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ノアのアトリエ
そこは何も、ノアとアンアンだけの部屋ではない。
ふたりがその部屋にいないこともあるし、他の少女が利用することもある。
様々な道具が置かれているこの部屋は、作業をする部屋として適切なのだ。
それは裁縫作業にも言えることである。
遠野ハンナは黒色の布に針と糸を通して何かを作っていた。
慣れた手つきで指が動く。
裁縫の経験が多かったのだろう。
偶然部屋に居合わせた少年は、じっとハンナを見つめている。
「俺もできるようになった方がいいのかな、裁縫」
「どうしたんですの、いきなり」
「牢屋敷に残るつもりなんだよね俺。ここで生活するなら、そういう技術は使えたほうがいいかなと」
少年はこの屋敷に残って生活をする予定だった。
無論、外の世界でいくつかの用を済ませてからの話だが、この島を家だと思って生きていくことを決めていた。
文明の利器が限られる場所において、そういったアナログ技術は持っておくに越したことはないだろう。
「遠野さんは上手だよね。俺に裁縫教えてくれない?」
「人に教えられるほどのものではありませんわ。わたくしは……ただ続けていただけですから」
「そっかぁ……」
そう断られると、少年はしょぼんとした顔になる。
その顔のまま、近くにあった椅子を運んできた。
そしてハンナの隣に椅子を置いてそれに腰掛ける。
「……何をしているんですの?」
「近くで見てる。目で見て勉強することにするよ」
「そ、そうですの。まぁ、お好きになさってくださいまし」
少年の視線が自分の指先に集中していることが恥ずかしいのか、すこし早口にそう言い切って、ハンナは編み物を続けていく。
「手際良いね」
「慣れているだけですわ」
「遠野さんって指キレイだよね」
「こんな、傷だらけの指のどこが……」
「キレイだよ、本当に」
「……」
ただの布だったはずのそれが、だんだんと何かに変わっていくことが少年は面白かった。
しかし、そこでふと疑問が湧いた。
「そう言えば何作ってんの?」
「あら、気が付いてなかったんですの?あなたの眼帯ですわ」
「え?」
言われてみれば、それは彼が身に着けている眼帯と同じ形をしている。
まだ未完成品ではあるが、もうすこしで全く一緒になりそうだ。
「まさか俺以外にも盲目の子が!?俺の目を分けてあげないと!」
「馬鹿言わないでくださいまし!あなたの、と言っているでしょう!」
冗談で言っているのかどうなのかわかりませんわね、とハンナは冷や汗を流した。
少年は身に着けていた眼帯を撫でる。
この眼帯は劇制作の前にハンナに作ってもらったものだ。
『あなたのために作ったのですけれど……その……どう、でしょうか』
そう不安げな彼女からこの眼帯を送られた時、涙が溢れそうになった。
それほどこの贈り物は彼にとって嬉しかったのだ。
『ひゃ、ひゃぁ!何してやがりますの!降ろしてくださいましぃー!!』
『遠野さん天才!最高!神様!本当にありがとう!!めちゃくちゃ嬉しい!!』
『わ、わかりましたから!わたくし子供じゃないですわ!降ろして!』
『羽より軽いよ遠野さん!!好き!!』
『何を言ってやがりますの!!』
感動のあまり彼女を抱き上げて大はしゃぎしてしまったことは、彼の中で恥ずかしい記憶として残っている。
それ以来、彼は頻繁にこの眼帯を使用していた。
そこそこ日が経っているが、壊れる前兆すらみせない頑丈なものである。
「俺はもうすでにこの眼帯持ってるし……」
「なにかあって、それがダメになってしまうかもしれないでしょう?予備として使ってくださいまし」
「ありがたいけど、俺にはサングラスもあるから……」
ハンナははぁ、とため息を吐いた。
ジト目で少年を見つめる。
「あなたの目を見て生活したい、という方が大勢いらっしゃいますのよ。随分とおモテになられるんですわね」
おモテ?と首を傾げる少年。
ハンナは気にせず言葉をつづける。
