その性質上、スティルインラブの育成シナリオ、グッドエンド、温泉旅行エンディングのネタバレをもろに含みます。ご注意ください。
病院から、二人の男女が出てきた。二人とも、足取りは軽い。
「良かったよ。あれから異常も無いし、体に後遺症も無いみたいだしね」
「本当に、良かったです」
にこりと、少女は笑った。スティルインラブ。ティアラ三冠を達成し、更にエリザベス女王杯、ジャパンカップを連勝した、強豪ウマ娘。そして、一時その姿をくらました、少女。
「もし、万が一……何かあったら、どうしようかと」
「そうだね。でも……何だろうな、それはない、と、思ったんだよね。根拠は無いんだけど」
「貴方の体の事です。貴方がきっと、一番よく分かっていた。そういう事でしょう」
そう言うスティルの声は、明るく弾む様だった。彼女が一時、友人達にも何も言わず、ただ退学届を出すだけ出して行方をくらましたのは、この男のーー彼女の、トレーナーの身に、異変が起きたからだった。眼が赤くなり、食欲が失せ、睡眠をとれなくなりーー彼の体調は、一気に異変を起こしていた。その理由が、己にあるーー正確には、己の体の中に潜む、もう一人の自分にあると知った彼女は、彼を救う為に、彼から距離を置く事にしたのだ。そうして、彼女はたった一人、誰も知らない、誰もいない花畑へと向かった。その場所がどういう場所か、それは彼女にもよく分からない。ただ、そこに行かなくてはと思った。そして、どうやって辿り着いたのかも思い出せないが、辿り着いた。そこで彼女は、只一人で、消えようとしていた。そうしなければならないと、思い詰めていた。
しかし、その彼女の前に、彼は現れた。スティルが消えた後に体調が快復した彼は、スティルが消えたと知ると彼女を探して歩き続け、そして遂に彼女のいる場所へと辿り着いたのだ。彼女は拒絶した。彼を守る為に。しかし彼は、それでも彼女のそばにいようとした。彼女を守る為に。
それが、多分、良かったのだろう。何が起こったのか、どうしてそうなったのか。それは、二人にもはっきりとは分からない。ただ、あの場で、二人は初めてお互いの心の奥底まで理解し合えた。それは確かだった。スティルはずっと、トレーナーが愛しているのは自分では無く、自分の中に潜む本能の、あの猛々しい走りなのだと思い続けていた。だから、彼女を呼び出し続けた。彼に、喜んで欲しかったから。
しかし、トレーナーの本心は、そうではなかったのだ。きっかけこそ、あの本能に惹かれ、囚われていたのは間違いない。しかし、それはきっかけに過ぎなかった。彼の望みは、スティルインラブが、多くの人々に愛される事。彼女はそれに値する、素晴らしい娘だと、彼は信じていた。
そして、彼は誰よりも、彼女を愛していた。本来担当ウマ娘とトレーナーとの関係性としては、踏み込みすぎているとさえ言える程。それは最初、スティルの本能がそう導いたのかもしれないが、最早それは問題では無かった。その気持ちは、間違いなく本物で、そしてその気持ちが指し示す最愛の人は、本能も理性も、全てを内包した、スティルインラブという少女そのものだったから。
もう、貴方のそばにいられない。スティルはあの時、確かにそう言った。もう、自分は走れない。走れば貴方を傷つける。そして、走らない私では、貴方を心の底から幸せにはできない。それは、彼女にとって辛い現実。だから、彼女は去った。しかし、その現実は、あくまで彼女が信じ込んでいた現実に過ぎなかった。トレーナーの気持ちは、そうでは無かった。それをやっと、あの瞬間に、彼女は知る事が出来た。心のどこかで、望んでいた。彼は本当に自分の、全てを愛してくれている。違うと思いながら、心のどこかで、そんな淡い希望を抱いていた。そしてその希望は、現実だった。
