病弱少女ノ生命裁判   作:夜琥

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みなさま、アンケートへの回答ありがとうございました。
方針が決まりましたので、執筆を進めていきます。

今回のアンケートは、辿る過程に関するものでしたが、結末は共通であるため、引き続き読んでいただけると嬉しいです。

***

※今回の話にはメンバーのトラウマに関する独自解釈が含まれます


7. つながらない世界で手をつなぐ

深く、深く、温かい闇の中を漂っている。

 

身体の痛みも、息苦しさもない。

 

ただ、ふわふわとした綿菓子のような幸福感だけが、エマを包み込んでいた。

 

(ああ、これは夢だ)

 

エマは、まどろみの中でそう理解していた。

 

だって、こんなに幸せで、こんなに身体が軽いなんて、現実のボクにはありえないことだから。

 

まだ、覚めたくない。

 

ずっとこのまま、この優しい光の中にいたい。

 

これは、エマが見ている幸せな夢。

 

あるいは、エマが望んだ美しくも歪な心象風景。

 

***

 

夢の中の風景は、いつだって鮮やかだ。

 

冷たいはずの地下食堂も、夢の中では温かな暖炉の光に満ちていた。

 

香ばしいパンの匂い。賑やかな食器の音。

 

そこには、13人の少女たちが大きなテーブルを囲んで座っていた。

 

「――それでね、おじさんがまたドジしちゃってさぁ!」

 

ミリアが顔を赤くして失敗談を話している。

 

それを聞いて、周りのみんながどっと笑う。

 

その笑い声には、嘲笑や呆れなんて微塵もない。

 

ただただ温かい、優しさに満ちた笑い声だ。

 

「もう、ミリアさんったら仕方ないわね」

 

ハンナが呆れつつも、相槌を打つ。

 

隣ではアンアンが、「ふむ、実に見事なコメディであるな!」と楽しそうにスケッチブックを叩いている。

 

エマは、少し離れた場所からその光景を眺めていた。

 

まるで、透明人間になったみたいに。

 

誰もボクには気づかないけれど、みんなが笑っているだけで、胸がいっぱいになる。

 

(楽しそうだなぁ……)

 

視線を移すと、テーブルの中央で、レイアとシェリーが何やら熱く語り合っていた。

 

「やはり演出とは、魂の叫びだと思うんだよ!」

 

「なるほど! ミステリーにおけるトリックの美学に通じるものがありますね!」

 

レイアの顔には、ただ好きなことを語る、年相応の少年のように目が輝いている。

 

その向こうでは、マーゴとメルルが穏やかに紅茶を飲んでいる。

 

計算高いマーゴの瞳からも、臆病なメルルの瞳からも、暗い影は消え失せている。

 

ただそこにいる相手を信頼し、リラックスしている。

 

そして――

 

「こら、アリサ。好き嫌いをするな」

 

「うっせーな! ピーマンくらい残させろよ!」

 

「ダメだ。身体を作る基本だぞ」

 

アリサの皿に、ヒロが容赦なく野菜を盛っている。

 

アリサは文句を言いながらも、どこか嬉しそうだ。

 

ヒロの顔にも、あの冷徹な仮面はない。

 

世話焼きで、真面目で、でも本当は誰より優しい、大好きなヒロちゃんの顔だ。

 

(ヒロちゃん……)

 

ヒロがふと顔を上げ、みんなを見渡して、柔らかく微笑んだ。

 

その笑顔は、この世界の中心で輝く太陽みたいだった。

 

誰も傷ついていない。

 

誰も無理をしていない。

 

誰も、誰かを憎んでいない。

 

エマが何かをする必要なんてない。

 

エマが手を差し伸べなくても、みんなは最初から幸せで、互いに支え合っている。

 

そこは、悲しみも苦しみも存在しない、素敵な箱庭だった。

 

(ああ……素敵だなぁ)

 

エマは、その光景を目に焼き付けるように見つめ続ける。

 

自分がその輪に入っていなくても、寂しくはなかった。

 

だって、みんなが幸せなら、ボクも幸せだから。

 

ヒロちゃんは、ボクの方を見ない。

 

それでいい。

 

ヒロちゃんが笑っていてくれるなら、ボクのことなんて忘れてくれたっていい。

 

少しだけ胸が痛んだ、その時。

 

