アイビー・トラヴィスの「日常」〜女王國物語   作:mizumega

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1・アイビー

***

 

一人の少女が野原を駆けていた。

 

早朝の草原。朝まだきはまだ昇り始めたばかりで、草むらの上に薄っすらと白い靄が絹のヴェールのように掛かっている。

その中を、土が剥き出しの細道を踏みつつ、一定の速度で走ってゆく。

スピードで言えばフルマラソンの国際試合レベルだ。

その速さでリズミカルに駆ける。

 

外見は、小麦色の肌に、外国人らしい目鼻立ちの濃い顔。薄紫の髪を短いツインテールに束ね、オリーブドラブ色のカーゴパンツと乳房の上半分を露出させたビスチェを着ていた。

軍用のブーツを履き、腰にベルトを巻いて拳銃とアーミーナイフを下げている。

一見すると10代後半の小娘にしか見えないが、表情はどこか大人びていた。

 

地面が太陽の光で温まりきっていない底冷えの道を、白い息を吐きながら淡々と走る。走るたびに豊かな胸が小さく踊る。

 

少女の名を、アイビー・トラヴィスという。

 

ヘレン・ハイドの軍団に加わってから1年が過ぎようとしていた。

 

他の例に漏れず、「彼女」も元は男だった。

外見だけ見ると、そんな雰囲気は感じられない。

唯一、尻の振り方が女らしくなく、左右にブレない。力強い男の走り方だ。

 

もう10キロ走っている。

疲れは微塵も感じない。

毎朝の習慣だ。

ジョギングといっても、走るコースは平らな歩道ではなく、凸凹の地面で、坂道も多い。どちらかと言うとトレッキングに近かった。

アイビーは天候に関係なく走った。

時には雨の降る中、泥だらけになっても気にしなかった。台風のような激しい天気でも必ず走る。

走ることが自分の義務だと感じている。

 

まもなくコースが終わる。

 

アイビーは自宅にしているログハウスの前で止まると、深呼吸を何回かした。

それからストレッチを軽くやり、筋トレを始める。

プッシュアップを掌で100回、それから親指と人差し指・中指で100回、そして親指だけで100回。それらを2、3分で軽く終える。

腹筋は鉄棒に足でぶら下がってやる。爪先を引っ掛け、逆さまの状態から額が膝に着くまで上半身を持ち上げてで100回。次に懸垂を胸前で100回、背中で100回。

タイヤを5個ロープで腰に結び、100mダッシュを10セット。タイヤといっても軍用タイヤだ。乗用車よりずっと重い。

材木を組んだ巨大なジャングルジムで、手足を素早く動かしながら移動。毎日違うコースを選んで、ストップウォッチで測りながら行う。

これらを休憩なしでやる。

仕上げは射撃訓練だ。

銃とあらかじめ弾を込めていたマガジンが射撃台に並べられ、それらを取り替えながら撃つ。

最初は拳銃で50mの的へ100発。次にライフルで100mの的へ100発。最後にショットガンで20mを100発。

 

アイビーは、それら全てを淡々とこなした。

むろん、自分がもう筋力トレーニングが無意味になるほどの膂力を持っていることは承知している。

しかし習慣は変えなかった。

 

ログハウスに入り、シャワーを浴びて、朝食を摂る。

シリアルに牛乳を掛け、トーストを焼いて、ベーコンエッグを作る。レタスのサラダにオレンジジュース。

テレビのニュースを観ながら一人で食べる。

「向こう側」のことを知っても今更意味はないが、アイビーは習慣を守ることにこだわるたちだった。

 

朝食が終わると、晴れていればフランス窓からウッドデッキに出て、安楽椅子に腰掛ける。ティーテーブルにコーヒーを置き、目の前の森を眺めながら読書した。

 

ログハウスは一人住まいだ。

 

ルームシェアする人間はいくらでもいるが、アイビーは一人の方が気楽だった。警戒する必要がない。

人を信じていないわけではなく、そういう習性が身についてしまっていた。

ログハウスの中は壁中に銃器が飾られている。アサルトライフルから軽機関銃、古風なボルトアクションの小銃まである。

コレクションだとは思っていない。全て実用品だ。

病的なまでに武器の所有にこだわっていた。

偏執狂に近い。

そういう自分の性格を、アイビーは否定しない。

むしろ当然だと思っている。

 

読みかけのトルストイの『戦争と平和』からふと目を離し、森をぼんやり見つめた。

小鳥のさえずりが、ここかしこから聴こえてくる。

森は深閑としていた。

この空間が好きだった。

誰かに狙われる心配もない。…いや、あるかもしれないが、「あの頃」とは違う。

殺伐とした自分の前半生よりは遥かにましだ。

 

…と、カーゴパンツのポケットからブブブ…と振動が響いた。

 

アイビーはマナーモードのスマホを取り出した。

チャイムを鳴らそうとは思わない。誰かが聞いていたら、こちらの居場所が分かってしまう。

もちろん、そんな奴は今ここにいない。

が、百万に一つの可能性があるなら用心すべきだというのが、アイビーの哲学だった。というより、習慣なのだ。

画面には、周囲に設置していた警報装置の一つが反応していることを告げていた。

タップして監視カメラに切り替える。

さっきジョギングしていた道を、1台のバイクが走ってくる。

 

アイビーは小さくため息をつき、スマホをポケットに戻した。

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