ソードアート・オンライン外伝 銀と黒の物語   作:黒崎ハルナ

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Dicey Cafe

 彼女を殺そう。

 

 嵐のように狂った狂気に身を震わせながら、彼は決心した。

 

 そうだ、殺せ、殺してしまえ。

 

 巻き戻した時間を元に戻さぬ為に。彼女を永遠に、彼の世界に繋ぎ止める為に。

 彼女の屍を抱き、血をすすり、肉を食らい、骨を枕にして、同じ棺で眠るのだ。彼女の目も、鼻も、唇も、皮膚も、肉も、血も、骨も、すべてーーすべて彼のものだ。

 奇跡を起こすには生贄がいる。その代価に彼女を殺す。

 雪のように白く氷柱のように冷たい彼女の首に、十本の指を、ぎりぎりと食い込ませながら、彼は掠れた声で呟いた。

 

「ーーーーさようなら、裏切り者の千夏(ちなつ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 台東区御徒町のごみごみとした裏通りにひっそりとその喫茶店は在った。

 煤けたような黒い木造のお店は裏通りにあるから目立ちはしないが、近代日本のコンクリートが主流の建物と比較してもかなり浮いている。

 店であることを示すように小さな看板が木製の扉に吊るされてはいるが、その看板も英語で『Dicey Cafe』という店名と、アクセントに二つの黒いサイコロが添えられているだけと質素なものだ。

 素っ気ないといえばあまりにも素っ気無く、立地の悪さも加わって経営は難しそうな筈なのだがーーそれでも、この喫茶店が赤字を出した月は一度もない。マスターである店長含め全員が十代から二十代後半と若く、希有な従業員構成ながらも常連も多く、知る人ぞ知る隠れた名店として繁盛している。

 

 Dicey Cafe。

 

 ゲーマーで仲の良い夫婦が経営する喫茶店兼バーのこのお店は昼は喫茶店として、夜はバーとしてのスタイルで営業している為か、メニューの種類が店の小ささと反比例するようにやたら多い。多種類のワインやウィスキーといった洋酒から日本酒などのお酒も完備しており、マスターの拘りがよくわかる。かと思えば、オーナーであるマスターの奥さんお手製のケーキやシュークリームはコーヒーや紅茶とよく合う事から若い女性客にも好評を頂いている。

 ようするに何でもある不思議な店なのだ。

 ともあれ。

 天音ギンは、噂の喫茶店Dicey Cafeのたった一人の従業員見習いなのである。

 元々マスターとギンはあるVRMMORPGで知り合い、その付き合いは2年以上とかなり長い。そんなマスターの進めでこうして3ヶ月ほど前から見習いバイトとして雇ってもらっているわけである。

 

 それはさておき。

 

 木造の扉を開けて店内に入る。

 店内は真っ暗な所為で何も見えないが、ギンはそんな事など気にも止めずに慣れた手つきで奥にあるスイッチを見つけてそれを押した。すると、店内の暗闇は一瞬で晴れ、目の前には昨日此処を出た時と同じ光景が広がる。

 外と同様に木造の内装。

 カウンターにはいくつもの銘柄のボトルが並び、フロアにある木製の丸テーブルは開店前なので背もたれの無い丸イスが乗せられている。

 

「あっちぃ……」

 

「うわぁ…蒸し風呂みたいになってるよ」

 

 2人は思わず顔を顰める。

 モワッとした嫌な空気が店内を充満させていた。

 まだ7月だというのに外気温は人間の体温をとっくに超えており、本日の天候に呼応するかのように店内は天然のサウナと化している。

 ギンはカウンター脇に置いておいたエアコンのスイッチを入れた。直ぐに冷たい空気が店内を包み始め、部屋全体に冷気を届かせようと稼働する。

 

「涼しい〜」

 

 一目散にエアコンの風が一番当たるポジションへと木綿季が駆け寄り、上着をパタパタと扇ぐ。年頃の女の子のヘソやら、胸もとやらが見えるというのに、木綿季はまるで気にする素振りを見せない。彼女の中で、そのあたりの感覚は何処か麻痺しているのだろう。

 

「腹隠せ、みっともない」

 

