冷たい石の感触が、背中に伝わってくる。
桜羽エマが目を覚したのは、見慣れた病室の白い天井の下ではなかった。
古びた石壁。澱んだ空気。そして視界を遮る、無機質な鉄格子。
「……っ!」
エマは、粗末な2段ベッドの下段から飛び起きた。
着せられている服も、見たこともない特別な服に変わっている。
(なんで……? ボクは、高校の入学式のために、病院から一時帰宅して……自分の部屋で寝たはずなのに……)
パニックに陥る頭に、忌わしい記憶がフラッシュバックする。
(……そうだ。ボクは、ずっといじめられてて……それで学校に行けなくなって……病気に……)
そう、自分がいじめの被害者だったから、こんな目に――。
いや、違う。
こんな場所、夢のはずだ。
(悪夢の、続き……?)
そうであってほしいと願いながら頬をつねるが、痛みだけが生々しく現実を突きつけてくる。
「ねえ、ここどこなのかな!?」
エマは鉄格子に縋りつき、必死に叫んだ。
遠くから、同じように閉じ込められたらしい、他の少女たちの悲鳴や怒声が聞こえてくる。
(よかった、ボクだけじゃない……)
エマが僅かに安堵した、その時だった。
「――静かにしてくれないか?」
凛とした、冷たい声が、背後から響いた。
エマの心臓が、嫌な音を立てて跳ね上がる。
ゆっくりと振り返ると、2段ベッドの上段で、一人の少女が起き上がったところだった。
艶やかな黒髪。紅い瞳。
その完璧なまでに整った横顔を、エマが見間違えるはずがなかった。
「……ヒロ……ちゃん?」
エマの中学時代を暗黒に貶めた、かつての幼馴染。
二階堂ヒロ――。
目が合ったヒロの方も、今までエマが見たことないほど大きく目を見開いていた。
ヒロはベッドからひらりと降り立つと、エマを睨みつける。
「……何故、君がここに?」
その声には、再会を喜ぶ響きなど微塵もなかった。
あるのは、明確な拒絶と――憎悪。
ヒロは、中学時代にユキを見殺しにしたエマと、こんな場所で再会したことに、嫌悪感を露わにしていた。
「あ……あのね、ヒロちゃん……ボクも、わからなくて……」
かつて呼んだ懐かしい呼称でエマが怯えながら呼びかけると、ヒロは忌々しそうに顔を歪めた。
その時だった。
『――私、ゴクチョーと申します。詳しい説明がしたいので、ラウンジに集合してください』
壁のモニターに、突如としてフクロウの化け物が映し出され、間延びした声を響かせた。
『監房の鍵を開けますので、看守の後についてきてください。抵抗とかは自由なんですが……命とかなくなっちゃうので……はい……』
ガシャン、と重い金属音がして、房の施錠が解かれた。
「ゴクチョー……? 看守……?」
エマが呆然としていると、鉄格子の向こう、通路の闇から、重々しい何かが近づいてくる音がした。
やがて現れたのは、ぼろぼろの黒衣をまとった、人間ではない「何か」
仮面をつけた異形――「なれはて」と呼ばれる看守だった。
「正しい説明がなされるのかな。それなら早く向かわないと……」
ヒロはエマを無視し、先に房から出て通路へと進む。
エマも慌ててその後に続いた。
通路には、エマたちと同じように、他の房から不安そうに出てきた少女たちが集まっていた。
「きゃああぁ! 触んな化け物ぉ! キモいから!」
「わかった、わかりました、行くから!!」
異形の看守に促され、少女たちがぞろぞろとラウンジに向かって歩き出す。
「待って……待ってよ、ヒロちゃん……!」
エマは、この異常な状況と、ヒロとの最悪の再会でパニックになりながらも、小走りでヒロの背中を追いかけた。
他の少女たちが見ている前で、エマはヒロの腕にそっとしがみついた。