「……綺麗ですね、エマ」

 

背後から、鈴を転がしたような涼やかな声がした。

 

ひやりとした冷気が、エマの首筋を撫でる。

 

「……ユキ、ちゃん?」

 

エマが振り返るより早く、背中から白い腕が回された。

 

冷たくて、でも懐かしい感触。

 

彼女は、エマに重なるようにして、背後から抱きしめていた。

 

「ええ。とても素敵な光景です。……あなたが望んだ通りの、優しい世界」

 

ユキは、エマの耳元で甘く囁く。

 

その視線は、楽しそうに笑うヒロたちに向けられていたが、瞳の奥はガラス玉のように無機質だった。

 

「あそこに行く必要なんて、ありませんよ」

 

ユキの手が、エマの目をそっと覆う。

 

視界から、ヒロたちの笑顔が消え、心地よい闇が広がる。

 

「あの輪に入らなくたって、エマは一人ぼっちじゃありません」

 

「でも……」

 

「いいんです。エマは、ここで私と見ていましょう」

 

ユキの声には、抗えない引力があった。

 

それは、一人きりだったボクに、「友だちになりませんか」と手を差し伸べてくれたあの日と同じ声。

 

ユキがクスクスと笑う。

 

その笑い声は、呪いのようでありながら、この世で一番優しい子守唄のようでもあった。

 

「大好きなエマ。……あなたは、私だけのものです」

 

「……うん」

 

エマは抵抗することなく、その冷たい腕に身を委ねた。

 

ボクには、この薄暗くて静かな場所がお似合いなのかもしれない。

 

ユキちゃんの腕の中は、氷のように冷たいけれど、何よりも安心できた。

 

(ずっと、こうしていたいな……)

 

意識が、甘い泥の中に沈んでいく。

 

向こう側で笑うヒロちゃんの声が、遠ざかっていく。

 

これは、エマが見ている幸せな夢。

 

もうすぐ終わってしまう、儚い箱庭の夢。

 

***

 

「……ん」

 

エマはゆっくりと目を開けた。

 

石造りの無機質な天井が視界に入り、ここが自宅のベッドでも病室でもない、地下の牢獄であることを思い出させる。

 

上段のベッドを見上げると、もう誰もいなかった。

 

ヒロちゃんは、もう起きて部屋を出ていったらしい。

 

「……おはよう、ヒロちゃん」

 

誰もいない空間に向かって、小さく挨拶をする。

 

(……そっか。現実は、こっちだもんね)

 

何か、とても素敵な夢を見ていた気がする。

 

内容はもう思い出せないけれど、優しい腕に抱きしめられていたような、心地よい余韻だけが残っていた。

 

エマはベッドから降りて、軽く背伸びをした。

 

「……あれ?」

 

身体が、驚くほど軽い。

 

昨日の疲れや、ここに来てからの息苦しさが嘘のように消えている。

 

指先まで力が満ちていて、深呼吸をしても肺が痛まない。

 

(すごい…。ボク、元気だ。これなら、今日はみんなの役に立てそう)

 

昨日はあんなに具合が悪かったのに。

 

一晩寝ただけでこんなに回復するなんて、久しぶりかもしれない。

 

エマは自分の手のひらをギュッと握りしめた。

 

ここは牢屋敷だけど、みんなで仲良くしていれば、きっと大丈夫。

 

根拠のない、けれど確かな自信が湧いてくる。

 

エマは軽い足取りで、鉄格子の外へと足を踏み出した。

 

***

 

1階の食堂に向かうと、看守が用意したらしい食事が無造作に並べられていた。

 

大きな寸胴鍋に入ったスープと、パサパサしていそうな黒パン。

 

彩りはなく、どこか薬品のような鼻をつく匂いが漂っている。

 

エマはトレイを持って、料理を少しずつ皿に取った。

 

スープは泥水のように濁っていて、具材が何なのか判別できない。

 

エマは誰の邪魔にもならないよう、食堂の隅の小さなテーブルに座り、一人でスプーンを口に運んだ。

 

「……っ」

 

舌に乗せた瞬間、不快な酸味と苦味が広がった。

 

美味しいとか不味いとかいう次元ではない。

 

まるで、生きる意欲を削ぐために作られたような、粗悪な味。

 

(……おいしくない)