 木綿季を無視して、カウンターを抜けてさらに奥にある部屋に足を進める。

 従業員専用の部屋となっているそこには、店の制服が入ったロッカーが置いてある。ギンはそこから一枚のサロンを取り出し、腰に巻いた。

 ちなみにロッカーは全部で三つ。

 窓際一番奥がマスターの、その隣がギン、最後の一つはまだ誰も使っていない。

 現状、この店の従業員はたった二人。あとはおまけに一人とオーナーが一人。

 もっともオーナーであるマスターの奥さんは、多忙な人で、材料の仕入れルートや近隣店の調査などの営業外の事を全て1人で受け持っている。

 なので、あまり店に顔を出す事がない。

 従業員であるギンですら数日に一度程度の頻度である。

 

 サロンを腰に巻き、『天音』と書かれた名札を左胸に付ける。

 黒のズボンに白いワイシャツ。名札と腰に巻く黒色のサロン。

 これがDicey Cafeの従業員の正装だ。

 まずはマスターが来る前に軽く掃除。

 これもバイトの仕事である。

 

「さってっと」

 

 ギンは腰を伸ばして、ついでに髪をくくり直す。背中まで伸びた髪が尻尾のように揺れる。

 そろそろ切るかなーーそんな事を思う。

 

「んじゃまあ、やりますか」

 

 掃除用のロッカーからモップとバケツを取り出して店内の床掃除を始める。

 開店前から音楽を流すわけにもいかないので、冷房の稼動音とゴシゴシと床を拭く音だけが店内に響く。

 ちなみに木綿季はカウンターにある椅子に座って静かに雑誌を読んでいる。

 サボっているわけではない。

 彼女は正確には従業員ではないからだ。

 

「おう。おはようさん」

 

 床掃除が終わり、丸イスを降ろしていたら木製の扉が開いた音がしたので振り返る。

 そこにはやたらガタイの良い男性がいた。

 張りのある声とギンよりも大きな身長。190はあるだろう巨体にスキンヘッド。それに加えて褐色の肌に彫りの深い顔立ちは明らかに日本人の風貌からかけ離れていた。

 

 実際、その推測は正しい。

 

「ほう……そろそろ遅刻の一つでもするかと思ったんだがな」

 

「どういう意味だよ……」

 

「関心してんだよ。お前さんがここまで真面目だとは知らなかったからな」

 

 禿頭の巨漢がニヤリと笑う。

 アンドリュー・ギルバート・ミルズ。通称エギル。

 やたらと長い名前が特徴的なアフリカ系アメリカンな彼がここDicey Cafeのマスターであり、ギンの雇い主でもある。

 格闘家ではないのかと疑いたくなるような屈強な肉体に褐色の肌。それにスキンヘッドなのだから、初見で彼が喫茶店のマスターだと言って信じた人は数えるほどしかいない。

 本人曰く、人種的にはにはアフリカン・アメリカンだが、同時に親の代から御徒町に住む生粋の江戸っ子でもあるそうで、その日本語は日本人以上に流暢だ。

 

「なんで俺の周りの連中は口を揃えて、不真面目だのいいかげんだの言うやつばっかりなんだよ」

 

「なんでもなにもないだろ」

 

「日頃の行いじゃないかな?」

 

 げんなりとした表情のギンにエギルと木綿季から容赦無いツッコミが入る。

 事実、学校内でも似たような評価をギンは受けていて、その原因は彼自身の素行の悪さにあった。

 

「…………ちッ」

 

 思い当たる節が多すぎて何も言い返せないギンは、せめてもの反論代わりに2人を睨みつけながら手に持つ丸イスを床に置いた。

 

「っと、ああ…そうだ。ギン、お前さんとこはいつから夏休みだ?」

 

 夏休み。

 行きに木綿季も話題にしていたが、夏休みという学生の最大イベントが始まるまで一週間を切っていた。

 ギンの通う学校は21日。来週の月曜日から夏休み開始となっている。もっとも、土日を挟むので実質的には18日の金曜日からが夏休みになる。

 

「18の金曜日に終業式やって、それからだけど?なんだ、平日も朝から出ろとかいうのか」

 

 その前に試験が待っているけど。と、ギンは付け足す。

 本来なら学期末テストはもう少し早く、具体的には一週間前に行われる筈だった。

 遅れた理由は学校側のトラブルらしい。

 ギンの学校は開設されてからまだ1年も経っていない試験的要素の多い学校だ。その学校の初の学期末テストは様々な理由から通常より遅く行われる事になった。

 理由は割とどうでもいいし、通常よりも長く悪足掻きができるので成績が下方飛行している学生たちからは僥倖とされている。

 

「まさか、ウチは平日は夏休みだろうが午後からの営業だ」

 