「ヒロちゃん! あの、あのね。色々あったけど、ヒロちゃんにまた会えてよかった。ボク、変わったんだよ。もう前のボクじゃない。またヒロちゃんと友だちになりたいんだ」
必死の言葉を遮るように、ヒロは、他の少女たち全員が見ているその通路の真ん中で、汚物でも触られたかのように、エマの手を荒々しく振り払った。
「っ……!」
「気安く触れないでほしい」
突き飛ばされ、エマはよろけて、冷たい石畳の床に小さく尻餅をつく。
(いたい……)
打ち付けたお尻よりも、手のひらを擦りむいた痛みよりも、何よりも。
他の少女たちが、「何あれ……?」とひそひそと囁きながら、エマとヒロを遠巻きに見ている。
その視線が、痛い。
ヒロは、床にうずくまるエマを、心の底から軽蔑するような冷たい目で見下ろした。
「忘れてもらっては困る。私は君が嫌いなんだ」
その瞳は、中学時代にエマの心を壊した、あの日の目と全く同じだった。
ヒロはエマに背を向け、今度はもう、立ち止まることなくラウンジへと向かってしまう。
(そんな……ヒロちゃん……)
公衆の面前で突き飛ばされ、拒絶されたエマの瞳に、急速に涙が滲む。
「ひとりになるのが怖い」という、エマが一番恐れていた記憶。
その冷たい感覚が、背筋を駆け上がってくる。
エマは、必死に涙をこらえ、手のひらの痛みも忘れたフリをして立ち上がると、ラウンジへと続く闇の中へと、とぼとぼと歩き出すしかなかった。
***
ラウンジには、エマたちを含めて13人の少女たちが集められていた。
誰もが不安と恐怖に怯え、互いに距離を取り、警戒しあっている。
個性的……というより、一癖も二癖もありそうな少女たちばかりだ。
エマは、ヒロから一番遠い場所で、先ほど負った心の傷を隠すように、小さくなっていた。
重苦しい沈黙の中、場にそぐわないほど明るい声が響いた。
「いやぁ~すごいですねっ! 突然牢屋で目覚め! 化け物に見張られていて! なんかすごいことが起こっているのを感じます! 高まっちゃいますよね~!」
水色髪の少女が、好奇心で瞳を輝かせている。
「なあにが、高まっちゃいますよね~、ですわ! やべーことになってるんですわ! もっと危機感を持った方が良いんじゃないかしら!?」
お人形のように可愛らしい小柄な少女が、かん高い声で反論する。
そのとき、くすりという声が響く。
「――いや、すまない。少し変わった喋り方だなと思ってね」
一歩前に出たのは、中性的な見た目の少女。
すらりと背が高く、まるで騎士のような凛々しさがある。
彼女のカリスマ性か、全員の視線が自然と彼女に集まった。
「みんな初対面だと思うから、良かったら自己紹介をしていかないか? 私は蓮見レイアだ」
レイアと名乗った少女が、小柄な少女に優雅に微笑みかける。
「……ふんっ、遠野ハンナですわ。お見知りおきあそばっ……お見知りおきあそばせせ?」
ハンナと呼ばれた少女は、顔を真っ赤にしてどもってしまう。
「はいはーい! 私は橘シェリーっていいますっ。事件があるところに私あり!この名探偵にお任せください!」
シェリーが元気よく手を挙げ、レイアが「実際に何か事件を解決した経験があるのかい?」と尋ねる。
「それはまだありませんね!」
「……そ、そうかい。少し頭が痛くなってきたな……」
レイアは苦笑いを浮かべ、次にヒロに視線を向けた。
「次に行こうか。……君、いいかな?」
「……二階堂ヒロだ」
ヒロは、それだけを短く告げると、遠くで怯えているエマを憎々しげに一瞥した。
その視線に射抜かれ、エマは「ひっ……!」と小さく肩を震わせる。
レイアは、二人の険悪な空気を察したようだったが、あえて何も言わず、エマに話を振った。
「……では、そこのキミ、名前を教えてくれないか?」
(さ、最初が肝心……! 自己紹介でボクの第一印象が決まるんだから、気合……!)
