あれから、ボクは奇跡的に持ち直した。
病院の先生も驚くほどの回復だったけど、ボクは分かってた。
お父さんやお母さんが、ボクが眠っている間もずっと手を握ってくれていたからだ。
……そして、ヒロちゃんが毎日持ってきてくれた、交換日記のおかげ。
(……ヒロちゃん、ありがとう)
でも、ボクの身体が「治った」わけじゃない。
「前よりも少しだけ、マシになった」だけ。
走ったり、はしゃいだりすると、すぐに息が苦しくなる。
だから、ボクは小学校を卒業するまで、体育の授業はほとんど見学だった。
ヒロちゃんは、そんなボクを気遣って、休み時間のたびにボクの教室に来てくれた。
「エマ、調子はどうだ?」って、ボクの顔を覗き込んでくれる。
そのたびに、ボクは「大丈夫!」って、精一杯の笑顔で答えた。
ヒロちゃんに、心配かけたくなかったから。
そして、時は流れて、ボクたちは中学生になった。
ヒロちゃんと同じ中学に通えることになって、ボクはすっごく嬉しかった。
……でも、クラスは別々になっちゃった。
ヒロちゃんは1組。ボクは、端っこの3組。
ヒロちゃんは、やっぱりすごかった。
入学してすぐに成績トップ。
生徒会にも入って、あっという間にみんなの注目の的になった。
ヒロちゃんの周りには、いつもたくさんの人が集まってる。
それに比べて、ボクは……。
やっぱり、ダメだった。
新しいクラスでも、ボクはうまくみんなの輪に入れない。
それに、体調のこともあって、みんなと同じようにはしゃぐこともできない。
ボクは、また「ひとりぼっち」に戻っちゃった。
だからボクは、休み時間や放課後、人があまり来ない屋上の隅っこで、こっそり過ごすのが日課になっていた。
ここなら、うるさくないし、息苦しくなることもないから。
「…………」
フェンスに寄りかかって、校庭を眺める。
ヒロちゃん、今ごろ何してるかな……。
そう思っていた、ある日の放課後だった。
ギィ、と錆びた音がして、屋上のドアが開いた。
(え……誰か来た)
ドキドキしながらそっちを見ると、ひとりの女の子が立っていた。
長い白髪。白い肌。じっとボクを見つめる、ガラス玉みたいな瞳。
「えっと・・・・キミはたしか、同じクラスの月代ユキ、ちゃんだよね・・・?」
ボクは、彼女の名前を覚えていた。
だって、彼女もボクと同じ……ううん、ボク以上に、クラスで孤立していたから。
誰も彼女に話しかけないし、彼女も誰とも話さない。
それどころか、クラスメイトの何人かは、彼女のことをヒソヒソと噂しながら、明らかに避けていた。
まるで、近寄ったら呪われるとでも言うみたいに、近寄りがたい空気を発していた。
(どうしよう、ボクも、避けられてるのかな……)
ひとりになりたくてここに来たのがバレたのかな、と思って身構えていると、彼女はゆっくりとボクに近づいてきた。
そして、ボクの目の前で立ち止まると、まっすぐにボクの目を見て、こう言ったんだ。
「――私と友だちになりませんか?」
「…………え?」
予想外すぎる言葉に、ボクは間の抜けた声を出してしまった。
(……とも、だち?ボクと?)
クラスであんなに避けられてるユキちゃんが?
クラスで浮いてる、ボクに?