 ーーそれはそれでどうなのだろう。

 

 Dicey Cafeは土日祝日を除いて基本的に午後2時から開店する。ついでに言うと土日祝日も午前中の11時から開店と随分と遅い。

 朝が極端に弱いギンとしては、ありがたい話ではあるが、売り上げや営業的にはそれで大丈夫なのかは、密かな心配事となっている。

 これで赤字を開店から2年以上も出した事が無いというのだから、エギルの奥さんはいったいどんな魔法を使っているのか不思議でならない。

 

「いやなに、夏休みにまさか何処も出かけないってこたァないだろ?予定を聞くなら早いほうがいいと思ったのさ」

 

 つまり予定を教えろ。その日は休みにしてやる。と言う事だ。

 ギンのシフトは主に土日の2日間と、稀に平日を頼まれるだけと短い。だが、夏休みともなれば土日に出かける機会も自然と増える。

 そのあたりを考慮してのエギルからの配慮だった。

 

「いや、とくに出かける予定は……」

 

「はい!ボク、プールに行きたい!」

 

 ない。と言い切る前に木綿季の言葉が被さる。

 勢いよく右手を天井高く上げ、自己主張の激しいアホ毛がぴょんぴょんと揺れた。

 

「却下」

 

 間髪入れずにギンがそう答えると、木綿季は不満の声を漏らし、瞬間移動の如くギンの胸元に詰め寄った。

 そしてーー

 

「駄目?」

 

「ぐッ……」

 

 可愛らしく首を傾げ、大きな紅い瞳で木綿季はギンを見上げる。所謂上目遣いというやつだ。いったい何処でそんな危険な技を習得したのだろうか。

 並みの男なら一撃でノックアウトされる破壊力に思わず前言を撤回したくなったギンだったが、少ない理性をフル稼働してなんとか踏み止まる事に成功する。

 

「……だ、駄目に決まってんだろ。半年前まで寝たきりだったやつがなに寝言言ってんだか」

 

 ーー勝った!と内心ガッツポーズのギン。はたして何に勝ったのだろうか。

 

「ちぇー」

 

 不満たらたらに木綿季が唇を尖らせる。

 ただ、それ以上食い下がることもなかった。

 

「……まあ、あれだ。来週、倉橋先生に聞いては見るから」

 

 ぽつりと木綿季だけに聞こえるような小さい声でギンは言う。遠くでエギルが含みのある笑みで此方を見ていたが、今のギンにそこまで気を回す余裕はない。

 

「うん!お願い」

 

 それで満足したのか、木綿季は向日葵のような笑みを浮かべた。

 結局のところ、自分はこの年下の少女にとことん甘いらしい。最近になって自覚してきたことに少しだけ気恥ずかしくなる。

 そんな自分の感情を誤魔化す為にギンはわざとらしく大きな声で。

 

「じゃ、まぁ。今日も1日、頑張りますか」

 

 便乗して木綿季が、がんばるぞー!と元気よく大声で言い、エギルが、おう頑張れ、と投げやり気味に言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が死んだ。

 突然突きつけられた真実に、彼は愕然とした。

 

 どうしてだ?何故彼女がいない?

 

 約束したじゃないか、ずっと側にいると。彼女に相応しい人物になる為に、彼女と一緒に歩む為に彼はこの地に戻ってきたというのに。

 

 なのに、彼女が死んだ?彼の魂の半分である、自分の全てだった彼女が?

 

 彼の世界は砕け散り、魂は嵐の海に投げ出され、猛り狂う黒い波の中へと堕ちていった。

 

 返せ!返してくれ!あの幸せな時を、時間を返してくれ!

 

 握りしめた拳が折れるほど、壁を幾度も打ち据え、彼は獣のように吠えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……暑い…溶ける……マジ帰りたい」

 

 午前中のやる気は何処に行ってしまったのか。

 額に汗を流しながらギンはじりじりと照らす太陽を忌々しく睨んだ。しかし、それで刺すような陽射しが弱まるわけもなかった。

 ギンは恨めしく、右手にあるビニール袋を睨む。

 

「在庫くらいちゃんと確認しとけよな、あのハゲ」

 

 時刻は昼を過ぎた午後2時を示し、本日の最高気温をマークしたこんな時間に何故外を出歩いているのかと問われれば、雇い主であるエギルのちょっとしたミスが原因である。

 夏が本格的に始まるこの時期、Dicey Cafeはオーナーの提案でケーキなどの洋菓子の他にカキ氷などの氷菓を販売することになった。実際、それによる集客はかなり期待できるらしく、つい先日、エギルが通販で大型のカキ氷機を購入したのはギンも知っている。

