私の記憶ではハーメルンは小説オンリーの規約である為、pixivの考察記事は上げられません。本作を始め、私がpixivに上げているスティルインラブの小説のほとんどは「自分がスティルインラブのシナリオグッドエンド、温泉旅行エンドをどう解釈したか」をベースとしていますので、考察記事無しだと分かりにくいかもしれません。ここに長々と考察文を乗せる訳にもいきませんが、こちらと次に投稿する作品で、ある程度は理解して頂けるかと思います。
やれやれ、と男は背伸びをした。室内であるのに、男はサングラスをかけている。まだ、これは外せないのだ。
「さて、いよいよだ。……緊張してる?」
「……はい」
男の横に立つ少女が、少し項垂れて言う。ぽんぽんと、その頭を男の手が優しくなでた。
「大丈夫。君は別に、悪い事をしたわけじゃない。退学届けを出して出て行ったんだから、ちゃんと手続きは踏んでいる訳だし」
「でも、ご心配を、きっとおかけして」
「それはそう。だから、ちゃんと説明はしよう」
そう言って男は重い扉を叩いた。どうぞ、と声がする。
「失礼します」
扉を開けて、男は中に入った。室内にいたのは、二人の女性。一人は正面の机に座って書類に目を通し、もう一人はその横でこれも書類仕事をしている。二人は中に入ってきた二人組を見て、同時に目を見開いた。
「君は」
「遅くなりました。あー……理事長には先程挨拶を。で、次にここに」
正面の机に座っていた女性は、ぐっと言葉に詰まる。二度口を開き掛け、声が出ず、三度目でようやく声が出た。
「……お、お帰りなさい……と、言えば、良いのかな」
「そんな、幽霊見る様な顔をしなくても……俺は別に、ここを辞めた訳ではないですよ。少し休暇は戴いていましたが……」
そこまでいった所で、もう一人の女性がつかつかと二人の方へと向かって来る。彼女は目を怒らせて、少女の方を掴んだ。
「貴様! 一体、今まで、どこで何をしていた!」
「あ……の、その、ごめんなさい」
気圧されて、少女が口ごもりながらもなんとか言葉を絞り出す。男が、二人の間にすっと割り込むように立った。
「言いたい事は山ほどあるとは思うけど、あまり……ね」
「そういう貴様も貴様だ! せめて途中で連絡位できただろう! どれだけあいつが……!」
「そこは、申し訳ない。俺も夢中だったもので……」
ばつが悪そうに、男は左手で頭を掻いた。右手は、少女の肩を抱いている。
「……まあ、とにかく、二人とも無事でよかった。スティルインラブ、君は確か退学届けを提出していた筈だが……我々は一応、あれは保留していた。復学の意志があるなら、あれはそのまま処分するつもりだが」
「ええ。それで、お願い致します。本当に、ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
少女――スティルインラブは深々と頭を下げる。
「それで、君はこれからどうしたいんだ? またレースに復帰を?」
「いえ。……少し、考える時間を頂きたいです。ただ、レースからは距離を置こうかと」
「ほう? まあ、それは君が決める事だ。納得する結論を出せたら、教えて欲しい」
女性は立ち上がり、ゆっくりとスティルの方に近づいた。そして、右手を差し出す。
「よく、帰って来てくれた。君の帰りを、一日千秋の想いで待っていた」
「あ……」
スティルは一瞬、目を見開いた。そして、おずおずと笑う。
「ありがとう、ございます」
二人は握手をした。ほう、と男は息を吐く。まずはこれで一件落着――とは、ならなかった。
「分かっているとは思うが、スティルインラブ。貴様はすぐ、あいつの所に謝りに行け。……本当に、心配していたのだからな」
「はい。分かっております」
その彼女、が誰の事かは、皆分かっている。二人は部屋を出ると、同時にはあと息を吐いた。