ボクは、彼女のことが怖くはなかった。
むしろ、同じ「ひとりぼっち」だから、いつか話しかけてみたいなって、心のどこかで思ってた。
(もしかして、ボクたち、仲良くなれるんじゃないかな……)
そんな期待が、胸の中にふわりと湧き上がる。
「ボクと友達になってくれるって・・・本当!?」
ボクが身を乗り出すようにして聞くと、ユキちゃんはこくりと頷いた。
「ええ。はぐれもの同士、仲良くしましょう」
その言葉が、なんだかちょっと可笑しくて、でもすっごく嬉しくて、ボクは満面の笑みになっていた。
「嬉しい!よろしくね、ユキちゃん!」
ボクが勢いよく手を差し出すと、ユキちゃんは――自分から声を掛けてきたのに――意外そうに、少しだけ目を見開いた。
まるで、ボクがそんな風に笑うなんて、思ってもみなかったみたいに。
ユキちゃんは、ボクの手を握り返すでもなく、少し戸惑ったように視線をさまよわせる。
そして、照れくさそうに、ゆっくりと俯いて……ぽつりと、呟いた。
「・・・・・・あなたの笑顔、とても好きです」
その声は、すごく小さかったけど、ボクの耳には、はっきりと届いた。
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ユキちゃんと友達になってから、ボクの世界は色を取り戻したみたいだった。
ユキちゃんは、クラスメイトからだけでなく、他のクラスの生徒からもジロジロと好奇の目で見られるのを、すごく嫌がった。
だから、ボクたちは自然と、誰も来ない放課後の屋上を「秘密基地」にすることにしたんだ。
「はぐれもの同士」の、二人だけの秘密基地。
ボクは「ひとりぼっち」じゃなくなったことが、嬉しくてたまらなかった。
ボクは、この「秘密基地」のことを、ヒロちゃんにはまだ話していなかった。
ヒロちゃんは、ボクとは別のクラスで、生徒会の仕事で、相変わらず忙しそうだったから。
中学に入ってから、クラスが別々になったボクたちは、小学校の頃みたいに毎日一緒に帰ることもなくなって、少しずつ疎遠になっていた。
だから、ボクがユキちゃんっていう新しい友達ができたことなんて、話す機会もなかったんだ。
(ヒロちゃんも忙しそうだし、今度、時間があるときにでも話せばいいかな)
ボクは、そんな風に、軽く考えていた。
……なのに。
「――それでね、昨日ボクがまたドジしちゃって……あははっ」
「……ふふ」
屋上で、ボクがユキちゃんにお菓子をあげながら、いつものようにどうでもいいおしゃべりをしていた、その時だった。
「…………」
ふと視線を感じて顔を上げると、屋上のドアの影から、ヒロちゃんがボクたちをじっと見ていた。
いつからそこにいたんだろう。
生徒会の見回りにでも来たのかな。
でも、ヒロちゃんの顔は、ボクが知ってるどの顔とも違った。
怒ってるわけじゃない。
呆れてるわけでもない。
ボクが、ユキちゃんと、楽しそうに笑い合っている。
その事実が許せない、と言いたげな、暗くて、深くて、なんだか……すごく苦しそうな顔だった。
(あ……!)
ボクは、ヒロちゃんが、ボクたちのことを見て、怒ってるんだと思った。
でも、ヒロちゃんは何も言わない。
ただ、ドアの影から、すごく苦しそうな、複雑な顔で、ボクと……ボクの隣にいるユキちゃんを、じっと見ているだけだった。
ユキちゃんもヒロちゃんの視線に気づいて、さっきまでの笑顔を消して、ピタリと固まった。
屋上に、気まずい沈黙が落ちる。
(やだ……そんな顔しないで、ヒロちゃん)
(ボクは、ただ、ユキちゃんと……)
ヒロちゃんは、ボクがユキちゃんと仲良くなって、自分が「ひとりぼっち」になっちゃったって、そう思ってるんだ。
ボクが、ヒロちゃんに話してなかったせいで、怒ってるんだ。
(……ボクが、なんとかしなきゃ)
ボクは、ユキちゃんに「ごめん、ちょっと待てて!」と断ると、ヒロちゃんが立っているドアのところまで、駆け寄った。
「ヒロちゃん!」
「……エマ」
ヒロちゃんは、ボクに声をかけられて、バツが悪そうに少しだけ視線をそらした。
「あのね、えっと……! ボク、ヒロちゃんが嫌いになったとか、そういうんじゃなくて……!」
ボクは、ヒロちゃんの葛藤を知らないまま、必死に言葉を探した。
「ボクは、ヒロちゃんもユキちゃんも、どっちも大好きなんだ! だから……だから、ね? ヒロちゃんも一緒に遊ぼうよ!」
ボクは、イタズラっぽく笑って、ヒロちゃんの手をぎゅっと握った。
「は!?な、何を……私は、そんなつもりじゃ……」
ヒロちゃんは、ボクの突拍子もない言葉に、さっきまでの暗い顔が吹き飛んで、バツが悪そうに視線をそらした。
「いいから、いいから!」
ボクは、ヒロちゃんの手を引いて、ユキちゃんが待つフェンス際まで連れていく。