 そんなわけで、試食も兼ねて今日からそのカキ氷機を使ってみようという話になったのだが、そこで問題が起きた。

 

「カキ氷やるのにシロップ買うの忘れたとか……売る気無いだろ、絶対」

 

 いやー、すまんすまん。と、豪快に笑うエギルに軽くだが殺意が湧いたのは内緒の話である。

 ともあれ、シロップを買い忘れたという致命的なミスの尻ぬぐいにギンは炎天下の中の買い出しを命じられた。最初は何が楽しくてこの炎天下で買い出しに行かなきゃいけないんだ。と、力の限り首を横に振ったギンだったが、最終的には午前中にも彼限定で最大限発揮した木綿季の上目遣いに折れた。

 

(戻ったらカキ氷にアイス乗せて、イチゴシロップと練乳しこたまかけてやるからな)

 

 お前は何処の女子校生だと言いたくなるような、聞いているだけで胸焼けを起こしそうなトッピングにツッコミを入れる者はいない。

 普段なら常に一緒にいる木綿季も、今回はこの暑さの前に辞退した。愛は文明の利器(エアコン)には勝てなかったようだ。

 

「………ん?」

 

 冷房の効いたオアシスに帰る為に歩き続けること数分。ようやく戻れた店の前に、不審な人影が目に入る。

 2人組の女の子だった。見慣れない制服だが、その制服のおかげで学生である事だけはわかる。

 2人はーー正確には髪の短い方の女の子がーーちらちらと店の扉を見ては、扉に手を伸ばしたり引っ込めたりしていた。

 

(……ああ、そういやぁ臨時休業の看板出してたっけ)

 

 試作と試食をするならと、臨時休業の看板を買い出しに行く前にエギルが出していたのを思い出す。あの2人はたぶんだが、その看板に困っているのだろう。ぼんやりとした頭でギンはそんな推測を立てる。

 

「………邪魔くせぇ」

 

 呟いた一言は失礼極まりない発言だった。

 元々ギンは必要最低限の人付き合いしかしない性分である。ついでに言えば、面倒事はこの世で2番目に嫌いだ。

 そんな性格のギンからしたら、目の前にいる2人は大変面倒な存在だった。

 

(臨時休業中だと説明するか?いや、それすら面倒くせぇ。つか、看板見たらわかるだろ、普通。ほら、日を改めてまた来いよ、な?)

 

 暑さの所為か、本来の性格からか、本人たちが聞いたら怒りそうな事を内心で愚痴り始めるギン。

 そのときだった。

 

「あ!ギンさん!」

 

(げっ⁉︎)

 

 向こうが此方に気づき、その表情を安堵に変えた。

 肩のラインで切り揃えられた黒髪が揺れ、彼の名を呼ぶ声は助かったと暗に言っている。

 そこでギンはようやく目の前にいる2人組の1人が知り合いの妹だと気づいた。

 

(つか、直葉(すぐは)じゃねぇか。なんでいんだよ)

 

 それはお客で来たからである。

 

 内心で悪態を吐きまくるギンに気づく事なく、直葉はギンの知らない連れになにか話をしていた。大方、店の人だと説明しているのだろう。

 ここまで来ると、流石に無視もできない。観念したギンは、ため息を吐いた後に2人に近づいた。

 

「よう。なにしてんだ?」

 

 ギンの問いに直葉は困った顔で、再びDicey Cafeの前にある臨時休業の看板を見た。

 

「え、え〜と、その……今日は、その」

 

 歯切れの悪い台詞に暑さでイラだっていたギンの機嫌は更に悪くなる。

 どうやら目の前の少女はギンの事が苦手らしい。以前、兄である桐ヶ谷 和人(きりがや かずと)からそんな話を聞かされた。

 ギンが彼女に何か苦手意識を持たれるような事をした記憶はないのだが、それでも彼女はギンが苦手らしい。

 

「あ?」

 

「ひぃう!」

 

 ビクリと蛇に睨まれた蛙の如く、身体を硬直させる直葉。

 気のせいか、若干だが涙目である。

 

(まるで俺が虐めてるみたいじゃねェかよ。クソッ)

 