トレーナーは、ボロボロだった。再び彼は眠らなくなり、何日も何日もさまよった結果、彼の体は限界を迎えつつあった。そんな状況だからこそ、彼女に会えたとも言えるのかもしれない。二人は通じ合い、そしてそれ故に奇跡が起きた。そうして、“こちら側”に戻ってこれた。スティルはボロボロになったトレーナーを労りながら、ゆっくりと進んだ。途中で、以前福引きで当てた温泉旅行券の事を思い出し、そこに立ち寄った。今の彼に必要なのは、休養だと分かっていた。治療を行っても、あまり効果は無いだろう。それよりも、ゆっくりと、二人で休む事だ。医者でも無い彼女だが、それは何故か、理解できていた。
そこで、彼女は一夜を、“彼女”に譲った。彼女の本能。疎ましく、一時は憎んだ事もある。しかし、紛れもなく、彼女はスティルインラブの一部だった。別人では無い。自分の中の、もう一つの自分。かつて制御できなかった彼女は、今はすっかり大人しくなった。走り抜き、戦い抜いた事で、彼女も満足したのか。だから、彼女を信じる事にした。そして表に出た彼女は、彼をただ、労った。ボロボロになった彼の髪を梳き、涙を流した。それから、少し、「はしたない」事も。
(そう。貴方も、愛していたのね。心から、彼を)
彼女にとって、レースで勝つ事が、最大の愛情表現だった。そして彼が壊れれば、そのまま彼を自分の物に、そう思っていた事もあるのかもしれなかった。しかし、今の彼女にその意思はない。彼女は再びスティルの内に潜み、その自我を封印した。今のスティルは、本来の彼女に、僅かに本能の意識が混ざり込む様な、一見歪なーーしかしその実、安定した状態だった。彼女は彼を、ここにとどめる事にした。彼を、端からーースティルインラブの一部として、寄り添えれば、それでいいと。
そうして温泉宿で何日かを過ごし、二人は再びトレセン学園へと向かった。まずはトレーナーが駿川たづなに連絡を入れ、理事長と樫本代理に挨拶をした。それから、生徒会長のシンボリルドルフ。横にいたエアグルーヴには、怒られてしまった。それから、ライバルだったアドマイヤグルーヴ。彼女にはビンタを貰った。その後、ルームメイトのネオユニヴァースに。彼女は、あまり驚いた様子も見せなかった。ただ、優しく笑って、「待って、いたよ」とだけ。相変わらず、彼女は不思議で、捉えどころが無かった。
「スティル? どうしたの、ずっと遠くを見て」
「いえ。今までの事を、少し、思い出していました。……今でも、ちょっと信じられないんです。私はもう、貴方にも……皆様にも、会う事は無いだろうと思っていましたので」
「俺の、せいだな。まだ子供の君に、重すぎる決断をさせた。大人として、情けないよ」
「いえ。トレーナーさんは、何も悪くありません。全て、私が、私の意思で決めた事です」
そう言って、彼女はじっとトレーナーの顔を見る。二人は足を止め、視線がぶつかった。
「トレーナーさん。一つ、わがままを言っても、よろしいですか」
「何だい? 俺が出来る事であれば、なんでも」
「……私は、今後どうするか、まだ決めかねていますけれど、ただ……もう、トゥインクルシリーズは、走りません。それでも、しばらくは……貴方のおそばにいて、いい、ですか」
トレーナーは、すぐには言葉を返さなかった。ただ、彼女の背に腕を回し、ぐっと優しく、彼女を抱きしめた。それが、答えだった。
「……当たり前だろ。俺の方から、言いたかった位だよ」
「トレーナー、さん」
「上から、しばらくは……新入生が入ってくるまでは、無理するなとも言われているし。だから、他のトレーナー達の手伝い位はするつもりだけど、当分は、担当を持つ気も無い。だから……いや、俺が新しい担当を迎えたとしても、君は、そばにいて欲しい」
つう、とスティルの眼から、涙がこぼれる。彼の胸に顔を埋めて、彼女は小さく、しかしはっきりと言った。
「はい。……ずっと、おそばに。おそばに、おります」