「いやあ。思ったほど修羅場にはならなかったな」
「どのような想像を……?」
「ルドルフには鬼詰めされるかと思った。エアグルーヴには殴られるのも覚悟してた」
そう言って、彼はくすりと笑う。その微笑みは、少女がかつて必死に求めた「あの笑顔」とは違う。しかし、この笑顔もまた、好きなのだ。
「じゃあ、アルヴに会いに行こうか」
「ええ」
そうスティルが言った時、くう、と音がした。え、とスティルが驚くと、男がばつの悪そうな笑みを浮かべる。
「あー……ごめん。お腹、減っちゃった」
「っ……!」
スティルが、口元に手をやった。その眼に、涙が浮かぶ。男が慌てて言った。
「え、ちょっと? どうした……?」
「あの。その。嬉し、くて。……トレーナーさん、だって、ずっと、食欲が」
「あ……」
言われて、気が付いた。腹が減った、なんて、いつ以来だろう。
「そう、だね。……なんか、変な感覚だ」
「アルヴさんには申し訳ありませんが……まず、お食事にしましょう。トレーナーさん」
「そうだね」
二人はそう言い合って、微笑み合った。そのまま、二人は学内のカフェテリアに入る。トレーナーはランチセットを、スティルはコーヒーと、カップケーキを注文して、向かい合って席に着いた。
「……ここに来るのも、久しぶりだな」
「私は、もうここには来れないと思っていました」
そう言って、スティルは微笑む。彼女は、重すぎる覚悟をしていた。この世界から消え去ろうという覚悟だ。それを、トレーナーは引き戻した。正確には自らも飛び込んで、運命を変えた。最も彼には、そこまでの自覚はない。ただ、結果的にそうなった。
スティルはカップケーキを一口、食べる。それを男はにこにこと微笑みながら見ていた。
「どう、美味しい?」
「……美味しい、です。とっても。とっても」
そう言いながら、彼女は再び涙を浮かべる。まだ、彼女は子どもだ。その彼女に、あんな決断をさせてしまったのは、自分の責任だと男は思う。
「もう、大丈夫。どういう訳かは、俺にも分からないけど。じゃ、俺も食べようかな」
そう言って、彼はランチのサラダを口に運ぶ。レタスの瑞々しさが、口に広がった。美味い。こんなに食事を美味いと思ったのは、或いは人生で初めてかもしれなかった。更に豚の生姜焼きを口に運ぶ。ショウガの爽やかさと、肉の旨味が痺れるような美味さだ。
「美味い。美味いな……こんなに、美味かったんだな」
「そうだ。トレーナーさん、これ」
そう言って、スティルは自分のスプーンでカップケーキを掬い、トレーナーに差し出す。え、とトレーナーは一瞬動きを止めた。
「ま、待って。それは」
「甘い物だって、お久しぶりでしょう?」
「それはそうだけど。いや、あの。これは……」
「大丈夫です。今はまだお昼時には早いですし、私、影が薄いですから」
彼女はふふ、と笑った。その笑みに、男は逆らえない。しかし、こんな大胆な真似をする娘では無かった筈だ。或いは、まだ“あの娘”の影響が残っているのか。それとも、スティルの中で溶け合った事で、少し性格が変わったのか。或いは、あの温泉宿で。
「きっと、誰にも、気がつかれません」
「いや、そういう問題じゃなく」
そこまで彼が言った時、がしゃんという大きな音があたりに響いた。びくり、と二人が肩を震わせ、音のした方を見る。青い髪の少女が、立っていた。足元には、割れたグラス。食堂の職員が、モップを持って飛び出して来た。しかし彼女は自分がグラスを落とした事にさえ気が付いていない様だった。ただただ、目の前の光景に愕然としている。
「あ……あな、た」
「あ……」
スティルが、ゆっくりとスプーンを置く。トレーナーは比較的冷静だった。すっと立ち上がり、彼女の方に近づく。
「ごめん。本当なら、君にまず会いに行かないといけなかったんだけど。ちょっと、俺が我儘を言っちゃってね」