 傍目から見たら女子校生にカツアゲ、またはナンパをしてる不良の構図が出来上がっていた。不良が持つカキ氷シロップで台無しにはなってはいるが。

 とにかく、だ。

 

「まあ、あれだ」

 

 怯える直葉を通り過ぎ、臨時休業の看板を退けて扉を開ける。ひんやりとした冷気が店内から溢れ、暑さを和らげてくれた。

 きょとんとした直葉にギンは一言。

 

「とりあえず入れよ」

 

 と、言って中に入るように促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガリガリと氷を削る音がDicey Cafeの狭い店内に響く。

 店内のスピーカーから流れる音楽をかき消すソレは、さながら不協和音を奏でる楽器にも見えた。

 

「ギン!ボク、イチゴね!練乳は多めで」

 

「はいはい」

 

 カウンターに座り、スプーンをお約束のように握る少女に「何処のお子様だ」と言う。ちなみに数分前の自分の台詞など既に脳内のゴミ箱に消去済みである。

 カウンター下にある冷凍庫からアイスを取り出し、氷の山に乗せ、更にイチゴシロップと練乳をかけていく。

 

「あの……本当にいいんでしょうか。臨時休業中だったんですよね?」

 

 木綿季の隣に座る直葉。その視線は忙しなく動いている。申し訳ないと思っているのだろう、根がギンと違い真面目な直葉はそのあたりの常識は人一倍あった。

 

「ああ、試食を頼んでるんだ。気にすんな」

 

 他2つの容器にも氷の山が既に作られていた。ガラス細工の容器は見るだけで涼しくなる気がする。

 ビニール袋からメロン味と宇治金時味のシロップを取り出し、かけていく。メロン味にはカットしたフルーツをいくつか添えて、宇治金時には小豆を乗せる。

 

 ーーカキ氷ってこんなんだったか?

 

 2年前に、下手したら更に昔に食べた記憶からカキ氷の姿をイメージするが、いかんせん食べた回数そのものが少ないのもあり難航した。

 隣にいるエギルから何も文句が出ていないので、おおよそ間違えてはいない筈である。

 やがてーー

 

「ほら、出来たぞ」

 

 カウンターに座る3人に3種類のカキ氷を渡す。

 イチゴ、メロン、宇治金時のカキ氷に木綿季は瞳を宝石のように輝かせ、木綿季ほどではないにしろ直葉も表情を笑顔に変えた。

 

「いいんですか?」

 

「その台詞はとりあえずその手に握り締めてるスプーン置いてから言え」

 

 はっ、と無意識に握り締めていたスプーンに気がついた直葉は顔を茹でタコみたいに真っ赤に染める。

 

「溶ける前に食ってくれ。じゃないと俺の努力が無駄になる」

 

 ギンが許可を出すと、木綿季は「いただぎます!」と勢いよくスプーンを氷の山に突っ込み始めた。

 それを皮切りに直葉も「い、いただぎます」と遠慮しながらスプーンで氷の山を崩し始める。

 

「…………ん?」

 

 楽しそうにカキ氷を食べる2人とは逆に、目の前に置かれたメロン味のカキ氷に手をつけず、ただじっと自分を見つめている視線にギンは気がつく。

 見慣れない少女だった。少なくともギンはこれが初対面だ。

 セミロングの少女は、ぽつんと、それこそ意識しなければわからないほど存在が希薄だった。ぼんやりとした、透明な瞳がギンを写さなかったら、たぶんギン自身も気がつかなかっただろう。

 淡いガラス細工の様に肌は青白い。それも、カキ氷の皿に使っている安物ではなく、職人が作った高級ガラス細工だと言われて信じてしまう程の美しさがあった。

 

「桐ヶ谷さん。こちらのかたは?」

 

 か細い声だった。うっかり聞き逃してしまいそうな小さい声で少女は友人の名を呼ぶ。

 

「ふぇ?」

 

 呼ばれた少女はたいそう間抜けな顔でーースプーンを口に咥えたままーー間抜けな声を出す。それから、自分が友人たるこの少女に未だ何の説明も紹介もしていなかった事を思い出した。

 直葉は慌ててスプーンをカウンターに置き、2、3回咳払いをした後に一度姿勢を正す。

 

「え、えーと。この人は天音 ギンさん。お兄ちゃんの学校の先輩で、私より2歳年上。で、こっちが同じ学校の……」

 

雨宮 真冬(あまみや まふゆ)です」

 