「ユキちゃん!ヒロちゃんも一緒に遊ぶって!」
「……!」
ユキちゃんは、一瞬だけ驚いた顔をしたけど、すぐにいつもの無表情に戻って、小さくこくりと頷いた。
ヒロちゃんは、ボクの強引さに観念したのか、「……はぁ。仕方ないな、エマは。……ユキ、君も、エマがそう言うなら、いいんだな?」と、なんだかすごく複雑な顔でため息をついた。
それが、ボクたちの「3人の時間」の始まりだった。
それからの毎日は、本当に、宝物みたいだった。
ボクがこっそり持ってきたお菓子の袋を、ヒロちゃんが「エマ、またそんなものを……」と呆れながら開けて、ユキちゃんがそれを黙々と食べる。
ボクとヒロちゃんが、どっちがユキちゃんの隣に座るかで、本気でケンカしたりもした。
「もう!今日はボクがユキちゃんの隣!」
「何を言うか。ユキは私の顔を見に来ているんだ。そうだろう、ユキ?」
「……もちろんです」
「ほら見ろ!」
「ずるい!ユキちゃん、ヒロちゃんに買収されたの!?」
ボクの携帯ゲーム機を持ち込んで、3人で対戦ゲームもした。
もちろん、ボクが一番弱くて、ヒロちゃんが一番強い。
「あーっ!ヒロちゃんのイジワル!またボクばっかり狙う!」
「フン。弱いのが悪いんだ」
「……エマ、後ろもらいますね」
「え?うわーーっ!?」
ボクがヒロちゃんに気を取られている隙に、ユキちゃんのアバターがボクを背後から攻撃する。
「ユキちゃんまでー!?」
「……私の勝ちです」
ユキちゃんが、得意げに小さく鼻を鳴らす。
ボクは本気で悔しがって、ヒロちゃんはそれを見て大笑いして、ユキちゃんは静かに笑ってる。
ここでは、いじめの話は一切出なかった。
まるで、屋上のドアをくぐったら、教室での嫌なことは全部忘れるみたいに。
ボクと、ヒロちゃんと、ユキちゃん。
ボクが学校のどうでもいい話をして、ヒロちゃんがそれにツッコミを入れて、ユキちゃんが静かに笑う。
ボクにとって、大好きな幼馴染と、大好きな新しい友達と過ごす、夢みたいな時間だった。
(ああ、よかった。ボク、また「ひとりぼっち」じゃなくなった)
(身体は弱くたって、こんなに幸せだ)
この時間が、ずっと、ずっと続けばいいのに。
ボクは、本気でそう願っていた。
そんな、奇跡みたいに穏やかな日々が続いていたある日。
ヒロちゃんが、短期留学で海外に行くことが決まった。
「……というわけで、1カ月ほど日本を離れることになった」
出発の二日前、屋上でヒロちゃんはボクたちにそう告げた。
「ええーっ!1ヶ月も!?」
ボクが驚きの声を上げると、隣にいたユキちゃんが、ボクの服の袖をぎゅっと握った。
「ああ。……だが、必ず帰ってくる」
ヒロちゃんは、しょんぼりするボクの頭を優しく撫でる。
「……エマ」
「……!」
「……私がいない間、ユキのことを……頼む」
(ヒロちゃんが、ボクに……頼んでる)
それは、いつも「頼る」側だったボクが、初めてヒロちゃんから「頼られた」瞬間だった。
(ヒロちゃんは、ユキちゃんを心配してる。ユキちゃんも、ヒロちゃんがいなくなるのを不安に思ってる。ボクなら……ボクがそばにいれば、ユキちゃんも、きっと……)
「――うん!わかった!任せて、ヒロちゃん!」
ボクは、胸を張って答えた。
身体は弱くても、ユキちゃんのそばにいることくらいなら、ボクにだってできる。
大好きな二人のために、ボクも何かしたかった。
「……ああ。頼んだぞ、エマ」
ヒロちゃんは、ボクにだけ見えるように、小さく笑った。
そして、ヒロちゃんが飛行機に乗った、次の日。
ボクが教室に入ると、ユキちゃんの机が、びしょ濡れになっていた。
昨日までヒロちゃんを恐れて何もできなかったクラスメイトたちが、ヒロちゃんがいなくなった途端、堰を切ったように、ユキちゃんへのいじめをエスカレートさせていた。
「…………ぁ」
ボクは、息が詰まるのを感じた。
(どうしよう)
(ヒロちゃんに、任せてって言ったのに)
(でも、ボクが何か言ったら……)
ボクが入り口で立ち尽くしていると、先に着席していたユキちゃんが、ふとボクの方を見た。
一瞬、目が合った。
ユキちゃんは、ボクが「傍観」するのを、確かめるように。
ボクを見ながら、ほんの少しだけ……笑った。
泣きそうな、絶望したような、でも、どこか満足したような……奇妙な笑みだった。
その日から、ボクたちの「本当の地獄」が、始まったんだ。
魔女裁判は起きる?(今後の展開に大きな影響が生じます)
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起きる
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起きない