橘シェリーは、かつて怪力の魔法を持っていた。
家を持ち上げることができるほどのすさまじい力を持っていた。
魔法が消失した今、その怪力は無くなっている。
しかし、幼少期の虐待によりゆがんでしまったその精神性は、彼女の体が無意識にセーブしている力をフルに発揮することができていた。
彼女は自分の限界を超えた力をいつでも引き出すことができる。
つまり、以前ほどではないが並外れた怪力は健在であるということだ。
スゴイ能力だが、そんな状態ではこの先、ふとした瞬間に力を籠めすぎて大怪我をしてしまうかもしれない。
だからたまに、シェリーの力加減の練習のため、少年が訓練相手となっていた。
今日もまた、ふたりは訓練を始める。
訓練方法はシンプル、握手をすること。
差し出された右手に、同じく右手を重ねる。
傍から見ればただの握手だが、彼女たちからすれば立派な訓練である。
「それでは始めますね。痛かったら言ってください」
「おっけ」
最初は優しく、握ることすらせずただ手を重ねるのみ。
そこから少しずつ力を入れていく。
「大丈夫ですか?」
「全然。まだ大丈夫」
そっとシェリーは少年の手を握る。
「……どうですか?」
「まだ平気。もう少し強くてもいいかも」
グッと力を入れる。
「どうでしょうか」
「力強い握手って感じだね。もう少し優しくてもいいけど、これぐらいなら大丈夫だと思うよ」
「なるほどー」
シェリーはにぎにぎと手を動かし、今の力加減を確かめているようだ。
水色の髪がゆらゆらと揺れている。
最初、少年はこの役目を自分が受けるべきなのか少し迷っていた。
訓練とはいえ男女が手を握り合うのはどうなんだ、そう思っていたから。
しかし橘さんの未来のため他の少女達より体が頑丈であろう自分がやるしかない、そう自分に言い聞かせて手を差し出すことにしたのだ。
「どう?力調節できそう?」
「うーん……どうでしょう?」
少年は努めて平然と、手を握るシェリーに話しかける。
シェリーはにぎにぎ、にぎにぎと少年の手をいじっていた。
にぎにぎにぎにぎ
なかなか手を離さない。
どうかしたのかと少年はシェリーの顔を覗き込むも、彼女はじーっと少年の手を見つめてにぎにぎしていた。
にぎにぎ
にぎにぎにぎにぎ
にぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎ
「……橘さん?」
「どうしました?痛みます?」
「ぜんぜん痛くない、けど……」
にぎにぎにぎにぎ
にぎにぎにぎにぎ
「えっと、マッサージしてくれてる?」
「うーん……」
にぎにぎにぎにぎ
にぎにぎにぎにぎ
「橘さーん……?」
「少し待ってください。今、なんで私はこうしているのかを考えているので」
「ど、どういうこと?」
シェリーは表情を変えないまま、少年の手を触っている。
彼女自身も、なぜ自分がこうしているのかよくわかっていないようだった。
時に指の本数を数えるようにゆっくりと、時にその手触りを確かめるように滑らかに、ずっとにぎにぎしている。
「うーん……」
じっと少年の手を見つめているシェリーは、何かを考えているようだった。
彼女が何を考えているのかは、心理学者ではない少年には読み取れない。
しばらく手をいじっていたシェリーだったが、ふと少年の顔を見上げた。
突然目が合ったことに少年がすこし困惑する。
「な、なにかあった?」
彼女の橙色の瞳はいつもまっすぐで輝いている。
その瞳が静かに少年を見つめていた。
「そうですねー……」
彼女は日ごろの疑問を質問するような、何でもないことを聞くように口を開いた。
「私って、あなたのことが好きなんでしょうか?」
「え……?」
思わず固まる少年。
シェリーは気にせず言葉をつづけた。
「実を言うと私、もう力加減は完璧にできるんです。自分の体と相手の体が壊れないよう、調整できます」
「でもそれを言ったら、あなたはもう私と手を握ってくれないかもしれないじゃないですか」
「それがイヤだなーと思って黙っていたんです」
「その時の私は、なぜイヤだと感じたのかわからなかったんですけど、これってやっぱり、あなたのことが好きだから、でいいんですかね?」
どうなんでしょう?と首を傾げる彼女に少年は何も答えない。答えられない。
突然こんなことを相談されてしまって、どう返せばいいのかわからなくなってしまったのだ。
しかし黙っているのは失礼だろう。かろうじて動く頭で少年はそう考える。
「そう、なんじゃない、ですかね」
「やっぱりそうなんですね!なら私、あなたのことが好きです!」
「!?」
「今まであなたとはいろいろと一緒に行動してきましたよね。それで気づいたんです!あなたといると、ハンナさんやエマさん達と一緒にいるような気分になれるって!ならやっぱり、私はあなたのことが大好きです!」
