牢屋敷での生活、2日目の朝。
冷たい鉄格子の鍵が開く音が響いた。
「……ん」
エマは、重い瞼をこじ開けた。
身体が鉛のように重い。
慣れない環境での疲労が、一晩寝ても抜けきっていなかった。
(……朝、だ)
上段のベッドから、衣擦れの音がする。
ヒロが起き出したのだ。
エマは身構えるが、ヒロはエマの方を見ようともせず、無言でベッドから降り立った。
その手には、小さなノートと一本の赤色の万年筆が握られている。
(あ……あの万年筆)
エマの記憶の奥底が、ちくりと痛む。
それは中学時代、ヒロが大切にしていたものだ。
なぜか、その万年筆を見ると、胸が締め付けられるような切なさを感じる。
「……ヒロちゃん、おはよう」
エマが勇気を出して声をかけると、ヒロは動きを止め、鏡越しに冷ややかな視線を投げかけてきた。
「……ああ、おはよう」
挨拶を返したあと、ヒロは洗面台に向かい、冷水で顔を洗い始めた。
拒絶の意思は固い。
だが、挨拶を返さないのは「正しくない」ことであるため、無視されるようなことはなかった。
ヒロが洗面台の鏡越しに、チラリとエマの顔色を確認する。
その様子に、エマは気付いた。
(……心配、してくれてるのかな。……ううん、そうじゃないか)
エマは小さく溜息をつき、重い身体を引きずってベッドから出た。
今日もまた、息の詰まるような一日が始まる。
***
食堂での朝食後、エマは仲間たちと合流した。
今日は本格的な探索を行う予定だ。
「おはようございます、エマさん。……顔色、昨日よりは少し良さそうですね?」
メルルが、心配そうにエマの顔を覗き込む。
「うん、ありがとうメルルちゃん。昨日はよく眠れたから」
嘘だった。慣れない環境でほとんど眠れなかった。
だが、メルルに心配をかけたくなくて、エマは精一杯の笑顔を作った。
「さあ、今日は探検です! この屋敷の謎を解き明かしましょう!」
シェリーが元気よく号令をかける。
「はいはい、ついていきますわよ。どうせ暇ですし」
ハンナも、まんざらでもなさそうだ。
一行が最初に向かったのは、2階にある図書室だった。
カビ臭い室内に、難解な言語で書かれた本がずらりと並んでいる。
「……やっぱり、読めませんわね」
ハンナが分厚い本をパラパラとめくり、パタンと閉じる。
「でも、絵ならわかりますよ! 見てください、これ!」
シェリーが、机の上に広げられた一冊の豪華な本を指差した。
そこには、禍々しくも神々しい挿絵が描かれていた。
13人の魔女らしき人物が手を取り合って輪を作り、その中心に、「大魔女」と思われる存在が降臨している図だ。
「これ……『サバト』じゃないでしょうか?」
「サバト?」
エマが首を傾げると、シェリーが得意げに解説を始めた。
「魔女が集まって行う儀式のことです! 多分、この絵は『大魔女』を呼び出すための儀式を描いているんじゃないかと!」
「大魔女……」
ゴクチョーの言葉を思い出す。
『大魔女さえ見つかれば、皆さんの呪いを……』
「もしかして、この牢屋敷って、その『大魔女』を復活させるためにボクたちを集めたのかな?」
エマが呟くと、ハンナが身震いした。
「やめてくださいまし! 生贄にされるなんて、まっぴらごめんですわよ!」
「ふむ……。あながち間違いじゃないかもしれませんねぇ」
シェリーは目を輝かせている。
「私たちの魔法が強くなったら、大魔女を呼べるようになる……とか? だとしたら、ここは魔女の養殖場ってことになりますね!」
「養殖場って……あなた、デリカシーがなさすぎますわ!」
二人の漫才のようなやり取りを聞きながら、エマは挿絵の「大魔女」をじっと見つめた。
胸の奥に、黒い澱のような不安が広がる。
(……大丈夫。みんながいる)
エマは、シェリーと口喧嘩しながらも楽しそうなハンナや、その様子を見てあわあわしているメルルを見た。
