アイビー・トラヴィスの「日常」〜女王國物語   作:mizumega

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7・過去

***

 

「で、どうだった? 新入りは」

「悪くはない」

食堂兼酒場で、サン=シモンの問いにアイビーは答えた。

「素質は私よりも上だし、協調性もある。なにより臨機応変にあそこまで動ければ、まず合格点だろう。あとは知識を教えるだけだ」

「ならいいんだがな」

ウィスキーのダブルをちびちび飲みながら、横目でカウンターの奥を盗み見ている。

奥の調理場では、ロリっ娘が裸エプロンで忙しく働いているという、なんとも形容し難い光景があった。

「連中、歳がなあ…」

「ロリータでなくて残念だったな」

「お前…真顔でそう言う? あたしが言うのもなんだが」

「お前は邪念が入り過ぎだ。可愛い部下をみすみす失うなよ」

「言われたかねーよ、お前にだけは」

アイビーはジンジャエールを飲み干すと、空のコップを持って立ち上がった。

「そういうことだから、報告はしたぞ」

「あいつらの教育は続けるのかい」

「どうかな。連中のやる気次第だ。強制する気はない」

「お前もたいがい軍人らしくないよな」

「いいか、士気の低い軍隊などゴミ以下だ。私はゴミの始末をする気はないぞ」

「あーはいはい。それよかもう一杯つき合え」

アイビーは首を振った。

「悪いが、これから野外訓練なんでな」

「はあ!? 昼間にしておいて、またかよ」

「今度は自分の分だ。しばらく行軍演習をしていなかった」

「訓練馬鹿はこれだから…怪我すんなよ〜」

「お前もミルテに手を出して火傷するな」

「あ、てめえ!」

アイビーは相手にせず、コップを返却口へ返しに行った。

 

***

 

深い森林の中をアイビーは歩いていた。

バックパックを背負い、地図を手にしながら。

GPSの使える通信機器は持っていない。

昔ながらのコンパスと土地勘で決めたコースを歩き抜くのだ。

その行程は30キロ。

装備の重さは50キロを超える。

食料と寝具の他に、小銃と拳銃、予備のマガジンを身につけている。

道はない。

自分で切り拓きながら、ひたすら踏破してゆく。

過酷な訓練だった。

まかり間違えば人間なら死ぬこともあり得る。

だが、アイビーはこのような訓練が楽しみだった。

人並みに恋をしたり、享楽に耽ることはどうも馴染めない。

疲労と闘いながら道を開いてゆくほうがいい。

 

そして、歩きながら自分の半生を思い出していた。

 

***

 

アイビーが人間の頃、『彼』はパレスチナ人とユダヤ人の混血だった。

両方の血を引いている。

だが、彼自身は自分をパレスチナ人だと思っていた。

生まれたのはレバノン。

父親はパレスチナ人の学者。

母親は同じ大学で知り合ったユダヤ人。

本来は歓迎されない組み合わせだったが、二人が愛し合っていたのは間違いない。

それから色々あって、父親はイスラエル政府に逮捕され、獄死した。

母は彼を伴ってガザ地区へ逃げ込み、そこで戦闘に巻き込まれ死んだ。

ユダヤ人に個人的な恨みはあるが、民族としての憎悪はない。

少なくともそのつもりだった。

だが、イスラエルがかつてのナチスのようにパレスチナを迫害するとあっては、我慢していられなかった。

抵抗組織に入った。

ハマスのような大規模なものではなく、少人数でゲリラ的に行動するものだ。

彼は心情的にハマスが嫌いだった。

連中は騒ぐのが目的のようなもので、手段を選ばない。彼らが本気で和平を目指しているとは到底思えなかった。

かと言って今のイスラエルを肯定する気もない。

彼の役割は、ユダヤ人としてイスラエルに潜入し、彼らのおかした犯罪的行為を世界のマスコミにリークするための情報集めだった。

イスラエルとパレスチナだけでは、とても事態を鎮静化できない。

誰かの仲介が必要だ。

公平で、力のある大国の。

大国を動かすには情報戦が最適だったし、彼の組織は弱小過ぎて他に手段がなかった。

…だが、だんだん歯車が狂い始めた。

いつの間にか、どこからか武器が流れ込み、資金を提供する誰かが現れ、次第に武闘派へ変貌していった。

彼はイスラエル軍に入隊した経験もあり、攻撃計画を練るには適役だと思われた。

断ることはできなかった。

最初の攻撃は成功した。

政府の要人を狙い、車ごと突っ込んで爆破した。

この時は運転手が寸前で脱出したので、自爆テロではない。

…だが、炸薬の量を間違ったのか、標的ばかりではなく、周囲数十メートルまで吹き飛ばし、大勢の人間が死んでしまった。

その中には妊婦も子供もいた。

彼は初めて後悔の念に襲われた。

(こんなはずではなかった)

ユダヤ人を皆殺しにするつもりはない。そんな事をすれば連中と同じになってしまう。

頭を抱える彼とは裏腹に運命の歯車は狂い続けた。

次々と犯行を繰り返し、味方も多数殺された。

やがて、狂信的な教育を施した少女を使い、自爆テロを起こそうとするまで事態は悪化していた。

イスラエル国内で要人を支持するふりをして接近し、連中を爆死させるのだ。

彼は首の裏がチリチリするような焦燥感を覚え始めていた。

そして、攻撃計画が書き換えられ、大型ショッピングモールを狙った無差別テロへ発展していった時、はっきりと(これは間違いだ)と自覚していた。

ついに彼は仲間を裏切り、計画を止めることにした。

慎重に事を進め、決行の日に少女の後を追った。

計画が変更されたと彼女を説得し、身に着けた爆弾を外すことに成功した。…しかし、すでに爆弾は起動していた。

ショッピングモールの中で、彼は呆然とした。

こうなればやるしかない。

彼は拳銃を乱射し、客を追い散らした。

だが思ったより早く特殊部隊が到着し、彼は慌てた。

「下がれ!下がれ!みんな死ぬぞ!」

「両手を頭の上に置け!さもないと撃つ!」

「そんな事をしている場合じゃない!下がるんだ!」

興奮したやり取りが続き、期限が来た。

彼は撃たれながら爆弾の上に覆い被さった。

爆発の瞬間、彼が思ったのは(何もかもうまくいかなかった)という慚愧の念だけだった。

自分の体が千切れ飛ぶのを見たような気がした時…

突然、黄金の光に包まれた。

その光は、女の形をしていた。

女神のような全裸の肉体…それは神々しいまでに美しかった。

それが彼に触れ…

全てが変わった。

 

