病弱少女ノ生命裁判   作:夜琥

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3. 特別な魔法

ヒロちゃんが日本を去ってから、すべてが変わってしまった。

 

ヒロちゃんという「正義の執行者」がいなくなった教室で、ユキちゃんへのいじめは残酷なほどに過熱していった。

 

ユキちゃんは、ずっと嫌われていた。

 

ユキちゃんの近くでは、しきりに不幸が起きたから。

 

「見たこともない虫が湧いた」

 

「どぶのような匂いがした」

 

「花が枯れてしまった」

 

ユキちゃんが忌み嫌われる理由は、それで十分だった。

 

あるときは、トイレの個室に閉じ込められた。

 

あるときは、教科書を破り捨てられた。

 

あるときは、上履きに画鋲を詰められた。

 

あるときは、体育倉庫で集団リンチにあった。

 

あるときは、縛られてさらしものにされた。

 

 

ボクは、そのたびに、大好きな友達の悪口を聞かされる。

 

ひそひそ、くすくす。

 

嘲笑と悪意にまみれた空気が、ボクの耳を塞ぐ。

 

ボクは周囲の悪意に耳を塞ぎたかった。

 

けれど、囚人のように見えない鎖で繋がれ、それすらも許されない。

 

みんなに合わせて、笑うしかなかった。

 

嫌われたくなかったから。

 

たった、それだけの理由。

 

日を追うごとに、ユキちゃんへのいじめの空気は重くなって、ボクの心臓は鉛のように重くなっていった。

 

(やめてよ、やめて、やめて、やめてやめてやめて)

 

(もうあの子をいじめないで)

 

どうしても、その一言が発せない。

 

言い返したら、次はボクがターゲットにされてしまうから。

 

ひとりになるのが怖かった。ただそれだけの理由。

 

だからボクは、関係のないフリをして「傍観者」になった。

 

ヒロちゃん、ごめんなさい。

 

ボク、約束、守れそうにないよ……。

 

誰よりも臆病な自分を責めて、自分を嫌って、消えてしまいたくなった。

 

繰り返される日常に絶望し、漆黒の闇がボクを包み込む。

 

そんなボクの罪悪感を知ってか知らずか、ユキちゃんは、何も言わなかった。

 

ただ、蔑まれ、貶められ、嘲笑される毎日を、耐えていた。

 

その残酷な行為は、あまりに徹底的に、長期に及んだ。

 

「…………っ、はぁ……っ」

 

強烈なストレスと罪悪感は、ボクの身体を蝕んでいった。

 

あの日、小学生の時に倒れた時と同じ、胸の痛みと息苦しさが、頻繁にボクを襲うようになる。

 

学校を休みがちになり、屋上の「秘密基地」にも行けなくなった。

 

ユキちゃんに、会えない。

 

いじめがどうなっているのか、ボクは知るのが怖かった。

 

知ったところで、病室のベッドの上にいるボクには、何もできない。

 

(ボクは、ユキちゃんからも、ヒロちゃんからも、逃げたんだ……)

 

そうやって自分を責める日々が続いた。

 

そして、運命の日が訪れた。

 

ヒロちゃんが、帰国する日だった。

 

久しぶりに少しだけ熱が下がったボクは、どうしてもヒロちゃんに謝りたくて、無理をして学校に向かった。

 

でも、教室の空気は異常だった。

 

誰も口を聞かず、お通夜みたいに静まり返っている。

 

そして、ユキちゃんの席にだけ、花瓶が置かれていた。

 

「……え?」

 

ボクが状況を理解できずに立ち尽くしていると、ガラリと、教室のドアが開いた。

 

帰国したばかりの、ヒロちゃんだった。

 

でも、その顔は、ボクが今まで見たこともないほど、蒼白で、絶望に染まっていた。

 

「……ヒロ、ちゃん……?」

 

「…………」

 

ヒロちゃんは、ボクの声が聞こえていないみたいに、ふらふらとユキちゃんの席まで歩いていく。

 

そして、花瓶の置かれた机を、信じられないものを見るような目で見つめ……膝から崩れ落ちた。

 

「……ユキ……嘘だろう……?私は……帰ってきたんだぞ……?」

 

ヒロちゃんの震える声が、静まり返った教室に響く。

 

そこで初めて、ボクは理解した。

 

ユキちゃんが、死んだんだ。

 

ボクが、逃げている間に。

 

「……あ……」

 

ボクが、小さく声を漏らした、その時だった。

 

ヒロちゃんが、ゆっくりと顔を上げた。

 

その瞳には、明確な、燃えるような「憎悪」が宿っていた。

 

そして、その憎悪の矛先は……まっすぐに、ボクに向けられていた。

 

「…………エマ」

 

地を這うような、低い声。

 

「……君は……知っていたのか」

 

「え……?」

 

ヒロちゃんが、立ち上がり、ボクに詰め寄ってくる。

 

その目には、涙が溜まっていたけれど、それ以上に強い怒りの色が浮かんでいた。

 

「ユキの……あの有様を。君は、知っていたのかと聞いているんだ!」

 

