でもスティルはかなり細いし、もうちょっとふくよかになってくれても良いですよねぇ。引退して二十代中ごろ位にはちょっとバスト減らしたセントライトさんみたいになってると個人的に凄く良い。
教室の中で、少女達が和気藹々と過ごしている。なんて事は無い、日常の一コマだ。そんな平穏な教室に迫る、赤い影が一つ。
「え、タクトまた山に行くの? 別にそこでなくてもトレーニングできるんじゃ……」
「ん~……確かに、トレーニングはできるんだけど。やっぱり選抜レース前に、あの空気を感じたいと言うか……」
デアリングタクトがそんな話をしていると、がらっと教室の扉が開いた。扉の方を見た青い髪のウマ娘が、驚いた様子で言う。
「え? スティル先輩、どうしたんですか……?」
「あの……デアリングタクトさん、いらっしゃいますか……!?」
彼女――二代目トリプルティアラウマ娘、スティルインラブは切羽詰まった顔で、そう言った。
「それで、あの、いかなるご用件でしょうか……?」
タクトは少し、緊張しながら訊く。何しろ相手は、トリプルティアラのウマ娘だ。ティアラ路線を目指すデアリングタクトとしては、目指す理想の一人とさえ言える。そんな彼女が訪ねてきたら、やはり緊張はした。横では何人かのウマ娘達が、ちらちらとこちらを見ている。彼女達からしても、トリプルティアラの先輩が訪ねて来たとなれば気にかかるのだ。或いは、タクトに光るものを感じて、チームのスカウトとか、何かアドバイスにでも来たのか。それならば大事件だ。しかし、彼女の口から出た言葉は、その場の誰もが予想していない物だった。
「あの、大変お恥ずかしいと言うか……なんですが」
「え。恥ずかしい?」
思わぬ台詞に、タクトは戸惑った。恥ずかしい。一体何だろう。
「あ、それは、一旦置いておいて……タクトさん、よく山籠もりをなさっている、とか」
「え? ええ、まあ、また今度の土日も、行こうかなぁ、って」
「それに、連れて行って頂けませんか!?」
真剣なまなざしで、彼女は言う。タクトは驚いたが、しかし喜んで言った。
「勿論、良いですよ! 嬉しいなあ、先輩と一緒に行けるなんて」
「ただ、その。初めてなものですから、色々と、教えて下さいね。あ、LANE交換しておきましょうか……」
「い、良いんですか!?」
デアリングタクトは弾ける様な笑顔を浮かべる。スティルはそんな彼女を可愛らしいと思いつつ、しかし自分の今の状況を思い、再び気分が沈むのだった。
事の発端は、昨日の夜である。部屋でのんびりと、彼女はクッキーを食べていた。それを、じっとルームメイトのネオユニヴァースが見つめていた。
「どうか、なさいましたか?」
思わず、そう訊いた。彼女はじっとスティルの方を見ながら、小さく頷く。
「……うん。やっぱり、言わないと、だね」
「な、何でしょう……?」
「ネオユニヴァースは、“ALRM”……を、するよ」
そう言われて、スティルインラブの顔色が変わった。かつて、同じ事を彼女に言われた事がある。その時は意味が分からなかったが、その後彼女は――いや、自分の事よりも、大切なあの人を危険に晒してしまった。それだけに、神経質になる。もしやまた、自分の内に潜り、混ざり合ったと思った“彼女”が。しかし、そう思った所で、ユニヴァースは首を横に振った。
「……それは、大丈夫だよ。スティルインラブの運命は変わった。もう、あの結末は、迎えない」
「え? では、どういう……」
「このままだと、スティルインラブは、“FAT”。スティルインラブは、きっと、それを望まない」
「それは……えーっと……?」
意味を考える。数秒、間が空いた。そして、その意味を、おそらく理解する。
「……まさか」
急いで、部屋の片隅に置いてあった、電子体重計を持ち出した。アスリートであり、年頃の少女でもある彼女達にとって、それは必須のアイテム。しかししばらくレースから離れていた彼女は、久しくそれに乗っていなかった。電源を入れ、恐る恐るそれに右足を乗せる。一度深呼吸して、左足も体重計の上に乗せ、全体重を預けた。すぐに、その数値を見る勇気は無かった。ぎゅっと目を閉じ、そして覚悟を決めて、ゆっくりと目を開け、そして声にならない悲鳴を上げた。
「う、嘘、嘘です! きっと、故障して……」
「昨日、ネオユニヴァースが使った時は、“NPB”、正確だったよ」
