方針が決まりましたので、執筆を進めていきます。
今回のアンケートは、辿る過程に関するものでしたが、結末は共通であるため、引き続き読んでいただけると嬉しいです。
***
※今回の話にはメンバーのトラウマに関する独自解釈が含まれます
深く、深く、温かい闇の中を漂っている。
身体の痛みも、息苦しさもない。
ただ、ふわふわとした綿菓子のような幸福感だけが、エマを包み込んでいた。
(ああ、これは夢だ)
エマは、まどろみの中でそう理解していた。
だって、こんなに幸せで、こんなに身体が軽いなんて、現実のボクにはありえないことだから。
まだ、覚めたくない。
ずっとこのまま、この優しい光の中にいたい。
これは、エマが見ている幸せな夢。
あるいは、エマが望んだ美しくも歪な心象風景。
***
夢の中の風景は、いつだって鮮やかだ。
冷たいはずの地下食堂も、夢の中では温かな暖炉の光に満ちていた。
香ばしいパンの匂い。賑やかな食器の音。
そこには、13人の少女たちが大きなテーブルを囲んで座っていた。
「――それでね、おじさんがまたドジしちゃってさぁ!」
ミリアが顔を赤くして失敗談を話している。
それを聞いて、周りのみんながどっと笑う。
その笑い声には、嘲笑や呆れなんて微塵もない。
ただただ温かい、優しさに満ちた笑い声だ。
「もう、ミリアさんったら仕方ないわね」
ハンナが呆れつつも、相槌を打つ。
隣ではアンアンが、「ふむ、実に見事なコメディであるな!」と楽しそうにスケッチブックを叩いている。
エマは、少し離れた場所からその光景を眺めていた。
まるで、透明人間になったみたいに。
誰もボクには気づかないけれど、みんなが笑っているだけで、胸がいっぱいになる。
(楽しそうだなぁ……)
視線を移すと、テーブルの中央で、レイアとシェリーが何やら熱く語り合っていた。
「やはり演出とは、魂の叫びだと思うんだよ!」
「なるほど! ミステリーにおけるトリックの美学に通じるものがありますね!」
レイアの顔には、ただ好きなことを語る、年相応の少年のように目が輝いている。
その向こうでは、マーゴとメルルが穏やかに紅茶を飲んでいる。
計算高いマーゴの瞳からも、臆病なメルルの瞳からも、暗い影は消え失せている。
ただそこにいる相手を信頼し、リラックスしている。
そして――
「こら、アリサ。好き嫌いをするな」
「うっせーな! ピーマンくらい残させろよ!」
「ダメだ。身体を作る基本だぞ」
アリサの皿に、ヒロが容赦なく野菜を盛っている。
アリサは文句を言いながらも、どこか嬉しそうだ。
ヒロの顔にも、あの冷徹な仮面はない。
世話焼きで、真面目で、でも本当は誰より優しい、大好きなヒロちゃんの顔だ。
(ヒロちゃん……)
ヒロがふと顔を上げ、みんなを見渡して、柔らかく微笑んだ。
その笑顔は、この世界の中心で輝く太陽みたいだった。
誰も傷ついていない。
誰も無理をしていない。
誰も、誰かを憎んでいない。
エマが何かをする必要なんてない。
エマが手を差し伸べなくても、みんなは最初から幸せで、互いに支え合っている。
そこは、悲しみも苦しみも存在しない、素敵な箱庭だった。
(ああ……素敵だなぁ)
エマは、その光景を目に焼き付けるように見つめ続ける。
自分がその輪に入っていなくても、寂しくはなかった。
だって、みんなが幸せなら、ボクも幸せだから。
ヒロちゃんは、ボクの方を見ない。
それでいい。
ヒロちゃんが笑っていてくれるなら、ボクのことなんて忘れてくれたっていい。
少しだけ胸が痛んだ、その時。
「……綺麗ですね、エマ」
背後から、鈴を転がしたような涼やかな声がした。
ひやりとした冷気が、エマの首筋を撫でる。
「……ユキ、ちゃん?」
エマが振り返るより早く、背中から白い腕が回された。