***
図書室を出た後、エマ達は、気分転換に外へ出ることにした。
目指すは、敷地内に点在するログハウス風の建物――「ゲストハウス」だ。
「『水精の間』……ここ入ってみましょうか」
メルルがドアノブを回すと、ガチャリと音がして扉が開いた。
中に入ると、そこには先客がいた。
「うっわ、来たよ。ゾロゾロと」
ソファでふんぞり返ってスマホをいじっていたのは、ココだった。
「ありゃ。ココさんでしたか」
「なんでそんな残念そうなんだよ!あてぃしだって、お前らの顔見てテンション下がってんですけど!」
「ココちゃん、ここで何してるの?」
エマが尋ねると、ココはふあぁ、と大きなあくびを噛み殺しながら、スマホのカメラをこちらに向けた。
「配信のネタ探し……ってのもあるけどさ。ここ、日当たり良くてポカポカしてんじゃん? 牢屋敷の中じゃ数少ない、ゆっくり昼寝できる『休憩スポット』なんよ」
ココは画面越しにエマたちを品定めするように見回す。
「……んー、せっかく起きたし被写体になるか見てやったけど。映す価値あんのは背景だけかな。お前らみたいな地味メン、あてぃしのリスナーに見せらんないし」
「地味メンってなんですの! わたくしは高貴な令嬢ですわよ! 映して感謝こそすれ、文句を言われる筋合いはありませんわ!」
ハンナが憤慨して詰め寄るが、ココは「はいはい」と適当にあしらい、視線をエマに戻した。
「でもさー、エマっちはちょっと使えるかも」
「え? ボク?」
「そうそう。その死にそうな顔色。薄幸の美少女キャラ? 『監禁生活で衰弱する少女』ってサムネにしたら、再生数稼げそうじゃん」
ココはニシシと意地悪く笑う。
「どーよ? あてぃしの配信に出てみる気ない? 同情票で投げ銭ガッポガッポかもよ~?」
「……遠慮しとくよ」
エマが困ったように断ると、ココはつまらなそうに唇を尖らせた。
「ちぇっ、ノリ悪いなー。……ま、いいけどさ」
ココは、ふとエマの顔をじっと見つめた。
その猫のような瞳が、エマの顔色や、痩せた手首、苦しげな呼吸を、値踏みするように――いや、どこか懐かしむように、静かに辿っていく。
「……ん? なに、ココちゃん?」
エマが首を傾げると、ココはハッとして、バツが悪そうに視線を逸らした。
「……別に。あんまりにも辛気臭い顔してるから、ムカつくなーって思っただけ」
ココは悪態をつきながら、ポケットをごそごそと探る。
そして、小さな包み紙に入った飴玉を取り出し、エマに放り投げた。
「わっ」
エマが慌てて受け止めると、それはのど飴だった。
「あてぃしの喉ケア用だけど、特別にやるよ。……あてぃしのじーちゃんもさ、よくそういう顔して……あー、なんでもねえ」
ココは言葉を濁し、プイと顔を背ける。
「とにかく、倒れられたら迷惑なワケ。……ほら、早く舐めなよ」
「……ありがとう、ココちゃん」
エマは、その不器用な優しさに胸が温かくなった。
飴を口に含むと、ハーブの香りが広がり、詰まっていた呼吸が少し楽になった。
「……でさ、どうなのよ」
ココは誤魔化すように話題を変え、ソファに深く座り直した。
「ヒロっちとの同棲生活は。息苦しくて死にそうな感じ?」
突然ヒロの話を振られ、エマは言葉に詰まる。
「そ、それは……」
「ヒロっち、ヤバいよなー。正義、正義ってうるさいし。……色んなところで、正しくないって言うけどさ、身体の弱いエマっちのことを追い詰めるほうが正しくないだろ」
「ヒロちゃんは……不器用なだけだよ。本当は、みんなのことを考えて……」
「ハイハイ、幼馴染の擁護乙。……でもさ」
ココは声を潜め、ニヤリと笑った。
「あてぃしの【千里眼】は、誤魔化せないよ?」
「……千里眼?」
「あてぃしの魔法。……あてぃしのこと『認識』してる奴、つまり、あてぃしの配信や写真を見てる奴のことを、俯瞰して覗き見れるんだよね」
