カフェテリアで、一人の少女が静かに本を読んでいた。かなり、分厚い本だ。そこに細かい活字がびっしりと並ぶ。活字を読むのが苦手な者が見たら、げえっと呻き声をあげるかもしれない。しかし、彼女にとってはこの位はなんて事は無い。彼女は今、完全に自分の世界に入り込んでいる。
そんな彼女に、静かに近づく少女が一人。大きな耳、大きな眼鏡。図書委員の、ゼンノロブロイだった。
「あの、スティルさん?」
びくり、と少女は肩を震わせ、声の主を見る。
「び、びっくりしました。な、何でしょうか、ロブロイさん」
「少し、気になって。スティルさん、よく図書館にいらっしゃってますよね。その、どんな本を読んでいるのかなぁ、って」
「そういう事でしたか」
そう言って、彼女は微笑む。彼女が驚いたのは、本に熱中していた事もあるが、彼女自身があまり目立たない為でもあった。何しろ、木陰でのんびり休んでいただけで、行方不明になったと騒ぎになった事もある。だから、こんな風に話しかけられる事がほとんどないのだ。
「その、実は……あまり、大きな声では言えないんですが。本当は、お勉強をしていないといけないのですけど」
彼女はちらり、と一冊の本に目をやる。トレーニング指導法の書籍の様だ。ロブロイは少し考えて、ああ、と手を打つ。
「そう言えば、スティルさん、サポート学科への転科を考えていらっしゃってるんでしたっけ」
「決めた訳では、無いんですけれど。走らないなら、そういう道もあるな……と。ただ……ちょっと、疲れてしまったというか。それで……」
そう言いながら、彼女は恥ずかしそうに本で顔を隠す。そのタイトルを、ロブロイは読み上げる。
「『雛菊の華に想いをのせて』。時代物の恋愛小説でしたっけ」
「ええ。……何度か、読んだ事はあるのですが。本当に、好きな作品で」
「歴史小説がお好きなんでしたよね。前にそんな事を、確か」
「え、ええ」
意外、と彼女は思う。確かにそんな事を言った事はあるかもしれないが、何度も言っていた訳でもない。自分の事をここまで覚えてくれているとは思わなかった。
「良いですよね……私も、英雄物語が好きなので。義賊活劇譚とか……スティルさんは、どちらかというとそういうのよりは、ロマンス系がお好きなんですか?」
「え!? あ、あの……そう、ですね」
「確か、これって主役はキンチェムですよね。ハンガリーの英雄の」
「そ、そうです」
「素晴らしい英雄ですよね、彼女も……レースに出て五十四戦五十四勝、愛した人と一緒に各国を巡って常に勝ち続け……」
「は、はい」
しどろもどろになりながら、彼女は応える。確かに、歴史小説が好きなのは間違いない。この小説も、昔から好きだった。最も、昔はぼんやりと憧れていただけだった。それが今読み替えすと、主人公に感情移入すればする程、胸が高鳴る。主人公を支える為に、全てを擲ってくれる、優しいパートナー。そんな人に巡り合えたらと思っていたのだが、今彼女にはまさにそんなトレーナーがいる。だから、読めば読むほど、そのパートナーにトレーナーがダブって見えるのだ。走るのはともかく、彼と世界中を巡れたら。そんな事は、夢に見る。
「はい。私も、憧れます。……そんな風に、私も……トレーナーさん、と」
「良いですよね。スティルさん、トレーナーさんの事大好きですもんね」
え、と言ってスティルが目をぱちりと瞬かせる。ロブロイもまたえ、と言って彼女を見た。
「あの、私、そんなに……分かりやすい、ですか。トレーナーさんを、その」
「ええ、と……まあ、そうですね。だって、トレーナーさんが近くにいる時のスティルさん、誰かと話してる時でも耳がずっと、トレーナーさんの方を向いてますし……」
そう言われて、いよいよ彼女の顔は赤くなる。そんな時に、彼女にとっては更に間の悪い事が起こった。彼女のトレーナーが、カフェテリアに入ってきたのだ。
「ここにいたのか。ちょっと、話をしたくて。良いかな?」
「へ、あ、はい」
「こんにちは、トレーナーさん」
ぺこりと、ロブロイが頭を下げる。二人を見比べて、ウマ娘と言うのは面白い、とトレーナーはそんな事を思う。同じウマ娘だが、二人の耳の大きさには大きな差がある。スティルはウマ娘の中でも、耳が小さい方だ。対してロブロイは、ウマ娘の中でも耳が大きい方だろう。同じウマ娘でも、随分違うものだ。
そんな関係ない事を考えながら、彼はスティルの方へと近づく。
「あ、勉強中だった? ごめん、もし忙しいなら……」
「いえ、大丈夫です。その、疲れてしまって、今は別の……」
「トレーナーさんは、キンチェムの事をどう思われます?」
ロブロイが問い、それを聞いたスティルは更に顔が赤くなる。トレーナーはそれには気が付かなかったようで、ロブロイの方を見て答えた。
「そうだね。やっぱり、憧れではあるな。世界史上でも最強のウマ娘の一人、と言ってもいいだろうし。タイムマシンがあれば、一度その走りを見てみたいかな」
「そうですよね。私も、憧れます。しかも大好きな人と一緒に、海外を渡り歩いて強豪と戦い続ける、なんて。ね、スティルさん」
そう言って、ロブロイはにこりとスティルに微笑みかける。スティルは真っ赤になって、もう何も言えなくなっていた。そんなスティルに、ロブロイはくすくすと笑いかける。
「あ、でも。しばらくは、学園にいて下さいね。ずっと留守にしていて、やっと帰って来て下さったのに、またお別れなんて寂しいですから」
「は……はい。それは、もう」
何とか、そう絞り出した。トレーナーはそんな彼女の心情を知ってか知らずか、優し気に微笑んでいた。