冷たくて、でも懐かしい感触。
彼女は、エマに重なるようにして、背後から抱きしめていた。
「ええ。とても素敵な光景です。……あなたが望んだ通りの、優しい世界」
ユキは、エマの耳元で甘く囁く。
その視線は、楽しそうに笑うヒロたちに向けられていたが、瞳の奥はガラス玉のように無機質だった。
「あそこに行く必要なんて、ありませんよ」
ユキの手が、エマの目をそっと覆う。
視界から、ヒロたちの笑顔が消え、心地よい闇が広がる。
「あの輪に入らなくたって、エマは一人ぼっちじゃありません」
「でも……」
「いいんです。エマは、ここで私と見ていましょう」
ユキの声には、抗えない引力があった。
それは、一人きりだったボクに、「友だちになりませんか」と手を差し伸べてくれたあの日と同じ声。
ユキがクスクスと笑う。
その笑い声は、呪いのようでありながら、この世で一番優しい子守唄のようでもあった。
「大好きなエマ。……あなたは、私だけのものです」
「……うん」
エマは抵抗することなく、その冷たい腕に身を委ねた。
ボクには、この薄暗くて静かな場所がお似合いなのかもしれない。
ユキちゃんの腕の中は、氷のように冷たいけれど、何よりも安心できた。
(ずっと、こうしていたいな……)
意識が、甘い泥の中に沈んでいく。
向こう側で笑うヒロちゃんの声が、遠ざかっていく。
これは、エマが見ている幸せな夢。
もうすぐ終わってしまう、儚い箱庭の夢。
***
「……ん」
エマはゆっくりと目を開けた。
石造りの無機質な天井が視界に入り、ここが自宅のベッドでも病室でもない、地下の牢獄であることを思い出させる。
上段のベッドを見上げると、もう誰もいなかった。
ヒロちゃんは、もう起きて部屋を出ていったらしい。
「……おはよう、ヒロちゃん」
誰もいない空間に向かって、小さく挨拶をする。
(……そっか。現実は、こっちだもんね)
何か、とても素敵な夢を見ていた気がする。
内容はもう思い出せないけれど、優しい腕に抱きしめられていたような、心地よい余韻だけが残っていた。
エマはベッドから降りて、軽く背伸びをした。
「……あれ?」
身体が、驚くほど軽い。
昨日の疲れや、ここに来てからの息苦しさが嘘のように消えている。
指先まで力が満ちていて、深呼吸をしても肺が痛まない。
(すごい…。ボク、元気だ。これなら、今日はみんなの役に立てそう)
昨日はあんなに具合が悪かったのに。
一晩寝ただけでこんなに回復するなんて、久しぶりかもしれない。
エマは自分の手のひらをギュッと握りしめた。
ここは牢屋敷だけど、みんなで仲良くしていれば、きっと大丈夫。
根拠のない、けれど確かな自信が湧いてくる。
エマは軽い足取りで、鉄格子の外へと足を踏み出した。
***
1階の食堂に向かうと、看守が用意したらしい食事が無造作に並べられていた。
大きな寸胴鍋に入ったスープと、パサパサしていそうな黒パン。
彩りはなく、どこか薬品のような鼻をつく匂いが漂っている。
エマはトレイを持って、料理を少しずつ皿に取った。
スープは泥水のように濁っていて、具材が何なのか判別できない。
エマは誰の邪魔にもならないよう、食堂の隅の小さなテーブルに座り、一人でスプーンを口に運んだ。
「……っ」
舌に乗せた瞬間、不快な酸味と苦味が広がった。
美味しいとか不味いとかいう次元ではない。
まるで、生きる意欲を削ぐために作られたような、粗悪な味。
(……おいしくない)
夢の中で見た、あんなに温かくて美味しそうだった食事が、頭の片隅をよぎる。
現実の食事は、ただ腹を満たすためだけの「餌」だった。
それでも、エマは無理やりスープを飲み込んだ。
不味くても、食べなきゃいけない。
生きるために。ヒロちゃんやみんなの役に立つために。