 すっと背筋を伸ばし、綺麗な会釈をする少女。

 ただ、その礼儀正しさよりもギンは気になることがあった。

 細いのだ。とにかく身体全体が、枯れ木のように細い。まるで血の通わないマネキンのように細い腕。腕だけではなく、細い腰に薄い肩、小さな背中、透き通るような栗色の髪、さらには病的に白いうなじ。

 体のどこもかしこも、細く、無機質で、青ざめていて、まとめに息をしている人間には見えなかった。VRのNPCだってもう少し人間味はある。

 

「ああ、よろしくな…………って、なんだ?」

 

 真冬と名乗った少女が、再び視線をギンに向けていた。ただ、じっと髪と同じ栗色の瞳でギンを見つめ続ける。

 見た目の異常な細さを除けば、顔立ちはとても整っていた。木綿季や直葉はどちらかと言えば幼い印象を受けるのだが、この少女は幼さなど微塵も感じられない。

 本当に直葉と同い年の16歳なのか疑問すら生まれてくる。

 たっぷり30秒ほどギンを見つめ続けた真冬は、やがて息を飲む間を空けてから口を開いた。

 

「……あなたも、SAO生還者(SAOサバイバー)なんですか?」

 

「つッ⁉︎……」

 

 放たれた言葉は店内を無言にさせた。

 SAO生還者。

 それはギンを動揺させるには充分な言葉だ。

 気がつけば、無意識にギンは直葉を睨んでいた。殺気を孕んでいると言われても信じてしまいそうな、普段の彼からは想像できない鋭い眼光が直葉を捉える。

 

「あ、あの…これには訳があって…」

 

 先ほどの笑顔など既に消えていた。パニック状態な直葉は、必死に言葉を選んでいたが、それが口に出るにはまだ時間が必要らしい。

 

「……そうだ。……と言えば満足か?」

 

 敵意。拒絶。警戒心。様々な感情がギンを埋めていく。

 直葉も、木綿季も、エギルも言葉を発しない。

 まるて、世界からギンとこの少女だけが切り離されたような感覚。

 その世界の中でも、彼女は眉ひとつ動かさない。ただ、じっとギンを見つめ続けていた。

 

「あの世界の事を教えてください」

 

「嫌だ」

 

 明確な拒絶の意を示すギン。

 重苦しい空気の中で、チクタクと時計の針が進む音が響く。

 

「なんで、そんなことを知りたい。だいたい、仮に俺がSAO生還者だとしても、素直に話をすると思うか」

 

「あの、ギンさん。これには理由が」

 

「黙ってろ直葉。お前だってわかるだろ。その言葉の重みと意味を」

 

「それは……」

 

 俯く直葉に一瞥し、ギンは再び真冬を見る。

 

「…………兄も」

 

 それは少女が初めて見せた感情の変化だった。

 一言が重いのか、言葉を探しながら少女は紡ぐ。

 

「兄もSAO生還者なんです」

 

 優しい兄だったそうだ。休日も平日も関係なく、常に一緒にいてくれたと、真冬は話す。

 体が生まれつき弱く、あまり外に出歩けない自分にもできるように、色々なゲームを探してくれた。

 あの日まではーー

 

「……でも、変わってしまった。帰って来た兄は、昔の兄ではなかった」

 

 ーーだから……知りたい。悲鳴にも似た少女の独白がしん、と店内に落ちた。

 

 そこでギンはようやく直葉が此処に訪ねた理由を理解する。直葉は兄以外のSAO生還者に会わせようとしたのだ。

 何故自分を直葉が選んだのかは、ギンにはわからない。直葉の兄もSAO生還者だ。それなのに、直葉は自分の兄ではなく、ギンを訪ねた。もしかしたら本来はエギルを訪ねる筈が、偶々自分だっただけかもしれない。が、それも後の祭りだろう。

 沈黙を破ったのはエギルだった。

 

「あんた、VRMMOの経験は?」

 

「ありません」

 

「そうか…それゃあ、わからないよな。イメージだって湧かないだろ」

 

 首を小さく横に振る真冬にエギルは言葉をかけていく。

 よく通る低い声が、次第に重苦しい空気を和らいでいった。

 

「ギン。話してやれよ」

 

「エギルまでそんなこと言うのかよ」

 

「ああ」

 

 一緒、エギルはにやりと意地の悪い笑みを見せた。

 

「店長命令だ」

 