 

夢の中で見た、あんなに温かくて美味しそうだった食事が、頭の片隅をよぎる。

 

現実の食事は、ただ腹を満たすためだけの「餌」だった。

 

それでも、エマは無理やりスープを飲み込んだ。

 

不味くても、食べなきゃいけない。

 

生きるために。ヒロちゃんやみんなの役に立つために。

 

ふと、食堂の中央付近が騒がしいことに気づき、顔を上げた。

 

「――水は一人一日2リットルを目安に確保する。それ以上は備蓄に回してくれ」

 

ヒロだった。

 

彼女はワゴンの横に立ち、手帳に何かを書き込みながら、数人の少女たちに指示を出しているようだった。

 

「えー、めんどくさいなぁ。飲み放題じゃないの? こんな不味い飯食わされて、水くらい自由に飲ませろよ」

 

ココがヒロに文句を言う。

 

「補充される保証がない以上、管理は必須だ。……それとも君は、水が尽きてから後悔したいのか?」

 

「う……。わかったよぉ」

 

文句を言いつつも、少女たちはヒロの言葉に従ってペットボトルを分けていく。

 

誰に頼まれたわけでもない。

 

けれど、ヒロがいるだけで、そこには自然と「秩序」が生まれていた。

 

(やっぱり、ヒロちゃんはすごいなぁ)

 

エマは柱の陰から、その様子を眩しそうに見つめた。

 

誰もが不安を抱え、自分勝手になりそうなこの状況下で、ヒロちゃんはみんなのために動いている。

 

強制するでもなく、ただ「そうあるべき」という強い意志で、みんなの生活を守ろうとしている。

 

「あ、ヒロさん! これ、こっちに運べばいいですか?」

 

「ああ、頼む。……重いから気をつけて」

 

ヒロの指示を受けて、他の子たちも協力的だ。

 

その光景は、エマにとって誇らしく、見ていて胸が温かくなるものだった。

 

(ボクも、何かできることを探さなきゃ)

 

ヒロちゃんの邪魔にはなりたくない。

 

今のボクは元気だ。

 

この食事のせいか少し胃が重いけれど、身体の奥底には力が満ちている。

 

なら、ボクなりにみんなの役に立ちたい。

 

エマは最後の一口を無理やり飲み込み、食器を片付けると、誰にも気づかれないようにそっと食堂を後にした。

 

***

 

中庭に出ると、噴水の縁に座り込んでいるミリアを見つけた。

 

一見すると強気なギャルに見える彼女だが、今は圏外のスマホの画面をじっと見つめて、微動だにしていなかった。

 

「……はぁ」

 

深く、重いため息。

 

エマは少し迷ってから、声をかけた。

 

「ミリアちゃん? どうしたの?」

 

「うぇっ!?」

 

ミリアは弾かれたように顔を上げ、慌ててスマホを背中に隠した。

 

その顔は真っ青で、まるで何か恐ろしいものから隠れるような、怯えきった目をしている。

 

「あ、エマちゃんか……。び、びっくりしたぁ……おじさん、心臓止まるかと思ったよぉ……」

 

「ごめんね、驚かせるつもりじゃなかったんだけど……」

 

「ううん、いいの。……ただちょっと、考え事してただけだから」

 

ミリアは力なく笑い、隠していたスマホを膝の上に戻した。

 

指先が、画面の縁を何度もなぞっている。

 

「……つながらないね、ここ」

 

「うん……。まあ、圏外でよかったこともあるけどさ」

 

ミリアは自嘲気味に呟いた。

 

その言葉は、エマに向けたものというより、自分自身に言い聞かせているようだった。

 

「……なにかあったの?」

 

エマが隣に座りながら尋ねると、ミリアは小さく首を縦に振った。

 

「…つながることって怖いよね」

 

ミリアは遠くを見るような目で、自分の派手な爪を見つめた。

 

「この格好もさ、中身と全然合ってないんだ。……でも、『この子』はこういうのが好きだったから、似合ってるかなって」

 

「この子……?」

 

「あ、いや、なんでもない! 独り言!」

 

ミリアは慌てて手を振って否定したが、その瞳には深い疲労の色が滲んでいた。

 

彼女は何か、自分自身という存在を、少し離れた場所から客観的に、そして諦めたように見ているような節があった。

 