ふと、食堂の中央付近が騒がしいことに気づき、顔を上げた。
「――水は一人一日2リットルを目安に確保する。それ以上は備蓄に回してくれ」
ヒロだった。
彼女はワゴンの横に立ち、手帳に何かを書き込みながら、数人の少女たちに指示を出しているようだった。
「えー、めんどくさいなぁ。飲み放題じゃないの? こんな不味い飯食わされて、水くらい自由に飲ませろよ」
ココがヒロに文句を言う。
「補充される保証がない以上、管理は必須だ。……それとも君は、水が尽きてから後悔したいのか?」
「う……。わかったよぉ」
文句を言いつつも、少女たちはヒロの言葉に従ってペットボトルを分けていく。
誰に頼まれたわけでもない。
けれど、ヒロがいるだけで、そこには自然と「秩序」が生まれていた。
(やっぱり、ヒロちゃんはすごいなぁ)
エマは柱の陰から、その様子を眩しそうに見つめた。
誰もが不安を抱え、自分勝手になりそうなこの状況下で、ヒロちゃんはみんなのために動いている。
強制するでもなく、ただ「そうあるべき」という強い意志で、みんなの生活を守ろうとしている。
「あ、ヒロさん! これ、こっちに運べばいいですか?」
「ああ、頼む。……重いから気をつけて」
ヒロの指示を受けて、他の子たちも協力的だ。
その光景は、エマにとって誇らしく、見ていて胸が温かくなるものだった。
(ボクも、何かできることを探さなきゃ)
ヒロちゃんの邪魔にはなりたくない。
今のボクは元気だ。
この食事のせいか少し胃が重いけれど、身体の奥底には力が満ちている。
なら、ボクなりにみんなの役に立ちたい。
エマは最後の一口を無理やり飲み込み、食器を片付けると、誰にも気づかれないようにそっと食堂を後にした。
***
中庭に出ると、噴水の縁に座り込んでいるミリアを見つけた。
一見すると強気なギャルに見える彼女だが、今は圏外のスマホの画面をじっと見つめて、微動だにしていなかった。
「……はぁ」
深く、重いため息。
エマは少し迷ってから、声をかけた。
「ミリアちゃん? どうしたの?」
「うぇっ!?」
ミリアは弾かれたように顔を上げ、慌ててスマホを背中に隠した。
その顔は真っ青で、まるで何か恐ろしいものから隠れるような、怯えきった目をしている。
「あ、エマちゃんか……。び、びっくりしたぁ……おじさん、心臓止まるかと思ったよぉ……」
「ごめんね、驚かせるつもりじゃなかったんだけど……」
「ううん、いいの。……ただちょっと、考え事してただけだから」
ミリアは力なく笑い、隠していたスマホを膝の上に戻した。
指先が、画面の縁を何度もなぞっている。
「……つながらないね、ここ」
「うん……。まあ、圏外でよかったこともあるけどさ」
ミリアは自嘲気味に呟いた。
その言葉は、エマに向けたものというより、自分自身に言い聞かせているようだった。
「……なにかあったの?」
エマが隣に座りながら尋ねると、ミリアは小さく首を縦に振った。
「…つながることって怖いよね」
ミリアは遠くを見るような目で、自分の派手な爪を見つめた。
「この格好もさ、中身と全然合ってないんだ。……でも、『この子』はこういうのが好きだったから、似合ってるかなって」
「この子……?」
「あ、いや、なんでもない! 独り言!」
ミリアは慌てて手を振って否定したが、その瞳には深い疲労の色が滲んでいた。
彼女は何か、自分自身という存在を、少し離れた場所から客観的に、そして諦めたように見ているような節があった。
「……エマちゃん。『罰ゲーム』って分かる?」
「え……?」
「その場の『空気』で決まるんだ。誰か一人がターゲットになって、みんなでそれを面白がるの」
ミリアの声が震える。
それは、特定の誰かを恐れているというより、もっと得体の知れない「集団の悪意」そのものへの恐怖だった。