あの有様。

 

きっと、ヒロちゃんは見てしまったんだ。

 

ユキちゃんの、最期を。

 

「……ボク、は……」

 

「知っていたんだろう!? 君が、あいつらと一緒に、ユキを見て笑っていたのを、私は知っている!」

 

ヒロちゃんの言葉が、心臓を突き刺す。

 

知られていた。

 

ボクが、「傍観者」だったこと。

 

みんなに合わせて、愛想笑いを浮かべていたこと。

 

「ちが……ボク、は……」

 

「何が違う! 私は君に頼んだ! ユキを頼むと、約束した!」

 

ヒロちゃんの手が、ボクの肩を強く掴む。

 

痛い。でも、ヒロちゃんの心の方が、もっと痛いんだ。

 

「君が……君が見捨てたから、ユキは死んだんだ! 君が、殺したも同然だ!」

 

(ボクが、殺した)

 

その言葉が、頭の中で何度も反響する。

 

「……私は、君を許さない。……一生、許さない」

 

ヒロちゃんは、ボクを突き飛ばすと、冷たく言い放った。

 

それは、完全な「絶縁」の宣言だった。

 

床に倒れ込んだボクを見下ろすヒロちゃんの目は、もう幼馴染を見る目じゃなかった。

 

汚いもの、許せないものを見る、「正義の執行者」の目だった。

 

「あ……あぁ……」

 

ボクの心の中で、何かが完全に壊れる音がした。

 

大好きだった友達が死んだ。

 

大好きだった幼馴染に、人殺しと呼ばれた。

 

ボクの居場所は、もうどこにもなかった。

 

その日から、ボクは学校に行けなくなった。

 

部屋に引きこもり、食事も喉を通らず、ただただ泣き続けた。

 

そして、心と連動するように、ボクの身体も急速に弱っていった。

 

すぐに再入院が決まり、ボクはまた、あの白い病室に戻ることになった。

 

ユキちゃんが死んでから、高校に上がる直前までのボクの記憶は、ほとんどが、この病室の中にある。

 

罪悪感と、身体の痛みと、時折フラッシュバックするユキちゃんの最期、そしてヒロちゃんの憎悪の目。

 

ボクは、熱にうなされながら、何度も何度も二人に謝り続けた。

 

(ごめんなさい、ユキちゃん……ごめんなさい、ヒロちゃん……ボクが、約束を、守れなかったから……)

 

そんな、夢とも現実ともつかない意識の狭間で。

 

ボクは、"声"を聞いた気がした。

 

***

 

『……エマ』

 

『あなたは、特別なんですよ。 あなたの笑顔は綺麗ですから。

 

私は、忌み嫌われるもの。

 

あなたはそんな私と友達になってくれた。私は汚いのに、臭いのに、人を病気にするのに。

 

無理をした笑顔。あなたの偽善が私は大好き。

 

あなたが倒れたあの日、気づいてしまいました。

 

あなたの「時間」が、もう残り少ないことに。

 

私という「不幸」に蝕まれて、あなたの綺麗な命が、消えようとしていることに。

 

私が人としての死を選んだのはあなたに、とりつきたかったから。

 

大好きなエマにはね。 特別な魔法をあげますね。

 

魔女になって、みんなを殺しましょうね。

 

あなたの「時間」が、二度と奪われないように。

 

綺麗なエマ。優しいエマ。良い子のエマ。

 

これは遊び。どこまで穢れてくれるかな。

 

……あなたは、私だけのもの』

 

***

 

「……はぁ、はぁ……っ」

 

暗い病室で、ボクは飛び起きた。

 

汗でパジャマがぐっしょりと濡れている。

 

心臓が、壊れそうなほど激しく脈打っていた。

 

とてつもなく恐ろしい「何か」が、ボクを押しつぶそうとしていた。

 

(……誰かが、死んだ気がする)

 

(……誰かに、ひどい言葉を言われた気がする)

 

(……ボクが、悪いことをした気がする)

 

思い出そうとすると、頭が割れるように痛む。

 

その痛みが、ボクに「思い出すな」と警告しているみたいだった。

 

(……やだ、思い出したくない。そんな辛いこと、知りたくない)

 

ボクは、耳を塞いで、頭を振った。

 

(……ボクはいじめられていて……辛くて……)

 

(だから、学校に行けなくなって、病気になっちゃったんだ……)

 

「傍観者」だった自分。「見殺しにした」自分。「人殺し」と呼ばれた自分。そんな自分はいなかった。 

 

(……ユキ、ちゃん……?)

 

ふと、誰かの名前が頭をよぎる。

 

でも、その顔は靄がかかったように思い出せない。

 

大切な友達だった気もするし、ただのクラスメイトだった気もする。

 

(……まあ、いっか。思い出せないってことは、そんなに大事なことじゃなかったんだ)

 

ボクは、自分にそう言い聞かせて、再びベッドに横になった。

 

こうしてエマは、自分の心を守るために、一番大切な記憶に鍵をかけた。

 

魔女裁判は起きる?(今後の展開に大きな影響が生じます)

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