「人は相手の目を見て会話するものでしょう?サングラスだとそれができなくて寂しい、と仰った方がいましたの。わたくしも、その、あなたとは目を見て話したいですし」
確かに、と少年は押し黙った。
『目は口程に物を言う』ということわざがあるほど、目はコミュニケーションにおいて重要な役割を果たす。
縫い物をしていたハンナの手が止まった。
最後にパチンと糸を切り、ポンポンと撫でる。
どうやら眼帯が完成したようだ。
「はい、できましたわ」
「あ、ありがとう」
完成品を手渡され、少年は慌てて礼を返す。
できた眼帯はとてもきれいなものだった。
少年が嬉しそうに眼帯を受け取る姿を視界の端に収め、ハンナは片付け作業に入っていた。
小さく口を開く。
「本土に戻れば、もっといい眼帯が見つかると思いますけれど、それまではこの眼帯で我慢してくださいまし」
「我慢なんてそんな。俺は一生大切に使うよこの眼帯」
「お、大げさですわね。体が成長するとサイズが合わなくて、その眼帯も使えなくなりますわよ」
「じゃあ俺もう成長しない!」
「そんな断言されましても……」
「じゃぁこの先、また作ってほしいな、俺の成長に合わせてさ」
「そう言われましても……あなたはこのお屋敷に残るのでしょう?」
ハンナは少し寂しそうにそう言った。
思わず少年は口を閉じる。
「わたくしは、自分の家に帰らなくてはいけないんです。もう家族だれひとり、置いていくわけにはいきませんから」
その声は小さい物だったが、なにか大きな決心を感じさせた。
ハンナの心情がどういうものかは知らないが、少年はひとり納得する。
そもそも、自分のようにここに残る人間の方が少数派なのだ。
外に残した家族を思うことは当然なのだろう。
「わたくしより、同じようにここに残るマーゴさんやノアさん、アンアンさんと仲良くしてくださいまし」
表情を見せず、ハンナはそう言って立ち上がった。
いつの間にか片づけを終えており、部屋から出ようとしている。
「そっか……」
少年は考える。
この島の詳しい座標はわかっていない。
本土から遠いのかもしれないし、近いのかもしれない。
遠野ハンナの家からどれほどの距離があるのかもわからない。
もしも遠ければ、いいや遠くなくとも、自分の眼帯を作らせるためにこの島まで彼女を呼び寄せるのはひどい話だ。
ならば、
「じゃぁ、俺が遠野さんに会いに行くよ」
少年は何気なくそう言った。
何でもないかのように放たれたその言葉に、ハンナの足が止まる。
「眼帯が合わなくなるたびに会いに行くからさ、そしたらまた作ってほしい」
立ち上がってハンナの背中に声をかける。
「遠野さんに作ってほしいんだ。俺のこと知ってる人にさ」
それは少年の本心だった。
自分を知る友人が自分のために作ってくれた物を使いたい。
しかし、ハンナは首を横に振る。
「知りませんわ」
ハンナは少年に背を向け、俯いている。
「わたくしは、あなたの苦労を何も知りませんでした。気が付きもしませんでしたわ」
「目の見えなかったあなたを、何も助けようとしなかった」
「そんな人間が、あなたのことを知っているわけがないでしょう?」
震える背中は、彼女の後悔を物語っていた。
ハンナは悔やんでいたのだ。
最後の魔女裁判で、彼が魔女化する姿を見た時に悔やんだ。
彼が盲目であることに気が付いてあげることができれば、彼に寄り添えたかもしれない。
慣れない杖で転んだ彼を助けた時に悔やんだ。
もっと彼のことを知っていれば、こんな怪我させないで済んだかもしれない。
彼がみんなと医務室で眠るようになった時に悔やんだ。
ひとりで眠ることが辛いと、もっと早く気が付いてあげることができたかもしれない。
魔女因子が無くなってようやく幸せになれそうだったのに、彼だけ孤独にさせてしまう。
彼だけ、悲しみの中に置いていってしまう。
自分だけが、幸せになろうとしている。
自分はまた、だれかを置き去りにして――
「じゃぁ、これから知ってくれよ、俺のこと」
暗闇に沈んでいくハンナの手を取ったのは少年だった。
振り向かない彼女の背中に言葉をつづける。
「俺がどんな人生送ってきて、どんな苦労して、どんな人間なのかさ。これから知ってほしい」