「ある女の子がさ、そういうのに巻き込まれちゃって。……『ノリ悪い』って言われるのが怖くて、断れなくて」
ミリアはスマホを強く握りしめた。
「恥ずかしい写真を送らされたんだ。……そうしたら、それが一瞬で拡散されちゃった。みんな笑ってた。保存して、回して……」
「……」
「……『空気』ができると、人は簡単にその流れに乗っちゃうんだ。それが良くないことでも」
ミリアは怯えたように視線をさまよわせた。
「……これはおじさんに起きたことじゃない。でも…怖いんだ。ヒロちゃんを中心にまとまってるように見えるけど、もし何かの拍子に『空気が変わったら』……」
「……みんなが、敵になる?」
「うん。……多数決で、誰か一人を排除するような空気が生まれたら、誰も逆らえない。……それが、おじさんは一番怖いよ」
ミリアの言葉は、悲痛な叫びだった。
裏切りそのものよりも、人間が集団になった時に生まれる「無責任な同調圧力」に、彼女は怯えていたのだ。
エマは、ミリアの震える手に、自分の手をそっと重ねた。
「……その怖さ、ボクも……知ってる、気がする」
「エマちゃん……?」
「うまく思い出せないんだけど……」
エマは胸の奥を押さえた。
ミリアの話を聞いた瞬間、心臓が凍りつくような感覚があった。
記憶には靄がかかっている。
なのに、身体だけが覚えている。
誰かがいじめられていて、助けたかったのに、自分が標的になるのが怖くて、動けなかった記憶。
「空気」に殺された、大切な誰かの記憶。
(……誰だっけ。大事な、友達だった気がするのに)
思い出そうとすると、頭痛がして思考が逸れる。
でも、その時に感じた「無力感」と「後悔」だけは、今も鮮明にボクを縛り付けている。
「……ボクは、多分……その空気に負けたことがあるんだ。逃げて、見ないフリをして……一番大事なものを失くしちゃった気がする」
「……」
「だから、ミリアちゃんの怖さ、すごくわかる。……『みんな』っていう大きな怪物が、一番怖いのも」
エマはミリアの冷たい手を両手で包み込み、自分の体温を伝えるように優しく握った。
過去の自分への戒めを込めて、言葉を紡ぐ。
「でも、ボクはもう、二度と間違えたくないんだ」
エマはまっすぐにミリアを見た。
「もし、ここの空気が悪くなっても、誰かがミリアちゃんを責めても……ボクは、その空気には乗らない」
「……っ」
「ボクは、目の前にいるミリアちゃんとお話して、ミリアちゃんの手を握るよ。多数決なんて関係ない。ボクはボクの意思で、ミリアちゃんの味方でいる」
「……エマちゃん」
「だから、大丈夫。……一人になんて、させないから」
エマの言葉に、ミリアの瞳からポロリと涙がこぼれた。
掌から伝わる体温が、ミリアの凍りついた心を溶かしていく。
ミリアが抱える「集団への恐怖」や「怯え」が、エマの中に流れ込み、浄化されていく。
「……ありがとう」
ミリアは涙を拭い、弱々しく、けれど安堵したように笑った。
「エマちゃんの手、あったかいね。……なんか、信じてもいいかなって思えてきた」
「うん。ボクはずっと味方だよ」
「……そっか。……おじさん、ちょっと元気出たかも」
ミリアはいつもの少しおどけた口調に戻ったが、その表情は先ほどまでとは違い、憑き物が落ちたように穏やかだった。
エマもまた、ミリアの痛みに寄り添うことで、身体の奥から力が湧いてくるのを感じていた。
魔女裁判は起きる?(今後の展開に大きな影響が生じます)
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起きる
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起きない