一週目の世界。
少年はエマやハンナ、そしてシェリーとよく探索をしていた。
その時の記憶から、シェリーは彼に好意を示す。
大胆な告白を受けた少年だが、今度はその思考は止まっていない。
自分を落ち着けるために小さく息を吐いた。
(おちつけ、何も橘さんはそう言う意味で好きって言ったわけじゃない。桜羽さんや遠野さんと同じ感情、つまりは
そういった意味でなら、自分も彼女のことが好きだ。
変な勘違いをしないよう、少年は自身にそう言い聞かせる。
冷静に表情を保ちながら、彼はシェリーに返事をすることにした。
「ありがとう、俺も橘さんのことが好きだよ」
シェリーはとても嬉しそうに笑顔を浮かべた。
とてもまっすぐで元気な笑顔。
「わぁ!本当ですか?!私たち両想いってことですね!」
「えっあっ、うん」
「わーい!嬉しいです!」
嬉しそうに少年の手を両手でつかみ、ブンブンと上下に振る。
完璧な力加減で振られており、少年は腕に痛みを全く感じない。
彼女の言っていたことは本当なのだろう。
力加減についても、好きだという感情も。
(……あれ?)
「カップル成立、ということですね!やったー!」
(あれ???)
カップル成立、その言葉を聞いて少年は再び固まってしまう。
友達として好きとかそういう話ではなかったのか、いや彼女からすれば本気の告白だったのだろう。
「あ、あの、橘さん、俺は……っ」
少年は自分が勘違いしていたことを伝え、彼女の勘違いを正そうとした。
しかしできなかった。
あまりに彼女が嬉しそうだったから。
自分と付き合えることがそんなに嬉しいのか。
だというのに自分はなんて軽はずみに返答してしまったんだ。
嬉しさと罪悪感が同時に湧き上がってきて、少年は口を開くことができなくなっていた。
「でも、カップルってどんなことするんでしょう?手を繋いだり、一緒に寝たりはもうしてしまいましたし……今日はカップルらしいこと、一緒に探してみましょー!」
少し歪ながら、ふたりの交際がスタートする……
◇
「カップルと言ったら、やっぱり一緒にご飯ですよね!」
シェリーに手を引かれ、連れてこられたのは食堂だった。
ちょうど昼食の時間だからか、食堂は賑やかである。
ビュッフェ形式の食事を皿に取り、ふたりで座れる席を探していると遠くから声が聞こえる。
「あ、シェリーちゃん」
「おふたりとも、こちらが空いてますわよ」
エマとハンナのふたりが待っていたようだ。
シェリーと少年は、彼女たちの正面の椅子に隣り合わせに座る。
エマとハンナは、少年とシェリーの距離が近いことに気が付くも、気にするほどではないかと食事をつづけた。
一方、シェリーはニコニコとしながらリンゴを手に取った。
カップルらしいことをしようとしているらしい。
「これ、食べてください!あーん!」
「あのね橘さん、リンゴって一口で食べるもんじゃなあがががががが」
突然丸々ひとつのリンゴを少年の口にねじ込もうとする。
当然入るわけがない。
「しぇ、シェリーちゃん落ち着いて!リンゴは切らないと!」
「そうでした!でしたら、こっちのスープをどうぞ!」
シェリーはリンゴがダメだと気づくや否や、今度はスプーンを手にとった。
熱々のスープを掬い、少年に突き出す。
ジュッと少年の口が焼ける音がした。
「熱いアツいあつい!!」
「シェリーさん!ふーふーしないとやけどしてしまいますわよ!」
「そうでした!ふー!」
彼女が息を吐くと、スプーン上のスープが全部拭き飛んでいった。
「どんな肺活量してるんですのー!!」
「シェリーちゃん、なんだかテンション高いね」
エマが少年の口を心配そうに見ながら聞いた。
いつにもまして、シェリーは元気だった。
それにつられて、食堂もにぎわっている。
日ごろから元気な少女が今日は一段と元気なのだ。
食堂の活気が増している。
しかし、次のシェリーの一言で食堂はシンと静まり返ることになる。
「はい!だって私、彼氏ができましたから!!」
「「「…………」」」
「あれ?みなさんどうしました?」
「ごちそうさま!橘さん、もう行こうか!!」
「いいんですか?あなたはまだ食べきれていないみたいですけど……」
「ごちそうさまでした!!!!」
◇
逃げるように走る少年に手を引かれ、シェリーが来たのは娯楽室だ。
少年からすればあの場から離れるために適当に選んだ場所だったが、悪くない選択である。
今のシェリーの目的に、この部屋は合致していた。
「カップルといえば映画デートですよね!手を繋いで映画を見ましょう!」
そんな彼女の言葉に不思議と少年は逆らう気もしなかった。
黙々と映写機の準備をする。
シェリーは映画のフィルムが入った棚から何本か抜き取り、映写機にセットする。
少年をソファに座らせ、シェリーはその隣に座る。そして少年の手を握った。