ココはスマホをくるくると回す。
「ここに来る前、魔法が発動したんだ。……ヒロっちが、魔女図鑑であてぃしのプロフィール写真を見てた」
「えっ……ヒロちゃんが?」
「ヒロっち、仕切りたがりだからさ。全員のデータをチェックしてたんだろ。……おかげで、その瞬間の様子、あてぃしには丸見えだったってワケ」
ココの瞳孔が、すぅっと細まる。
声音から、からかうような色が消えた。
「……ヒロっち、何を見てたと思う?」
「え……ココちゃんの写真、じゃ……」
「ううん。スマホは見てたけど、上の空だった。……ヒロっち見てたのは、エマっちの幻影だよ」
「……!」
エマが息を呑む。
「ブツブツ言ってたよ。『悪』だの『魔女』だの……。『正さなきゃいけない』とかさ」
ココは、エマの目をまっすぐに見つめた。
「詳しいことまではわかんないけどさ。……ヒロっちはエマっちに『殺意』を抱いてたと思う」
「ボクに……?」
「そ。…魔女化が進んでるのかもなー…普通の精神状態じゃねーよ、あれは」
ココは「信じるか信じないかは、エマっち次第だけどね~」と軽い口調に戻り、ソファから立ち上がった。
「気をつけなよエマっち。……あてぃし、エマっちには死んでほしくないからさ」
そう言い残し、ココはヒラヒラと手を振ってゲストハウスを出て行ってしまった。
「【千里眼】……自分を見ている相手を見返すことができる……まるで深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている、みたいな能力ですね!」
シェリーが興味津々に考察を始めるが、エマの耳には入ってこなかった。
(……ヒロちゃん)
ココの言葉が、冷たい棘のように心に刺さったまま抜けなかった。
***
ゲストハウスでの探索を終え、シェリーたちは「他の場所も見て回ります!」と元気よく去っていった。
エマは少し疲れが出たため、一人でゆっくりと牢屋敷に戻ることにした。
午後になり、人気のない2階の回廊を歩いていると、不思議な光景に出くわした。
壁の一角に向かって、ノアが座り込んでいるのだ。
その横には、腕を組んで仁王立ちしているヒロの姿もあった。
「あ……」
エマが足を止めると、ヒロが鋭い視線を向けてきた。
「……君か」
「ヒロちゃん、ノアちゃん……何してるの?」
「壁とお話してるのー」
ノアが楽しそうに答える。
昨日の落ち込んだ様子はどこへやら、いつもの無邪気なノアだ。
「……この場所、マップ上では部屋があるはずなんだが、扉がないんだ」
ヒロが不承不承といった様子で説明した。
「魔法で隠されているのか、構造上の欠陥か……」
「ないなら、描いちゃえばいいよね!」
ノアはそう言うと、ヒロの制止も聞かずに、カラースプレーを取り出した。
「おい、待てノア! 昨日の今日でまた絵を……!」
「大丈夫だよー。ここは広いから、匂いこもらないもん!」
ノアはシューッと音を立てて、壁に「扉」の絵を描き始めた。
その筆致は迷いがなく、見る間にリアルな扉が浮かび上がっていく。
重厚な木目の質感、冷たい金属のノブ。
まるで本物がそこにあるかのような、圧倒的な画力。
「……すごい」
エマが見惚れていると、ノアが描き終えた「絵の扉」を満足そうに見た。
「じゃーん! ないから描いてみたよ!」
「じゃーん、ではないだろう。こんなところに落書きしたところで・・・」
ガチャリ。
絵であるはずの扉が自然に開いていった。
「ええええっ!?」
エマは驚愕の声を上げる。
「えー!? 本当に開いた! えー!?」
ノアも想定外だったのか、驚いていた。
「……ノアの魔法が、何か牢屋敷の不可思議に干渉し、うまく作用したようだな」
「ほかのところでも扉の絵を書いたことあるけど、本物になるなんて初めてだよ!」
エマたちは戸惑い流れも、ノアの描いた扉を抜け、中へと足を踏み入れた。