エマは必死に震えを抑え、声を張り上げた。
「ボ、ボクは、桜羽エマ!」
エマが名乗った瞬間、ヒロが「……チッ」と、エマにしか聞こえないような小さな舌打ちをした。
(やっぱり……ヒロちゃんは、ボクのこと、許してくれてない……)
エマの表情が、再び絶望に曇る。
さっき床についた手のひらの擦り傷が、じくじくと痛んだ。
「わわわ、私の名前は、ひっ、ひっ、ひ…… 氷上、メルル、です……っ」
エマの不安そうな顔と、その手のひらから滲む血に気づいたのか、メルルは、おどおどとしながらもエマに近づいた。
「あ、あの……エマさん……け、怪我……」
「え?」
「さっき、廊下で……。よ、よかったら、これ……」
メルルが怯えながらそっとエマの擦り傷に手をかざすと、その手のひらが、ふわりと淡い緑色の光を放った。
(あったかい……)
光が消えた時、さっきまで痛んだ擦り傷が、血の跡も残さず、綺麗さっぱり消えていた。
「……すごい! 痛くない……! ありがとう、メルルちゃん!」
「は、はいぃぃぃ……! た、たいしたことじゃ……!」
メルルは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
エマは、ヒロからの拒絶でささくれていた心に、小さな温かい光が灯ったのを感じた。
その後も、次々に自己紹介が続いた。
「あー、あてぃし? あてぃしの名前は沢渡ココね」
「けっ...…紫藤アリサ。おめーらと慣れ合うつもりはねーから」
「『わがはいは夏目アンアンである。以降、どうか話しかけないでいただきたい』」(スケッチブック)
「……黒部ナノカ」
「んーと、城ケ崎ノア」
「おじさんは、佐伯ミリアだよ……」
「私は宝生マーゴ。よろしくね」
「全員の名前が知れて何よりだよ。ここにいる意味は、私にもわからない。けれど、冷静に行動するべきだと思っている」
レイアが場を仕切ろうとした、その時。
『――皆さん、お揃いのようですねぇ』
あのフクロウの化け物とゴクチョーが目の前に現れた。
少女たちの間に、再び緊張が走る。
『では、さっさと説明をしていきますね……』
ゴクチョーは淡々と、絶望的な事実を告げ始めた。
『皆さんは【魔女】である可能性があると認定されました』
『いずれ【魔女】になる可能性があるとなると、野放しにはできませんので……』
『つまり皆さん、この世界に害をなす悪者ってことで……ご納得ください』
ゴクチョーは淡々と続ける。
看守は、かつて魔女になってしまった者の【なれはて】であること。
逆らったら殺すように洗脳してあること。
そして――
『面倒なことに、いずれ囚人間で殺人事件が起こるんですよ』
『殺人事件が起きた場合、【魔女裁判】を開廷します』
『【魔女】になった囚人は……あのー…… ……処刑しますので……』
処刑。
その言葉が、エマの頭を殴りつける。
(囚人……? 処刑……? ボクたち、殺されるの……?)
動悸が激しくなり、胸が苦しくなってくる。
重々しい沈黙の中、最初に一歩前に出たのは、ヒロだった。
彼女の紅い瞳は、ゴクチョーでも、他の少女たちでもない、ただ一点――入口で見張る看守を、「悪」として捉えていた。
ヒロの心は、中学時代に培われた強すぎる正義感によって、すでに燃え上がっていた。
彼女にとって、あの看守は断じて許容できない「悪」そのものだった。
ヒロは、ラウンジの暖炉に立てかけられていた火かき棒を、静かに手に取った。
その音に、ラウンジの反対側にいたエマが「ビクッ」と肩を震わせる。
「ヒロちゃん……? まさか……」
エマが青ざめた顔で呟く。
(ダメだよ、ヒロちゃん! そんなことしたら、ヒロちゃんが……!)