すこし顔を赤くする少年だったが、無理に振りほどくようなことはしない。
ふたりは手を繋いで、映画を見ることになった。
始まったのは……ホラー映画。
『ギャアアアアアア!!』
『イヤアアアアアア!!』
人外の化け物が次々と人を襲っていく。
ここがもしも観客が大勢が集う映画館であれば、悲鳴が上がっていたかもしれない。
しかしふたりしかいない娯楽室では、映画の音声しか聞こえてこなかった。
「……」
「……」
特にシェリーは驚いている様子を見せない。
感情が読めない表情だ。
少年も特に驚いた様子はない。
彼はそこまでホラー映画が得意なわけではない。
しかし今見ているのは有名な映画だから、ある程度展開を知っているのだ。
来るとわかっていれば、叫ぶことを耐えるくらいできる。
「……」
「……」
やがて映画のエンドロールが流れ始める。
結局ふたりは叫び声ひとつあげなかった。
シェリーはちらりと少年の方を見る。
その表情はすこし不安げだ。
「あまり面白くなかったですか?」
どうやら少年があまり反応していないことを気にしていたらしい。
少年は彼女を不安にさせないため、明るく振舞った。
「面白かったよ。けど、デートにホラー映画はあんま合わないんじゃないかな」
「そうなんですか?なら、こっちを見ましょう!」
次にシェリーが手に取ったのはラブコメ映画。
デートに見るにはぴったりの映画かもしれない。
映写機にフィルムをセットして、シェリーは席に戻ってくる。
やはり少年の手を握っていた。
二度目ともなれば慣れたものである。
少年は冷静に手を握り返し、映画に集中した。
王道的展開の作品なのだろう。
主人公とヒロインが様々な苦難に直面し、それを乗り越えていく。
『愛してる……』
『私も……』
映画のクライマックスでは、愛の囁きとともに主役たちのキスシーンがはじまった。
少年は少し目を細める。
(なんか友達とこういう映画見るの気まずいな……)
不思議と気まずくなってきた少年は、少し気になってちらりとシェリーの方を見た。
すると彼女も少年のことを見ていたようで目が合ってしまう。
わっと驚く様子を見せた少年とは対照的に、シェリーは静かに少年を見つめている。
そして静かに口を開いた。
「私たちもしますか?」
何を、とは言う必要もないだろう。
映画のスクリーンにはやけに濃厚なキスシーンが映し出されている。
少年は赤くなる顔を抑えながら首を横に振った。
「ほ、ほら、ムードとかあるからっ」
そう誤魔化した。
『薄暗いふたりだけの部屋なのだから、キスにはちょうどいいムードなのでは?』
少年の誤魔化しは、そう簡単に論破されてしまうことだろう。
誤魔化しの言葉を言った後にそのことに気が付いてしまった少年が、必死に反論材料を組み立てる。
シェリーとキスをしてしまえば、自分は罪悪感で死んでしまう。
しかし、少年の想像とは違い、シェリーは静かに
「そうなんですね」
そう言って映画の方に視線を戻した。
その横顔は、映画の光に照らされよく見えた。
しかし感情が読み取れない。笑顔もなく悲しみもない。
今日はその顔を見ることが多いな、少年はそう思った。
彼女を笑わせることができていない、少年はそう思った。
自分はやはり、橘シェリーの彼氏として不適格だ。少年はそう思った。
その後、ふたりはしばらく様々な映画を見ていた。
ホラー、コメディ、アクション、時間が許す限り様々な映画を見ていた。
ふたりの間に会話はなく、ずっと手を握っていた。
◇
「カップルって難しいんですね。思い知りました」
ソファの背もたれを十分に活用しながら、シェリーは息を吐いた。
いったい何本の映画を見ていたのだろうか。
もう日が暮れ始めている。
シェリーと同じようにソファにもたれ掛かる少年だったが、ふと彼女の以前の発言を思い出した。
服装を正し、足をそろえる。
そしてシェリーの方を見ながら、自分のももをポンポン叩いた。
「膝枕、する?」
以前、彼女は膝枕をしてみたいと言っていた。
魔法があるうちは、相手の足を潰すことを恐れてあまりできなかったのだろう。
シェリーはぱぁっと明るく笑って少年の足に飛び込んでいく。
あまりに強く飛び込んでくるものだから、少年は痛みを覚悟した。
しかし予想に反して、痛みは全くなかった。
彼女の力加減はやはり完璧だ。
少年の足を枕に、シェリーは横になる。
「思っていたよりも固いです!」
「まぁ男の膝枕はなぁ……やめる?」
「いえいえ、もう少しこのままでお願いします!」
にこにこと上機嫌に笑うシェリーだが、少年はそれどころではない。
女の子を膝枕する経験なんて、彼にはなかったからだ。
変な匂いとかしてないだろうか、なんて声かければいいんだろう、俺の手ってどこにおいておけばいいの?