そこは埃っぽい物置のような部屋だったが、大きな窓があり、光が差し込んでいた。
絵の具やキャンバスも散乱しており、まさに「アトリエ」と呼ぶに相応しい場所だ。
「ここなら、誰にも迷惑かけずにいっぱいお絵描きできるよね!ね、ヒロちゃん!」
ノアは嬉しそうにくるくると回る。
「……あ、ああそうだな。ここなら換気もできるし、存分に芸術活動が楽しめそうだ」
ヒロは、ノアの頭をポンと撫でた。
「よかったな、ノア」
「うん! ありがとうヒロちゃん! 約束守ってくれたね!」
ノアがヒロに抱きつく。
ヒロは「離れろ」と嫌がりつつも、その手つきは優しかった。
その自然な仕草に、エマは胸が締め付けられた。
かつて、自分が失敗した時にヒロがしてくれた、慰めと励ましの手つき。
それが今は、別の誰かに向けられている。
(ヒロちゃんは……やっぱり優しいんだ)
その優しさが自分に向けられることは、もう二度とないのだとしても。
「……あの、ノアちゃん」
エマは、少し息を切らしながら声をかけた。
「ボク、少しここで休ませてもらってもいいかな……? ちょっと、疲れちゃって」
「うん! いいよー! エマちゃんもここ気に入った?」
ノアは無邪気に歓迎してくれる。
「うん、とっても良いところだね。ノアちゃんのための部屋みたい」
エマは古びた椅子に腰を下ろし、ふぅ、と息を吐いた。
全身の力が抜けていくようだ。
「んふふー、ここを【ノアのアトリエ】と名付けます!」
ノアはそう言って、部屋の散策を始める。
「……私は行くぞ。他の場所も見回らないといけない」
ヒロはノアに伝えると、エマの方へ顔を向けた。
「…………」
ヒロは何も言わない。
ただ、射るような鋭い視線をエマに向け、そのまま足早に部屋を出て行った。
静まり返ったアトリエに、エマとノア、二人だけが残された。
「エマちゃん、見て見て!」
ノアは、アトリエの隅にあったキャンバスに向かい、嬉しそうに筆を動かし始めた。
ノアの筆は、迷いなく動いている。
キャンバスの上に、次々と赤い蝶が生まれていく。
それは、魔法の光を帯びてキラキラと輝き、まるで生きているかのように美しく、今にも飛び立ちそうなほど完璧な蝶の絵だった。
「すごい……。魔法みたい」
エマが感嘆の声を漏らすと、ノアは筆先を見つめながら頷いた。
「うん。のあの魔法だよ。液体ならなんでも動かせるんだけど……勝手に動いちゃうことも多いんだ」
ノアは、キャンバスの中で羽ばたく蝶を指先でつつく。
「でもね、蝶々になぁれって念じると、ちゃーんと全部蝶の絵になってくれるの。蝶々なら、のあの言うことを聞いてくれるみたい」
「そうなんだ……」
「うん。それにね、この蝶々の魔法は特別なんだよ。のあが描くのをやめても、ずっと消えないの」
ノアは優しい声で言った。
「アンアンちゃん、赤いのが怖いって言ってたから……。だから、血とか、怖い赤色をみーんな蝶々に変えちゃえば、もう怖くないよね?」
エマは息を呑んだ。
ノアが蝶を描いていたのは、単に得意だからではない。
アンアンの恐怖を取り除くための彼女なりの工夫だったのだ。
「……ノアちゃん、優しいね」
「えへへ、そうかな?」
ノアは照れくさそうに笑うと、筆を置いた。
「でも……魔法の絵って、綺麗になりすぎちゃうんだよね」
ふと、ノアの足元に何かが落ちているのに気づいた。
ポケットからこぼれ落ちたのだろうか。クシャクシャに丸められた、一枚の紙切れだ。
「あ、何か落ちたよ」
エマがそれを拾い上げ、何気なく広げた瞬間。
「あっ……!」
ノアが弾かれたように振り返り、顔色を変えた。
「だ、ダメっ! 見ちゃダメ!」
ノアは慌ててエマの手から紙を奪い取ろうとしたが、エマの視線はすでにその紙に描かれたものに釘付けになっていた。
そこには、鉛筆で描かれた蝶のラフスケッチがあった。