そう言いながら、ユニヴァースはそっとスティルに近づく。彼女はベッドの上にぺたんと座り込み、ずうんと顔色を暗くしていた。
「ああ……そんな……先日、シチーさんやジョーダンさんに色々助けて頂いたのに……」
『本当、みっともないわよねェ』
びくり、と体が震えた。瞬間、彼女の意識は内面へと潜り込む。
「な、何よ。今貴方にあれこれ言われる事は……」
『あら、良いじゃない。貴方に声をかける位は』
それより、と彼女は冷たい目をスティルに向ける。
『ワタシが言うのもなんだけど。アナタ、随分と……浅ましいと言うか』
「な、何を」
『ここ最近。まあバクバクバクバク……昨日はチョコレートケーキと、マカロンだったわよねぇ。その前はあの方の手作りクッキーに、夜はいつものビスケットを一袋……』
「あ、あう……」
反論できない。事実だからだ。しかも彼女には、ごまかしも効かない。彼女はスティルそのものだからだ。別人のようで、別人でない。彼女は紛れもなく、自分なのだ。
『しかも、トレーニングだって今はしていないのよぉ? 本当に……このままじゃ、愛しのあの方にだって呆れられてしまうわ』
「うう……」
『アナタはワタシでもあるんだから。あんまり目に余るから、一言言おうって思ったってワケ。このままじゃ、アナタ、どんどん太って……』
「止めてッ!!」
思わず大声を出して、彼女は現実に戻ってきた。目の前には、心配そうな顔をしたネオユニヴァース。
「あ……ごめん、なさい。ユニヴァースさん」
「大丈夫。……スティルインラブの"WORR"は、起こらない。スティルインラブのトレーナーを、信じて。ただ、このまま時間が経てば、スティルインラブはもっと深く……傷つく」
ネオユニヴァースは、他のウマ娘には見えない“もの”を見ている。このままいけば、スティルは太り続け……そして、トレーナーは毎日彼女に会っているから、その変化に気がつきにくい。競技者であれば定期的に体重を計りもするが、今の彼女はセミリタイア状態だ。こういう変化に気がつくには、彼女の事をある程度以上に気にかけ、そしてそこまで頻繁に会う事がなく、その上でそういう「言いにくい事」を言える性格の他人がいる。そう、スティルインラブにとって、それは一人しかいない。
(貴方……いくらレースから離れたって言っても、ちょっとたるみ過ぎじゃない)
そう言われ、顔を真っ青にするスティル。最大のライバルにそれを言われる、ショック。そうなる前に、自分が言えば、多少は衝撃は和らぐ。それが、心優しいネオユニヴァースの判断だった。
「分かりました。警告……ありがたく、頂戴します」
スティルはそう言って、ユニヴァースに頭を下げる。ユニヴァースも優しく笑い、ふいっと自分のベッドに入って行った。スティルはクッキーの箱を閉じ、しまい込む。しばらくは、これはもう食べない。何としても、これ以上……いや、まずは体重を戻さないと。
(呆れられないにしても、あの方と共にあって、恥ずかしくない私でいたい……)
そう思いながら、消灯する。でも、どうしたらいいだろう。この前助けて貰った手前、すぐにまたシチーやジョーダンに頼るのは恥ずかしい。それに、できればトレーナーとも数日は離れたい。一緒にいれば、彼はまたクッキーなどを作ってくれるだろう。彼のそれは、ちゃんとカロリーなども計算して作ってくれている。しかし、それを食べれば我慢が辛くもなろう。と言って、断る事も彼女にはできそうにない。ならば、元から断つしかない。しかし、どうやって。理由も言わずに彼を避ければ、彼は傷つく。それは、彼女には耐えがたい。とはいえ、彼に太ってしまってと正直に言うのも、かなり恥ずかしい。ならば、それらしい理由をつけつつ、離れるしかない。これも寂しいは寂しいが、しかしこれしか手はないだろう。しかし、一体どうすれば。そう考えた時、一人の後輩の顔が脳裏に浮かんだ。
(そうだ、タクトさん)
彼女は入学早々、行方不明騒動を起こした。多くの者が心配していたが、彼女はその時山籠もりをしていたのだった。彼女は自然を愛するウマ娘で、トレーニングの一環としてよく山籠もりをするのだという。山に籠ってしまえば、お菓子に手を出したくてもだしようがないし、トレーナーにも会わずに済む。
(よし……明日、お願いしに行かなきゃ……)
そう決めて、彼女は目を閉じる。やがて、すうすうと安らかな寝息が聞こえてきた。