時の、この声。
この声と、この匂いは――。
「響……? お前、響か……?」
三日三晩走り続け、ようやく会えた時のあの顔が、そこにあった。
――続く