 エギルから出た言葉にギンは声を無くす。

 それから少しだけ考えてから、息を大きく吸った。敵意、拒絶、と言った負の感情を一緒に呑み込み、ゆっくりと纏めて吐き出す。

 たっぷり5秒ほど時間をかけて、吐き終えたギンの顔は、何時も通りな無気力な表情だった。

 

「……悪かった。言葉も選ばないで、イラついて当たっちまった」

 

 ギンは申し訳なさそうに頭を下げる。

 カキ氷は、少し溶けていた。

 

「国から詳しくは話すなって言われてるから、詳しい話をするのは無理だからな」

 

 と、一言置いてからギンは懐かしむように2年前の事を話し始めた。

 

 

 

 

 

 ーーこれはゲームであっても遊びではない。

 

 VR技術の革新者、天才ゲームプログラマー茅場 晶彦(かやばあきひこ)の言葉である。

 

 2022年。人類はVR技術を手に入れることに成功する。

 画面を越え、肉体を捨て、文字通り仮想世界に自分自身がダイブするこの技術は、人類を新しいステージに一歩上げる事になり、各方面で多大な期待が寄せられた。

 その中でも最も期待されたのがゲーム技術。VRMMOである。

 ゲーマーなら一度は夢見た事があるだろう。画面を越えた先、ゲームの世界に入れたらと。実際に剣を振るい、魔法を使えたら、そんな夢を見た事があるだろう。

 VR技術は、そんなゲーマーたちの希望の象徴であった。

 そしてーー2022年11月6日。

 

 その夢は実現した。

 

 SAOーーソードアート・オンライン。

 

 世界初のVRMMORPGとして銘打たれたそれは、実際に仮想世界にプレイヤーが入り、ゲームをプレイするという、既存の存在するゲームを置き去りにし、ゲーマーたちの常識をぶち壊すものであった。

 これまで、MMORPGなるジャンルのゲームは無数に存在したが、それは結局のところ、プレイヤーがコントローラーを握り、画面越しにいるアバターを操作しているに過ぎない。つまり、『現実の自分』と『仮想世界の自分』は別の存在だったのだ。

 だか、SAOは違う。

 従来の据え置きのハードやPCを使わず、ナーヴギアと呼ばれるヘッドギアタイプの特殊ハードを使用することで、『現実の自分』と『仮想世界の自分』という見えない壁を取り払ったのだ。

 ナーヴギアはハード内に埋め込まれた信号素子を使い発生させた多重電界によりユーザーの脳と直接接続する。これにより、感覚器官を介さずに直接脳に仮想の五感を与える事で仮想世界を生成、同時に脳から肉体に伝わる電気信号を回収することで現実の肉体は一時的な植物人間状態になる。

 結果、視覚や聴覚、はては味覚や触感といった人間の五感全てを仮想の情報に入れ替えるのだ。

 これにより、実際に仮想世界の情報を現実世界と同様に感じる事ができる。それはとてつもない快感であった。

 草木の匂いも、空を飛ぶ鳥の鳴き声も全て現実のように体感できる。果てしない高原、凍えるような巨大な氷山。SFやゲームでしか想像できなかったものが目の前にある現実。食べ物の味すら、美味い、不味いとはっきりとわかる。

 それは正しく異世界の誕生だった。

 ナーヴギアは、それを開発した茅場晶彦は比喩でもなんでもなく、本当に一つの世界そのものを創り出したのだ。

 

 世界中のゲーマーたちは歓喜し、発売日を心待ちにした。カレンダーを見ては瞳を輝かせ、発売日が近づくと一週間前だというのに店頭に並ぶ猛者も少なくなかった。

 初回生産ロットはたった1万本というのも人気を高める要因になったのだろう。発売日当日、1万本のソフトは僅か数分で完売した。

 ソフト込みで12万8000円と決して安くない値段だったのにも関わらずだ。完売後、その3倍以上の値段でオークションに並んだりもしたが、それすら数分で落札だった。

 

 

 

 

 

「と言っても、俺は店前に並んだり、予約したりはしてないんだがな」

 

 思い出すのは2年前の事。

 父親であるキョウスケが当時、受験生だったギンの部屋にいきなり突撃し「ゲームしようぜ」と、さも当たり前のようにナーヴギアを渡してきた。

 クラスの中でも話題にはなっていた代物を唐突に渡された時は思考が止まったものだ。おまけにキョウスケから何の脈絡も無く「ゲームしようぜ」などと言われたものだから、冷静さを戻す為に一発殴ったのは仕方なかった。

 

「そうなんですか?」

 