エマは、ゴクチョーの『命とかなくなっちゃうので』という言葉を思い出し、血の気が引いた。
あの化け物に逆らったら、殺される。
ヒロちゃんが、今、殺されようとしている。
「悪は死ね!」
ヒロが叫ぶ。
「死ね死ね死ね!」
その声は、エマが知っている幼馴染のものではなかった。
正義と狂気に取り憑かれた、冷たく研ぎ澄まされた声だった。
他の少女たちが悲鳴を上げる中、ヒロは看守へと向かって走り出す。
「やめてっ、ヒロちゃん!!」
エマは、叫んでいた。
もう、見ているだけはいやだ。
もう、失うのはいやだ。
ヒロちゃんに死んでほしくない。
たとえ、中学時代にボクを拒絶したヒロちゃんでも。
ボクを憎んでいるヒロちゃんでも。
それでも、ボクの大切な、たった一人の幼馴染だから。
その一心だけで、病弱な身体を顧みず、ラウンジの端から必死に床を蹴った。
ヒロまでの距離が、絶望的に遠い。
(間に合わない……!)
心臓が警鐘のように激しく脈打つ。肺が酸素を求めて悲鳴を上げる。
看守に向かって全速力で走るヒロを、エマもまた、息を切らしながら必死で追いかける。
ヒロが看守の目前に迫り、火かき棒を振りかぶる。
看守の異形の手が、迎撃のために腰の鎌へと伸びるのがスローモーションで見えた。
(あ――)
死ぬ。
その瞬間。
「ダメ――っ!」
エマは、もつれる足を叱咤し、力を振り絞ってヒロの背中に飛びついた。
全体重をかけた、みっともない突進だった。
「……エマ!?」
火かき棒が振り下ろされる、まさにその寸前。
ヒロの身体が、エマの衝撃でわずかにぐらつく。
「離せ! 私の邪魔をするな!」
ヒロは、攻撃の寸前に妨害され、燃え盛る憎悪を込めてエマを振り払おうとする。
「ダメだよ……! ヒロちゃんが、死んじゃう……! っ、かはっ……! げほっ、ごほっ……!」
極度の緊張と、限界を超えた疾走の負荷が、エマの身体を襲った。
喉から甲高い呼気が漏れ、激しい咳がこみ上げてくる。
(あ……まただ。胸が……痛い……息が、できない……っ)
心臓を氷の手で鷲掴みにされたような激痛が走り、視界が白く染まっていく。
エマは激しく咳き込み、呼吸もままならないまま、ヒロの腕を掴んだまま、その場にずるずるると崩れ落ちた。
「……っ!?」
ヒロは、振り上げた火かき棒を看守に叩きつけることもできず、足元で苦しそうに発作を起こすエマの間で、動きを止める。
彼女の「正義の執行」は、攻撃が看守に届く直前に「中断」させられる形となった。
看守は、エマが倒れたことでヒロの殺意が逸れたと判断したのか、無機質な仮面のまま、ゆっくりと鎌を下ろした。
『おやおや……。……まあ、看守に攻撃はしていないようですし、今回は見逃してあげましょうかねぇ。……それより、そこの方、大丈夫ですか?』
ゴクチョーの間延びした声が響く。
ヒロは、床に倒れ、激しく咳き込みながら酸素を求めるエマを、殺意にも似た憎悪の目で見下ろした。
(……またその手か)
中学時代の記憶が、鮮明に蘇る。
あの日、クラスの隅で愛想笑いを浮かべていたエマ。
その罪を自分が責めた途端、学校に来なくなったエマ。
いつだってそうだ。
この幼馴染は、自分が責められると、こうやって「弱者」のフリをする。
(あの時は不登校。……今度は、発作か)
ヒロにとって、エマの発作は本物の「病気」の証などではなかった。
自分の「正義」を妨害するために、周囲の同情を引こうと、この場で、このタイミングで倒れてみせる。
それこそが、エマの常套手段であり、最も悪質で、計算され尽くした「演技」であると、ヒロは確信していた。
今回もその「演技」によって、「正義」が邪魔された。
その事実だけが、ヒロの憎悪をさらに燃え上がらせていた。
(よかった……。…ヒロちゃんが、死ななくて……本当に、よかった……)
薄れゆく意識の中、エマは、安堵とあまりにも冷たいヒロの視線を、確かに感じていた。
魔女裁判は起きる?(今後の展開に大きな影響が生じます)
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起きる
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起きない