***

 

「気分はどうかしら」

ヘレン・ハイドが聞いた時、『彼』はアイビー・トラヴィスという名前の女になっていた。

「悪くはない」

アイビーは生真面目に答えた。

軍人風に直立して手を後ろに組んでいる。

「もとの体に戻りたい?」

「いや」

 

不思議だが、自分が女になっても、アイビーは驚かなかった。(そういうものか)と素直に思った。

自分は一度死に、生まれ変わったのだと。

 

「むしろ生きていることに驚いている」

「グローアが言うには、あなたは綺麗に分裂したので、継ぎ合わせるのが楽だったのですって」

本当か冗談かわからない事を口にする。

「それで良いなら問題ないわね」

 

「私は何をすればいいのだ」

「何をって?」

「目的があるから助けたのだろう。用件を言ってくれ」

ヘレンは面白そうにジッとアイビーを見た。

「…そうね、私たちの仲間になって欲しいところだけれど…あなたが決めていいわよ」

「なに?」

ヘレンは微笑みを浮かべ、両手を広げた。

「好きなように生きてちょうだい。私たちと居たければ歓迎するし、別の人生を歩みたければそうすればいいわ。もちろん助けたからには援助もしてあげる。でも、自分の人生は自分で決めてくださらない?」

アイビーは眉根を寄せた。

 

この女は何を言っているのだ?

 

前世では、両親と友人を除いて、彼を利用しない人間はいなかった。

皆、彼を利用価値があるかないかで判断し、手駒として使っていた。

そういう世界で生きてきたのだ。

いきなり自分で決めろと言われて、はいそうですかと頷けるものではない。

(もしや、友好的と見せかけて、利用するつもりでは…)

 

「信用できないのは分かるけれど、そういう考えはやめてくれないかしら?」

まるで心を読んだようにヘレンが言う。イタズラっぽく微笑みながら。

「なぜなんだ」

「何が?」

「なぜ私のような者を助けた。私はテロリストだぞ」

「そうね。そしてそれを悔やんでいる」

「だったら…」

「貴女を気に入ったから、じゃダメかしら」

「なっ…」

あまりにも単純な理由に絶句する。

ヘレンは嘘を言っていない。

それは分かる。

分かりすぎるほどだ。

 

後から知ったのだが、結局あの自爆テロは爆発したにも関わらず回避され、誰も傷つかずに終わっていた。ただアイビーが女体化をしたことをのぞいて…。

いまだに指名手配が続いているという。

しかし、ショッピングモールを丸ごと吹き飛ばす攻撃を、どうやってヘレンが止めたのか、皆目見当もつかない。

神のごとき力を発揮したというのに、ヘレンは見返りを全く求めていなかった。

 

「見返りはね、貴女がもう間違いを犯さないで欲しいということだけ。…でも、これも私からの『お願い』であって『命令』じゃない。分かるわね。私が何を尊重しているのかを」

再び心を読んだかのごとくヘレンが言う。

アイビーは戦慄した。

この女、途轍もなく懐が深い。

何を考えているのか分からないが、少なくとも、自分が知っているどの人間とも違う。

あえて言うなら…

女王の風格、

だろうか。

 

アイビーはいずまいを正した。

「そういうことなら、喜んで協力させていただく」

「ありがとう」

ヘレンは素直に微笑んだ。

「あ、でも、そんな堅苦しい態度はやめて欲しいわね。もっと楽しんで欲しいわ、貴女の人生を」

「…善処する」

戸惑うアイビーをヘレンは面白そうに見つめていた。

 

***

 

野外訓練から戻ると、いつもの日課が始まる。

早朝のランニング。

 

…と、道の奥から誰かが走ってきた。

マグーラだ。

モコシが続く。

ヴェレスが加わった。

セマルグルが追いつく。

そしてヤリーロが並走し、ウィンクした。

いつの間にかグループで走っていた。

「で、今日の訓練は? 教官」

まるでいつもの事、というようにマグーラが聞く。

「そうだな。ブービートラップの作り方を教えてやる」

「お、いいね」

「こないだのリベンジといきますか」

「…何を狙っている」

「もっちろん、あたしたちが教官を吹っ飛ばすのさ!」

笑いが起こり、駆け足が早くなる。

 

(こういうのも悪くはない)

 

アイビーは、自分でも気がつかないまま、薄っすらと微笑んでいた…

 

 

 





男(もしくは女)が女体化によって完全な女性になる…しかも屈強の女戦士として。
それが集まって国を作ったら、という面白い設定に刺激を受けて書いたものです。

アイビーには元ネタがありますが、なるべく被らないように設定しました。
「彼女」の過去は特に政治的な意味はありませんが、こういう教官になるならこれくらいの経歴は必要かなと思って盛り込みました。

女戦士だけの国ってどんなふうなんでしょうね、実際。
色々想像できて楽しいですよね。

最後にこの短編を許可して下さった無銘様に伏して御礼申し上げます。
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