他にも花や、鳥のようなものも描かれている。
キャンバスの上の「完璧な魔法の絵」とは違い、線は震えて歪で、形もどこか不格好だ。
だが、そこには確かな温かみがあった。
「あ……」
見られたことに気づいたノアは、みるみる顔を赤くし、そして泣き出しそうな顔になった。
「……見ないで。それ、失敗作なの」
「失敗作……?」
「うん。……魔法を使わないと、のあ、こんな絵しか描けないの」
ノアは、奪い取った絵を背中に隠し、俯いた。
「魔法の絵は、誰が見ても『すごい』って言ってくれる。……でも、のあが自分で描くと、こんなに下手くそになっちゃうんだ」
ノアの声が震える。
「魔法が使えるようになってから……のあが自分で一生懸命描いた絵は、全部魔法で塗りつぶされちゃうの」
「『お前の絵はダメだ』って言われてるみたいに……勝手に、綺麗な魔法の絵に上書きされちゃうんだ」
「でも、たまに……こうやって魔法がかからずに、自分で描けることもあるんだ。……下手だけど」
ノアは背中に隠した絵を、くしゃりと握りしめた。
「のあ、アンアンちゃんに綺麗な赤を見せたい。……でも、魔法で作った完璧な絵で、いいのかな?」
「もし、魔法が解けて……のあの本当の、下手くそな絵を見られちゃったら……アンアンちゃん、『なんだ、魔法がないとこんなもんか』って……がっかりするんじゃないかな」
それは、ノアの抱える「原罪」であり、トラウマだった。
魔法というヴェールが剥がれた時、そこにいる「ただの自分」を見られ、失望されることへの怯え。
エマは、立ち上がり、ノアのそばに歩み寄った。
そして、背中に隠されたノアの手を、そっと包み込んだ。
「……ボクは、こっちの絵も好きだよ」
「え……?」
ノアが驚いて顔を上げる。
「魔法の蝶々は、確かに綺麗で完璧だ。でも、さっきの鉛筆の絵からは……ノアちゃんが、一生懸命アンアンちゃんを喜ばせようとした気持ちが、すごく伝わってくるよ」
エマは、ノアの目をまっすぐに見つめた。
「線が震えてても、形がちょっと変でも……この絵には、ノアちゃんの『心』が入ってるもん」
「……心……」
「うん。魔法も、ノアちゃんの一部だよ。その魔法を使おうと思った『心』も、この鉛筆の絵を描いた『心』も、全部ノアちゃんだけのものなんだ」
「偽物なんかじゃない。……だって、ノアちゃんはこんなに真剣に、アンアンちゃんのために悩んで、描いてるんだから」
エマの言葉は、ノアの心の奥底にある氷を、じんわりと溶かしていくようだった。
「……がっかり、されないかな?」
「されないよ。アンアンちゃん、きっとわかってくれる」
エマは優しく微笑んだ。
「自信を持って。魔法の蝶々も、鉛筆の絵も……ノアちゃんが描いたものなら、きっとアンアンちゃんも好きになってくれるよ」
「…………うん」
ノアは涙を拭い、顔を上げた。
握りしめていた手描きの絵を、そっと広げる。
しわくちゃになった蝶が、まるで笑っているように見えた。
「のあ、描くよ。魔法の蝶々も、のあの気持ちも、全部込めて……最高の『赤』を描いてみる!」
ノアは再びキャンバスに向かった。
その背中からは、迷いが消え、アーティストとしての力強い輝きが放たれていた。
魔法の光と共に、ノア自身の情熱がキャンバスに叩きつけられていく。
(よかった……)
エマは安堵の息を吐き、窓の外の青空を見上げた。
ヒロとの距離はまだ遠いが、この場所には確かに「希望」の種が撒かれていた。
その温かい光景を胸に刻み、エマは静かにアトリエを後にした。
魔女裁判は起きる?(今後の展開に大きな影響が生じます)
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起きる
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起きない