 同じようにナーヴギアを入手した兄を持つ直葉が驚きの声を上げる。その時はVRゲームなんて興味がなかった直葉だったが、それでもニュースやクラスの男子たちの話を聞いて触りだけは知っていた。知り合いの何人かが、ナーヴギアを手に入らなくて悔しがる姿を見たりもしたものだ。

 

「ああ。キョウスケが……ウチの親父がコネで何処からか手に入れてきたんだよ。しかも2台も」

 

「入手困難なナーヴギアを2台も入手って……マジでなにもんなんだ。あの人」

 

「俺が知るか。実の息子すらよくわからないやつなんだ。考えるだけ無駄だぞエギル」

 

 

 

 SAO公式サービス開始の11月6日。

 プレイヤー1万人全員が、一斉に仮想世界にログインした。新しい冒険が始まる。そんな期待に胸を膨らませながら。

 

 それが現実との別れだと知らずに。

 

 

 ーープレイヤーの諸君。私の世界へようこそーー

 

 

 

 ログアウト不可、HP全損=現実での死。それがSAOにおける絶対のルールだった。

 

 鐘の音が鳴り響く中、『はじまりの街』でSAOを作り上げた天才、茅場晶彦が扮するアバターから本当のチュートリアルを告げられたプレイヤーたちは震撼し、その安易に受け入れられない事実は全てのプレイヤーを混乱させた。

 嘘だと笑う者。出せと叫ぶ者。事実を受け入れずに泣き崩れる者。広場には人の負の感情が渦巻いていた。

 茅場晶彦は言う。

 唯一助かる方法は、この世界ーーSAOの舞台である鉄と石の巨大城《浮遊城アインクラッド》を攻略する事だと。

 百層にまで伸びたこの鋼鉄の浮遊城、その最上階にいるラスボスを倒せばゲームはクリアされ、現実世界に帰還できる。

 ゆえに、プレイヤーたちはただひたすらに剣を振り続けた。一度も失敗ができない極限の状態でモンスターと戦い、ダンジョンを駆け抜ける日々。

 ゲームクリアまでの2年間、プレイヤーたちはそんな戦いの日々に明け暮れた。

 

「ゲーム開始から2年後の2024年11月7日。俺やエギルはゲームをクリアして、こうして現実に帰ってきたわけだ」

 

 犠牲者1万人。死者4000人に及んだ悪魔のゲームは、首謀者の茅場晶彦の死によって終わりを迎えた。

 あれから8ヶ月。

 生還者たちは、誰が呼んだかSAO生還者と言われるようになった。もちろんそれは、表立って呼ばれたりはしない。

 ある種の忌み名だ。

 命を賭して戦い続けた日々は、大なり小なり生還者たちの人格や人生観に影響し、今尚その傷は癒えてはいない。

 今、目の前にいる雨宮真冬が語る兄のように。

 

「それで、他に何が知りたいんだ」

 

 ギンは再び視線を真冬に合わせる。真冬はただ黙ってギンの話を聞いていた。瞳を伏せ、ゆっくりと言葉を呑み込んでいるのだろう。

 瞳を再び開け、真冬は口を開いた。

 

「……死者の魂は存在すると思いますか?」

 

「は?」

 

 誰も予想できなかった一言にギンは自分の耳を疑った。

 死者の魂。今、目の前の少女はそう言ったのだ。

 

「それは、SAOで死んだ人たちの、4000人の犠牲者の事か?」

 

「仮想世界で死んだ魂は、何処にいくのでしょう」

 

 噛み合わない会話に、隣にいる直葉が困惑する。

 現実から離脱した幽霊に直葉は見えた。焦点が合わない瞳は空を写す。

 

「あの、雨宮さん?」

 

「あの人は言った。仮想世界で見つけた…と」

 

 そこまで言って、真冬はハっと意識を現実に戻した。

 一瞬だけ惚けたような顔でギンを見た真冬は、すっと席を立ち上がる。

 

「桐ヶ谷さん、天音さん。今日はありがとうございました。すみませんが私はこれで失礼します」

 

 お手本のような綺麗な会釈をして、真冬はカウンターから店の出口へと足を進める。

 直葉も急いで立ち上がり、頭を下げた後に真冬を追って店を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 カウンターに置かれたカキ氷はすっかり溶けて水になっていた。

 




SAO事件を書いたら想像以上に長くなってしまった。





活動報告に別件の小説のアンケとお知らせアリ。
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