考えに考え抜いた結果、何もしないことが最適解だと導き出す。
少年は腕組みをしたまま動かなくなった。
シェリーも静かになった。
少年に背を向けているから、どんな表情をしているのかはわからない。
映像を長く見すぎたせいか、少年も少し疲れてきた。
すこし眠ってしまおうか、彼がそう思った時だった。
「あの時のあなたの告白、本気ではなかったんですよね?」
その言葉は、静かだった娯楽室によく響いた。
少年はその言葉に体を突き刺されたかのように固まってしまう。
「私のことを傷つけないように、告白を受け入れたフリをしてくれていたんですよね」
「付き合わせてしまってごめんなさい」
「私とは、もう別れた、ということにして構いませんよ。食堂にいたみなさんには、私が大げさに言っただけ、と伝えておきます。あなたがこの先、不利にならないようにします」
「もともと私が撒いた種ですからね。あなたと付き合えると思って、すこし舞い上がってしまいました」
「今日、とっても楽しかったです!ありがとうございました!」
少年からは、シェリーがどんな表情でその言葉を言っているのかは見えなかった。
いつものように笑っているのか、それとも泣いているのかわからなかった。
橘シェリーとは、友人のために命を懸けられる少女である。
友人のために自分を犠牲にできる少女である。
少年は考える。
彼女が友人のために命を懸けられるなら、彼女の友人である自分も命を懸けるべきなのではないだろうか。
彼女のために、人生を懸けるべきなのではないだろうか。
いいや、足りない。
彼女が一生笑って生きていけるように、一生支える続けるべきなのではないだろうか。
そうだ、そうに違いない。
橘シェリーは笑顔の似合う女の子だ。
だから一生笑っていてほしい。
少年は考えた。
そして今、膝枕から離れようとする彼女のためにすべきことを思いついた。
「おや?」
起き上がろうとするシェリーの肩を掴み、優しく倒した。
膝枕継続である。
事態が把握できていないのか、固まっているシェリーの頭をそっと撫でる。
「えっと……いいんですか?」
膝枕され、頭を撫でられながら、シェリーはごろんと少年の顔を見上げる姿勢になる。
いいんですか?
その言葉には、いろんな意味が込められていた。
膝枕続けてもらっていいんですか?
私と離れなくていいんですか?
別れなくてもいいんですか?
勘違いを続けてもいいんですか?
シェリーの瞳を少年は正面から見つめ返す。
彼は、いつもの笑顔だった。
「俺、橘さんの笑顔がずっと好きだ。前の世界から、ずっとそうだった。だからこの先もずっと、笑っていてほしいし、俺がそばで笑わせたい」
そっとシェリーの頬をなで、少年は心を込めて口を開いた。
「俺と、お付き合いしてくれませんか、橘シェリーさん」
「……はい!」
その時の彼女の笑顔を、彼は一生忘れることはないだろう。
シェリーは頬に添えられた手を優しく握り、彼と距離を縮めていく。
薄暗いふたりだけの部屋。ムードとしては完璧だろう。
こうしてようやく、ふたりの本当の交際がスタートしたのだった。
シェリーは好意を自覚したらすぐに好きって言っちゃいそう。
次回はエマです。
今週中に間に合うかな……無理かな……