「……エマちゃん。『罰ゲーム』って分かる?」

 

「え……?」

 

「その場の『空気』で決まるんだ。誰か一人がターゲットになって、みんなでそれを面白がるの」

 

ミリアの声が震える。

 

それは、特定の誰かを恐れているというより、もっと得体の知れない「集団の悪意」そのものへの恐怖だった。

 

「ある女の子がさ、そういうのに巻き込まれちゃって。……『ノリ悪い』って言われるのが怖くて、断れなくて」

 

ミリアはスマホを強く握りしめた。

 

「恥ずかしい写真を送らされたんだ。……そうしたら、それが一瞬で拡散されちゃった。みんな笑ってた。保存して、回して……」

 

「……」

 

「……『空気』ができると、人は簡単にその流れに乗っちゃうんだ。それが良くないことでも」

 

ミリアは怯えたように視線をさまよわせた。

 

「……これはおじさんに起きたことじゃない。でも…怖いんだ。ヒロちゃんを中心にまとまってるように見えるけど、もし何かの拍子に『空気が変わったら』……」

 

「……みんなが、敵になる?」

 

「うん。……多数決で、誰か一人を排除するような空気が生まれたら、誰も逆らえない。……それが、おじさんは一番怖いよ」

 

ミリアの言葉は、悲痛な叫びだった。

 

裏切りそのものよりも、人間が集団になった時に生まれる「無責任な同調圧力」に、彼女は怯えていたのだ。

 

エマは、ミリアの震える手に、自分の手をそっと重ねた。

 

「……その怖さ、ボクも……知ってる、気がする」

 

「エマちゃん……?」

 

「うまく思い出せないんだけど……」

 

エマは胸の奥を押さえた。

 

ミリアの話を聞いた瞬間、心臓が凍りつくような感覚があった。

 

記憶には靄がかかっている。

 

なのに、身体だけが覚えている。

 

誰かがいじめられていて、助けたかったのに、自分が標的になるのが怖くて、動けなかった記憶。

 

「空気」に殺された、大切な誰かの記憶。

 

(……誰だっけ。大事な、友達だった気がするのに)

 

思い出そうとすると、頭痛がして思考が逸れる。

 

でも、その時に感じた「無力感」と「後悔」だけは、今も鮮明にボクを縛り付けている。

 

「……ボクは、多分……その空気に負けたことがあるんだ。逃げて、見ないフリをして……一番大事なものを失くしちゃった気がする」

 

「……」

 

「だから、ミリアちゃんの怖さ、すごくわかる。……『みんな』っていう大きな怪物が、一番怖いのも」

 

エマはミリアの冷たい手を両手で包み込み、自分の体温を伝えるように優しく握った。

 

過去の自分への戒めを込めて、言葉を紡ぐ。

 

「でも、ボクはもう、二度と間違えたくないんだ」

 

エマはまっすぐにミリアを見た。

 

「もし、ここの空気が悪くなっても、誰かがミリアちゃんを責めても……ボクは、その空気には乗らない」

 

「……っ」

 

「ボクは、目の前にいるミリアちゃんとお話して、ミリアちゃんの手を握るよ。多数決なんて関係ない。ボクはボクの意思で、ミリアちゃんの味方でいる」

 

「……エマちゃん」

 

「だから、大丈夫。……一人になんて、させないから」

 

エマの言葉に、ミリアの瞳からポロリと涙がこぼれた。

 

掌から伝わる体温が、ミリアの凍りついた心を溶かしていく。

 

ミリアが抱える「集団への恐怖」や「怯え」が、エマの中に流れ込み、浄化されていく。

 

「……ありがとう」

 

ミリアは涙を拭い、弱々しく、けれど安堵したように笑った。

 

「エマちゃんの手、あったかいね。……なんか、信じてもいいかなって思えてきた」

 

「うん。ボクはずっと味方だよ」

 

「……そっか。……おじさん、ちょっと元気出たかも」

 

ミリアはいつもの少しおどけた口調に戻ったが、その表情は先ほどまでとは違い、憑き物が落ちたように穏やかだった。

 

エマもまた、ミリアの痛みに寄り添うことで、身体の奥から力が湧いてくるのを感じていた。

魔女裁判は起きる?(今後の展開に大きな影響が生じます)

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