「だって、時間はたっぷりあるだろう?」
その声は笑っていた。
自分の苦労なんてなんてことない、
そんな昔のことを考えるより先のことを考えろ。
そう言っているのが聞こえてくるようだった。
しかし、ハンナは下を向いたままだ。
握られた手を握り返すこともしない。
「あなたは……怖くありませんの?」
ハンナの体は震えていた。
何かを思い出しているのか、声も震えている。
「たまに……考えるんです。もしもわたくしがあなただったらって……」
「わたくしは……無理、です。目が見えなくなってしまうなんて、とても、とても耐えられない」
「近くに誰がいるのかすら、わからないなんて、そんなの……」
それは、少年に対する侮辱の言葉のようにとらえることもできた。
自分だったら耐えられない、なんて言葉は彼に対してなんの慰めにもならない。
しかし、少年はハンナを知っている。
彼女はそんな真似はしないと。
「遠野さん」
少年はハンナの肩を掴んで後ろを振り返らせた。
彼女の顔は後悔と悲しみに溢れている。
日ごろのお転婆な少女の面影はなかった。
少年は肩を掴んだまま口を開く。
「俺だって耐えられないよ」
「ひとりだと、怖くて怖くて何もできなくなる」
「近くに誰かいてくれないと、俺も怖くて耐えられない」
「だから、いつもみんなに手を握ってもらってる」
やさしく抱きしめるように、そっと彼女の両手を掴んで引き寄せた。
ハンナの顔が自然と上に向く。
「手を握るだけで、すごく安心できるんだ」
手を握るだけで存在が伝わる、ぬくもりが伝わる。
手を握り返すだけで、思いが伝わる、優しさが伝わる。
「俺、会いに行くよ。そしたらまた、手を握ってほしい」
少年が握った手を通じて、ハンナに彼の心が伝わってくる。
手を握るだけで、なぜここまで心が安らぐのだろうか。
なぜこんなにも、彼の言葉を信じたくなってしまうのだろう。
答えはもうわかり切っている。
あの時、自分の作った眼帯を嬉しそうに受け取ってくれた時、自分の努力を認めてもらった時、もう心は決まっていたのだ。
握った両の手を強く握りしめ、潤んだ瞳で少年を見上げた。
「わたくし、待っています」
「あなたが来てくれることを、ずっと信じて待ってます」
「ですので、どうか、どうか、また、わたくしと――
◇
カチャカチャと、誰かが作業する音がする。
ノアのアトリエには、編み物をするハンナと少年。
そしてそれを見物しているシェリーがいた。
「アレ、取ってくださいまし」
「ん、はい。あ、そっちのやつ取って」
「どうぞ」
「ありがと」
「おふたりが最近編み物に夢中という話は聞いてましたけど……」
「そういえば、アレはもう出来ていますの?」
「もう完成したよ、次はアレ作ってる」
「なら何よりですわ」
「まるで熟年夫婦みたいですねー?ハンナさんってあなたのこと好きだったんですか?」
「な、ななっ、何言ってやがりますの!!そんな、す、好きとかそんな!?」
「どうだろうね。俺は遠野さんのこと好きだけど、遠野さんは俺のこと好きなのかな?」
「はぁ!?い、今なんて言いましたの?!わた、わたくしのことを、す、すき、って?!」
「はぁー……私、まだまだ知らない感情がたくさんありますね。あなたと一緒にいればわかるんでしょうか?」
「橘さんには悪いけど、それは難しいかな。特別な感情ってやつは自分で気が付くものだから」
「と、とくべつな、かんじょう!?」
「特別だよ。俺はみんなのことが好きだけど、遠野さんだけ特別に大好きなんだ」
「わ、わた、くしも、あなたのことを、その、あ、あの、す、すぅ~!!」
「ハンナさん、すっごい真っ赤ですね?大丈夫ですか?」
「ちょっと黙ってろですわ!いまわたくし、一世一代の、こ、こくはくを!」
「好きだよ遠野さん。絶対俺から会いに行くから待っててね」
「なんであなたはそんな簡単に言いやがるんですのー!」
ハンナもいつかトラウマ乗り越えて遠距離恋愛とかできるようになってて欲しいね、とか考えながら書いてました。
次回はシェリーです。