しかし、彼女はそのトレーナーをスッと避けるように進んだ。まずい、とトレーナーが振り向いたのと、ぱあんという破裂音が辺りに響いたのが同時だった。
「貴方は!!! あ、貴方は!!!!」
「……ご、ごめんなさい。その、えっと」
赤くなった右頬を抑えながら、スティルは言葉を絞り出す。青い髪の少女は、言葉も出ず肩を震わせていた。そう多くない辺りの人々は、なるべく見ない様にと目線を逸らそうとする。しかし、ひそひそと会話を始めた。
「アルヴさん、どうしたのかしら」
「というか、あれスティルさんよね? 喧嘩?」
「……あれ、そう言えばスティルさんって久しぶりに見たような……?」
「アルヴ。その……えっと」
トレーナーが話しかけるが、アルヴの耳には届いていない。ただ肩を震わせて、そしてやがてがっくりとその場に座り込み、泣き出した。スティルも椅子から降りて、その肩を抱いて涙を流す。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「私が……私が、どれだけっ!」
そこからは、お互いもう言葉にならなかった。それを見て、トレーナーはそっと離れ、アルヴの落としたグラスを片付けている職員の方へと向かう。
「手伝いますか?」
「え? いや、大丈夫ですよ。それより、あの二人……」
「ちょっと、色々あったので。しばらく、そっとしておいてあげたいと思うのですが、良いですかね?」
「そりゃ、まあ……」
トレーナーは一礼して、再び二人の方を見る。“あの時”の記憶は、やはり混濁したままだ。あの温泉で二人で過ごした後から、次第に体調は快復して来ている。どうしてかは、分からない。ただ、ウマ娘に関してはまだ分からない事が多いというのはトレーナーの常識ではある。スティルの内なるモノが、自分にも影響を与えた。そう思うしかない。
そんな事を考えていると、二人は次第に落ち着いたようだった。改めて座り直し、トレーナーもスティルの隣に再び座る。
「まず、アルヴさん。本当に、ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
深々と、スティルが頭を下げる。アルヴは真っ赤な目元を擦り、ふいと横を向いた。
「本当よ。……どれだけ、心配したと思っているの」
「心配して、下さったのですね。ありがとうございます」
「そりゃ、心配はするわよ。当たり前でしょう。……まあ、私も悪かったわ。ちょっと動転してたのね。戻って来ても、ぶつつもりは、無かったのに」
「……痛かったです」
スティルはそう言い、そして二人はふふ、と笑った。その様子を見て、男はほっと胸を撫でおろす。二人が喧嘩する様な事態は、避けたかった。
「しかし、びっくりしたわよ。まさかこんなところにいるなんて思わなかったもの」
「少し、トレーナーさんの体調が戻るのを待っていまして。それで、今日ご挨拶に」
「でも、良かった。本当に、良かった」
「はい。……トレーナーさん、お食事を済ませて、ユニヴァースさんを探すのを手伝って頂けますか? あの方にも、謝らないと」
「ああ、そうだね」
そう言って、トレーナーは残った食事を口に運ぶ。スティルも少し冷めたコーヒーを飲み干し、そして一瞬スプーンに乗せたカップケーキを惜しそうに見つめて、ぱくりと頬張った。アルヴは立ち上がり、自分の食事を取りに行こうとして、止まった。
「ああ、一つ。貴方」
「はい?」
スティルが、トレーにスプーンを置いて聞く。アルヴは僅かに頬を染めて、言った。
「その、貴方たちのする事に差し出口を挟むつもりもないのだけれど。……一応、人前よ。程々にする事ね」
「え」
一瞬、彼女は呆気にとられる。そして、ぼんと顔を赤くした。
「あ、あの、その、ちょっと、えっと」
「……それじゃ」
アルヴは早足で、その場を去ってしまった。スティルは顔を真っ赤にして、あわあわと震えていた。